2018年10月5日金曜日

国際ケインズ・コンファランス@ソフィア ― 学術交流記 ― 平井俊顕(上智大学経済学部教授)







       
                                 国際ケインズ・コンファランス@ソフィア

 学術交流記 

平井俊顕(上智大学経済学部教授)

国際ケインズ・コンファランス@ソフィア

学術交流記

平井俊顕(上智大学経済学部教授)


1. はじめに

大学教員には、大別すると3種類の仕事がある。教師、研究者、行政者としての仕事だ。本稿で扱うのは、第2の活動に属している。
研究者として大学教員は、それぞれの専門分野を中心に活動している。そしてその成果を論文にまとめたり、学会で報告をしたり、あるいは学術雑誌への投稿を試みたりする。さらに、ある程度考えがまとまってきたりすると、それらをまとめて研究書として世に問うたりする。以上のほか、研究者としての大学教員は、たがいに関心を共有する研究者たちとともに研究企画を立案し、研究会を開催しながら、それぞれの専門分野での知見を増大させたり、問題解決法を見出すことに努めたりなどする。
本稿では、私たちがこれまで7年間にわたって開催してきた「国際ケインズ・コンファランス@ソフィア」 (International Keynes Conference at Sophia. 以下IKCSと呼ぶ) についての報告である。


2. なりそめ

いくばくかの偶然と意思があいなかばするかたちで、私たちがIKCSを思い立ったのは7年ほど前である。「意思」とは、研究者として国際レベルで遂行できていないことにたいする反省である。さまざまな環境から一種のトラップ状態におかれていたことへの反省の念が、私たちにはあった。研究をそのようなことで進めるのに、たしかに年はいきすぎている、という思いもあった。が、「年は関係ない、研究者としてやりたいと思うことは、思い立ったいま行うしかない」と考えることにした。私たちはエリートの研究者ではない。そう雑草の研究者なのである。
そこで、構想を練り、そのための資金として科学研究費を申請した。幸にも採用されたため、文字通り見よう見まねでプロジェクトを進めて行くことになった。「見よう見まね」というのは、この点で私たちを指導してくれる年長の研究者が周辺にいなかったこと、私たちは海外の大学で研究活動を行った経験はなく、純粋国産型の教育を受けてきたものであること、等のハンディを負っていたからである(これ自体、運命だと思う)。
 だが、悪いことばかりではない。他方で運もあった。同じような志をもつ仲間・同僚が複数名、身近にいたこと、海外の有力な研究者で私たちを心から支援してくれる複数名の知遇を、偶然にも得たこと、がそれである。
 こうして始めたIKCSではあったが、偶然も作用し、初回が望外にうまくいったことで、ある程度の手ごたえを感じ取ることができた。爾来、これまで計6回のIKCSを開催することができた。いずれも友好的な雰囲気のもとで、多くの熱のこもった研究報告が行われた。これは何よりもまず、内外の研究者たちがIKCSの意義を高く評価してくれたことによるところが大きい。また私たちは同時に若手研究者に報告機会を提供するように努めてきたが、その芽生えは確実なものになっており、経済学史研究の分野では、海外の学会で研究報告を行うということは、かなり日常的なものになっている。
海外の学会で報告というのは、日本の研究者にとっては想像以上に大変である。わが国の大学院教育はそのような機会に備えたものになっていないからである。IKCSは国内で開催されるものであるが、海外の一線で活躍する研究者と同席して、報告・議論する機会であり、非常に貴重なものになったと思う。そして、私の研究領域の周辺で、海外での研究報告が盛んに行われるようになったことに、いささかの貢献をはたしてきたのではないか、とひそかに思っている(似た趣旨のコンファランスやワークショップの数は、かなり増えてきているのが、より大きな要因である)。


