2013年9月24日火曜日

講演 「資本主義はいずこへ」

 講演

「資本主義はいずこへ」
平井 俊顕
 

■ケインズとの出会い + 「資本主義はいずこへ」■
 
今回の講演会のことでA先生と話し合っているときに、「世界経済の危機的状況をめぐって」というテーマで行こうということになりました。そのときに、ケインズ学会から『危機の中で<ケインズ>から学ぶ』(作品社、2011) を出したことが脳裏をよぎりました。この本ではじつにいろいろのサイドからの議論がなされており、大変有意義なものだったのですが、世界経済の危機的状況について論じられることはなく、日本経済のもつ問題に焦点がおかれていました。今回の講演のテーマはこうして決まりました。
 少し個人的なことから入りたいと思います。私の専門は経済学史です。どのようなことを行ってきたかを簡単に申しますと、例えば、ケインズはいろいろな理論を構築してきました。 1936年の『一般理論』は最も有名ですが、それ以前からいろいろな理論を考案してきています。例えば1923年には『貨幣改革論』【▼注】1930年には『貨幣論』【▼注】が刊行されています。こういった理論的構築を続けるなか、ケインズは一体、自分の理論をどういうふうに変えていったのかということに興味を抱きました。それで、いろいろな一次資料を利用しながら彼の理論構築の過程を組み立てていくといったことを行うようになりました。この作業は、いろいろな仮説を考えながら組み立てる性質のものですが、これも結局一種の理論構築です。探偵が犯人を見つけ出すためにいろいろなストーリーを推察していくのと似ています。そういうことを私は長い間、やってきました。
 しかし、こうした理論的作業を続けているうちに、しだいにケインズのもつきわめて幅広い活動に、次第に興味を覚えていくようになりました。例えば、ケインズは哲学者でした。ムーア、ラッセル、ラムジー、ヴィットゲンシュタインといった当時の世界を代表する哲学者がケンブリッジで活躍しており、ケインズはそうした渦中にあって、最初に手がけたのが哲学でありました。彼がキングズ・カレッジのフェローになったのも、この分野なのです (後年、『確率論』[1921]として刊行)。またケインズは官僚としても輝かしい活躍をみせています。第一次大戦後のヴェルサイユ講和会議での活動や第二次大戦時の戦後世界システムの再構築をめぐる重要な提案などは歴史に残るものです。彼はまたジャーナリズムでの活躍(それも自ら雑誌を刊行することも含めてです)や政治的活動(自由党の「ニュー・リベラリズム」の知的リーダーでした)も行っていました。
もちろん、ケインズの本領は経済学およびそれに関連しての経済政策の分野にありました。この分野でも彼は、当時のケンブリッジの経済学者の中で、ピグー、ロバートソンなどとともに中心的な位置を占めていました。それに大急ぎで追加する必要がありますが、
当時の重要な文化サークルである「ブルームズベリー・グループ」の中心メンバーでもありました。ここにはロジャー・フライ、ヴァージニア・ウルフ、リットン・ストレイチー、レナード・ウルフといったそうそうたる人材が含まれていました。
そのため、私も次第にそうした多彩な領域に興味が惹かれるようになっていきました。
経済学に限定しましても、例えば、ケンブリッジ学派の経済理論・社会哲学は一体どういうものであったのかを個々の人物を対象に調べ、そのうえで全体としてどのような特徴があり、相違があるのかといった課題があります。さらには、オックスフォードではどうであったのかとか、同時代のヨーロッパ大陸での経済理論・社会哲学はとか、あるいは以前の時代との異同点はどこに見出されるのか、とか、いろいろな関心が生まれてきたりするものです。若い人に言いたいのですが、当初、特定の誰かに興味をもち、その人のことを研究することに専念してみるというのも、悪くない研究法だと思います。そこから次第に何らかの広がりが生じてくることが期待されるからです。
以上、経済学史のことをケインズと絡めて説明しましたが、今日のテーマに入る前に、もう1点申し上げておきたいことがあります。それは、10年ほど前から、専門分野しかやらないことにたいしては、じつは問題を感じていたという点です。自分が20歳ぐらいの頃、経済学を勉強しようと思ったときの初心を忘れて、気がついてみると、非常に細かいことばかり追いかけている自分がいました。初心に戻ってもっと大きなテーマ (例えば「資本主義とは何なのか」) を扱えないものかという思いは、時とともに強くなっていきました。10年ぐらい前のことですけれども、そのための研究会を主宰して議論を続けたり、さまざまな研究者と、「市場社会とはなにか」、「どうなる私たちの資本主義」といったタイトルの共同著作を刊行してきました。こうした背景があったので、リーマンショックが生じたとき、現在の世界に生じている問題に直接取り組んでみたいという気持ちが大変強く生じたと言えます。これは同時にブログでの活動と並行して進行することになり、以来、それから45年が経ったという次第です。
 ですから、私は、今回のテーマである世界経済論を専攻してきた者ではありません。いま述べたような経緯の中でこの分野にたどり着いたという感じです。この数年、私の脳裏を支配しているのは経済学史ではなく、ずばり「世界経済の危機的状況」という問題なのです。これが冒頭に述べました、黒木先生とのあいだでこのテーマを持ち出してきた理由というか、背景です。
 この話をしていた頃、それまでの数年間、世界経済をみて観察し、考えたことを、『ケインズは資本主義を救えるか ― 危機に瀕する世界経済』(2012年、昭和堂)という本として刊行しました。そこで、A先生から、「では先生も、講師にお願いいたします」との声がかかることになり、いまここに立っているという次第です(ちなみに申しますと、実は私は「資本主義はいずこへ」みたいなタイトルを考えていました。いろいろあって、最終的には上記のタイトルになりました)。
 ですから、世界経済の危機的状況をめぐってこれから行う話は、『ケインズは資本主義を救えるか』に基づいたものです。そこで述べたことのうち、とくに言及したいと思うことを取り上げてお話していくことにいたします。

