2015年4月30日木曜日

国際主義とナショナリズムの相剋 - 救済問題をめぐるケインズのスタンス 平井俊顕 (上智大学)





     
           
            国際主義とナショナリズムの相剋

- 救済問題をめぐるケインズのスタンス

                                                     平井俊顕 (上智大学)

 第2次大戦時、ケインズは請われて大蔵省にアドバイスを与える役職を引き受けた。19407 月のことである。第1次大戦時とは異なり、正式の官僚としてではないが、大蔵省が対処していかねばならない重要課題に具体的な構想を与えていくことを要請されてのポストであった。第1次大戦時にはケインズは大蔵省で国際金融を担当し、アメリカとの交渉にさいし中心的な役割を演じた。さらにヴェルサイユ講和会議では大蔵省首席代表として臨んだのあるが、条約内容に反対して辞任し(1918 6 ) 、批判的著作『平和の経済的帰結』(1919 ) を公刊したのであった。以降、ケインズは在野にあって、『貨幣改革論』(1923 ) 、『貨幣論』(1930 ) 、『一般理論』(1936 ) といった重大な影響力をもつ理論的著作を次々に発表していった。なかんずく『一般理論』の与えた理論ならびに政策への影響は深甚であり「ケインズ革命」として知られる。
  かくして22年の歳月を経て、ケインズは再度、大蔵省に関与することになった。爾来、彼は、このポストから実に多岐におよぶ重要な活動を展開することになるのである。その活動は3つの分野に分けることができる。第1は、差し迫ったイギリスの国際収支悪化にかんするものであり、彼は事態打開のためアメリカからの借款交渉を陣頭指揮した1 。第2は戦後の世界秩序形成に関係するものであり、第3は戦後の国内秩序形成に関係するものである。前者のなかで最も有名なものは、戦後の国際通貨体制として提唱された「清算同盟案」(ケインズ案)2 であるが、それ以外にも、通商政策・賠償問題3 、救済(・復興)問題や商品政策の領域で様々の注目すべき提案を行っている。その多くは大蔵省の、そしてイギリス政府の公式見解として採用され、ケインズ自らが代表者となりアメリカ側に提示され協議された。これらの交渉はひどく困難で苦渋に満ちたものであった。戦局の長期化に伴いイギリスの財政的・軍事的疲弊はひどくなる一方であったのに、交渉相手たるアメリカは圧倒的な経済的・軍事的力を誇っていたうえ、イギリスにことさら友好的というわけではなかったからである。こうした状況下にあって、ケインズはイギリスをアメリカとできるだけ対等の地位におくかたちで世界秩序を再構築すべく尽力したのであるが、それが実現することはなかったのである。しかし、これらの努力が戦後世界秩序の構築に対し少なからざる影響をおよぼしたことは指摘しておかねばならない。ケインズに端を発した構想が、交渉を通じて次第にアメリカ側に取り入れられていくという事実があったからである。
 戦後の国内秩序形成に関係するものであるが、ある意味でこの面でのケインズのおよぼした影響力の方が大きかったといえる。なぜなら、それはイギリスの市場社会システムをいかなる原理に基づいて再構築し運営していくかという問題ではあったが、それはひいてはヨーロッパ各国が依拠するシステムのプロトタイプを形成するものであるという意味で普遍的であるからである( この点で『一般理論』の影響力はきわめて大きかった) 。この分野では雇用問題や社会保障計画などをあげることができる4 
 これらの具体的検討を通じ、政策立案者としてのケインズが、当時のイギリスにあっていかに指導的な立場にあったのかが明らかになるであろう。結論を先取りすれば、それは、国内での強力な指導力の発揮、および国際舞台での( アメリカの力を前にしての) 挫折の繰り返しであった。一方でのケインズ的な社会哲学の浸透と、他方での世界政治・経済の舞台での大英帝国の惨めな後退 - ケインズはこのコントラストを身をもって味わうことになったのである。
  以上のような文脈のなかで、本稿が対象にするのは救済問題である。この問題をめぐるケインズのスタンスの変容を追跡することにより、救済問題のなかであらわとなっていく国際主義とナショナリズムの相剋というケインズの側面に注目してみたい。
 ところで、救済問題と商品政策は独立した問題である。救済問題は、大戦により被害を被った諸国を物質的・財政的に余裕のある諸国が援助を施すという問題であり、そこでは救済する国と救済される国とのあいだに画然とした線引きがなされる。これに対して(国際)商品政策は一次産品の大幅な価格変動を防止することによって、世界経済の安定化を目指すものであり、より経済的な問題である。だが現実には、両者は当初、密接な関連をもって検討がなされたのである。