3.内容の説明

ここでIKCSがどのようなコンファランスなのかを説明しよう。通常、IKCSはまる2日間の日程で組まれてきている。海外からは平均すると45名、それに国内からもやはり45名の研究者が、その時々のメイン・テーマに関連した研究報告を行い、それにコメンテーターによるコメントが加えられた後、フロアーとの質疑応答が続く(海外と日本とのあいだでの対等ベースをモットーにして行ってきている)。1つの研究報告には全部で70分ほどをかけることで、十分な議論を行える時間をとっている(海外の学会報告では30分が標準)。これで1日に5本、2日で計10本が取り上げられる。参加者は平均すると40人前後である。
 海外からの報告者であるが、アメリカ、イギリス、イタリア、フランス、ドイツ、ブラジル、インド、中国、と文字通り世界中におよんでいる。専門分野は経済学史を主体としつつも、金融論、マクロ経済理論、経済政策論を包摂している。いずれも一線で活躍中の大学研究者であるが、若手研究者の招聘にも配慮を払ってきた。
 IKCSは、いわゆるコール・フォー・ペーパーズ方式ではなく、主催者側で人選をして招待する形式を採用している。その資金の主力は科学研究費である(一度は、「ソフィア・シンポジウム」資金に拠っている)。

 以下の表は、これまで開催してきたIKCSの概要を示している(なおIKCSは少なくともあと2回は開催を予定している)。


年月日

メイン・テーマ

1
2005924日(土)、25日(日)

Keynesian Legacy and Modern Economics: A Dialogue between History of Economic Thought and Economic Theory (「ソフィア・シンポジウム」)
2
2006323日(木)
Keynes’s Influence on Macroeconomics

3
2007314日(水)、15日(木)
Keynes’s Economics and His Influences on Modern Economics
4
200831920
Keynes’s Influence on Modern Economics: The Keynesian Revolution Reassessed
5
200931718
Global Crisis and Keynes: Present and Past

6
201032日(火)、3日(水)
The World Economic Crisis and Keynes: Manifesto of the Transformation

これらの成果をもとにして書籍の刊行計画が出てくるのは自然の流れである。私たちは2冊の本を企画している。そのうち、1冊は、The Return to Keynes edited by B. W. Bateman, T. Hirai and M.C. Marcuzzo, Harvard University Press, 2010として本年の2月に刊行されている。もう1冊は現在企画中である。


4.ケインズについて

IKCS(国際ケインズ・コンファランス@ソフィア)は、「ケインズ」という名が冠せられている。そこでなぜこの名がつけられているのかについて、説明しておくことにしよう。
ケインズがどのような人物であったのかであるが、拙著『ケインズ100の名言』(東洋経済新報社、2007年)からの次の1文が適当かと思われる。

ケインズの活躍した時代、それは第一次大戦で瓦解した「パックス・ブリタニカ」を回復させようとする努力が挫折し、世界は混乱と分裂の度合いを深めながら第二次大戦に突入していく、という時代である。こうした時代状況を打開すべく、ケインズは新たな経済理論・経済政策論、ならびに新たな世界システムを次々に提唱していった。これらの点で彼に比肩する人物は皆無である。そればかりではない。周知のように、ケインズは『雇用・利子および貨幣の一般理論』(以降、『一般理論』1936)を通じて、その後のマクロ経済学、経済政策論、ならびに社会哲学の領域で「ケインズ革命」と呼ばれる深甚なる変革を引き起こした・・・。

とりわけ、ケインズを今日的意味で重要にしているのは、次の点である。
彼は深い理論を構築する能力を有していたが,それに溺れることはなかった。彼は、制度、不確実性、人々の心理、歴史といった点に絶えず配慮を払う人物であった。
彼は、数理のための数理に走るような(当時の)数理経済学的手法に異を唱えた。経済分析のために自らのモデルを使用するにさいし、ケインズは、考察されていることは現実の世界を単純化したものにすぎないこと、もし現実世界がより正確に描かれるべきだとすれば、それは相互作用的・叙述的方法によってのみ可能なのであり、それは数学的技法の能力を超えたものであること、を繰り返し述べている。
 ケインズはまた、独自の哲学的・論理学的視点からティンバーゲン(ノーベル経済学賞受賞)の計量経済学的手法に懐疑的であった。ティンバーゲンに対するケインズの評価は徹頭徹尾、厳しいものであった。
そのさい、ケインズは自らの経済学に対するスタンスを次の2点におく。1つは、経済学を論理学の一分野とみなすスタンスである。経済学はモデルの改善によって進歩するが、可変的な関数に実際の数値を当てはめるべきではない。統計的研究の目的は、モデルのレリヴァンス・有効性をテストすることにある、と。この背後には、若き日に刊行した『確率論』(この原稿を書いているときに、出たばかりの邦訳書を受け取った。生前刊行したケインズの著作のなかで唯一邦訳のなかったものである)で展開した理論が確実に存在する。もう1つは、経済学を「モラル・サイエンス」と特徴づけるスタンスである。これは、内省と価値判断を用い、動機、期待、心理的不確実性を扱う科学として定義されている。
しかも、驚くべきことだが、彼は現実の経済分析にきわめて鋭敏な直感を働かせる能力に長けており、統計の重要性を生涯を通じて強調したのである。この点は、今日の国民所得統計の確立に、彼はミードやストーン (いずれもノーベル経済学賞受賞)と共同で多大なる貢献を果たしたという点を指摘するだけで十分であろう。


