2015年11月23日月曜日

ケインズ学会で報告する論考 ホートリー 『思考と事物』の探訪 ―「アスペクトの理論」と「科学」の架橋を求めて                


ケインズ学会で報告する論考

ペーパーは下記サイトで公開中

https://drive.google.com/file/d/0B48UXBXIVug7Qm5Jd0ZUcklnWVk/view?usp=sharing

***

ホートリー 『思考と事物』の探訪

―「アスペクトの理論」と「科学」の架橋を求めて

                     平井俊顕

I. はじめに

II. アスペクトの理論
1. 基本的枠組み
   2. 感覚経験を通じて得られるアスペクト
   3. マインド内で引き起こされる諸状態として得られるアスペクト

3.1 思考
  3.2 概念
  3.3 知識

III. マインドと物質
  1. 本論
 2. 科学
3. 行動主義・論理実証主義批判
    3.1 行動主義
3.2 論理実証主義
     
IV. ケンブリッジの哲学的潮流

4.1 ムーア
4.2 ラッセル
4.3 ケインズ
4.4 ウィトゲンシュタイン
4.5 ホートリーとウィトゲンシュタインのアスペクト論
4.6 ホートリーの哲学再論

V. むすび

***


本報告の対象:ホートリー (1879-1975年) の思考の根底をなす彼の唯一かつ未刊の哲学書『思考と事物』(Thought and Things)

第1章「アスペクト」、第2章「原因」、第3章「目的」、第4章「思考」、
第5章「真実と推論」、第6章「科学」、第7章「哲学」、
第8章「人とその世界」。タイプ刷りで314枚
     
   

(概要)
中心となる理論:アスペクトの理論

・マインドが意識の領域に創り出すアスペクトの選択を中軸に据え、そこか ら概念、知識、その他、さまざまな状態を説明していこうとするもの

・「アスペクト」を「間主観的」、あるいはそれより広い「客観性」を有する、さらには時を超えたものとしてとらえる傾向をも示唆している

 ・そのうえで、「マインドと物質」、あるいは「アスペクトの理論と科学」のあいだの関係をどうとらえるべきかという難題に挑んでいる

・この書の究極の目的
「アスペクトの理論」と「科学」をデュアリズムに陥ることなく、いかにすれば架橋できるかの解決を目指す

 ・最終的回答に到達していはいないが、それを目指して考察し、論じている内容は非常に示唆的

 ・マインドを無視して、専ら科学を重視して世界をみようとする行動主義や論理実証主義にたいする批判的論陣。そうした見方は、科学や数学についての誤った認識に基づく

・科学:因果仮説は初発因としての「物質」をもちだしてくるが、それは、「因果的特性」と「空間的特性」との関係についての議論がなされることなく導入されており、その点で「物質」概念が不完全である。また生命やマインドの領域に入ると、物質概念の不完全性は一層顕著になる、との指摘

・数学:「数学的命題」や「蓋然性」をホートリーが「アスペクトの理論」のタームで論じている点を想起すれば、論理実証主義などの理解との相違は明瞭

***
(本稿の構成)

I. はじめに
II. アスペクトの理論
1. 基本的枠組み   2. 感覚経験を通じて得られるアスペクト
   3. マインド内で引き起こされる諸状態として得られるアスペクト

3.1 思考 3.2 概念 3.3 知識

III. マインドと物質
  1. 本論
 2. 科学
3. 行動主義・論理実証主義批判
    3.1 行動主義 3.2 論理実証主義
     
IV. ケンブリッジの哲学的潮流

4.1 ムーア 4.2 ラッセル4.3 ケインズ 4.4 ウィトゲンシュタイン
4.5 ホートリーとウィトゲンシュタインのアスペクト論
4.6 ホートリーの哲学再論

***
(具体的説明)

II. アスペクトの理論
(図1)意識の全領域

意識の全領域      感覚経験を通じて接する領域
(例:人の顔の認識や絵画の鑑賞)

            マインド内で引き起こされる諸状態
(「道徳、感情、意思行為、思考、概念」
「不確実性、蓋然性」
「数学的命題、数学的推論、経験的推  論」など)
             

  (図2)思考・概念・知識

思考 - アスペクトの識別。推論的。経験についての解釈がなされる段階

 マインド       複数のアスペクト    概念
    (「熟知」familiarityによる      (組み合わせ)
「連想」association) 

