2015年1月7日水曜日

シュンペーターの基本的な考え





               シュンペーターの基本的な考え

平井俊顕
(上智大学)
             『経済発展の理論』

 (1-a) シュムペーターの「経済理論」は、あくまでも資本主義経済の循環的成長のメカニズムを説明するために提示されたものであり、企業者(および「追随する企業者群」)による「新結合」をつうじた「創造的破壊」がその主たる動因である。それに「信用創造」を供与する「銀行」、ならびに(かなり弱い機能であるが)貯蓄を供与する「資本家」が、いずれも貨幣供与者として参加する。労働者(それに地主)、「単なる業主」は何の機能もはたさないと考えられている(労働者はせいぜい賃金からの消費需要者として登場してくるぐらいである)。

 (1-b) シュムペーターの経済発展の理論には2つの理論的支柱がある。1つは、「企業者」による「新結合」の遂行、ならびに「追随的企業者の群生的出現」である。もう1つは、貨幣的要因、すなわち「信用創造」である。それは資本主義社会を発展した信用機構をもつ社会としてとらえるということである。
 これらのうち、いずれにより大きな特徴があるのかといえば前者ということになるであろうが、そうはいっても、後者が経済発展にたいして果たす役割もそれに劣らず重視されているという事実を見落とすことがあってはならない。シュムペーターは「新結合」という現象を、資本主義社会に固有のものと考えているわけではない。それは「封鎖経済」や「流通経済」にも生じるものとされている。それにたいし、「信用創造」という現象は資本主義社会に特有の現象であると考えられている。それほど、信用の果たす役割はシュムペーターの「経済発展の理論」においては重視されているのである。
 
(1-c) シュムペーターは、企業者、競争、均衡、価格の機能を、すべて「経済発展」の理論の領域で考察している。




『資本主義・社会主義・民主主義』

(2-a) シュムペーターが指摘する「文明としての・歴史としての」資本主義社会の「積極的」特性は、以下のとおりである。

(1) 資本主義は貨幣単位を計算単位にまで高める。
(2) 資本主義は、近代科学の心的態度、すなわち、一つの問題を設定することと、ある方法でそれに解答を与えようとすることからなりたつ態度、を生み出したのみならず、さらにその人材と手段をもつくり出した。
 (3) 資本主義文明は「反英雄的」である。この意味するところは、「合理的精神」を本
質とするところの資本主義文明は本性的に争いを好まないということである。

(2-b) 「文明としての・歴史としての」資本主義社会はその「積極的(=肯定的)」側面にすぎない。シュムペーターの資本主義社会把握はここにとどまるものではない。上記のような特性を有する資本主義社会は、じつは自己を崩壊させる要因を内包しており、ついには自壊していく存在である、ととらえられているのである。
 資本主義社会の「消極的(=自壊)」側面の諸要因は3つのタイプに識別できるであろう。第1は資本主義社会を牽引ないしは支えるべき階層-企業者階層、資本家階層、擁護階層-の消滅・弱体化である。第2は資本主義をささえる重要な制度的要因たる「私有財産制度と契約の自由」の崩壊・消失である。第3は資本主義社会に敵対的となる知識人階層の出現である。

(2-c)シュムペーターの「社会理論」は、資本主義社会の崩壊を説明するためのものである。「企業者機能の無用化」がその出発点におかれており、これに他の制度的・社会心理的要因が追加されて、その崩壊現象が説明されている。しかも、「企業者」や「資本家」といった資本主義社会を指導・牽引してきた階層、およびそれを擁護してきた階層、それに敵対的な知識人階層、の心理的・社会的変化、ならびに擁護制度基盤の喪失といった制度的変化が重視されている。ここでも労働者階級の役割(地主階級の役割もそうであるが)についてはまったく言及がなされていない。なお、「銀行」の役割についての言及もこの領域ではないが、これは「社会階層」としては「資本家」階層に含められているのであろう。経済的要因としてあげられているのは1つだけで、それは「競争過程」が中小企業を消滅させるというものであり、そのことにより制度的基盤があやうくなるという制度的要因への言及がなされている。

 (2-d) 以上のようにして資本主義社会が「その成功のゆえに自壊してしまったとき」、眼前に現出している社会とはどのような姿をもつものなのであろうか。「企業者」、「資本家階層」は存在せず、私有財産にたいするこだわりも減退もしくは喪失している社会(「所有や財産は……まさしく商業社会に所属する概念である」(CSD, p. 264) 、敵対的な感情も減退している社会(敵対する階層が存在しなくなっているから)、「非ブルジョア的性格」を有する政府をもつ社会、「経済発展の自動機械化」されている社会、つまり「事物と精神とがますます社会主義的生活様式に従いやすいように」「転形」した社会-こうした社会がイメージされる。

