2013年8月31日土曜日

先進国圏経済危機と日本


201111月執筆
先進国圏経済危機と日本

                                               平井俊顕 (上智大学)
1. はじめに
現在、先進国圏経済は文字通り危機的状況に陥っている。リーマン・ショックから3年以上が経過したが、アメリカは高率の失業(そして記録的な長期失業者数)を抱えたまま、政治的なデッド・ロック状態に陥っている。ユーロ圏は2009年秋に顕在化したギリシア危機がPIIGS問題に拡大し、いまや「金融システムの防禦と超緊縮政策の強要」、「独(仏)政府指導の決定システムと両国政府の本国での脆弱性」という2つの顕著な対照性のなか、激震に襲われている。日本はというと、2年前に発足の民主党政権はリーマン・ショックの激震に沈む日本経済を立て直すための積極的な経済対策を怠り、歴史的な円高の進むなか産業の空洞化を放置してきた (そこに2011年3月、福島原子力発電所の水素爆発という驚愕的な出来事に見舞われることになった)。        
いつしか機能マヒに陥った先進国経済はどうすれば経済を立て直せるのかの方策完全に喪失してしまっている。財政政策は財政健全化の大号令のもと「超緊縮財政」政策と化し、金融政策は「政策金利」への信頼はすっかり薄れ、「量的緩和政策」が追加されるもその効果は認められない。
本稿では、この3年間の趨勢を見据えたうえで、いま何が問題なのかを指摘することにしよう。
2. 対照的局面の展開
リーマン・ショックから現在までの世界経済は、2つの対照的な局面に分かれている。第1は「ケインズ的政策の復活期」(20089- 20105)2は「超緊縮財政路線の蔓延期」20106-現在である。
2.ケインズ的政策の復活期
リーマン・ショックが発生した時、世界の諸政府が真っ先に採用したのは、主要銀行への巨額のベイルアウトであった金融システムの崩壊を食い止めるためである。例えば、アメリカの場合TARPから2500億ドルが9行の株式購入のために費やされた。リーマン・ショックは、不動産を出発点に多層的展開をみせた証券化商品市場 (MBSCDSが、サブプライム・ローン市場の崩壊を契機に瓦解することでアメリカ金融市場の崩壊をもたらしたのであるが、その影響は世界中におよんだ。日本、中国の場合、対米輸出の激減が深刻な不況をもたらした。ヨーロッパの場合、イギリス、アイルランド、スペインに典型的が、異常な膨張を続けていた不動産バブルの破裂というかたちで現出した。
 急激かつ深刻な経済的混乱・経済不況に襲われた各国政府が続いて打ったのが財政政策を中心にすえた景気対策である。それを象徴するのがアメリカ大統領に就任したオバマである。彼の政策を一言でいえば、ケインズ政策 (の復興である。巨額の財政投資を実行することで深刻な失業に立ち向かう政策であり、それを高速鉄道網の建設、クリーン・エネルギーなどの環境インフラ建設に連結させたものであるいわゆる「グリーン・ニューディール」と称されるもので、総額7870億ドルの「アメリカ復興・再投資法」[ARRA]である
巨額の財政投資を実行することで深刻な経済不況を克服しようとするスタンスは世界の諸政府に受け入れられた。それを象徴するのが、20094月にロンドンで開催されたG20であり、景気対策の総額を2010年末までに5兆ドル [500兆円する、などの合意が得られた(だがそれより早く、中国は総額4兆元 (58兆円にのぼる巨額の財政政策の実施を表明してい
 総じていえるのは、この時期、景気対策としてケインズ的財政政策が意識的に採用されたということである。
2.超緊縮財政路線の蔓延期
20106月頃から、世界経済の風向き、そして各国政府の政策スタンスに大きな転回がみられることになった。
  発端は2009年秋、新政権による前政権の会計操作・改竄暴露で生じたギリシアの財政危機である。EU首脳はこれに具体的な対処策を決定できず、いたずらに時間が過ぎていった。この間、アイルランド、ポルトガル、スペインも財政が危機的状況にあることが露呈2010年の春になると、問題は一挙にユーロ危機へと進展したここにきてEU首脳がようやくのことで決定したのが、EU/IMFによるギリシアへの巨額 (1100憶ユーロのベイルアウトであり、その条件としてギリシア政府に超緊縮予算履行要求された。これが、以降、EUが超緊縮財政路線を嚆矢になった
この事態を反映して20106月に開催されたトロントでのG20では、オバマ大統領が財政政策による不況の克服を訴えるもEU側はそれに応じず、逆に超緊縮財政の大合唱の場となったのである
 アメリカでも、その少し前から連邦政府の予算スタンスへの批判の声が次第に大きくなっており、オバマ政権が当初計画していた財政政策の遂行も、そのため次第に難しくりつつあったこの運動の先頭に立ったのが、ティー・パーティであ。他方、2年前に熱狂的な支持を表明してオバマ政権を誕生させた学生や環境保護主義者は一向に解消しない高失業率、「ワックスマン=マーキー法」の挫折などに失望し、次第に大統領から離反していった。
