2016年3月27日日曜日

第10章 『一般理論』を読む (2)  平井俊顕





第10章 『一般理論』を読む (2)

                                平井俊顕

 ケインズ理論への関心は、この20年間、複雑な展開をみせてきた。これは「新古典派総合」の崩壊と密接な関連をもつ。正統ケインズ派は、マネタリズム、合理的期待形成派等からの攻撃のまえに、かつての輝きを失っていった。他方、マネタリズム、合理的期待形成派等の潮流に同意できない研究者は、(「新古典派総合」を批判しつつ、しかしケインズ自身の理論は重視しつつ)、それに対峙する経済学の樹立を模索してきた。ケインズの理論は現代的意義を失ってしまったわけではない。
 また、「新古典派総合」からの解放は、資料公開にも促されて、ケインズならびにケインズ理論への関心を、拡大・深化させてきた―(i)理論的形成をめぐる研究、(ii)同時代人の経済学の再評価、(iii)『確率論』(1921年)のもつ哲学的・経済学的意義の探究、(iv)経済政策面の「ケインズ革命」をめぐる研究、(v)「ニュー・リベラリズム」をめぐる社会哲学的研究、(v)「ブルームズベリー・グループ」をめぐる文化史的研究等。こうした研究が価値をもつのは、何よりも彼が、20世紀の経済学、経済政策、社会哲学のみならず、哲学(ムーアの倫理学、ラッセル、ヴィットゲンシュタインの哲学)や文化一般に至るまで、深くコミットしているという事実が存するからである。
 『一般理論』(1936年)は、20世紀の経済理論、経済思想に革命的な影響を与えた著作であり、その影響は「ケインズ革命」と称される。その前に、ケインズは『貨幣論』(1930年)を刊行している。この著作は『一般理論』を理解するうえで、きわめて重要なものである。これに関連して、両著作と「ヴィクセル・コネクション」(貨幣数量説に代わる貨幣理論として、19世紀末にヴィクセルが提唱した、自然利子率と貨幣利子率のタームで表現される「累積過程の理論」の影響下で展開した戦間期の貨幣的経済学。以下WCと略記)との関係を要約的に示しておこう― (i)『貨幣論』はWCに属している。(ii)『貨幣論』の完成直後、ケインズはWCから離れている。(iii)ケインズ革命はWCとは別の現象である。(iv) にもかかわらず、幅広い歴史的視座でみるとき、『貨幣論』、『一般理論』はともに、新古典派経済学を批判しながら、貨幣的経済学の確立を目指している点で、WCと同じ側に位置する。
 それでは、『一般理論』を原典に即しながら紹介していくことにしよう。


1.  それまでの理論にたいする批判と擁護
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  『一般理論』(全24章)において、ケインズはそれまでに展開されてきた経済学を、どのように理解しているのであろうか。まず批判面からみると、それは2つの学派―「古典派」および「新古典派」―に向けられている。ここで、「古典派」は、通常の意味での古典派(リカードウやJ.S.ミル)、新古典派(マーシャルやピグー)の双方を、また「新古典派」は「ヴィクセル・コネクション」(WC)を指すものとして用いられている。『一般理論』での主要な攻撃目標は古典派である(古典派理論に代わる雇用理論の構築を目指したからである)。だが、彼は同時にWCにも批判の刃を向け、WCを完全に誤った道を歩むものとみている。他方、受容面をみると、重商主義やマルサスが重視されており、『一般理論』の重要な理論要素の淵源がこれらに求められている。