「知識」― 識別された複数のアスペクトに根拠づけられた信条

マインド内に蓄積された「知識」
=「熟知された」アスペクト + 概念


ホートリーの哲学(再論)

・感覚経験 sense experienceによる意識的領域の知覚を哲学の根底に据える。その意味で「イデア論」とは性格を異にする。

・事物の存在の証明はできない。われわれは感覚経験を通じて意識的にアスペクトをとらえ、それをマインドに構築することを通じてのみ、認識できる存在

・他方で、形而上学は検証不可能との理由で、検討の対象から除外する立場をとる論理実証主義を批判。感覚経験による意識的領域の知覚という視点が欠落している

・彼の哲学的スタンスを知るうえで有益な個所の指摘

感覚経験の実在は、いかなる形式の経験論においても不可欠の前提である(p.182)

検証を必要としない一種の認識 (knowing) を提供するのは感覚経験のアスペクトだけではない。感覚経験以外の意識の状態のアスペクトもそうである(p.182a)

価値判断は、その真実にとっては、いかなる経験的観察もおそらくは関係しえ
ないという形而上学的言明に属する(p.182b)

III マインドと物質

2.科学

  マインドおよび物質は因果仮説によって、各々はそれ自身に特徴的な因果活動の媒体手段 (vehicle) として措定されてきた。すなわち、物質は物理的運動の媒体手段として働くことができる。というのは、それは空間的特性を有しているからである。マインドは、意識的経験の媒体手段になることができる。各々はそれ自身の特有の領域で活動する (p.253)

物質は因果性の仮説的な媒体手段であり、物理的因果性の主題である空間的および時間的関係を何らかの方法で帯びざるをえない (p.263)

・ここで問題とされるのは「科学の理論」

・科学において因果仮説を用いる場合、因果仮説をいくら溯ったとしても、それは初発因を決定できない。初発因は因果仮説で説明できる性質のものではない。そこで因果関係の駆動力として導入されるのが「物質」(matter) 。科学的叙述にはその空間的特性が必要とされているのである。

・だがホートリーは、科学で使用される「物質」概念は非常に不完全なものであることを指摘する。物質のもつ「因果的特性」と「空間的特性」が利用されたとしても、両者を統合する関係は何ら明らかにされていない。

   だが、すべての因果的特性を決定するのは、物質という概念のなかの何なのかを問うとき、その答えは見当たらないのである。(そこで) ヒュームの懐疑が幅を利かせてくる。物質という概念は不完全である。なぜなら因果的特性はその空間的資質のうえに、それらを統合すると考えられるいかなる特定化された関係もないまま、重ねられるからである (p.260)

科学者は現在、彼らの結論を経験の秩序性のたんなる叙述であるものとして受け入れることで満足している。物質の実在性はこの立場の代替物ではなく、追加的な仮説であり、そのプロージビリティ(もっともらしさ)は物質概念自身の信頼度に依存している(p.259)

IV. ケンブリッジの哲学的潮流

4.1 ムーア 4.2 ラッセル4.3 ケインズ 4.4 ウィトゲンシュタイン
4.5 ホートリーとウィトゲンシュタインのアスペクト論

4.1ムーア
「日常言語」への注目。後期ウィットゲンシュタインの採ったスタンス.
ホートリーやケインズは、「日常言語」への関心を共有することはなかった。

4.2 ラッセル -「論理的原子論」
ホートリーの哲学も『思考と事物』において、批判的言辞はみられないもの
の「アスペクトの理論」とはかけ離れたもの

4.3 ケインズ
ケインズの『確率論』における蓋然性にたいして、同調的な見解を表明

それをマインド内で引き起こされる諸状態の1つとして、「アスペクト」のタームでとらえている。

蓋然性は、大きさとか距離のように、識別されるアスペクトである。それは、ある命題を主張する思考のアスペクトである (p.158)

どの信条も絶対に確実ではありえないので、信条を具現するどの思考もこ  
のアスペクト(不確実性)を現出するといえるかもしれないが、一般にこのアスペクトはたんなる潜在性にとどまっており、マインドによって気づかれてはいない。判断が到達するところのプロセスが行動の基礎を形成するのに不十分であると感じられるときにのみ、注意はその疑いに向かうことになり、それは「蓋然的な」とラベル付けされた知識のストックに入ることになる(p.161)