1.当初の展開 -救済問題と商品政策の密接なる関係

 当初、救済問題と商品政策が密接な関連をもって検討されたのは、イギリス側に次のような事情があったからである。第2次大戦の勃発に伴い、イギリス側は戦略物資が敵側に渡らないようにすることに尽力した。そのためには一次産品を買い支えることが必要となる。こうしてイギリスは大量の余剰商品を抱えるという事態に直面したのである。この事態に対処するため、19407 月、「われわれの封鎖により敵国への供給路を閉ざされている……産出国の商品余剰に対処するために、生産制限、購入と貯蔵、廃棄等を含めどのような措置を講じるべきか」(JMK.27, p.3) を検討するための「輸出余剰にかんする閣僚小委員会」の設置が決定された。この(余剰)商品問題が戦後の救済問題と関連付けられることになったのは、「戦後の救済目的のためにイギリスが食糧および原材料の備蓄政策に関与」(JMK.27, p.3) すべき旨の首相発言(8月)を契機としてのことである。
  同閣僚小委員会は「アメリカの助力のいかんにかかわらず、将来の生産を制限ないしは調整する目標と連結させながら、イギリスが2億ポンドの余剰商品を購入」(JMK.27,p.3)すべきであるとの勧告を行った。そして同年11月、この勧告に基づき必要な交渉を遂行するため責任者としてリース- ロスが任命されたのであるが、彼に助言するために設置された事務レベル委員会の大蔵省代表となったのがケインズであった。
 当初、ケインズは、「アメリカがそれを理解するならば率先して行動したがるような、戦後最大級の意義ある世界的な計画」(JMK.27,p.5)にすべきであるという考えをもっていた。そして彼は、アメリカとの全面的な協力が不可欠であること、そしてそれは国際主義的な原則に基づいた計画でなければならないこと、を主張していた。
 194011月、リース- ロスは余剰商品問題にかんし下記の3 つの目的をもつべきことを提案した:   戦後の救済に備えて物資を貯蔵すること、②  戦争のため市場を破壊されている生産国を救済すること、③  戦時中の余剰商品再発を防止するために、ならびに戦後、不均衡が発生するのを防止するために、生産調整を実施すること。
  ケインズはこの提案に全面的な賛意を表した。そして12月には資本の一部を現地で調達する商事会社の設立構想を推奨するとともに、余剰商品についての各種データを収集・分析することの必要性を訴えている。後者との関連では、19412 11日付けの手紙で、ケインズは近年の最低年平均価格より10パーセント下回る価格以外では、余剰商品を購入すべきではないと提案している( そこでは各種商品の購入価格が検討され、イギリスがこれまで支払ってきた価格は高すぎるという結論が出されている) 。彼はこの価格政策を同年2 19日の事務レベル委員会で提案しているが、それはほぼそのままのかたちで了承されている。ケインズのこうした提案の背景には、イギリスの財政状況が急速に悪化しつつあるという事情があった。
 1941年の春、ケインズは小麦および綿花の商品協定5 にかんする英米交渉等に関与していた。ここでは、とりわけ次の2 点が注目に値する。1 つは輸出品の数量割当協定についてのアメリカ側提案に対する疑義であり、もう1 つは不安定な債権国であるアメリカがいかにしてそれを是正するのかという問題である。後者について、ケインズは次の3 つの代替案を提示している( 信頼のおける国際的貸手になること、② より多く輸入すること、③ 輸出を削減すること) が、そのいずれも非常に難しいと考えている。
  19415 月、ケインズはワシントンを訪問したさい、余剰問題をめぐり国務省のアチソンと議論を交わす機会をもった。そのさい、戦後の問題をめぐり次の構想を披露したのであるが、アチソンは、予想をはるかに超えて全面的な賛意を示したのである:   戦後のヨーロッパ救済と復興について( ここには第 2節で言及する「中央救済・復興基金構想」の萌芽がみられる) 、②「常平倉」(ever-normal granary. 主要商品価格の、世界を通じての均一化を達成することを目的とした包括的計画) について)
  この時点でのケインズの事実認識にかんして重要な点 - それは世界中で余剰商品の蓄積が進行しており、したがってそれを戦後ヨーロッパの救済・復興に役立てることができるという点である。救済問題と商品問題は両立しうるはずの問題であった。
  以上の経緯からも明らかなように、戦後の救済問題と商品政策をめぐる議論は、1941年の中葉までは、ケインズとリース- ロスとのあいだでも、そしてアメリカとのあいだでも、大筋において合致していたといってよい。
  本稿では、救済問題をめぐる以後の議論の経緯を検討していくことにしよう( 商品政策については次稿で検討する) 。その際に注目すべきは、国際主義的な視点に立って展開されているケインズの提案といえども、イギリスの国益を擁護するという問題と無関係には存しえないという点である。両者が合致する場合には前者の色彩が色濃く出てくるが、抵触する場合には後者の色彩が前面に出てくる。その意味でケインズは現実主義者であり、ナショナリストであった。救済問題においては、この点がひときわ鮮やかに現出しているのである。

2.「中央救済・復興基金」構想 -同種の路線

 アチソンとの会談で示された救済問題についての構想は、同年秋に作成された「戦後ヨーロッパ救済の金融的枠組みにかんする大蔵省覚書」と題する文書(1941 1024日。JMK.27, pp.46-51. 作成の中心はケインズであるため、以下「ケインズ案」と呼ぶ) に継承されている。
  ケインズ案は、「中央救済・復興基金」(Central Relief and Reconstruction Fund.以下CRRFと略記する) の設立により救済を遂行すべき旨を謳っている。CRRFは、様々な国からの現金もしくは現物拠出に基づく共同基金の運営にあたる。そのさいの基本コンセプトは次の2点である: ①CRRFが必要なすべての救済物資を集配する(CRRFは、必要な物資をいかなる国からも公正な価格で購入できるとされている) 、②CRRFは、受取国がどれだけを贈与として受取り、どれだけを支払うべきなのかを、何らかの原理に基づいて決定する。
  これらすべての取引は、共同勘定に記帳される。そしてCRRFがその規模を推定するために、次のような手続きが提案されている。一方は、連合国諸政府に対し物資の必要量リストの提出、ならびに敵国、フランス、中国に対する配慮であり、他方はCRRFが利用できる物量の推定である。さらに、贈与なのか、支払いを要求するのかを決定するための前提として、関係諸国の財政状況を調査する必要性が指摘されている。
  このような特徴を有するCRRFを創設しようとしたケインズの意図は、それが、様々な国が個々別々に現物援助を行う方法よりも優れている、と考えたからである。前者の方法では、各物資について個別の金融協定を結ぶ必要はないが、後者の方法では、利用できる在庫物資と適正な財政負担とに対応関係がないため、多様な物資の配分は混乱したものになるというのである。
  当初、リース- ロスは「全体的な構図」を有してはいなかったが、ケインズとの話し合いのなかで変化したようである。実際、リース- ロスは19411120日付けのケインズ宛の手紙(JMK.27,pp.55-56)において、「ケインズ案」に対する代替案( 以下「リース- ロス案」と呼ぶ) として、CRRF構想と同様の国際救済組織の設立を唱道している。
  この後、「ケインズ案」と「リース- ロス案」をめぐっての論戦が交わされることになった。両案は、リース- ロスがケインズの考えに接近したがゆえに、援助のための中央機関の設立を中心に据えている点で共通していた。リース- ロス案にあっても、中央機関に対し様々な国が主要な一次産品ならびに現金を拠出し、中央機関はそれらをもとにして運営することになっており、また供与される物資は贈与なのか、それとも支払いを要求するのかを決定する手筈になっているからである。したがってこの時点での相違点は、原理的なものではなく、構想の具体化を進める速度にあったのである。この点は、リース- ロス案に対するケインズの以下の反応(1941 122 日付けの手紙) からも明らかである。
  リース- ロス案では、アメリカ人の議長、イギリス人の次長、分科会等といった具
体的な姿が示されているが、ケインズはそうした点の具体化より、一般的な原則について合意を形成する方が重要であると考えている。
  リース- ロス案では、この組織への現金拠出が強調されており、米英の具体的な比
率として2対1が提示されているが、ケインズはそのような具体化は時期尚早であるばかりか、将来の取決めを歪める危険性があると論評している。
  リース- ロス案では、主要一次産品をできるかぎり確保すべきだとしているが、ケ
インズは戦争の現段階でのそのような試みには意味がないと評している。
  リース- ロス案では、レンド- リ-スの弾力的拡張が希望されており、また救済組
織が有効に機能しない場合には調整のための取決めが必要としているが、ケインズはこれは関係諸国との個別交渉が必要となり、共同融資という本来の方針と矛盾すると論評している。
 この時点にあっては、明らかにケインズはCRRF構想を堅持する立場に立っていたといってよい。しかし、この直後、ケインズはこの構想を放棄するに至るのである。このため、両案のあいだにみられた上述のような相違点は、まったく意味のないものになってしまうのである( なお、第 4点にある「レンド- リースの弾力的拡張」は、ケインズが以降に採用する立場であることを記しておこう)