その結果が11月の中間選挙で大統領・民主党側の大敗である。共和党は下院で多数派となり、上院でも民主党僅差で迫る大勝利を収めたのである。共和党は、予算支出大幅削減し、いかなる増税もしないことで均衡財政を達成するという、ティー・パーティの路線を踏襲することになった。中間選挙での大敗により、オバマ政権は以降、あらゆる政策の遂行に当たって大きな壁に突き当たることになった。
 さて、ユーロ危機だが、その後も収まりをみせるどころかますます拡大を続け、アイルランド、ポルトガルがEU/IMFによるベイルアウトを受けることになった。さらに、スペインやイタリアも俎上にのぼる始末であった。こうした事態に対処するべく、721日のユーロ・サミットでは、EFSF4400億ユーロへの増強、ギリシア国債保有者による21%のヘアカット、ギリシアにたいする第2次ベイルアウト (1080億ユーロが合意された。
 その後、スペイン、イタリアの国債市場で価格が急落し、ECBによる両国国債の買い支えが行われたり、ギリシア国債を大量に保有するフランスの大手銀行の株価が暴落するなど、世界の金融市場の混乱が収まることはなかった。結局、既述の7月の合意の最終的決定は10月にスロヴァキア議会での可決をもってようやくなされたのである。
しかし、事態はEUの行動の先を行っており、この合意自体が拡大する一方
の危機に対処できるものではなく、EU側がさらなる対処を余儀なくされたのである。メンバー国間の意見の対立も激しく、新たな案が出たのは、1026日のユーロ・サミットにおいてであり、EFSF1兆ドルへの増強、ギリシア国債保有者による50%のヘアカット、対ギリシア第2次ベイルアウト (1200億ユーロなどの合意がみられた。しかし、これらは続いて開催されるカンヌでのG20に間に合わせるだけの泥縄的立案であり、いずれもどうやって実現するのかがほとんど白紙状態であった。
 ユーロ内部の対立も深刻である。フランスはECBを最後の貸し手として活動させることを希望しているが、ドイツはそれはインフレを助長するものとして断固反対の姿勢をとっている。ドイツが要求しているのは、財政規律の厳守とその違反にたいする懲罰規定をEU憲章に書き込むことである。ドイツはそのことにより、財政統合への道を進めようとしている。ドイツは、超緊縮財政をメンバー国に厳守させ、万一の場合には増強されたEFSFの基金で対処するという考えである。つい最近までは、メルケルとサルコジでユーロ危機対策が主導されてきたが、フランス自体が投機筋に狙われるようになっており、いつしかメルケルのドイツが図抜けた存在になってきている観がある。
 アメリカの夏以降の状況で生じた変化といえば、オバマが共和党への屈辱的な妥協からやや本来のスタンスを取り戻し、9月に総額4470億ドルの「アメリカ・ジョブ法」を打ち出した点である。2400億ドルの減税と1400億ドルのインフラ投資が主たる柱である(もちろんこれが実現する見込みはない)。もう1つの変化は、共和党の大統領候補のレベルの低さが露呈され、来年の大統領選でオバマが再選される可能性が高まってきている点である。
 しかし11月の下旬、「スーパー委員会」での財政均衡のための支出削減案が暗礁に乗り上げるという事態が発生している。民主党と共和党の削減策の不一致である。もしこれが決まらない場合、国防費と社会保障費が大幅に強制的なカットに見舞われることになっている (このスーパー委員会は8月のオバマの妥協に組み込まれていたものである)
こうして20106月から現在に至るまで、アメリカ、 (イギリスを含む) EUは超緊縮財政の遂行を錦の御旗にする方向に転換しており、経済不況対策は事実上放棄されている。こうした超緊縮財政政策「有効需要の大削減政策」である。こうした方法で財政の健全化を目指そうというのは本末転倒である。民需が停滞するなか、内需を増大させられるのは政府しかない。ところがその政府も支出の大幅削減増税を実施しているから、有効需要の低下はとどまるところを知らず、結局のところ当該国の財政状況はさらなる悪化の道を辿ることになる
3. 先進国圏経済の何が問題なのか 
3.1 ユーロ圏固有の問題
ドイツはギリシアが財政規律を守らずに放蕩三昧を続けてきた、だからいまギリシアにたいしてはベイルアウトはするものの交換条件として超緊縮財政を要求し、かつそれが厳守されているかいなかを監視していく、というスタンスを貫いている(ギリシアといっているが、これはPIIGS全体に妥当するので以下、そう読み代えていただきたい)。
だが、責任は一方的にギリシアにあるわけではない。ドイツにも責任がある。ユーロが導入された頃(いや導入される前から)、ギリシア経済はすでにインフラ整備、建設ブームなどで経済は好調であった。インフレが進行していたから金利も高めに推移していた。
 そこユーロが導入され金利は2%と低く設定された。これは経済状況がよくないドイツ経済の活性化に重点がおかれたからである (ECBの運営方針はドイツのブンデスバンクの見解下におかれている)。そのためヴィクセル的累積過程を引き起こすことになった。おまけにこの間、巨額の資金を政府や民間部門に貸し続けたのはほかならぬドイツ、フランスの銀行なのである (いまやフランスの大手3行が苦しんでいるのはこれが不良債権化しているからである)
