2015年8月31日月曜日

ケンブリッジの社会哲学*


      
ケンブリッジの社会哲学*

  



平井俊顕



1.    はじめに

戦間期ケンブリッジは、言うまでもなく、経済学の歴史に巨大な足跡を残した。ピグーの厚生経済学、ケインズのマクロ経済学、ロバートソンの産業変動の理論、ホートリーの景気循環理論、ジョーン・ロビンソンの不完全競争理論 (これはスラッファによって始められた費用論争に端を発するものである)などを挙げれば十分であろう。それぞれはこれまで大いに研究されてきたのだが、全体としてのケンブリッジ学派を調べることを目的とした研究は、意外なほど数が少ない。
 経済理論の領域でのそのような研究は、追究されるに値する重要なものであるが、それについては別の機会に譲ることにし、本章では、戦間期のケンブリッジ学派によって抱かれていた社会哲学 - 市場経済にたいする価値判断を伴ったイメージ - を調べることにしたい。取り上げるのは、ケインズ、ピグー、ロバートソン、およびホートリーのケースである。1 これらの世界的な指導的経済学者が市場社会をどのように評価していたのか。彼らはそれが、どのように改革あるいは変革される必要があると考えていたのか。そして、彼らは実際、どの程度、これらの点で共通していたのか、あるいは相違していたのか。本章が追究するのはこうした点である。
 この課題の意義は、第1に、彼らの社会哲学はケインズを別にすれば、長きにわたり忘れられてきているという事実に求められるかもしれない。したがって、現在の新古典派経済学の状況を念頭におくと、ケインズをのぞけば、ケンブリッジの経済学者は自由放任的な市場社会を称賛していたという考えに、あまりにも安易に陥ることであろう。
だが、事実はこれとはまったく異なるのである。
第2に、ケンブリッジの経済学者の社会哲学を明らかにすることによって、われわれは、「社会哲学と経済理論のあいだの関係」を理解する有益なカギを得ることができる。
概して、われわれは、戦間期のケンブリッジにあって、経済理論は批判的な議論を通じて多様な展開を遂げたのにたいし、彼らの社会哲学は、対照的に、相当程度の類似性を示している、と言える。
  本章は次のように展開する。第2節で、序曲としてマーシャルの時代を扱う。そして
第3節から第6節では、ケインズ、ピグー、ロバートソンおよびホートリーが、それぞれ、社会哲学の観点から論じられる。第7節では、ケインズの時代を特徴付けることにする。
第8節は結論である。
 

2.マーシャルの時代 序曲

この時代、マーシャルの経済学とコレクティヴィズムがイギリスを支配していた。ここで、注意すべきは、マーシャルの経済的リベラリズムは影響力のあるものではなく、むしろニュー・リベラリズムがマーシャルの社会哲学にいくらかの影響を与えた、という点である。この時期、支配的な社会哲学は、社会帝国主義(チェンバレン)、自由貿易帝国主義 (アスキス) 、ニュー・リベラリズム (ホブソン)、およびフェビアン主義 (ウェブ夫妻とバーナード・ショー)によって代表されていた。彼らのすべてが共有していたのは、貧困問題 (社会改革) を解消するために国家の積極的な関与の必要性を唱道し、レッセ・フェールに批判的であった、という点である。適切な言葉がないので、これらの思想傾向を「コレクティヴィズム」と呼ぶことにしよう。レッセ・フェールは、事実上、レイム・ダック状況になっていたのである。
  この時代、イギリスの経済学の主流は、マーシャルが指導する新古典派によって構成されていた。交換の理論を正常需給の安定均衡の理論 (均衡の静学理論) として提示したのはマーシャルであった。それは、貨幣の限界効用および貨幣の一般的購買力の双方を一定と仮定し、分析対象を単一の財に限定したうえで - 諸財のあいだの空間的相互関係の分析は除外されている - 異時間の問題を考究する有益な方法を提供するものであった。マーシャルは述べている。分配と交換という中心的な問題のすべてのさまざまな個所を貫通している基本的な考えは、「需給均衡の一般理論」である、と。
マーシャルの気持ちは、社会主義もしくはコレクティヴィズムに非常に深く考えていたという事実にもかかわらず、マーシャルの社会哲学は古典的リベラリズムに基づくものであった。グレーネヴェーゲン (Groenewegen 1995, p.610) は、マーシャルの立場を、「彼の形成期に存在していた古典的リベラリズムの教義に文字通り一貫して
支持するものであり、彼はこれから決して離れることはなかった」とまとめている。
  マーシャルは、企業家や企業組織が経済発展に演じる役割の重要性、自由貿易が促進する競争の重要性、中小企業によって引き起こされる外部経済やある地域へのそれらの集中の重要性を強調した。彼はまた、余剰分析を用いながら、競争によってもたらされる社会的余剰の最大化を重視した。
 イギリスがドイツやアメリカとの競争において不利な状況に陥っていることにマーシャルが懸念を抱いていたというのは、よく知られている事実である。にもかかわらず、マーシャルは、競争の利点を根拠に自由貿易を唱道したし、ある地域に中小企業が集中することの利点を強調した。
  経済理論家としてマーシャルは、イギリスの経済学を彼の支配下におくことに文字通り成功した。しかしながら社会哲学における彼のスタンスは、経済的リベラリズムであり、当時のトレンドで言えば、保守主義であった。この意味で、マーシャルの時代は、
経済学の領域ではマーシャルの経済学が支配したのだが、社会哲学の領域ではニュー・リベラリズムをはじめとするコレクティビズムが支配した時代であった。


3. ケインズ2「ニュー・リベラリズム」

ケインズは、『一般理論』を通じて、経済理論および経済政策における、いわゆる「ケインズ革命」をもたらした。しかしながら、これが唯一の影響というわけではない。戦後のヨーロッパを支配した社会哲学である「ニュー・リベラリズム」は、ケンブリッジの度の経済学者よりも、重要な恩恵をケインズに負っているのである。本節では、このことを論じる。

3.1 市場社会の本性 エセ道徳律と経済的効率性

市場社会についてのケインズの見解は、それが経済的機構の主要な動機として、本質的に、「諸個人の金儲け本能および貨幣愛本能への強い訴えかけ」(Keynes, 1926, p. 293) に依存している、というものである。
  ケインズは論じる。このように特徴付けられる市場社会は、深刻なジレンマに陥る。一方で、市場社会は、貨幣愛本能が非常な高見にまであがめられるがゆえに、道徳的に見て非常に不快である。他方で、それは、まさにこの同じ本能によって動かされるがゆえに、経済的効率性の点から見て、他のいかなるタイプの社会よりも優れている。道徳的見地からは、深刻な欠点を有するにもかかわらず、経済的効率性の見地からは、予想できる将来にわたって全般的な承認を得ざるをえない。これが、市場社会にたいするケインズの基本的な考えである。
しかしながら、経済的効率性のタームで野市場社会の優越性を認めるということは、自由放任原理にたいしての無制限の承認を意味するものではない。ケインズは、もし市場経済が放任されるならば、それは本性的に不安定なものになる、と信じていた。それを効率的に働かせるためには、自由放任原理を棄て、市場経済の有効な管理を目指した政策手段の追究が不可欠である、と。
  ケインズは真剣な問題を投げかけている - われわれの時代における道徳問題とは、道徳性と貨幣との関係をいかにとりくむべきかである。市場社会が道徳的に不快であると判断しているのは、そこではエセ道徳律が支配しているからである -   「貨幣愛、・・・生活活動の10中八九において貨幣動機への習性的愛着、努力の主要目的として個人的な経済的確実性の普遍的な追求、・・・積極的な成功の尺度としての貨幣にたいする社会的承認、そして・・・家族や将来のための必要な準備の基礎としての保蔵本能への社会的訴えかけ」が支配的な社会倫理になっている (Keynes, 1925a, pp.268-269)。これらの特性 - 人性の最も魅力のない側面 - が最高の特性としてまつられている。にもかかわらず、 われわれは、このエセ道徳律を利用すること以外に経済的効率性に達する手段を知らないから、今後も当分のあいだ、このもとで生活するしか選択肢はないのである (Keynes, 1930, p. 331)
市場社会のエセ道徳律にたいするケインズの嫌悪は、レーニン主義にたいする彼の論評に反映されている - その倫理は、本質的に、諸個人および社会の「貨幣愛」への挑戦とみることができるものである (Keynes, 1925a, pp. 259-260 を参照)。ケインズは、市場社会が共産主義との競争で生き残るべきであれば、それは共産周知の数倍もの効率性がなければならない (Keynes, 1925a, pp. 267-268を参照)
実際、ケインズのこの考え方の背後にはムーアの倫理学 - それはJ.S.
ミルやシジウィックの功利主義に批判的であった が存在する、と言える。ケインズは、ムーアから深い影響を受けている4。話はこれで終わらない。ムーアの倫理学はまた、ブルームズベリー・グループに深甚なる影響を与えていたからである5
  それでいて、ケインズは、市場社会は、当分のあいだ、その効率性のゆえに、受け入れざるをえない、と考えていた。
  他方で、市場経済は、不安定性と変動にさらされている、と彼は認識していた。どのようにすれば、市場経済は深刻な失業を引き起こすことなく作動できるのか。この目的のために経済理論および政策を追い求めることが経済学者としてのケインズの転職になったのである。
  1つの重要な問いが残されている - 国家と市場の関係はどうあるべきなのか。
この点について、ケインズは現実主義者であった。彼は、政府がなすべきこととなさざるべきことという問題は、抽象的な論理に基づくよりも、むしろケース・バイ・ケースで対処すべきであると論じている。
  以下では、市場社会についての (道徳律の問題以外の)ケインズの考え方をみることにする。

