2015年2月3日火曜日

ユーロ危機

『ケインズは資本主義を救えるか』昭和堂、2012年7月第8章



ユーロ危機


1. はじめに


2009年の春頃まで、EUはアメリカに対抗しうる巨大経済圏として高く評価されていた。1999年1月、EMU (欧州通貨連盟) が決定した統一通貨ユーロ(完全な切り替えは2002年1月)はドルに対抗しうる国際通貨として、高い評価を受けていた。当初、11カ国で始まったユーロ圏には、加盟を希望する国が相次いだ。それに、その前提となるEUへの加盟を希望する国も後を絶たなかった。
EUは(そしてEMUも)、こうした状況を誇らしげにしてきた。まるで、できるだけ多くの国をメンバーとして受け入れ、大きくなっていくことが、世界経済(そして政治)の場での発言力の拡大につながるかのように、突き進んできた。
EUは、設立当初、欧州石炭鉄鋼共同体に象徴されるように、経済共同体を目指す組織であった。しかし、1992年に締結されたマーストリヒト条約が示すように、EUはその後、通貨統合、共通外交安全保障政策、さらには司法・内務協力をも包摂する組織を志向するようになっていった。こうした経済を超えた拡張路線はさておくとしても、統一通貨ユーロ採択への危惧が唱えられなかったわけではない。だが、ユーロ採択後のユーロ圏経済の飛躍的な成長のもと、そこに潜む危険性・脆弱性は忘れられて、昨年までが経過したのである。
ユーロの採択がもたらした危険性・脆弱性を現実のものにしたのは、20089月に発生したリーマン・ショックである。後述するが、ユーロ圏(もしくはEU内部)で、ユーロであるがゆえに生じていた危険性・脆弱性が、リーマン・ショックの衝撃波を受け、タイム・ラグを伴いつつ、昨秋のギリシア財政危機として現出することになった。
翌年5月、リーマン・ショックに匹敵するような深刻な金融危機がEUを襲った。当初生じた問題はギリシアの財政危機であったのだが、ユーロ首脳がその対処に手をこまねいているあいだに、事態はユーロ危機へと急速な展開を遂げたのである。ここにきてユーロ首脳は、ようやく重い腰をあげ、ギリシアへの総額1100億ユーロの緊急融資枠、ならびに同様の事態を防止するための(7500億ユーロの)「危機基金」の設立に合意をみた。彼らはあわせて、ヘッジ・ファンドやデリバティブの規制に向けても同意に至っている。ユーロ危機も、2008年9月に発生したリーマン・ショックが受けた衝撃が大きな原因である。メンバー国の多く (PIIGSがとりわけ注目されている) は経済的困難に直面するなか、財政政策によりそれに対処してきた(金融政策、外為政策はECBに委ねているから用いることができない)。その結果、これら諸国は財政危機に直面することになり、(こうした問題への対処策を講じたことのない) ユーロ・グループはユーロそのものの存立を問われる事態に陥ったのである。急転直下、ユーロは輝ける星から、存続可能かという問題設定で捉えられるようになった。
 本章では、現在生じているこのユーロ危機を取り上げる。最初にそこに至る経緯を、続いてそれにたいしてどのような対策が講じられたのか、を説明する。そのうえで、ユーロ危機のもつ本性・特性について考えてみることにしたい。最後にその後の経緯について説明しておくことにする。
 

