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シュムペーター「企業家の機能と労働者の利害」(1927年) この論文の骨子は、資本主義社会は、新結合を遂行する企業家の働きにより経済を発展させるメカニズム、およびその成果はいずれ大衆に還元されるメカニズムを有するがゆえに、労働者もその恩恵を蒙り生活を向上させることができる、しかも企業家の多くは労働者階級から誕生している、というものである。 つまり、経済的にも、社会的にも、資本主義社会における、企業家と労働者は共に歩んでいると主張されている。こうして彼の考えは、真っ向からマルクス的搾取論に対峙する。 1. シュムペーターは企業家と労働者の利害は一致している、と主張する。19世紀にイギリスの1人あたり国民所得は4倍になったが、これは利潤を追求する企業家の活動のおかげで実現した、と。 2. 所得の階層別分配率は不変である。したがって大衆の相対的窮乏について語るのは無意味である。 3. 資本主義経済は、必要とする企業家機能を、ある成果には極めて高い報奨金を与え、その他にはわずかしか与えないことによって、そうでない場合に比べて、総額においては、はるかに安く提供させるシステムである。 4. 労働者は資本主義企業の最も顕著な利害関係者であり、どの企業をとってもはるかに最大の株主である。 5. 次の言明はシュムペーターのスタンスをとらえるうえで、非常に重要である。 「こうしたものと区別される企業家の機能は、生産諸要因を結集させて企業を営み、その生産物を価値増殖させることである。この過程のなかで企業家は、これらの生産諸要因の所有者と順々に交渉を行うが、そのなかには労働者も資本家も含まれている。そしてその交渉のつど、相手方のグループにたいし、彼は終局的には他のすべてのグループの代弁者となっている。」 6. シュムペーターは企業家の機能を、新結合の推進におき、その結果、巨額の利潤が形成されるとしても、それはその次に訪れる調整過程 (不況) において消失していく、つまり革新の成果は価格下落というかたちで大衆に還元されていく、と論じる。したがって搾取理論は成り立たない、と。 7. 「社会化」はすべての階級にとって経済的損失を意味する。 8. 続いて、社会階級をめぐる社会学的分析が展開されている。シュムペーターによれば、企業家というものはたいていの場合、労働者から身を起こしている。 9. 資産家と無数の無産労働者という構図は錯誤的である。資本主義社会の上層は、本質的には選りすぐりの労働者にほかならない。→「乗り合い自動車」の喩え。 10. 以上のことがいえるのは、19世紀の資本主義経済にたいしてである。 そしてシュムペーターの社会学、つまりエリート理論が登場してくる。官僚の任命、政治家の選挙など。そして企業家 (ここでは企業家の成功と企業の成功、個人の利得と社会的貢献、個人的上昇と客観的な業績が同一のものになっている)。 (それにたいし、トラスト化した経済では、それは当てはまらない。) … 企業家と労働者の隔たりは、ずっと小さい。 11. 純経済的には労働者と企業者はバリケードの同じ側にいる、というのがシュムペーターのスタンスである。にもかかわらず現実に対立がみられるのは、指導する者と指導される者のあいだの対立である。企業家は対資本の関係において労働者の利害の代弁者であるのとまったく同じ意味において、対労働者の関係においては資本の利害の代弁者である、と。 それに企業家は封建君主のもっていた威厳を欠いている。社会的にも政治的にも雰囲気を暗くするような行動をとったり、政治的態度における決定を誤ったりする。企業家はあたかも主人の地位にあるかのように語り、そのことが知識人によって、実態を調べることもなく労働者に伝えられている。 12. イギリスにおける19世紀全体を通じての社会闘争の穏和さを、(マルクスとは異なり) シュムペーターは高く評価している。他国がこの模範に従わなかったことを遺憾に思っている節がシュムペーターには認められる。 |
2018年4月12日木曜日
2015年1月7日水曜日
ハイエクの市場社会観
平井俊顕(上智大学)
「社会における知識の利用」、「競争の意味」等の1940年代に執筆された諸論稿をもとにして
(1) ハイエクの市場社会論はリアリズム(3つの枠組み(「現場の人の知識」をもつ 諸経済主体、情報の伝播機能を有する「価格システム」、および「予見せざる変化」への適応過程として機能する「競争」)による現実認識)とアイデアリズム(上記の枠組み以外の要素の独断的排除、および「自生的秩序論」による観念論的弁護)の狭間で宙づりになっている。
(2)「自生的秩序論」は観念論的保守主義である。
(a)ハイエクの自生的秩序論はハイエクの視点からみて、価値があるもの、善なるも の、という価値評価を濃厚に内包している。だが、「自生的秩序」と「非自生的秩序」をどのような基準により識別できるのかは、語られていない。