 ギリシアは低利で借り入れた資金でドイツから輸入を増やした。これはドイツにとってみれば輸出の拡張である。しかもギリシアは(ユーロ圏外の)アメリカからも輸入を増大させたから結果的にユーロ引き下げ方向作動するのに貢献してきたわけで、それがドイツによるユーロ圏外への大幅な輸出拡大を可能にしてきたのである。すなわち、ドイツの銀行が貸し付け、それをもとにギリシアがドイツから、そしてアメリカからさまざまな財を輸入し続けることになった
 この場合、責任はギリシアのみあるといえるだろうか。この状態を放任したECBの金融政策の責任はどうなるのだろうか。そしてギリシアに貸し付けたドイツの銀行の責任はどうなるのだろうか。借り手が「放漫」だというまえに、銀行の審査能力の無能さを問題にすべきであろう。ドイツはこの問に答えていない。ドイツ人の脳裏にあるのは、賃金の上昇を要求せずに耐えることで生産性を増大させ、輸出の増大をもたらしてきた、という自負であるが、既述のように、そうした苦労だけがドイツ経済を支えてきたわけではないのである。
いまEUが取り組んでいるのは、財政規律の強化とベイルアウト基金の調達である。しかし、ユーロ圏内での経済的不均衡が現在のユーロ危機を引き起こす大きな原因になっているという、より本質的な問題には手が付けられていなし。域内間でのアンバランスは労働の生産性、技術力といった実体経済面での格差によって生じてきている。そうしたなかで、メンバー国の経済回復を目的とする政策が何も提示されていないばかりか、そうした手段(金融政策、外為政策は持ち合わせていないし、財政政策は超緊縮政策)が剥奪されているのが現実なのである。
3.2 共通する問題1 - 経済政策の混迷
経済が戦後最悪の状況に突入している国に、さらに過酷な「超緊縮財政」をとらせることに、なぜドイツ、いやすべてのユーロ・メンバー国(ならびにイギリス、そしていまではアメリカもこだわるのだろうか。この方針がさらなる経済の悪化を招いていくという点にユーロ・メンバー国の政府はまるで関心を示すことがない。その結果、景気対策はまったく蚊帳の外におかれており、各国政府(オバマは例外である)はそうした責任を完全に放棄してしまっている。均衡財政を厳守することが、唯一絶対の使命となり、それが自己目的化している。イギリスの経済学者ホートリーの言葉を借りれば、政府は「真の目的」を忘却し「中間的な目的」を追求することで自己満足しているかのようである。
いまユーロ圏で強行されているのは、超緊縮財政の強要と並んで、金融システムの安定化のための防衛対策だけである。人々に増税を押し付け、リストラが強烈に進行するのにたいし、金融システムにたいしては非常にあまい政策がとられ、モラル・ハザードが助長されてきている。それは金融システムの安定が資本主義システムの安定の最優先課題であると考えるからであろうが、それは同時に金融資本の擁護・保護を意味しており、非常に不公正なスタンスである。公衆の怒りはスペインやギリシアでのシット・イン運動、イギリスでのアンチ・カット運動、アメリカを中心にしたオキュパイ運動というかたちをとって行われている。いまや政府への公衆の信頼が恐ろしく低下しており、民主主義を基軸にすえた政治システム自体が崩壊しかねない危険性に満ちている。
アメリカでは、「ティー・パーティ」の動向に気を使う共和党が、いかなる増税にも反対し、均衡財政の実現は支出の削減によってのみ行うべし、という主張をとっており、そのためオバマ政権の政策は完全なデッド・ロック状態に陥っている。これはEUの事情とは異なるが、それが超緊縮政策の実施を迫るという方向を向いている点では、同じである。
経済状況が極端に悪化をしているときに、さらに超緊縮政策をとることで経済のさらなる悪化が生じ、そして目指す均衡財政も実現できない、そこでさらなる超緊縮政策を要求される。こうした事態がいつまでも持続できるはずはないのに、EU指導部はおかまいなしである。
現在の政策運営での不思議な観念は、金融政策でいかに巨額の資金が民間部門に貸し付けられてもだれもその決定に異を唱えないのに、財政政策となるとそれよりはるかに少ない金額でも議会でさかんに議論され、そしてその成果にたいしては厳しい審査・監査の目が向けられる、という点である。いわば中央銀行には絶対的な権力が与えられているのにたいし、財政政策にはそれとは対照的な厳しい監視がなされているのである。
ところで、財政政策には経済を上向きにする力がない、というのが、一種のイデオロギー的に流布している。しかし、これに大いなる問題があることは、アメリカの近年のARRAにたいする評価からも明らかである。問題は、実施が非常に緩慢であったこと、規模が小さかったこと、しかしそれでいてそれは効果があったこと(これはCBOの調査によって明らかにされている)が公表されているのである。例えば、CBOは2009年度第3四半期に雇用は60-160万人増大した、と述べている。問題は、失業者数が1600万人であったというなかで其の効果はきわめて限定的であった、ということなのである(CBPPによると2009年に実施された景気刺激策は450万人の人々を貧困から救った)。