2. 経緯



2.1 ユーロがEU体制にもたらした脆弱性

現在のユーロ危機を現実のものにした事件として、先ほどリーマン・ショックをあげた。しかし、それは1つの引き金であって、実際の根本的問題はユーロ圏内部で、そしてユーロを採用したがゆえに生じていた。
 ユーロという統一通貨を採用したことで、ユーロ圏のいくつか(スペイン、ポルトガル、ギリシア、アイルランドなど)およびEU国のいくつか(ラトビア、リトアニア、エストニア、ハンガリーなど)で、実質金利 [ 利子率インフレ率 ]がマイナスとなり、資金を借りるだけで儲けが生まれる土壌が発生した。そしてその資金は、典型的には不動産市場に注がれることになり、経済のバブル化が加速度的に進行することになった。
1990年代に入ったEU経済のパフォーマンスは、よかったわけではない。むしろ停滞していたというべきである。ところがユーロの誕生によって、ユーロ圏の金融政策はECB(ヨーロッパ中央銀行)によって担われることになった。ECBはドイツの金融政策の方針を継承しており、インフレの抑制を唯一絶対の責務としていたが、初期のECBの利子率は低く、ユーロ圏に入った国のなかには、それまで高率の利子率、高率のインフレ率を経験していたから、ユーロの採用によって、上記の国のように、実質利子率が一挙にマイナスになる国が現れた。このため、資金を借り入れることが非常に有利となる状況が現出したのである。
これらのユーロ建て貸付は、各国政府の場合は国債、民間企業や個人の場合は債券やローンとしてなされた。この貸付の先頭に立ったのは、ドイツ、フランスなどの大銀行(そこにイギリスの銀行も加わる)であった(図6.1を参照)。つまり、ユーロ圏内のいくつかの国、ならびにEU圏内のいくつかの国にあって生じた景気の拡大、そしてバブル経済への突入に当たり、その先陣を切っていたのはEU有力国の大銀行である。
さらに問題なのは、ドイツ、フランスは自国の銀行がこうした貸付行動に走るのをなすがままに許したこと、そしてPI[I]GS (ポルトガル、アイルランド、イタリア、ギリシア、スペイン)の諸政府がルーズな財政政策をとっていることにたいし、知って知らぬふりをしていたということである。
そればかりではない。マーストリヒト条約で決めた「安定・成長協定」(財政赤字/ GDP比を3%以下、国債残高/GDP60%以下にするというルール」)を率先して破ったのは、他ならぬこれらドイツ、フランスなどであったという事実がある。現在、これらの国はそうした過去の自らの行為に目をつぶり、PI[I]GSなどの不行跡を責める感がある。
1992年のユーロの誕生は、ユーロ圏 そしてEU - に、上記のような状況を引き起こしていた。これが、リーマン・ショックの衝撃波で、若干のタイム・ラグを経て破壊的影響力を及ぼすことになったのである。 


8.1 ギリシア、アイルランド、ポルトガル、スペインの
債務残高にたいする外国[金融機関]の保有高
   
(出所:BIS統計)

2.2 ギリシア財政危機からユーロ危機へ

ギリシアの財政危機は昨年の秋、新政権により、前政権の国民所得統計の改ざんにより、「3%・60%ルール」がまったく守られておらず、非常に低い数値にされていたことが表明されるあたりから、始まっている1。以降、ギリシアは、満期を迎えた国債の償還にはたして応じることができるのかという疑念が、飛び交うようになる。
 ユーロ圏首脳はこの間、この問題に対処すべく会議を開き検討を続けた。だが、「会議は踊る、されど決まらず」状態が続いた。その大きな原因は、中心国ドイツにあった。何よりもドイツ国民のギリシア支援に反対する声が非常に強く、2010年の5月に重要な地方選挙を控えていたメルケル政権は、そのため動こうとしなかったのである。
そうこうするうちに、20089月に発生したリーマン・ショックは、EU経済にボディ・ブローのように効いてくることになる。ユーロの導入以降、上述のような理由で、不動産市場を中心に経済のバブル化が進展していたPIIGSを襲うことになったのである。これらの国は金融政策および為替政策をECBに委ねてしまっており、襲いかかる経済不況に対処するために残されているのは財政政策だけであった。その結果、巨額の財政赤字をメンバー国は抱えることになったのである。
EU首脳がギリシア問題への対処に手をこまねいているうちに、2010年4月になると、格付け機関S&Pがギリシア国債の信用格付けをジャンク・レベルに引き下げるという事態が発生した。この結果、ギリシア政府は国債を市場から調達することは不可能になった。そのうえ、上記のような事態が進行していたため、ポルトガル、スペインの国債の格付けも引き下げられるに至った。これらの事態は、ヘッジ・ファンドなどによるユーロ、ならびにユーロ建て国債を売り浴びせる投機を誘発させることになった2。ここに至って、ギリシア危機はPIIGS危機の様相をみせるに至り、一気に問題はユーロ危機へと展開するに至った。