4.5 ホートリーとウィトゲンシュタインのアスペクト論

・両者のアスペクト論の相違点
ホートリー:アスペクトは間主観的(準客観的)である。アスペクトは存在し
ており(その意味でプラトンのイデア的)、それを各マインドがとらえられるかいなかという発想である。事物には多種のアスペクトが付着しているというような捉え方がなされており、ここから概念、思考、その他の重要なコンセプトが展開されていくかたちになっている。

ウィトゲンシュタイン:アスペクト ― 『哲学探究』第2部第11章で展開さ
れており[第2部の完成は1949年] ― はマインドがとらえる一種の像と考え
られている。そしてそれは各マインドによって異なる像としてみえる(有名な
ジャストロウの「アヒル=ウサギの絵」を想定されたい)。それは、客観的に
存在しているというよりも主観性が強いものである。

***

・共有点

・ケーラーのゲシュタルト心理学への親近性 (TT, 234, 244を参照) がみられ、
心理学的着想が強く認められる。
・科学主義、論理実証主義にたいし批判的立場がとられている
・ラッセルの論理原子論にたいし批判的立場がとられている。

2015年10月18日日曜日

グローバリゼーションを どうとらえればよいのだろうか


グローバリゼーションを
どうとらえればよいのだろうか

               平井俊顕
               (上智大学)


               




1.はじめに

80年代中葉以降の世界経済の展開を一言で表現するとすれば、「グローバリゼーション」グローバルな市場経済化現象に優るものはない。この現象の特徴として次の3点が指摘できる

(i) 経済運営の原理として、資本主義がグローバルに採用されたこと(社会主義の放棄)
() 金融グローバリゼーションの極端な進行
()開発途上国とみなされていた国が、驚くべき経済成長を達成し、世界経済上、重要な地位を占めるに至ったこと。
 
(i)は戦後の世界経済における画期的な変化である。()は、その規模と金融商品の多様さで際立っている。()は「南北問題」という用語を不用にする現象と言える。

グローバリゼーションは、大きく「金融グローバリゼーション」と「市場システムグローバリゼーション」に分けることができる。
金融グローバリゼーションは、金融ビジネスがどの政府からの規制も受けることなく活動できる金融の自由化と資本取引の自由化により引き起こされた。金融ビジネスは様々な手法で巨額の資本を調達し、世界中の金融市場に参入することで金融市場のグローバル化を実現してきた。他方、金融グローバリゼーションは金融資本の異常な増大をもたらすにつれ、諸政府がその行動を監督することは益々難しくなり(膨張するSBS)、そのことが世界経済を益々不安定なものにしてきている、という側面がある。
市場システムは、財サービスが市場を通じて企業および消費者間で自由に交換されことを可能にする仕組みである。さらに有力な企業は、生産を多数の国に分散させ、市場をグローバルな観点からとらえてマーケティング計画を立てている。市場システムがこうしたかたちでグローバル採用されるようになった、というのがここでいう「市場システムグローバリゼーション」である。
 2つのグローバリゼーションの関係だが、前者の進展が後者を促進してきた。金融ビジネスは、利益を生むと見込まれる世界のいかなる地域にも資金を積極的に投資してきている。このことは多くの開発途上国に発展への大きな契機を提供することになった。
 
 この30年に、世界の政治経済システムに大きな変化をもたらしたものとして、次の4種類のグローバリゼーションを識別することができる。()()()は、「市場システムグローバリゼーション」に属している。

(i) 金融グローバリゼーション
() 市場システム I  – ソヴィエトの崩壊関係
() 市場システムII – 新興国の台頭
() 市場システムの統合 – EU