現在の超緊縮財政政策に異を唱え、ケインズ的な財政政策の必要性を強調する人は数多くいる。若干の名を上げれば、クルーグマン、W.キーガン、A.ポースン、ダグラス・アレン、ロバート・ライシュである。
3.2 共通する問題2 - 「悪い市場」を制御できない政府
ユーロ政府が気にかけているもう1つは「市場」の動向である。この市場はどのような市場であろうか。投機筋が債券市場の価格の乱高下を利用して一攫千金を狙うような、そうした行動溢れた市場である。そしてそこに格付け機関がまるで「神の声」よろしく「フランスよ、格付けの引き下げをするかも」とかいい、するとサルコジが青くなり何とかそれを防止しようとして超緊縮財政を宣言することで市場を沈静化させようとする。
 国債市場のイールドが7%になると、もう起債は不可能になり、市場以外から借り入れるしか方法がなくなる(ギリシア、アイルランド、ポルトガルが追い詰められたのはこれが原因である。そして最近、スペインやイタリアに同様の事態が進行している。
こうして「市場」は神の声のような存在になり、そしてそには多くのヘッジ・ファンドが暗躍している、というシーンが展開されている。こうした市場はいかなる意味で正当化されるのであろうか。金融グローバリゼーションの悪弊は何ら処理されることなく続いている (一時的にユーロ首脳は、裸のCDSや空売り規制を試みてきているが、効果は薄い)。
 これは市場を絶対視することからくる現在の資本主義システムが陥っている深刻な事態である。「自由」を金融にとって都合よく解釈し、そして自由化が市場の不存在、不透明にまですすむなか、金融市場がメルトダウンし、そうなると自己責任を一等最初に打ち捨てるというような有様である。
 これだけの危機の原因としてオバマ大統領は2010年7月に画期的な金融規制法案「ドッド=フランク法」を成立させた。しかし、その後の事態はこの法案を機能させる方向に進んでいるとはとてもいえず、金融の無秩序な自由化はアメリカでも無傷なのである。そして諸政府は「悪い市場」もしくは「市場のなかの悪い部分」にたいし規制を行う力を有さず、ひたすら市場の動き、投機筋の動きに翻弄され続けている。
 最近、ユーロ首脳はトービン税や格付け機関の規制問題を議論しているが、これらが明確な法になる可能性はいまのところ低い。
4.日本について
この20年の停滞状況を経験した末に、日本はすべての階層において、「焦燥感」を通り過ぎ「自己閉塞的状況」に達している。
政治からみていこう。90年代、わが国ではめまぐるしい政党の再編劇が繰り返された、2007年以降にはさいころの目のように無責任な内閣の交代が続いてきた。2009年秋に成立した民主党政権も、リーマン・ショック後に日本を襲った経済危機にたいし、何ら明確な政策を打ち出すことはできずにきている。子ども手当、農業者戸別所得補償制度、事業仕分けが目玉という有様である。政府は国の経済運営のあり方に確固たるスタンスをもつことができず、結果として市場経済に身を委ねるかのようである。財政政策は禁じ手扱いにされ、ゼロ金利を中心とする金融政策は長年続けられるも、停滞する経済を立て直す効果が認められるものとはなっていない。進む円高に歯止めをかけるべく外国為替市場に介入することもほとんどなされずに来ている。こうした無策無能ぶり(基本的スタンスの欠落)は諸外国の政府(中国、アメリカ、ロシア、EUはもちろんのこと)にあっては、国益を守るというスタンスが顕著であるがため、一層際立っている。
このため国際経済の領域ですら、日本政府の発言権は地に落ちた感がある。本年2月のオバマ大統領の「一般教書演説」で、韓国や中国については多くの言及がみられたのにたいし、日本への言及が皆無であったことは、その象徴的事例である。外交政策の領域にあってはいわずもがなであり、昨年生じた沖縄米軍基地移転問題、尖閣諸島問題にあって、政府は自主的に責任放棄・転嫁をする始末であり、独立国家としてのレゾン・デートルを喪失させている。
 日本経済を牽引する主体である企業は、上記のような政府の無策状態のなか、自らの力で世界市場での存続を図っていく必要がある。日本の企業は躍進する中国や、韓国の企業の攻勢が激しさを増すなか、終始おされ気味の状態が続いてきている。大手企業は政府に期待することなく、グローバル展開をより本格的に遂行していく必要に迫られている。国内市場の慢性的な低迷が続いているから、一層そうなのである。それでも大手企業はそうした行動を積極的にとることで国際市場を生き抜いていく能力は十分にあるといえる。懸念されるのは、この結果、日本経済における主要産業の多くが海外に移転し、産業の空洞化が加速度化していくという点である。
 国民はといえば、政府と同様で、あまりポジティブな姿勢は認められない。長年続く不況のなか、リストラの波に翻弄されてきたし、雇用も非正規雇用の占める割合が激増してきており、多くの人々が心理的・経済的に不安定な状況下におかれている。貯蓄からの利子収入は皆無となるも、将来への不安のため、消費を抑え込む生活パターンが身について久しい。