3. 打たれた手

こうした緊迫した状況に追い込まれたユーロ首脳は、それまでとは一転、きわめて迅速で積極的な行動に打って出た。以下、それらをみていくことにしよう。

3.1 ギリシアの救援

5月1日、ユーロ圏15カ国およびIMFは、ギリシアにたいし、3年間で総額1100億ユーロの貸付けを行うことに合意した。メンバー国の貸付け額が800億ユーロ、IMFの貸付け額が300億ユーロで、貸付利子は5%である3。すでに第1回目の貸付けは実行されており、519日、ギリシアはその85億ユーロを用いて、満期を迎えた国債を償還している。

3.2 「安定化基金」の創設

ユーロ・メンバー国にはギリシアと同様の財政問題を抱えている国がいくつもある(PIIGS)。そこでこれらの国がデフォルトに陥らないようにし、ユーロを安定化させる目的で、EUIMFとともに、総額7500億ユーロの基金を創設することに同意した (以下、「安定化基金」と呼ぶ)。その内訳は、EU保証の債券で600億ユーロ、ユーロ・メンバー国の保証を付けた基金で4400億ユーロ、IMFからの出資で2500億ユーロとなっている。
安定化基金は、ユーロ危機をもたらすような事態の発生時にのみ用いられる。そしてこれは、融資を受ける国が財政規律を遵守する、そして遵守の状況を定期的にチェックし、守られていない場合、融資を打ち切る、という条件で貸し出される。安定化基金は組織的にはSPV(特別目的会社)の形態をとることになる。
 安定化基金が今後どのようなかたちで運営されていくのかはこれからのことである。当面は、EUがいざという場合には背後に控えているという存在感を示すことで、投資家に安心感を与える(不安感を払拭する)のが狙いであり、効果であろう。

3.3 ECBの行動 
ECBはドイツの金融界の伝統を継承し、その役割を専ら誘導金利政策によるインフレのコントロールにおいてきたが、今回のユーロ危機に対処するため、大きくそこからはみ出すことになった。ECB、国債の購入に乗り出すこと、すなわち公開市場操作を行うことを決定している。不良化しそうな国債の購入により、価格を上げ、利子率を下げる政策である。ECBはこれを一時的なものとしているが、そうはいかない可能性が大である。

3.4「安定・成長協定」の厳格化
ユーロ・システムは財政の統合は行っておらず、ユーロ圏全体の安定的な成長を維持するため、「安定・成長協定」を結んでいる。繰り返すと、財政赤字/ GDP比を3%以下、国債残高/GDP60%以下にすることを主たる内容とするものである。
だが、罰則規定はあっても実際に適用されたことはこれまで一度もない。記述のように、「安定・成長協定」は破られる傾向にあったのであるが、現在のような経済危機が続くなかでは、この協定を守ることは不可能であり、事実、守れている国はない、といってよい(表6.1を参照)。

8.1 破られた「安定・成長協定」(単位は%)
政府赤字/GDP (2009)3%以内)   
アイルランド 14.3
ギリシア
13.6
スペイン
11.2
ポルトガル
9.4
フランス
7.5
[ドイツ
3%以下]
(イギリス 11.5


国債残高/GDP (2009年末)(60%以内)
イタリア 
115.8 
ギリシア 
115.1
フランス
 77.6
ポルトガル
 76.8
ドイツ
 73.2
(イギリス
 68.1


(出所)EUROSTAT  ( [  ]をのぞく)

しかし、いま直面しているユーロ危機にあっては、「安定・成長協定」を守るようにしないかぎり、ユーロ・システムを維持することは不可能であるという危機意識が、EU指導国のあいだでは強く働いている。ユーロ防衛のためには「安定・成長協定」を遵守することが至上命題との考えのもと、それを守れないメンバー国にはさまざまの罰則を課すようにする、という動きである。