5.今日的問題

私が専門とする経済学史には、対象をその時代的コンテクストに即して分析するという課題と、現在の経済学の状況を多様な歴史的・空間的視座から分析・批判するという課題がある。
ケインズはどの経済学者よりも後者の問題を考察していくうえできわめて重要な位置を占める存在である。この点について少し説明をしてみたい。
ケインズが打ち立てたマクロ経済学(ならびに社会哲学)をめぐっては、この70年間に大きな変動の歴史がある。かつてはマクロ経済学といえば「ケインズ経済学」であったが、この30年間は、それに批判的な「マネタリズム」、さらにはケインズ的思考そのものに破壊的な立場をとる「新しい古典派」がアメリカの学界を席巻してきた(それは同時に、「ケインズ=ベヴァリッジ社会哲学」から「ネオ・リベラリズム」への移行であった)。
 IKCSはそうした傾向にたいしては懐疑的である。それは、理論史的・社会哲学的・方法論的に問題を抱えている。経済分析の手法として「新しい古典派」のとるアプローチに経済学の未来を託すことはできない。代表的家計、合理的期待形成、効用理論、完全雇用やセイ法則を当然視するスタンスで、現実の世界経済を分析し政策提言を行うことは不可能である。IKCSは、こうしたスタンスを多かれ少なかれ共有しつつ、いってみれば「ケインズ・スピリット」をいだく研究者によって進められてきた。
 こうした折り、(2008年9月の)リーマン・ショックに象徴されるメルトダウンが生じ、現実経済と経済学を取り巻く状況が一変したのである。
 これまでの主流派マクロ経済学は、事実によって背後に置き去りにされた。そして経済危機の問題に直面してその解決を図らねばならない政治家は部分的には「直感」、部分的には「事実」によって、経済学者が主導してきた考えをうち捨てた。「グリーンスパン・プット」のように、経済変動の制御は金利政策で十分、景気対策としての財政政策は不要、といったスタンスは、政治家の実践により圧倒的なスケールで否定されてきた。アメリカ、EUをはじめ、これまでの金融の野放図な自由化運動は厳しく批判され、政府による金融規制の必要性が強く認識されるようになっている。自己責任原則の旗印のもと、グローバルなスケールでの金融自由化の先頭を走っていたウォール・ストリートのメガバンクは真っ先に助けを請い、そして救われた。非自発的失業など存在しないと主張していた経済学者は、膨大な失業者を前にして発言力を喪失してしまっている。そしてこれらは、社会哲学としての「ネオ・リベラリズム」(市場原理主義)の敗退でもある。新しい社会哲学、新しい経済学はいかなるものであるべきなのか。こうした大きな変化をまえに、
IKCSも現在の世界経済危機に大きな焦点を合わせてきている。


6.むすび

最近になって、アメリカでは金融規制改革法案が紆余曲折を経て、ようやく成立しそうな状況にある。これは1980年代からの金融グローバリゼーションの波のなかでいわゆるSBS (Shadow Banking System) が肥大化し、それが資本主義の不安定さを増長させてきたことへの深い反省に立つものである。「自由」概念、「市場」概念が歪曲化されてきたことへの反省、市場を重視するといいながらも現実にはそれを隠れ蓑に「市場の不在化」、「市場の不透明化」が進み、モラル・ハザードが高進するなか、世界経済は、ついには深刻なメルトダウンに襲われることになった。
本年3月にケンブリッジ大学キングズ・カレッジにINETInstitute for New Economic Thinking. http://ineteconomics.org/initiatives/conferences/kings-college)が創設されたが、創設の理念はそうした問題意識によるものである。資金提供はあのジョージ・ソロスであるが、かねてから彼はそうした哲学的・経済的問題意識を提示してきていた。
稀代の投資家ソロスが稀代の経済学者ケインズの母校にINETを設立するというのは、一見すると奇妙な組み合わせであるが、ソロスの経済学にたいする考え方、そして熱烈なポッパリアンとしての立場を知ると、じつは自然な帰結である。
 何らかの意味での「ケインズ・スピリット」をもつ研究者による新たな経済学の展開、新たな社会哲学の展開がいまほど必要とされているときはない。IKCSもそうした問題の追究に大きな焦点を合わせていくことになる。


