2014年5月30日金曜日

リーマン・ショックと現在


リーマン・ショックと現在 

平井俊顕

1. ネオ・リベラリズムの崩壊とケインズの復活

2008年9月に発生したリーマン・ショックはアメリカの金融システムをメルトダウンさせ、世界中を危機的状況に突如として陥れた。多くの金融機関や製造業が破産に追い込まれ、世界中で膨大な数の失業者を生み出した。諸政府は、その金融システムを安定化させるために巨額の公的資金を導入したり、深刻な不況に対処するために大胆な財政政策を実施したりして、この危機を乗り越えるべく懸命な努力を払った。
 同時にこれは世界経済における大きな転換点を意味するものであった。というのは、「ネオ・リベラリズム」や「新しい古典派」はこの惨劇を前にして崩壊し、世界中の政府は直覚でもってこの危機を克服することを余儀なくされたからである。
 市場社会は自己責任のシステムである、ということが熱心に唱道されてきていた:「人は自己責任をもって将来に向かうべきである;成功、失敗は自らの責任に帰すべきものである;政府は市場経済に干渉すべきではない - ネオ・リベラルが唱えた信条もしくはモットーはそうしたものであった。
 だが現実には何が起きたのだろうか。ほとんどすべてのアメリカのメガバンクや投資銀行は政府にベイルアウトを要請した。彼らは、金融工学に基づくポート・フォリオ(多層化された証券化商品はこの技法に基づいて発行された)に自信を見せていた。しかしながら、これらの銀行は破綻の瀬戸際に立つやいなや巨額の公的資金による援助を政府に懇請した(これらの致命的な経営的失敗にもかかわらず、経営者が解雇されるということはほとんどみられなかった)。
 この悲惨な状況の原因の1つは、他のことを考慮に入れることなく、「純粋な市場社会」の達成が過度に唱道されたという事実に帰すことができる。行き過ぎた自由化はあまりにも短期の投機活動を手に負えないものにしてしまい、多くの経営者によって社会倫理を無視する風潮や公衆にあっては一獲千金を夢見る風潮をもたらすことになった。これらの行為の帰結が、「自己責任原理」の廃棄と政府へのベイルアウトの懇願であった(巨額の公金を受け取ったAIGの経営陣が自らに巨額のボーナスを支給するというスキャンダルはアメリカ社会を大きく揺さぶった。彼らは、この行為を「契約の履行」という根拠で正当化したのである。ここにわれわれはビジネス倫理の崩壊をみる)。
 これとは対照的に、多数の人々は不動産ローンを返済することができなくなり、多額の負債を残したまま、住宅の差し押さえに直面した。ここで強調すべきは、彼らだけが「自己責任原則」を守ることを要請されたという点である。
ネオ・リベラリズムが深刻な自己矛盾的失敗 - 「市場の不存在現象」や「市場の不透明現象」の存在 - を抱えていることも、ここで注意すべき点である。
世界経済の危機が一層悪化していくにつれて、1930年代の大不況を克服するための経済政策を唱道したケインズへの言及が広く増加した。大不況にたいして何もすることができなかったほとんどの経済学者のなかにあって、ケインズは自らの経済理論と政策提案をたくみに提示した。いまや同じ現象が生じていた。というのは既存のマクロ経済学の無意味さが世界経済危機を前にして
露呈したからである。
著名な経済学者がそれまで信奉してきたネオ・リベラリズムを棄却することを宣言した。多くの経済学者はケインズ的な財政政策を訴えた。2008年10月、イギリス蔵相は財政政策の必要性を主張した。オバマ政権の経済政策担当スタッフは財政政策を唱道したが、それは同政権のバックボーンになったのである。

2. その後 緊縮政策

2010年5月まで、世界の主要政府においてはオバマ政権を戦闘にケインズ的な政策路線が支配的であった。しかしながら6月頃になると、世界は(中国を例外として)経済政策の方針を大きく変えていくことになった。
 その始まりは、2009年秋に発覚したギリシアの財政危機であった。EU の指導部はそれにたいして具体的な処置を決定することができなかった。というのはアイルランド、ポルトガル、スペインが同じような状況におかれたからである。そして2010年の春を迎えると、ギリシア危機は突如ユーロ危機へと拡大することになった。この状況に直面してEU の指導部がついに行った決断は、EU/IMFによる巨額のベイルアウト(1100億ユーロ)と緊縮財政履行の条件であった。
 この状況を反映して、トロントのG20 (2010年6月) は、ロンドンのG20 (2009年4月)とは様変わりのものとなった。オバマ大統領が財政政策を通じての不況の克服を訴えたのにもかかわらずトロントG20は主としてEUによって唱道された超緊縮政策の合唱で終わったのである。
 実はアメリカでも、オバマ政権によって採用された予算方針にたいする批判は高まりをみせた。オバマが提案した「ジョブ法」(Job Act. 2009年6月)、「雇用法」(Hire Act. 2010年2月)、大規模な財政刺激策 といった財政策は、失敗に終わった。それは財政刺激策に激しく反対した「ティー・パーティ」運動の高まりのみならず、民主党議員のあいだにもそれにたいするパッシブな傾向が増加していたのである。トロントG20での決定はこうした傾向に加速度を付けるものであり、2011年11月の中間選挙における大統領―民主党側の致命的な敗北に至るものであった。歳出カットと増税により、均衡予算政策を主張する共和党を前にして、オバマ政権は、あらゆる種類の経済政策を遂行するうえで困難な道を歩んでいくことになった。12月のブッシュ減税継続と失業手当の承認という妥協、共和党からの強い要求を受け入れることによっての2010年度予算の通過(2011年4月)などを経て、オバマ政権は、2011年7月のデット・シーリング危機において「予算統制法」(Budget Control Act. これにより超緊縮政策を受け入れることになった)を承認することになった。この後、
11月に開催された「スーパー委員会」(Super Committee)では合意に達することができず、(他の代替案がない場合)毎年、主として防衛費および社会保障費から1200億ドルを削減することが決定されたのである(いわゆるシークエスタ)。
 こうして2010年の6月以降、アメリカとEU (イギリスも含む) は超緊縮政策に転じ、事実上、不況対策の政策を放棄したのである。それは超デフレ政策である。停滞する民間需要のつづくなか、有効需要を増大させるのは政府以外にはない。しかしながら、政府は巨額の支出削減を行うわけであるから有効需要は継続的に低下し、そのことは財政状況をさらに悪化させることになる。均衡予算を目指すことは、本末転倒の行為なのである。
 不況に対処するために取られた唯一の経済政策は量的緩和政策(QE)である。
しかしその実質的な効果は、メガバンクを救済することであり、金融投資が行えるようにすることであり、実体経済への実質的な効果は得られないものであった。