   3.方針の変更 - レンド- リース制度の継続希望: 大蔵省と商務省の対立

 ケインズの態度に大きな変化が認められるのは、1942年2月4日付けのウェイリー宛の書簡においてである。そこでは、イギリスの戦後の貿易収支がきわめて困難なものとなり、外国からの借り入れなしにはイギリスの拠出は難しくなるから、救済問題をめぐるこれまでの考えを改めるべき旨が述べられている。そして固定された拠出額とか、無償の贈与とかいった点にはきわめて慎重であるべきことが表明されている。いま重要なのはリース- ロスが夢中になっているような金融支援の方法の検討ではなく、組織そのもののあり方の検討であると述べられている。
  その後、大蔵大臣ウッドから商務長官ドールトン宛の書簡が大蔵省で用意されることとなった。これはウェイリーとヘンダーソンによる起草をもとにホプキンスが手を加え、最終的にはケインズによって完成されて、1942年5月1日に送付された(JMK.27, pp.61-66.以下「ウッド書簡」と呼ぶ) 。そこでは、これまで大蔵省が打ち出していたCRRF構想は放棄され、代わってレンド- リース制度6 の継続を重視する方針が採られている。
 ウッド書簡はほぼ次のような内容をもつ。イギリスの国際収支の状況はすでに深刻であるのみならず、とりわけ終戦直後にはきわめて深刻なものとなるのが確実である。またイギリスの生産は今後大幅に減少するのが確実である。それゆえわが国は援助を与えるどころか、援助を受ける国へと転化するであろう。これまで大蔵省が提唱してきたCRRF構想は、その前提となる条件が時局の推移により消失しため、その実行は不可能となっている。いまやわれわれが目指すべきなのは、アメリカからのレンド- リース制度の継続を取り付けることであり、さらにはカナダに同様の要請を行うということである。
  大蔵省は、事態の急変のため、明確な路線変更を行った。当初、大蔵省が提唱していたCRRF構想では、イギリスが供給物資の余剰国として終戦を迎えるという想定が前提となっていた。また、それは救済を受ける諸国からの必要量リストの提出をも要請していた。ウッド書簡では戦後に物資が不足する国としてイギリスがあげられているが、他方、アメリカ、インドなどのように余剰を抱えて終戦を迎える国のあることも指摘されている。つまり、戦後救済問題との関連での事態の急変とは、戦争の長期化という事態を別にすれば、イギリスにとっての急変であって、アメリカや他の英連邦諸国にとっての急変ではないのである。このことは、この書簡での提案( すなわちレンド- リース制度の継続・拡張) がCRRF構想に優る点が、次のように述べられていることに露呈している。
「後者の計画〔CRRF構想〕のもとでは、われわれは、援助を申請しようとする他のすべての諸国と同じように、〔救済〕会議に赴き、われわれが必要とする物資を現金で支払えないことを証明するために、金や外国為替資金の数値[ 残高] を提示しなければならないでしょう。われわれはこの立場におかれるのを避けるように努めるべきである、と私は思います」(JMK.27, p.65)
CRRF構想は、多数国間での援助をCRRFを通じて実施しようとするものであり、
国際主義的な性格をもっている。しかるにイギリスにおける事態の急変によりこの構想は放棄され、戦争が長期化するなかでいわばなし崩し的に実現をみたレンド- リース制度を拡張させるという現実主義的な路線への転換が図られたのである。ここには、国際政治・経済の舞台におけるイギリスの苦境が深刻化するなかで、ナショナリスティックな顔がはしなくも露呈している。
  この時点で、大蔵省と商務省の対立は性格が変わってしまっていることに注意を払う必要がある。それまでの対立は、中央救済機関構想の具体化を図る速度をめぐるものであった。だが、いまや対立点は、大蔵省がCRRF構想を放棄し、レンド- リース制度の継続・拡張へと主張が変わったのに対し、商務省はこれまでの主張を維持したという点( 中央救済組織構想およびその具体化を急ぐという点) へとシフトしたのである。
 ウッド書簡に対するドールトンの返書( 以下「ドールトン書簡」と呼ぶ) は、19425 13日に送付された。そこでは、次の7点が主張されている。
「①イギリスは連合国諸政府とともに国際組織を通じて、戦後、物資を共同拠出すべきである、②供給の取決めは調整されるべきである、③イギリスは返還条件を付けたうえで救済組織が一時的に不要な物資を利用できるようにすべきである、④イギリスは他の諸国が必要物資を〔十分に〕供給されるまでは配給制を維持すべきである、⑤イギリスの戦後の必要量は他国のそれと同じ審査に服すべきである、⑥イギリスは解放後、連合国の領土に糧食を再補給することに万全をつくすべきである、⑦イギリスは時期が来れば援助にかんして可能なあらゆる手段をとるという原則のもとで、救済〔組織〕に積極的に拠出すべきである」(JMK.27, p.66 の脚注1 。数字は筆者が追加)
  ドールトン書簡に対し、ケインズは19426 1 日付けのウェイリー宛書簡(JMK27, pp.67-70) で、明確な予測が不可能な状況でこうした包括的公約を行うことは危険であるとし、大蔵大臣が諸閣僚に次のような諸点に注意を喚起させることを要望している。
  配給制度ならびに連合国領土への糧食の再補給について極端な公約をすることの危
険性の指摘。提案されている配給制度は、非現実的で実行不可能な利他主義を反映している。また連合国領土への糧食の再補給に言及することは、戦火拡大により実現が不可能となっている希望を喚起させることであり、誠実さにもとる。
  供給物資の「共同勘定」提案の危険性の指摘。このことは、わが国にとって妥当な
輸入量についての決定権を、外部組織に委ねてしまうことを意味する。
  ドールトン書簡は食糧だけであって原材料には関連していないという点を明示すべ
きという指摘。この書簡が原材料にも適用される場合は非常に危険である。輸出の進展に重大な障害をもたらすからである。
  たとえわが国に援助する力があるとしても、それはアメリカ等から援助が得られる
場合に限られるということを明示すべきという指摘。
  以上に示されたケインズの見解は、「復興問題委員会」(Reconstruction Problems Committee)に提出された大蔵大臣覚書の土台となった。
  両省の対立( したがってケインズとリース- ロスの対立) はその後も続いている。19421118日付けのダネット他宛の書簡(JMK.27, pp.73-79)には、救済機関にかんするリース- ロスの新たな提案に対するケインズの論評がみられる。重要と思われる論点から順次列記しよう。