資本主義はいずこへ
リーマン・ショックによって、社会哲学および経済学に大きな転機が訪れました。自己責任原則のもとでの自由放任を主張し、それにより資本主義は限りなき成長が可能となると謳った「ネオ・リベラリズム」、非自発的失業を否定し、完全雇用を当然視する前提のもと、脆弱なミクロ理論に依拠しつつ組み立てられた「新しい古典派マクロ」の権威 ― これは20以上にもわたり支配的で、逆に「ニュー・リベラリズム」およびケインズ経済学は、攻撃を受け、苦しい立場におかれていました が溶解しました。
崩れ去った社会哲学、崩れ去った経済学の瓦礫の向こうに政治家 崩落し
た現場の立て直しに迫られた政治家。ここではとくにオバマをあげればいいでしょう が見出したもの、それがケインズであり、ルーズベルトでした。
 オバマ大統領が就任直後に打ち出した「アメリカ復興・再投資法」(ARRA)
は、財政政策を重視するもので、たしかにきわめてケインズ的でした。しかし、忘れてはならないことがあります。新たな事態の発生にあたって、それに対応する理論・政策が新たな次元で打ち立てられたわけではないという点です。オバマ政権を支えた経済学者はニュー・ケインジアンです。(今は辞任していますが)、サマーズ【▼注】(国家経済会議議長。大統領に直接、毎日アドバイスできる立場にある) とか、イェレン【▼注】(経済諮問委員会委員長) といった人があげられます。
 しかし、ニュー・ケインジアンは、ケインズ派とはいっても、分析ツールとしては「新しい古典派」から多くを借りてくるかたちでつくりあげられてきています。(オールド・) ケインジアンとニュー・ケインジアンとは理論モデルにおいてまったく異なっています。とはいえ他方で、ニュー・ケインジアンは、(オールド) ケインジアン的な見解 例えば、市場メカニズムを絶対的には信をおかない、非自発的失業の存在の承認、有効需要の承認など ― を支持しているという点で、その系統に属しています。ですから、必ずしも (オールド・) ケインジアンを捨てきったわけではありません。そういう人たちがオバマ政権の重要な経済ブレーンになったときに、彼らは大胆な財政政策を打ち出したわけです。そこで次の問題を提起しておきたいと思います (彼らはその点を解決していないと思うので、考えてみるに値すると思います) ―「新しい古典派」からの借り物で理論武装していた「ニュー・ケインジアン」による「オールド・ケインジアン」の政策採用という現実をどう評価すればよいのだろうか。
ただ一つ言えること、それは経済学者は右往左往しているということだろう
と思います。
それから、次に、ケインズの今日性ですが、メディアでは、専ら公共投資、あるいはフィスカル・ポリシー[▼注] のみで取り上げてきており、それ以外にはほとんど言及されることがありません。これはケインズ評価においてとんでもない誤解を招きかねない捉え方です。ケインズの今日性をより根源的に問うことが、じつは必要なのです。それは経済理論のあり方を問うという問題とも深く関係する論点であります。。
 今の世界でとてもおかしいと思われるのは、財政政策と金融政策が非常にアンバランスな評価・扱いを受けている点です。金融政策においては中央銀行が何を決めても誰も文句を言いません。バーナンキがQE3 量的緩和政策第3)を遂行するとしても、誰も文句を言わずにそれを承認しています。欧州中央銀行(ECB) も、日銀でも、そうですけれども、金融政策の独立性ということがとても重要視されており、わずかの人間が話し合いにより、何かを何十兆円買うとか決めても、誰も文句を言わないですよね。「ああ、そうですか」と聞いている。ところが財政政策となると、これはまったく逆になっています。まず政府が予算項目として取り上げらます。そしてそれが議会に出され、それからは与野党間で激しい議論が長い時間をかけて続けられ、その結果、議会での与野党間の議席数に依存して しかも、この間、テレビでの中継を含め、審議過程が公開されています ―、それらが廃案になったり、大幅な妥協が図られたりするわけです。
 財政政策と金融政策のこの扱われ方の極度のアンバランス、これは再考の余地があると思います。
 リーマン・ショック後の世界経済はどのような特徴をもっているかと申しま
すと、2つの対照的な局面に分けて考えることができます。ケインズ政策の復
活期と超緊縮財政路線の蔓延期です。その境目は20105月あたりになると思
います。この頃、アメリカでは財政均衡を主張する共和党およびティー・パー
ティの運動が大きな動きとなり、同年11月の中間選挙での対照へとつながり
ました。またEUでは、ギリシア危機が顕在化し、それがユーロ危機へと進展
したため、ユーロ・システムを防衛するために、メンバー国に超緊縮財政政策
の実行を明確にしました。

