2016年9月25日日曜日

石橋湛山について 平井俊顕





石橋湛山について

平井俊顕

日蓮宗僧侶の家に生まれた湛山 (1884-1973) だが、幼少時から、他寺に預けられて育っている。早稲田で彼が学んだのは哲学である。ジャーナリストの道に入ったのは、かなりの偶然が作用している。東洋経済新報社に入ったが、かれはそのために入ったわけではなく、たまたま社の事情でそうなる方向に運命づけられたのである。
湛山は、戦前の日本が生んだ最大級の政治・経済ジャーナリストである。彼
は自らを一貫して自由主義者と名乗っている。共産主義、社会主義には批判的であり、政治や軍部の行動にたいしても絶えず批判的であった。そして湛山が日本の自滅の原因としてもう1つあげていたのは、これらの政治・軍部の行動にたいし抑止力となり本来の自由主義的な国家の建設に寄与すべきはずの政党が貧困であり矮小化であったという点である。湛山が最も重視しているのは、政党が具体的な政策を明示し、そしてそれをいかに実行するか、という点である。
議会制民主主義を重視し、なによりも言論の自由の重要性をたえず訴えてい
た。

だが何よりも、湛山の名を歴史的に残すのは経済ジャーナリストとしてである。1920年代後半から生じた金解禁論争において、旧平価による金解禁を唱え、
デフレ政策をとりながら、19301月、それを実行に移した井上準之助に反対し、新平価による金解禁を一貫して唱道した点がそれである。だが、アメリカの大恐慌の発生の影響も受け、193112月には、浜口内閣は金解禁の禁止を行うことになった。この後、為替相場の大幅な下落と、高橋蔵相のもとでの財政支出の大幅な増大により、経済は大幅な改善をみせることになる。湛山はこれらの政策を「リフレーション政策」と名付けている。
湛山は、歯切れよく日本の財政、金融、経済状況を分析している。あまり凝り固まったイデオロギーといったこととは無縁で、事実をかなり大胆に分析しながら、己の見解を相当自信をもって語っていること、そして必ずといってよいほど、具体的な案を提示していることが印象的である。
この点に関して2点をあげておこう。1つは、湛山は通貨体制そのもののあ
り方に大いなる関心を示し、金本位制そのものにたいして批判的であり、「紙幣制度」(=「統制通貨」)が今後の貨幣制度になっていくことに賛意を表明している。もう1つは、1937年以降は、一転してインフレ抑制政策を主張している点である。日本経済がインフレ傾向を示していることから、為替相場を引き上げ、増税を断行することを、その後唱道している。
 己の見解を相当自信をもって語って語るというスタンスは、おそらく大学時の哲学(とりわけ早稲田時代の恩師田中王堂)からの影響によって培われたところが大きいように思われる。なにせ経済を勉強し始めたのは28歳の頃で、しかも上記のような偶然に由来している。ただ、以降の湛山は世界や日本で生じている経済・政治現象についての情報を入手するだけではなく、関連する経済学についても幅広く読みこなしている。
 なかでも湛山が多くの注目を払い続けたのは、ケインズである。『貨幣論』、『一般理論』などについてただ読むだけではなく、1932年には社内に「ケインズ研究会」をつくり、『貨幣論』についての検討を行っているし、『一般理論』についてはその翻訳をめぐり、読み合わせ会を10数回にわたって開いている。
 
 湛山は、非常に多くの具体的提案をするとともに、それらを数多くの研究会や講演会を組織して全国的に講演するというような行動力・実行力のある稀有なるジャーナリストであった。経済倶楽部の創設、(後に)金融学会となる学会の創設、さらには英文雑誌オリエンタル・エコノミストの発刊は、いずれも彼のイニシアティブによるものである。そして何よりも、東洋経済新報社という自由主義的伝統を掲げる組織を困難なる時代にあって、ここを拠点として自らの政治・経済についての見解を発表し続けたことが、特筆されるべきである。



