2015年9月9日水曜日

第7講 マルサス『人口の原理』および経済学   平井俊顕






第7講 マルサス『人口の原理』および経済学
 
                               平井俊顕



I.                                 はじめに

第4講および第5講で、わたしたちはアダム・スミスの『国富論』を学んだ。同書は「古典学派」と呼ばれる経済学の礎石をなすものである。古典派は、スミスを祖とするが、その考え方は多くの人々によって受け継がれ、発展していくことになる。その最も重要な人物は2人である。1人はリカードウであり、いま1人は今日の講義で取り上げるマルサスである。だが、2人の経済学には基本的に大きな対立点・相違がみられる。両者は互いによく知る関係にあったが、経済理論・政策に関しては、激しい論争をみせたのである。両者ともその経済学の出発点をスミス『国富論』におきながら、それぞれが重要と思う論点・スタンスの相違から、異なる道を模索することになった、といえよう。
 イギリス古典派の主流はリカードウであり、マルサスは傍流として位置づけられることになる。その1つの要因は、リカードウの理論的卓越性がジェイムズ・ミル、ジョン・スチュアート・ミル父子によって継承・伝播された点である (リカードウについては第9講で、またジョン・スチュアート・ミルについては第10講で説明することにする)
  トーマス・マルサス (1766-1834) は、ケンブリッジ大学ジーザス・カレッジで教育を受けた英国国教会の牧師である。彼は1805年に東インド会社カレッジの政治経済学の教授職に就いている。
  マルサスの生きた時代は産業革命の時代であると同時に、フランス革命が勃発し、その後ナポレオンの出現とともにナポレオン戦争が展開された時代である。ヨーロッパはそのため、激動の時代を迎え、その影響は当然イギリスにも及ぶことになった。
 イギリスは人口の激増、ナポレオンによるイギリス封鎖などにより、小麦価格が高騰し、そのことが農業革命を促進させることになった。
 こうした時代状況が社会科学者としてのマルサスにおよぼした影響は、きわめて大きい。
 第1に、マルサスはフランスで展開した啓蒙思想にたいし批判的な思想を展開し、エドモンド・バークとともに当時の保守主義の代表的論客として知られる。その代表作が『人口の原理』である。これは父ダニエル・マルサスが、ルソーの友人であり、フランス啓蒙主義のシンパであったのにたいし、人間社会が冷徹な人口の原理に支配されていると主張することで、それに冷や水を浴びせかけたものである。マルサスが後世において最も大きな影響を及ぼしたのは、同書を通じてである。第II節では、保守主義者バークとマルサスを検討する。
 古典派経済学は、すでに述べたように、リカードウの路線に沿って展開したため、経済学者マルサスという側面は、ややもすれば忘れられがちであった。マルサスが学界の注目を浴びるに至ったのは、ケインズが『一般理論』において、自らの思想の先駆者として位置づけたことが大きい。マルサスは1820年に『経済学原理』を刊行した。これは、リカードウ(1772-1823) の主著『経済学および課税の原理』(1817)にたいする論駁の書として書かれている(同書を読んだリカードウは、詳細な批判的注を書き込んでおり、後年、『マルサス評注』として公刊されることになった。第III節では、マルサスの経済学とそれにたいするケインズの評価を踏まえ論じることにしたい。

II. 保守主義者としてのバークとマルサス

1. エドモンド・バーク 
 バーク(1727-1797) は、18世紀のイギリスを代表する政治家であり、マルサスと並ぶイギリス保守主義の代表的論客である。彼は『フランス革命の省察』(Burke, 1790)で、イギリス貴族制のもつ安定性を強調し、フランス革命を厳しく批判した。
ケインズはイートン・カレッジに在籍している当時から、バークを非常に尊敬しており、1904年には「エドムンド・バークの政治理論」を書いている。スキデルスキーはその『ケインズ伝』(Skidelsky, 1983)で、ムーアの哲学が個人としてのケインズの生涯を貫いたように、バークの見解は市民としてのケインズの生涯を貫いて影響を及ぼしているとみている。

ケインズの人生は、二組の道徳要請のあいだでバランスのとれたものであった。個人としての彼の義務は、自身のため、および彼が直接関心をもつ人々のために良い心の状態を達成することであった[G.E.ムーアからの影響]。市民として彼の義務は社会のために幸福な事態が達成されることを助けることであった[バークからの影響](Skidelsky, 1983, p. 157)。

ケインズは、バークの保守主義を多少行き過ぎている点がある、と批判的にみつつも、基本的にそれを支持するスタンスで上記論文を執筆している。以下は、そこからの引用であるが、将来よりも現在を重視する姿勢が示されている。
  われわれの予測力は非常に貧弱なので、将来の疑わしい利点のために、現在の悪にさらすことが賢明であるということはめったにない。バークはいつも(そして正しく)、国民の厚生を一世代ものあいだ犠牲にして、共同体全体を困窮に陥れたり、比較的遠い将来での想像上の千年宮のために慈悲深い制度を破壊するというのは、とうてい正しいことではありえない、と主張した(「エドムンド・バークの政治理論」[Skidelsky, 1983, p. 155])。
市民としてのケインズがバークの影響をその後も受け継いでいる事例として、1926年に発表された『自由放任の終焉』のなかの一文をあげておこう。