3.2 市場経済のメカニズム

ケインズは市場経済のメカニズムをどのようにとらえていたのであろうか。最初に要約的に示すと、(i) 彼は、自由放任哲学および経済学の唱道者によって論じられていた見解を拒否している。(ii) 彼は、市場経済を安定させるうえで国家および非市場組織が演じる役割を重視している、ということになる。
                         
A. 自由放任哲学および経済学批判

a. 自由放任哲学
自由放任哲学によれば - と、ケインズは論じる -、最大の公共善は、 個人の啓蒙された利己心によって動かされた最大の私的善の追求を通じて達成される。換言すれば、国家が市場経済にできるだけ介入しないならば、最大の私的善と最大の公共善が達成されるであろう、と。
自由放任哲学 (それは個人主義と社会契約説を包摂する)は2つの命題に依拠している。(i) 個人は、啓蒙された利己心を有している。(ii) 最大の公共善はこの啓蒙された利己心を通じて達成することができる。
 しかしながら、ケインズはこれらの懐疑的である。第1に、私的利益と社会的利益を調和させることのできるビルトイン・メカニズムは存在しない。第2に、諸個人は、彼らが属する組織よりも必ずしも賢くはない。社会は合理的な個人で構成されているという想定に基づいている自由放任哲学は、現実の世界が、主に無知で弱い個人によって占められているということを無視している。
 もし市場社会が、諸個人による私的善のみの追求に任せられるならば、
それは最大の公益善を達成することに失敗するであろう。何らかの種類の社会的単位が組織される場合にのみ、このことは達成されるであろう。ケインズのスタンスは非常に現実主義的であり、社会と個人を理想化するところから基本的命題を引き出す自由放任哲学とは著しく対照的である。

b. 自由放任経済学
自由放任経済学は -と、ケインズは論じる -、次の2つの仮定に基づいている。(i) さまざまな目的への生産手段の理想的は配分は、独立した諸個人のあいだの競争を通じてもたらされる。(ii) もうけるための無制限の機会は最大の努力をもたらすインセンティブとして必要であり、有効である。
これらの過程から、諸個人による利潤の追求は最大の産出高をもたらすという命題が導かれる。自由放任経済学はまた、経済的問題は、市場における需給に任されるべきである、と主張する(Keynes, 1925b, p.305を参照)6
 ケインズは、自由放任経済学を次の2点において、批判する。
  第1に、それは、次の3つの非現実的な仮定のうえに築かれている。すなわち、(a) 生産および消費のプロセスは有機的ではない。(b) 条件および必要事項についての十分な予知が存在する。(c) この余地を獲得する十分な機会が存在する。
ケインズは、現実の経済では、次の明白な事実を前にして、これらの特性は飛び散る、と論じている。(d) 効率的な生産は、消費単位よりも大きい。(e) 間接費用もしくは結合費用が存在する。(f) 内部経済は生産の集中を促進する。(g) 調整に必要とされる時間は長い。(h) 無知は知識を優越する。(i) 独占や結合は対等なバーゲニングを損なう7
 自由放任経済学は - と、ケインズは論じる -、(a) (c) は、それらが観察される事実と明らかにそぐわないときですら、「自然」であり、それゆえ「理想的」である、と信じる傾向がある。この批判は、自由放任哲学にたいするケインズの批判に対応している。
  第2に、自由放任経済学は、専ら最終的結果にだけ注意を払い、競争自身が費用・犠牲を引き起こすという事実、および富の少ないない額が、競争がそれほど強くはない分野で分配される傾向があるという事実を看過している。
自由放任経済学にたいするケインズの批判的姿勢は、彼の生涯を通じて貫徹しているものであることに注意を払うべきである。1920年代および1930年代に、ケインズは『貨幣論』および『一般理論』において彼の「貨幣的経済学」8を構築したが、それは自由放任経済学(および自由放任哲学)とは対峙するものであった。彼は、1940年代における彼の政策提案においてこのスタンスを維持している。

B. ケインズの社会哲学

a. 歴史に対する制度学派的見解
ケインズは自らの社会哲学をどのように示しているのであろうか。彼は、利己心はそれほど啓蒙的ではなく、諸個人はあまりにも無知で弱いと考えている。この立場から、ケインズは、ロックやヒュームの個人主義 社会契約のもとにある諸個人のあいだでの理性的な自己愛に基づく行動の帰結についての哲学 にたいし批判的である 。
 ケインズはまた、個人主義を歴史的視点からも批判している - それは、
18世紀や19世紀の状況には適合的であったが、現代の状況にはそうではない、と (Keynes, 1925b, pp. 300-301を参照)
  歴史についてのこの相対的な見方は、制度学派の主導的な経済学者コモンズ9の見解をケインズが受け入れている点に一層明確に見ることができる。この受け入れは、ケインズの現実主義的スタンスを反映しており、彼の社会哲学を理解するうえで欠かすことができないものである。
 コモンズは、現代史を3つの時期に分けている。
 第1期は、産業革命に選好する「希少期」である。この時期、個人の自由は最小であり、物理的強制力を伴う政府の規制は最大であった。
 第2期は「豊穣期」であり、割り当てに代り、個人的な取引が主となった時期である。この時期は、個人の自由が最大になり、物理的強制力を伴う政府の規制が最小になった時期である。17世紀および18世紀の闘争を通じ、それは19世紀になり自由放任およびリベラリズムが勝利した時期であった。
第3期は「安定化の時期」であり、われわれが生きている時期である。この時期は、個人の自由は、部分的には政府の認可により、しかし主として集団的行動(企業、労働組合、製造業者、承認、労働者、銀行家などによる)幾分減少する傾向がある時期である。
ケインズは、われわれが「安定化の時期」に生きていることを認識しており、そしてそのことを歓迎している。彼が言うところの「ニュー・リベラリズム」10とは、この第3期の社会哲学を指すものである (Keynes, 1925b, p. 305を参照)
  ケインズは、理想的な社会とは、私的利益を追求する諸個人に他ならない経済主体で構成されている、とする考えに批判的である。例えば、企業家がリードする状況を称揚するマーシャルとは異なり、ケインズは、われわれをユートピアに導くことができない堕落したアイドルにいまやなってしまっていると論じている。同様の疑問はまた、他の個所でも表現されている (Keynes, 1925a, p. 268を参照)
ケインズは、経済における理想的な単糸は、個人と国家のあいだにあるものである、とかたく信じている。そして、歴史を通じての「準自治的な団体」とか「大きな株式会社の社会化」のような組織の発生を歓迎している。
 準自治的な団体とは、活動の焦点を専ら公共善においている組織のことである (大学、イングランド銀行、ロンドン港湾局、鉄道会社が挙げられている)。通常の状況では、それらは自由に運営されることが認められているが、究極的にはそれらは議会に従わねばならない。
  大きな株式会社の社会化は、所有と経営の分離に関係しており、株主に有利なように利潤を最大化することを目指すよりもむしろ、それらの企業が公衆の要請に十分に応じることを余儀なくさせることになる ( Keynes, 1926, pp. 289-290を参照)
  信条社会が進展するにつれて、公共善を追求する組織が増大していき、大きな株式会社は社会化していくであろう。これらの現象は、市場社会に特徴的なエセ道徳性および不安定性を、十分に緩和することになる。
 ケインズは、これらの現象を変える必要性を考えているのではなく、それらを高め推進することを考えている、という点に注意が必要である。
 
  b. 市場社会と国家
 上述した市場社会の進展についてのケインズの理解だが、これは、市場社会の深刻な問題は自然に解決されるであろうと彼が考えていたと言う意味ではない。それどころか、そのようなことを信じる理由はどこにもない、と彼は主張し続けた。ケインズは、自由な市場社会では最大の公共善が達成できず、それゆえ国家が関与する必要がある3つの領域を指摘している (i) リスク、不確実性および無知の存在11(ii) 貯蓄額とその配分、(iii) 人口問題(Keynes, 1926, p.292を参照)