2016年9月11日日曜日

石橋湛山と現代日本の政治経済とに関する講演会





さて、ケインズ学会では、ケインズと現代の問題との関連して、毎年2回、講演会を開催

してきていますが、今回(第9回目)は、石橋湛山と現代日本の政治経済とに関する講演

会を開催する予定です。皆様方におかれましては、ふるってご参加ください。


               記


日時:2016年10月29日(土)午後3時~6時

場所;立正大学 品川キャンパス 334教室(3号館3階)

講師:増田 弘先生(立正大学教授)

   中岡 望先生(東洋英和女学院大学教授)

   田中 秀臣先生(上武大学教授)

論題:石橋湛山の業績と現日本の政治経済とに関連した話題


 

2016年9月3日土曜日

24 経済学は論理学、そしてモラル・サイエンス(一九三八年)





拙著『ケインズ100の名言』東洋経済新報社から


 24 経済学は論理学、そしてモラル・サイエンス(一九三八年)

 経済学は論理学の一分野であり、思考の一方法です。……経済学は本質的にモラル・サイエンスであって自然科学ではありません(ハロッド宛書簡、一九三八年七月四日付。JMK. 14, pp. 296-7)。

 これは計量経済学の先駆的業績であるヤン・ティンバーゲン(Tinbergen1939])をめぐり、ケインズとハロッドのあいだで交わされた書簡の一節である。ティンバーゲンに対するケインズの評価は徹頭徹尾、厳しいものであった。その際、ケインズは自らの経済学に対するスタンスを次の二点におく。

一つは、経済学を論理学の一分野とみなすスタンスである。経済学はモデルの改善によって進歩するが、可変的な関数に実際の数値を当てはめるべきではない。統計的研究の目的は、モデルのレリヴァンス・有効性をテストすることにある。この背後には『確率論』(JMK. 2)で展開した理論が確実に存在する。だがケインズの経済学が、計量経済学および一般均衡論の発展と連携してマクロ経済学の主流となったのは皮肉である。

もう一つは、経済学をモラル・サイエンスと特徴づけるスタンスである。これは、内省と価値判断を用い、動機、期待、心理的不確実性を扱う科学と定義されている。「新しい古典派」のような「形式主義」と真っ向から対立する方法論である。

 関連項目→18


Hayek, Law, Commands, and Order (in The Constitution of Liberty, 1960)




Hayek, Law, Commands, and Order
(in The Constitution of Liberty, 1960)


ここでいうLawは「抽象的な法」(abstract law)である。抽象的なルール。
そしてそれは自生的秩序の一例である。

「・・・法は、もちろん、言語とか貨幣、いや社会生活が依存するほとんどの 
実際や慣習と同様、だれか特定の人によって発明されたものではまったくな 
い。」(p.148)

次の一文は中心的重要性を有している。

本書の中心的な関心である「法のもとでの自由」という概念は、われわれへの適用とは関係なく制定された一般的で抽象的なルールという意味において、われわれが法にしたがうとき、われわれは他の人の意思に服しておらず、それゆで自由である、という主張に依存している。

ハイエクにとって「自由」とは「抽象的な法」にわれわれが従う、遵守するという意味である。そしてそれは他者の意思に服さないわけであり、したがって「自由」なのだ、と。

 「この一般性は、われわれがその「抽象性」と呼んだところの法の属性の、おそらく最も重要な様相である」(p.153)

個人は「現場の人の知識」に基づき、自発的に行動することができる。こうした自由は、「抽象的な法」という枠組みのなかで発揮される自由行動である。それは分かるが、では「抽象的な法」自体は、いかにして創られるのか、そこに人間が関与しているように思われないところに、自生的秩序論の神秘主義が潜んでいるように思われる。

「命令」(Command)は、それを発する人の目的にのみ資する、誰かが誰かにたいし行う命令である。

「秩序」(Order)は、自生的秩序の意味で用いられている。

「この秩序性は、もし諸個人が彼らだけが知っている特殊な環境に、そしてだれか特定の人が全体についてけっして知られていない彼らの行動を調整することをわれわれが望んでいるのであれば、統合化された指令の結果であるはずがない」(p.160)