2010年5月31日脱稿)

2018年10月1日月曜日

世界秩序の地政学的激変 - 米ソ冷戦体制から米中露三つ巴体制へ 平井俊顕


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世界秩序の地政学的激変 米ソ冷戦体制から米中露三つ巴体制へ

平井俊顕

米ソ冷戦体制 (1947 - 1991) が終焉し、米一国支配体制の時代の到来と思われたのだが、21世紀になってブッシュ政権により、9.11を口実 (いわゆる「ニクソン・ドクトリン」と「ネオ・コン」の戦略) に、アフガン攻撃 (2001)、イラク戦争 (2003) をしかけ、当初、勝利を収めたかにみえたのだが、その後は泥沼化し、戦争の目的は喪失状況になってしまっており、はっきり言えば、アメリカの敗北状況になっている。とくに、後者にあっては、フセイン体制打倒後の、イラク統治政策の失敗(とりわけ、シーア派擁護の体制によりスンニ派の不満が高まり、それに加えて、「アラブの春」の到来が加勢してイスラム国の台頭が発生、一気にそれはシリア情勢の深刻な混沌化をもたらすに至っており、アメリカはいまでは中東安定化問題においてイニシアティブを喪失するに至っている。

アメリカが覇権国家になったのはいつかであるが、結論的にいえば、非常に短い期間である。このことは注目すべきである。(ドイツとともに) 新興国家アメリカが大きな経済的影響力をもつにいたったのは、19世紀の第3期であるが (マーシャルも米独経済について詳細な分析を残している)、その後、戦間期を通じ、軍事的な介入により大きな政治的影響力をヨーロッパにもつに至るも、キンドルバーガーの言を用いれば、「イギリスは統治する意思はもちあわせていたが資金が欠乏していたため、そうする能力がなかったのにたいし、アメリカはそうする能力はあったものの、意思がなかった」のである。
 アメリカが世界覇権を明確に意識する行動に出たのは、スターリン・ソ連との対抗の結果であり、戦後間もなくのころである(とくにギリシア危機を契機とした「トルーマン・ドクトリン」)。
 そしてスエズ危機の発生 (1956) により、はじめて大英帝国が実際にもアメリカに覇権を譲るような現象が生じたのである。その意味で覇権国家アメリカとは、厳密にいえば、これ以降、1991年のソ連崩壊までが、いわゆる冷戦体制下での覇権国家アメリカである。つまりわずか35年ほどであり、しかもこの期間は、地球上の半分はソ連の支配下・影響下にあったのである。
  そして1991年から2007年あたりまでが、「アメリカ一国覇権国家時代」ということができる。あたかもアメリカが世界を一国で制覇していたかのように、世間ではなんとなく思われがちであるが、そうした期間は非常に短い。現在世界は浮沈がきわめて激しいのである。

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2011年にチュニジアに端を発した「アラブの春」は当初、独裁国家にたいする大衆の怒りの勃興として一種の民主化要求運動的色彩を帯びてはいたが、やがて本来の軍事的諸勢力の内部対立の激化が「アラブの春」の新たな局面となるに至り、結果、リビア(カダフィ体制崩壊の後の戦国無秩序状況)、エジプト(ムバラクに代わる新たな独裁体制 [ムバラクムスリム・ブラザーフッドシーシ])、そしていまにみるシリアの状況(周辺諸国による露骨な内政干渉、というか軍事干渉。アサドはロシア・イランの傀儡以外の何物でもない) が出現するに至っており、中東全域が(北アフリカとともに)きわめて不安定な状況に陥っている。