  (a)古典派批判 古典派にたいするケインズの批判は、全体としての産出量(あるいは雇用量)の理論は、「貨幣経済の理論」たるべきという信念から発している。
 彼は古典派の「二分法」を批判する。それは2つの異なった価格理論―ミクロ経済学的価格理論と貨幣数量説―を、関連づけをなさずに別々に論じている、との理由からの批判である。彼は、諸価格の決定は貨幣的経済学として展開される雇用理論に組み込まれるべきである、と主張する。また、貨幣数量説批判は第21章「物価の理論」第Ⅲ節で展開されている。
 より重要な批判は、古典派の雇用理論にたいするものである。この点は、主として第2章「古典派経済学の公準」および第19章「貨幣賃金の変動」第Ⅰ節(それに同章補論)で展開されている。それは完全雇用を(すなわちセイ法則)を前提としており、失業は「摩擦的失業」と「自発的失業」に限定されている。だが、本当に重要なのは「非自発的失業」の説明である。ケインズは古典派理論を、雇用量が古典派の「2つの公準」から導出される2つの曲線(実質賃金の関数)によって決定される理論と規定した後、「第2公準」(労働の供給曲線)を否定することでこの理論を棄却する(「第1公準」(労働の需要曲線)は承認)。この批判は、実質賃金は他の要因によって決定されるという見解、ならびに経済システムに特徴的な相互依存性を重視するという視点からなされている。
 古典派にたいするもう1つの批判は利子率をめぐるもので、主として第14章「利子率の古典派理論」およびその補論で提示されている。ケインズはそれを、投資が貯蓄に等しくなる(ともに利子率の関数)ような方法で利子率が決定される理論ととらえ、所得所与のもとでの利子理論である、と論じる。彼は、投資と貯蓄は所得と利子率双方の関数であり、したがって投資と貯蓄の均等化を通じて所得と利子率は同時的に決定される、と考える。それゆえ、もう1つの方程式が必要で、彼はこれを流動性選好説(ケインズの利子理論)により提供しようとする。

 (b)WC批判 ―『貨幣論』のケインズは、自らの理論がWCに属していることを自覚していた。だが『一般理論』では、WCは拒否されている。この点は、第7章「貯蓄と投資の意味についての続論」に明瞭である。同章の主題は、貯蓄と投資の乖離という考え方は、取引はつねに二面的であるという事実を無視しているがゆえに誤っている、というものである。彼は、全体としての経済の相互依存性の重要性(経済を累積的な方法でとらえるという考えにたいして批判的)を強調し、貯蓄は必ず投資に等しくなると論じる。この関連で、彼は2つの関連する考えを批判する (i)銀行システムによる信用創造が対応する貯蓄なしに投資を可能にするという考え。(ii)(ハイエクやロビンズによる)「強制貯蓄論」。ケインズはさらに、ヴィクセルの「自然利子率」概念をも否定している(『貨幣論』では、この考えの有効性を受け入れ、貯蓄と投資を等しくする利子率と定義していた)。これらは、『貨幣論』で承認されていた「貨幣的均衡の3条件」が『一般理論』では拒絶されていることを示すものである。
 WC関連ではさらに次のような批判が展開されている。第1は迂回生産の理論で、この点は第16章「資本の性質に関する諸考察」第Ⅱ節で論じられている。彼は、その資本概念を批判し、それにたいして自らの資本理論(「希少性理論」)を対置させる。第2はミーゼス、ハイエクの利子論(利子率は資本財にたいする消費財の相対価格として定義される)であり、彼はこの理論を「資本の限界効率と利子率を混同」したものと評している。第3は、古典派の利子理論にみられる「二分法」(価値論での利子理論と貨幣論での利子理論)に関連して、WCはその間を架橋しようとして、結果的に最悪の混乱に陥っている、と評している点である。
  ケインズはWCから自らを引き離そうとするあまり、彼らも古典派の二分法、セイ法則、貨幣数量説を当然視する古典派にたいして批判的な貨幣的経済学を提唱しているという事実を無視している。この点は注意が必要である。
  (c)擁護 これにたいし、ケインズは、異端とされてきたいくつかの先行理論を、『一般理論』を構成する理論要素の先駆けとして、高く評価する。これらは、大部分第23章「重商主義、高利禁止法、スタンプ付き貨幣および過少消費説に関する覚書」で論じられている。第I-VI節の主題は、投資を誘引するものとしての貨幣と利子率である。第I-V節では、流動性選好説のコンテクストにおいて重商主義を称揚している。また、市場経済の自動調節的傾向を支持する主張に批判的な重商主義の社会哲学-自由貿易への懐疑、国際領域での過度の競争がもつ危険性の認識、低利子率の唱道、自立的な国内管理の必要性の認識、等-に同調的である。第VI節では、ゲゼルの貨幣理論を高く評価している。ケインズが支持するもう一群の理論は消費に関するものである。それは第Ⅶ節の主題であり、マンデヴィル、マルサス、ホブソンの諸著作を中心として、過少消費説が検討されている。

2.市場経済のヴィジョン

 『一般理論』で展開されている市場経済のヴィジョンは、次のように要約することができる。
市場経済は、「不完全雇用均衡」の状態にとどまるという意味で、安定的である。だが、ある制約条件を超えると、市場経済は不安定になり混乱に陥る危険性がある。
 すなわち、『一般理論』の顕著な特徴は、市場経済が2つの対照的な可能性 一方で安定性、確実性、単純性、他方で不安定性、不確実性、複雑性―をもつものとしてとらえられている、という点である。