若者はこうした社会風潮を反映して、非常に「内向きの志向」に陥っている。海外に目を向けるよりも、競争を避けた消極的生き方を選好する傾向が顕著である。だが、こうした閉じこもりが許されるほど世界の情勢は甘くない。グローバルな活動で生き残りを図る日本の企業からみても、こうした人材に将来を託すことはできないであろう。
まさに、日本経済は「自縛状態」に陥っており、現在のところ、そこからの脱出法はみえていない。
日本経済は311日の東日本大震災の前にすでに袋小路に入っていたが、その後事態はますます悪化の道を辿っている。
大企業はグローバル展開を加速化することで生き残っていくであろうが、国内は産業の空洞化により雇用問題はいよいよ深刻化し、財政的余裕も政治的実効力もない政府のもと、ますます弱体化した経済・社会になっていきそうな様相を呈している
コップのなかの政争に明け暮れる日本の政界では、世界での日本のステイタスという考えはまったく視野に入っていない。資源外交政策は皆無、かつてのような産業政策もいまはなく、日本ではすべてを市場に任せる「自由放任政策」がとられている。以下、日本経済の現状をいくつかの領域からみていくことにしよう。
金融政策の無効性  現在、日銀ゼロ金利政策と量的緩和政策を採っている が、それが効果を発揮したためしはない。日本経済の1つの大きな特徴は、日銀がマネタリー・ベースを増やしても、市場でのマネー・サプライ (現在はマネー・ストック)一向に増えず、景気対策として何の役割も果たせていないという点である。銀行は受け取ったマネタリー・ベースで、専ら国債を購入してきている。もうかっていない企業に貸すよりも安全で利子も受け取れるからである。他方、企業も売れ行き不振の商品ために新たに設備投資をする必要もないため、資金需要停滞したままである。こうしたパターンが繰り返されてきている
 6月のマネタリー・ベース前年比17%と大幅に増加しているが、マネー・ストックの伸び広義流動性でみると、5月は前年比 -0.5%と減少さえしている。
外為政策の不在 - 現在、ユーロ不安、格付け機関によるアメリカ国債の格下げ示唆のニュースを受けて記録的な円高 (1ドル=79が進んでいるが、このことで奇異に思うのは政府の対応である。このことで記者から受けた質問にたいし、財務相は意味不明の答弁をするなか、市場への介入意思はまるでないというスタンスを垣間見せていた。
 為替相場の適正度PPP (購買力平価との乖離度でみる必要がある (代表的なのはアメリカ・日本の物価指数の比率)そこからの乖離が激しい場合、政府には市場に介入する義務と権利が発生する。そうしないで市場のなすがままに任せ続ければ、投機的な要因によ大幅な相場の上昇や下落を引き起こしてしまうことになる。リーマン・ショック後、日本経済はこうした事態に直面しているが、驚いたことに日本政府はわずか2度しか市場介入 (円売り、ドル買い)をしていない。日本政府は模範的な「市場原理主義者」の立場をとっており、輸出産業に与えている打撃はきわめて深刻である
4.むすび
1980年代中葉から始まったグローバリゼーションは、世界経済に次のようなインパクトをもたらした。
 第1に、それは世界経済における実物的・金融的地位の持続的な停滞に苦しんでいた米英が、プレゼンスを高めていた日独からその地位を奪い返すことに、かなりの程度成功することになった。米英金融資本を中軸にした「金融のグローバリゼーション」がそれである。これは、資本主義システムをとる先進国のあいだでの経済的指導権のシフトとして特徴づけることができる。だが、この「金融のグローバリゼーション」は、世界の資本主義システムを「カジノ化」することで、非常に不安定なものにすることになった。
 第2に、グローバリゼーションは、米ソ冷戦体制の崩壊と資本主義システムへの収斂化をもたらした。米ソ冷戦体制の崩壊は、もちろん、ソ連を中心とする社会主義システムの崩壊の意である。ソ連圏が崩壊したのは、石油価格の下落、アフガン戦争の泥沼化などによる財政的・軍事的弱体化が根底的な原因であり、それに計画経済のもつ弱点とシステム疲労が重なったからである。グローバリゼーションの波がロシアを襲うようになるのは、ロシアがすでに、いわば自然壊滅的状況に陥った後のことである。     
中国の場合、それまでの「大躍進」、「文化大革命」がもたらした経済的・社会的悲惨を、それに反対してきた「走資派」が権力を奪取したことで、「市場システムのグローバリゼーション」を自発的・積極的に取り入れてきたといえる。
 第3に、グローバリゼーションは、いわばその波をうまく活かす新興国を出現させた。高い経済成長を達成してきている新興国は、リーマン・ショック後の経済的停滞から脱出できない先進国を尻目に、世界経済におけるプレゼンスを益々高めるに至っている。
ケインズ学会編 + 平井俊顕(監修) [2011] 『危機の中で <ケインズから学ぶ』作品社。
平井俊顕 [2010-11]統計日本統計協会 (「世界経済の危機」シリーズ:20101月から201111月まで隔月連載。現在継続中)