資本主義を社会哲学する
私たちがいま生きている経済システムは「資本主義」と呼ばれています。しかし、「資本主義とは何ですか」と改めて問われると、論者によってさまざまな異なる答えが返ってくると思います。以下は私なりの理解であることを、あらかじめお断りしておきます。

資本主義の本質的特性   次の5点をあげたいと思います。 (i) 動態性、(ii) 市場と資本、(iii) 企業、(iv) 不確実性、(v) アバウトさ (あいまいさ) がそれらです。
資本主義は動態的なものです。「動態なくして資本主義なし」とは、シュンペーターの有名な言葉ですが、そういう風にとらえていただければと思います。言葉を返せば、資本主義は静態的ではない、ということになります。そしてその動態性は、具体的には、市場という場と資本という手段、そして企業という主役によって実現されています。
資本主義は不確実性につねに直面しているシステムです。企業は、非常に不確実な将来に向かって進むことを運命づけられています。どれだけ売れるか定かではない製品を開発して市場で販売するわけですが、それがもうかるか、もうからないかは、いかに予測を立ててみても、結果を決めるのは市場です。そしてこの市場の動向は、ライバル企業や消費者の反応のみならず、マクロ的な経済状況、さらには突発的なできごとに大きく左右されます。そうした状況下で、企業は、つねに意思決定を下して前に進むしかないわけです。資本主義の「不確実性」は、その「動態性」と表裏一体をなしているとも申せます。
 「アバウトさ」(あいまいさ) をあげましたが、これは次のようなことです。企業は営業活動の成果を知るには複式簿記に基づいて帳簿を作成する必要があります。小さい企業であっても、取引される商品の種類は相当な数になります。それが半年とか1年でどれだけもうかったのか、あるいはもうからなかったのかを数値として判断するためには会計作業が不可欠です。この会計帳簿には、多くの「アバウトさ」がつきまといます(減価償却の方法、取得原価主義,時価会計主義などはその一例)が、それは省略いたします。
資本主義経済では、たえず物価の変動 (インフレおよびデフレ) が生じています。このような状況が生じても、そして物価の上昇や下落が激しい状況が生じても、個々の企業はその点を調節して記帳することはできません。その時々の名目の価格で、貸方、借方に記帳していき、その結果をある時点で評価して、利益が出た、出なかったということを計算するしか方法がありません。これ自身、じつは「アバウトな」数値になります。インフレやデフレが激しいものであれば、個々の企業の決算もその点を考慮しなければ、実際の利益は分かりません。が、個々の企業会計はそうした調整をすることは不可能です。
 一国の経済パフォーマンスとなりますと、通常GDPで測るのが一般的です。これは、結局のところ、上記のミクロ・レベルから、様々な手法を用いながらマクロ的に集計して作成されています。私たちは、一国の経済パフォーマンスをこれにより判断しています。そしてこのマクロ・レベルに達したときに、ようやくGDPデフレーターが登場し、物価変動の影響を除去した実質GDPが得られます。つまり、ここでいう「アバウトさ」とは、ミクロ・レベルでの「アバウトさ」がマクロ・レベルでの「アバウトさ」をもたらしており、その修正はGDPデフレーターにより、いわば事後的に、かつ部分的になされるだけです。
このことを資本主義の「アバウトさ」と呼んでいる次第です。