.「金融グローバリゼーション」
 米英金融資本による主導権奪取 

金融グローバリゼーションが生じた背景として、70年代から80年代にかけて、それまでのアメリカ経済を中心とする世界資本主義システムに大きな陰りがみられたという点があげられる。戦後の資本主義を規定してきた通貨体制であるブレトンウッズ体制は、60年代にはいく度かのドル危機を経て弱体化をみせていたが、71815日の「ニクソンドクトリン」により、ドルは金とのリンクが断ち切られ、以降、スミソニアン協定を経た後、主要国は変動相場制に移行した。
 こうした事態の進展の背景には、日西独の経済発展が実体経済の領域でアメリカを凌駕しようとしていたことがあげられる。象徴的な出来事として、日米貿易摩擦の継続的な展開があり、アメリカは日本に輸出自主規制を半ば強要していた。
 70年代に2度にわたりオイルショックが発生した。いずれも中東の政治危機と関連しており、原油産出国のカルテルであるOPECの世界政治経済におけるプレゼンスを高めることになった。その結果生じた原油価格の高騰はほとんどの先進国経済を不況に陥れることになった。
  サッチャー首相 (79-90)、レーガン大統領 (81-89) の登場はこの頃である。彼らは、低迷する経済を活性化させるため、市場システムの活用、企業者による自由な経済活動、規制緩和、反労働組合、反福祉国家を唱道し、それらを実行に移した (これは経済学でいうと、ケインズ=ベヴァリッジからハイエク=フリードマンへのシフトに対応する)
こうしたなか、米英が世界の中枢としての地位を取り戻す方策として、(結果的に) 編み出されたといえるものが、ここでいう金融グローバリゼーションである。米英は、金融の自由化を進め、金融機関が政府の監視を逃れて自由に投資投機活動を展開していくことを許容していくことになった。そのため、投資銀行、ヘッジファンド、さらには商業銀行が「証券化商品」の開発やレヴァリッジ手法を通じ、驚くべき規模の投資投機活動を展開していくことが可能になったのである。
だが、80年代の前半には日西独から米英が世界経済上の地位を奪回するうえで、金融グローバリゼーションがまだ大きな効果を発揮できていたわけではない。この点で大きな契機となったのは、85年に成立した「プラザ合意」であり、日本は市場介入による円高を強要されることになった。
90年代に入ると、金融グローバリゼーションは加速度を増していった。このことは、米英世界経済における支配権・影響力を回復・拡大させるうえで、大いなる貢献をはたしたといえる。加えて、同時期、アメリカはIT革命を通じ実体経済の分野においても、日本を凌駕するに至ったのである。
これにたいし90年代初頭まで世界経済で、独り勝ち組とされてきた日本は、「プラザ合意」での対処、経済のバブル化への対処に失敗し、自縄自縛的な「失われた20年」に突入していった。
90年代後半、日本の金融機関は国内の金融危機により世界市場からの撤退を余儀なくされた。さらに、企業家精神においてすら、日本企業は大きな遅れをみせることになり、日本経済はそれまでのような経済成長を実現できなくなってしまった。
米英の政府当局ならびに金融業界が、どこまでこのような進展を見通していたのかは不明であるが、結果的に金融グローバリゼーションは、米英の金融資本が世界経済の進む道を大きく決定づけることになった。

. 市場システムI
       米ソ冷戦体制の崩壊と資本主義システムへの収斂

本節では、資本主義システムを採用することになった旧ソヴィエト圏ならびに中国を対象にする。


3.1  社会主義体制の出現と崩壊
戦後世界は、2つの敵対する経済システムが覇権を争う冷戦構造の時代としてスタートした。社会主義体制にあっては、企業や価格メカニズムはほとんど存在しなかった。サービスは売買されるが、価格は市場で決定されたわけではない。生産活動は中央計画局 (例えば、ソ連のゴスプラン)によって立てられ、下位組織はその計画にしたがって生産を行うことになっていた。
 冷戦構造は、91年のソヴィエト圏の崩壊で突然の終焉を迎えた。社会主義体制が、その特性ゆえに崩壊する運命にあった、というのを跡付けでいうのは容易である。だが、完璧な崩壊を予想できた者などいなかった。世界の資本主義システムが30年代にほとんど崩壊していたときに、経済成長を達成していたのはソヴィエトであった。何よりも、1950-80年における実質GNPの平均成長率は年率4.7%であった、という事実があることを、ここで強調しておく価値はある。

3.2移行経済
ここでは、ソヴィエトの崩壊後、ロシアがどのように資本主義システムへの変貌を遂げたのかをみていく。共産党独裁のもとで資本主義的要素をすでに78年から漸次的に採用していった中国は東欧圏とは識別される例外的存在であるが、合わせてみていくことにする。