3.5 ドイツ政府の活動
あれほど逡巡していたドイツ政府がとった行動は、上記にとどまらない。(7月、難航の末、成立した)アメリカの金融規制改革法案に盛り込まれているような条項をユーロでも推進していく必要のあることを強く訴えるようになっている。以下、この点について記していく。

3.5.1 投機家との対決姿勢

第1に、「投機家」との対決姿勢を明確にしている。ドイツは単独でこのことに踏み込むことになり、5月19日「裸のCDS」取引の禁止を実行に移した。 
「裸のCDS」は投機というよりも「ばくち」行為である。ユーロ・メンバー国の国債や為替をこれらの手法を用いて売り浴びせることで、国債価格を暴落させることをねらいとしている。メルケルが行ったのは、ヘッジ・ファンドなどによるこうした「ばくち」行為を禁止することでユーロを防衛しようとするものである。
                      
裸のCDS - 通常のCDS (クレジット・デフォルト・スワップ) は、ある債券がデフォルトしたとき、その元本を保証してくれる保険である。債権(クレジット)がデフォルトしたとき、代わりに(スワップ)、元本を支払ってくれる契約である。
だが、裸のCDSの場合、債券がそもそも存在しない -だから裸 状態での取引であり、保険ではなく、投機である。いまX社が社債Aを発行しているとする。このとき、ある証券会社がこれをもとに、次のような募集をしたとする。
「社債Aがデフォルトしたらあなたにその元本を支払います。その代わり、掛け金をお支払いいただきます。」
 これにある人Yが応募した場合、これが裸のCDSである。Yは社債Aを購入していない。つまり、社債Aをネタに賭け事をするというのが裸のCDSである(この場合、この人はX社が倒産すると濡れ手に粟で大金がころがりこんでくることになる)。

3.5.2 「新しい安定文化」

2に、メルケル首相およびショイブル財相 は、次のような内容のユーロ防衛策を提案した。

(i) メンバー国の予算案への監視の強化
(ii) 財政規律の違反国にたいする厳しい罰則の導入 - EC(欧州理事会)での投票権の停止、国の破産手続きに関する規定

 これは、その前に、EU財相会議で同意されたヘッジ・ファンドの規制強化、トレーディング戦略の情報告知、金融取引税 [一種のトービン税] の導入に続くものである。さらに格付け機関の見直し(EU内での創設を含む)も検討課題とされている。
 メルケルの次のような一連の発言は、上記のようなドイツの試みを裏付ける決意の表明である。

「ユーロが倒れるとヨーロッパが倒れる。ユーロが危機である。もしわれわれがこの危険を避けることができないなら、そのときヨーロッパの帰結は計り知れないし、そのときにはヨーロッパを超えての帰結も計り知れないものがある」。

4.ユーロ危機考 

ヨーロッパに突き刺さっている大きな問題はPIGS、もしくはPI(I)GSである。ユーロ・システムのもとで生じたブームがバブルへと突き進むなか、リーマン・ショックで急転直下、バブルが崩壊することで生じた問題である。メンバー国PIIGSは金融政策、為替政策をもっておらず、加えて財政危機に対処するため緊縮財政をとっているため、不況からの脱出策をまったく有していない。そして緊急融資を受けるなか、さらなう超緊縮財政をとることを「トロイカ」(ユーロ・コミッション、ECBIMF)に要請される。デフレ・スパイラルのワナに入ったままである。
ここでは、ヨーロッパが陥っているユーロ危機について、立ち止まって考えてみることにしたい。経済的問題と政治的問題に分けてみていくことにしよう。