  リース- ロス案は、「最良の計画は供給物資-食糧のみならず原材料をも含む - について真の共同出資を樹立することである」という原則を採用しているが、これは恐ろしい精神の混乱を示すものである。
  リース- ロス案の配給制度は、解釈するのに難しく、かつ深刻な政治的困難をもた
らすような、待遇の全面的平等を前提にしている。
  リース- ロス案はイギリスの現実を無視して構築されている。たとえば、アメリカ
からの保証を得ないうちに、終戦時にイギリスに存在する在庫の使用を保証しようとしている。また世界の余剰船舶の大部分がアメリカ籍であって、イギリスには余剰船舶は存在しないという事実を無視している。
  リース- ロスは、「英米合同理事会」(Anglo-American Joint Boards)への連合国
からの代議員選出にかんして小国にまで強い地位を付与しようとしている。
  以上に示されたリース- ロス案に対するケインズの批判の中心は、それが極端な平等主義(= 国際共産主義)に立脚しており、とりわけイギリスのおかれている経済的現実をまったく無視しているという点にあった。これに対し、ケインズの考えの基軸にあったのは、非救済国、救済国、旧敵国という3つの範疇を識別することの重要性である。それぞれの範疇に応じて、配分の原則は異なってしかるべきである、というのである。イギリスの場合、短期間レンド- リースを受けたうえで自立を目指すべきであり、また受け取るいかなる援助も借款ベースにすべきである、と。かくしてリース- ロス案は、ケインズの目からみて非常に破壊的なものであった。

            4.「連合理事会」構想 -若干の歩み寄り

 19431 6 日、ケインズは蔵相ならびにリース- ロスに「戦後救済のファイナンス」と題する文書(JMK.27, pp.79-86)を送付したが、これは若干の修正を経て大蔵省の正式案となった。この文書は、レンド- リース制度の継続を希望するという現実主義的な路線をベースにしつつも、他方でCRRF構想という国際主義的色彩のもつ若干の特徴を、「連合理事会」(Combined Boards.以下CBと略記する)という既存の機構に担わせているという点で、中間的な性格を帯びたものである。
  「戦後救済のファイナンス」は、救済を、すでに実施されていた「戦時協定」(War Arrangements)の一般的原則に沿って実施することを謳ったものである。それは物的側面と金融的側面に分かれている。物的側面を担うのはCBである。CBは救済需要量を世界の残りの民間必要量と調整しながら、「効率性」を専ら考慮して最良の供給源を決定する。他方、金融的側面は、供給国と受取国とのあいだの適切な金融協定によって担われる。ここでは、ケース・バイ・ケースで、無償供与なのか、それとも支払いが要求されるのかが決定されるが、その基準についてはアメリカとのあいだでの何らかの了解が必要であるとされる。
 この提案には次のような利点があると述べられている:①限られた資金で救援物資の迅速な利用を可能にする唯一の有効な方法である、②イギリスがレンド- リ-スの適用を引き続き受けるという資格を奪うことがない、③ 固定された限度額を有するCRRFのような機関が存在しないため、時期尚早の債務を負わされるということもない。
  他方、この提案では、CBに大きな権限が与えられることになる。しかし最終決定は物資を供給する国に委ねられており、その意味でCBは諮問団体にすぎない。だがケインズは、この提案は食糧と原材料の受領国としてのイギリスがCBという外部の配分制度に主として服することになるという事実を変えるものではない、とも述べている。

   5.「国連救済復興機関」に対するケインズの対応 - 「キマイラ」(Chimera)

  救済問題は、その後、アメリカ側のホワイトのイニシアティブのもとで進行し、194311月に「国連救済復興機関」(UNRRA.以後アンラと呼ぶ) として結実することになった。アンラに対するケインズの反応は非常に複雑である。一方でケインズは、それを「キマイラ」(「奇怪な幻想」)と評し続けている。だがある一時期、彼は比較的好意的な接し方をみせた。それは「ホワイト案」に検討を加えた1943年9月のことである。「ヨーロッパ救済のファイナンス」と題された9月17日付けのキャンベル=ロー宛の手紙(JMK.27, pp.90-92)で、ケインズはホワイト案を次のように論じている。
① 無償・有償を問わず、すべての供給物資にかんし受け取り国に対し金額表示の送り
状を作成すること、そしてできるだけ早く商業ベースで扱うべきこと。無償の場合、供与国は救済金融の拠出金からその送り状を引き落とすこと-ケインズは、この考えに賛意を表している。
  価格のなかに輸送サービスを含めること、ならびに供与国はその輸送費を負担する
   こと- この件にかんして、ケインズは財政的にみてわれわれに有利なものであると
の判断を下している。
③ ある国が用立てる資金は、その国の産物ならびにその国内での支出にのみ利用する
という原則を立てること( つまり紐付き資金)
  アンラへの拠出基準を国民所得の1 パーセントとすること - ケインズは、これに同意が得られれば、アメリカ政府は議会との交渉において強力な援軍を得たことになる、と評している。

   実際、ケインズはこのホワイト案を積極的に推進すべく協力を続けた。そして既述のごとくホワイト案がアンラの基盤となったのである。
  ケインズが次にアンラ問題に関与したのは1945年の初頭であるが、このときは強力な批判者として登場している。批判は、アンラが当初期待されていた機能をまったく果たしていないという観点からなされている。たとえば19451 月3日付けのイーディ宛の文書にこの点は明瞭であり、アンラの解散を強く主張している。それに続けて、理想的な進路が次のように描かれている。
「われわれにとっての理想的な進路とは、非常に少数の、支払いをしなくてもよい(non -paying) ……諸国での現在の軍事的基礎が継続するとともに、アメリカを説得してこの条件をアンラの比率に改正することでしょう。もしアンラへの特別支出金が中止されるのであれば、そのことはアメリカにとり非常に容易でしょう。われわれはアンラに失望したために、無意味な道を歩いてきました。後戻りをする何らかの機会をとらえるのが早ければ早いほど……よいのです」(JMK.27,p.95)
  「非常に少数の、支払いをしなくてもよい……諸国での現在の軍事的基礎」とはレンド- リ-スを指していると思われる。つまり、ケインズがここで述べているのは、アンラを解散してそれ以前の状態に戻ること、そしてレンド- リ-ス制度は少数の国に対して継続されること、さらにできれば、アメリカはアンラに出していた特別支出金を転用することでレンド- リ-スの条件を改善すること-これがイギリスにとっての理想的な進路であるというのである。
 これがケインズの本音であろう。だがケインズはその直後(221) に、アンラの解散ではなく、その機能や指導性についての抜本的な改正の必要性という考えを示すに至る。そこには久し振りに救済問題をめぐる国際主義的な視点に立ち返った議論がみられる。
  「最初にアンラについて語り始めたとき、われわれはそれが - もちろん妥当な線を超えては旧敵国に与えないけれども……真の国際的機関であるということを、当然視していました。私は、この計画を復活させる以外には、他に永続的な解決策はありえないと思います」(JMK.27, p.98)
  しかしながら、1946年になると、アンラに対するケインズの態度も、その組織の再編成にではなく、( 漸次的) 廃止へと再度向かっている。それは「アンラ後の救済」と題された19462 14日付けのウェイリー宛文書(JMK.27, pp.100-103)に明瞭である。この文書では次の2 点が興味深い:①  救済問題が( 他の諸国が関与することなく) 米英が中心となって検討すべき問題としてとらえられている、②  本来なら援助を与える力のないイギリスが救済問題にいかにして喰い込むかという視点から論じられている。
 結局、アンラは19466 月に解散した。ケインズの死(4) の直後のことである。