「状況についての知識が非常に多数の人々のあいだに分散されている、そういう状況への調整を行う秩序であれば、それが中央の指令によって達成されることはありえない」(p.160)

「・・・われわれは社会における秩序の形成の状況をつくることはできるが、その要素が適切な条件のもとで秩序付けられる方法をアレンジすることはできない。」 (p.161)


                                                                                                                                                                                            

2016年9月2日金曜日

The Origins and Effects of Our Morals: A Problem for Science, A Speech delivered at the Hoover Institution, November 1, 1983.  平井俊顕






The Origins and Effects of Our Morals: A Problem for Science,
A Speech delivered at the Hoover Institution, November 1, 1983.

                                平井俊顕

システムについての価値判定ルールの欠如
 ハイエクの自生的秩序はやはり「良いモノ」との暗黙裏の価値前提がある。悪い「自生的秩序」はまったく念頭にない。議論の対象から完璧にはずされている。換言すれば、人間社会をみるときにハイエクは「良い」と思うモノにだけ焦点を合わせ、そうでないもの(例えば戦争、争いごと、犯罪など)は考察の対象からはずしている。
 本来、人間社会には、いわば「悪い自生的秩序」も存在する。戦争は人間社会から切り離すことのできない悪い「自生的秩序」といえなくもない。それは1つ1つの戦争は単発的ではあっても、人間社会が存続するかぎりなくなることのないものだからである。その意味で戦争も1つの制度である(国防の延長線上で戦争は生じる)。ヤクザ組織も、売春も然りである。いまの社会にはびこっていて消えるどころではないであろう。

 したがって「良い」「悪い」を判定する基準がハイエクの自生的秩序論にはないのである。
 そうした人間社会に厳然として存在し続ける「悪い自生的秩序」に目を向けないで、ハイエクの批判は、唐突に、そしてすべからく理性主義者、社会主義者に向かうのである。これは、何か一方的な評価法なのではないだろうか。

神秘主義
ハイエクは、個人の認識の無知を強調する。その点で彼は現実主義的である。だが、社会を論じるとき、「天蓋」(=自生的秩序)が強調される。それは、個人がその形成に寄与するところはまったくなく、いわば諸個人の外から社会に被せられるかのようである。「天蓋」の上には神がいて、諸個人は見えない糸で操られているかのようである。社会には諸個人しか存在しないのに、だからすべての秩序は彼らがつくっているはずであるのに、彼らには何の寄与もないのだという。これは一種の「神秘主義」(観念論)ではないのだろうか。くしくも彼はこの論文で transcend” (超越する) という言葉を使っている。

理性主義=社会主義直結論
もし人々が少しでも、「伝統」にたいして異を唱え、自らの望むようにそれを変革しようとする動きをみせるならば、ハイエクはそれを「理性主義者」の愚挙として糾弾する。そしてその矛先はストレートに社会主義批判に向かう。自生的秩序に反旗を翻す行為は、理性主義者のおごりであるとされる。

この論文では、進化論的考察が、ハイエク本来の自生的秩序論に加味されるかたちで論じられている。そしてその進化論は社会ダーウィニズムとは異なるものであることが強調されている。
 彼によれば、グループがあるシステムよりもこのシステムを選択することにより、人口が増大していくことが、そのシステムが歳月を超えて生き残っていく条件であるという。そうして生き残ってきた制度は、価値ある伝統として、われわれは守らなければならない、というわけで、現存秩序を非常に重視する保守主義である。
 だが、本来、個人主義的に社会をみる (もっとも他方で、「天蓋」論があるのだが) ハイエクが、グループをもちだしてくるとき、何か矛盾するものを彼の社会哲学に導入してきてはいないだろうかという気がしてくる。個人ではなくグループがシステムを選択するというとき、これは集団としての意志決定のようにもみえる。しかし、もちろん自生的秩序にあってはそうした集団の決定といったことを許容する余地はない。