c. 市場社会についての連続する見方  『一般理論』に見る

われわれはこれまで、1920年代中葉のケインズの論考を通して彼の社会哲学を論
じてきた。しかしながら、彼はその考えをその後も維持し続けたことは強調しなければならない。この点を『一般理論』に見ることにしよう。
  そこでの社会哲学は、突き詰めれば、市場社会は放任しておくと、本性的に「不完全雇用均衡」に留まる、というものである。
ここでは、次の2点が関係する。
第1に、市場社会は、雇用・産出の点で変動を被りやすい。資本の限界効率の変動は、その主要な要因の1つとして挙げられている(12章の主要命題である)
第2に、市場社会は低い雇用水準に留まりがちである。それは完全雇用にも、また最低水準の雇用にも達することはないであろう。むしろ、それは、その間(完全雇用よりも低く、しかし生命を脅かす水準よりはずっと高い水準)に留まる傾向がある (Keynes, 1936, p. 254を参照)。それは次のようなビルトイン・スタビライザーの働きによる -(i) 1より大きい、しかし非常に大きくはない乗数、 (ii) 資本の予想収益、あるいは利子率の穏やかな変化により、投資率を大きくは変化させない、(iii) 貨幣賃金の変化は雇用の変化にたいして緩慢である、(iv) 一方向への動きは逆方向への動きをもたらすという資本のもつ性質 (Keynes, 1936, pp. 250-251を参照)
 これらの点を認識することは、必ずしも座して待つアプローチをとるということを意味するものではない。ケインズは、これらの欠点は、彼が投資の国家管理や貨幣政策に重点をおいたことにも示されるように、正しい政策12で治癒できるということを、強く確信していた (Keynes, 1936, p.164を参照)
ここで次の事実を強調しておくことは価値がある。すなわち、ケインズは、生涯を通じて、現実的な政策を導けるような理論を構築することに努めたという点である。これはシュムペーターやハイエクのとったアプローチとは際立って対照的である。


4. ピグー13 社会主義か資本主義か?

経済理論におけるピグーの最大の貢献は『厚生経済学』(Pigou (1920)) である。それは本質的にマクロ経済学である。ピグーが目指したのは、さまざまな要因(政策、不完全な知識、将来よりも現在を高く評価するという人々の習性、不確実性など)が、どのように将来の国民分配分 =国民所得)14 に影響を及ぼすのか、およびわれわれは国民分配分すなわち経済的厚生をどのようにして増加させることができるのか、を調べることであった。彼が推奨した累進税とか、社会的限界費用と私的限界費用の乖離についての議論は、この目的と密接に関係したものである15
『失業の理論』 (1933) の著者として、ピグー16は『一般理論』で「古典派」の代表として攻撃の対象にされた。しかしながら、ロバートソンとは異なり、ピグーはケインズのパイオニア的な業績を評価するようになり、『雇用と均衡』 (1949)17で、古典派マクロ経済学の再構築に努めた。経済学にピグーが偉大な貢献をしたという事実にもかかわらず、彼は反ケインズ派の領袖として専ら評価されてきた。この視点は、独創的経済学者としてのピグーを曇らせてしまっているように思われる。
市場社会についてのピグーの見解についてであるが、状況はまったく異なっている。
ピグーの社会哲学は、今日、ほとんど忘れられているのが実情である。本節では彼の社会哲学を『社会主義 対 資本主義』 (1937)18をとおして調べることにする。

4.1. 社会主義

ピグーは社会主義を、次のようなシステムとして特徴付けている -(i) 利潤獲得を排除する、(ii) 生産手段を、集団的あるいは公共的に所有する、(iii) 中央計画をもっている。
 ピグーは、この社会主義を資本主義をさまざまな点で比較する — (i) 富および所得分配、(ii) 生産資源の配分、(iii) 社会主義的中央計画のもとでの生産資源の配分、(iv) 失業 など。各々を取り上げていくことにしよう。
 
4.2. 富と所得分配

ピグーは次の点に注意を払うことから始めている。資本主義システムにおいては、富と所得についての分配には明確な不平等が存在する。このことは、優先度が相対的に高い領域を無視して、相対的に低い領域に資源が配分されるという点で資源が浪費されるがゆえに、深刻な害を必然的に引き起こすことになる。かくして、ピグーは、富と所得分配のより大きな均等性がいくつかの尺度において達成されるように、資本主義システムを変革することを強調する - (i) 累進的な相続税や所得税、(ii) 貧困層が購入する財の生産にたいしての補助金、(iii) 若者の肉体的および精神的改善に有益な分野への社会的サービスの拡充、など。
このように述べた後、ピグーは資本主義システムにおけるこれらの方策にある限界があることに言及している。一度、社会主義的システムが設立すると、この種の不安は消滅する。というのはそのとき ―と、ピグーは論じる ―、個人への所得分配に先立ち、投資に必要な資源を思うように国家が確保することによって、資本蓄積は直接実行されるからである。

4.3. 生産資源の配分

ここでピグーが強調しているのは、貨幣所得の現状の分配が所与として、さまざまな用途への生産資源の「適正な」配分である。これは、「すべての貨幣所得、および全員の嗜好と必要が正確に同一である」 (p.33) 社会にあって、限界純生産がすべての分野において等しい「理想的配分」として定義されている。ピグーは、次に重要なのは、現実の資源配分がこの理想的配分と異なる程度 - それは、私的限界費用と社会的限界費用の乖離、独占、および不完全競争から生じる20 -である、と論じる。
  ピグーは、資本主義システムにおいてでも、社会的限界費用と私的限界費用の乖離は適切な補助金や税により改正することができる、と論じている。独占および不完全競争に関しては、彼は、それぞれ、次のようなことを提案している - (i) 害悪を除去するために独占的企業を国有化する、(ii) 資源が不必要な競争的宣伝に浪費されている産業に国有化を拡大する。


4.4. 社会主義中央計画のもとでの生産資源の配分

ここで、ピグーはランゲ型の社会主義理論を取り上げているように思われる。すなわち、ぴつーは、ワルラス流のタトヌマン手法を利用することで、中央計画局が「理想的配分」を実現することができると論じている21
ピグーの議論は2つの部分から成っている。第1に、ピグーは、さまざまな産業への資源の配分を所与として、中央計画局が諸個人に消費財を配分する方法を調べる。彼は、ここでは、所得を保証する強制的システムを推奨する。第2に、ピグーは貨幣所得の分配を所与として、資源がさまざまな産業に配分される方法を調べる。ここでの彼の提案は、経済を「理想的配分」、すなわち、完全競争の状態に近づけることである。
ピグーは社会主義経済の青写真22を描く。生産活動は中央計画局により管理・運営される23。当該局は、指令により、さまざまな生産手段や労働の「計算」価格を決定し、それから生産資源の配分を完全競争の状態に近づけるように努める。需給状況が変化するのに応じて、当該局はさまざまな生産手段および労働の計算価格を改訂する。計算価格は実際に支払われる価格ではないことに留意すべきである。
  ピグーは 、完全競争の状況は社会主義システムのもとで達成が可能であると固く信じている。この点において、彼は暗示的にランゲ=テイラー側に属していると言えるであろう。
 
4.5. 失業

ピグーは、失業を克服する点において社会主義は勝者であると考えている。彼の議論は次のとおりである。
  失業は動態的な経済において生じる問題である。2つの動きが識別されるべきである。1つは、「相対的動き」であり、これは摩擦的失業と関係している。もう1つは「絶対的動き」であり、それは経済変動から生じる。重要なのは後者に関連する失業である。
  ピグーは、国家介入の許されている資本主義システムと社会主義システムを比較している。
第1に、ピグーは、中央計画局が意思決定を行なう社会主義システムは、多数の企業によって意思決定がなされる資本主義システムよりも優位にあることを、指摘する。
第2に、ピグーは、失業を治癒する方向での公共事業政策や貨幣政策を実行するうえでどちらのシステムがより有効であるか、と問う。彼の結論は、社会主義システムは
公共事業政策において、意思決定の統一性があるため優れており、貨幣政策については、その効果は同じであろう、と結論付けている。
 最後に、ピグーは、社会主義システムのみが実行を意のままにできる2つの治癒法を挙げている -(i) 諸産業への生産資源の強制的移転、(ii) 貨幣賃金の切り下げ。