資本主義の問題点   上記の特性をもつ資本主義がもつ問題点として次の3点をあげることができます。(i) バブル現象、(ii) 腐敗と不正、(iii) 格差問題がそれらです。

バブルが例外的にしか生じない現象であればまだいいのですが、この20年間、バブルは常習的に世界経済を席巻してまいりました。20年前、日本で不動産・株式を中心にバブルが発生し、それが破裂するということがあり、それは金融システムを大きく毀損しつつ日本経済を大きな混乱と困難に陥れました。米欧はそれを冷ややかな目でみており、「わが国ではそうしたことは起きない。起きても迅速に対処するし、できる」と考えていた節があります。
しかし、現実には、あろうことにアメリカで不動産バブルならびに証券化商品バブルが発生し、サブプライム・ローン危機から、ついにはリーマン・ショックを招来しました。それはアメリカ金融システムの崩壊を通じ世界経済への巨大な負のインパクトをもたらすことになりました。その余波は1年後にユーロ圏において、アイルランド、スペインなどで生じていた不動産バブルの崩壊を招くことになりました。その後、ユーロ圏では、PIIGSと呼ばれるように、多くのメンバー国の国債市場の利回りを危機的水準に引き上げることになり、以来、メンバー国は巨額のベイルアウトを「トリオ」(EC ECBIMF) から受け、その代わりに超緊縮政策の遂行を要求される、ということが、繰り返しおこなわれてきています。
 バブル現象自体があるレベルを超えてしまうと、驚くべきハイレベルのテクノロジーと合理的経営能力を有する企業、金融工学による資産運用を行う金融機関によって担われていると豪語されてきた現在の資本主義システムは、それをコントロールする力を喪失し、
バブルの破裂のなかでもがき苦しむという事態を曝け出す始末です。この問題を解決するすべを有していないから、今の世界資本主義危機につながっています。

腐敗と不正ですが、資本主義にはいくつかの手法(帳簿操作、株式市場の悪用、市場の不存在と不透明化による利益の収奪法など)をあげることができますが、ここでは「強制貯蓄」をとりあげてみようと思います。これは簡単に言うと、次のようなことです。今は資本主義の円滑な運行に当たっては、金融がいかに行われるのかは、本質的に重要であります。信用創造で貨幣を手にした主体 (それは政府でも企業でもいいのですが) が最初にGDPのある部分を物的に購入したとします。すると、残りの国民は先取りして買われた商品以外のものしか買えません。そのことは、当然、相当なインフレを引き起こすことになります。インフレが引き起こされることで、国民は強制的に貯蓄させられるというわけです。 
こうした「強制貯蓄」は、今の金融が資本主義システムにおいて重要な位置を占めている、あるいは占めすぎたために、簡単に起こり得る現象です。つまり、金融を通じて資金を手にする 証券化商品もそうです ― ことによってGDPの大きな割合を先取りして取得することが可能になります。それがここで言及している腐敗と不正の1つの例です。要するに、資本主義を自由に放置しておくと、金融が勝手にGDPの重要な部分を取り過ぎることができ、そうした手段をもたない残りの国民は収奪されてしまうということです。