4.1 経済的問題

ヴィクセルの累積過程・円キャリー・金融のグローバリゼーション - 19991月から部分的に採用されたユーロは20021月になると本格的にメンバー国で使用されるようになった。この当時、アイルランドは「ケルティック・タイガー」と呼ばれ、その経済成長は奇跡的なものとして賞賛された。きわめて低い法人税率は多数の外国企業の誘致をもたらし、それが経済成長を引き起こしたのである。スペインも経済は好調で、多数の移民が流入してきており、それらが住宅市場や不動産市場に活気をもたらしていた。ギリシアでもアテネ・オリンピック(2004)を迎え、建設を中心に経済は好調であった。つまり、いま窮状を訴え、苦しんでいる国は、2000年頃、ユーロとは無関係に好調な経済状況にあったのである。
 他方、ドイツ経済は不振であった。ドイツは90年代、東西ドイツの統一により、東ドイツという重荷を背負うことになり、失業問題は慢性的に高率であった。
 さて、こうした状況下でユーロが実施に移された。1998年に創立したECBはドイツ連銀の強い影響下におかれ、その政策目標も物価の安定におかれており、景気対策はその仕事とはされなかった。また為替についてもそこへの介入はしない方針を採用していた(実際にはしているが)。物価の安定のため、重視したのはマネー・サプライM3ならびに政策金利(ルポ)の設定である。
 ECBは政策金利を2002-2006年の長期にわたって2%という低金利に抑えた。これは低迷するドイツ経済を配慮してのことだとされる。このことが、すでに好調な経済状況にあった上記アイルランド、スペイン、ギリシアに油を注ぐことになった。とりわけ低利で供給されるユーロ・マネーはこれらの国の不動産市場に流れ込み、しだいにそれはバブル的様相を呈していった。とりわけ、スペインやアイルランドでそれは顕著であった。
このような事態は、ヴィクセル的な (上方への) 累積過程の発生4と表現することも可能であろう。つまり、低い金利で借り入れて、高めの物価で販売するという行動が累積的に上昇していくという事態の出現である。このことが、ユーロ圏の広い範囲にわたりバブル現象を引き起こす誘引になったといえる。
 さて、2002-2006年というのは、アメリカで景気が拡大した時期である (イギリスもそうである)Fedによる低金利政策は住宅市場を活性化させ、アメリカは消費の拡大にも促進されて経済的繁栄を謳歌した。この過程をさらに促進したのが、「円キャリー」であった。ゼロ金利で借りた円がドルに換えられたうえでアメリカに持ち帰り、高収益をあげる業種に投入されたのである。同様の行為がスペイン、アイルランドにおいてもなされたことは容易に想像がつく。
 ECBの低金利政策、円キャリーをあげたが、もう1つ重要なのは「金融のグローバリゼーション」5が完成状態に至っていたことである。1999年にはグラム=リーチ=ブライリー法が成立しており、金融機関がグローバルにあらゆる投資・投機の機会をつかまえて、しかも誰からも監視を受けることなく行動できる自由 金融の自由化は金融機関の横暴を許容するまでの自由化であった のもと、SBSは拡大の一途をみせ、さらには証券化商品が乱発されるような状態になっていた (こうしたことは、ギリシアがユーロに加盟するさいにゴールドマンサックスが謀略を図ったという一例を思い出すことで、臨場感が出るというものである)
  以上をまとめると、すでに好調であったスペインやアイルランド経済は、ECBの低金利政策、円キャリー、金融のグローバリゼーションにより、バブル状態に到達してしまったということである。この点ではアメリカ経済と酷似した状況にあったのである。そしてリーマン・ショックにより、メルトダウンを引き起こしたのも、同様であった。