2つのシステムをこのようにいくつかの側面から比較したうえで、ピグーは、すべてを
考慮すると、社会主義システムの方に軍配があがる、と結論付けている。


5. ロバートソン24自由干渉主義

ロバートソンは、とりわけ、『産業的変動の研究』 (1915)25 および 『銀行政策と価格水準』 (1926) で提示された景気循環論で有名である。両著はケインズとの長い討議を通じたうえでの産物であった。翻って、ケインズはロバートソンによって『貨幣論』への道を切り開くことができた27。ロバートソンの『銀行政策と価格水準』は、ヴィクセルの『利子と物価』 (1898) の影響を受けたものではないが、ヴィクセル・コネクションの代表的作品として高い評価を受けてきている。
  現代産業の主要な特徴として大規模生産が強調されている動学理論を構築したロバートソンは、ケインズが 『貨幣論』 から 『一般理論』 に進んでいくについて、益々ケインズにたいし批判的になっていった。生涯を通じて、『一般理論』 に反対したのは、ピグーではなくむしろロバートソンであった。ロバートソンは、価値と分配理論や貨幣数量説のようなマーシャル経済学を擁護した。このことは 『経済学原理の講義』 (1957-9) から明らかである。
  しかしながら、社会哲学に関するかぎり、両者のあいだには、むしろある確かな類似性が認められる。ロバートソン自らの言葉を用いると、市場社会についての彼の見解は「自由干渉主義」 (EO, p.51) である。この考えを、『産業のコントロール』 (Robertson, 1923) を通じて検討してみたい (因みに、このタイトルにある「産業」はマーシャル夫妻の 『産業経済学』 (Marshall and Marshall, 1879) を彷彿とさせる

5.1. 大規模産業

ロバートソンが現代資本主義経済の本質とみなすのは「工場システム」である。
 第1章で、彼は、分業の利点を議論するところから始め、次に、標準化および専門化の進展に焦点をおいている26。ロバートソンは、これらの現象が、いかに大規模産業を出現させ、中小企業にたいするその優位性をもたらすことになったのかを示している。彼は、精神的な仕事における分業の発展が、大規模コントロールの経済性をもたらし、大規模企業の優位性を加速度させてきた、とまで論じる。
  第2章「大規模産業」では、垂直統合、水平統合、およびトラストが主要テーマになっている。ここでのキー概念は、それまでキー概念として扱われてきた「差別化原理」とは対照的な「標準化原理」である。このために、非常に広範囲にわたる経済活動が、
少数の企業のコントロール下におかれるようになっている。ロバートソンはこの現象にたいし否定的でもなければ、批判的でもない28
  ロバートソンは、次のような状況にわれわれの注意を引き付ける - このようにして拡大した企業が少数の人々のコントロールのもとにおかれ、大多数の人々がかれらの力のもとで生活するという状況である。彼は、企業の大規模化傾向、およびそれに続く独占化を一種の自然的もしくは合理的な進化であると考えている。
しかしながら、資本主義とともに引き起こされるもう1つの現象にたいしては、ロバートソンは非常に批判的である - 大企業で働く大多数は、そのコントロールに寄与する資格はないもののリスクを負っているという現象、にである。彼が真に希望しているのは、リスクとコントロールが十分に、そして公平に負担されるようにし市場社会が改善することである。

5.2. 資本主義にたいするロバートソンの見解

ロバートソンによると、資本主義システムは、3つの顕著な特徴を有している - (i) 非協同的なシステム、(ii) 資本主義の「黄金ルール」(コントロールするものがリスクを負う) (iii) 支配する者とされる者のあいだの拡大するギャップ。

A.   非協同的なシステム

資本主義システムは、本性的に非協同的である29。ロバートソンは言う。一層大きな企業が出現しているけれども、それでもそれらは大海における小島にすぎない30
  彼は資本主義システムの長所として次の点をあげる -(i) 多数の経済活動の民主化、(ii) 個人の判断とイニシアティブの許容、(iii) 生活の自由、 (iv) 所得を好きなように使える自由、(iv) 消費者の欲望の定期的、かつ豊かな充足。
  他方、彼は資本主義の欠点を次のようにみている - (i) 貨幣で表現できない欲望は実現されない、 (ii) マーケティング手法による資源の浪費、(iii) 不況の定期的な発生。
 ロバートソンの基本的なスタンスは、長所を損なうことなく、われわれ自身のイニシアティブで資本主義システムを改善することができる、というものである。彼は、産業的権力が少数者の手に集中することを緩和するための一層の多様化や実験の大きな余地があることを確信している。しかしながら、彼は同時に、警告の言葉も付け加えている -「この困難なゴール (産業のコントロール) を追究するにさいし、達成されているものを看過し、価格と利潤、信頼と期待というこのデリケートなメカニズムの運行を拙速に損なわないようにすることが、改革者の責務である」 (Robertson, 1923, pp. 87-88)
 ロバートソンは、産業の改善されたコントロールは、人々の絶えざる努力によって達成可能である、考えている。彼が、当時行なわれていたさまざまな実験に興味を示すのはこの視点からであった31
 
B. 資本主義の黄金ルール
 
このルールは、危険を冒すものがコントロールする権利を有する、というものである。しかしながら、ロバートソンは、現在の資本主義はいくつかの点で、このルールを破っている、と主張している。

 (i) 所有と経営の分離株主は危険を負うが、経営者は企業をコントロールしている。
 (ii) 何らかの危険を負うが、産業のコントロールには関わらない者 l生命保険会社や投機家
(iii) 産業のコントロールに何ら関わらないが、大きな危険を負う多数の人々労働者

ロバートソンは、労働者は、三種類の危険を負っていると述べて、とくに(iii)に注目する32 ― (a) 彼らが働いている企業は倒産するかもしれない、(b) 彼らが生産している製品は、需要のシフト、あるいは技術進歩により、だめになるかもしれない、 (c) 彼らは失業するかもしれない。.

ロバートソンは、コントロール力を移転する計画は、リスク負担の移転が含まれないかぎり、成功することはない、と主張している。

C.支配する者とされる者のあいだの拡大するギャップ33

このことは、命令を下す者とそれを実行する者とのあいだの社会的分化を意味している。ロバートソンは、ここでは、労働者階級が産業システムのなかで経験する疎外感を問題にしている34
5.3. 改革に向けて

ロバートソンは、産業的力が少数者の手に集中することが引き起こす害悪を、消費者や労働者が力を共有する手法を工夫することによって、消滅させることを、われわれは目指すべきである、と提案している。
9章は、集産主義と共産主義を検討している。集産主義は、国家がビジネスを所有し運営するが、価格と市場には手がつけられないシステムとして定義される。共産主義は、国家がビジネスを運営するが、利潤計算は無視されるシステムとして定義される。
ロバートソンは、集産主義的組織が有益な分野を、その長所および欠点を詳細に調べながら、指摘している35
共産主義について、ロバートソンは、その長所および欠点を指摘しながら、その部分的な適用の可能性を調べている。しかしながら、彼は、価格や生産費のシステムを完全に無視する極端な共産主義には批判的である。

市場システムを是認しながら、ロバートソンは - さまざまな形態の集産主義、生協の導入等を通じて - 支配者と支配される者とのあいだの拡大するギャップを縮小し、リスクとコントロールの現状を解決させながら、民間企業の改革を目指している36。  

経済的自由主義にたいするロバートソンのスタンスは非常にデリケートである。というのは、彼は、心底からそれを信じているようには思われないからである。適切に表現するならば、彼の社会哲学は、「懐疑的 (もしくは統合失調症的) 自由主義」とも言うべきものである。次の一節は、彼のスタンスを良く表している。

  自由と言うウィルスがわれわれの血液のなかに入り込んでおり、かと言って砂漠とか荒野に追放されたくないわれわれ (Robertson, 1947, p.47)

彼は、自由主義を「ウィルス」と表現し、むき出しの競争を「砂漠とか荒野」と描写している。このことは、彼がいずれのサイドをも称揚しているというものではないことを示している。自由主義はウィルスであるが、それでいて、それはすでに、われわれの欠陥のなかを流れているがゆえに、それを取り除くことができない。他方、われわれはむき出しの競争が支配するような社会を好まない。それは、砂漠とか荒野とかいった類のものである。彼が自由主義を「ウィルス」と呼ぶのは37 - だれも、高く評価するものを「ウィルス」と呼ぶことはない -、自由主義がいまや陳腐化しているものであることを否定できない心的状態にあるからである。少なくとも、そう思い、感じているロバートソンがいる。しかし、別のロバートソンは自らにつぶやく。「自由主義は、基本的な社会哲学として依然維持しなければならない」と。
  ロバートソンの自由主義 - 自由干渉主義 (Robertson, 1947, p.51) はそのような心的葛藤のなかに置かれている。

5.4. 計画経済にたいするロバートソンのスタンス

自由干渉主義を唱道するロバートソンは、計画経済にたいして批判的である。他方、
彼は、戦時経済で生じた経済現象が、一時的なものではなく後戻りできない傾向であるかもしれないという疑いを抱いている。
  「経済的概観」において、ロバートソンは次の問題を設定している。

