2017年5月23日火曜日

わが国におけるケインズ理論形成史研究の状況 一 研究者の視点からの批判的評価 平井俊顕 (上智大学)







わが国におけるケインズ理論形成史研究の状況
            
             一研究者の視点からの批判的評価               


平井俊顕 (上智大学)

  本稿の目的は、ケインズの理論形成をめぐるわが国における最近の研究動向を、私という一研究者の視点・視座・問題意識から批判的に評価することである。その方が羅列的な紹介よりも問題点・論争点をよりヴィヴィッドに摘出することができると思われるからである。この方法をとることにしたのには、すでに藤井(1994)が存在することに加えて、もう1つの事情がある。それは、筆者が提示する仮説をめぐって( 平井(1987; 1990)) 。とりわけ近年、いろいろな角度からの批判(そのほとんどは説得力に欠けるものである)が公表されてきているという点である。関連諸論稿ならびに書き下ろしを含め、Hirai(1997; 1998) として自らの立論を総合化した現在、その課題を遂行してみるよい時期だと考える次第である。
ケインズ理論の形成史研究 - これは本来的に困難な作業を宿命付けられている。第1に、ケインズの理論(『一般理論』)をめぐっては、3つの大きな学派(「所得- 支出アプローチ」ケインズ派、「不均衡経済論」ケインズ派、ポスト・ケインズ派) が対立的な状況で存在してきたという現状がある。それらはケインズの理論を、どのように現実の経済分析に適用・発展させていくべきかについて深刻な対立をみせてきており、本稿が問題とする領域においても、『一般理論』(形成史研究のゴール) の読解に大きな相違をもたらす原因になっている。第2に、『貨幣論』( 形成史研究の出発点) についても、いくつかの対立的な理解が存在してきている。第3に、第1点と第2点の当然の結果として、両著の理論的関係についても複数の理解が対立的に存在している。どの経済学者も、ケインズ理論の形成史研究を開始する前に、すでに意識的・無意識的にこれらの影響下におかれているのである。

            1.『貨幣論』と『一般理論』
 
A.『貨幣論』
  「『貨幣論』の理論構造は、「メカニズム1 ( 消費財の価格水準の決定。「第1基本
方程式」と事実上同じ) と「メカニズム2 ( 投資財の価格水準の決定。その1 つが「弱気関数の理論」) の「TM供給関数」( 企業家は今期実現した利潤に基づいて来期の生産量の増減を決定するという関数) を通じた動学過程として把握できる。」

  筆者は『貨幣論』の理論構造(「ケインズ固有の理論」。第2節で述べるように、もう1つ「ヴィクセル・コネクション」に属する理論がある)をこのようにとらえている。この理解の特徴は、価格水準の決定と産出量の決定の双方を含む動学過程としてとらえている点である。この理解を主張する根拠は、あくまでも『貨幣論』がそのように描かれてい
るという事実があるからである ― また後述するように、『貨幣論』後のケインズの理論的変遷は、この理解に基づかなくては正確な理解が不可能である点にも注意が必要である。明石(1988)はこの立場に明確に立った理解を示している。松川(1991)にあっても、そうした認識は明確である。『貨幣論』の理解に関するかぎり、吉田(1997)もしかりである(吉田氏と見解が分かれるのは、彼が、この理解で『一般理論』をも含むケインズ理論を裁断しようとする点である) 。岡田(1997)の理解も同様である(岡田氏と見解が分かれるのは、彼が、『貨幣論』を「古典派的パラダイム」に含めようとする点である) 。以前に比べると、「TM供給関数」に注目する(つまり、価格水準決定と産出量決定を含む動学過程として『貨幣論』をとらえようとする) 研究者の数は着実に増えている。
  しかし、従来圧倒的に多かった理解は、『貨幣論』を「産出量が固定されたもとでの価格水準決定の理論」である、とするものである。『貨幣論』は産出量を所与(しかも完全雇用のもとで所与) としたうえで専ら価格水準の決定を扱ったものであり、産出量をめぐる理論は存在しない、とするものである(これらの理解のなかにも「TM供給関数」に言及するものはあるが、その場合でも「さしみのつま」的に言及されるにすぎない) 。この理解は「所得- 支出アプローチ」、「不均衡理論的アプローチ」に伝統的にみられるものであるが、それらに属さない研究者にも広くみられる。菱山(1993)にあっては、財市場にかんするかぎり、消費財価格と投資財価格の決定に中心がおかれており、産出量をめぐる議論はみられない (後述するように、菱山氏は貨幣利子率と自然利子率の関係を重視する視点に立っている。ただし、菱山(1965)にあっては、利潤の発生が物価変動をもたらすことを通じて産出量が変化する[ したがって「TM供給関数」ではないが] 、というかたちで産出量の変動が明示的に扱われている) 。同様のことは加納(1992)にもみられる。小島(1997)は『貨幣論』を「共時的」なものとみなし、『貨幣論』のもつ動学性を事実上無視している(「事実上」というのは「TM供給関数」への言及もなされているが、経過分析による動学性を軽視する立場に立っているからである) 。浅野(1987)にあっては、事情は少し異なる。浅野氏は、『貨幣論』に産出高水準の変化を扱う理論があることを認めているが、中心は物価水準決定理論にあること、さらに両理論のあいだには「なんら論理的な一貫性」はなく「まったく別個の理論体系をもって構成されている」ととらえられている(これにたいして、筆者は「論理的な整合性をもった経過分析に基づく動学分析」であるととらえるのである)