6.ナショナリズムの発露 -英領直轄植民地の復興をめぐって

 救済・復興問題にかんするケインズの活動には、すでにみてきたように、ナショナリステックな要素が明瞭に認められる。この点は「アンラと極東におけるイギリスの解放された領土」と題する1945年1月3日付けのイーディ宛文書( JMK.27, pp.93-95) にあっては、さらに顕著である。この文書において、ケインズは極東の英領直轄植民地の復興目的にアメリカから借款を受けるという考えを拒絶している。アメリカがその代償として英領直轄植民地を信託統治に変えるように要求する危険性がきわめて高い、というのがその理由であった。
「私は、ビルマや英領直轄植民地の復興目的にアメリカ政府から借り入れをしなければならないという考えが、特に嫌いです。何ら特別の要請をするのではなく、一般的な要請のなかにこれを併合する……のでないかぎり、これは大統領が信託統治と呼んでいる形態での代償要求を招く危険性がおおいにあります。これはアメリカの政策のほとんど表面にあり、大統領にあっては特におなじみのものです」(JMK.27,p.93)
 この文書でのケインズの主張は、大英帝国の維持という立場からなされている。英領直轄植民地の救済は大英帝国の義務であり、他国の干渉を拒絶するという姿勢が明確にみられるのである。一般的な要請に併合させることが可能なアンラからの援助が期待できない場合には、アンラからの拠出額の増大要求には応じるべきではない。英領直轄植民地での需要に直接的な援助を行う必要が生じているからである、と。ただ、これをイギリス単独で行うのではなく大英帝国の義務として行うべきであることを、ケインズは強調している。そのための方法が「大英帝国共同勘定」(Empire Pool) の設立であった。つまり、極東における英領直轄植民地の救済・復興問題については、あくまでも大英帝国内で対処しようというわけである。この文書のなかに、アメリカのパワー・ポリティックスに対抗して、弱体化したイギリスの既得権を守らんとするナショナリスト(=インペリアリスト) としてのケインズをかいまみることができよう。

***

  以上にみたように、戦後の救済問題をめぐるケインズのスタンスは複雑な軌跡を描いている。当初、ケインズはCRRF構想を提唱していたが、基本的な点において、ケインズとリース- ロスならびにアメリカとのあいだで、かなりの意見の一致がみられた。だが1941年の末になると、ケインズは考えを大きく変更することになる。イギリスの直面する現実を前にしてナショナリスティックな姿勢をあらわにしたのである。その結果リース- ロスとケインズのあいだには大きな亀裂が生じた。この頃、戦況には大きな変化が生じた。太平洋戦争の勃発、ならびに日本による東南アジアの占領という事態である。イギリス領は日本の手に落ち、アメリカが戦列に加わることになった。その結果、アメリカの連合国内部における発言権は非常に強力なものとなるに至る。
 ケインズは、国際秩序の構築にさいしてイギリス側における指導的人物として活動した。彼の打ち出した様々な構想は、世界権力構図の変化の前に、大きな変容をみせながらアメリカによって吸収・遂行されていく運命にあったといえる。まして救済問題にかんして、ケインズは国際主義的立場を放棄し、ナショナリスティックで現実主義的な、さらにはインペリアリスティックな視点に立った行動へと後退していった。
 その後、救援・復興問題は、完全にアメリカの主導で進められていった。ヨーロッパの救援・復興を強力に推進したのは、1947年に成立した「欧州復興計画」( マーシャル- プラン) であるが、それはアメリカが援助する資金を「欧州経済協力機構」(OEEC)を通じて計画的に運用するという形態をとった7 。また占領地についても、アメリカの支出になる「ガリオア- エロア」が設けられた。こうして、終戦直後にあっても、ヨーロッパへの介入・肩入れに消極的であったアメリカは、冷戦の発生に触発されて、1949年以降、新たな世界秩序の意識的遂行者となるに至ったのである。もはや巨額の国際収支の赤字と戦時国債に苦しむイギリスの出る幕ではなかった。


  1)「英米相互援助協定」(1942 2 ) や「英米金融協定」(1945 9 ) の締結はその代表である。前者では第 7条のなかに帝国特恵関税の除去を暗示する言葉が挿入されており、また後者では通貨・資本移動の自由化が交換条件となっていた。
  2) The Collected Writings of John Maynard Keynes, Vol.25, Macmillan (以下、JMK.25といった表記にする) に詳細な記録がある。
  3) JMK.26のそれぞれ第 2章、第 3章に詳細な記録がある。
  4)  JMK.27のそれぞれ第 5章および第 4章に詳細な記録がある( 社会保証計画については、ベヴァリッジ案に対する強力な支援というかたちをとっている)。
  5)  小麦については「国際小麦協定」(1949 ) が締結されるに至っている。その後、これは「国際穀物協定」(1967 ) のなかの「小麦貿易規約」にとって代わられた。
  6) 1941 3 月に成立した「武器貸与法」(Lend-Lease Act)に基づくもので、軍需物資を連合国に提供し、その支払いは危急の事態が終息してからでよいとした。この交渉でケインズは中心的役割を果している。その成果が既述の「英米相互援助協定」である( 以上についてはJMK.23に詳細な記録がある) 。この制度はその後、ソ連をはじめ多くの国に適用された。イギリスへは総額300 億ドル相当の軍需物資が提供されたが、返済されたのは60億ドルであった。
  7) これは今日のヨーロッパ統合への重要な礎石となった。





2015年4月28日火曜日

「資本主義をどうみていますか」と問われた時、私は次のように答えています。



「資本主義をどうみていますか」と問われた時、私は次のように答えています。


 

