2015年1月2日金曜日

グローバリゼーションの帰結




グローバリゼーションの帰結


平井俊顕
(上智大学
  2014年5月21日

80年代中葉以降の世界経済の展開を一言で表現するとすれば、「グローバリゼーション」― グローバルな市場経済化現象 に優るものはない。
その顕著な特徴として次の3点が指摘できる (i) 経済運営の原理として、資本主義がグローバルに採用されたこと(社会主義の放棄)、(ii) 金融グローバリゼーションの極端な進行、(iii) 開発途上国とみられていた国が、驚くべき経済成長により重要な地位を占めるに至ったこと。
 このグローバリゼーションには4種類のタイプ 金融グローバリゼーション、市場システム I、市場システムⅡ、市場システムの統合 が識別できる。以下、それぞれをみていくことにしよう。

「金融グローバリゼーション」
70年代に2度のオイル・ショックが発生した。いずれも中東の政治危機と関連しており、原油産出国カルテルOPECの世界政治経済におけるプレゼンスを高めるものであった。生じた原油価格の高騰は先進国経済を不況に陥れることになった。にもかかわらず、日本は一人勝ちの経済的成功を収め、アメリカを凌駕する勢いをみせていた。
  サッチャー首相 (79-90)、レーガン大統領 (81-89) の登場はこの直後である。彼らは、低迷する経済を活性化させる方法として、市場システムの活用、企業者による自由な経済活動、規制緩和、反労働組合、反福祉国家を唱道した (経済学で言えば、ケインズ=ベヴァリッジからハイエク=フリードマンへのシフトに対応する)
こうしたなか、米英が世界の中枢としての地位を取り戻す方法として編み出されたのが、ここでいう金融グローバリゼーションである。90年代に入ると米英は、金融の自由化を進め、金融機関が政府の監視に入ることなく自由に投資・投機活動を展開するのを許容した。その結果、投資銀行、商業銀行、ヘッジ・ファンド等が「証券化商品」の開発やレヴァリッジの利用を通じ、驚くべき規模の投資・投機活動を展開していくことになった。
このことは、米英が世界経済を金融市場での支配を通じリードしていくことを可能にした。

市場システムI 冷戦体制の崩壊と資本主義システムへの収斂

本節では、市場システムを採用することになった旧ソヴィエト圏ならびに中国を対象にする。

1. 社会主義体制の崩壊
戦後世界は、敵対する2つの経済システムが覇権を争う冷戦体制の時代を迎えた。社会主義体制にあっては、企業や価格メカニズムはほとんど存在しなかった。財・サービスは売買されるが、価格は市場で決定されたわけではない。生産活動は中央計画局で策定され、下位組織はそれに従って生産を行う仕組みであった。
 冷戦体制は、91年のソヴィエト圏の崩壊で突然の終焉を迎えた。社会主義体制が、その特性ゆえに崩壊する運命にあったと跡付けで言うのは容易であるが、突然の完璧な崩壊を予想できた者などいなかった。

2.移行経済
ここでは、ソヴィエトの崩壊後ロシアが、そして78年以降中国が、どのように資本主義システムへの変貌を遂げたのかをみることにする。

ロシア -クーデター鎮圧後、ベラヴェーシ合意が9112月に結ばれ、CIS(独立国家共同体)の宣言とソヴィエト連邦の廃止が決定された。
 エリティンは、IMFの勧告に従いながら、「ショック療法」によりロシアの資本主義化を目指した。彼の大統領時代 (91-99) は2期に分けられる。
  前期は、ショック療法 価格自由化、「バウチャー方式」による国営企業の民営化、株式市場の創設等 の断行である。だが、その成果は無惨であった。92年、ロシア経済は年率2510%のハイパー・インフレ、そしてGDP14.5%減となった。ハイパー・インフレは多数の人々を極度の貧困に陥れる一方、バウチャー方式はオリガルヒを輩出した。
 後期は、一層の政治的・経済的混乱期である。悲惨な経済状況のため、エリティン人気は急落していた。オリガルヒの協力で再選は果たしたものの、オリガルヒの力は強大なものになった。彼らは「株式担保」融資を通じ、多くの国営企業を手に入れた。
 98年、ロシアは国債のデフォルトに陥った。財政収入の激減や資本逃避等の結果であった。官吏・軍人への給与支払いは遅れ、ルーブルは信用を喪失し、物々取引が支配的になった(デフォルトは、ヘッジ・ファンドLTCMを崩壊させ、世界金融危機寸前にまで至った)。
 99年、エリティンは大統領を辞し、代行にプーチンを指名した。翌年、プーチンは選挙により大統領に就任している。この時期、原油価格の急騰により、ロシア経済は奇跡的な回復をみせている。(大統領の)第1期、プーチンはロシアの経済的・政治的改革を実現することに熱心であった。第2期になると、国家によるコントロールを強化し、従わないオリガルヒを追放していくことになる。
 
中国 「文化大革命」を乗り越え、不死鳥のように蘇った鄧小平により、78年、「改革開放」政策が打ち出された。この政策は、中国経済を実質的に資本主義システムに変換することを目指すものであった。
当初、中国は、農村地域での土地私有化の導入ならびに「郷鎮企業」の成長により、悲惨な状態から脱却した。それに続くのが「経済特区」への外国企業の誘致であり、これが中国の長期間にわたる奇跡的な経済成長の出発点になった。
85年、鄧はいわゆる「先富論」を唱道し、中国経済の急速な成長を民間企業に委ねた。92年、彼はいわゆる「南巡講話」を行い、改革開放政策の速度をあげることを訴えた。90年代中葉の政府の指導方針は、大規模国営企業は政府のコントロール下におくが、小規模国営企業は民営化するというものであった。その結果、経済に占める国営企業のシェアは低下を続けた。その後、政府は、内陸部の地方政府が開発区域を創設し、そこへの外国企業の誘致を許可した。