 B.『一般理論』
  最初に私の『一般理論』理解を可能なかぎり要約的に示すことにする。『一般理論』の最大の特質は、「不完全雇用均衡の貨幣的経済学」として特徴づけることができる。ここでいう「貨幣的経済学」は次のような含意をもつ。第1に、それは「古典派経済学の二分法」(通常の意味での「古典派の二分法」と古典派の利子理論批判の双方を含む)批判のうえに成り立っている。第2に、それは「ヴィクセル・コネクション」( この意味は第2節で説明する)の否定のうえに成り立っている。第3に、それは貨幣が本質的な役割を演じる経済を分析したものである(具体的には、流動性選好説の提示ならびに、「自己利子率」概念を用いての貨幣のもつ意味の探究に基づいている)。また「不完全雇用均衡」は次のような含意をもつ。第1に、それは完全雇用以下の状態である。第2に、それは一種の「均衡」である。第3に、それはある意味で「安定」である。第4に、それはある範囲内で変動する。ケインズはこの「不完全雇用均衡の貨幣的経済学」を因果分析に基礎をおく同時方程式体系として具体的に提示した。注意すべきは、『一般理論』に示されている
市場社会像は、それが2つの対照的な局面 - 一方に安定性、確実性、単純性、他方に不安定性、不確実性、複雑性 - を具有するシステムであるということである。どちらを欠如させる『一般理論』理解も片手落ちであることを強調しておきたい。
 『一般理論』が提示した最も重要な理論は、雇用量決定モデルである。それは次の「独立変数」によって構成されている。(1)「賃金単位」、(2)貨幣量、(3)3つの心理的要因(消費性向、流動性選好、資本の限界効率表)。ケインズはこれらを基にして、「総需要関数」を「導出」し、他方、「古典派の第1公準」に依拠した「総供給関数」とのあいだで雇用量が決定されると論じた。ここで3つの注意をしておきたい。第1に、「貨幣賃金」が「粘着的」もしくは「硬直的」であることが経済の安定につながると考えられている点である。第2に、「物価指数」概念や「全体としての産出量」概念が明確に否定されているという点である。第3に、諸価格は伸縮的であると考えられている点である(「諸価格は賃金単位と雇用量に依存する」というのがケインズの立場である)。以上のような認識に基づき、筆者は、『一般理論』の理論を、「異質性- 期待アプローチ」と呼んでいる。そこでは、ケインズの理論が多数財モデルと期待を重視した理論であるとの判断から、ミクロ構造とマクロ構造の重層的調整メカニズムを扱ったものとして再構成できる、ととらえられている。その積極的な「再構築」の妥当性はともかくとしても、その視点は『一般理論』が実際にとった理論構成を明らかにするうえで重要である、と筆者は考えている(平井(1981))
  『一般理論』の理論内容については、既述のような学派間での対立の元になっているからであろうか(そのため、理論形成史の問題が現代経済理論構築の源泉の問題の影響から、自由になることが困難である)、それにすでに論じつくされた感があるからであろうか、形成史研究のなかで各論者により明示的にその見解が表明されることが意外なほど少ないことに気がつく。たとえば岡田(1997)、小島(1997)、吉田(1997)にあっても『一般理論』にはまったくといってよいほど言及がない。形成史研究は、『貨幣論』やケインズと同時代人の理論、さらにはより初期のケインズの理論等に多くの努力が払われてきている。だが、それはそれとして『一般理論』が形成史研究の「ゴール」であるかぎり、形成史研究者自らが『一般理論』に則った理解を提示することは不可欠の作業である。
  福岡(1997)は「IS-LM 理論」がケインズの理論を正確に反映したものであるという立場を主張している。また明石(1988)では、「IS-LM 図式」を共通の土俵として「古典派」とケインズ派の対立点が整理されているが、『一般理論』を「IS-LM 図式」のうえで片づけすぎているように思われる(とりわけ「物価」概念の使用、さらにそれを「固定価格」とみなす視点(p.45)は『一般理論』にはまったくみられないものである)。