   … 私の論考がもたらすことを意図している問題の1つは、まさに、このアンチ・テーゼ (移行期と戦後の正常期)は、描くことに依然として意味があるものなのか、
   あるいは、戦争によってわれわれの経済に引き起こされ、助長された疾病は、いまや、あまりにも深刻で永続的なものであるため、移行と永続というこの識別は、ゴミ山のうえに、われわれの気質によってほっとして、あるいは後悔しながら、打ち捨てなければならないのかいなか、というものである (Robertson, 1947, p.47)

  ロバートソンは、市場メカニズムの暫時的回復を希望する側に立っている。彼は、
市場メカニズムの加速度的な回復を強調しつつ、経済動機の影響力を是正する政府の役割を強調するロビンズ (Robbins 1947) にも同意している。しかしながら、他方、ロバートソンは、このことが暫定期と平和期の識別のうえで議論できるのかいなかについては確信がもてていない。彼は、自由干渉主義と計画経済の差が、質的問題なのか、それとも程度問題なのかは、まったく明らかではない、と考えている。明らかに、ロバートソンは、若干の躊躇と不安を表明している。
   
私が描写することに努めた心地よい、もしくは教育的バイアスのようなものによってハンディを負っているわれわれのようなものは、解決するのに本当に個人的な問題を抱えている。どの程度、われわれは、いま支配的な風(計画経済)に、われわれの思考や教え (自由干渉主義)を調合することがまじめにできるのだろうか。そしてわれわれがそうすることに失敗するかぎりにおいて、われわれは、過去を称賛し、悲運を予言しながら、砂漠のフクロウや荒野のペリカンのスタンス - それは名誉あるスタンスであるが、感情的には疲れる、そして操作上、活気のないスタンス -をとる他はないのであろうか (Robertson, 1947, p.46).

ロバートソンのスタンスをヘンダーソンのスタンス (Henderson, 1947) と比較するのは面白い。ヘンダーソンは、「計画化の本質を、かなり先の将来にわたって正確な数量計画の定式化にあると考え、平和期に、そのような計画が有益な行動手段として有益であると期待できる限度を調べることに取り組んだ」 (Robertson, 1947, p.48).

私は、彼 (ヘンダーソン) が、自由システムのメリットにたいする私の嗜好にたいし、
あまりにも軽く、そしてそれに代わる、彼の手にある武器の弱点をあまりにも重視して自らの立場を打ちだしている、と感じた (Robertson, 1947, p.49)translation to be checked.






6. ホートリー38資本主義にたいする倫理的批判

ホートリーは、とりわけ景気循環の貨幣的理論で良く知られている (それに基づく(ケインズの) 『貨幣論』 にたいする批判は、 『貨幣論』 から 『一般理論』 に至るケインズの理論的進展に影響を及ぼしている)。 彼はまた、いわゆる「大蔵省見解」39で有名である。
  ホートリーが他の経済学者によってどのように影響を受けたかを知るのは、非常に難しい。というのは、彼は多作家であったけれども、他の経済学者にめったにしか言及しない執筆スタイルを維持したからである。このことは、マーシャルにたいしてもそうであった。ホートリーは他の同時代の経済学者に大きな影響を与えた独立した経済学者と評すべきであろう。
  しかしながら、興味深いことに、ホートリーの社会哲学を検討した論考がこれまで発表されていないのである。本稿では、彼の社会哲学について、『経済問題』 (Hawtrey, 1926)40

6.1. 倫理的スタンス厚生と価値

ホートリーは「経済問題」を、協同的行為が望ましい目的のために確保されるような方法で人間の動機にアピールする問題として定義する。ここで「目的」として設定されるのは、ホートリーが考える意味での「厚生」のことである (Hawtrey, 1926, p.185)。彼は目的を設定するにさいしての倫理的考慮を重視する。
 
6.2. 偽りの目的

ホートリーは、われわれの目的として倫理的価値が設定されるべきであるにもかかわらず、経済学はこのことを無視してきており、市場社会では、「偽りの目的」 ― すなわち、本性的に手段であるべきものが、自己目的化している - が支配している41  、と論じている。
彼は、貨幣儲け (なかでも、利潤獲得) がビジネス活動の基本的な動機であり、それを尊重することが、個人主義的システムにおける目的自身になっている、と考えている。

6.3. 市場社会

ホートリーは、文明を、人間の意思による合理的な経営の経済問題への適用と規定している。彼によれば、市場は、消費者および生産者の双方がイニシアティブをとることに欠けがちな不完全に文明化されたシステムである。
  ホートリーは、主要な経済活動が市場における交換という形態で行なわれる市場社会を評価していない。というのは、彼は、それが「倫理的価値」を達成することに成功していない、と考えるからである。
需要と供給の均衡を通じて達成される市場価格は、ホートリーてき意味における「厚生」を構成する倫理的価値と乖離している。ホートリーが「満足」に基づくピグーの厚生経済学を批判するのは、この視点からであることに、留意する必要がある42
彼は、倫理的価値と市場価値の乖離は、次の2つの原因に帰する、と述べている43。第1の原因は、消費者の側における判断の不完全性である。消費者は賢明な消費
能力に欠けているし、他方、生産者と承認は、彼らに「創造的な生産物」を提供するのに十分な能力に欠けている (彼は、生産物を2つのカテゴリーに分けている。(i)
物質的厚生を人々が享受するのに必要な「防衛的生産物」、(ii) 人間社会の文化に密接に関係する「創造的生産物」がそれらである)44
第2の原因は、所得分配の過度の不平等である。それは翻って、経済主体がインセンティブとして強要されている利潤稼ぎによって引き起こされる。その結果は、所得のますます大きな割合が少数の企業家にわたるという傾向である45
この傾向を是正するために、ホートリーは可能な方法を2つ提案している。(i) 利潤への課税、(ii) 賃金決定への国家の介入。しかしながら (i)の場合、貯蓄への影響のゆえに、他方、(ii) の場合、利潤への影響のゆえに、個人主義的社会には限界があるかもしれないと、ホートリーは感じている。
  興味深いことに、ホートリーは、循環的な失業は賢明な信用コントロールの手段で治癒が可能であると考えており、それを、人間の知恵が絶望的に無力な領域であるとはみていない。

6.4. 市場

ホートリーは、交換活動の見地からさまざまな市場の観察を行なっており、このことは彼のアプローチを特徴付けるものになっている。ここでは、財市場のケースをとりあげて考えてみることにしよう。
  消費者はここでは、つねに受け身の、そして商人はつねに積極的な、経済主体として登場してくる。商人は、かれらの日常活動を通じて、消費者が望んでいるものを予測することに努める。このようにして得られた情報をもとにして、商人は生産者に商品を発注する。したがって、この市場におけるイニシアティブは、商人にある46
 ホートリーは、財の価格は需給を通じて決定される、と論じる。しかしながら、ここで注意すべきは、市場での交換活動を通じて達した価格は、人々が、財を賢明に選ぶ十分な能力を欠いているがゆえに、倫理的価値に達していないというホートリーの考えである。

6.5. 国家

ホートリーは、国家の本質的な機能は、権威を通じて人間の行動を規制することにある、と考えている。個人主義的社会を維持するために、国家は努力して、規則が人々によって遵守されることを保証しなければならない。その目的のために、「組織化された権力」としての国家は、巨額の物質的資源を必要とし、そしてそれゆえに課税権を行使する。
ホートリーは次の問題に進む - 個人主義的システムを想定したうえで、国家は、
このシステムの欠陥を是正しながら、どの程度、真の倫理的価値を達成可能にすることができるのであろうか。彼の答えは非常に懐疑的なものである47

6.6. 集産主義

ホートリーは、集産主義 - それは社会主義と同義である - 利潤に反対するアプローチである、と論じる。それは利潤動機を排除し、国家のなかに代替的な動機を求めるものである。社会主義者は、利潤の廃絶が人間性に変化をもたらすことを期待している。ホートリーは自らを社会主義者とは名乗っていないが、社会主義にたいし同情的である48。というのは、彼は個人主義的システムのなかに深刻な欠点を見ており49、厚生を実現させるために国家を利用する手段として、社会主義を考えているからである50
  ホートリーは、社会主義のための青写真を描いている51。そこでは、消費財市場はそのまま残されるが、生産者間の市場、ならびに生産者と小売業者のあいだの市場は廃止されている。他方、労働者と消費者のあいだでは、国家とそのエージャンシーのみが機能することになっている。