 (2-e)社会主義社会の「青写真」――だが、この状態はシュムペーターの考える「社会主義社会」そのものにはまだ到達していない。というのは、それは次のような社会として定義されているからである。

「……社会主義社会とは、生産手段に対する支配、または生産自体にたいする支配が中央当局にゆだねられている……ような制度的類型にほかならない」(CSD, p. 262)
 資本主義社会の自壊によって出現する社会から社会主義社会に至るには、「中央当局」による「生産手段に対する支配、または生産自体にたいする支配」の確立することが必要である、というのである。
 
(2-f) 社会主義社会では、商業社会とは異なり、「分配」は「生産」から切り離される。そして「分配」問題は共同体の規約によって解決しなければならない問題となる。そのさい、シュムペーターが典型的なケースとして取り上げているのは、「平等主義」的基準であり、かつ消費者には選択の自由があるような場合である。各成員にたいして消費財にたいする「指図証券」が発行されるが、それは当該期間だけ有効とされ、それ以外では無効となるようなものである(成員の所得は機械的に平等であり、その人の能力とは関係なく決定されるのである)。ここで「価格」は固定されているわけではない、という。「中央当局」が決定するのは「暫定価格」にすぎない。
 シュムペーターはこの方法でうまく分配が機能するという楽観論を述べているのであるが、これは疑問である。消費者に選択の自由があり、しかもその状況を「中央当局」が正しく予想しえないとすれば、ある商品は品不足に陥り、ある商品は売れ残る、という事態が発生することは避けられない。前者の場合、価格は上昇し、後者の場合、価格は下落する。しかも「指図証券」は当該期間しか有効でないのであるから、この傾向には拍車がかかることになる。また消費財には家屋や自動車などの耐久資産も含まれており、それらもこの「指図証券」で購入するわけであるから(消費者信用は考えられていない)、問題はますます困難となるに相違ない。

(2-g) 以上をまとめてみると、次のようになる。中央当局の権限としては、まず生産手段の価格決定権、生産手段の保有権と配分権があり、それらは各産業管理者と関係する。さらに中央当局には指図証券を成員に配分する権利がある。社会の成員は配分された指図証券によって財を購入する。ただし指図証券は1年で無効となるから使いきるしかない。したがって「貯蓄」ということは意味をもたなくなる。私有財産は存在しないのである。各産業管理者は必要な生産手段を、消費財を販売することによって獲得した指図証券で中央当局から購入する。

                   総括

(3) シュムペーターの理論的基盤は一種の歴史主義であったといいえよう。シュムペーター理論はシステムに内在する内的要因を重視し、その発展により、システムが崩壊したり進展するというシェーマをもっているという意味においてである。資本主義経済を「創造的破壊」を通じた動態的過程として把握したり、文明としての資本主義社会を「その成功」を通じての自壊として説明する、というのはこの基盤に依拠しているのである。

(4)「経済理論」、「社会理論」のいずれにあっても、「企業者」の役割が強調される-まことに「企業者」はシュムペーター理論のαでありωである
-一方で、労働者階級はまったく登場してこない、というのが、シュムペーターの理論の最大の特徴なのである。

(5) シュムペーター・ツイスト――シュムペーターはワルラスからは「経済発展の理論」における出発点として「経済の循環」もしくは「参照基準」を採用し、マルクスからは「壮大な構造」を継承した。
 前者の採用は非常に奇異に思われる。「静学」と「動学」の分離が鮮明であるため、同一の市場社会の動向を分析しているにもかかわらず、それらを説明する理論分析が完全に分離しているからである。シュムペーターは彼の本来の理論体系とは無縁であるように思われるワルラス理論を「純粋理論」としてはきわめて高く評価し、自らの理論体系の「前座」に据えることに固執したのである。
 後者については、その精神のみが継承されているのであって、シュムペーターはマルクスとはまったく異なる分析技法を用いたのである-マルクスの分析用具の大半を否定したにもかかわらず、シュムペーターの理論の本体である「動態」はマルクス的立場に近い、という表現も可能である。
 以上の意味でシュムペーターは、ワルラスからは完全に独立した存在であり、またマルクスとは精神的に共有する側面を有していたといえる。いずれにせよ、両者にたいするシュムペーターの姿勢には少なからぬ「ツイスト」(ひねり)がある。