 「格差問題」ですが、よく知られているように、現在の資本主義社会では近年、アメリカだけではなくて世界中で貧富の格差が拡大を続けてきています。最近も世界全体をめぐる格差問題についての調査が報告されていましたが格差には非常に顕著なものがみられます。
ここでアメリカを取り上げますと (201110月発表のCBOによる「1979年から2007年の家計所得の分配トレンド」)、家計の実質所得においてトップの1%は1990年代後半と2003年以降に圧倒的な上昇をみせています。1979年と比べ、1999年には2倍に、2007年には3倍になっています。それに比べ、それ以外の階層はおどろくほど伸びていません。上位81-99%のクラスでも50%、上位21-80%のクラスでは25%、最下層に至ってはほとんど伸びていない。この期間が「大きな格差時代」と呼ばれる所以です。オバマはミドル・クラスを大事にすると常に述べていますが、この傾向を阻止できる有効な対策は見当たらないというのが現状です。

市場の特性
 上記に述べたような資本主義の状況を考える場合に、自由放任ではなくて、やはり私た
ちは「適正な資本主義」とか、「不適正な資本主義」ということについて問うてみる必要が
あると思います。現に、例えば格差が極端にまで行った状態というのはやはり「不正」で
あり、それを是正するためには、ある程度の政府介入は必要になってまいります。市場だ
けに任しておいては、資本主義はうまくいかないと思います。そのためには、(i)ウォール・ストリートとメイン・ストリートの「適正な」あり方、(ii)ビジネス・エシックスの不可欠性、(iii) 自由と規制のあり方、および (iv) 市場と政府の役割のあり方について、「倫理的概念」を考慮に入れた新たな考察が不可欠です。
 ここでは、その前提として「市場」がもつ問題点について注意を喚起したいと思います。一般的に市場は、資源の効率的配分、経済主体の自由な行動を許容する場として、とりわけ1991年のソ連崩壊以降、神聖視されてきた観があります。それにたいする警告です。
基本的に市場システムは重視しなればならない、私たちはこれとは異なるシステムをつく
れないだろう、と私は思っています。しかし、それは市場万能を意味するものではありま
せん。ミクロの教科書で「市場の失敗」というのを学びますが、ここではそれとは異なる
視点から次の2点を論じてみたいとおもいます。市場の不在化現象と市場の不透明化
現象がそれです。

市場の「不在化」現象 これは、市場を非常に重視すると言いながら、今回の「証券化商品」の問題としてアメリカで起きたことが典型的な事例になります。最初はMBS (Mortgage Backed Securityとか、CDO (Collateralized Debt Obligationといった証券化商品が創設されました。そのうちに、それらに、クレジット・ローンや自動車ローンなど様々なものを組み入れていくことで、多層化された証券化商品が開発され、販売されていきました。ご承知のように、最後のほうになったら何が何だかわからない状態になり、ついにはサブプライム・ローンの破綻などがきっかけとなって、メルトダウンしたわけです。
この過程では、市場への盲目的な信仰に押されて、その結果、実は市場が存在しないような証券化商品にまで、あたかも市場が存在しているかのように関係者は行動し、しばらくは動いていました。市場への過信が、市場の「不在化」にたいし盲目的となった結果、メルトダウンに至ったのです。