 C .理論的変遷過程の把握
  『貨幣論』から『一般理論』にかけて、ケインズの理論はいかなる変遷を経たのであろうか。これについての筆者の基本的な考えを示しながら、他の論者の見解を批判的に検討していくことにしよう。

(命題1)「1932年の末に執筆された草稿「貨幣的経済のパラメーター」の前までは、ケ
インズは『貨幣論』の世界にいた。」

 ここでいう『貨幣論』の世界とは「ケインズ固有の理論」を指す。第2節で述べる『貨幣論』にみられるもう1つの理論(「ヴィクセル・コネクション」の理論)は、『貨幣論』の直後からケインズによって省みられることのないことを、ここで指摘しておこう。「ケインズ固有の理論」との関係で、とりわけ重要なのは「TM供給関数」の重視である。これは、たとえば「ケンブリッジ・サーカス」の批判にもかかわらず、ケインズが重視していた重要な論点である。この点で、私の見解と吉田(1997)の見解とは軌を一にするところがある( 吉田氏と私の見解が分かれるのは、吉田氏にあっては『一般理論』は『貨幣論』の「サブセット」[ 根拠は示されていない] にすぎないものとして一蹴されている点である。これにたいし、私は両著のあいだには大きな変化があったととらえている) 。理論変遷をめぐる明石(1988)の問題認識は鋭く、筆者の見解と多くを共有している( それは「思考の転換は、関心の対象が産出量の変動( 方向) から変化の結果として落ち着く「均衡」産出量にいかに移っていくかにあった」(p.106) 、「過程分析から均衡分析へという方法論的な転換」(p.111) という表現に集約される)

