2016年1月31日日曜日

アベノミクスと低迷する日本経済 - バーナンキの政策理論とパフォーマンスに鑑みて 平井俊顕(上智大学)






現在、構想中のもの


アベノミクスと低迷する日本経済

- バーナンキの政策理論とパフォーマンスに鑑みて

                        平井俊顕(上智大学)

1. はじめに

2.バーナンキの政策理論とパフォーマンス

  2.1 政策理論
   
   (1) 短期利子率 (FF金利)についての予想の形成
  
   (2) 中銀のバランス・シートの構成の変更
 
   (3) 中銀のバランス・シートの拡大(量的緩和[QE]

(4) 低利子率の優先順位とコスト

  2.2 パフォーマンス

3. アベノミクス - 政策理論とパフォーマンス

  3.1 政策理論

  (1) インフレ・ターゲット論
  
  (2) 量的緩和

  (3) 検討

  3.2 パフォーマンス

     [補論] 1つのインプリケーション
    
  3.3 日本経済の推移
      
  3.4  QEとQQE2のパフォーマンスの比較
       
    [補論] ゼロ金利政策のもつ意味

4.むすび




2016年1月29日金曜日

(コメント) 首相の発言、日銀の発表を聞いて





(コメント) 首相の発言、日銀の発表を聞いて


 ・首相は、いかにアベノミクスが日本経済を立て直すことに成功しているのかを、

    いまの国会でも明確に発言している。 

だが、諸データを、このリーマン・ショック前の7年ほど(「いざなぎ超え

景気」の頃)と比べてみると、目に見えて改善したパフォーマンスはみられな

い、というのが現実である。


今回、日銀は、0.1%の「手数料」を銀行が新たに当座預金に振り込む場合に科すこ

  とに決めた。つまり、今後は、日銀に保有する国債を売却する(これは今後も続

  く)場合に、その売却代金を当座預金に、いままでのように振り込むと、手数料

  をとられ、これまではもらえていた利子0.1%(「付利」は手にできない、という

  ことになる。ということは、銀行はベー  スマネーを増やすようには行動しなく

  なり、どこか他に貸出先をみつけなければならない、ということになる。

問題は、それで銀行の実体経済への貸し出しが増えるのか、という点であろう

(もちろんこれはマネー・ストックの増大と関係する問題である)。0.1%

「手数料」は実体経済の資金需要が増える原因にはならないからである。


・「2年後にCPI(コア)を前年度比2%上昇させる状態にもっていく」という日銀の


  約束だが、これは中銀が達成できる管轄下にはないものである。人々がこの率の

  実現を信じて、予想インフレ率を2%に当初からする、ということも前提になっ


  てきたし、さらにそこから予想実質利子率を通じて、ポートフォリオ・リバラン

  ス効果による経済の上昇がみられる、という発想になっているからである。

 
 このインフレ・ターゲット政策は、FRBの「フォワード・ガイダンス」

 (これもコミットメントを重視しているのだが)とは性質が異なる。というの

 は、これは、「FF金利」を「ある目標」(例えば、「失業率何パーセント、イン

 フレ率何パーセント」など)が達成できるまで、「何パーセント」に保つ、とい

 う約束である。FRBFF金利をどう設定し、それを将来にわたって継続する、と

 いう約束は、中銀ができることだから、実現可能な約束である。人々がそういう

 中銀の判断を信頼して行動する、という発想に立っている。


******以下は記事


日銀、マイナス金利導入=2回目の追加緩和-物価上昇2%「17年度前半」に先送り
 日銀は29日の金融政策決定会合で、マイナス金利政策の導入を柱とする追加金融緩和を賛成5人、反対4人の賛成多数で決めた。金融機関が日銀当座預金に必要分を超えて新たに預け入れる際の金利(付利)を現行の0.1%からマイナス0.1%に引き下げる。2月16日から適用する。

 2013年4月に導入した現在の量的・質的緩和政策下での緩和策強化は、14年10月末に続き2回目。金融市場の動揺に端を発した景気の悪化を阻止するのが狙い。国債や株価指数連動型の上場投資信託(ETF)など資産の買い入れ方針は現状維持とした。
 決定会合後に公表した「経済・物価情勢の展望(展望リポート)」では、原油安を踏まえ、2%の物価上昇目標の実現時期をこれまでの「16年度後半ごろ」から「17年度前半ごろ」に先送りした。目標実現時期の先送りは3回目。16年度の消費者物価上昇率の見通しは前年度比0.8%(従来1.4%)に下方修正した。(2016/01/29-13:41



ケインズ解釈と戦後マクロ経済学の展開 平井俊顕   (上智大学








ケインズ解釈と戦後マクロ経済学の展開


                         平井俊顕
                  (上智大学)


 『一般理論』は、戦後の理論経済学および経済政策に深甚なる影響をおよぼした。それは新しいマクロ経済学および新しい経済政策論の基礎を築くものであった。そればかりではない。『一般理論』は、それらを超え、戦後の社会哲学 ケインズ=ベヴァリッジ体制とか「戦後の合意」とか呼ばれる社会哲学 を形成するうえで絶大な影響力をおよぼすことになった。同書のインパクトはさほどに鮮烈であったから、この現象が広く「ケインズ革命」と呼ばれるようになったのも、けだし当然であった。
  本章で扱われるのは、非常に限られた領域の問題である。すなわち、経済理論の領域における「ケインズ革命」のインパクトを、『一般理論』の刊行直後から現代に至るまでの期間 ただし、1970年代ぐらいまでである を対象にして、3つの局面について検討する。最初に、『一般理論』自体が、研究者によってどのようなものとして理解されてきたのかを検討する(1)。続いて、『貨幣論』と『一般理論』のあいだの理論的展開が、研究者によってどのようなものとして理解されてきたのかを検討する(2)。これらの検討を通じて、いかに幅広い理解のスペクトラムが形成されているのかが示されることになる。1そして最後に、『一般理論』との関係で戦後マクロ経済学の展開について簡単に言及することにしたい(3)。これは、ケインズの経済学の戦後世界への影響に触れておくことで、現在に向かう照射の、多少なりとも、よすがにするためである。

1. 『一般理論』理解のスペクトラム

 本節は『一般理論』を取り上げ、それをめぐる理解の多様性を示すことが目的である。経済学史上で画期的な地位を占める著作の場合、多くの経済学者により繰り返し検討されていく運命にある。しかもそれは、その時期の経済学をめぐる支配的な状況、関心が注がれる経済問題の状況、および各経済学者の知的関心の状況等が微妙に絡まりあいながら行なわれるため、結果としてその理解は、おたがいに矛盾しあうほどまでの幅広いスペクトラムを形成することが少なくない。リカードウの『経済学および課税の原理』はその典型であるが、『一般理論』も同様の状況下にある。2 実際、『一般理論』理解の多様性には驚くべきものがある。本節では、『一般理論』についての代表的な理解について、できるだけ客観的に述べることにする。
 最初に、ケインズの理論を、何らかのかたちで自らの理論展開の基礎にしてきた経済学者(彼らを「ケインズ派」と呼ぼう)を取り上げ、続いてケインズの理論に批判的な立場から自らの理論を展開させてきた経済学者(彼らを「反ケインズ派」と呼ぼう)を取り上げる。
 (なお、ある命題を検討するさい、理解状況を立体的にするべく、(後出の)他の解釈にも自由に言及していくことにする。)

  A. ケインズ派
  「ケインズ派」は少なくとも2つに分けることができる。1つは、戦後より今日(1970年代までを念頭においている)までケインズ理論をめぐる正統派であり、同時にマクロ経済学の本流であった「所得-支出アプローチ」ケインズ派である(周知のように、この派は「新古典派総合」の一翼を担うものであった)。このなかから、ヒックス、パティンキン、およびトービンを取り上げる。
 もう1つは、「所得-支出アプローチ」ケインズ派に批判的な立場に立つケインズ派である。そのなかには「不均衡経済論」的ケインズ派、と「ポスト・ケインズ派」が含まれる。ここでは、前者を代表するレィヨンフーヴッドと、後者を代表するデヴィッドソンを取り上げる。3

  (a) 「所得-支出アプローチ」ケインズ派
  ヒックス ヒックスは、『価値と資本』(1939)により、ワルラスの一般均衡理論を精緻化することで、アングロ・サクソンの地にワルラス理論の本格的な導入を行うとともに、他方では論文「ケインズ氏と古典派」(1937)で示された周知の「IS-LMモデル」により、「所得-支出アプローチ」ケインズ派の礎を築いた経済学者である。
 長年にわたり多様な側面から追究されてきたヒックスの『一般理論』理解を要約するのは容易ではないが、あえて行えば次のようになるであろう。
 第1に、Hicks(1974, p. 6)は自らが考案した「IS-LMモデル」が『一般理論』においてケインズが述べようとした内容を客観的に描写したものであると考えている。4
  Hicks(1937)では、ケインズ理論と「古典派理論」との相違点は次のように述べられている。

(i) ケインズの理論は、貨幣需要が利子率に依存している(流動性選好理論)と主張する点で、また利子率に依存しない貯蓄が乗数理論の重要部分を構成すると主張する点で、「古典派理論」と異なる。このうち、前者は後者よりも重要である [流動性選好理論を重視5している点でパティンキンと異なる]
(ii) ケインズの理論にあって、最も顕著な特質が現出している箇所は、「リクィディティー・トラップ」である。それはケインズ理論の革新的箇所である。6[「リクィディティ・トラップ」を重視する点で、パティンキンやトービンと異なり、他方、フリードマンと同じ立場である]
(iii) 方程式体系として考えると、それは、「一般」理論というよりは改正されたマーシャル理論である。7