7. ケインズの時代

戦間期ケンブリッジの社会哲学を調べたいま、全体としてのこの時期をいかなるものとして特徴付けられるかについて見ることにしたい。

7.1. 経済学

最初に、この時期の主導的な経済学者によって唱道された経済リオンを、その独創的な特徴に焦点を合わせながら見ていく必要がある。
ピグーの主要な貢献は、『厚生経済学』 (Pigou, 1920) である。これは、本質的にはマクロ経済学に属する。ピグーは、いくつかの要因 (政策、知識の不完全性、公衆の性質など) が、将来の国民分配分にどのように影響をおよぼすかを論じている。とりわけ、彼は、厚生を増大させることを意味する国民分配分の増大方法に、関心を集中させた。累進課税の奨励や、社会的限界費用と私的限界費用の乖離に関する彼の有名な議論は、この問題に関係している。
『一般理論』のなかでケインズによって厳しく批判されピグーだが、後年、ある程度ケインズの批判を受け入れながら、「ピグー効果」を導入することで新古典派のマクロ経済学を再構築することに貢献したことは、忘れるべきではない。
ロバートソンの独創性は、『銀行政策と価格水準』 (Robertson, 1926) で展開された彼の景気変動論に存する。彼はヴィクセルからは独立していたが、この理論は、本質的に、マーシャル的伝承よりも、むしろヴィクセル的伝統にそっているものと見なせるかもしれない。
ケインズは、『貨幣論』で彼独自の経済変動論を展開し、そして 『一般理論』 では、不完全雇用の理論を提唱した。
マーシャルの理論を擁護しようと努めたピグーやロバートソンとは対照的に、ケインズは、これら両著において、マーシャルの理論に批判的であった (とは言え、彼の貨幣理論や短期分析は、マーシャルの理論の影響を受けたものであった)。
ホートリーは、独自の経済変動に関する貨幣理論で有名であり、それはケンブリッジの経済学においてユニークな地位を占めている。
すべてのこの活動の結果は、戦間期のケンブリッジを代表する主導的な経済学者は、マクロ経済学の分野において顕著な貢献を遂げた、ということである。すなわち、結局のところ、このことはそれほど驚くべきことでもない。というのは彼らは実際、マーシャルの未完の仕事を完成させようとしていたからである。この分野において、これら4名の経済学者は、互いに影響を受けながら、そして白熱した論争に関与しながら、自らの理論を構築しようと努めた52。とりわけ、ケインズは、1920年代中葉に協同関係にあったロバートソンから大きな影響を受けながら、『貨幣論』へと進んでいった。ケインズはさらに、ホートリーや「ケンブリッジ・サーカス」から受けた批判をとりいれながら、『一般理論』の方向へ動いていったのである。
彼らは、マーシャルの最大の業績、すなわち価値論には何も追加することはなかったことに留意すべきである。しかしながら、それは、マーシャル的価値論にたいするスラッファの批判の結果 ― いわゆるケンブリッジ費用論争 ― として加えられることになった。スラッファは、収穫逓減と完全競争のあいだの矛盾性という問題を提起した。
スラッファ自身に関するかぎり、彼は需給均衡理論を拒否し、規模にたいする収穫一定に拘泥しながら、古典派の世界に回帰することになったけれども、このことは、J.ロビンソンによって打ち建てられた不完全競争理論への道を切り開くことになったのである。

7.2. 社会哲学

戦間期のケンブリッジにおける主導的な経済学者によって共有されているのは、―
市場社会を称揚するヒュームやハイエクとは対照的に - 市場社会にみられる病弊、およびそれはいかにすれば除去できるかという問題重視の姿勢である53。個人の不完全性という診断とともに、市場社会の改善にたいして自由放任政策は何もなすことができておらず、所得分配の過度の不平等性や、過度の失業は、国家によって治癒しなければならない、そして治癒できる市場社会の病弊である、と論じる点で意見を共有していた54
  このタイプの社会哲学に依拠しながら、彼らは自らの経済理論を構築することに努めたが、それらはそれゆえに政策志向的であった。そして、このスタンスは、社会の善を目指すものとしての経済学というマーシャルの立場に沿うものであった、と言ってもよいであろう55
 そして、われわれが、ケンブリッジのみならず、イギリスにおける全体的な状況を特徴付けようとするならば、われわれが行きつく結論は、この時期、経済理論としての貨幣的経済学(これにヴィクセル・コネクションや『一般理論』は属する) と社会哲学としてのニュー・リベラリズムが支配的であった、ということになる。それは、この時期が「ケインズの時代」と呼ぶにふさわしいということになるのである56


8. むすび

本章の冒頭で用いた「真実からほど遠い」の句の意味は、いまや明白になったと思われる57。戦間期のケンブリッジにおいて、経済理論は白熱した論争と亀裂をもたらしたけれども、社会哲学には相当程度の類似性が認められるのである。ケインズは、自らの社会哲学を「ニュー・リベラリズム」と呼び、ロバートソンは「自由干渉主義」と呼んだ。
自由主義および社会主義の双方を拒否して、彼らは、広く言えば、両者の中道を目指したのである。概して、このアプローチが社会を組織する最良の方法であるというコンセンサスが、第2次大戦後の西欧を導くことになったのである。
しかしながら、イギリスでは、近年、戦後の合意に敵対的な「企業文化」の台頭をみてきた。それを推進する人々が市場社会における支配的な地位へと上昇してきている。その結果、イギリス社会は大きく変容してきているのである。
 それでは、ケインズの(そして彼の同僚の)社会哲学は今日どの程度の意義を保持しているのであろうか。
 企業文化への動きが当面、いかに強くなるとしても、先進社会では、政治的スペクトラムで言えば、少し穏やかに右にシフトするだけであり、市場社会が古典的自由主義に接近するということは不可能である、というのがわれわれの信じるところである。社会は、中道にとどまり前進していくことであろう。
さらに、企業文化の背後にある推進力である新保守主義がニュー・リベラズム(すなわち本章で論じてきた社会哲学)より優れていると言うのは、まったく明らかではない。ケインズの見解はけっしてイデオロギー的ではなく、つねに現実主義的であった 決定は、ケース・バイ・ケースでなされるべきである。新保守主義は、不可能な夢を実現させようとする社会哲学であり、それゆえに、イデオロギー的に動かされている。もし、このことが正しければ、ニュー・リベラリズムの何らかの改定ヴァージョン(古い労働党のドグマティックな社会主義への復帰ではなく)が必要とされるであろう。


*本章は、2008年にプラハで開催されたESHETで報告したもの (Hirai 2008) に加筆修正を加えたものである。この主題に関連するものとして、Hirai (2000;2004;2007;2009) があるが、とくに、平井(2009 II) は、詳細に論じられている。