資本主義をどうとらえれば
よいのだろうか

           
       





1. はじめに

企業家計政府などの経済活動や市場システムのあり方に影響を与えるのは、経済学者が思うほど、経済理論というわけではない。企業家や政治家、それに他の社会科学者が、経済理論にさほど関心を示すということはない。だが誰でも、経済問題には関心を示す。人間は社会的動物であり、生きていくには、何らかの方法で衣食住を入手する必要がある。さらには、誰でも豊かで文化的な生活の享受を望んでいる。
では彼らは、経済問題に直面して、何に導きの糸を求めるだろうか。答えは社会哲学である。それは、「社会の根本的価値基準」「社会の洞察と評価」「社会のあるべき道」をめぐる考察の総称である (本書では「資本主義観」と置き換えて読んでもらって差し支えない)。指導者であれ、庶民であれ、人は社会のなかで、上記に関して何らかの社会哲学の影響を受けながら、社会的経済的活動を展開し、様々な制度を創設してきたのである。
本話で扱う社会哲学は、「市場システム」(= 資本主義) 、それもこの30年間に対象が限定されている。つまり、いまの資本主義を対象として、上記3点を批判的に考察することを目的とする。
 本話は以下のように進められる。最初に、現在の資本主義システムがもつ3つの問題点に検討を加える。続いて、資本主義システムのあり方を問うことにする。今後の社会哲学のあるべき方向を探るうえで重要だからである。





2. 資本主義システムの問題点

2.1資本主義システムの長所短所

資本主義システムは成長衝動を内蔵するシステムであり、その爆発力が資本主義化を促進すると同時に既存システムを破壊する。それは不安定性を伴う動態的なシステムである。その「成長衝動」「動態性」は、「市場」と「資本」を通じて実現される。さらに、「動態性」を真に担うのは企業である。企業は不確実な未来に向けて、莫大な資金人材を投入して、商品市場の開拓に乗り出していく。
「動態性」、「市場と資本」、「企業」は、資本主義システムのもつ長所である。市場という巨大なネットワークを通じて経済活動が展開されることで、経済主体は自主的行動を許され、無数の財サービスが生産交換され、さらには企業の活動を通じ経済の動態的発展が実現される、という長所である。
他方、資本主義システムには深刻な短所も認められる。第1に、動態的ゆえの不確実性危うさ脆弱性を有する。第2に、固有の「アバウトさ」(「あいまいさ」)を有する。第3に、効率性自由を追求するあまり、不平等格差の拡大を放任する傾向を有する。

2.2 資本主義システムの3つの問題点

次に、現在の資本主義システムが抱えている3つの問題点を取り上げてみよう (これらは上記の短所に、多かれ少なかれ関係している)

(1)バブル現象 - 囚われる企業

バブル現象とは、経済が何らかの要因で過熱し、ついには政府がそれを抑制しようとしても不可能となり、爆発炎上してしまう状況を指す。こうしたことは昔から生じており、17世紀のオランダで起きたチューリップバブル、18世紀ヨーロッパで生じた(ジョンローとともに知られる)株式バブルなどがある。
経済学では、バブルは例外的現象として処理されてきた。それは資本主義の抱える本質的問題ではないとされ、経済学の主要課題は正常なプロセスの分析にあるとされた。さらに景気変動や失業も、20世紀初頭になるまで例外的現象とみなされた。「古典派の二分法」や「セイ法則」にたいする経済学者の信頼は熱く、資本主義システムにおける失業問題への真正面からの取り組みは、ケインズの登場を待たねばならなかった。
それに、この20年、経済学の主流はケインズ以前の状況に戻る傾向が顕著であった。「新しい古典派」は、古典派の二分法やセイ法則を擁護し、非自発的失業の存在を否認するスタンスに立って景気変動を論じてきた。
皮肉なことに、同期間、実際の資本主義システムは不安定さの繰り返しと増幅に見舞われてきた。代表的なものに、80年代末から90年代初めにかけての日本のバブルとその破裂、90年代中葉から21世紀初頭にかけてのアメリカのドットコムバブルとその破裂、2000年代のアメリカの住宅バブル、サブプライムバブルとその破裂がある。いずれの場合も、バブルはマネーサプライの異常な膨張とそれを利用しての過熱した投機活動に、またその破裂はこうした動きを抑制することに失敗した当局の政策に、起因している。
「新しい古典派」は、こうした事態への基本的認識を欠いている。資本主義システムのもつ「不安定さの繰り返しと増幅」を全面にすえた分析がいまほど必要とされている時はない。
バブルが経済システムにとり危険なのは、それが経済社会で活動する人間の心性質を「過剰なまでに」突き動かすからである。ライバル企業が、不動産や株式金融資産などの異常な高騰を利用して巨額の利益を得ているとき、バブルは必ず破裂するといって座していることは、企業組織のトップにあってはほとんど許されない。ライバル他社に比べ財務給与配当状況の悪さが際立つことになり、経営幹部、株主からの激しい不満が押し寄せてくるからである。
 社員にあっても、同僚が多額の注文を取り付けているとき、「バブルだから必ず破裂する」といって客の質を選別することは許されない。結果は金額でのみ評価される環境にあるから、給料ボーナスの大幅カットを受けたり、最悪の場合、解雇されたりするであろう。
 こうしたことは人間組織に通底しており、ライバルが儲けているときに静観することはできないという人間の心性に根ざしている。バブルが続けば、多くの人はそのなかで踊り、少なからぬ人は踊り狂うことになる。そのなかで、人は知らず知らずのうちに、モラルハザードの餌食になっていく。バブルは人間性を狂わせる。すべての人が濡れ手に粟的な利殖の獲得に熱中し、そしてその過程で生じる明白な不正行為 (例えばLBO [レヴァレッジドバイアウト]やハゲタカファンド的行為) までもが正当化されるような倫理観(「どのような手段を使おうとも、儲ける者が勝者、路頭に迷うものはビジネス才能に欠ける者」といった倫理観) が横行するようになる。
それゆえ、バブルの抑止を企業家個人市場に委ねることはできない。それは政府に求めるしかないが、当の政府がバブルの暴走を抑止できていない。とりもなおさず、これは資本主義システム政府の機能不全である。それゆえ、なぜ政府機能が不全なのかを探り、資本主義システムを制度的に改革することが必要である。
リーマンショックに端を発する今回のアメリカのバブル経済の崩壊は、金融の自由化金融のグローバリゼーションが招来した「シャドウバンキングシステム」(以降、SBSと略記)の拡大に大きく由来する。野放図な金融の自由化により、その暴走を止めることができないようなシステムの展開を許容していったからである。バブルの暴走を阻止し、資本主義システムを制御可能にするためには、金融システムの改組は必須である。アメリカで2010年に成立したドッド=フランク法はこうした認識に基づいている。