 第2に、Hicks(1974, pp. 23-30)は『一般理論』を「固定価格市場」(生産者が価格を決定するという特徴をもつ市場のことで、規模の経済や品質の標準化によってもたらされたと考えられている)を分析したものととらえている[この点で、レイヨンフーヴッドやフリードマンに通じ、パティンキンやトービンとは対立している]。それにたいし、『貨幣論』は「伸縮価格市場」8(商人が価格の決定に重要な役割を演じる市場のことで、需給によって価格は決定されると考えられている)を分析したものであるととらえている。
  3に、ヒックスは『一般理論』を『貨幣論』ほどには評価していない。というのは、動学理論から静学理論への「逆もどり」であると考えているからである。
 第4に、ヒックスはケインズ理論を「実物的経済学」に対峙する「貨幣的経済学」に属するものととらえている。具体的には、ケインズの理論は『貨幣論』における長期利子率への着目から『一般理論』における「財政主義」(fiscalism)へと推移していった(このことは「リクィディティ・トラップ」と密接に関連があるとされる)ととらえられている。9

  パティンキン パティンキンは、「新古典派総合」を代表する『貨幣・利子および価格』(1965)の著者としてつとに有名であるが、近年はケインズ理論の理論史的研究を精力的に進めてきた。
 パティンキンの『一般理論』理解は、次のようにまとめることができるであろう。
 第1に、パティンキンはケインズ革命の核心を「総需要と総供給、あるいは同じことであるが、貯蓄と投資を均衡させる力としての産出高の変化の決定的に重要な役割」を明らかにした点にあるととらえている。10それゆえに、流動性選好理論については、その独創性を評価しながらも、相対的には低くみている11 [この点は、「所得-支出アプローチ」ケインズ派に共通する考えである。ただし、ヒックスは例外]
 第2に、パティンキンは、『一般理論』を完全雇用均衡への調整速度が緩慢な経済を論じたものと考えている。12この意味において、『一般理論』は「動学的不均衡」の世界を描いたものとみなされる。この見解はパティンキンが長年にわたって主張してきているものである。彼によれば、この理論展開が最も詳細に行われているのが第19章「貨幣賃金の変動」であり、それゆえこの章は『一般理論』の頂点をなすものと評されている。13
 第3に、パティンキンは『一般理論』にあっては価格および貨幣賃金のいずれもが伸縮的なものとして扱われていると考えている14[この点でヒックスやフリードマンと対照的である]
  4に、パティンキンは、『一般理論』では、マーシャル的アプローチとワルラス的アプローチの双方が用いられていると考えている。こう述べた後、『一般理論』は、事実問題として(ケインズ自身がそのことを自覚していなかったとはいえ)ワルラスの一般均衡理論の最初の現実的な応用とみなすことができる、と主張されている。15
  5に、パティンキンはケインズ体系における「不完全雇用均衡」の証明を「リクィディティ・トラップ」に帰着させる傾向(例えばヒックスやモディリアーニ)にたいして、上述の第2の論点(緩慢な調整速度)16の見地から反対を表明している。

  トービン トービンは、ケインズ理論との関連でいえば、資産選択理論や取引動機に基づく貨幣需要をめぐる在庫理論的接近法等、主として流動性選好理論の領域での業績で広く知られる経済学者である。トービンの『一般理論』理解は次のようにまとめることができるであろう。
  第1に、トービンは「IS-LMモデル」が『一般理論』の核心箇所をとらえたものであり、今日においても分析用具として有効なものであると考えている。トービンは「IS-LMモデル」を動学過程における離散的な断面図17ととらえることで、その積極的な活用を図ろうとしている[対照的に、ヒックスは「IS-LMモデル」を静学理論であるとして消極的にとらえる傾向がある]
 第2に、トービンは『一般理論』におけるLMカープは右上がりの曲線と考えられていると主張する[この点で、パティンキンと同じ立場であり、ヒックスやフリードマンとは対立している]。「財政主義者(fiscalist)」と呼ばれることにトービンが異を唱えるのは、この理由による。18 
 第3に、トービンは『一般理論』においては、価格の伸縮性および貨幣賃金の伸縮性が想定されていると考えている。価格の伸縮性については、「IS-LMモデル」において、価格Pを内生変数として扱うことなどが考えられている。19また貨幣賃金の伸縮性については第20章「雇用関数」がその論拠としてあげられている20[ 価格についてはパティンキンやデヴィッドソンに近く、貨幣賃金についてはパティンキンに近い]

  (b) その他のケインズ派
  「不均衡経済論的ケインズ派」 レィヨンフーヴッドはクラワーとともに、1960年代の末頃から盛んになった「不均衡経済論」的ケインズ派を代表する経済学者であり、『ケインジアンの経済学とケインズの経済学』(1968)の著書としてよく知られている。レィヨンフーヴッドの『一般理論』理解は、次のようにまとめることができるであろう。21
 第1に、レィヨンフーヴッドは「ケインズのマクロ体系では、価格と量の調整速度に関するマーシャル流の順序づけが逆転している」という見解、つまり価格(貨幣賃金も含む)の調整速度は遅く、経済システムは量(所得)によって調整されるというのが『一般理論』を貫流する基本的な理念であるという見解を表明している[価格・貨幣賃金の理解において、表面的にはフリードマンと同じである]22
 第2に、レィヨンフーヴッドはケインズ理論の本質を、いわゆる「二重決定仮説」に求めており、この構想が最も明示化されているのが消費関数であると考えている。このように考える背景には、ワルラスの一般均衡論は「一般理論」ではなく「特殊理論」であるという批判が潜んでいる。23レィヨンフーヴッドによれば、「二重決定仮説」に基づくものと解されたケインズ理論は一般理論である。ケインズ理論において消費関数を重視する点では「所得-支出アプローチ」と表面的には同じだが、ワルラスの一般均衡論の評価・扱いをめぐっては根本的に相違する。
 第3に、レィヨンフーヴッドは乗数理論を、初期の撹乱が「消費-所得関係」を通じ拡大していくものと解している。これにたいし「乖離拡大的なフィードバック経路」という名が付けられている。24
 第4に、レィヨンフーヴッドはケインズ理論における「集計の構造」は、消費財、非貨幣資産、貨幣、および労働サービスで構成されていると主張している。25彼は、「所得-支出アプローチ」が、商品、債券、貨幣、および労働サービスで構成されるものとして『一般理論』をとらえている理解との比較を試みている。

  ポスト・ケインズ派26 デヴィッドソンは、S.ワイントラウプとともに、アメリカにおける「ポスト・ケインズ派」の代表者であり、『貨幣的経済理論』(1972)の著者として広く知られている。「ポスト・ケインズ派」は、「新古典派総合」の立場にたいし批判的であり、とりわけイギリスの「ポスト・ケインズ派」(J.ロビンソン、パシネッティ等)と「新古典派総合」の立場に立つ経済学者(サムエルソン、ソロー等)とのあいだで、1950年代中葉から1970年代にかけてたたかわされた「ケンブリッジ=ケンブリッジ論争」27によって、よくその名が知れわたっている。
 さて、デヴィッドソンの『一般理論』理解は、次のようにまとめることができるであろう。
  第1に、デヴィッドソンは『一般理論』を、われわれが現実に生活している経済 (「不確実性、粘着的な貨幣賃金率、契約、持越および取引費用、貨幣の生産弾力性と代替弾力性がゼロ」を顕著な特徴とする貨幣経済)の分析に成功したものとみている。28 この見地に立って、ワルラスの一般均衡理論は『一般理論』とはまったくあいいれないものとの主張がなされる29[この点で、『一般理論』はワルラスの一般均衡理論の現実世界への適用とするパティンキンの考えと顕著な対照をみせている]
 第2に、デヴィッドソンは、『一般理論』においては貨幣賃金率は粘着的であり、価格は伸縮的であると想定されている、ととらえている。貨幣賃金率の粘着性は、不確実性が存在し生産に時間のかかる世界において論理的に要請される条件であり30、他方、価格の伸縮性は、第20章「雇用関数」や第21章「価格の理論」からみて一目瞭然とされる。31
 第3に、デヴィッドソンは財市場の分析においては第3章「有効需要の原理」を重視する。とりわけ、そこに登場する総需要関数と総供給関数が重用され、周知の45度線と総支出曲線を用いた分析や「IS-LMモデル」に否定的である。32
 第4に、デヴィッドソンは流動性選好説に関し、「予備的動機」と(『一般理論」後に登場する概念である)「金融動機」33を重視しており、「リクィディティ・トラップ」には重要性はないと考えている。34

 ネオ・リカードウ派35 ― ネオ・リカードウ派は、「所得-支出アプローチ」ケインズ派ならびに新古典派正統派に激しく対峙しているという点で、ポスト・ケインズ派と同じ立場にたっているが、理論的スタンスには大きな相違が認められる。ここではこの派の代表者であるガレニャーニとミルゲートの『一般理論』理解(それぞれ、Eatwell=Milgate eds., 1983, Chapters 2 および5)を取り上げることにする
  彼らは、『一般理論』は2つの(相互に排他的な)部分で構成されていると考えている。1つは、「貯蓄と投資の関係をめぐる仕事、有効需要の原理、および乗数分析で構成される」積極的な部分、もう1つは「古典派理論の欠陥に関係する」否定的な部分である(op. cit., p.82)
 彼らは、この積極的な部分を(長期ポジションのタームで)ケインズの革命的業績として高く評価する。だが、彼らは、資本の限界効率概念ならびに流動性選好理論は棄却されるべきであると主張する。彼らによれば、利子率との関係で重要なのは、流動性選好理論ではなく、ケインズが行った(非常に不十分なものの)新古典派の資本理論批判である。
 ミルゲートは積極的部分と否定的部分について、次のようにまとめている。

かくしてわれわれは、ガレニャーニの基本的な結論の1つに到達する 雇用理論にたいするケインズの積極的な貢献[貯蓄と投資の均衡を保証するのは所得水準であるという基本命題の提示]は、否定的な仕事を完成させるために、限界主義的資本理論のもつ問題を呼び出すことで補完されるかもしれない(Milgate, Eatwell and Milgate eds., 1983, p. 90)

 ネオ・リカードウ派は、次のガレニャーニからの引用文が示唆するように、不確実性や期待が『一般理論』で本質的な役割をはたしているとは考えておらず、[この点で、「ポスト・ケインズ派」とは対立的である]、また「短期」よりも「長期」のタームで『一般理論』をとらえようとする立場をとっている。