ケインズ学会・立教大学経済研究所共催 公開講演会  世界経済の危機的状況をめぐって*       



ケインズ学会・立教大学経済研究所共催 公開講演会       
世界経済の危機的状況をめぐって*  
                                   
(講演会は浅子和美氏、水野和夫氏とのパネル・ディスカッション。下記はその際に配布した私のレジュメ)
               平井俊顕                                                                         
                                 2012.10.26                      
       
1.資本主義はいずこへ

  ・リーマン・ショックによって、社会哲学および経済学に大きな転機が訪れた。・自己責任原則のもとでの自由放任を主張し、それにより資本主義は限りなき成長が可能となると謳ったネオ・リベラリズム、非自発的失業を否定し、完全雇用を当然視する前提のもと、脆弱なミクロ理論に依拠しつつ組み立てられた「新しい古典派マクロ」が溶解した。

・崩れ去った社会哲学、崩れ去った経済学の瓦礫の向こうに政治家 ― 崩落した現場の立て直しに迫られた政治家 ― が見出したもの、それがケインズであり、ルーズベルト大統領であった。・しかし、忘れてはならない。それを正当化する理論・政策が新たな次元で打ち立てられているわけではない。経済学者は右往左往しているというべきであろう(1つの問題設定:[「新しい古典派」からの借り物で理論武装していた]「ニュー・ケインジアン」による「オールド・ケインジアン」の政策採用という現実をどう評価するのか)。・ケインズの今日性を、メディア的な取り上げ方ではなく、より根源的に問う ことが肝要である。それは経済理論のあり方を問うという問題とも深く関係する論点である。

・経済政策論として重要な問題だと思われるのは、財政政策と金融政策の対照的な評価をどう考えるかである。前者には厳しい制約がかけられるが、後者では「ユルユル」である。・リーマン・ショック後の世界経済は、(i) ケインズ政策の復活期と (ii) 超緊縮財政路線の蔓延期という2つの対照的局面に分けることができる (2010年5月あたりが境目)。         2.資本主義考 - 社会哲学 ・資本主義の本質的特性として、(i) 動態性、(ii) 市場と資本、(iii)企業、   (iv)不確実性、および(v) アバウトさ(あいまいさ)をあげたい。・資本主義のもつ問題点として、(i) バブル現象 - 囚われる企業・人、   (ii)腐敗と不正、および (iii)格差問題をあげる。 ・資本主義システムのあり方 -「適正な資本主義」と「不適正な資本主義」を問うてみる(そのためには「倫理的概念」が不可欠である)と (i)ウォール・ストリートとメイン・ストリートの「適正な」あり方、   (ii)ビジネス・エシックスの不可欠性、(iii) 自由と規制のあり方、および   (iv)市場と政府の役割のあり方が問題になる。

・資本主義システムの評価にさいし、市場の特性についての徹底した考察が必要となる。とりわけ、(i) 市場の不在化現象 (市場重視の極限に出現する「市場の存在しない」商品)、(ii) 市場の不透明化現象 (巨大な影響力をもつ存在であるにもかかわらず、その実態を捕捉する機関の不存在) は市場を危うくする、(iii)再考を迫られる「市場」概念 - GDP分捕り行動の草刈場と化す市場、(iii) 再考を迫られる「自由」概念 - 誰かにとっての「自由」、誰かにとっての「不自由」という危険性 3. アメリカ経済 ・オバマ政権の最大の評価は、「グリーン・ニューディール」構想を打ち出した点に求められる。とりわけ、経済政策として財政政策 (フィスカル・ポリシー)を雇用政策の柱にすえたこと、である。この点を象徴するのがANRRAである。