(命題2)「1932年の末に執筆された草稿「貨幣的経済のパラメーター」で『貨幣論』
の世界から『一般理論』の世界への「質的転換」が生じている。」

 私は、その根拠を、この草稿において「投資- 貯蓄」の均衡論が用いられ、供給関数を価格複合体の関数として定式化( 「実質的に」TM供給関数は消失している)していること、そして「乗数理論的発想」を採用した、同時方程式体系が提示されている点に求めている。以上の意味において草稿「貨幣的経済のパラメーター」は『貨幣論』的な経過分析を棄却し、また『一般理論』的な要素を少なからず含んでおり、『貨幣論』からは完全に独立している。しかし、他方で、この草稿には雇用量決定(もしくは国民所得決定)の理論がいまだ提示されていないという意味で、『一般理論』とは異なる。私がこの草稿を「転換点」と名付けたのは以上のような理由による。
 ところで、この草稿の意義をケインズの理論的変遷過程において、きわめて重視する論者として、菱山(1993)、小島(1997)、そして岡田(1997)がある。菱山氏にあっては、「貨幣利子率が自然利子率に調整される」という考えをもってヴィクセル的調整様式とみなし、『貨幣論』もその流れのなかに位置づける。そしてスラッファが打ち出した「自然利子率が貨幣利子率に調整される」という考えをケインズが採用することで( それを示すのが草稿「貨幣的経済のパラメーター」である、とされる) 、『貨幣論』から『一般理論』への大きな理論的転換を遂げたのだと主張される( 私は、これにたいし、『貨幣論』に「ヴィクセル的流れ」がある点で、菱山氏に同意するが、他方、『貨幣論』にはそれとは別の「ケインズ独自の理論」があると考える点で、そして前者は『貨幣論』刊行直後からすでに消失していると考える点で、菱山氏と異なっているように思われる) 。このことをスラッファの1932年論文(ハイエクの『諸価格と生産』書評論文)に照らしてその妥当性を証明しようとしたのが小島(1997)である。しかしこの論証には問題点が多い。第1に、資料的な裏付けのない考察に基づいている、第2に、小島氏はスラッファの( 直物と先物での価格関係からとらえられている) 「商品利子率」概念を「自然利子率」と同義にとらえ(p.10)、それとヴィクセルの「自然利子率」を同じ土俵で扱おうとしている。両者はまったく異なる概念である。第3に、小島氏が草稿「貨幣的経済のパラメーター」がスラッファのハイエク批判に基づくものであるとしてあげている根拠は薄弱である(「複合体」概念の使用、と貨幣利子率が外生的である、との根拠。しかし、実際のモデルでは貨幣利子率は内生変数になっている。ρ=A(M)〔ρは利子率、A(・)は流動性選好関数、Mは貨幣量。外生的なのは貨幣量である)。
 岡田氏の根拠はまったく異なる。「われわれは、『貨幣論』から『一般理論』への道程においてケインズがこの32年後期に最もラディカルな飛躍を成し遂げたことを確認できるのであり、ケインズ革命なるものは実質上当時期に生起した」(p.204) と述べる。私は前半部分の描写には違和感はないが、後半部分は異なる。その理由は以下の通りである( この草稿には『一般理論』に通じる「投資決定の理論」はない。ケインズはこの草稿で所得決定を明示的に論じていない。岡田氏には、モデル構造が「経過分析」から「均衡分析」に変わっていることに注目していない)
 浅野(1987)は草稿「貨幣的経済のパラメーター」をそこに含まれる前進的な要素を考慮しながらも、基本的にはそれが「『貨幣論』的な理論体系の枠組みに固執」(p.89)したものとみている。そこにおいては、「TM供給関数」への固執、そして体系の決定因が価格におかれている点( さらには流動性選好説が貨幣保有の投機的動機が姿を表していないとの理由で「弱気関数のはん痕を色強く残している、とされる) 。私が、この理解のもつ問題点は、浅野氏がすでに、この草稿の理論モデルでは「TM供給関数」は何の役割もはたしていないこと、分析方法が完全に変わっていることに着目していない点にあるとみる。概していえば、浅野氏がこの草稿を後ろ向き( 『貨幣論』向き) の視点からとらえているのにたいし、私は前向きの視点から( もしくは『貨幣論』から『一般理論』への重要な「質的転換」として) 評価しようとしている点であろう。ただし、浅野(1987)1932年の後期に「決定的に重要な[ ケインズの] 思索の急速な進歩」(p.100) がみられたことを認めている。ただし、それを『シュピートホフ記念論文集』へのケインズの寄稿論文「生産の貨幣的理論」に求めるのである。特に浅野氏が強調しているのは、「貨幣の中立性の否定」である。この点に関連して、筆者は、それらがミカエルマス講義の第1回目で論じられていること、そしてこの講義の大きな目玉は、第6回目および第7回目での既述の草稿「貨幣的経済のパラメーター」の提示にあったこと、を指摘しておきたい。

(命題3)「1933年には『一般理論』の第3章「有効需要の原理」の源流がみられ、雇
用量(ないしは所得)の決定をめぐって、その均衡および安定条件が論じられている。しかしケインズの立論にはいくつかのあいまいな点がみられ、その意味で「模索」状況にある。」