Hayek, Two Types of Mind, 1975  平井俊顕







Hayek,  Two Types of Mind, 1975

                                 平井俊顕 

科学的思考には2つのタイプが存在する。1つはメモリー・タイプ であり、もう1つは
パズラー (puzzlerもしくはmuddler)と呼べるものである。

メモリー・タイプとしてヴァイナー、シュムペーター、ベーム-バヴェルク、ラッセルを、またパズラーとしてナイト、ヴィーザー、ホワイトヘッドそれにハイエクが挙げられているのが面白い。

メモリー・タイプ: 自らの概念のみならず、過去や現在の他の理論を包摂する全体を知っており、即座に解答のできるような大家

パズラー:合成写真のぼんやりしたアウトラインに似ている。独立した思想への前提条件である混乱した頭脳状態を有する人。

2つのタイプが存在するというのが真実である場合、現在の大学教育システム(試験制度)は、パズラーを排除するかたちになっているので好ましくない。

このコースを選択した(とくに理論的な仕事)者に必要な生活(住居、食事、十分な書籍代)が提供されるような取り決めがあるのが望ましい。そして快楽を数年間犠牲にして、選択した科目の研究に専念する機会を与える。
  非常に厳格な生活を送り、快楽は犠牲にされる生活、こうした生活を用意することの重要性。それを体験してきた人は試験制度による方式に成功してきた人よりも尊敬されるのは当然であろう。

こうした制度の確立により、学術社会の重要な構成要員を育てることができ、試験制度を通ってきた人々、すなわち慣れた轍のなかで動く神聖なる公式の支配にたいするセーフガードにもなるであろう。

バーリンの「はりねずみと狐」との類似性にハイエクは言及している(p.50の脚注)。ここではりねずみは1つの大きなことを知っているものとして、また狐は多くのことを知っているものとして比喩されている。


Hayek, The New Confusion about 'Planning' , 1976









Hayek, The New Confusion about 'Planning' , 1976


1975年頃に、アメリカで「計画化」についてのプロジェクトが、レオンチェフを中心にして打ち上げられた。ハイエクはこれを、1920年代-1930年代の「社会主義経済計算論争」での議論の教訓をまったく無視した、そして1960年代に主としてフランスでもちあがった指示的計画(Indicative Planningの混乱に満ちた議論をも顧みない、ひどく時代遅れの計画である、と酷評している。

それはレオンチェフの産業連関表の充実と関連しているが、それは次のような誤った信念に基づくものである、とする。

 「投入・産出計算の価値を信じる源泉は、資源の効率的な使用は、主として技術的な配慮によって決定されるのであって、経済的な配慮によってではない、という完全に過てる考えである」(p.242)

かつて、こうした「5カ年計画案」的なものが、盛んに日本でも議論されていた (「中期経済計画」とか「長期経済計画」といったもの)



Hayek, Adam Smith's Message in Today's Language, 1976. (Daily Telegraph, 9 March)  平井俊顕






Hayek, Adam Smith's Message in Today's Language, 1976.
(Daily Telegraph, 9 March)


                                  平井俊顕

アダム・スミスは自生的秩序論を展開しているとして、最大限にハイエクはスミスを評価している。それにたいして、「社会的正義」という概念は、部族時代からの「隔世遺伝」であり この認識は、論文「社会的正義という隔世遺伝」(1976)と共通している―、これは「偉大な社会」(Great Society)、もしくは「開かれた社会」(Open  Society)とは相容れないものである、と。スミスは社会主義の存在を知らなかったが、こうした考えをする人を「体系の人」(man of system)として ハイエクの用語でいえば、構成主義(Constructivism) 者として 批判している(つまり、チェスは差し手が駒を意のままに動かせるが、個々人が自らの行動原理をもつ人間社会にあっては、立法者が押しつけようとする行動原理と異なるため、社会はつねにきわめて混乱した状況におかれることになる、という『道徳感情論』でのスミスの発言を取り上げつつ)。

抽象的なシグナルである価格というものに動かされ、自己のために行動する諸個人 ― 個人は狭い理解力しかもっていない によって構成される社会の方が、特別の事例や状況、隣人の能力、気づかれた必要などによって動かされる社会よりも、はるかに優れているし、個々の事実についてのわれわれの無知を克服でき、諸個人に散在している具体的な状況についての知識を最大限に利用することができる。このことに気づいたのは、スミスの偉大な貢献である、と。