ロシア -クーデターの鎮圧後、「ベラヴェーシ合意」が9112月に結ばれ、CIS(独立国家共同体)の宣言とソヴィエト連邦の廃止が決定された。ロシアはそのなかで最大の国家であった。
 エリティンは、IMFの勧告に従いながら、「ショック療法」によりロシアの資本主義化を目指した。彼の大統領時代 (91-99) は2期にわけることができる。
  前期は、ショック療法価格の自由化、「バウチャー方式」による国営企業の民営化、株式市場の創設等の断行である。が、その成果は無惨なものであった。92年、ロシア経済は年率2510%のハイパーインフレ、および14.5%減の実質GDPとなった。ハイパーインフレは多数の人々を極度の貧困に陥れる一方、バウチャー方式はオリガルヒ (富豪) を生み出した。
 後期は、政治的経済的混乱期である。既述の悲惨な経済状況のため、エリティンの人気は急落していた。オリガルヒの協力を得て再選はしたものの、オリガルヒの影響力は強大になった。彼らは「株式担保」による融資を通じ、多くの国営企業を手に入れた。
 98年、ロシアは国債のデフォルトに陥った。財政収入の急激な落ち込み、資本逃避等の結果であった。官吏や軍人への給与は大幅な遅配となり、ルーブルは信用を喪失し、物々取引が支配的になった(デフォルトは、アメリカのヘッジファンドLTCMの崩壊を引き起こし、世界金融危機寸前にまで至ったことも、ここに記しておく必要がある)。
 99年、エリティンは大統領職を辞し、プーチンをその代行に指名した。翌年、プーチンは大統領に就任している。この時期、原油価格の急騰により、ロシア経済は奇跡的な回復をみせている。第1期、プーチンはロシアを経済的のみならず政治的に改革することに熱心であった。第2期になると、彼は国家によるコントロールを強化し、従わないオリガルヒを追放していった。リーマンショックはロシアをも襲ったが、企業にたいする国家の影響力は一層強くなった。
 
中国 65-77年、中国は「文化大革命」の時期であった。知識人や学生は僻地に追放された。この革命は権力を奪回しようとする毛沢東によって始められた。だが、経済が悲惨な状況に落ち込み、こじれた闘争の後、ついには「四人組」の逮捕と有罪判決で終結を迎えた。
78年、不死鳥のように蘇った鄧小平によって「改革開放」政策が打ち出された。これが中国経済の今日に至るまでの驚異的な経済発展の出発点になった。この政策は、中国経済を実質的に資本主義システムに変換することを目的とするものであった。
当初、中国は、農村地域での土地の私有化の導入、ならびにいわゆる「郷鎮企業」の成長により、悲惨な状態から脱却することができた。それに続くのが「経済特区」への外国企業の誘致で、実質的にはこれが、その後の驚異的な経済成長の先駆けとなった。
85年、鄧小平はいわゆる「先富論」を唱道し、中国経済の急速な成長は民間企業によって担われるようになった。さらに92年、鄧はいわゆる「南巡講話」を行い、改革開放政策の速度をあげることを訴えた (天安門事件の混乱を受けての要請であった)
90年代中葉の中国政府の指導方針は、大規模国営企業は政府のコントロール下におくが、小規模国営企業は民営化するというものであった。その結果、経済に占める国営企業のシェアは低下を続けた。
その後、中国政府は、内陸部の地方政府が、新開発区域を創設し、そこに外国企業を誘致することを認めた。
0112月、中国はWTOに加盟し、外国資本の国内資本との対等の扱い、関税の自由化、ならびに労働移動の相当の自由化を承認するに至った。

4. 市場システムII ― 新興国

ビジネス活動のグローバル的展開は、いくつかの「発展途上」国の大規模な経済発展をもたらした。その結果がブリックス(BRICs) ブラジル、[ロシア]、インド、中国 に代表される新興国の出現である。
注目すべきは、世界経済は「成長を続ける先進国 対 停滞する開発途上国」から「停滞する先進国 対 成長を続ける新興国」へと、その図式を大きく変貌させている点である。この結果、90年代初頭に実現したかにみえた、世界経済をアメリカ一国で支配するという野望は、挫折している。
ブリックスは先進国に急速に追いついてきたのみならず、世界経済においてますます大きな地位を占めるに至っている。ブラジルとインドを簡単にみたうえで、世界経済におけるブリックスの存在に言及することにしよう。