 浅野(1987)、および平井(1987)では1933年の3草稿が詳細に検討されている。浅野氏の説明はほぼ正確であり、筆者の認識と大枠においてそれほど相違はない。そこでむしろ相違する点に注目しておこう。第1草稿について、筆者は、それが雇用量の決定を論じた同時方程式体系であるとみなし、より『一般理論』の第3章に引きつけてみている。明石(1988)も同じ立場である(ただし浅野氏のいうように、それは『貨幣論』の「TM供給関数」的残滓を残している。しかし筆者は、それを「準TM供給関数」とよんで、本来の「TM供給関数」とはもはや異なっていることを強調したい) 。第2草稿・第3草稿については、筆者は均衡の安定性を論じている点に主要な特徴をみている。浅野(1987)は第2草稿について「ケインズは、『貨幣論』との連続を読者に印象づける努力を重ねたが、実際はむし『貨幣論』からの決定的な訣別に踏み切っていたのである」(p.130) 。その通りである。
 ところで、この時期( 第2草稿) には「古典派の第1公準」の採用がなされている。浅野(1987)は、このことがケインズの思考の大きな飛躍を含んでいたと主張する。すなわち「供給関数に関する『貨幣論』的思考から限界分析に基づく新思考への大きな転換」(p.175) を意味しており、その転換をカーンの説得にあったと述べている。筆者も同意見である。これにたいして吉田(1997)は、「古典派の第1公準」はそれがケインズの「思考の基礎に組み込まれ」たことはない、それは「ノイズ」である、といいきる。そして「ケンブリッジ・サーカス」は「( 「ケインズ革命」の) 自然な展開を妨げた」(p.183) という。しかしこれは誤っている。吉田氏は、「需要、供給、均衡」という概念を信念として否定する立場に立っている。そしてその上で、ケインズの形成史研究をみるとき、吉田氏の目には、それを逃れているのは『貨幣論』である、ということになる。ところがケインズは『一般理論』においては、「需要、供給、均衡」を多用している(分析方法も「過程分析から均衡分析へという方法論的な転換」が行われている( 明石[p.111])) 。だから吉田氏は『一般理論』をみずに『貨幣論』を極端に重視する。こうした見方が「古典派の第1公準」の意義を否定することにつながっている。吉田氏は「テクスト」重視を強調しているが、実際には非常にそれを軽視している、と筆者は思う。

 まだ論じたいことは少なからずあるが、紙幅の関係もあり、次の注意にとどめておくことにする。(1)1933 年の末から1934年初頭にかけて、「消費理論の事実上の完成と投資理論の改善」がみられた。(2)1934 年の春の草稿「一般理論」以降、『一般理論』の完成に至るまでの諸草稿の検討は平井(1987)の第8-10章で詳細に行った。この時期の本格的な検討は理論史形成において非常に希薄であるという印象をもつ。さらに、この時期については、『一般理論』そのもののもつ理論構造をどうとらえるのか、そしてそれはどのような理論的欠陥を有するのかという視点から、これら諸草稿を分析することが重要である、と筆者は考えている。