制度を意図的に作り出されたものとしてみるのをやめ、ある明白な少数の原理の自生的展開としてとらえる見方はスコットランドの道徳哲学者(ケイムズ、スミス、ミラー、ファーグソン)がなした重要な貢献であり、スミスはこのアプローチを「市場」に適用した、としてハイエクはスミスを高く評価している。


2016年9月1日木曜日

Hayek, The Errors of Constructivism, 1970 平井俊顕





Hayek, The Errors of Constructivism, 1970

平井俊顕

ハイエクは、これまで誤って呼ばれてきた「合理主義」(rationalism)を表現するために「設計主義」 (Constructivism) という用語を用いている(設計主義的合理主義)。

その意味は、次のようになっている。

「人はこれまで社会の制度や文明を自身で創造してきたから、人は彼の欲望や望みを満たすようにそれらを思うように変えることもまたできる」 (p.3)

次の引用がハイエクの意味する設計主義を最もうまく表現するものである、とハイエクは述べている。

    「「社会学が設定した最も重要なゴールは、将来の発展を予想すること、そして人類の将来を具体化すること、次のように表現することを好むのであれば、人類の将来を創造することである」。もし科学がそのような要求をするのであれば、このことは明らかに、人類の文明全体が、そしてわれわれがこれまで達成してきたすべては、目的合理的な設計部としてのみ構築することができつという主張を包含するものである」(p.6)

  「設計主義者がそのような遠大な帰結と要求を導くところの事実上過てる主張は、
   われわれの現代社会の複雑な秩序は、人々が彼らの行動を予測 ― 原因と結果のあいだの関係についての洞察 ― によって行ってきたという環境にもっぱらよるものである、もしくは少なくともそれはデザインを通じて生じることができたという環境にもっぱらよるものである、というものであるように、私には思われる。」

これにたいしてハイエクが対置する考えは以下のとおりである。

   「人々は、彼らの行動を、特定の既知の手段と確定した望ましい目的とのあいだの因果関係についての彼らの理解によってもっぱら導かれてきているということはけっしてなく、かれらがめったに気がつかない、そして彼らが意識的に創造したということはけっしてない行為の規則によってつねに導かれてきているのである。そしてこの機能と意義を識別することは、困難で部分的に飲み達成される科学的努力の課題なのである」 (pp.6-7)

  ハイエクは、人々の行動について、知られた手段と望まれる目的との因果関係を理解することによっては導かれるものではなく、めったに意識することのない、そして意識的に発明したのではない「行為の規則」によってもいつも導かれている、と述べている。
 ここでは、明らかに後者に力点がおかれている。「規則」(rule) は (1) 実際に守られているだけで、言葉で説明されることのけっしてない規則、(2) 言葉で表現されているけれども、行動で一般に守られてきたことをほぼ表現しているにすぎない規則、(3) 意識的に導入されてきており、そしてそれゆえ文章で表現された言葉として必然的に存在する規則のうち、 (1)と(2)がここでは重視されている。

 「幾世代にもわたって通用している世間知は、因果関係の知識で構成されているのではなく、環境に適応して、環境についての情報のように働く行為の規則(それは環境について何かをいうわけではないが)で構成されている」(p.10)

・「規則」を守ることは、グループのメンバー全体をより「有効」 (effective) にし、より効率的な秩序を達成したグループはそうでないグループを排除していく (p.7)

・社会の秩序とは、諸個人の行為の規則性とは異なる概念である点を、ハイエクは強調する (p.9)