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もちろん、これらの状況が膨大な数の難民を生み出し、2015年に象徴されるような100万人を優に超える難民(および偽装難民)のヨーロッパへの流入を引き起こし、(すでにその前から反EU的勢力がEU内にかなりの勢力を見せていたが [前回の欧州議会選挙で大量の反EU的スタンスをとる議員が誕生していたところへ]、この大量難民対策の失敗は、結果的に移民排斥と唱える極右政党の大躍進をEU内にもたらすことになり、ドイツとブリュッセルを中心に展開していたEUが、致命的ともいえる分裂・瓦解をもたらすに至っている (そればかりか、メルケルは首相の地位を維持するのに四苦八苦しているのが現状である)。地政学的にいえば、EUはきわめて分裂・弱体化している。ポーランド、ハンガリー、チェコ、スロヴァキアといったヴィジグラードを筆頭に、最近ではオーストリア、イタリアが反EU政党により内閣が結成され、さらに北欧においても極右・ナショナリズム政党は重要な地位を占めるに至っている。かのスウェーデンも、いまでは中道左派が単独で政権をとれないばかりか、極右政党 (Sweden Democrats など) が大きな地位を占めるに至っている。

 *いま、これまでのEU指導部 (メルケルを中心とする) のスタンスを声高く唱道しているのはマクロンである。マクロンの若さと意思に感激して共闘体制を組もうとしているのがメルケルである。

  *ハンガリーはEU/ブリュッセルから議決権のはく奪議案を欧州議会に出されているが、オルバーンは、それに挑戦するかたちで、モスクワ詣でを行っており、プーチンを喜ばせている。これが反EU派の、いまや頭目とみなされている人物によって行われたことはEUという組織にとってかなり重大な意味をもつものである。


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21世紀の声を聞いたころ、ロシアは政治・経済の極度の疲弊状況におかれており、エリティンは酒びたりで政治どころではない状況に陥っていた。そして無名のプーチンがエリティンを代行するというような有様であった。そしてその背後には、いわゆる「オリガルヒ」が政治の実権を握る状態になっていたのである(いまの「オリガルヒ」はプーチンの子飼いであるが、当時はプーチンを操れる可能性のある「オリガルヒ」であり、状況はまったく異なっている)。
 一方、中国はといえば、以前として驚異的な経済成長をみせるなか世界経済における経済的存在をいやましに高めていたものの、対外的な政治的拡大を図るという明示的な意思を示す事態ではなく、アメリカが巨大な数の工場移転・設置を行うことを許容しながら、共栄するような姿勢を示していた。それに共産党指導部の独裁体制下にあるとはいえ、共産党内部での独裁者が誕生するには至っていいなかったのである。

こうした状況は、今からして思えば、急激な変化を見せることになった。ロシアの場合、何よりも経済的には、原油価格の高騰により大きな回復を見せることになった。いまでもそうであるが、ロシア経済は、国家予算の収入に占める石油収入が如実に示すように、一次資源に大きく依存している。そしてプーチン自身が戦略的にチェチェン戦争を利用し、自らの地位をあげるとともに、オリガルヒを追撃・追い落とすことに成功したことがあげられる。短期間に、プーチンに批判的なオリガルヒは、あるいは牢獄に、あるいは国外追放に、あるいは毒殺に会うことになり、彼らが握っていた経済的支配力はプーチンの子飼いの人物に指導権が移るという事態が進展したのである。
 プーチンはそれ以外にも自らの政党を立ち上げ、それが議会を支配するような状況にまでなっている。そしてやがてかの有名なミュンヘンでの会議で「世界戦略国家ロシアの復活宣言」がなされ、以降、プーチンはクリミア併合、東ウクライナの実効支配、さらには
シリア・アサド政権の支援を通じて、シリア戦争における主役の座をとるに至っている。
 もちろん、EU内部には、反EU政党などへの資金援助 (有名なのはルペンにたいするもの) や、バルカン諸国への政治介入、さらには2016年のアメリカ大統領選挙をめぐる露骨な選挙干渉を実行したりしている (いうまでもなく、これはいま最も重要なアメリカの政治問題、政治危機を引き起こしている問題である。とくに中間選挙の結果は、今後のアメリカのあり方に深刻な影響を与えるものである)
 ただ、ロシアはかつてのソ連のような影響力を世界にたいしてもっているわけでは全然ない。軍事力の巨大であるが、ソ連崩壊時にそれまでグローバルにアメリカとその影響力を張り合っていた網はその手を離れてしまい、それを取り戻すことはできないのである。また経済的にもソ連経済は遅れており、依然として一次資源に依存している状態にある。それに加え、上記のクリミア問題などで米欧からいくどかの経済制裁を受け続けているから、経済的には状況はけっして良好なものではない。それにあの広大な領地に住む人口は非常にわずかであるうえに、ロシアにはウォッカおよび極寒による成人男子の平均寿命がきわめて短いという問題があり、潜在的には中国の人口圧力が絶えず国境地帯で作動している。