  (a)安定性、確実性、単純性 ケインズは、市場経済はいくつかのビルトイン・スタビライザー その他、「慣習」や「不確実なことについての様々な意見の存在」が安定化要因としてあげられている ―を備えているため、均衡に収束しようとする本性的傾向を有する、と論じる。だが、これは、経済は自由に放任しておくと、最適水準(すなわち完全雇用水準)よりかなり低い水準で安定するという意味で述べられている。こうした「楽観的」ヴィジョンに基づきつつ、彼は、雇用水準が「総需要関数」と「総供給関数」の交点で決定されるという理論モデルを、乗数理論(投資の変化とそれに対応する雇用量の変化の関係を示す理論)を組み込みつつ、構築している。彼が政策提言を行うのは、このモデルに依拠してである。

 (b)不安定性、不確実性、複雑性 他方、ケインズは、上記の安定性はいくつかの条件が満たされないならば達成できない旨を繰り返し述べている。もしこれらが満たされないならば、市場経済は不安定になるであろう。この意味で、市場経済は脆弱な基盤の上に築かれている。市場経済の働きは、将来にたいする人々の態度に影響をおよぼす様々な心理的・期待的要因 短期期待、長期期待(資本の限界効率)、投機的動機に基づく流動性選好、および使用者費用 に依存している旨が論じられる。長期期待に関連しては、予想収益が推定される基盤が極端に脆弱であるという点が強調される。「慣習」の脆弱性を増大させる5つの要因が指摘され(第12章「長期期待の状態」第V節)、所有と経営の分離現象、ならびに組織化された投資市場の進展(「投機」が「経営」を圧倒する危険性。第12章第Ⅵ節)の結果、市場経済を脆弱にする株式市場の特性に注意が喚起される。かくして上記のモデルは、主要変数が「期待」に依存するようなかたちで構築されている。
  市場経済を不安定にするもう1つの要因は、何らかの外生変数の大きな変化にたいしての脆弱性である。就中、貨幣量および貨幣賃金の大幅な変化が問題にされる。これらは、企業家や労働者の抱く期待に大幅な変更を引き起こすことを通じ、市場経済を不安定にする危険性が高いからである。ケインズが慎重な貨幣政策を提言するのは、市場経済が公衆の支配的な心理状況・期待構造の崩落を通じて不安定になることを懸念するからである。さらに、彼は、市場経済が複雑で相互関連的に作動することを、繰り返し強調している。これら諸点を勘案すると、ケインズのモデルは、経済が脆弱な基盤の上におかれたものとして構築されていること、そしてきわめて複雑な仕方で機能するものと想定されていること、が判明する。次の提案は、こうした不安定化要因の除去を目指してなされたものである (i)株式市場への参入障壁の設定、(ii)政府による投資の管理、(iii)「日付入り貨幣」の発行。


3.  不完全雇用均衡の貨幣的経済学
   
 『一般理論』ほど多くの論者に解釈されてきたものはなく、賛同者、批判者を問わず、驚くほど多様な理解が展開されてきている。だが、ここはその是非を論じる場ではない。筆者なりに「客観的に」(論者は皆、そういう)『一般理論』で展開されている理論を説明することにしよう。
 それは、「不完全雇用均衡の貨幣的経済学」として特徴付けられる。ケインズは、古典派の実物経済学とは異なる貨幣的経済学として、その不完全雇用均衡の理論を提唱する。