メモ:思想家間の相違点について

ハイエクとケインズ/ホートリーの哲学的基礎には相当な相違がみられる。

・ハイエクの哲学にあっては、個人は理性をもった存在として扱われることはない。むしろ個人は慣習 (規則) によって行動する存在と考えられており、社会の形成・創造において非常に受身の存在になっている。この哲学は、メンガーにさかのぼることができるであろう。
   この哲学は個人主義哲学ではない。社会のなかにおける個人は受身の存在だからである。ハイエクは自生的秩序論の先行者としてヒュームをあげるが、ヒュームの哲学は合理主義的であって、ハイエクのものとは性質を異にする。
   ハイエクの哲学には、価値判断の場が存在しない。人々は合理的な存在ではなく、物事の価値判断を行う能力を有していないように思われる。だから、自生的秩序として存在するものはそのまま受け入れてしまっているのであって、それがよいものか正しいものか、はたまた悪いものか誤っているものなのかを判定することができない。
   ハイエクは反功利主義者である。功利主義哲学は個人が快楽-苦痛の計算をできる存在として措定されている。

規則が人々の意思とは無関係に集積していくとしよう。しかしその存在に気が付いた段階でだれかがそれをよりよいものにすべく、意識的に改善するという行為が必ずやとられるはずである。この場合、そのことによって改善された規則は純然たる自生的秩序では、もはやない。

ハイエクは設計主義的合理主義を批判する場合、非常に極端なスタンスをとっている。設計主義的合理主義は、一人の人が意識的に設計したものが必ず社会において実現できる確信するような人として、絶えず描かれているが、これは極端である。さまざまな人が設計してそれを競争する、その結果、優れたものが生き残り、あるいはそれらは他の競合する設計と融合することで混合的な設計へと変化していく、そうした可能性を、ハイエクは設計主義的合理主義を極端なスペクトラムにおくことで看過する。
     片一方に「設計主義的合理主義」、もう一方に「自生的秩序論」をおき、そのいずれが正しいか、という二極化でとらえる、つまりその中間的な形態を無視するというのは、ハイエクの思想に通底する特徴であるように思われる。

・ハイエクによれば、17世紀になってデカルト(ヴォルテール、ルソー)による合理主義哲学により、設計主義的合理主義が支配的となり、スコットランド啓蒙主義 (ヒュームなど) 的認識はゆるやかに進行した。

絶えず意識しないで傍らに出来上がってくる規則、そしてそれを利用する人々、しかし、その存在を知りながら、それを意図的に改善しようとする人の存在しない世界、人々は無知でどこまでも受身の存在として描かれている。

ただし、出来上がってくる規則を、人々は「有益である」と認識することが、ハイエクによってまったく語られていない、というわけではない。

「科学的理論と同様に、「行為の規則」はそれらが有益であると判明することで保持されるが、科学的理論とは対照的に、だれも知る必要のない証明によって保持されるのである。なぜなら、証明は、それが可能にしている社会秩序の復元力および進歩的拡張によって明らかにされているからである」(p.10)

  「彼が意識的にデザインすることができるすべてを、彼は、自らが創造したのではない規則のシステム内でのみ、そして現行の秩序を改善する目的で、創造することができ、創造したのである」 (p.11)

 人々が意図してできることはルール・システム内部でのことだけである。その範囲でのみ現行秩序の改良が可能である(にすぎない)。
 なぜそのような断言が可能なのであろうか。例えば言語にしても、ハングルやカナは特定の人々の意図により、改善ではなく、発明されているのである。平安京は桓武天皇の都市計画によって出来上がったのであり、いまの京都もその影響下にあることは、歴史的に明らかである。

 ・ミーゼスの哲学とハイエクの哲学はかなり性質を異にしている。ミーゼスのプラクシオロジー。ミーゼスの場合、シュムペーターと同様に、企業者が重要な役割を演じる経済理論を有している。

・これにたいし、ケインズやホートリーは、個人を、理性を有する存在とみている(「若き日の信条」での人性合理性にたいしての言及を想起せよ)。これはケンブリッジ的な特徴なのかもしれない。

・シュムペーターにあっては、彼の本丸である経済発展論において、企業者の役割が大きく、そしてその展開方法は当時の「エリート論」の影響を強く受けている。

・進化論について
 
 ケインズは『自由放任主義の終焉』において、スペンサーの進化論を取り上げ、それが、19世紀後半の「自由放任主義」を新たに補強したとみている。

 ホートリーは (ケインズとは異なり) 進化論をみずからの哲学のなかに取り入れ、合理化の社会への進展として取り上げた。

 ハイエクも進化論を取り入れているが、それは「行為のモード (規則) 」したがって自生的秩序の形成との関連で取り入れている。そしてそれは、より効率的な秩序を形成するものとしてとらえられている。「効率的」は「良い」という判断とは異なる点に注意が必要である。