この基本的な命題[貯蓄と投資の均衡を保証するのは所得水準という命題]は、それ自身、「期待の方法」とは独立したものであり、また必ずしも短期に限定されるものではなかった(Garegnani, Eatwel=Milgate eds., 1983, p. 141)

  B. 反ケインズ派
 1970年代までのマクロ経済学は、ケインズおよび「所得-支出アプローチ」ケインズ派を中心軸に展開されてきた。そうであるがゆえに、彼らにたいし批判的な立場に立つ人々(「反ケインズ派」)は、資本主義経済の自動調整力にたいする深い信頼感に立ちつつ36、異なった視点から自己の理論を展開させると同時に、批判的スタンスから彼ら(ケインズおよび「所得-支出アプローチ」ケインズ派)に深い関心を寄せてきた。
  ここでは、「反ケインズ派」のなかから、『一般理論』で「古典派」の代表者として直接的な批判対象とされたピグー37、および1960年代末頃からの「所得-支出アプローチ」ケインズ派批判の急先峰に立ち、マネタリズムの普及を図ったフリードマンを取り上げ、彼らが『一般理論』をどのように理解しているのかを示すことにする。

  ピグー ― ピグーはマーシャルの後を襲って、ケンブリッジ大学政治経済学部の教授職37を務めた「ケンブリッジ学派」を代表する経済学者であり、『厚生経済学』(1920)の著者としてつとに有名である。38ケインズが『一般理論』で批判の対象とした「古典派」とは、経済学史における通常の用語法とは異なり、主としてこの「ケンブリッジ学派」を指しているが、とりわけ直接的批判の対象としたのが、ほかならぬピグーであった。39
  ここでは、ピグーが『一般理論』をどのようにとらえていたのかを、晩年の著作『ケインズ一般理論 回顧的考察』(1950)でみることにする(よく知られているように、これは初期のスタンスとは異なり、『一般理論』の意義を高く評価している)
 ピグーはケインズ・モデルを、次のように定式化している。

           φ(r) = fr, F(e)        (1)
              ω= mg(r)/F(e)          (2)
(φ()は投資の需要関数、f{・}は投資の供給関数、g()は貨幣の所得速度、F()は労働単位で測られた生産関数、rは利子率、eは雇用量。またωは貨幣賃金、mは貨幣量で、外生変数。)

  このモデルでは、変数がrとeの2つ、方程式も2本であるから、一般に解が存在する。
 ピグーのケインズ理論にたいする理解の特徴は、次の3点にまとめることができるであろう。
 第1に、ピグーはケインズ理論で最も重要なのは、投資財の需給均衡を示す(1)式であると考えている。39とくにf{・}を貯蓄関数と呼ばずに、投資の供給関数と呼んでいる点に特徴がある(ここではいわゆる「1財モデル」の立場がとられている40)
 第2に、ピグーは(2)式における利子率rの位置、および(2)式全体の定式化からも推察されるように、ケインズの貨幣市場分析を貨幣数量説的な枠組みのなかでとらえている。このことは、ケインズの流動性選好説をマーシャルの理論そのものとみなしていること41に由来している。
 第3に、ピグーは『一般理論』の意義は、実物的要因と貨幣的要因を整合的なフレームワークのなかで捕捉した点にあるとみている。この関連でとりわけ重要な個所として、3つの基本的心理要因(消費性向、流動性選好、および長期期待)、貨幣賃金、および貨幣量が国民所得および雇用量を決定する旨が要約的に述べられているGT, pp.246-247があげられている。42

  フリードマン フリードマンは、長年にわたる実証研究を通じ、「所得-支出アプローチ」ケインズ派に論戦を挑むとともに、従来の貨幣数量説を現代的な水準で再編したマネタリズムの創設者である。43
  フリードマンは『一般理論』を次のようにとらえている。
  第1に、フリードマンは『一般理論』では価格および貨幣賃金は硬直的であると想定されていると考えている。44価格の硬直性の仮定は、(i)マーシャルが瞬間的な価格調整と緩慢な数量調整を想定したのにたいし、ケインズは緩慢な価格調整と敏速な数量(所得)調整を想定したことと関連をもっている、(ii)実質量と名目量の区別が重要ではないという含意をもっている、と考えられている。
 他方、貨幣賃金の硬直性は、部分的には労働者の貨幣錯覚および労働組合の存在に帰せられており、主としては不完全雇用下では均衡名目物価水準の不存在に帰せられている(そのことが、ケインズをして、すべての変数を賃金単位で実質化したモデルを構築させることになった、とフリードマンは推察する)、と考えられている。
 第2に、フリードマンは『一般理論』では貨幣需要関数において「絶対的流動性選好」(=「リクィディティ・トラップ」)が想定されている、と考えている。45すなわち、『一般理論』では長期間にわたって支配すると予想される利子率の水準で、貨幣需要が利子率にたいして無限弾力的になると想定されており、そのため貨幣量の変化は、貨幣の所得速度の変化で吸収されるかたちになっている、とフリードマンは論じている[対照的に、レィヨンフーヴッドは、「リクィディティ・トラップ」は『一般理論』で何の役割も演じていないと判断している46]
 こうして、フリードマンによると、ケインズの理論では貨幣は実物経済に何の影響もおよぼさないことになる。実質所得は、「絶対的流動性選好」が生じている利子率のもとで、方程式「貯蓄=投資」によって決定されることになる。47
 以上を要するに、フリードマンの描くケインズ理論は、価格・貨幣賃金が外生的に与えられ、利子率が「絶対的流動性選好」によって決定されるなか、実質所得、実質消費および実質投資が方程式「貯蓄=投資」で決定される体系になっており、貨幣政策はいたずらに貨幣の所得速度の変動をもたらすにとどまる、というものである。

 本節では、『一般理論』理解の多様性(スペクトラムの拡散)状況を、代表的な経済学者の理解を取り上げ、具体的に描くことに努めた。この事例から、経済学において客観的な認識を得ることが、いかに困難かを、改めて思い知らされる。話を一冊の書物に限定してみても、かくのごとしである。各経済学者によって認識された『一般理論』を、現実の経済分析に取り入れる(ないしは取り入れない)方法となると、さらに様相は複雑化することになる。
 むろん、こう述べることで不可知識に陥ろうというのではない。要は、経済学的(もしくは社会科学的)認識は、本性的にかくのごとき特性を有しているという事実を自覚しつつ前進していくべしということである。そのぶん、経済学者は自己にたいし謙虚、他者にたいして寛容である必要がある。48

2. ケインズの経済学の展開をめぐる諸解釈

  7章から第16章で、『貨幣論』から『一般理論』にかけてのケインズの考えの展開過程についてのわれわれの理解を詳細に示した。われわれは、それが十分に資料に証拠づけられたものであると考えているが、それが1つの解釈・理解にすぎないことも十分に承知している。
 ケインズの思考の展開過程を把握するためには、少なくとも3つのことがらについての解釈・理解を示すことが必要となる (i) 出発点としての『貨幣論』、(ii) 到達点としての『一般理論』、そして(iii) 両著のあいだでの実際の進展過程である。
 すでにみてきたように((i)については第7章注3133、第15章の注、(ii)については本章の第1節、(iii)については、第8-14章の注、第16章第2(A)節等を参照)、これらのそれぞれに多くの解釈が存在する。
 (i)(ii)についての解釈・理解は、(iii)についての解釈・理解に影響を与える傾向が、その逆よりも強いという点には注意を払う必要がある。というのは、(ii)および(i)についての解釈・理解には、当然のこととして長い歴史があるのにたいし、(iii)についての研究は最近になって開始されたものだからである。このことは、理論的変遷過程の研究のもつ意味・意義を再確認するうえで重要である。既存の(i)(ii)をめぐる解釈にとらわれることなく、(iii)を資料に基づいて行うのでなければ、その意義は半減することになる。たんに、既存の立場を合理化・正当化することに終始する作業に堕することになるであろう。
 本節では、ケインズの理論の展開過程をめぐるいくつかの解釈を取り上げることにする。49これを行うことで、解釈スペクトラムのなかでのわれわれの位置を明らかにすることに役立つであろう(なお、論述はできるだけ客観的に行うことにし、関連するわれわれの見解については、本書中の該当箇所を注で指摘するという方法を用いる)

 A. レィヨンフーヴッド
  ケインズの理論形成をめぐるレィヨンフーヴッドの理解は、論文「ヴィクセル・コネクション」(1981)、および主著『ケインジアンの経済学とケインズの経済学』(1968)に示されている。
  レィヨンフーヴッドは、『貨幣論』、『一般理論』ともに、「ヴィクセル・コネクション」(「利子率の調整不良」によって特徴づけられる貯蓄-投資理論)に属するものと判断している。そしてこの点で、ケインズの理論は、重要なものとはいえ「ヴィクセル・コネクション」アプローチの1変種と位置づけられている。
  レィヨンフーヴッドは、『貨幣論』の理論構造を「二段階」アプローチとしてとらえている。50第1段階は名目所得決定の理論であり、「基本方程式」に相当する、と主張される(投資にたいする貯蓄の超過は財の超過供給と解される)。第2段階では名目所得の実質所得と価格への分割が扱われる、とされる。さらに、『貨幣論』では、市場利子率は株式市場で決定される51のにたいし、銀行システムはシェーマ外におかれていて株式市場に干渉しないと想定されている、と論じられている。
  本章第1節で示した『一般理論』についてのレィヨンフーヴッドの理解を考慮に入れながら両著の関係をめぐる彼の理解をみることにしよう。
 レィヨンフーヴッドは、「ケインズ革命」の本質は、ケインズが「Z理論」(「『貨幣論』+数量調整」もしくは「『一般理論』-流動性選好理論」として定義されている)を提示した点に求められる、と主張する。
  レィヨンフーヴッドは、当初(1968)の説明を取り下げ、流動性選好理論を酷評するに至り、それに代わって、「利子率の調整不良」理論と整合的との理由で、貸付資金説を称揚するに至った。彼は、市場利子率についてのヴィクセルの理論は、貸付資金説のかたちで展開されていると論じる。52そして、「Z理論」として解されるケインズの理論は高く評価されるべきものであることが、再度強調される。彼が「新古典派総合」(=所得-支出アプローチ)ケインズ派、ならびに貨幣数量説にたいし厳しい批判を展開するのは、この観点からである。
 レィヨンフーヴッドは、『貨幣論』と『一般理論』ともに、主要テーマは利子率の調整不良であると考えるがゆえに、両著のあいだに基本的な変化は認められない、と評している。53そして『一般理論』に関しては、このテーマは(とりわけ)19章で展開されているとみている。54