ブラジル80年代および90年代の前半、ブラジルは膨大な債務とハイパーインフレーションに苦しんだ。90年にコロール大統領 (90-92) は市場経済を促進する政策を採用し、門戸を海外に開放し、国営企業の民営化を実施した。これはブラジルのその後のコースを大きく変えることになった。94年、フランコ大統領 (92-94) は、ドルペッグ制のもとで貨幣を「レアル」に改めた。これはハイパーインフレーションを劇的に鎮静化させた。またカルドーソ大統領 (95-02) は「財政責任法」および「財政犯罪処罰法」により健全な財政状況をもたらすことに成功した。
世紀が改まったとき、ブラジルは中国からの農産物需要により高い経済成長率を達成することができ、以来、資源に富む国として世界経済における地位を高めてきている。

インドインドは、80年代、IMFからの借款と、それと引き換えに大幅な自由化路線を受け入れたが、財政赤字対外債務の膨張に苦しんでいた。
91年にラオ首相 (91-96) は経済的低迷に対処するために新経済政策(NEP)採用した (i) 貿易、外為および資本の自由化、(ii) 規制緩和、(iii) 国営企業の民営化、(iv) 金融システムの改革を含む自由化政策である。この路線は、歴代の首相 (M.シン首相を含む) によって継承された。インドは、とりわけIT産業 これはアメリカ企業のアウトソーシングとして始まった により、高い経済成長を達成することができた。

ブリックスの存在感 - 80年代の終わりまで、ブラジル、インドおよびロシアは深刻な経済的不況もしくは混乱に苦しんでいた。だが90年代の初頭になると、ブラジルやインドは、市場の自由化および、(ブラジルでは)農産物にたいする需要の急増、(インドでは)海外からのITサービスにたいする需要の急増を通じて高い経済成長率を達成していった(中国やロシアについては既述のとおりである)。
 ブリックスの経済的命運は、80年代後半に生じた出来事によって大きな影響を受けたといえる。
 第1にソヴィエト圏の崩壊である。
 第2に金融グローバリゼーションである。90年代になると、ブリックスは一般に自由化政策を採用するようになった (中国は78年に採用していた)
以上を要するに、ブリックスは「市場システムII」および「金融グローバリゼーション」の双方から便益を享受したということである。
1PPP (購買力平価) 表示の2014GDP トップ10である。ブリックスはここにリストアップされている。なかでも中国の数値は驚異的である。そして2014年、中国はNo.1になっている。

1 PPP 表示でのGDP ランキング(単位: 10億ドル)


国/年
2014
  2010
2000
  1990
1
中国
17,617
10,040
3,020 (3)
914 (7)
2
アメリカ
17,419
14,958 (1)
10,290
5,980
3
インド
7,376
 4,130 (4)
1,607 (5)
  762 (9)
4
日本
4,751
4,351 (3)
3,261 (2)
2,379 (2)
5
ドイツ
3,726
 2,926
2,148 (4)
1,452 (3)
6
ロシア
3,565
 2,222
1,213 (10)
---
7
ブラジル
3,264
 2,167 (8)
1,236 (9)
  789 (8)
8
インドネシア
 2,676
 2,004 (11)
    956(13)
   ---
9
フランス
 2,581
 2,114
  1,535 (6)
1,031 (4)
10
イギリス
 2,549
 2,201 (7)
  1,515 (7)
  915 (6)



(出所) http://ecodb.net/ (IMF, World Economic Outlook Database
に依拠) をもとに作成

5. 市場システムの統合
ユーロシステム (あるいは EU)

EU およびユーロシステムは、今日のグローバリゼーションが加速度を増してきた、そして社会主義システムが崩壊した90年代に設立された。さらにEUは旧ソヴィエト圏諸国EUに引き入れる政策を採用した。その意味でEU あるいはユーロシステムは市場システム統合のグローバリゼーション それは部分的な金融グローバリゼーション(ユーロというかたちで)、市場システムIを含んでいる を構成しているということができるであろう。
 だが、世紀初頭において羨望の眼差しで称揚されていたユーロシステムであるが、リーマンショックの1年後、非常な欠陥に晒されたシステムであることが露呈させた。105月に発生したユーロ危機に対処するためにユーロの指導者が採用した政策は、PI[I]G[S]  ポルトガル、アイルランド、[イタリア]、ギリシア、[スペイン] - にたいし、ベイルアウトと引き換えに超緊縮予算の強制、ならびにECBによる金融政策 - 当初は低利子率政策のみであったが、その後、LTROへと拡大 - であった。ユーロ指導者の基本的な考えは、超緊縮予算と、労働市場の自由化、公的部門の売却などの構造改革により、困難に陥っている国は国際競争力を向上することができ、より健全な予算を達成できるようになる、というものである。
  しかしながら、その結果もたらされたものPIIGS内での一層大きな危機であった。超緊縮財政は超デフレ政策を意味している。継続するリストラ、増税、年金カットは有効需要の急激な落ち込み、高い失業率、そして予算状況のさらなる悪化をもたらすばかりであった
ユーロ指導者は、「拡大を続ける域際間の不均衡」および「メンバー国の状況」という根本的な原因に目を向けてはいない。「拡大を続ける域際間の不均衡」は典型的には、ドイツとPI (I) GSのあいだの経済的インバランスとして表現することができる。換言すれば、ドイツで増大した過剰貯蓄はPI (I) GSに貸し付けられ、いわゆる「グローバルインバランス」の地域版が生じているのである。
より問題なのは、EU自体の存続である。というのは、それは創設精神たるシューマンスピリットを喪失しており、極端な形態のナショナリズムの勃興を引き起こしてしまっているからである。