実体経済の格差問題 - ユーロ圏にいるというのはどういう意味があるのかを考えてみよう。まず何よりも、域内取引はユーロでなされるから為替問題は存在しない。ドイツからギリシアに大量の乗用車が販売されている。これはドイツからみると、「輸出」であり、ギリシアからみると「輸入」である。いうまでもないが、国際収支の計算は、独立国の他国との取引関係を記すものである。ドイツは世界第2位の輸出国であるが、その内訳はユーロ圏内、EU圏内、そしてその他、によって構成されている。しかし、「EU圏内」および「その他」との関係では為替変動が生じているが、「ユーロ圏内」との取引ではこの問題が存在しない。
 だが、ユーロ圏全体でみると、こうした域内取引はつねに国際収支上ゼロである。ドイツからギリシアに乗用車が売られても、ユーロ圏でみるとそれは域内取引であり、ユーロの為替相場に影響を与えることはない。
 ユーロ圏にとっての国際収支への影響は、域外の国との取引によって生じる。かりに域外取引で、ドイツが100億ドルの黒字、ギリシアが30億の赤字だとする(他のメンバー国は全部合わせてゼロとする)。このとき、ユーロ圏全体では70億ドルの黒字となる。これがECBの取り仕切るユーロの為替レートに影響を与える部分である。ユーロの対ドル・レートを決めるのは、ユーロ圏全体の国際収支の状況であって、個々のメンバー国の国際収支ではない。
次に問題になるのは、ユーロ圏の国際収支問題において、ドイツが圧倒的な寄与率を有するから、ユーロのレートはドイツの経済情勢によって決定されることになり、周辺国ギリシアはほとんど影響力をもたない。この場合、ギリシアからみればユーロは高めに推移することになるから、輸出の増大は望めないということになる。
他方、メンバー国は財政的な独立性を有している。だがそれを自由にしてしまうと、ユーロ全体の秩序を乱すことになるので、「安定合意」という紳士協定が策定されたのである。だが、これが守られなかったことを、ギリシア国民の怠惰とする考えがとくにドイツにはみられが、これは説得的なものではない。金融・為替政策という政策手段がとれないギリシアが経済の舵取りをできるのは唯一財政だからである。競争力をなくし悪化する経済(優秀な製品はドイツから入ってくる)のもとでは、ギリシア企業の業績績は落ち込み、すると税収も減り、財政も悪化する。こうした悪循環が生じるであろう。
 つまり、ギリシアの財政悪化を国民の怠惰に帰するのは経済論的にみて説得的なものではなく、実際は、ユーロ圏内での経済的不均衡(ドイツとギリシア)が現在のユーロ危機を引き起こす大きな原因になっているのである。域内間でのインバランスは、労働の生産性、技術力といった格差によって生じてきている6。この問題を解決できないかぎり、ユーロ危機は解決できない。それはベイルアウトと超緊縮財政の強制で解決できる問題ではない。
 一番の問題は、これら諸国に経済を立て直す政策手段が欠落していることである。金融政策、外為政策はECBに委譲してしまっている(これが統一通貨ユーロを使っている意味でもある)。財政政策は超緊縮財政というデフレ政策をとっている。経済はデフレ・スパイラルに入り込んだままである。EU/IMFが行ってきていることは、ベイルアウトとその交換条件としての超緊縮予算の執拗な要求のみである。つまりEUとしてメンバー国経済の内需を刺激させる手段の提示がない。

打ち出された対策の特性 既述のように、EMU首脳はユーロ危機に直面して矢継ぎ早に対策を打ち出した。そのなかには今後の制度的枠組みも含まれている。しかし、ユーロ圏の今後は非常に不安定であって、これで問題が解決できるわけではない。
これまでに合意されたのは、ギリシア救済、ならびに「安定化基金」の創設である。さらには「安定・成長協定」遵守の厳格化への動きがみられる。それにドイツの場合、投機行為にたいする禁止的政策(その後、メルケル首相=サルコジ大統領による共同書簡を経て、EU全体で取り組む問題になった)が続く。
 だがこれらはいずれも、金融システムを健全化させるための予防的性格のものであって、EUの実体経済を立て直すことに関しては、何の対策も講じられてはいない。ユーロ・システムの防衛のみが問題視されているが、実体経済の窮状を解決することなくしては、ユーロ問題の根本的な解決は望めないのである。
ユーロ圏のメンバー国は16カ国である。その多くが不況に苦しんでいる(表2を参照)。現在大きな財政的・経済的問題を抱えて苦しんでいるのは、PIIGSである。ポルトガルやギリシアの場合、これといった産業がない。一時、ドイツ、フランスから安い労働力を求めて多くの工場が建てられたが、それらはすでにもっと賃金の安い新しいメンバー国に移動してしまっており、経済の発展はおろか回復のメドすら立っていない。スペインやアイルランドは不動産バブルの崩壊で、ひどい状況におかれている。
ドイツは最大の経済大国であるが、依然として輸出主導型であるうえに貯蓄志向が強い。このことが他のユーロ・メンバー国の輸出への道を閉ざし、需要の拡大を停滞させ、経済の停滞に輪をかけている(メンバー国は為替レートの調整で事態を改善することができない)。