(2)腐敗と不正

資本主義システムは、市場を通じての財サービスの交換を基本にするため、効率的合理的であり、かつ参加者の自由対等性公平性が保証されている。だが、他のシステムより優れているとはいえ、腐敗と不正から免れているわけではない。
1つは帳簿操作である。資本主義システムにあって、すべての経済活動は貨幣で評価され記帳される。それらの集計で経営状況が判明する。だが、帳簿にはいろいろな落とし穴が潜む。例えば、本来は赤字である業績を黒字にみせる様々な操作手法が工夫されており、経営者が巨万の利得を手にすることもしばしば生じている。こうした行為を止めることは、かなり難しく、その利益が合法的なのか、非合法的なのかの識別は、ほとんどの場合不可能である。それに何よりも非合法である場合、訴追手続きが必要となるわけで、たとえ国側が勝利したとしても、氷山の一角である。
 もう1つは金融に関係する。資本主義システムは金融抜きには成立し得ない。実体経済がある程度の大きさになると、生産サービス活動に必要な資金は外部に依存せざるを得なくなり、そこに金融の存在価値本来的役割が存する。
だが、金融は不正を働く余地のきわめて大きい分野である。金融がより大きな自由を享受するにつれ、不正を働く余地は拡大していく。金融に関連する腐敗不正行為の代表的なものとして、次の3点をあげておこう。

(i) 強制貯蓄 (信用を創出する権利を手にしている金融機関が、必要とする財サービスを思いのままに取得できる方法)
() 株式市場の悪用 (インサイダー取引、デマ情報を流しての株価操作、LBOM & Aなど)
(市場の不存在と不透明化による利益の収奪 (近年、粗製乱造された「証券化商品」)

「市場の不存在と不透明化」は重要な論点なので少し詳しく見ておきたい。

不在化現象 - 証券化商品のもつ大きな問題は、「市場メカニズムに任せる」という掛け声とは裏腹に「市場メカニズム」を無視している点である。
多層化された証券化商品の多くには適正な価格付けを行う市場がそもそも存在しない。証券化商品の代表格である「債務担保証券」 (CDO) の場合、その時価評価は、プライシングモデルによる理論値もしくは投資銀行の提示する参考価格によっている。市場経済の最先端を行く商品、金融工学の結晶と賛美されてきた商品に、市場は(したがって市場メカニズムも)存在しない。
経済が好調であるときは問題にされなかったが、メルトダウンが生じると市場の不在化は一挙に顕在化する (市場が存在しないから、価格の収束先はなく、紙くずになる)。「アメリカ財務会計基準審議会第157号」は「公正価値の評価」を規定している。そこでは評価レベルが3段階に分けられている。そのうち、レベル2は「市場で取引される類似商品価格に基づく評価」、レベル3は「取引価格が存在せず、モデルに基づく評価」となっている。
     
不透明化現象 金融市場は規制緩和、および金融工学の応用により、劇的な変化を遂げてきた。従来、企業の資金調達は株式、社債、銀行借り入れでなされ (しかもこれらは監督官庁の監視下におかれていた)てきたが、証券化商品の進展により資金調達は飛躍的な拡張をみせることになった。この結果、金融市場は多様化複雑化をきわめ、金融当局による監督は事実上不可能となった。そしてこの傾向は、グローバリゼーション、規制緩和、市場の国家にたいする勝利を象徴するものとして賞賛されてきた。
  だが、このことが世界経済危機の大きな原因となった。多層化された証券化商品の売買に巨額の資金が流れ込み、しかもそれはいかなる監視を受けることもない組織によって運用されていった。その代表格がヘッジファンドであり、「仕組み投資」(SIV)である。それらはあらゆる「透明性」を喪失している。その会計内容、その投資行動は秘密裏のままであり、規制を受けていない。そしてこの「不透明」な性質をもつ組織がレヴァレッジ(てこ)を通じ巨額の資金を動かすことになり、少数のファンドや 
SIVの投機行動が、世界の金融に唐突で激しい変動を引き起こしてきた。こうした動きは誰もチェックすることができなくなり、各国政府は対症療法的に動くのが精一杯であった。そればかりではない。FRBの監督下にある預金銀行にあっても、証券化商品の開発販売を促進するにあたり、ファンドや「仕組み投資」を利用することで、自らのオフバランス化を図ることで監督を逃れ、不透明性の助長に加担してきた。市場社会では、一方で「情報の開示」、「説明責任」がさかんに取りざたされてきたが、それとは真逆の傾向が進行したのである。

(3) 格差問題

資本主義システムは経済活動の基盤を市場におく。経済学者は、そのメカニズムをモデル化した一般均衡理論に、絶大なる信頼を寄せてきた。だがこのモデルは、財産の分配状況を所与としたうえでの立論であり、分配状況を問うわけではない。 これと関連するが、経済学者は「正義」を「交換的正義」としてとらえる。市場メカニズムが交換という行為により、「正義」を実現するという考えである。この考えでは、ストックとしての分配状況への価値判断 (「分配的正義」)は排除されている。「市場の自由な作用に委ねれば、経済システムは効率的になる」(「パレート最適」) という思想がある。これも、財産の分配状況は所与として論じられている。 
財産の分布(ならびに所得の獲得方法)に大きな差がある社会にあって、市場の自由な作用のみに委ねる場合、実際には、一層の格差を生み出しがちである。この30年間、「市場原理主義」(「自由放任主義」の現代版) に駆り立てられた世界は、その結果、大きな所得格差(貧富の格差)をもたらしてきた。このことは、ジニ係数その他の数値で明らかになっている。先進国アメリカ、イギリスなどでの所得格差の拡大は著しいし(特に、金融セクターへの富の偏在)、「新興国」BRICSにおいては一層顕著である。

3. 資本主義システムのあり方を問う

「適正な資本主義」、「不適正な資本主義」という表現は、「非科学的」との批判を受けるであろう。「適正さ」という基準は曖昧さを逃れられないからである。だが、それでもなお、この概念は現実の資本主義システムを捉えるうえで不可欠である。
ここでは「適正な資本主義」を標榜するうえで重要と思われる4つのポイントを取り上げてみよう。