1) 彼ら以外に、W. レイトンやH. ヘンダーソンが論じるに値する。彼らは、
ケインズやロバートソンとともに、自由党の夏期学校 (Freeden 1986, ch.4を参照) や『イエロー・ブック』 (Liberal Party, 1928) (Skidelsky, 1992, pp.263-269を参照) の主要メンバーであった。自由党の夏期学校を指導し、生涯にわたって自由党を支持したレイトンは、「通常のジャーナリズムの男爵」などではなく、
1942-3年には、生産省のプログラムおよび計画局のチーフ・アドバイザーとして働いている。
ヘンダーソンは1940年代にケインズにたいする激しい批判者になったが、そのことは、彼が自由放任に向かったということを意味するものではない。ヘンダーソンの社会哲学については、Henderson (1947) およびKomine (2003)を参照。 ショウヴは、フェビアンであり、自由党の活動的なメンバーであると同時に、パシフィストであった。彼は、
マーシャル経済学の大いなる賛美者であり、ピグー経済学の批判者であった。この点については、Carabelli (2005)を参照。
この時期のケンブリッジ経済学者のあいだの人間的関係を、発見された書簡をもとにしてみごとに描いたMarcuzzo=Rosselli (2005) を参照。Collard (1990), Hicks (1979) Marcuzzo=Sanfilippo (2005) も参照。
2) この点で、『思考と事物』は重要である 哲学についての唯一の本の草稿で、テキスト内にはあり、「1969年」の年号がみられる。それは、いわゆる「アスペクトの理論」を提示している。主要命題は、内省的手法が広く適用されており、思考をアスペクトの識別のタームで分析することである。基本的なポイントは、マインドがアスペクトを識別するというものである。アスペクトは、潜在性というかたちで事物のなかに、本性上、存在する。アスペックとは、マインドが意識的経験のレベルにおいてそれらを識別するときにのみ現実になる。このようにして獲得されたアスペクトは蓄積され、マインドが何らかの判断を下す時はいつでも、このようにして蓄積されたアスペクトを思い出すという行為を繰り返す。ホートリーの哲学は、経験主義の領域に属しており、行動主義や唯物主義には批判的である。彼は、すべてのことを事物で説明しようとする科学の限界を指摘する。「アスペクト」は彼が若き日から生涯を通じて大事にし続けた根本的概念であった。
3) 本節はHirai (2003, ch.5) に基づいている。
4) この点については、Keynes (1949)Shionoya (1992)Hirai (2002)および Asano(2005, ch.1)を参照。ウルフはもとより、ホートリー、ピグーもムーアから大きな影響を受けたことは留意すべきである。
5) L. ストレイチーと L.ウルフは、とりわけ重要な人物である。
6) ケインズ派、この考えは、50-100 年前のものであるとコメントしている。
7) これらの特徴は、明白にマーシャル=ピグーに認められることは強調しておいてよい。
8) Hirai (2003, pp.81-83; pp.579-583)を参照。
9) Commons (1934, pp.773-788)を参照。
10) ケインズの「ニュー・リベラリズム」については、Clarke (1988, Chapter 4, ‘The Politics of Keynesian Economics, 1924-1929’) を参照。そこではケインズは、エドワード朝時代のニュー・リベラリズムを継承したニュー・リベラリストとして捉えられている (pp. 13-14, 78-80)。他方、Freeden (1986) とCranston (in Thirlwall ed., 1978) はケインズを、共同体の公平無私の代理人として国家を信頼することを否定する点で、リベラリズムと社会主義的・労働組合的労働党とのイデオロギー的相違を強調する点で、またより反省的でない哲学的、統合的マインドであるという点で、「ニュー・(あるいはレフト)リベラリストとは異なる「中央リベラリストであるととらえている (Freeden, 1986, pp. 128-129, 12-14, and 171-172)Skidelsky (1992, Chapter 7, ‘Keynes’s Middle Way’) は、いくつかの条件付きでフリーデンとクランストンの見解を支持している。イギリス経済思想史学会 (University of Bristol, 1997) での報告 ‘Keynes’s How to Pay for the War: A Reinterpretation’で、スキデルスキーは、ケインズ (Keynes 1940) が、「中道の道」のスピリットに基づいて彼の財政政策 (deferred pay) を唱道したと論じている。またFitzgibbons (1988, Chapter 9, ‘The Political Ideals’)も参照のこと。Moggridge (1992, Chapter 18, ‘Industry and Politics’) は、ケインズの政治思想は、1920年代のニュー・リベラリズムから、1930年代以降の「リベラル社会主義」へと進展したと論じている。またPeacock (in Crabtree and Thirlwall eds., 1993) は、ケインズを、「契約説的(もしくは手続き的)リベラル」とは対照的な、「目的状況的」リベラルと捉えている。ピーコックは、ケインズを、「ニュー・リベラリズム」のコンテクストよりもむしろ、古典的リベラリズムのコンテクストで捉えているように思われる。新しい自由運動の指導者としてのホブソンにたいするFreeden’s (1978)の評価に関しては、Maloney (1985, pp. 159-161)を参照のこと。
ホブソンやホブハウスと言ったエドワード期のニュー・リベラリストは、貧困や失業と言った問題の根源を、所得の不平等な分配による過少消費に求めていた。Hobson (1938)Mouri (1990, Ch.2) を参照。これは、グリーンやボサンケットと言った理想主義者が、経済的不平等を封建時代の残滓である大土地所有制に求めていたのとは異なる。
11) 後年、ケインズ(Keynes 1937) は、伝統理論とは異なる2つの点を指摘した。
1つは、将来が不確実であると言う現実を理論に組み入れることである。もう1点は、全体としての産出量の需給理論を提示することである。われわれは、ピグーや他のケンブリッジの経済学者がこの点を無視していたと考えるべきではない。Pigou (1920, Part I, ch. II; Part II, ch.VI) やLavington (1912) を参照。
12) この点は、ケインズ (Keynes 1923) 以来の一貫したスタンスである。
13) 本節はHirai (2004) に基づいている。.
14) この点については Collard (1996)を参照。
15) この書は、個人の効用は比較できないという理由で、ロビンズによって批判されることになった。
16) ロバートソンやホートリーとは異なり、Pigou (1931) は『貨幣論』を高く評価している。例えば、彼は次のように評している。「[ケインズは]、彼の新しい方程式について、・・・それが、多くの種類の産業的混乱にあって、より確かな目で追いかけられる因果連鎖を可能にしている、と主張している。私は、これが価値のある主張だと思う」(544)
  17) Pigou (1950, 65) も参照。ピグーは、『一般理論』の意義は、実物的要因を貨幣的要因と整合的に関係づける理論的枠組みを提示した点にある、と考えている。彼は、とりわけ、pp. 246-247 (Chapter 18)に特別の注意を払っている。そこで、ケインズは、3つの基本的心理要因(消費性向、流動性選好、長期期待の状態)、貨幣賃金、および貨幣量が国民所得および雇用の水準を決定するという彼の考えを要約している。
ピグー効果(実質残高効果)は、ケインズのマクロ経済学に対峙する新古典派のマクロ経済学を支える強力な道具として用いられた。
18) Pigou (1948) もまた明らかにしている。マーシャルの社会哲学が検討されているPigou (1953)もまた有益である。
19) Pigou (1937, p.30)を参照。             
20) 言うまでもなく、これらがPigou (1920)での主要テーマであった。
21) ピグーは、ランゲもワルラスにも言及していないことは注目すべきである。いく人かの経済学者はピグーの思考方法に、一般均衡理論の嗜好を感じ取っている。1935104日付のアーシュラからヒックス宛ての書簡(兵庫県立大学所蔵)で、次のように書かれている -「あなたが彼について言っている、彼が根底は一般均衡理論家であるというのは、まったくその通りだわ。彼の判断がすごくいいのは、そのためです」。Myint (1948) は、マーシャルの部分均衡的な余剰分析とピグーの一般均衡分析を識別している。Laidler (1999, p.165) Pigou (1933)に同様の点があることを指摘している。
22) このことは、Schumpeter (1943)にある「青写真」を想起させる。
23) Pigou (1948) は、市場の失敗、および将来よりも現在を選好するという個人の性向の存在のために、市場社会における政府の役割を強調している。彼は政府の計画を2つに分けている。1つは主要な計画 (目的の計画)で、経済的厚生の増加を目的とする(ここでは所得の不平等の是正が重視されている)で、もう1つは副次的計画(手段の計画)で、価格メカニズムや指令という方法を用いて政府によって実行される金融政策である。Pigou (1948) Robbins (1947) についての書評である。ピグーと. Robertson (1947, p.48)の相違を参照。
24) 本節はHirai (2004) に基づいている。
  25) Roberston (1915) によって、ロバートソンは「セー法則や、それに関連する、資本主義経済における完全雇用への自動的傾向を認めるいわゆる「古典派的」性向にたいする尊敬の念を見せなくなるに至った」(Presley ed., 1992, 85).  
 26) Hirai (2003, pp.111-116) を参照。両者の協同関係は、Robertson (1915) の形成過程にまで遡ることができる。Presley  (1992, pp.82-86) を参照。.
27) この局面はMarshall (1920)で詳細に扱われている。マーシャルは、分業を通じて組織は知識の発展を助ける、と論じている。
28) Robertson (1923,p.39).
29) Robertson (1923,p.85).
30) Robertson (1923, pp.84-85)を参照。
31) Robertson (1923,p.87) を参照。
32) Robertson (1923, p.91) を参照。
33)  Robertson (1923,p.95) を参照。
34)  Robertson (1923, pp.97-98) を参照。
35)  Robertson (1923,p.126) を参照。