8.2 20104 失業率(%
ユーロ圏全体 10.1
ドイツ 7.1
イタリア 8.9
フランス 10.1
ポルトガル 10.8 
アイルランド 13.2
スペイン 19.7
 EU圏全体 9.7
        出所EUROSTAT

 こうしたユーロ内部における経済のファンダメンタルズ7に目をつぶり、超緊縮財政を守れ、守れないと金は貸さない、といってみても、ない袖は振れない。困窮した国は、「やれるものならやってみろ、お前らも破産するぞ」と開き直るかもしれない。
 ユーロ・メンバーは金融政策、外為政策をECBに譲り、そしていま不況に対処する唯一の方策である財政政策にも大きな足かせがはめられている。メンバー国には景気対策の手段がまるでないのである。そして、規律が守れないならもう貸さないと締め付けられる。こうした屈辱にこれらのメンバー国の国民は、はたしてどこまで耐えられるのであろうか8
財政の悪化は、「だらしのない」使い方にすべての責を押し付けられる性質の問題ではない。国債の発行は内需の拡大に貢献しているのである。もし国債の発行がなければ、内需の減少はもっとひどいことになっていたであろう。財政の建て直しが金科玉条のように述べられる傾向がみられるが、財政再建は超緊縮財政的努力で解決できるものではない。経済活動自体の復活がみられないかぎり難しい問題である。
現在、メンバー国(そうではないイギリスも含め)では、超緊縮財政の大合唱状態である。だからEU経済には一層厳しいデフレが控えている。緊縮にすれば家計ならば改善されるが、国は異なる。マンデビルの、厳格な蜂社会では社会はさびれる一方になる。
次のような根本的問題はないであろうか。成熟期に入った資本主義システムにあっては、内需を十分に喚起できない傾向がみられる、という点である。内需が十分に喚起できないから政府による支出に頼らざるをえない。しかし政府に頼っても、市場経済の自律的回復をもたらすまでには至らない。先進国経済がこうした循環的特性を有するようになっていることを忘れて、赤字財政のみを問題視しても問題は解決しない9

4.2 政治的問題 目標の喪失

EUはメンバー数を異常に増大させたこと自体が失敗であった。クロアチアまでが加わって、現在28カ国が加盟しているわけだが、そこにはかつてのドイツとフランスの確執を払拭するべくヨーロッパの統一を目指したときのスピリット(シューマン・スピリットというべきもの)から大きく逸脱してしまっている。ポーランド、ハンガリーなどの共産主義圏、ラトビアなどのバルト3国を加えたのは、東欧圏の資本主義化への熱望に応じるということもあっただろうが、それ以上に経済的大国主義意識が濃厚であったと思われる。大きな市場を取り込むという意識の方が強く、かつての統合スピリットから大きく逸脱していったと思われる。その典型はNATOへのこれらの国の加盟を推し進めた点にもあらわれている。
 拡大につぐ拡大はEUの世界における権威を高めるとの期待と打算とのもとに開始されたが、その統合化はそもそも非常に中途半端なものであった。統一通貨ユーロを生み出すも財政的問題の統合はできずにきてしまっている。そして図体は大きくなっていったが、それとともに足腰は弱った巨人となりつつある。図体が大きくとも、政治的・軍事的にバラバラなままであるから、かえって意思統一は取りづらい状況下におかれている。
 そして政治的にはEUはかつての共同体精神を喪失しつつあるという危機がある。ドイツはできることならPIGSを切り離したいと思っているかもしれない。しかしそれは難しい。これらの国がデフォルトすれば、ドイツ・フランスなどの大銀行は直ちに危機に追い込まれる。これらの国の国債、そして民間経済に莫大な資金を貸し付けているのは、ほかならぬドイツ・フランス(そしてイギリス)の大銀行なのである。借り手が倒れれば貸し手も倒れる。コンテイジョン (contagion) が一挙に広がることになる。
ベテランのEUアナリストは、こうした事態に陥っているEUを、かつての統合化を目指して熱意をもってことに当たっていた指導者世代が終わり、いまのEUには理念なきナショナリズムが蔓延しており、EUは解体への道を歩んでいると論じている。それもユーロ・スケプティクではなく、ユーロ派の代表的論客がそのことを論じる事態になっている。
 逆に、この危機をチャンスととらえる人もいる。つまり、財政的な統合化、政治的な統合化への道をとるべき機会だというのである。しかし、そのような情勢の到来はほとんど絶望的である。統合の中心たるドイツそのものが、いまは自国中心の政策を邁進している有様なのである。