 「行為のこれらの様式が支配し、そのようなグループが他のグループを優越するがゆえに、全体としてのグループにとってより効率的な秩序の形成へと導くような選択過程が生じる」(p.9)

 こうしてみると、進化論というのは、両刃の剣である。

 「理論的知識を前進させることが、われわれをして、複雑な相互関連を確定した特定の事実へと減少させる地位に、あまねくますますもたらす、という思い込みが、しばしば新たな科学的誤謬をもたらす。とくにそれは、われわれがいま考えなければならない科学の誤謬をもたらす。というのは、それらはわれわれが負うている社会秩序やわれわれの文明の代え難き価値の破壊をもたらすからである」(p.13)

ハイエクは19世紀に設計主義的誤謬が広まったと考えている(第7節)。「実証主義」、「功利主義」、「認識論的実証主義」、「法実証主義」、「社会主義」が挙げられ、それらを批判している。

今世紀における設計主義 (科学的誤謬による価値の破壊現象) を、権威者からの引用により跡付ける作業。ChisholmとKelsen  (法実証主義者)を取り上げている。

  「私が述べたことの帰結は、ただ、われわれはその価値のすべてを同時に問うことはけっしてできないということである。そのような絶対的な疑念は、ただわれわれの文明の破壊、・・・極端な悲惨さと飢餓をもたらすだけである。」(p.19)

 「そのような偉大な社会の可能性は、たしかに、本能には依存しておらず、獲得した規則のガバナンスに依存している。これは理性の原理である。それは、本能的な衝撃を抑制し、個人間の精神的なプロセスに始まる行為の規則に依存している。このプロセスの結果として、やがて時の経過とともに、すべての個々別々の価値セットはゆっくりと相互に適応するようになるのである。」(p.19)

進化論的な表現になってはいる。 

  「人々が社会の特定の価値を評価する唯一の基準は、同じ社会の他の価値全体であ
る。」 (p.19)

ここで唯一、自生的秩序論のなかで、個人が意識的に評価を下す場面が登場してくることになる。(下記を参照。似た発想)

  「理性は所与の価値についてのそれ自身この相互の調整であることが示されねばならない。そしてそれはその最も重要な、だが、非常に不人気の仕事を遂行しなければならない…」(p.20)

ハイエクがここでいう「理性」とは、ロックの意味である (p.19の注24を参照)。

  すべての価値が生まれ出るある特定の行動原理で、モラルの適正な形成に必要なものは何でも・・・
ここでも進化論的な叙述 (p.20)

科学は価値と関係がないというのは、誤った信条 (p.21)

  「現存の社会秩序は、人々がある価値を受け入れるがゆえにのみ存在する」 (p.21)

  「価値を含むそのような前提から、議論のなかで前提されているさまざまな価値の整合性や不整合性についての結論を導出することは、完全に可能である」(p.21)

 「われわれが社会の秩序化の継続するプロセス ― そこではほとんどの支配的な価値は疑われることはない ― を処理しなければならないとき、残余のシステムと整合的である特定の質問に対するただ1つの確かな回答があるのみである」(p.21)

  「受け入れられている価値と支配的な事実の秩序とのあいだの関係」(p.22)

  「かくして、諸個人とかグループが意識的に追及しているようにはみえない価値の受容に依存していることが、われわれがすべての個々の努力において前提しているそんであるところの事実的秩序の基礎そのものである、とことを証明することが可能となる」 (p.22)

見落としていたが、ハイエクは人々の価値判断について言及している。それは、大多数の価値を受け入れている状態が、現在の秩序の基本である、としたうえで、個々人の行為がそれとの関係で評価される、というものである。しかし、このような抽象的な基準でよいものであろうか。