  B. メルツァー
  メルツァーは『ケインズの貨幣理論』(1988)において、『貨幣論』と『一般理論』の関係を、理論、政策診断の両面において連続的ととらえている。彼は、両著が(1920年代55における)ケインズの次の信条に基づいたものである、と主張している。

進歩は投資と資本蓄積に依存している。国家の役割は、進歩を維持するように投資を導くことである。進歩は不安定性と不確実性 それはリスクを高め、投資に必要とされる実質収益を上昇させる によって阻まれる(1988, p. 60. p. 303も参照)

  さらにメルツァーは、ケインズが『一般理論』で重視している考えの多くは、すでに『貨幣論』に登場していると主張している。
  メルツァーは、『貨幣論』の「基本方程式」を、所得水準(ないしは産出水準)が所与のもとで、利子率と価格水準を決定するものと解する。56メルツァーは、『貨幣論』では、「利子率は、2つの配分決定 稼得所得の消費と貯蓄への配分、および現存資産の金融資産と実物資産への配分 …にたいする同時的、一般均衡解の1部として決定されるということを認識することで」(1988, pp. 111-112)分析は前進している、と評している。
 彼はまた、『貨幣論』で展開されている価格と利子率の静学理論は、『一般理論』で展開されることになる利子率と産出理論の先行理論とみなすことができるとも主張している。57これは、『一般理論』は『貨幣論』で敷かれた路線に沿っての進展物といっているのに等しい。
 政策診断に関しメルツァーは、『貨幣論』は「投資支出を円滑にするための政府活動のための基盤を築いており」、したがって、「投資を増大する[という]政府活動が産出を増加させ、失業を減少させると結論づけるのは、小さな、そして容易に取られる一歩であった」(1988, p. 112)と主張している。換言すれば、政策手段においても、『一般理論』は『貨幣論』と同じ路線上にあるということになる。
  このように、メルツァーの基本的な認識は、『貨幣論』と『一般理論』の関係を連続的なものとしてとらえるものであるが、両著のあいだにケインズの思考の若干の変化が認められるとも述べて、次のような点を指摘している。

(i) 最も重要な変化は、産出と価格の相対的な役割に関するものである。『貨幣論』では分析の主要な焦点は価格におかれている。他方、『一般理論』の最初の18章は、産出と雇用を論じている。メルツァーは、『貨幣論』にあって、産出と雇用の変化をめぐる議論がかなり展開されている点を認めているが、それらは主要な理論とは何の関係も有してはいない、と言明している。58
(ii) 2の最も重要な変化は、『貨幣論』での不均衡分析から『一般理論』での完全雇用下での静学的均衡理論へのシフトである。59

 『一般理論』についてのメルツァーの解釈に目を転じよう。その主要な命題は次の通りである。

私の解釈によれば、『一般理論』の眼目は、産出の変動は、民間の行動では除去できない社会的費用を課す、という経済的論議にある。変動は、リスクもしくは不確実性に耐えるためのプレミアムを課すので、市場利子率は資本の社会的生産性を超えて上昇し、資本ストックを社会的な最適[水準]以下に留める。非干渉主義的自由放任政策は、それゆえ、経済を最適以下の状況に押し込める。産出水準は、代替的な政策ルールのもとで達成できるよりも低くなり、変動は大きくなる。ケインズの主要な提案は次のようなものである― 国家は長期的便益に合わせて投資を管理することによって、過剰な負担を除かしめよ。これは古くからのテーマであり、1920年代の彼の社会的見解のまさに1部である。『一般理論』はこの見解を支持する理論的枠組みを提供するものであった(Meltzer, 1988, p. 15)

  メルツァーは、産出の変動は、リスクに耐えるためのプレミアムを引き起こすことで、市場利子率が社会的収益率(もしくは資本の社会的生産性)を上回らせるため、資本ストックは社会的最適水準以下にとどまらざるをえない、という認識をケインズが抱いていた点を強調する。資本ストック、および私的収益と社会的収益の乖離は、『一般理論』理解に必要なキー・コンセプトであるというのである。60
  メルツァーの見解では、ケインズは、「投資の国家管理もしくは指導は、民間資本にたいする予想[収益]率を社会的収益率よりも高く保つ外部性 危険回避投資家が危険回避貸し手に支払うリスク・プレミアム を排除する」(1988, p. 199)と信じている。これがメルツァーの著作のサブ・タイトルにある「異なる解釈」のもつ意味である。ケインズ後の経済理論の進展についての評価も、この観点から行われている。

奇妙なのは、『一般理論』におけるケインズの分析の新鮮で重要な部分が失われ、ケインズの貢献は教科書や多くの専門的著作において、賃金硬直性と同一視されるようになったということである。彼が期待、変動、そして過剰な変動が引き起こす過剰な負担に付した強調が30年ものあいだ、ほとんど消滅したのである。主要な政策的勧告 投資を円滑にし、その水準を上げること は、より可変的な政府とフィスカル・ポリシーを論じたものと、誤って再解釈されたのである(1988, pp. 203-204)

  C. ディマンド
  レィヨンフーヴッドやメルツァーが まったく異なる根拠においてであるが― 『貨幣論』と『一般理論』の関係を連続的なものとみているのにたいし、ディマンドは『ケインズ革命の源泉』(1988)において、断絶的な立場を表明している。61
  ディマンドによれば、『貨幣論』では産出水準は利用可能な資源の完全雇用によって固定されており62、したがって産出水準(失業水準)がいかに決定されるのかについてのいかなる理論をも欠いたものになっている。『貨幣論』は、完全雇用のもとで価格水準がいかに決定されるのかを理論化したものと解されており、ディマンドが示すモデルも価格水準の変化のみを扱うものになっている。彼によれば、『貨幣論』の主たる欠陥は、それが失業に関する議論を産出水準についてのいかなる理論にも組み込んでいないという点、および価格動学から産出(雇用)の変動に向かっていないという点に求められる。63それゆえ『貨幣論』は失敗作なのである。
  ディマンドは、『貨幣論』の理論モデルを13本の方程式で定式化している。64 このモデルでは完全雇用での産出量が仮定され、投資関数 I(r, Q-1)が導入されている(Iは投資価値、rは利子率、Q-1は前期における意外の利潤)。さらに、「意外の利潤も損失もない(つまりQがゼロ)国内均衡条件」として方程式I(r, Q-1) = S (r)が導入されている(Sは貯蓄)
  ディマンドは、『貨幣論』から『一般理論』への展開過程は、価格調整から数量調整への変化を表すものであるという点を強調する。

『貨幣論』の刊行後、ケインズは資産市場の分析、貨幣需要、および(市場利子率が自然利子率に等しくならないことから生じる)ヴィクセル的価格運動についての分析に加えて、産出についての理論を開発することで、その欠陥を正すことに努めた。乗数理論についてのカーンの有名な論文、『貨幣論』についてのホートリーのコメント、および賠償に関するオーリンとの応酬によって、ケインズの注目は、価格変化から産出変化のもつ均衡化の役割に引きつけられた(Dimand, 1988, p. 124)

  数量調整にたいするケインズの新たな注目を説明する際、ディマンドはいかにして乗数理論が(貯蓄性向概念とともに)成立するに至ったのかという問題の解明に、相当な紙幅を割いている。彼は、ケインズが乗数理論を彼の理論体系の中核に組み込まないようにしていたのは、確定した数値を算定する公式を案出できないでいたからである、と推定している。65

  D. アマデオ
  アマデオは『ケインズの有効需要の原理』(1988)66において、『貨幣論』を経済メカニズムの2つの局面(価格の決定と数量の決定)を統合したものとみている。第1の局面は、任意の1生産期間での価格の決定と意外の利潤の発生に関係しており、これを描写しているのが基本方程式である。この分析法は「歴史的静学的方法」と呼ばれている。第2の局面は、次期における生産と雇用の変化に関係しており、それは前期に実現された意外の利潤を基礎にして企業家によって決定される。この分析法は「歴史的動学的方法」67と呼ばれている。アマデオは、『貨幣論』をポスト・ヴィクセル的流れ(彼によれば、その核に貨幣数量説を含む正統派の見解とされる)に属するものとみている。68
  この他、『貨幣論』にたいするアマデオの理解に特徴的なのは、次の3点である。

(i) 生産関数を『貨幣論』に導入している。69
(ii)『貨幣論』では、貨幣賃金の切り下げは、完全雇用をもたらすことができると論じられているという見解を表明している。
(iii) 『貨幣論』は強制貯蓄論を受け入れているとの考えを表明している。

  アマデオは、『貨幣論』と『一般理論』の関係を、概略次のようにとらえている。『貨幣論』では「歴史的静学」および「歴史的動学」のタームで論じられているのにたいし、『一般理論』では「均衡静学」のタームで論じられている。アマデオは、『貨幣論』から『一般理論』に向かうにつれて、ケインズにとって利潤と期待がますます重要なものではなくなっていった、と主張している。70われわれは、アマデオが両著の分析的手法の相違に特別の関心を向けている点に注目する必要がある。
  アマデオは、『一般理論』について、2つの論理的に識別されるヴァージョンが認められる、と考えている。彼によれば、第3章は(彼のいう)「供給ヴァージョン」をt提示しており、それにたいし後続の諸章は(彼のいう)「支出ヴァージョン」を提示している。アマデオは、『貨幣論』で論じられている利潤を(実現された所得と有効需要の差額と解しながら)、第3章をめぐる自らの分析に押し込めることに努めている。自らの「供給-支出ヴァージョン分析」をもとにして、アマデオは両著の関係を、(その分析手法において相違をみいだしているものの)概して連続的71なものとみている。