5.むすび 

2000年代の初頭、あれだけ羨望のまなざしをもって賞賛されていたたユーロは、ここにきて大きな欠陥を抱えるシステムであることが露呈してしまっている。
5月に合意された「ベイルアウトと超緊縮予算の実施」というパッケージはユーロ危機の本質的解決策を与えるものにはなっていない。金融政策、為替政策をもたず、いまだらに超緊縮予算の遂行を要請されているこれらPI (I) GS諸国は自らの経済危機に立ち向かう政策手段をすべて剥奪されているうえに、さらに大デフレ策を実行している。その結果、経済状況はさらに落ち込み、目論でいた財政の改善は達成されずに、デフレ・スパイラルのワナに落ち込んでいる。メルケルは、メンバー国に財政規律を守らせ、それを守れない国にはペナルティーを課す旨の政策をユーロ圏の条約に加えことを主張しているが、そうした政策の強要が経済の一層の悪化を招くことで、上記の国は破綻的状況に追い込まれている。
ユーロ危機の本質的な問題は、ドイツとPI (I) GSのあいだの経済的アンバランスである。ECBの金融政策はドイツ経済を優先してなされている。その影響のもと、ドイツは輸出産業を伸ばしてきたが、他方、PI (I) GSは低利資金を不動産投資に用いてきた。あるいはこう言うこともできよう。ドイツで発生する過剰貯蓄はPI (I) GSに貸し付けられてきた。このアンバランスはユーロ誕生以来ずっと継続してきたのだが、リーマン・ショックを引き金にしてPI(I)GSでのバブル崩壊を招くことで、ユーロ危機をもたらしたのである。
さらに問題となるのは、ユーロの崩壊ではなく、EUの存続自体である。いまEUはその創設精神 ヨーロッパ共同体精神 を喪失しかかっている。シューマン的精神が著しく後退し、自国優先主義が横行し始めているのである。ユーロ・スケプティクではなく、ユーロ促進派の代表的論客であった人物が、こうした事態に陥っているEUを、かつて熱意をもって統合化に尽力してきた世代が終わり、いまのEUには理念なきナショナリズムが蔓延している、と非常に悲観的な見通しを立てるに至っている。ヨーロッパは分裂し、人種問題がナショナリズムの高揚するなかで激化する危険性が増大している。その結果、EUのそもそもの成り立ちが目指してきたそうした危険性の除去が皮肉なことできなくなってきている、という不気味な予告を立てている。
ユーロ、EUは深刻な曲がり角を迎えている。


1) それに加え、ギリシアをユーロ圏に加入させるため、ゴールドマンサックスからの提案で、「3%・60%ルール」に収まるようにみせかける為替スワップ操作が行われていたことも明らかになった。
2) 後述の「裸のCDS取引」、「裸の空売り取引」はその代表格である。
3) ただし、この貸付けは、ギリシアが約束した超緊縮財政を守り続けるという条件付きでなされており、それが破られた場合、打ち切られることになっている。    
4) もう1つの説明方法が2.1で言及したマイナスの実質金利の発生である。
5) 12章第2節を参照のこと。
6) これはミクロ的な要因による説明である。
7) ここで言及しているのはマクロ的要因である。
8) メンバー国だけではない。20107月、ハンガリー政府とEU/IMFとの借款交渉が、財政規律問題をめぐり対立が生じ、暗礁に乗り上げるという事態が発生した。同様の問題を抱える他の非ユーロ圏のEUメンバー国にも波及しかねない危うい問題である。
9) それに金融政策についてはだれも文句や批判の眼を向けようとはしていないという奇妙な非対称性がみられる。