・オバマ政権が遂行した重要な制度改革として、(i) オバマケアと(ii) ドッド=フランク法」がある。

・オバマ政権の抱えた困難は、(i) 2010年6月にはフィスカル・ポリシーが挫  折に至ったこと、(ii) オバマケアへの共和党・生命保険業界のみならず国民の半数の反対という状況、ドッド=フランク法への共和党・金融業界の妨害工作により大幅な遅延に至ったこと、である。

・この原因はユーロ危機によるユーロ首脳の均衡予算イデオロギー、およびアメリカ国内でのティー・パーティ運動である。その結果、11月の中間選挙での大敗となり、共和党の反対工作で動きがとれなくなった。

4. ユーロ危機の本質と現実 ・ユーロ誕生以降リーマン・ショックまでのユーロ圏経済は、「ヴィクセルの累積過程」「円キャリー」「金融のグローバリゼーション」の影響を受けて展開した。 ・ユーロ危機の本質は、ユーロ圏内での経済的不均衡(ドイツとPIIGS)であり実体経済の格差問題である。これは労働の生産性、技術力といった格差によって生じている。・トロイカが行ってきたのは、「ベイルアウトとその交換条件としての超緊縮予算の命令」であり、その結果、PIIGS経済は一層落ち込み、目指していた財政は改善されずに、デフレ・スパイラルに囚われており、ユーロ・システムは解体に突き進んでいる。・一番の問題は、(i) PIIGSに経済を立て直す政策手段が欠落していること、 (ii)トロイカはメンバー国経済の内需を減少させる手段しかとっていないこと、にある。

5. 日本経済のパフォーマンス 日本はマクロ・データ的には「失われた20年」とはいえない。実質GDP、PPPによるGDPはそれを示していない (図9-5, 6, 7)。・間接金融から直接金融 (・もしくは自己金融) へのシフト現象(有り余る資金の貸付先を新たに開発する必要に迫られた銀行の行動)にたいし、政策的対応の失敗がみられた。

・「失われた20年」とは、「金融のグローバリゼーション」により米英[米の場合ITが加わる]、およびBRICSが飛躍的に存在感を高めるなか、世界経済に占める日本経済のプレゼンスが低下したという現象のことである。

・継続する不安要因として、増大する「非正規雇用」、「産業の空洞化現象」(実体経済と無縁の記録的円高を阻止できない政府の責任)をあげることができる。

 6. グローバリゼーションの3局面 ・グローバリゼーションは、(i) 米英金融資本による主導権奪取としての「金融のグローバリゼーション」、(ii) 米ソ冷戦体制の崩壊と資本主義システムへの収斂としての「市場システムのグローバリゼーション1」、および (iii) 新興国 (BRICS) の出現としての「市場システムのグローバリゼーション2」の3局面で捕捉することができる。

 7.金融の自由化考 - 金融規制改革の必要性 金融の自由化には、既述の「覇権国家的意義」(=金融のグローバリゼーション) と「経済的意義」がある。後者は「金融のための金融」、すなわち、金融資本による利殖追究の自己目的化であり、市場経済の円滑化とは真逆の行為である。

・SBSの拡大は、金融の自由化を推進させてきた(米英を筆頭とする)政府当局者と金融業会の「結託」ともいうべき活動の産物であり、政府が本来はたすべき国民経済の安定的成長を促進するというスタンスからの逸脱である。・金融の自由化と資本主義の「健全な」発展との関係が重視されるべきである。

・金融は、一般的な財やサービスと異なり、金融機関がいくらでも創出が可能であり、「強制貯蓄」を可能にしている。すなわち、だれからのチェックも受けない場合、GDPからの受け取り分を異常なまでに高くすることができ、いびつな資本主義を生み出す危険性を秘める。

・この「レント・シーキング」的行為は、メイン・ストリートの発展に寄与すpるという金融本来の役割をないがしろにする危険性がある。・規制や監督は自由化となんら矛盾する行為ではない。金融市場に明確なルールを設定することはきわめて重要であり、それを放置することを金融の自由化と同一視するのは誤りである。本来、自由化とはゲームのルールのもとでの公正な競争であるべきである。ルールをなくし、市場の透明性を無視した環境下での競争は「強制貯蓄」を招来する危険性が高い。