3. 『一般理論』と戦後マクロ経済学

 『一般理論』と1970年代までのマクロ経済学の展開との関係は、3つの時期に分けて考えることができるであろう。
  第1期は1936年から1950年代の末までである。この時期、ケインズの理論を高く評価する経済学者と、それを新古典派経済学の特殊理論にすぎない、もしくは誤ったものと考える72経済学者のあいだで多くの論争が生じた。
 第1のグループは、ヒックスによって考案されたIS-LMモデルは『一般理論』の本質をとらえたものであるとする見解を共有していた。このモデルはクライン、モディリアニ、トービン等によりさまざまな精緻化が試みられていくことになった。73これが「所得-支出アプローチ」であり、通常、たんに「ケインジアン」と呼ばれているのはこれらの経済学者を指している。『ニュー・エコノミックス』(Harris ed., 1947)はこのアプローチの記念碑的存在である。
 第2のグループの始まりを代表するのはピグーであろう。このグループは失業を貨幣賃金の硬直性に帰しており、もし貨幣賃金が伸縮的になれば、完全雇用は達成されるであろうと論じた。
 両グループ間の論争のなかに「賃金論争」として知られるものがあるが、有名な「ピグー効果」(=実質残高効果)という概念が生まれたのは、このなかからである。
 第2期は、1950年代末から1960年代中葉までである。この時期、両グループ間の論争は収束をみせ、「新古典派総合」として知られる統合化が経済学の世界を席巻した。そこでは、失業が存在する状況下では「IS-LMモデル」の形式でのケインズ理論が成立し、(ケインズ的政策を通じて)完全雇用がひとたび達成されると、経済はワルラス理論によって描写される状況になる、という見解が支配的であった。かくしてこの時期、経済学者の大半はケインジアンであると同時に、ワルラシアンでもあった。  だが、こうした知的状況下にあって、経済学者の関心は一般均衡理論の精緻化や経済成長論の研究に向けられていくことになった。その結果、1960年代を通じ、「『一般理論』にたいする理論的ならびに解釈学的関心は…著しく減退」74することになったのである。
  だが、この時期、「所得-支出アプローチ」ならびにワルラス的一般均衡理論を激しく批判し、かつ『一般理論』に依拠した代替的アプローチを提唱する(数は少ないとはいえ)一群の経済学者がいたという点に注目する必要がある。「ポスト・ケインズ派」がそれであり、既述のように代表者として、J. ロビンソン、パシネッティ、S.ワイントラウプ、デヴィッドソンをあげることができる(因みに、彼らは(後述の)「不均衡経済論的ケインズ派」にたいしても批判的である)
 第3期は、1960年末から1970年代にかけてである。この時期の初めに、クラワーとレィヨンフーヴッドは、「所得-支出アプローチ」を批判しながら、『一般理論』についての代替的解釈を提示したのであるが、それは急速な影響力をおよぼすことになった。「不均衡経済論的アプローチ」と呼ばれているものがそれである。この派は、ワルラスの一般均衡理論が均衡状態にある経済を分析しようとする「特殊理論」であるのにたいし、『一般理論』は不均衡状態にある経済を分析しようとする「一般理論」であるとの見解を共有している。
 この時期の特徴として、「所得-支出アプローチ」ケインズ派、それにケインズにたいし鋭い批判を展開し、市場経済の自動調節メカニズムを堅固に信じる学派の台頭があったという点をあげる必要がある。フリードマンを領袖とするマネタリズム、ミーゼス、ハイエクを領袖とするネオ・オーストリア学派がその代表格である。(言葉の広い意味における)「反ケインズ主義」ともいえるこの知的潮流は、ルーカスやサージェントに代表される合理的期待形成学派や、ブキャナンに代表されるヴァージニア学派なども加わることで、1970年代を通じて拡大・流布していく傾向をみせた。75
 以下では、戦後マクロ経済学の2つの流れである、ケインズ派マクロ経済学と新古典派マクロ経済学を取り上げることにする。

  A. ケインズ派マクロ経済学
 ここでは、戦後より1970年代に至るまで、一貫してケインズ理論の正統派であり、またそれと同時に、マクロ経済学の本流でもあり続けた「所得-支出アプローチ」ケインズ派、および1970年代中葉に理論経済学に1つの画期をもたらした「不均衡経済論」的ケインズ派の2派を取り上げることにする。

  (a) 「所得-支出アプローチ」ケインズ派(正統ケインズ派)
  既述のごとく、刊行直後から『一般理論』はマクロ経済学および経済政策に革命的な衝撃を与えた。だが、その主要な影響は『一般理論』自体を通じてではなく、「所得-支出アプローチ」ケインズ派を通じてである。この学派について、4つのヴァージョンに分けて述べていくのが便利であろう。

  「実物」的ケインジアン ケインズの理論は、財市場と貨幣市場の相互作用を分析の中心とするものであったが、ここでいう「実物」的ケインジアンとは、そのうち財市場のみを重視し、貨幣市場を無視するという立場をとるものである。具体的には、次式が基本的な方程式として重視される。
                                
             Y = C (Y) + I      (1)
                              
(Yは国民所得、Cは消費量、Iは外生的に与えられた投資量でいずれも名目値。価格は一定と想定。)

 これは周知の45度線と総支出曲線を用いて表示することができる。『一般理論』は実際には貨幣的経済学を標榜するものであったのだが、このように経済の実物的側面を重視する方向に流れていった事情としては、次のような点があげられる。

  (i) 1930年代後半のオックスフォード経済調査により、投資の利子非弾力性が喧伝   されたこと。
 (ii) 「リクィディティ・トラップ」が喧伝されたこと。
  (iii) 計量経済学的研究の萌芽期にあって、「消費関数」をめぐる実証研究が多くの    注目を集めたこと(いわゆる「消費関数論争」)
  (iv) 経済の寡占構造化による価格の硬直性、および労働組合組織の強大化による   貨幣賃金の硬直性が重視されたこと。

 (i)および(ii)は、ケインズの理論にあって金融政策の無効性命題につながる。(iv)は市場における価格の調整機能を軽視する風潮につながる。
 こうして1950年代には、「実物」的側面を重視するケインジアンが、大きな勢力を確保することになった。フリードマンが、ケインズもしくはケインズ派を批判するさい、非常にしばしば、この「実物」的ケインジアンを念頭においているが、このことを理解するには、以上のような状況が存在したことを想起する必要がある。
 なおこの立場に依拠しつつ、その動学化を図ったものに、サムエルソンやヒックス等によって試みられた一群の「実物」的景気循環論があり、それは1950年代におけるマクロ経済学の中心的な研究テーマであった。

 IS-LM」ケインジアン 既述のように、ヒックスはケインズの理論を統合化された体系として定式化した。「IS-LM」モデルがそれである。76それは、財市場の均衡を示す(2)(これは(1)式と同じ発想のもの)と、貨幣市場の均衡を示す(3)式で構成されている。

            Y = C(Y)+ I(i)              (2)
            M = L(Y)+ L(i)          (3)
(iは利子率、Mは一定の貨幣量、Lは取引動機および予備的動機に基づく流動性選好、Lは投機的動機に基づく流動性選好。投資量Iは内生変数。価格は一定と想定)

 このモデルは、「所得-支出アプローチ」ケインズ派の中核をなすものであり、レイヨンフーヴッドが(「ケインズの経済学」と識別して)「ケインジアンの経済学」と呼んだものである。周知のように、このモデルは(2)式からISカーブが、また(3)式からLMカーブが導出され、その結果、両カーブが交差する点で国民所得と利子率が同時に決定されるという内容をもっている。このIS-LMモデルには、種々のバリエーションがある。ここでは、価格Pを所与としたものを示したが、Pを明示的に導入したもの、あるいは貨幣賃金Wを明示的に導入したものなどがある。
  IS-LMモデルは、技術的な精緻化77が図られ、政策提言に広く利用されていった。精緻化の代表的な形態は、次に説明する「一般均衡理論」ヴァージョンである。78その他に、いわゆる「政府予算式」の導入によるIS-LMモデルの動学的拡張があげられる。これは1960年代後半のOtt=Ott(1965)Christ(1968)を嚆矢とし、Blinder=Solow(1973)等により進展が図られたものである。

  「一般均衡理論」的ケインジアン すでにみたように、「所得-支出アプローチ」は、「不完全雇用の状態ではケインズ経済学が成立し、完全雇用の状態になるとワルラス経済学が成立する」という「新古典派総合」の一翼を担っている。このことからも推察されるように、「所得-支出アプローチ」は、ケインズ理論を一般均衡理論的な枠組みにより再構成しようとする傾向を強くもっている。例えば、上述の「IS-LMモデル」では実物財市場と貨幣市場だけであったが、労働市場を加えると次のような体系が得られる。
          Y = C(y)+ I(i)                   (4)
          M/P = L(y)+ L(i)              (5)
          Y = Py                           (6)
          W = Pdf/dN                     (7)
                        -
           W = W                           (8)
            y = f (N)                         (9)
(yは実質国民所得、(7)式は「古典派の第1公準」、Wは貨幣賃金で一定、(9)式は生産関数、Nは雇用量。C、I、L、L2 はすべて実質値。)

 この体系は、6個の未知数(yiPYWN)6本の方程式からなるため、一般に解くことができる。このタイプに属する初期の代表にModigliani(1944)がある。その後「一般均衡論」的な枠組みを用いてのモデル化はさかんに行われ、1950年代中葉の代表にモディリアニ・モデルやパティンキン・モデルがある(それらでは、(マクロ的な)「ワルラス法則」が当然視されている)