  (a)貨幣的経済学 その基本的な考えは、第21章第Ⅰ節に明瞭である。彼は、経済学を分割する2つの方法を提示する―(i)「個々の産業あるいは企業の理論と、与えられた資源量の異なった用途への配分の理論」と「全体としての産出量および雇用の理論」、(ii)「定常的均衡の理論」と「移動均衡の理論」(将来に関する見解の変化が現在の事態に影響をおよぼすような理論)。いずれの分割基準も、貨幣の重要な特性に注意を払わないか払うかにおかれている。彼は、「われわれの以前の期待がしばしば失望に終わり、将来に関する期待が現在のわれわれの行動を左右する」現実の世界で全体としての産出量・雇用量の決定を扱おうとするとき、貨幣の重要な役割を考慮せずに進むことはできない、と主張する。貨幣の重要性は、本質的にはそれが現在と将来とを結ぶ鎖であるところから生じる、とされる。
  ケインズのいう貨幣的経済学は「価値および分配の理論」であって、別個の「貨幣の理論」ではない。彼は2つの古典派理論 貨幣数量説、および投資と貯蓄が等しくなる点で利子率が決定されるとする理論 を退け、代わって、流動性選好説、ならびに自らの価格理論(貨幣量の変化の一般価格水準への効果は、賃金単位への効果ならびに雇用量への効果からなる、とする理論)を提示している。
  上記の説明から明らかなように、ケインズの貨幣的経済学は、貨幣が本質的な役割を演じる経済の分析を目指している。それゆえ、流動性選好説は『一般理論』で中心的な位置を与えられている。この点に関して、この著作のフル・ネームが「雇用、利子および貨幣の一般理論」であることを想起されたい。次に示すように、利子率について多くの紙幅がさかれているのである― (i)第14章とその補論、(ii)第13章「利子率の一般理論」と第15章「流動性への心理的および営業的誘因」(流動性選好説を論じている)、(iii)第17章「利子と貨幣の基本的性質」、(iv)第23章の大半(利子率の視点から重商主義を評価している)、(v)第24章「一般理論の導く社会哲学に関する結論的覚書」第Ⅱ節。
 第17章でケインズは、利子と貨幣の本性をめぐり興味深い理論を提示している。なぜ、そして、どのように貨幣が重要な役割を演じるに至るのか、そしてその動きがなぜ完全雇用にたいする障害になるのかが、「自己利子率」概念を用いて説明される。この分析は、第11章「資本の限界効率」で展開されている投資理論の底流を流れる基本的な論理を提供するものである。続いて第17章第Ⅲ節では、なぜ貨幣利子率の低下が最も遅いのかが、詳細に論じられる。これは、第13章と第15章で展開された流動性選好説の底流を流れる論理を浮き彫りにする。
 こうして貨幣の役割は非常に強調されているが、このことは、ケインズがその使用を歓迎していることを意味するものではない。貨幣経済にあって、貨幣の影響が完全雇用を妨げていると考えるがゆえに、貨幣に注意が払われているのである。ゲゼルに倣って「日付入り貨幣」を提案しているのも、人為的な持越費用の創出により利子率を低下させ、そのことを通じて完全雇用の達成に寄与する、と考えるからである。