これにたいし、中国の場合は、ロシアと異なり、経済大国としての影響力を有している。これはこれまでの共産国家中国が、1949年の独立以来、「大躍進運動」、「文化大革命」といった政治動乱により、信じがたいほどの死者をもたらしてきており、世界戦略どころではなく、国内の混乱の連続する歴史を、清朝の没落時と同様に繰り返してきた国である。
 それに劇的な変化をみたのは1978年の鄧小平の復活による「改革開放路線」である。これはいまからみても奇跡ともいうべき社会・経済的状況の進展である。とりわけ、習近平が指導者になってからの独裁傾向は顕著であり、党内部での権力掌握(それは習が生涯トップであることが党大会で承認されるという事態に象徴される)とともに、国内での反対派にたいするかなり露骨な弾圧が、情報掌握テクニックを駆使しながら行われるようになっていることはよく知られている。反中国的報道を国民が自由に聞くこともSNS統制により難しくなりつつある (さらにその後の展開については後述する)

 *(世界中を見渡しても、一党独裁が実質のみならず、形式的にも採用されているのは、中国くらいである [ロシアの場合、西欧諸国と同様の政治システムを採用しており、大統領選挙、複数政党が存在している。プーチンが独裁化を進めるなか、それらが形骸化しているという問題がある]。そしてこの国の経済成長は、資本主義システムを採用することによって、なかでも海外からの直接投資による技術移転などを通じ、世界の工場とまで言われるような経済システムを構築するに至っている。資本主義とはなにか、そしてそれと政治システムとの関係はいかなるものとして理解すべきか、といった問題をわれわれに突きつけている。)

***

こうしてロシアでのプーチン体制の確立、中国の習近平体制の確立、そして両国の世界覇権を志向する意識的行動がリーマン・ショック前後から顕著になっており、2010年代には米中露三国体制の時代が開始されており、この流れが変わることはないような状況に立ち至っている

アメリカ:トランプ政権の孤立化政策により、これまでの同盟国との関係を「清算」する行動をとり続けてきている。他方、ロシア・プーチンの行動にたいしては黙認、もしくはできるだけそれに従うような政策をとってきている。このことはつい最近の国連演説でも明確に示されている。
トランプはアメリカの軍事支出を劇的に増大させているが、ソフト外交は完全に放擲しており、かつての同盟国を無視もしくは敵視するかのような言動を繰り返している。これにより、アメリカは覇権国家としての地位を劇的に低下させ続けているのである。

ロシア:ロシアは経済的には経済制裁や、資源依存経済状況があり、かなり苦しいのだが、軍事大国としての体制を立て直し、存在感を高めている。プーチンは「ロシア帝国」の再興を目指すような方針で臨んでいるが、客観的に見れば、かつてのソ連とは依然としてそれまでとは比べ物にならないほど世界的な影響力は小さいといえる。かつては地球上のあらゆる地域でアメリカと覇権を争っていたのだが、いまはソ連の消滅 (199112) と同時にそうした力は喪失している。かつての勢力圏内ではわずかにクリミア半島の接収を行ったのと、ウクライナ東部への介入が目立つ程度であり、対外的にはシリア戦争へのアサド支持軍事介入が唯一といってもよい状況にある。そして中国との経済的・軍事的関係を保ちながらアメリカに対抗していくような姿勢をみせている (が、本来的に中露がどの程度まで同船できるのか、未知数である)

中国:この10年間の中国は経済大国となり、その経済力により陸海空の軍事力を大幅に増強してきている。東シナ海・南シナ海周辺での強引な領地化も着々と実行して、実質支配に至っている。

それに劣らず注目されるのは、いわゆる「一路一帯戦略」(One Road and One Belt Initiative) (厳密には、「シルクロード経済ベルトと21世紀海洋シルクロード」(The Silk Road Economic Belt and the 21st-century Maritime Silk Road) である。中国大陸以西地域(中央アジア)からヨーロッパに向かう広大な地域をその経済戦略を利用することによって、そしてそれを利用しつつ、政治的影響力を明確に強めて実効支配していくという戦略である。