 「総需要曲線・総供給曲線」ケインジアン 1950年代後半のアメリカ経済での「新しい」インフレーションの発生とともに、「ケインズ理論は価格を所与としているため、インフレーションの分析を行うことはできない」旨の主張がなされた。この批判は「実物」的ケインジアンには妥当するとしても、「一般均衡理論」的ケインジアンには妥当しない。そこでは価格Pは内生変数になっているからである。
 例えば、次のような試みを取り上げてみよう。それは、(4)式と(5)式よりPの各水準に対応するyを求め(この関数関係は「総需要曲線」と呼ばれる)(7)式、(8)式、(9)式よりPの各水準に対応するyを求める(この関数関係は「総供給曲線」と呼ばれる)、というものである。かくして、価格水準と(実質)国民所得は2つの曲線の交点で同時的に決定されることになる。
 この方向でのモデル化は、貨幣賃金の変化率と失業率のあいだに負の相関関係があるとする「フィリップス・カーブ」(1958)を、Samuelson=Solow(1960)が採用することで、新しい段階を迎えることになる。すなわち、上述の(4)-(9)式で構成されている体系のうち、(7)式および(8)式に替わるものとして、マーク・アップ原理による価格付け、およびフィリップス・カーブを用い、それらと(9)式から新たな総供給曲線を導出しようというのである(総需要曲線は以前と同じ)
 この試みに関連しては、第1に、1960年代の「所得政策」の理論的なバックボーンになったこと、第2に、フィリップ・カーブの(「期待」という要因を考慮に入れた)改良が試みられたこと、第3に、フィリップス・カーブをめぐり、マネタリストとのあいだに大きな論争が展開されたこと、を付記しておこう。

  (b) 「不均衡経済論」的ケインズ派
 「不均衡経済論」的ケインズ派の先陣をきったのはClower(1965)であり、さらにこの派が拡大する契機となったのがLeijonhufvud(1968)である。
  この立場をとる人々には、2つの共通した特徴が認められる。第1に、ケインズ理論(それはケインジアンの理論とは識別される)の革命性が、ワルラス一般均衡理論の特殊性(とりわけ、貨幣の不在、タトヌマンの想定)を明らかにし、それを特殊ケースとして包含する不均衡の一般理論79を打ち立てようとした点に求められている。第2に、ケインズ理論は、価格は固定されており、調整は所得の変化によって行われるシステムと考えられている。すなわち、ケインズ理論は「固定価格下の所得(もしくは数量)調整」分析を目指したものと考えられている。
 クラワーは、これらの点を、労働の超過供給下における家計行動の観点から「消費関数」をとらえることで、いわゆる「二重決定仮説」を提示した。その後、クラワーの家計行動分析と、すでに1955年に発表されていたパティンキンの企業行動分析(不況時における販売額は総需要の制約を受けるという事実を重視)は、1971年にバロー=グロスマンによって「一般不均衡理論」に統合されていくことになる。
  この分野では、価格・貨幣賃金は固定的なものと想定したうえでの分析が多数を占める。そのなかにあって、根岸(1974)Negishi(1979)は、ケインズ的マクロ状況を前提にしたうえで、屈折需要曲線の理論を巧みに応用しつつ、需要不足の完全競争市場におけるミクロ的価格(価格・貨幣賃金)の固定性を内生的に説明することで、ユニークな地位を占めている。80

  B. 新古典派マクロ経済学
 『一般理論』は刊行後、10年にわたり当時の有力な経済学者からの激しい批判にさらされた。さらに、1960年代-1970年代の「新古典派総合」全盛期にあっても、例えば経済成長論は、ハロッド=ドーマー流のケインズ的路線よりも、それに対峙するソロー=スワン流の新古典派的アプローチの方が支配的なかたちで流行をみたという事実が存する。さらに1970年代になると、「所得-支出アプローチ」ケインズ派に対する正面きった批判が、大きな勢力 マネタリズムや「新しい古典派経済学」がその代表格 となるに至ったのは、周知の事項である。
 便宜上、ここで、以上の批判勢力を「新古典派マクロ経済学」と総称することにしよう。81これらに共通する特徴は、一言でいうならば、市場経済の自動調整力にたいし深い信頼感を有しているという点である。最初に、(当時の)主流派の静学モデルおよび新古典派の経済成長論(動学モデル)をとりあげ、続いてマネタリズムをみることにしよう。

  (a) 静学モデル、および動学モデル
  静学モデル― ケインズにはじまる「新しい経済学」の挑戦にたいし、当時の主流派(主としてピグーの系統)は、主として2つの方法で対応してきたといえる。第1に、彼らは、「所得-支出アプローチ」ケインズ派がケインズ理論を、例えば、上記(4)-(9)式で構成される連立方程式体系として提示したのに呼応して、自らのマクロ理論を再構成した。典型的な定式化として、次のようなものがある。

            S(i) = I(i)              (4)
            M  = kPy                 (5)
            Y = Py                   (6)
            W = Pdf/dN             (7)
            N = g(W/P)              (8)
            y = f(N)                 (9)
(Sは貯蓄量、(8)′式は労働の供給関数、kはいわゆる「マーシャルのk」。その他の記号は(4)-(9)式に登場するものと同じ。)

  この体系では、(7)′式と(8)′式で表される労働市場から(完全)雇用量Nが決まり、これを通じて(9)′式から実質国民所得yが決まる。(4)′式は証券市場の均衡を示すものと考えられ、そこで利子率iが決定する。最後に、貨幣市場の均衡を示す(5)′式から価格Pが決まり、したがって貨幣賃金Wも決まる。また、この体系においては、貸付資金説((4)′式) 、貨幣数量説((5)′式)、「セイ法則」、「古典派の二分法」が認められる。
 当時の主流派が対応してきたもう1つの方法は、ケインズ理論自体に即して、経済システムが完全雇用への収束傾向を有することを明らかにしようとするものである。
その典型的な例は、1930年代後半の「賃金論争」におけるピグーに始まり、1950年代のパティンキンにいたって彫琢をみた「実質残高効果」(「ピグー効果」)を用いた議論である。

  動学モデル(経済成長論) ケインズ理論は短期的かつ静学的なものであったが、これを長期的かつ動学的なものにするという試みは、1940年代の後半以降、既述の「実物」的景気循環論のほか、ハロッドやドーマーによる経済成長論(いわゆる「アンチノミー理論」)として具体化されていた。
  しかしながら1950年代の後半以降、ケインズ的路線とは対立する側からの経済成長論が非常な勢いを得ることになる。この流れは1956年のソローとスワンの論文を蒿矢とするが、その後、1959年のソロー(いわゆるヴィンティジ・モデル)1961年の宇沢(いわゆる2部門モデル)等の業績が輩出し、1960年代中葉にはその全盛期を迎えることになる。
  この流れは通常、「新古典派の経済成長論」と呼ばれている。これらは次のような想定に立って、経済の「均衡成長径路」への収束を主張するという特徴を有している。

 (i)  完全雇用の想定と一定の人口成長率の想定。
 (ii) 貯蓄はすべて投資として実現されるという想定。
  (iii)1次同次のマクロ生産関数の想定。

  (b) マネタリズム
  経済学の歴史と同じくらい、といってもよいほど古い伝統をもつ学説に、貨幣数量説 それは「貨幣量の増加(減少)が物価を比例的に上昇(下落)させる」という命題を基本としている がある。それは、18世紀中葉にヒュームによって初めて明確に論じられ、そして19世紀初頭にリカードウによって精緻化されて古典派体系に組み込まれた。さらにこの理論は、19世紀末には、マーシャル(現金残高アプローチ)、フィッシャー(取引アプローチ)等により、新古典派経済学に組み込まれていったのである。
 こうして貨幣数量説は、「ヴィクセル・コネクション」およびケインズ革命の到来以前には、貨幣についての思考にあって中心的な位置を占めていた。だが、「ケインズ革命」の到来、そして「所得-支出アプローチ」ケインズ派の台頭により、その後、長いあいだ忘れられた存在になっていたのである。
 この貨幣数量説を、現代経済学のなかに復活させたのは、シカゴ大学のフリードマンである。1970年代以降、勢いを得るに至ったその流れは「マネタリズム」と呼ばれている。
  マネタリズムにおいて特徴的なのは、次の2点であろう。第1に、それは理論的にみて、伝統的な貨幣数量説のヴァリエーションという側面をもっている。例えば、1970年および1971年のフリードマンの有名な論文では、これらの想定をもとにして「均衡成長径路」への収束を主張するのである。「IS-LMモデル」から出発しながら、途上でIS概念は否定され、またLMの箇所も次のような式、すなわち貨幣数量説に変形されてしまっている。82

             Y = V(i)M          (10)
            (V は貨幣の流通速度。)

 しかも利子率iは先決変数によって決定されると想定されているため、各時点においては定数である。
 このような理論を基礎にもちながら、フリードマンを領袖とするマネタリストは、いわゆる「単一方程式アプローチ」による実証分析を通じて、貨幣の流通速度の安定性(したがって貨幣量の増加(減少)は比例的に物価水準を上昇(下落)させる)、裁量的要素をなくした貨幣政策(いわゆる「Xパーセント・ルール」案)等を主張し、「所得-支出アプローチ」ケインズ派に対抗したのである。
 マネタリズムの第2の特徴は、「自然失業率」仮説の提唱である。これは、前述のサムエルソン=ソロー等の「所得-支出アプローチ」ケインズ派が1960年代に重視しh始めていたフィリップス・カーブに対抗して、1968年にフリードマンやフェルプスによって提唱された仮説である。それは、貨幣錯覚のある短期においては、各期待インフレ率に対応したフィリップス・カーブが成立するが、長期においては経済は自然失業率に落ち着く、という内容を有している。以降、「自然失業率仮説」の妥当性をめぐり、実証的見地からの論争が、両派のあいだで続けられることになった。