市場システムII 新興国

ビジネス活動のグローバル的展開は、いくつかの「発展途上国」の大規模な経済発展をもたらした。その結果がブリックス ブラジル、[ロシア]、インド、中国 に代表される新興国の出現である。
注目すべきは、世界経済は「成長を続ける先進国 対 停滞する開発途上国」の図式から「停滞する先進国 対 成長を続ける新興国」へと大きく変貌をみせている点である。90年代初頭に実現したかにみえたアメリカ一国支配の野望は、この結果挫折している。
ブリックスは先進国に急速に追いついたのみならず、世界経済にあって益々大きな地位を占めてきている。ブラジルとインドをみることにしよう。

ブラジル ― 80年代および90年代前半、ブラジルは膨大な債務とハイパー・インフレに苦しんだ。90年、ブラジルは市場経済を促進する政策を打ち出し、海外に門戸を開放し、国営企業の民営化を推進した。これはブラジルのその後のコースを大きく変えることになった。94年、ブラジルは、ドル・ペッグ制のもとで貨幣を「レアル」に改めたが、これはハイパー・インフレの劇的な鎮静化をもたらした。世紀が改まったとき、ブラジルは中国からの農産物需要の急増により高い経済成長率を達成することができたが、以降資源に保有国として世界経済における地位を高めてきている。

インドインドは、長い間、社会主義経済システムで動いてきていたが、経済は低迷を続けていた。91年にラオ首相は経済的低迷を打開すべく新たな経済政策 貿易、外為および資本の自由化; 規制緩和; 国営企業の民営化; 金融システムの改革 を採用した。この路線は、シン首相をはじめ歴代首相によって継承された。インドは、とりわけIT産業 アメリカ企業のアウトソーシングとして始まった により、高い経済成長を達成することができた。

ブリックスの存在感 - 以上を要するに、ブリックスは「市場システムII」および「金融グローバリゼーション」の双方から便益を享受した。表1はPPP (購買力平価) 表示の2010GDP トップ10である。ブリックスはこの中にリストアップされている。なかでも中国の数値は驚異的である。そして先日、中国はNo.1に躍り出たこととの報道があった。

表1  PPP 表示でのGDP トップ102010)(単位: 10億ドル)
               
1
アメリカ
110086
2
中国
4658
3
日本
 4310
4
インド
4060
5
ドイツ
 2940
6
ロシア
 2223
7
イギリス
 2173
8
ブラジル
 2172
9
フランス
 2145
10
イタリア
 1774
          
            (出所) http://ecodb.net/


市場システムの統合

EUは、グローバリゼーションが加速度を増してきた、そして社会主義システムが崩壊した90年代に設立された。EUはその後、旧ソヴィエト圏諸国をEUに組み入れていく活動を展開した。その意味でEUは市場システム統合というグローバリゼーションを遂行していると言えよう。
 リーマン・ショックの発生後しばらくすると、(EUの中軸たる)ユーロ・システムは深刻な危機に直面した。そのとき採用された政策は、PI[I]G[S] ポルトガル、アイルランド、[イタリア]、ギリシア、[スペイン] - にたいし、ベイルアウトと超緊縮予算の強制であり、合わせてECBによる金融政策(一種の量的緩和政策)であった。
  だが、その結果はPIIGS内での一層大きな危機の発生であった。超緊縮財政は超デフレ政策を意味している。継続するリストラ、増税、年金カットは有効需要の急激な落ち込み、高い失業率、そして予算状況のさらなる悪化をもたらした。
ユーロの指導者は、「拡大を続ける域際間の不均衡」という根本的な原因に目を向けていない。より深刻なのは、EU自体の存続である。創設精神たるシューマン・スピリットが薄れ、(極右的) ナショナリズムが高まりをみせてきている。間もなく開かれる欧州議会選挙では総議員数751名のうち200名がユーロ懐疑派によって占められることが確実視されている。

***
市場社会はどのような方向に動いていくのであろうか。希望的観測だが、市場の不存在や市場の不透明化現象およびシャドウ・バンキング・システム(SBS)の拡大を抑えるべく諸政府が、金融システムを統御可能なものにすべく改善するように動いていくことが望まれる。とはいえ、ドッド=フランク法に象徴されるようにこの動きはきわめて遅い。このため、金融機関はリーマン・ショック以前と同じように行動することが可能なままであり、近い将来、新たな金融危機を将来する可能性が高い。
もう1つの重要な問題は、ビジネス倫理に関するものである。これらの危機に際し、われわれは自己責任原理を唱道していた多くの産業界のリーダーが我先に政府に金融支援を懇願する姿をみてきた。新たなビジネス・モデルが作り出されないならば、市場社会は近い将来、もっと深刻な問題に直面することになる。
グローバリゼーションの帰結として、最近顕著なのが、世界システムの地政学的激変である。これまでのアメリカ1国支配が、ロシア、中国の台頭により3極化の様相を呈している点である。ウクライナ危機、シナ海における争いはそれを象徴する出来事である。
世界は、依然として海図のない領域を彷徨している。