(b)自生的秩序はできるだけ「純」なかたちで実現・維持しなければならないという (理想主義的)価値観が陽表的に導入されている。
(c)諸個人の「意図せざる」結果として、あらゆる文化が生まれてきたとするのは、 歴史に参画する諸個人の功績を過小評価している。
(d)何か神秘的な導きの糸(「自生」という言葉は、換言すれば、そのように解せら れる)に、人間社会についての理解を託しすぎている。
シュンペーターの基本的な考え
シュンペーターの基本的な考え
平井俊顕
(上智大学)
『経済発展の理論』
(1-a) シュムペーターの「経済理論」は、あくまでも資本主義経済の循環的成長のメカニズムを説明するために提示されたものであり、企業者(および「追随する企業者群」)による「新結合」をつうじた「創造的破壊」がその主たる動因である。それに「信用創造」を供与する「銀行」、ならびに(かなり弱い機能であるが)貯蓄を供与する「資本家」が、いずれも貨幣供与者として参加する。労働者(それに地主)、「単なる業主」は何の機能もはたさないと考えられている(労働者はせいぜい賃金からの消費需要者として登場してくるぐらいである)。
(1-b) シュムペーターの経済発展の理論には2つの理論的支柱がある。1つは、「企業者」による「新結合」の遂行、ならびに「追随的企業者の群生的出現」である。もう1つは、貨幣的要因、すなわち「信用創造」である。それは資本主義社会を発展した信用機構をもつ社会としてとらえるということである。
これらのうち、いずれにより大きな特徴があるのかといえば前者ということになるであろうが、そうはいっても、後者が経済発展にたいして果たす役割もそれに劣らず重視されているという事実を見落とすことがあってはならない。シュムペーターは「新結合」という現象を、資本主義社会に固有のものと考えているわけではない。それは「封鎖経済」や「流通経済」にも生じるものとされている。それにたいし、「信用創造」という現象は資本主義社会に特有の現象であると考えられている。それほど、信用の果たす役割はシュムペーターの「経済発展の理論」においては重視されているのである。
(1-c) シュムペーターは、企業者、競争、均衡、価格の機能を、すべて「経済発展」の理論の領域で考察している。
『資本主義・社会主義・民主主義』
(2-a) シュムペーターが指摘する「文明としての・歴史としての」資本主義社会の「積極的」特性は、以下のとおりである。
(1) 資本主義は貨幣単位を計算単位にまで高める。
(2) 資本主義は、近代科学の心的態度、すなわち、一つの問題を設定することと、ある方法でそれに解答を与えようとすることからなりたつ態度、を生み出したのみならず、さらにその人材と手段をもつくり出した。
(3) 資本主義文明は「反英雄的」である。この意味するところは、「合理的精神」を本
質とするところの資本主義文明は本性的に争いを好まないということである。
(2-b) 「文明としての・歴史としての」資本主義社会はその「積極的(=肯定的)」側面にすぎない。シュムペーターの資本主義社会把握はここにとどまるものではない。上記のような特性を有する資本主義社会は、じつは自己を崩壊させる要因を内包しており、ついには自壊していく存在である、ととらえられているのである。
資本主義社会の「消極的(=自壊)」側面の諸要因は3つのタイプに識別できるであろう。第1は資本主義社会を牽引ないしは支えるべき階層-企業者階層、資本家階層、擁護階層-の消滅・弱体化である。第2は資本主義をささえる重要な制度的要因たる「私有財産制度と契約の自由」の崩壊・消失である。第3は資本主義社会に敵対的となる知識人階層の出現である。
(2-c)シュムペーターの「社会理論」は、資本主義社会の崩壊を説明するためのものである。「企業者機能の無用化」がその出発点におかれており、これに他の制度的・社会心理的要因が追加されて、その崩壊現象が説明されている。しかも、「企業者」や「資本家」といった資本主義社会を指導・牽引してきた階層、およびそれを擁護してきた階層、それに敵対的な知識人階層、の心理的・社会的変化、ならびに擁護制度基盤の喪失といった制度的変化が重視されている。ここでも労働者階級の役割(地主階級の役割もそうであるが)についてはまったく言及がなされていない。なお、「銀行」の役割についての言及もこの領域ではないが、これは「社会階層」としては「資本家」階層に含められているのであろう。経済的要因としてあげられているのは1つだけで、それは「競争過程」が中小企業を消滅させるというものであり、そのことにより制度的基盤があやうくなるという制度的要因への言及がなされている。
(2-d) 以上のようにして資本主義社会が「その成功のゆえに自壊してしまったとき」、眼前に現出している社会とはどのような姿をもつものなのであろうか。「企業者」、「資本家階層」は存在せず、私有財産にたいするこだわりも減退もしくは喪失している社会(「所有や財産は……まさしく商業社会に所属する概念である」(CSD,