市場の「不透明化」現象 これは、さきほどの浅子先生の話にありました「偉大な安定化の時代」にあっても、1990年代の世界経済非常に不安定であったことと関係しています。投機活動がグローバルに激しい展開をみせていたためです。最も有名な事件は、東南アジアの金融危機の頃のLTCMLong-Term Capital Management)【▼注】というヘッジ・ファンドをめぐるものでした。ノーベル経済学賞をもらった著名な経済学者が創設者に名を連ねていました。このファンドがロシア国債の投機に失敗しました。LTCMはロング・ポジションをとって巨額のロシア国債を購入したのですが、周知のとおり、ロシア国債はデフォルトを起こしたため、国債は紙くずとなり、巨額の赤字を抱え、倒産危機に陥りました。これを、今の米財務長官のガイトナーがまだニューヨーク連銀のトップであったときに、この事態の収拾を行うために、ウォールストリートのバンカーに、LTCMの救済を討議させました。討議させたという意味は、場所は貸したが何も命令はしていなかったと、いう意味です。結局、バンカー救済資金を提供してLTCMを救ったため、リーマン・ショックのような事態に至らなかったという事件です (放置していたら、そうなる可能性はきわめて高かった事件です)
LTCM100-150名ぐらいしか従業員がいないのですから、通常の企業イメージでいえば中小企業です。しかし、LTCMが扱っていた資金は、多くの大銀行が委託しており、驚くべき額に達していました。しかし、それはヘッジ・ファンドですから、どの政府もその行動を監視することはできませんでした。こうしたヘッジ・ファンドが増大することによって、いわゆる「シャドー・バンキング。システム」【SBS ▼注】が世界の金融市場に占める割合は激増していきました。どの政府も管理しない、いや管理できないから、結局、彼らの行動はだれも知らないという状況に陥っていきました。そのため、小さなヘッジ・ファンドでも、世界の金融市場を破壊するような危険な行動を起こす危険性が増大していったわけです。それが今回のリーマンのときには顕在化するに至ったわけですが、実は10年前に同じような問題は発生していたというわけです。これが、市場の「不透明化」現象です。グローバルな金融市場は、ヘッジ・ファンドの活動によりSBSの増大をもたらし、ますます「不透明化」していったのです。

 続いて、アメリカ経済およびユーロ圏の現状について述べておきたいと思います。

■アメリカ経済■
オバマ政権の経済政策については、次のようにみています。何よりも、最大に評価され
るべきなのは、「グリーン・ニューディール」構想を打ち出した点に求められま
す。とりわけ、財政政策 (フィスカル・ポリシー)を雇用政策の柱にすえたこと、
であります。この点は現在史にみても政策観の大きなUターンと申せます。この点
を象徴するのが「アメリカ復興・再投資法」(ARRA) と呼ばれる、大統領就任直後
に決定された総額8,000億ドルのフィスカル・ポリシーでした。
しかし、この点に関することで2点を申し上げておきたいと思います。
1つは共和党からの批判です。フィスカル・ポリシーは効いておらず、今も失業は8%前後でいまだにアメリカ経済は停滞しているではないか、というのが、共和党の一番のアタック・ポイントです。オバマは効果的な失業対策が打てていない。だから、共和党に任せなさいというわけです。ところが、実証的には共和党のこの主張は認められていません。例えば、CBOCongressional Budget Office)は、ARRA2010年第2四半期の正規雇用は200-480万人増加したという調査結果を公表しています。「予算および政策プライオリティ・センター」によると、ARRA450万人の雇用創出効果があった旨の発表をしています。
もう1点は、オバマ政権はその後、フィスカル・ポリシーを遂行することができなくなったという点です。オバマ政権は20096月の総額1,540億ドルの「ジョブ法」をはじめ、その後、いくつかの景気刺激策を提案しましたが、功を奏しませんでした。
20106月頃になりますと、均衡予算を錦の御旗に掲げるティー・パーティー【▼注】の運動が急速な影響力をもつことになり、最終的には201011月の中間選挙で共和党が下院を制圧するに至りました。これで、オバマ大統領は自らが実行したい景気対策を何も決められなくなったという次第です。
 オバマ政権が遂行した重要な制度改革では、「オバマケア」と「ドット=フランク法」があります。
オバマケアは、簡単に言うと皆保険制度です。3,000万とか4,000万人の無保険者がアメリカにはいるのですが、これを救うようなシステムをつくりたいということで、20103月に成立しました。ところが、共和党側が大反対でしたうえに、アメリカ国民もこの問題については非常に複雑で5050拮抗しており、私たちには理解しにくいような状況にあります。この問題に関して、共和党サイドからオバマケアは違憲であるという最高裁への訴えが出ていました。この結果ですが、32でオバマ側が辛うじて勝訴しました。そこで、これは合憲であるとして現在もその執行を完成させるべく事態は動いている次第です。
 「ドッド=フランク法」は金融規制改革法案です。アメリカには「グラス=スティーガル法」(1933) がありました。これは1920年代の金融投機が大不況の大きな要因になったとみたルーズヴェルト大統領によって制定された金融規制法でしたが、これを換骨奪胎化する動きが1980年代後半から進行し、それは1999年に「グラム・リーチ・ブライリー法」【▼注】の成立により金融の自由化が達成されることになりまた。ところが、このことが先ほど述べました市場の不透明化現象を引き起こし、SBSが劇的に増大させることに貢献したわけで、そういったことが今回のメルトダウンを起こしました。オバマはこの事態を解消すべく作成したのが、この「ドッド=フランク法」なわけです。
この法案の成立に際しても、民主党と共和党のあいだじつに激しい攻防が繰り広げられましたが、20107月にようやくのことで成立するに至りました。
しかし成立後も、共和党からの阻止行動は続いてきています。例えば、「消費者金融保護局」 (CFPB)の設置に関するものがあります。オバマはCFPBの策定に大きく寄与したハーバードの法学者エリザベス・ワレンをトップに据えようとしましたが、共和党はそれに猛烈に反対しまして、5人制の合議制にし予算も議会の承認(本来の案はFRBのなかに予算をもうけて使えるようにするというもの)、を必要とするように変更することを主張していました。現在、CFPBの長にはオバマ側がいろいろな戦術を用いてある人物をトップに据えようとしています。ドッド=フランク法の重要な条項であるヴォルカー・ルールやリンカーン条項などをめぐっては、その具体的制定に向けて余談を許さない状況におかれています。

