2015年8月11日火曜日

『市場の失敗との闘い』(日本経済評論社)についての監訳者の所見








『市場の失敗との闘い』(日本経済評論社)についての監訳者の所見


                                   平井俊顕


本書は、ローマ大学 <ラ・サピエンツァ> 教授マリア・クリスティーナ・マルクッツォ教授が長年にわたり研究を続け、執筆してきた経済学のケンブリッジ的伝統をめぐる学術論文15本 (うち、2本は共同論文) - これらは欧米の主要な経済学史の専門誌や学術書で発表されている - からなる論文集である。同教授は、リカードウ研究やケンブリッジの経済学の研究者として国際的に広く知られている経済学史家であり、文字通り世界を飛び回って活動を続けているこの分野の指導的学者である。

ケンブリッジ学派と言えば、ケンブリッジ大学教授アルフレッド・マーシャルを祖とし、彼の経済学 - とりわけ『経済学原理』― の教えを受けた弟子筋であるケインズ、ピグーたちを中核に据える一大研究集団、というのが通説的な像であろう。そしてこれらの人々は、イギリスの経済学のみならず、世界の経済学の一大中心 - メンガーを祖とするオーストリア学派やワルラスを祖とするローザンヌ学派とともに - を形成していた(ただし、マルクッツォ教授は「学派」という呼び方は適切ではないと考え、「グループ」という呼び方を用いている)。

本書で主役として取り上げられるのはマーシャルではなく、何よりもケインズ、ならびに彼より若い経済学者であるカーン、(ジョーン・) ロビンソン、スラッファの4名である。注目すべきは、むしろ若手3名により大きな重点がおかれている - それにやや脇役的にカレツキ - のが本書の特徴である。これら3名の経済学者がケインズとどのような関係にあり、どのように積極的な理論貢献、あるいは批判的な貢献を遂げたのかが、一次資料を駆使しつつ、さまざまの角度から照射されている。

ここで、次の2点に留意しておくことが肝要である。

第1に、本書では、ケインズの同僚であるピグー、ロバートソン、ホートリーという重要な経済学者は取り上げられていない。ケインズが主役であった当時のケンブリッジにあって、これらの経済学者は、ケインズとさほど変わらない名声を得ていた。ケインズが1936年に刊行した『一般理論』が世界の経済学や政策論に「ケインズ革命」という衝撃を与えたことで、戦後、これら同僚の名声は著しく失墜することになったが、それは歴史を後付けでみた結果である。彼らは当時、自立した経済学者として独自の理論を展開しており、かつケインズとは様々なかたちで論争を展開した間柄であった。つまり戦間期のケンブリッジ学派(もしくはグループ)のシニアの経済学者 - ホートリーはケンブリッジ出身だが、大蔵省の官庁エコノミストとして活動した人物であり、環境は他の2人とは異なる - は彼らである。
第2に、ではなぜ、彼らより若いカーン、ロビンソン、スラッファが主役として取り上げられているのであろうか。まず何よりも、彼らを主役として取り上げて論じることには、十分の学術的価値があるという点をあげる必要がある。彼らはケンブリッジで生じた3つの経済理論上の革命の直接的関係者もしくは指導者であった。不完全競争理論、有効需要理論(ケインズ革命)、そして資本の限界理論批判(いわゆる「ケンブリッジ・ケンブリッジ論争」へと戦後つながっていく)がそれらである。
カーンとロビンソンは「不完全競争理論」の樹立者そのものである(ある事情で、カーンが今日に至るも完全に影に隠れたままであるのは、不幸なことである)。有効需要の理論においては、弟子カーンは非常に重要な役割を演じている。さらにロビンソンも、有効需要の理論の樹立にさいし「ケンブリッジ・サーカス」などを通じて非常に重要な役割を果たしている。
これにたいし、もう1人の主役スラッファは、非常に特異な位置を占めている。スラッファはマーシャル理論の批判論文を書き、それが「不完全競争理論」への道を拓くことになった。なぜならカーン、ロビンソンは他ならぬスラッファから最初の大きな衝撃を受けたからである。だが、スラッファ自身は「不完全競争理論」の展開には興味をもたなかった。なぜなら彼の根本的な価値論は、新古典派のそれと異なっていたからである。有効需要の理論については、スラッファはほとんど完全黙秘的にケインズに接していた。後年、彼の『一般理論』についての研究メモが出てきたが、そこでは徹底した批判が展開されている。スラッファはこれらの点でカーンやロビンソンとまったく異なった立場にいたのである。最後の「ケンブリッジ・ケンブリッジ論争」はスラッファが1960年に刊行された『商品による商品の生産』が引き金となっている。ただこれは戦後、かなり経過してからの話であり、本書はこれを対象にしているわけではない。