  1) 第1節の問題領域では本書第15章の注に、また第2節の問題領域では本書第7-14章の注に補完的な関係にあるものが多数あるので、合わせて参照されたい。
 2) このような現象を知るうえで、リカァードウ派経済学の推移を解明したBlaug(1958, pp.1922, pp.336338)が有益である。
  3) これらはそれぞれ、Coddington(1983)のいう、「水力学主義」、「再構成された還元主義」、「ファンダメンタリズム」に相当する。コディントンの分類は、選択理論と市場均衡の理論に依拠する「還元主義」― ワルラス体系が考えられている を基準に行われている。Magnani(Eatwell=Milgate, 1983, p.259)は、「ファンダメンタリストと新古典派主義者の論争は、大部分、…誤解に基づいているように思われる」と評している。
  4) この点については、1972年に発表された「追憶と資料」(Hicks, 1979, p. 146)も参照。「IS-LMモデル」にたいするヒックスの態度の漸次的変化については、Hicks(1980-1981)を参照。「IS-LMモデル」の明瞭な弁護は福岡氏(福岡・早坂・根岸, 1983, pp.68-83;福岡, 1997, 第9章)にみられる。
  5) Presley(1989, pp. 106-110) は、Hicks(1935)が流動性選好理論の真の始まりを示すものであると主張し、それを『一般理論』にみられる流動性選好理論よりも高く評価する。
  6) Hicks(1937, pp.132133, p.136)を参照。この点はHicks(1957)で、いっそう明確に表明されている。因みに「リクィディ・トラップ」はロバートソンが名付け親である。
 7) Hicks(1937)は、古典派理論の方程式・変数とケインズ理論の方程式・変数のあいだの形式的相違を比較している(このことは、とくに貨幣市場の扱いについて顕著である)
  8) Hicks(1979, pp. xi-xiii)も参照。さらにHicks(1982, pp. 129-130)では、Robertson(1926)は「伸縮価格市場の考え」に立つものと評されている。
 9) この推移は『一般理論』の内部でも認められる、とHicks(1976, pp.216-217)はみている。
  10) Patinkin(1976, p. 65)を参照。なおPatinkin(1949; 1976)を対象とした、より詳細な検討については、拙稿(1979, 2節のA(a(3))を参照。
  11) Patinkin(1976, p. 80)を参照。
  12) Patinkin(1949)Patinkin(1965, Chapter 13)、およびPatinkin(Gordon ed., 1970, pp.189-190)を参照。
  13) Patinkin(1976, p. 106)を参照。
  14) Patinkin(Gordon, ed., 1970, pp. 120-129)を参照。
  15) Patinkin(1976, pp.122-125)を参照。
  16) Patinkin(Gordon, ed., 1970, p. 130)を参照。
  17) Tobin(1980, fourth lecture)を参照。これは、Ott=Ott(1965)を嚆矢とする、いわゆる「政府予算式」を導入した「IS-LM分析」である。
  18) Tobin(Gordon, ed., 1970, p.77, Note 1)を参照。
  19) Tobin(Gordon, ed., 1970, p. 79)を参照。
  20) Tobin(Gordon, ed., 1970, p.79, Note 5)を参照。
  21) 以下の議論はLeijonhufvud(1968)に基づいている。Clower(1966)Leijonhufvud(1968)を対象とした、より詳細な検討については拙稿(1979a;1979b)を参照。下記第2節でみるように、レイヨンフーヴッドは、その後、流動性選好理論を全面的に否定し、貸付資金説の立場を表明している。さらに、彼は「ケインズなら合理的期待についてどう考えたであろうか」(Worswick=Trevithick, 1983, pp. 179-221.とくにp. 201)において、「所得-支出アプローチ」ケインズ派の経済学がマネタリズムや合理的期待形成派を前にして一敗地にまみれたのは、「名目のショックと実質のショック」の分析を怠ったために、「フィリップス・カーブ」という泥沼に落ち込んだことによる、と評している。
  22) Leijonhufvud(1968, Chapter 2)を参照。価格と貨幣賃金についてのレィヨンフーヴッドの理解は、実際にはフリードマンの理解とはまったく異なる。この点についてはLeijonhufvud(1968, p. 67)を参照。レイヨンフーヴッドは、「所得-支出アプローチ」ケインズ派は価格の硬直性を想定しているが、ケインズの理論にあっては価格の調整速度が遅いために「所得制約下の数量調整」が展開されているのであり、両者(「所得-支出アプローチ」ケインズ派とケインズの理論)はまったく異なると解している。
  23) Leijonhufvud(1968, pp. 68-75)を参照。
  24) Leijonhufvud(1968, pp. 56-57)を参照。彼はまた、ケインズの理論を、「回廊」の外に発散していくモデルとして、マネタリズムを「回廊」内に収束していくモデルとして描いている。Leijonhufvud(1981, Chapter 6)を参照。
  25) Leijonhufvud(1968, Chapter 3)を参照。
 26) Jarsulic(1988)は、彼らを「ネオ・リカーディアンでもなく、またネオ・マルキシアンでもない非-新古典派主義者で、関心が有効需要ならびに非標準的な分配理論におかれている者」(p. 24)と定義している。彼によると、代表者はデヴィッドソン、アイクナー、S.ワイントラウブであり、それにJ.ロビンソン、ミンスキー、カレツキー、カルドア、パシネッティ等が含められている。
 27) この論争については、例えばBlaug(1974)を参照。
  28) Davidson(Gordon, ed., 1970, pp. 91-92, 100)を参照。
  29) Davidson(Gordon ed., 1970, pp. 98-99)を参照。
  30) Davidson(Gordon ed., 1970, p. 95)を参照。
  31) Davidson(Gordon ed., 1970, pp. 93-94)を参照。
  32) Davidson(1965, pp. 76-80, 84-87)を参照。
  33) これはKeynes(1937d)で発表されたもので、投資の計画と実行のあいだに必要とされる信用と定義されている。
  34) Davidson(1965)およびDavidson(Gordon, ed., 1970, p100, Note 14)を参照。
 35) Jarsulic(1988)はネオ・リカーディアンを「その仕事が、主に古典派の価格理論およびそれと技術的に決定される経済余剰の分配との関係においており、しかもこれらの考えを有効需要の概念に結び付ける試みを怠ることなしにそうする者」と定義している。その代表者としてスラッファ、ガレニャーニ、イートウェルがあげられている。因みに、マルクス主義経済学者ピリングは、「スラッファの仕事は、デヴィッド・リカードウの業績である古典派経済学の到達点と比べて退化を引き起こしている」(p. 20)との根拠で、スラッファの業績に依拠するネオ・リカーディアンに批判的である。
  36) ただし、このような考えは1920-1930年代の「ケンブリッジ学派」にはなかったことは強調しておかねばならない。本書第5章注50を参照。
  37) 本書第4章第1節を参照。
  38) Hicks(1976)は同書を古典派的なマクロ経済学の出発点と位置づけている。
  39) 具体的には、ピグーの『失業の理論』(1933)が批判の対象とされた(本書第11章第1(B)節を参照)。『一般理論』刊行後、ピグーとケインズの論争は貨幣理論を中心に展開されている(その間の事情については、JMK.14, pp.234-268を参照)。『一般理論』刊行直後の学界の状況については、Klein(1947)の第4章「論争の展望」が詳しい。
  39) Pigou(1950, p. 30)を参照。
  40) Pigou(1950, p. 30)を参照。
  41) Pigou(1950, pp. 17-19)を参照。
  42) Pigou(1950, p. 65)を参照。
  43) マネタリズムにたいする批判者はカルドアやデヴィッドソンのようなケインズ派だけではない。一般均衡論の研究で著名なハーンは(Hahn(1971)にみられるように)、早くからマネタリズムにたいしきわめて否定的であった。ハーンはむしろ外部性と収益逓増のもとでケインズ理論を再考する必要性を説く。Hahn(Worswick=Trevithick, eds., 1983, pp.72-75)を参照。
 44) Friedman(Gordon, ed., 1970, p. 18)を参照。
 45) Friedman(Gordon, ed., 1970, p.25)を参照。
 46) Leijonhufvud(1981, Chapter 7, 'The Wicksell Connection')を参照。
 47) ここで取り上げたフリードマン論文(Gordon, ed., 1970, pp.1-62)には奇妙なトリックがある。すなわち、最初に「IS-LMモデル」が提示され、それらはすべての学派に承認されている、と述べられる。次に、このうち、貨幣に関する方程式(LM)は貨幣数量説に置き換えられる。続いて財に関する方程式(IS)は棄却される。かくして貨幣数量説のみが残ることになる。下記第第3(B(b))節も参照。レィヨンフーヴッドは、ケインズの理論をIS-LMモデルを通してみている点でフリードマンは誤っている、とみている。Leijonhufvud(1981, Chapter 7, 'The Wicksell Connection')を参照。
 48) 理論の「核」を支える主観性については根岸(1983)を参照。さらに社会学における「理念主義」の復活を論じた富永(1984)を参照。
  49) 本書第16章注15(断絶説を扱っている)および注17(連続説を扱っている)を参照。ケインズの理論の進展過程についての近年のわが国での研究に関する私の論評については、Hirai(1998)を参照。そこでは浅野(1987)、明石(1988)、菱山(1990; 1993)、松川(1991)、加納(1992)、岡田(1997)、小島(1997)、吉田(1997)を取り上げている。
  50) Leijonhufvud(1981, p.168)を参照。本書の第7章第3(B)節を参照。
  51) Leijonhufvud(1981, p. 168)を参照。本書の第7章第2(D)節を参照。
  52) Leijonhufvud(1981, p. 166)を参照。
  53) Leijonhufvud(1968, p. 349)を参照。
  54) Leijonhufvud(1968, p. 322)を参照。対照的にFriedman(1974p.176)は、第19章をまったく評価していない。
  55) 本書の第5章および第6章第2節を参照。
  56) Meltzer(1988, p.112)を参照。『貨幣論』についてのメルツァーのモデル それはOM曲線(生産物市場)AM曲線(資産市場)のタームで表されている Meltzer(1988, pp.76-77)に提示されている。このモデルは、ケインズがストックとフローを関係づける一般均衡的枠組みに、『貨幣論』で達することができたものにかぎりなく近い」とメルツァーは言明している