 * 『ケインズは資本主義を救えるか - 危機に瀕する世界経済』昭和堂、2012年

ケインズは資本主義を救えるか

ケインズは資本主義を救えるか

2013年8月30日金曜日

平井俊顕『ケインズは資本主義を救えるか ー 危機に瀕する世界経済』昭和堂、2012年7月、2800円



イメージ 1


イメージ 2



平井俊顕『ケインズは資本主義を救えるか ー 危機に瀕する世界経済』昭和堂、2012年7月、2800円

 この本の刊行の経緯と概要を要約すると下記のようになる。出版社からある連絡を受けたので、フォルダーをみていると出てきたもの。


***

 世界経済の激動――とりわけ2008 年前後から現在(2011 年12 月)を、主としてアメリカ、EU(付随的に日本)を取り上げつつ、今後、資本主義経済がいずこへ向かおうとしているのか、それをどのように評価していけばよいのか、そしてそれを規定する社会哲学はどのような動きを示しているのか といった問題を、社会哲学、経済理論・経済政策の領域から批判的に検討を加えつつ追究すること、これが本書の主たる目的です。
 
 執筆の直接的契機となったのは、2008 年秋のリーマン・ショックです。『現代思想』(2009 年5 月)に発表した「資本主義(市場社会)はいずこへ」はその最初の報告です。同時期、月刊誌『統計』([財]日本統計協会)から連載依頼がありました。本書は上記の問題意識のもと、執筆・公表してきたものに大幅な加筆・修正を施してできあがっています。
 近年専門化が進行するあまり、経済学者は専門にこだわる傾向が認められます。それには長所もありますが、欠陥も大きいと思われます。本書では「深い教養主義の重要性」が強調されています。
 本書は社会人、学生諸君を読者対象に、私の考えるところをまとめた啓蒙書です。興味を惹く内容が含まれているとすれば、筆者としてそれに優る喜びはありません。忌憚のないご批評を歓迎いたします。

目 次
第Ⅰ部 資本主義・社会哲学・ケインズ
  第1 章 資本主義はいずこへ
  第2 章 社会哲学はいずこへ
  第3 章 「ケインズの今日性」を問う
        ――瓦礫の向こうに
第Ⅱ部 アメリカ・EU・日本
  第4 章 苦悩するアメリカ経済
  第5 章 オバマ政権の経済政策をみる
  第6 章 健康保険改革
  第7 章 金融規制改革
  第8 章 ユーロ危機
  第9 章 自縛の日本経済
第Ⅲ部 資本主義・自由化・グローバリゼーション
  第10 章 資本主義を考える
  第11 章 金融の自由化と不安定性
  第12 章 グローバリゼーションを問う
第Ⅳ部 ポスト・リーマン・ショック
  第13 章 世界経済のいま
***

ケインズは資本主義を救えるか

危機に瀕する世界経済

平井俊顕著


本書での基本的メッセージ

▼資本主義システムの評価にさいし、市場の特性についての徹底した考察、倫理的概念が必要不可欠。再考を迫られる「市場」概念、「自由」概念。
▼オバマ政権の経済政策を評価する ― 財政政策、オバマケア、ドッド=フランク法を中心に。成功と挫折。
▼ユーロ危機の本質と現実 - ハーメルンの笛吹き状態

・ユーロ圏の現状 ― ユーロ危機のなか、ドイツはしぶしぶリーダーシップをとらされ、いまでは理念として「フィスカル・ユニオン」「バンキング・ユニオン」「ポリティカル・ユニオン」をドンキホーテ(といっても安売りの店ではありませんぞ)よろしく目指し、実際には「ベイルアウトと超緊縮予算の強要」で現状維持を図ろうとするも、足元では(それとも指の間から落ちる砂のごとくか)メンバー国は塗炭の苦しみのなか、統合どころか、バラバラに分解しようとしている。

▼日本経済はマクロ的には「失われた20年」ではない。だが、世界経済のなかでのプレゼンスを決定的に落とした点でそうである。
▼シャドー・バンキング・システムの拡大は、金融の自由化を推進させてきた(米英を筆頭とする)政府当局者と金融業会の「結託」ともいうべき活動の産物であり、政府が本来はたすべき国民経済の安定的成長を促進するというスタンスからの逸脱である。金融市場に明確なルールを設定することはきわめて重要である。

▼自己責任原則のもとでの自由放任を主張し、それにより資本主義は限りなき成長が可能となると謳ったネオ・リベラリズム、非自発的失業を否定し、完全雇用を当然視する前提のもと、あやしげなミクロ理論に依拠しつつ組み立てられた「新しい古典派マクロ」は溶解してしまっている。
▼崩れ去った社会哲学、崩れ去った経済学の瓦礫の向こうに政治家 ― 崩落した現場の立て直しに迫られた政治家 ― が見出したもの、それがケインズであり、ルーズベルト大統領であった。
▼だが、忘れてはならない。それを正当化する理論・政策が新たな次元で打ち立てられているわけではない。経済学者は右往左往しているというべきであろう。
▼経済政策論として重要な問題 ― 財政政策と金融政策の対照的な評価を考える必要性。前者には厳しい制約がかけられるが、後者は「ユルユル」であり、しかも政策的効果が喪失している