         2.「ヴィクセル・コネクション」をめぐって

  ケインズの理論形成史に関連して、近年、ケインズと同時代人に焦点を合わせる内容の研究が盛んに行われるようになった。もはや紙幅がないので、ただ1つの論点に焦点を絞ることにしたい。「ヴィクセル・コネクション」がそれである( これをめぐっては、小峯(1997)により、土俵が形成されている) 。ここで、それは「累積過程の理論」を提唱したヴィクセル、ならびにそれを批判的に継承・発展させていった人々(リンダール、ミュルダール、ミーゼス、ハイエク、ロバートソンや『貨幣論』のケインズ、それにホートリー等)を総称するものとして用いている。それは「貨幣数量説、セイ法則、古典派の二分法」を否定し、新たな貨幣的経済学を構築しようとする動きである。この問題について、近年に至って最初に明快な議論を展開したのは明石(1988 。第 1- 4 ) である。そこでは、「ヴィクセル・パラダイム」は、一方にハイエクを、他方でストックホルム学派とケンブリッジ学派( ロバートソンとケインズ) を生んだ、とされている。筆者の理解も、おおむね同じである。この視点は、もともと菱山(1990;1993) に明確に認められるものである。菱山氏はヴィクセルの累積過程の理論が、結果的に「二分法」に挑戦し、貨幣数量説の基礎を堀崩し、利子率による自動調整を否定した、と理解している。そして『貨幣論』もそのなかで理解されている。菱山氏に特徴的なのは、スラッファはハイエク批判を通じて結果的に、ヴィクセル= ケインズ批判を行ったという見解、そしてそれを感じ取ったケインズは『一般理論』への転機を図ることができた、という図式である。
 ここで不思議なのは、小島(1997)である。小島氏は、「ヴィクセル・コネクション」という考えに反対する。そしてそれに代わるものとして「ホートリー・コネクション」という概念を提示する。小島氏の論理はまったく説得的ではない。第1に、小島氏自ら、『貨幣論』とヴィクセルとのつながりについてかなり多くのことを論じているのにたいし、ホートリーとの関係については、ほとんどが推論の域を出ていない。第2に、「ホートリー・コネクション」(p.100) の規定は狭く不適切なものである((1)貨幣本質論、(2) 『貨幣論』における「貨幣経済の循環構造的把握[ そこからは『貨幣論』の生産構造理解において「TM供給関数」が欠落したものであり、静学的である])。何よりも、それは『貨幣論』と『一般理論』のあいだの問題として論じられるのではなく( 私はホートリーを論じるときは、そこに注目している) 1920年代の関係として規定されている。そして小島氏はホートリーについて3つの章を割いているのであるが、第4章・第5章で論じられていることは小島氏の「ホートリー・コネクション」の規定とは関係のない内容になっている。吉田(1997)も「ヴィクセル・コネクション」に批判的であるが、それは『貨幣論』のもつ、(私の用語でいうと) 「ケインズ本来の理論」を強調するあまり「ヴィクセル的流れ」を無視しようとする姿勢からきている。間違ってはいないが、公平な見方ではない。
 岡田(1997)のヴィクセル理論、そして『貨幣論』の学史的位置づけにかんする理解にも言及しておこう。岡田氏には、古典派と新古典派の相違点( プルートロジーとキャタラクティクス) 、共通点( 古典派の二分法、セイ法則、貨幣数量説の採用) 、これら両派と「ヴィクセル・コネクション」との相違( 「実物経済学」と「貨幣的経済学」) といった識別が認められない。そして「ヴィクセルの累積過程の理論」と『貨幣論』は「貨幣数量説」や「古典派の二分法」を容認した「古典派」と規定している。『一般理論』はそれからの脱却とみるのである。
 最後に、筆者は、『貨幣論』には「ケインズ固有の理論」と「ヴィクセル・コネクション」に属する理論があったが、その後、ケインズは前者にのみ注心し、それにたいする批判的考察をつうじて、そしてそれを「均衡分析」的手法の採用により、「不完全雇用の貨幣的経済学」として特徴づけられる『一般理論』に至った、ととらえている点を指摘しておきたい。したがって、『一般理論』は「ヴィクセル・コネクション」とは異なった「貨幣的経済学」である、との認識に立っている( 事実、『一般理論』では「古典派」とともにケインズが批判の対象としているのは「ヴィクセル・コネクション」なのである)



                文献リスト

  ・明石茂生『マクロ経済学の系譜』東洋経済新報社、1988年。
  ・浅野栄一『ケインズ「一般理論」形成史』日本評論社、1987年。
  ・福岡正夫『ケインズ』東洋経済新報社、1997年。
  ・藤井賢治「『一般理論』形成史研究の現在」『経済学史学会年報』第32号、1994年。
  ・平井俊顕『ケインズ研究』東京大学出版会1987( この英訳にA Study of Keynes (mimemo. 1988 ) がある)
  ・平井俊顕「ヴィクセル・コネクション」( )() 『上智経済論集』第36巻第 1号、第 2号、1990年。
  Toshiaki Hirai, `A Study of Keynes's Economics', Sophia Economic Review, Vol.43, No.1, No.2, 1997, and Vol.44, No.1, No.2, 1998.
  ・菱山泉『ケネーからスラッファへ』名古屋大学出版会、1990年。
 ・菱山泉『スラッファ経済学の現代的評価』京都大学学術出版会、1993年。
  ・加納正雄『ケインズ貨幣経済論』行路社、1992年。
・松川周二『ケインズの経済学 ― その形成と展開』中央経済社、1991年。
・岡田元浩『巨視的経済理論の軌跡』名古屋大学出版会、1997年。
  ・小島専孝『ケインズ理論の源泉』有斐閣、1997年。
  ・小峯敦「貨幣的経済理論の一潮流」『経済学史学会年報』第35号、1997年。
  ・吉田雅明『ケインズ』日本経済評論社、1997年。