  57) Meltzer(1988, p.13)を参照。『一般理論』についてのメルツァーのモデルは、ISLM、およびSS(総供給関数)曲線で構成される方程式体系として提示されている。Meltzer(1988, pp.167-170)を参照。
  58) Meltzer(1988, p. 113)。本書の第7章第4節を参照。
  59) Meltzer(1988, p. 113)を参照。
 60) Meltzer(1988, pp. 300, 304, および309)を参照。
  61) 興味深いことに、ポスト・ケインズ派を代表するMinsky(1975, Chapter 1)も、両著を不連続的とみている。ミンスキーは、『貨幣論』は貨幣数量説(そして古典派の二分法)および完全雇用を前提にしている、とみている。また彼は、『一般理論』の基本命題は、資産価格の決定プロセスが投資の主要な決定因であるとするもの、と主張している。ネオ・リカードウ派のMilgate(1982)も、「『貨幣論』のモデルは…まさに新「古典派」理論の1変種にすぎず」(p.182)、「『一般理論』の理論体系は、当時支配的であった資本および雇用理論、(そしてそれゆえに)需給のタームで展開される(価値)論に対峙する新しい雇用理論を提示することで、(『貨幣論』もその1部である)限界主義的正統派と決別するもの」(p. 187)と論じている。本書第16章注15を参照。
 62)Dimand(1988, p.26)を参照。
 63)Dimand(1988, p.44)を参照。
  64)Dimand(1988, p. 39)を参照。本書の第7章第2節を参照。
  65) 本書の第9章第3節、第11章第2(A)、および第16章第1(C)節を参照。因みに私の考えは、ケインズは乗数理論よりも「ケインズ独自の理論」を高く評価していたことが、乗数理論の組み込みを遅らせたというものである。
  66) 同様の見解を簡潔に論じたものに、Amadeo(1994)がある。
  67) この解釈は、「ケインズ独自の理論」― (メカニズム1)(メカニズム2)の、(メカニズム3)を通じた動学過程 に相当する。本書の図7-1を参照。『貨幣論』についてのアマデオの解釈は私の解釈と合致している。だが彼は『貨幣論』と『一般理論』の相違を「分析の方法」にのみ帰している(Amadeo, 1994, p.13を参照)。これは私のスタンスではない。
  68) 本書の第3章、および第7章第1節と第5節を参照。
  69) Amadeo(1989, pp. 35-36)を参照。
  70) 私は彼の見解に同意する。本書の第16章第1(C)節を参照。
  71) このスタンスは私とは異なる。原文で言及されている利潤についての不合理な解釈のゆえにアマデオは間違えている、と私は思う。
  72) これらの論争の詳細については、Klein(1947,Chapter 4,'Survey of the Controversy')や新飯田論文「ケインズ理論の批判と擁護」(館編, 1968)を参照。
  73) モデル間の相違を特徴づける点として、モデルを構成する関数についての想定にある。例えば、ケインズ革命の核心を乗数理論とみるKlein(1947, pp.90-91)は、投資と貯蓄の利子弾力性がともにゼロ(ないしはきわめて小さい)と想定することで、完全雇用は伸縮的な貨幣賃金の場合でさえ達成は不可能であることを証明しようとした。他方、Modigliani(1944)は、Klein(1947, pp. 214-215)と似たモデルを用いつつ、不完全雇用の原因を「リクィディティ・トラップ」に帰している。
  74) Leijonhufvud(1968, p. 3). この時期の新古典派の復活は、Hines(1971, 第1章)で簡潔に描かれている。この復活は、初期の論争を吸収・昇華したというよりも、それらを無視して進行したように思われる。
  75) だが、マネタリストは、表面的には一般均衡理論に肯定的であるとしても、言葉の真の意味でのワルラシアンではないこと、ネオ・オーストリア学派は自覚的な反ワルラシアンであること(Kirzner, The 'Austrian' Perspective on the Crisisを参照)、さらに、ヴァージニア学派の自由思想は、例えばハイエクの「自生的秩序論」とはまったく土壌を異にするものであること(Buchanan, Law and Invisible Hand, ed. by Siegan, B., 1977を参照)、等に注意を払う必要がある。
  76) ケインズが『一般理論』で展開した理論は、実際には主として「IS-LMモデル」のかたちで伝播・普及した。実はこのモデルは、『一般理論』の刊行年である1936年に、ヒックス('Mr Keynes and the Classics')だけではなく、ハロッド('Mr Keynes and Traditional Theory')、ミード('A Simplified Model of Keynes' System')により同時に発表されたことが判明している。この点については、Young(1987, Chapter 1)を参照。
 IS-LMモデルはどの程度までケインズの理論の本質をとらえたものなのであろうか。その解答が肯定的であれば、理論経済学におけるケインズ革命は、この理論に凝縮されていることになる。その解答が否定的であれば、ケインズの理論の本質は歪められていることになる。この点をめぐっては大きな論争が巻き起こったわけで、本章においても、そのうちの主要なものに言及してきた。
 『一般理論』の「IS-LM」的定式化の妥当性と限界についての私自身の考えは、次の通りである。IS-LM理論には次のような利点がある ― (i) 均衡分析手法による、財市場と貨幣市場の同時方程式的定式化。財市場(有効需要の理論)、および貨幣市場(流動性選好理論)の定式化において、『一般理論』の立場を適切に捕捉。() 貨幣賃金の硬直性を仮定している点で、そして「古典派の第1公準」を継承している点で、『一般理論』を適切に反映。(iii) 不完全雇用均衡を証明しようとする『一般理論』の方法を保持。
  他方、IS-LM理論には次のような欠陥が認められる (a) 『一般理論』の最も重要な特徴 本書で「対照的な可能性」と呼んだ市場経済ヴィジョン(本書の第15章第2(A)節を参照) の無視。(b) 『一般理論』で描かれているミクロ的側面の無視(本書の第15章第2(B)節を参照)(c)(b)の結果、ミクロ的側面とマクロ的側面の関連を考察する試みの不在。(d) 『一般理論』で展開されている財市場についての分析の単純化のしすぎ。雇用量は、『一般理論』では総供給関数と総需要関数のタームで論じられているが、IS-LM理論では、総供給関数の真の特性に適正な配慮を払うことなく、45度線に置換されている。(e) IS-LMモデルの以上のような欠陥は、ケインズの理論を批判的に検討することに失敗する原因を醸成 例えば、ミクロ的側面から一貫して追究していくと、どの程度、総供給関数および総需要関数は正当化されるのか等々。
  Presley(Greenaway=Presley eds., 1989)は、「ヒックスの強い風味と結合した、ケインズと古典派の混合物であり、…よくも悪しくも、大多数の戦後マクロ経済学の思考過程を支配したもの」(p.111)と述べて、IS-LMモデルを高く評価する。似た評価はLaidler(1999)によっても行われている。曰く、IS-LMは「ケインズが1936年に伝えようとした新しいメッセージの多くの重要な要素」(p. 4)を省きながら、「…いくつかのすでに存在した経済思想の流れの、高度に精選された統合であった。…『一般理論』は戦後の正統派マクロ経済学となるに至ったいくつかの源泉の1つであった」(p.12)
  77) 1960年代のケインズ学派の技術的な議論については、Lecachman(1966, Chapter 11, 'The Victory of an Idea') Stein(1969, Chapter 9, 'The Development of Consensus 1945-1949')Collins(1981, Chapter 1, 'The Keynesian Revolution: A Survey') を参照。
  78) この関連では、計量経済学の展開について言及する必要がある。ケインズはティンバーゲンの手法に懐疑的であったことはよく知られているが、にもかかわらず、ケインズの経済学は「所得-支出アプローチ」ケインジアンによる計量経済学の発展というかたちで普及・伝播していったことは、特筆に値する(クライン=ゴールドバーガー・モデルはその代表格である)
 ケインズのティンバーゲンの手法にたいする(非常に手厳しい)評価は、JMK.14, pp.295-320に収録されている。ケインズは2つのことを述べている。1つは、経済学は論理学の一分野であるという主張である。経済学はモデルの改善によって前進するが、可変的な関数に実際の数値を埋めるべきではない。そうすることでモデルは有益性を喪失する(統計的研究の目的は、モデルのレリヴァンス・有効性をテストすることにある)。もう1つは、経済学はモラル・サイエンスであるという主張である。これは、内省と価値判断を用い、動機、期待、心理的不確実性を扱う学問という意味で用いられている。
  79) ネオ・リカーディアンやポスト・ケインジアンは、ケインズを不均衡理論家と解すること、ならびに『一般理論』を不均衡理論と解することに否定的である。Harcourt=O'Shaughnessy(Harcourt ed., 1985, esp. p. 13)を参照。
  80) 根岸理論については拙稿(1979b,2(A(d)))を参照。
  81) 「新古典派」という用語の使用には、慎重さが要求される。『一般理論』刊行後の10年の批判者の場合、彼らを「新古典派」と呼ぶにしても、1960年代-1970年代の「新古典派総合」時の「新古典派」」、および今日の「新古典派」と非常に内容を異にしている点は、強調する必要がある。
 当時の「新古典派」は、社会哲学的に「ニュー・リベラリズム」的であり、自由放任主義的な市場社会観を唱道していたわけではない。「ケンブリッジ学派」の主力メンバーであるピグー、ロバートソン、ホートリーの社会哲学をみられたい(本書第5章注50を参照)。それに論争は「ヴィクセル・コネクション」とも行われたが、そもそも彼らは「新古典派」に対峙する貨幣的経済学を目指していた(本書第3章を参照)。当時、自由放任主義的傾向を強く打ち出していたのは、ミーゼス、ハイエクであるが、彼らは少数派である(それに何よりも彼らはオーストリアンであって、ワルラシアンではない)
 これにたいし、「新古典派総合」期の「新古典派」はワルラス一般均衡理論を中軸に据え、「パレート最適」を金科玉条とするものであった(そこではワルラスの社会哲学、パレートの社会哲学が顧みられることはなく、また戦間期の社会主義経済計算論争でワルラス理論に依拠したのが、ランゲ、テイラー等のいわゆる市場社会主義者であったという事実も忘却の彼方に追いやられた)。その社会哲学は、ケインズ=ベヴァリッジ体制を受容する一方で、緩やかな自由放任主義を唱道する折衷的なものであったといえよう。だが、緩やかな自由放任主義を逍遙する点で、戦前の「新古典派」とは明瞭に異なる。
 さらに近年のマネタリズムや「新しい古典派経済学」に至っては、かなり徹底した自由放任主義の立場に立つものであり、「新古典派総合」時代の「新古典派」とも、その社会哲学を異にする。
 かくして、あまりにも多義的な使われ方をしてきた「新古典派」という用語にたいしては慎重であることが肝要である。以上に関しては、経済学史学会での私の報告(2001)を参照。
  82) 上掲注4347を参照。