p. 264) 、敵対的な感情も減退している社会(敵対する階層が存在しなくなっているから)、「非ブルジョア的性格」を有する政府をもつ社会、「経済発展の自動機械化」されている社会、つまり「事物と精神とがますます社会主義的生活様式に従いやすいように」「転形」した社会-こうした社会がイメージされる。
(2-e)社会主義社会の「青写真」――だが、この状態はシュムペーターの考える「社会主義社会」そのものにはまだ到達していない。というのは、それは次のような社会として定義されているからである。
「……社会主義社会とは、生産手段に対する支配、または生産自体にたいする支配が中央当局にゆだねられている……ような制度的類型にほかならない」(CSD,
p. 262) 。
資本主義社会の自壊によって出現する社会から社会主義社会に至るには、「中央当局」による「生産手段に対する支配、または生産自体にたいする支配」の確立することが必要である、というのである。
(2-f)
社会主義社会では、商業社会とは異なり、「分配」は「生産」から切り離される。そして「分配」問題は共同体の規約によって解決しなければならない問題となる。そのさい、シュムペーターが典型的なケースとして取り上げているのは、「平等主義」的基準であり、かつ消費者には選択の自由があるような場合である。各成員にたいして消費財にたいする「指図証券」が発行されるが、それは当該期間だけ有効とされ、それ以外では無効となるようなものである(成員の所得は機械的に平等であり、その人の能力とは関係なく決定されるのである)。ここで「価格」は固定されているわけではない、という。「中央当局」が決定するのは「暫定価格」にすぎない。
シュムペーターはこの方法でうまく分配が機能するという楽観論を述べているのであるが、これは疑問である。消費者に選択の自由があり、しかもその状況を「中央当局」が正しく予想しえないとすれば、ある商品は品不足に陥り、ある商品は売れ残る、という事態が発生することは避けられない。前者の場合、価格は上昇し、後者の場合、価格は下落する。しかも「指図証券」は当該期間しか有効でないのであるから、この傾向には拍車がかかることになる。また消費財には家屋や自動車などの耐久資産も含まれており、それらもこの「指図証券」で購入するわけであるから(消費者信用は考えられていない)、問題はますます困難となるに相違ない。
(2-g) 以上をまとめてみると、次のようになる。中央当局の権限としては、まず生産手段の価格決定権、生産手段の保有権と配分権があり、それらは各産業管理者と関係する。さらに中央当局には指図証券を成員に配分する権利がある。社会の成員は配分された指図証券によって財を購入する。ただし指図証券は1年で無効となるから使いきるしかない。したがって「貯蓄」ということは意味をもたなくなる。私有財産は存在しないのである。各産業管理者は必要な生産手段を、消費財を販売することによって獲得した指図証券で中央当局から購入する。
総括
(3) シュムペーターの理論的基盤は一種の歴史主義であったといいえよう。シュムペーター理論はシステムに内在する内的要因を重視し、その発展により、システムが崩壊したり進展するというシェーマをもっているという意味においてである。資本主義経済を「創造的破壊」を通じた動態的過程として把握したり、文明としての資本主義社会を「その成功」を通じての自壊として説明する、というのはこの基盤に依拠しているのである。
(4)「経済理論」、「社会理論」のいずれにあっても、「企業者」の役割が強調される-まことに「企業者」はシュムペーター理論のαでありωである
-一方で、労働者階級はまったく登場してこない、というのが、シュムペーターの理論の最大の特徴なのである。
(5) シュムペーター・ツイスト――シュムペーターはワルラスからは「経済発展の理論」における出発点として「経済の循環」もしくは「参照基準」を採用し、マルクスからは「壮大な構造」を継承した。
前者の採用は非常に奇異に思われる。「静学」と「動学」の分離が鮮明であるため、同一の市場社会の動向を分析しているにもかかわらず、それらを説明する理論分析が完全に分離しているからである。シュムペーターは彼の本来の理論体系とは無縁であるように思われるワルラス理論を「純粋理論」としてはきわめて高く評価し、自らの理論体系の「前座」に据えることに固執したのである。
後者については、その精神のみが継承されているのであって、シュムペーターはマルクスとはまったく異なる分析技法を用いたのである-マルクスの分析用具の大半を否定したにもかかわらず、シュムペーターの理論の本体である「動態」はマルクス的立場に近い、という表現も可能である。
以上の意味でシュムペーターは、ワルラスからは完全に独立した存在であり、またマルクスとは精神的に共有する側面を有していたといえる。いずれにせよ、両者にたいするシュムペーターの姿勢には少なからぬ「ツイスト」(ひねり)がある。
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