■ユーロ危機■
世界経済におけるもう1つの焦点はユーロ圏にあります。すでに2年半にわたりユーロ危機は継続しており、この対策に失敗すれば、第2のリーマン・ショックを引き起こす危険性が大であります。
 1999年のユーロ・システムの成立後、実際に起きたことは、第1に、ドイツでは、実質
賃金を低下させることに成功したことです。これは、ドイツ国民の間での合意によって成
功しました【▼注】。だが、その結果、他のユーロ諸国との間に格差ができ、それは、ドイ
ツが輸出を域内で有利に進めていく上で大きな役割を果たしました。つまり、ユーロ圏内
での経済的不均衡であり実体経済の格差問題です。これは労働の生産性、技術力といった格差によって生じているわけです。2に、「ヴィクセル的累積過程」【▼注】があります。それまで、かなり高金利の国が多く、物価も高い状態にあったところへ、新設されたECBはかなりの低金利政策をとりました。このことで、ユーロ・システム内では、ヴィクセル的累積過程とでも言えるバブル的な方向に多くのメンバー国(アイルランド、スペイン、ギリシアなど)が走ることになりました。注意すべきことですが、これらの国に巨額の資金を貸し続けたのは、ほかならぬドイツやフランスの銀行であったということです。スペインやギリシャは、借りたお金で、ドイツから製品をいっぱい買い込んでいました。こうしたことが繰り返されたのです。ですから、このことは、ドイツ人が思っているわけですが、ギリシャ人が放漫だったからではなくて、経済のそうし状況下でドイツやフランスの大銀行によって貸し続けられたから生じたのです。第3に、ギリシャ、スペイン、アイルランドなどがドイツから多額の輸入をしてくれたためにユーロが切り下がる方向に大きく貢献したという点です。このことが、ドイツが中国やいろいろなところに輸出を拡大させることに大きく貢献してきました。
こうした基本的問題が、リーマン・ショックの衝撃波を受けて、いわゆる
PIIGSの財政状況を悪化させ、デフォルト危機をもたらし、気がつくとユーロ・システムの危機になったわけです。20105月のギリシア危機はその象徴的な出来事でした。爾来、トロイカ (EU, ECB, IMF) が行ってきたのは、「ベイルアウトとその交換条件としての超緊縮予算の命令」です。その結果、PIIGS経済は一層落ち込み、目指していた財政は改善されずに、デフレ・スパイラルに囚われており、ユーロ・システムは解体に突き進んでいます。この悪循環が繰り返されています。一番の問題は、PIIGSには経済を立て直す政策手段が欠落しており、トロイカはメンバー国経済の内需を減少させる手段しかとっていないという点にあります。

 時間が来たようですので、この辺で私の報告を終わりたいと思います。