6. むすび

最後に、グローバリゼーションを考えるさいに重要な点について若干述べることにしたい。
 リーマンショック後の経済危機は、ネオリベラリズムと新しい古典派によって支持され促進された行き過ぎの金融グローバリゼーションの結果であった。
 資本主義社会はどのような方向に動いていくべきなのであろうか。現時点で明らかなことは、ネオリベラリズム的な方向性ではなく、資本主義社会はそれとは異なった方向で動いていく必要がある、という点である。市場の不存在や市場の不透明現象およびSBSの拡大を抑えるために諸政府は、金融システムを統御可能なものに改善するように動いていくことが要請されている。
とはいえ、この動きの進行は ― ゼロではないとはいえ ― きわめて遅い。このため、金融機関はリーマンショック以前と同じように行動することが許されてしまっており、そのことは近い将来に新たな金融のメルトダウンをもたらす可能性が小さくないことを意味している。
もう1つの重要な問題は、ビジネス倫理に関するものである。これらの危機にさいして、われわれは、自己責任原理を唱道してきていた多くの産業界のリーダーが我先に政府に金融支援を懇願する  「大きすぎて潰せない」を胸に秘めて  という事態を目の当たりにみてきた。資本主義社会にとって新たなビジネスモデルが作り出されないならば、この社会は近い将来、もっと深刻な事態にに直面することになるであろう。

世界は、依然として海図のない領域に向かって航行している。

(関連拙稿)

資本主義経済30年考 グローバリゼーションの功罪
(諸富徹編著『資本主義経済システムの展望』岩波書店、第1章、近刊)

Capitalism and the World Economy:
 The Light and Shadow of Globalization
         ed. by T. Hirai, Routledge, 2015                     
Preface
Chapter 1  Capitalism, World Economy and Globalization  Toshiaki Hirai
Chapter2   Financial Globalization and Instability of the World Economy
         Toshiaki Hirai
Chapter 3  Globalization and Keynes’s Ideal of “A Sounder Political
Economy between All Nations”     Anna Crabelli and Mario Cedrini
Chapter 4  Globalization and the Ladder of Comparative Advantage
 Roger Sandilands
Chapter 5 The Crisis, the Bail-out, and Financial Reform: A Minskian Approach to Improving Crisis Response                Randall Wray
Chapter 6  Economic Crisis and Globalization in the European Union
Cosimo Perrotta
Chapter 7 The “Euro” Crisis and the “Eurocrisis”  Paolo Piacentini
Chapter 8 “We are all Keynesians now”.  The Paradox of British Fiscal Policy in the Aftermath of the Global Financial Crisis 2007-09    William Garside
Chapter 9 Japan’s De-globalization                 Yutaka Harada 
    Chapter 10 Trade Friction with no Foundation: A Review of US–Japanese
Economic Relations in the 1980s and the 1990s     Asahi Noguchi 
Chapter 11 Globalization, Policy Autonomy and Economic Development: The Case of Brazil   F. J. Cardim de Carvalho
Chapter 12 Indian Economy under Economic Reforms: Responses from 
Society and the State           Sunanda Sen
Chapter 13 A Mixed Effect of Globalization on China's Economic Growth
Hideo Ohashi

Chapter 14 Dynamics of State-Business Relations and the Evolution of Capitalism in an Age of Globalization  Yuko Adachi