3. 無傷のSBS

ドッド-フランク法が成立したのは2010年7月のことであった。しかしながら、その施行プロセスは、主として共和党の反対および銀行業界のロビー活動による非常に長期にわたる遅れを生じさせることになった。このプロセスがなんとか終了したのは2014年の初頭のことである。
 この大きな遅れは何を意味するのであろうか。金融組織は、政府からのベイルアウトにより破綻の危機から成功裏に回復した後15、彼らの投機行動を監視することを目的とした機関の設立を妨害することに努めてきた。彼らはまたドッド-フランク法を弱体化させ、大きな抜け穴をつくることに、巨額の資金を政治に注ぎ込んでロビー活動を展開し、ある程度の成功を収めてきた16 。こうしてシャドウ・バンキング・システム(SBS)は無傷のまま残されており、近い将来に再び巨大な金融危機が世界を襲う危険性がある。
金融規制法を実施してきているのはこれまでのところアメリカだけであることは記憶しておく必要のあることである。イギリスやEUを含む他の国が同様の法律を作ることができないならば、世界は巨大な抜け穴だらけということになる。金融の領域は、良かれ悪しかれ、グローバルである。
以下は金融の不安定に取り組むイギリスおよびEUの状況である。アメリカと比べ、対策の実行状況はずっと緩慢である。
イギリスは2013年12月、「金融サービス(銀行改革)法」(Financial Services [Banking Reform] Act)を成立させた。これは『ヴィッカーズ報告』(ICB) によって推奨されたリング・フェンス方式を採用している。政府は、この線にそって直ちに銀行にたいし構造を改革するように要請した。
ユーロ・グループはヴォルカー・ルールを採用するか、リング方式を採用するかを検討中である。ドイツでは2013年5月に、「信用機関のリング・フェンス、復興、清算計画法」(Ring-Fencing and Recovery and Resolution Planning of Credit Institutions Act)が成立した。これは『リッカネン報告』(Liikanen Report)に基づくものである。フランスでは2013年3月に、『銀行改革法』(Banking Reform Act)が成立した。これはリング・フェンス方式を採用している。金融規制改革はEUでは優先されているものではないことはここで記しておく必要がある。システムの本質的特性に根ざすユーロ・システムの危機が続いているからである。


 いま、グローバリゼーションを考える際に重要ないくつかのことがらについて若干述べることにしたい。
 リーマン・ショック後の経済危機は、ネオ・リベラリズムと新しい古典派によって支持され促進された行き過ぎの金融グローバリゼーションの結果であった。それは、多層化された証券化商品の無秩序な乱造をもたらし、金融界の経営陣にモラル・ハザードを引き起こした。十分に皮肉なことだが、熱狂的な市場ファンダメンタリズムの最中に、世界は「市場の不存在」と「市場の不透明」現象を経験したのである。
 市場社会はどのような方向に動いていくのであろうか。現時点で明らかなことは、ネオ・リベラリズムの崩壊であり、市場社会はそれとは異なった方向に動いていくであろうという点である。市場の不存在や市場の不透明現象およびSBSの拡大を抑えるために諸政府は、金融システムを統御可能なものにするように改善するように動いていくことであろう。
とはいえ、すでにみたように、この動きはきわめて進行が遅い。このため、金融機関はリーマン・ショック以前と同じように行動することが許されてしまっており、そのことは近い将来に新たな金融のメルトダウンをもたらすかもしれないのである。
もう1つの重要な問題は、ビジネス倫理に関するものである。これらの危機にわれわれは、自己責任原理を唱道してきていた多くの産業界のリーダーが我先に政府に金融支援を懇願する ― 「大きすぎて潰せない」(“too big to fail”)を胸に秘めて ―ありさまであった。驚くべきことに、巨額のベイルアウトを手にした後、彼らは巨額のボーナスを自らに支払うという厚顔無恥な行動をみせてきた。この種の不公正、腐敗、身勝手がアメリカのビジネス社会で支配的であるという事実は、市場社会にとって新たなビジネス・モデルが必要とされていることを雄弁に物語るものである。もしそれが作り出されないならば、市場社会は近い将来にもっと深刻な問題に直面することになるであろう。
世界は、依然として海図のない領域に向かって航行している。