  (b)不完全雇用均衡― 『一般理論』の中心的なメッセージは、自由に放任しておくと、市場経済は不完全雇用均衡の状態にとどまる、というものである。不完全雇用均衡は4つの特徴を有する ―(i)それは完全雇用より下位の状況である(非自発的失業の存在)、(ii)それは一種の均衡である、(iii)それはある意味で安定である、(iv) それはある範囲内で変動する。換言すれば、不完全雇用均衡は、時間を通じてある範囲内で変動するけれども、完全雇用より下位の水準での安定均衡を示唆するものである。彼は、これを因果分析に基づく同時方程式体系として具体化している。
  ケインズの中心的な関心は、雇用量はいかにして決定されるのかである。彼は、雇用量は、総供給関数と総需要関数によって表される財市場で決定される、と論じる。そこでは、諸価格は同時的に決定されるものと考えられている。また、雇用量が増加するにつれ、諸価格の上昇が生じるが、貨幣賃金の粘着性により実質賃金は下落する。彼は、経済が雇用量および諸価格のタームで、いかにして均衡が到達されるのかに関心を集中させており、次に示すように、『一般理論』を通じて均衡分析を採用している (i)雇用量は、総需要関数(消費と投資の和)が総供給関数と交差する点で決定される。(ii)利子率は、流動性選好関数が貨幣量と等しくなる点で決定される。(3)投資は、資本の限界効率表が利子率と等しくなる点で決定される。(4)投資乗数は、投資の増加とそれから派生して生じる増大した所得(均衡値)の関係を示している。
  これらの主要な要素間の関係が、2つの点を考慮に入れながら考察される。1つは、これらの要素とそれらが相互におよぼす波及関係の強調である。この点は、第21章第Ⅳ節(貨幣量の変化が有効需要額におよぼす効果の分析)で論じられている。他の1つは単純性の要請である。第18章「雇用の一般理論再説」第III節では、市場経済が数種のビルトイン・スタビライザーを備えていることが論じられている。
  経済が任意の期に不完全雇用均衡にあるということは、もちろん、長期間にわたって安定しているという意味ではない。経済は通常、ある穏やかな範囲内での循環的変動を経験するということが論じられる。第22章「景気循環に関する覚書」では、景気循環は資本の限界効率表の循環的変動に帰すことができる、と論じられている。また、景気循環における時間的要素についての説明は「資本の限界効率の回復を支配する諸要因」に求めることができるとして、(i)資本の平均的な耐久性、(ii)余剰在庫の持越費用の特性、(iii)経営資本の特性、があげられている。
 『一般理論』で提示されている理論モデルは、一種の「一般」均衡分析、ならびに諸変数間の「相互連関」のタームで描かれている。均衡分析の側面は言及済みなので、ここでは、「一般」と「相互連関」に焦点を合わせることにする。ケインズは、そのモデルを、所与の要因、独立変数(3つの基本的心理要因 [消費性向、流動性選好、資本の限界効率表]、賃金単位、貨幣量)、および従属変数(雇用量と賃金単位で測った国民所得)を識別しながら、一組の同時方程式の形で提示している。それは2つの単位(貨幣価値量と雇用量。「賃金単位」は後者の単位)を用いて構築されている(この点は第4章「単位の選定」に明瞭である)。賃金単位は本性上、粘着的であり、そのことが、経済システムの安定に寄与している、と考えられている。
 だが、同時に、彼は彼の理論モデルにおける変数の、数学では表現できない「相互連関」にも注意を払う。数学的モデルの根底にある、非常にデリケートで複雑な脆弱性をもつ相互連関への配慮である。この配慮は『一般理論』全体を通じて認められるが、第21章(貨幣量の変化の諸価格への影響を論じている)と第19章(貨幣賃金の切り下げの雇用水準への影響を論じている)にみられる透徹した分析に顕著である。
  雇用量(ないしは所得)決定の理論が最も明瞭に示されているのは、第3章「有効需要の原理」第Ⅱ節と第18章第Ⅱ節である。前者において、ケインズはその理論を、均衡雇用量がいかにして決定されるのかというタームで論じており、他方、後者において、投資水準の何らかの変化の後、所得の新しい均衡水準がいかにして達成されるのかというかたちで論じている。
 『一般理論』全体を通じて(就中、第21章で)、貨幣供給の外生性が想定されている。貨幣の特性(低い生産弾力性と低い代替弾力性)ゆえに、貨幣量は貨幣当局の政策を通じて以外には増大できない、とされる。これらの特性は経済体系の安定に寄与しており、貨幣供給は理論的な好みの問題ではないことが強調されている。

  
4. ケインズ革命の本質

 『一般理論』の本質(すなわち、「ケインズ革命」の本質)は次のように要約することができる。

(1)市場経済についての彼のヴィジョンを理論化したもの。
(2)全体としての経済における雇用量がどのように決定されるのかについての具体的  な理論を提示したもの。雇用量が総需要関数と総供給関数の交点で決定されると  いう理論を、消費関数、資本の限界効率、および流動性選好説を組み込みながら   展開したもの。
(3)不完全雇用均衡の理論。
(4)貨幣的経済学の一形態。価値・分配の理論と貨幣の理論との統合を目指したもの。
(5)市場経済を「安定性、確実性、単純性」、および「不安定性、不確実性、複雑性」   を具有するシステムとして描いたもの。

 ケインズほど多面的な研究対象となってきた経済学者は、皆無である。だが、「歴史的ケインズ」はさておき、冒頭でみたように、この20年間、「新古典派総合」の崩壊のなかで、ケインズの理論は複雑なうねりに巻き込まれてきた。この結果、ケインズの理論・社会哲学を全面的に否定する、いわば「右傾化」した経済学と、こうした動きに批判的な経済学が眼前に存在する。ここには市場経済のヴィジョンをめぐる深刻な二極化が認められる。ケインズ的ヴィジョンとその上にたつ経済学は、後者に継承されて、生命を保持していくであろう。

                                          
 1)これらについては、拙著『ケインズ・シュムペーター・ハイエク』ミネルヴァ書房、2000年を参照。
2)塩野谷祐一訳『雇用・利子および貨幣の一般理論』東洋経済新報社、1995年。宇沢弘文『ケインズ「一般理論」を読む』岩波書店、1984年。