 この戦略は上記地域に限られているわけではない。目星をつけた国にたいし、インフラ建設計画をもちかけ、そして巨大なローンを組ませる。その国は、そのローンを用いて、中国企業にインフラ建設 (現地での建設は、中国人労働者によって実行されている)を発注する。それが完成しても、その国にはローンの返済を続けるような資金余力は持ち合わせていないのが通常であるから、結局ローンを支払えなくなり、デフォルトに陥る。そのとき中国はもとから狙っていた、例えば港を長期租借する契約を結ぶのである(かつての香港のような話)。こういう事態に陥っている代表的な事例がセイロンで、その港は上記の過程により中国が租借するに至っており、そして中国海軍がそこを拠点として使うということが現実化している (類似の例は、パキスタンにも見られる)
  中国はこうしたことを世界的に展開しているのである。とくに最近目立つのは、アフリカ大陸全土にわたって、中国はこの政策を敢行しており、かつてアフリカ大陸が西欧列強の植民地であったという時代から、いまでは中国がアフリカの覇権を握るような事態になっているのが現実である(そのため、とくにフランスでは焦燥感が漂っている)。最近の事例では、ジブチやザンビアが典型的な事例である。とりわけアフリカ東端にある小国ジブチは、紅海の入口にある重要な戦略的位置を占める場所にあり、そこを中国が実効支配するに至っているのである。またザンビアでも有力な鉱山、飛行場などが中国企業の傘下になっている。ケニアでは中国は超高速鉄道の建設に関与している。中国はデフォルトした場合に、それを契機に有力な鉱山資源を手に入れ、それを開発して中国に輸出するという行動をとっている。こうした現象は「デット・トラップ」と呼ばれている。

注意すべきは、中国にあっては、こうした一路一帯戦略の行使前から、アメリカに代わる国として、自らが中心となった世界体制の構築を試みていることである。それらを代表するものとして、上海協力機構、アジア・インフラ投資銀行(AIIB) [IMF &世銀に相当]、シルク・ロード基金 (Silk Road Fund) がある。

*この「デット・トラップ」はデット・クライシスでもある。開発途上国は、全体に巨額の債務を抱えている。そしてそれらはドル建てで組まれるのが通常であるが、近年FRBは金利を上昇させる方向に転じているから、それはこれらの国から見れば、ドル為替の上昇(現地貨幣の下落)とインフレを招くものであり、返済がきわめて困難となり、デフォルトの危険性が増している。UNCTADIMFなどがこれら諸国もつ危険性について警告を発しているほどである。

 いまでは世界中どこにでも中国の影が(見え隠れというよりも)見えている。南米大陸にも中国の影響力は顕著にみられる(最近ではベネズエラ支援の行動に出ている)。パキスタンへの強力な介入はいうに及ばず、マレーシア(最近、首相が代わり、元首相は収賄容疑で逮捕されている。高齢の新首相は、最近、中国のデット・トラップ政策を明確に批判する発言をしていて、注目されている)、カンボジアなどのインドシナ半島、セイロン(セイロンでは港湾を実質乗っ取っており、そこを海軍基地にしている)、さらにははるかバルカン半島もその掌中に収めており (モンテネグロでの高速道路の建設等々。EUは、バルカン諸国がまだ未加盟であったりしていることや、資金供与に消極的であることもあり、バルカン半島の期待に応えることができておらず、そこの間隙を中国は突いている)、枚挙に暇がないほどである。オーストラリアも、その資源は中国への輸出に依存しており、そして中国からの諜報的な干渉問題も現在、大きな政治的争点になっている。南シナ海領域も、中国の一方的な領土基地建設化行動により、自国領土を主張するという露骨な行動に出ている。

*アテネの港 (ピレウス) の重要な部分は中国が握るに至っている。

 これらの点において、中国に比べてのロシアの行動は取るに足らないものである。ロシアが行っているのは、西欧への反EU的政党への献金とか、アメリカを含む諜報活動の活発化といったものである。中国との差は経済力そして人口の差にある。
 
 また、これらの点では、オバマ政権のときにはすでにブッシュ政権のアフガン戦争・イラク戦争を回収・撤退する方針がとられていたこと、また2011年の「アラブの春」の想像を超えた展開のなかで、北アフリカ、中東が無法化地帯と化し、結果的にアメリカの影響力は大きく削減されていたが、トランプ政権になってからは全世界的に「孤立化政策」を進めてきており、世界への影響力は一層下落、そして米ロが諍いを続けるのをよそめに、中国がその結果できた間隙を、着々と「一路一帯戦略」を遂行することによて埋めている、という構図が続いている。