36) Robertson (1923, pp.162-163) を参照。ロバートソンの社会哲学については、Robertson (1947) も啓発的である。
37) 同様の表現として次のものがある― 「われわれは、リベラリズムというムシに悩んでいる」 (EO, p.48).
38) 本節はHirai (2004)に基づいている。
39) ホートリーは、「シカゴ・トラディション」の関係で注目を浴びたことがある。Laidler (1993) を参照。Laidler and Sandilands (2002) も参照。 ホートリーは、「水平主義者」 (Circulationist) からも注目を浴びたことがある。Torre  (1985) を参照。
40) ホートリーは、Hawtery (1944)や未刊の草稿Right Policy (Churchill College, Cambridge University)で、同じ問題を追究している。ここでは後者について触れておくことにする(詳細は平井(2009 第5章)、およびHirai (2012)を参照)。これは、社会哲学(もしくは政治哲学)の領域におけるホートリーの最後の作品であり、本文中に「1964年現在」の文字が見られる。この書は次のような特徴をもっている: (1) 「支配者」 ホートリーは、支配者、権威、権力の存在を重視しており、それがここでのキー・ワードとして繰り返し登場している。(2) 「合理化」「理性」が宗教を説明可能なものにする過程として言及されている。(3) ホートリーにたいするムーアの影響力。 (4) ホートリーはある程度、進化論的アプローチを採用している。(5) 「偽りの目的」という問題これは「中間的目的」と同意語である。(6) 最終生産物の「ユーティリティ生産物」と「プラス生産物」への分類。(7) 完全雇用政策を維持することは、貨幣価値の安定化を労働組合運動に託すことを意味する。 (8) 市場経済におけるディーラーとトレーダーが果たす役割の強調。 (9) ホートリーは集産主義にたいし批判的ではない。
41) Hawtrey (1926, p.314)を参照。厚生と偽りの目的は、Hawtrey (1944、第12章)
およびHawtrey (Churchill College)の第2章でも扱われている。
  42) これにたいするピグーの反応については、Pigou (1950, p.17, n.3)を参照。
  43) Hawtrey (1926, p.216)を参照。
  44) 後に防衛的生産物は「ユーティリティ生産物」と改められ(Hawtrey, 1926, Chapter 13を参照)、創造的生産物は「プラス生産物」と改められた(Hawtrey, Churchill College, Chapter 6を参照)。ホートリーはこの分類を採用し続けている。,
  45) Hawtrey (1926, p.225)を参照。
  46) Hawtrey (1926, p.225) を参照。
  47) Hawtrey (1926, p.132) を参照。
  48) 彼は、第一次大戦の前ですらそうであった。1914年前に打たれたと推定されるタイプ草稿は、「ともかく理論的には、社会主義は民主主義の自然の連続体である」という言葉から始まっている。Hawtrey Papers, 6/5/2を参照。
49) Hawtey (1926, p.390) を参照。
  50) Hawtrey (1926, p.379) を参照。Hawtrey (1944, p.358)では、集産主義への道および「第3の可能性」(これは「ニュー・リベラリズム」に相当する)への道が提示されている。彼は、いずれが優れているかの判断は下していないが、「競争主義」(Hawtrey (1926)での「個人主義システム」に該当する)にたいす彼の批判は明確kに示されている。
   51) また、Hawtrey (1944, pp.354-355) を参照。.
52) 以下に示すものは、3人の経済学者(ロバートソン、ケインズ、ホートリー) の理論的関係を鮮やかに示している。
ロバートソン宛ての手紙 (1026日。JMK.13, 315-317) において、ケインズは、
ロバートソンの自発的貯蓄は『貨幣論』における(彼の「特殊な意味」での)「貯蓄」に非常に近いものであり、[ロバートソンの] の保蔵の改定された意味と、マーシャルのKおよび所得速度V とのあいだには何の関係も見いだせない」と述べている。ロバートソンは、ケインズの2つの論評に否定的に答えている。第2に論評に関して、ロバートソンは、「いかなる抽象レベルにおいても、Pにたいし働くすべての力は、MV あるいはRのタームで表現することができる、と主張するつもりです」と述べている (JMK.13, 318)。このトピックは系んブリッジの数量説M=KRP=RP/Vに関するものである。未発表論考‘Saving and Hoarding’ (GTE/1/164-170) において、ロバートソンは、彼の改定された保蔵(「その足がマーシャルのK および貨幣の所得速度Vである古いズボンのヴァージョン」)とケインズの改定されたヴァージョン (「同じずぼんの豪華さを施されたヴァージョン」) は、ケンブリッジ数量説と同じものである、と論じている。
 書簡を通じて、ケインズ派、彼の新しい理論を本稿で説明されるようには表現していないということは注意されるべきである。 論争のポイントは、ケインズを『貨幣論』の著者として、ロバートソンを『銀行政策と価格水準』の著者のうえに置かれるべきであるように思われる。
Hawtrey (1932, 279) は、貨幣数量説は不均衡の状況においては役に絶たないと論じて、消費者の所得と支出についての自らの理論を主張した。ホートリーの貨幣数量説にたいする批判 (Deutscher, 1990, 36-39を参照) は、ホートリーが消費者の所得と支出の理論を提示しているのにたいし、ケインズは『貨幣論』の理論を提示しているという点をのぞけば、『貨幣論』におけるケインズの批判に似ている。
  次に、ホートリー Hawtrey 1933) とロバートソン(Robertson 1933)のあいだの激しい(破壊的ですらある)論争を見ることにする。彼らは相手の理論にたいし、非常に批判的である。ホートリーはいくつかの点において(現実性の欠如、財ストックの無視など)、消費者の所得と支出についての彼の経済学の視点から、ロバートソンのラッキングの経済学を批判した(Robertson (1926)にたいする批判であるHawtrey (1926)を参照)。ロバートソン(Robertson (1933))は、これにたいし、ホートリーの理論を批判し、理論的に興味深い点を「かなり浮き彫りにしている」という自らの理論の利点を強調した。
  最初、1920年代中葉にロバートソンの影響を受けたケインズが、『貨幣論』の後、ホートリーの影響を受けるようになり、その後、前進していくようになったのにたいし、ロバートソンとホートリーは自らの理論を保持したというのは、非常に興味深い。
  次の、リディアにたいする手紙 (19331030) は、ケインズの当時の心境を写している。「[ホートリーは]最後まで非常に温厚でした、が最後はまったく狂気でした。人は彼と長時間、完全に正気で興味深いベースで議論することができますが、突如、
 人は精神病院にいることになります。・・・私は、ちょうどいま、デニス(ロバートソンのこと)を絶望的な討議をしてきました。彼の精神は、驚くほど独創的であるけれども、私には悪意に満ちた天の邪鬼にみえます。再び、狂人と議論しているような感じです。しかし、アレキサンダー(カーン)と話す時、まったく異なったものになります(Skidelsky, 1992, p.495)
  以上の他、ケインズの『一般理論』にたいするロバートソンおよびホートリーの批判、
Pigou (1949)にたいするホートリー(Hawtrey 1949) の激しい批判、およびピグーの経済学にたいするショウヴの批判を参照されたい。
  53) Robertson (1947) は、ケンブリッジ学派の社会哲学をマーシャル=ピグーに代表されるものとして次のように特徴付けている。(i) それは、個人の所有権と経済的自由のシステムを是認している。(ii) それは、国家の裁量的な介入をとおして、システムの病弊を修理しようと努める。
ロバートソンはまた、この社会哲学は2つの基本的な信条を有するものであることを強調している。(i) 人間の知識の限界と人間の予見の誤謬性、(ii) 「進歩は主として、
人性の最強で、最高の力が、社会的善の増大のために利用できる程度に依存している」。
54) カーンやミードといった若手の経済学者は同じ考えをもっていた。カーンの場合だが、「カーンは、「市場はよい召使だが、悪い主人である」、と信じていた。すなわち、もし規制のない国内あるいは国際市場における個人的な、そして匿名の決定は、不均衡を生み出す傾向があるならば、・・・これらは国家や国際的協調を通じた個人の集合的な活動により避けることができる・・・。このようにして、ケインズ的伝統にしたがっているカーンは、「規制のない古典的リベラルの資本主義の調和」という考えのみならず、資本主義の増大する、そして累積的な矛盾と危機は、ついには必然的に、管理不能になるという伝統的なマルクス主義者の考えにたいしても反対であった (Palma, 1994, 117)。ミードの場合だが、彼は、自らを「リベラル-社会主義者」と呼ぶのを常としていた。Howson=Moggridge eds. (1990) およびMeade (1948) を参照。.
Hicks (1979 [1984], p.285, fn.11) は、LSEでの思い出を次のように語っている。
「ハイエク、ヴェラ・ルッツは、われわれ(ロビンズのグループ)の中で、後年も
古い信条(自由市場への信仰)を一貫して持ち続けた唯一の人であった。ロビンズでさえ、相当程度、それから乖離していった。」
55) この点は、「抽象的形式主義」という彼の見地から、Stigler (1990) によって厳しく批判された。
56) これは、われわrが言及した「マーシャルの時代」の特徴と非常に対照的である。
これらの100年間の支配的な経済理論と支配的な社会哲学の関係がどのようなものであったのかについては、Hirai (Hirai ed., the last chapter)を参照。
57) ケインズは重要なケンブリッジの人々に取り囲まれていた。L.ウルフは、「連盟賛同者」を代表する人物であり、労働党の政治学者であった。K. マーティンは平和主義者で、New Statesman and Nationの編集者であった。そしてB. ラッセルは「絶対的な」平和主義者であった。ウルフについては、Yoshikawa (1989)を参照。マーティンについてはJMK.28, Ch.1, ‘Keynes and Kingsley Martin’を参照。同誌の19367-9月号での論争は、ナショナリスト的立場から、ボールドウィン内閣の「宥和政策」をケインズが支持していたこと、ならびに取り巻く周辺の政治的雰囲気を知る上で有益である。早坂 (1967)、宮崎 (1980) および吉川 (1989, 225-235)を参照。.

                                                                         
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