以上のことからも、これら3名の若き経済学者を取り上げることに、十分すぎるほどの価値があることが分かるであろう。
 
にもかかわらず、これら3名の経済学者を本格的に対象にした学説史的研究
は、これまでほとんど存在してこなかったのである。その理由について少し述
べておきたい。
第1に、カーンは、これまで乗数理論の創始者としてのみ知られてきた。彼が、
ケインズの『一般理論』の方向を決めるうえで演じた役割や、ロビンソンが「不完全競争理論」を打ち立てるうえでほとんど共同研究者としての関係にあったことなどは、彼の内気とも言える特異の性格や、寡作であることもあり、ほとんど知られてきていない。
第2に、ロビンソンである。いうまでもなく彼女は「不完全競争理論」の主導者として不動の地位を経済学史上に放っている。だが、彼女は自らの知性の示す方向にきわめて激しい情熱で向かうタイプの研究者であった。そのため、自らが創設した「不完全競争理論」を自己否定し、やがてマルクス理論に、そしてカレツキ的なケインズ理論に惹かれていくことになった。さらに「ケンブリッジ・ケンブリッジ論争」などで、新古典派理論を激しく批判していくことになった。こうした行動のため、ロビンソンを客観的に評価する環境が整わないままになってきたのである。
第3に、スラッファである。彼の基本的立場はマーシャル、ケインズとも大きく異なっており(したがって彼をケンブリッジ「学派の一員」と呼ぶことはできないであろう)、新古典派全盛の経済学界にあって、その後、スラッファの『商品による商品の生産』に依拠する理論 ― スラッファ理論 ― はかなりの同調者を輩出したとはいえ、主流派になったことはない(なお、本書での言及はないが、ヴィトゲンシュタイン自らが語っているように、スラッファは、ヴィトゲンシュタインが前期から後期に移る大きなきっかけを与えている)。
こうしたことは、彼ら3名が戦間期のケンブリッジにあって、大きく関わりをもち続け、そして時とともにその関係が複雑に変化していったという事実にたいする関心を、経済学者に向けさせるうえで、大きな阻害要因となってきた。  
本書の特筆すべき点は、まさにこうした点を一次資料を駆使しながら、そして非常に「公平、客観的な読み込み」(つまり、先入観で資料を歪めて取り扱うことなく)を遂行することで、彼らの複雑な関係を明快に分析しているという点にある。

カーン、ロビンソン、スラッファが戦間期にどのような知的議論を展開したの
かについては、本書が詳細に語っているところであり、読者自らにその点を堪
能していただくことにし、紙幅の関係もあり、ここでは監訳者が興味を引いた
点を箇条書きで示すことにとどめる。

(1) ケインズが『貨幣論』から『一般理論』に向かうさいに、カーンのはたした役割についての分析が優れている。短期における総供給関数の導入と、『一般理論』第3章におけるマーシャル的需給理論の導入が資料的に綿密に検証されている。
この点に関して、カーン自身が「不完全競争理論」を手がけていたにもかかわらず、むしろ完全競争的なヴァージョンでケインズに臨み、ケインズもそれを採用・防衛する方針で後年も臨んだ (ケインズは、不完全競争理論がケンブリッジの足元で展開していたにもかかわらず、無関心であった)。

(2)カーン、ロビンソンはケインズ革命の推進に大いに貢献した。「ケンブリッジ・サーカス」での活動は以前より知られているが、それだけではないのである (ミードやハロッドも重要であるが、彼らはオックスフォードに属していた)。

 (3) 既述のように、スラッファのマーシャル理論批判は、カーンやロビンソンによる「不完全競争理論」を触発することになったのだが、スラッファ自身は「不完全競争理論」に関係することはなかった。カーンやロビンソンの不完全競争理論はあくまでもマーシャル理論の延長線上にあったからである(カーンが、いわゆる「屈折需要曲線」の創設者の1人であることも、いまに至るも、ほとんど知られていない事実である)。

(4)ロビンソンは、その後、歴史的時間を重視するようになる。そしてカレツキやマルクスの影響を受けるようになり、不完全競争理論にたいし批判的、否定的になっていく(自らの功績自体も否定するまでに至る)。
他方、カーンはカレツキやマルクスの方向には向かわなかった。むしろ
カーンは一次産品案や、国際通貨案など、ケインズが関心をもち、国際舞台で提案していった領域に、自らも関与していくことになった。

 (5) スラッファは、新古典派の限界主義、需給均衡理論を否定する立場に立ち、マーシャルには徹底して批判的であり、価値論を古典派に求めた。だが、戦前、こうした論点をケンブリッジにあって明示的に表明するのは1960年代になってからのことであった。
         
本書を『市場の失敗との闘い』と名付けた理由について、マルクッツォ教授は、
それをケインズ的ライトモチーフおよびスラッファ的市場観の双方に求めている。両者の意図は異なるが、いずれも「自由市場」というイデオロギーに反対した論陣を張っていたという点に求めている。
以上に説明したように、本書は経済学史上、重要なケンブリッジでの革命的できごとを、今日の正統派の立論が主流派となっている知的環境下では忘却されがちな一次資料を駆使してみごとに明らかにしている。本書がポストケインジアン叢書の一巻として刊行されることで、経済学史的な知見が新たに加えられることになったことを喜びとしたい。多くの研究者のみならず読者諸賢が手にされ読まれることを願っている。
本書の刊行をお引き受けいただき、編集を円滑に進めていただいた日本経済評論社編集部の鴇田 祐一氏に謝意を表するとともに、8名の共訳者の優れた訳業にたいし謝意を表する次第である。改めて言うまでもない、本書全体についての責任は最終的には監訳者が負うべきものである。