3.1「金融部門」と「実体経済部門」の「適正な」あり方

資本主義システムは本性的に動態的である。成長衝動を秘める企業は、必要な資金を外部から調達する必要がある。金融部門はそのために要請されてくる。
金融部門は、本来的には、実体経済部門の円滑な展開成長のために必要とされている。だが、金融部門はそれと無関係に、専ら自己利益獲得のために活動しがちである。
貨幣信用を売買する市場は、自己増殖を拡大していく可能性を秘めている。信用創造自体、中央銀行や金融機関が「恣意的に」生み出すことができ、しかもそれが公益のためになされる保証はどこにもない。資金調達の手段である債券や株式も、それがストックとして蓄積されてくると、投機的対象に組み込まれる。近年異常な拡張をみせた「証券化商品」になると、資金調達の手段からはほど遠い様相を呈している(「GDPを「強奪する」手段」とすらいえる)。
実体経済部門とかけ離れ、金融部門がGDPの益々多くの割合を掌中にするという近年の傾向は、「適正な資本主義」ではない。金融市場の規模とGDPとには自ずと「適正な比率」があるべきであり、それを逸脱する状況を防止すべく、政府による監視は不可欠となる。
「不適正な資本主義」が横行するなか、忘れ去られた感が否めないのは、労働倫理観の崩壊である。資本主義システムには、「勤勉な労働」(額に汗して働くことで収入を得る)と「濡れ手にあわ的労働」の2種類が存在する。前者は、ウェーバーのプロテスタンティズム的精神に属する。後者は絶えず他者をだます、他者にババを渡す行為への誘惑を宿している。いや宿しているだけではなく、そうした行為を正当化すらする倫理観である。金融工学の美名のもと、誰も責任をとることのない証券化商品を氾濫させても、自らがババを引かないように立ち回ればよい、だまされた方が無知なのだ、といった倫理観である。

3.2ビジネスエシックス

資本主義システムの動態性を引っ張るのは企業である。企業は利潤が見込めそうな領域を開拓創造していくことで、自らを成長させるとともに、資本主義システムの発展を牽引していく5
この点を考察するさいに軽視されがちな問題がある。今日の資本主義システムでは、大多数の人間は企業組織に組み込まれている。それゆえ、これら企業はいかなるビジネスエシックスをもって活動しているのかという問題が重要なのである。
この点に関連して、「証券化商品」の多層的展開、レヴァリッジの手法、ヘッジファンドの活動などを通じ、SBSGDPの多くのシェアを奪うまでになった資本主義システムのあり方が問われるべきである。これらの活動が巨大化することで、ビジネスエシックス自体がそれに翻弄されているという事態が、大きな影を落としているからである。
「自己責任に基づいた意思決定によって未来を切り拓く、失敗した場合は市場で淘汰されることで自らの責任をとり退出する、こうした行動により、資本主義システムは人間社会に効率性自由正義成長を達成できる」と、いやというほどマスメディアを通じ、宣伝されてきた。これは「市場原理主義」がつねに唱えてきたものだ。しかるに、その先頭を走ってきた大企業が、「大きすぎて潰せない」(“Too Big To Fail”. 以降、TBTFと略記) を楯に政府に支援を要請し、しかもメリルリンチやAIGのボーナス問題にみられるようなモラルハザードを露呈させてきた。こうした不正堕落利己主義が、先進国の企業内に蔓延しているという事態は、現在あるようなビジネスモデルでは、けっして資本主義の将来を任せられない、ということを示唆する。

3.3 自由と規制

資本主義システムの利点として、「市場」で自由な意思を有する経済主体が取引を行えるという点があげられる。確かにそれは、他の経済システムにつきまとう恣意性を免れることができる利点である。とはいえ、だからといって無制限な自由化が資本主義システムを最善にする保証はどこにもない。
個人の自由が「可能なかぎり」重視されるべきである、というのは当然である。プライバシーへのいかなる人、いかなる機関、いかなる社会、そしていかなる国家の介入干渉も拒否されるべきというのも、しかりである。だが、そこにはつねに、「可能なかぎり」という条件がつく。個人や企業の自由があまりにも大きくなり、例えば、1998年のLTCMにみられたことだが、100人程度のヘッジファンドの失敗が世界の金融システムを瓦解させるに至るまでの自由な行動をとることは許されるべきではない。自由には社会の安定を損なわないという制限があって然るべきである。「相対取引」 (OTC) が極端になると、その不透明さが「市場の不透明さ」、あるいは「市場の不存在状況」を増すことになり、経済システムが混乱に陥る危険性は高まる。
 わたし達は自由化のもつ意味、意義を立ち止まって考えるべきときにきている。近年、マスメディアやネオ
リベラストの唱道のまえに、わたし達は「自由」という言葉、「規制緩和」という言葉の魔力に呪縛されてきた感がある。だが、わたし達は自由とともに、「平等徳」がそれといかなる関係にあるべきかを考える必要がある。無制限の自由では平等徳という問題に対処することはできない。無制限の自由化が「不適正な資本主義」をもたらすような場合、「適正な資本主義」という原点に立ち戻る必要がある。


3.4 政府の役割

これまで今日の資本主義システムがいかなる問題を抱えており、それにたいし、どのような価値観をもって対処していくべきかをみてきた。なかでもビジネスエシックスは、国民の倫理観、価値観と深く関わっており、その是正は教育を通じてなされていく必要のある問題である。
 それ以外の点については、(資本主義システムがもつ不可避的な問題はさておくとして) 政府の登場を待たねばならない。すなわち、資本主義システムは市場での取引に基盤をおくべきであり、かつ資本の自由な移動が保証されている必要があるが、それは無制限の自由の容認ではありえないからである。
 政府は無制限の自由が引き起こす資本主義システムの暴走を制御できるような、様々の制度を設計していく責務がある。とりわけ、金融部門の暴走が実体経済部門を無視し、GDPのうち取り分の拡大を自己目的化することのないような制度設計が望まれる。「適正な資本主義」の実現のためには、貧富の格差拡大防止のための施策が打ち出されることも、政府には要請されている。




4. むすび

今日の資本主義システムは、この30年間の金融の自由化 (ならびにそれを後押ししたネオリベラリズム)によって生み出された金融システムが、リーマンショックにより深甚なる打撃を受けることを通じ、実態部門を大いなる苦境に陥らせてきている。この点はとりわけ先進国地域に顕著である。
 この事態は、資本主義システムが無条件の自由化によっては非常に危ういシステムに堕していく危険性があることを示唆している。それは財産格差所得格差を著しく拡大させてきた。それは金融システムをTBTFで救済し続けることを通じ、モラルハザードを引き起こしてきた。それは、金融工学による証券化商品の粗製乱造により、GDPの「分捕り」を自己目的化する行為を増長させ、そのことが資本主義システムの「ビジネスエシックス」(経営倫理と労働倫理の双方を含む)を歪めてしまった。
本話で述べたことは、今日の資本主義システムが陥っている問題点の指摘に目を向けようとするものであって、それ以上のものではない。だが、問題の適正な解決法は、この延長線上に存在すると思うのだが、いかがであろうか。