2014年1月31日金曜日

ライオネル・ロビンズ 『一経済学者の自伝』ミネルヴァ書房 I. はじめに 本書は、1971年に刊行されたL. Robbins, Autobiography of an Economist, Macmillanの邦訳である。これがなぜいま邦訳されたのかについては、「監訳者あとがき」に詳しい。著者のロビンズ (1898-1984年) は20世紀を代表する経済学者の一人である。が、彼の実像は、驚くほど知られていない。経済学者でさえ、「諸目的と代替的用途をもつ希少な諸手段とのあいだの関係としての人間行動を研究する科学」として経済学を定義した人として知るくらいである。あるいは(今日的にいえば、ネオ・リベラリスト的な意味での)「自由主義者」の代表格の一人と解されている可能性がある。こうした捉え方が皮相なものであることは、本書を読めば一掃されよう。本書の価値を述べておこう。第1に、当時の経済学、経済が、その第一線で活動した人物の目で描かれている。第2に、ロビンズ自身の言葉を通じ、彼がどのような人物であったのかを直接知ることができる。以下、評者がとくに興味を覚えた3点(人物評、「経済部」、社会哲学)を中心にみることにする。 II. 人物評 ロビンズは、エリート・コースとは無縁の家庭の出である。ロンドン近郊の非国教徒の家系に生まれ、地元の中学校で教育を受けたロビンズは、ユニバーシティ・カレッジ・ロンドンに入学するも、第一次大戦の勃発により軍人への道を選んだ。フランス戦線で負傷、そして休戦後、ギルド社会主義者として活動する。が、やがて疑問を抱き、金融界に就職する決意をする。そのとき、不仲になっていた父親との偶然の遭遇で、彼はLSEへの入学を決めることになった。これが彼の運命を決めることになる。 LSEでの学生生活は大変充実したものであった。就職口のみつからないなか、『失業 - 産業の問題』の第2版を出そうとしているベヴァリッジの助手として働くことになった。その後、オックスフォードの臨時チューターとして働いたが、やがてLSEに呼び戻される。今回は、経済学をめぐる研究・教育の構築という大役が若きロビンズに任せられることになるのである。以降、彼は.経済学史上に燦然と光を放つ人物と長年にわたる交流を続けていくことになるが、ロビンズは本書で臨場感溢れる人物描写を展開している。彼らの性格、行動、業績が客観的・冷静に描かれているとともに、情愛が込めて語られていることが多い。多数の人物が登場してくるが、ここでは紙幅の都合上、とくに興味深かった3名のみを取り上げる。まずベヴァリッジ。いわゆる『ベヴァリッジ報告』で知られる社会保障システムの確立者として有名である。本書でのベヴァリッジ評価はそれほど好意的とはいえない。能力はあるが、独断的にことを運ぶ人物、なにか疑いの目を向けられるところのある人物であったようである。彼が編集した『関税』(1931年)に関する驚くべきエピソードがある。当初、ベヴァリッジは反自由貿易の立場で臨もうとしたが、ロビンズの説得で自由貿易論の立場に急変した。さらに、議論が進むにつれ、ベヴァリッジに関連理論の心得がほとんどないことが判明する。同書への参画はロビンズをして「一生の不覚」といわしめるものであった。また、『ベヴァリッジ報告』(1942年)および『自由社会における完全雇用』(1944年)と『雇用政策白書』(1944年)のあいだの時間的先行関係をめぐる興味深いエピソードが語られている。次にケインズ。最初の出会いは経済諮問委員会の委員としてである。そこで2つの問題点(不況期における公共支出増大の望ましさと輸入自由化政策)をめぐって両者は激しく対立する。そのときのケインズの感情の爆発ぶりがみごとに描写されている。しかし、ケインズとの仲は、その後修復される。とりわけ、「経済部」の部長としてケインズ側について、戦後の重要な政策を成立させていった。何よりも、ブレトンウッズ会議での国際通貨体制をめぐる交渉や、戦後の対米借款をめぐる交渉でのケインズの超人的活動を描写した箇所は感動的である。最後にロバートソン。ロビンズは経済学者としての彼をきわめて高く評価している。そしてロバートソンとケインズとのデリケートな関係、ならびにそれがもたらしたロバートソンへの悲劇的な影響などをみごとに描いている。 III.経済部 LSEの経済学部はキャナンの引退後、誰に託するかが重大な問題となっていた。慎重な人選の結果、A.ヤングに白羽の矢が立てられた。だが、彼は不慮の死をとげ、その後釜として召喚されたのがロビンズである。 彼がLSEをこよなく愛した大学人であることは、本書に横溢している。そして、オーストリア学派との親交を保つとともに、いわゆる「ロビンズ・サークル」を主宰することで、幾多の優秀な研究者を育成していった。 ロビンズは、第2次大戦時に戦時内閣官房にできた「経済部」の第2代部長として活動することで、人生の新たな次元を切り拓いていく。彼はこの立場で、重要な戦時経済の問題に関与していくことになった。経済部は、事実上、ミードが立案者であり、ロビンズはそれを支援する立場にあった。雇用政策、社会保障政策、通商政策などは経済部案(それはケインズ側に立っている)として勝利を収めていくのである。さらに、国際通貨体制や国際通商問題、さらには対米借款交渉などにロビンズは深く関与していったのである。 IV.社会哲学 本書はロビンズの社会哲学を総合的にとらえるうえで非常によい見取り図を提供している。 ロビンズの考えは、249-250ページに集約的に表されている。 (i)「私的財産と市場経済に基づき、適切な法体系のもとで機能する分権的システムによる方が、中央集権システムによるよりも、自由で進歩的な社会を築くための根本的原理を維持しやすいという信念」(下線は評者) (ii) 「しかし、そのような組織体が明白に不適切と分かるような異常な事態を経験し、私自身がそれに代わる統制形態を用いて管理に役立ててきた。」 (iii) 「分権的システムにおいて、相対的な需給面では自律的に効率よく調整する傾向があろうとも、財政や金融に関する補完的手段がなければ、総所得・総支出面ではうまく調整機能[は]働かない」  私見では、これはケインズ的な「ニュー・リベラリズム」に近接している。この点でハイエクの自由論 (自生的秩序論)とは異なる。彼は、素朴な自由主義者ではなく、むしろプラグマティックなアプローチをとっている。戦時経済下での統制経済のあり方についての考え方なども、この側面が顕著である。  V. おわりに  本書にあってもう1つ貴重なもの、それはロビンズが自著について、その概要を当時の自らの問題関心を加えつつ語っている点である。この著作にはいまも私が大事に思う考えが展開されているとか、この著作は執筆したことを後悔しているとか、いったことまで記されていて、経済学者・思想家ロビンズに関心を抱く者にとり格好の入門になっている。 繰り返す余白はないが、以上の説明で本書の価値は明らかであろう。一読を薦める。