平井俊顕(上智大学)
「社会における知識の利用」、「競争の意味」等の1940年代に執筆された諸論稿をもとにして
(1) ハイエクの市場社会論はリアリズム(3つの枠組み(「現場の人の知識」をもつ 諸経済主体、情報の伝播機能を有する「価格システム」、および「予見せざる変化」への適応過程として機能する「競争」)による現実認識)とアイデアリズム(上記の枠組み以外の要素の独断的排除、および「自生的秩序論」による観念論的弁護)の狭間で宙づりになっている。
(2)「自生的秩序論」は観念論的保守主義である。
(a)ハイエクの自生的秩序論はハイエクの視点からみて、価値があるもの、善なるも の、という価値評価を濃厚に内包している。だが、「自生的秩序」と「非自生的秩序」をどのような基準により識別できるのかは、語られていない。
(b)自生的秩序はできるだけ「純」なかたちで実現・維持しなければならないという (理想主義的)価値観が陽表的に導入されている。
(c)諸個人の「意図せざる」結果として、あらゆる文化が生まれてきたとするのは、 歴史に参画する諸個人の功績を過小評価している。
(d)何か神秘的な導きの糸(「自生」という言葉は、換言すれば、そのように解せら れる)に、人間社会についての理解を託しすぎている。