*最近、イランがアメリカの経済制裁の強化に窮し、資金援助を中国に求めるということが発生している。それにたいし、中国は積極的な対応を見せている。

中国のこの壮大なスケールでの覇権行動は、考えてみると、史上初めてのことだといえるかもしれない。アメリカは一国で世界を支配したのはわずか15年足らず (しかも安定したものではなかった) である。事実上の覇権国家となったのは、第2次大戦後の冷戦体制になってからである。この場合でも、中国の「一路一帯戦略」のような露骨な戦略をとったわけではない。ソ連との対抗軸としてその地位を確立したのである。

中国は、情報網を張り巡らして、国民の個人的レベルでの監視強化を徹底させる方針をとっている。つい最近ではグーグルとのあいだで情報網を監視するソフト(ドラゴンネットと呼ばれている)の開発を進め、グーグルが中国(共産党)の軍門に屈し云々が大きな話題になっている。

オーストラリアは中国との経済的結びつきが強いが、ここにきて中国からのスパイ活動が両国間の大きな政治的争点になっている。

もともと中国には多数の米企業が生産拠点として入り込んでいるが、そこには必ず中国諜報関係者が経営陣に入り込んでいる。そしてそれを通じて、高度の産業機密が共産党側に流れ、中国の経済発展の高度化を一層助けている、といわれている。いわばグローバリゼーションの恩恵を一層、自らのものにする手段をとっているのである。

こうしたことが、覇権国家中国によってとられていることは、今後の世界体制の動向を考えていくうえで、重要な視点になっている。

しかも、米ソ冷戦体制にあってはイデオロギー対立が大きな陣営分裂の基本となっており、世界のそのほかの国はこのイデオロギー(資本主義と共産主義)をもとにして、かつ軍事的な連携 (NATOなど)を中心にしつつ、副次的に経済的連帯を伴いつつ (マーシャル・プランはその強力な実行プランであった)、実現されたのである。

これにたいし、中国のとっている戦略は独特のもので、自国の経済力をもとに「一帯一路戦略」を通じて、経済的に支配地域を拡大していく(そしてつねに政治的影響力の行使を考えている)という方針を貫いている。

現在、グローバリゼーションを声高に唱道するのは、アメリカではない、中国なのである (トランプは、先日の国演説においてもグローバリズムを否定し、「愛国主義」を唱えている。もっともトランプはロシアに国を売っている愛国主義であるが)

米中露の三極体制が、今後、どのようなかたちで収束を見せるのかが注目されるところであるが、明確なのは、核軍事力においてはロシアは米と張り合えるが、経済的には(その軍事力も背景で生かしながら)中国が米を凌駕するような様相を見せながら、より大きな覇権国家になっていくという展望が見えてくる。

こうしたなか、日本がとるべき立場はどのようなものになるのであろうか。1つはトランプが続くかどうかにも依存するが、もはやアメリカにおんぶにだっこという状況は、客観的に見て終わりを告げている。すでに日本は中国の一路一帯路線のなかに、躊躇しながらであるが、メガバンクなども関与を始めるなどしている。米中の両者にどのようなスタンスをとりながら、生き残りを図っていけばいいのか、日本も (EUと同様に) 難しい局面に直面しているのである。

つい先だってまで、BRICs という言葉が流行語になっていたが、その後はそれほどの実態をもつことはなく今日に至っている。ブラジルは、ペトログラスをめぐる広範囲におよぶ政治腐敗により政治的破綻を起こしているし、ロシアは経済的にはとくに目立った業績を達成しているわけではないうえ、数次にわたる経済制裁により、むしろ苦しんでいる。中国は上記のようにすでにヘゲモンである。唯一注目に値するのが残るインドであり、インド(モディ首相)については、将来的な可能性も含め、別途扱う必要が出てきている。
つまりは、BRICsという言葉は実態を伴うものではない。米中露、そしてインドとして扱うべき問題であろう。
 
 *「s」はときおり、「南ア」を指すものとして使われていたが、この国もブラジルに似た状況で、政治腐敗、それに人種問題 (逆アパルトヘイト) などでかなりひどい状況におかれている。