エドモンド・バークが「立法上の最も微妙な問題のひとつ、すなわち国家が自ら進んで公共の英知に従って指揮監督すべきものは何であり、国家が能うかぎり干渉を排して個々人の努力に委ねるべきものは何であるかを決定する問題」と呼んだものは、これを抽象的論拠に基づいて解決することはできず、その詳細にわたる功罪の検討に基づいて論じなければならない。今日、経済学者にとっての主要な課題は、おそらく、政府のなすべきこと (Agenda) となすべからざること(Non Agenda)とを改めて区別しなおすことである(『自由放任の終焉』p. 288)。

これは、国家のなすべき責務は「抽象的論拠に基づいて解決することはできず、その詳細にわたる功罪の検討に基づい」てなさねばならないというケインズ自らのスタンスを、バークの言葉を借りて述べた箇所である。

2.『人口の原理』(1798)
マルサスは、『人口の原理に関する一論ゴドウィン氏、コンドルセー氏その他諸家の研究にふれて、社会将来の改善にたいする影響を論じる』 (以降、『人口の原理』と略記。1798) において、人類が2つの公準(食物は人類の生存に必要である、および、両性間の情欲は必ずあり、だいたいいまのままで変わりがない)に支配されていると述べ、平等社会の到来と人間を純粋に合理的存在とみるフランス啓蒙思想を批判した。その論述は、人間社会が抜き差しならない公準にさらされており、そこから抜け出る道はない、というかたちでなされており、非常に暗い色彩を帯びた、それでいて非常に説得力と迫力を感じさせる内容になっている [なお同書はダーウィンが進化論の着想を得る契機になったものとしても知られる (ダーウィンの自然淘汰の考えは、それが人間や神にとってどうにもならない法則として語られている点で類似点がある)]
 
A.2つの公準  「人口原理」を1つの「自然法」とマルサスは考えている。

   第1公準:食物は、人類の生存に必要である。
  第2公準:両性間の情欲は必ずあり、だいたい今のままで変わりがないであろう (p.29)
 そのうえで、マルサスは、「人口の増加力は、人類のために生活資料を生産すべき土
地の力よりも不当に大きい」(p.30) と主張する。
人口は、制限されなければ幾何級数的に増加する(25年ごとに倍増する)。生活資料は算術級数的にしか増加しない (p.30)  
B.3つの命題
(命題1)「人口は生活資料なくしては増加しえない」(「人口の増加は必然に生活資料によって制限せられる。」)
(命題2)「生活資料があれば、人口は絶えず増加する。」
(命題3)「人口増加の優勢を抑圧し、人口の増加を生活資料と均衡を保たしめるものは、窮乏と悪徳である。」 (p.96p.43を参照)
人間社会は上記3つの命題に支配されている。それは社会がどのような形態にあろうとも、そうなのである。 
富者は不正な組合を作って、しばしば、貧者の困窮を長引かせるが、いかなるかたちの社会ができても、それが不平等な社会であれば人類の大部分に、それが平等な社会であれば人類のすべてに、貧乏という不断の作用がもつ影響力を防ぐことは、とうていできない (pp.42-43)  
C.人口を制限する2つの方法  
  ・家族を養っていくのに伴う困難についての心配が「予防的制限」となる。  
・適当なる食物と注意とを子供に与えることができないという下層社会の一部にある現実の困難が「積極的制限」となる (要するに栄養失調や病気による子供の死亡) (pp.55-56)
この他に、女子に関する不徳な慣習、大都会、不健康な製造業、奢侈、悪疫、戦争があげられている (p.74)
D. マルサスの思想的スタンス
マルサスは労働者階級にたいしては非常に厳しい態度をとっている。マルサスは労働者階級にたいしては、「慎慮」と「勤労」を説く。労働者が貧しくなるのは、そうした精神が足りないからだという。
  マルサスは「救貧法」を批判し、それは労働の自由な移動を妨げ、労働者を貧しくするのに寄与しているととらえている (マルサスは、「新救貧法」の成立に寄与することになる)。他方、マルサスは「穀物法」 (Corn Law) については、その意義を評価し、擁護する。それがもたらす穀物(小麦) の高価格は経済に好況をもたらす、というのである。またマルサスは地主階級の存在を承認する立場に立っている。
(スミスは「救貧法」を擁護し、「穀物法」の撤廃を唱えた。リカードウは双方の撤廃を唱えた。)
マルサスは農業の生産力を賛美し、都会の産業をきらう(スミス的である)
 産業革命期、そして農業革命(第2次囲い込み運動)により、農民は農地を追い出され、新興工業都市になだれ込む。そしてそういう状況が続くなかで新しく登場した労働者は何の保障もなく苦しい生活を強いられていた。そしてその結果として、「救貧法」は多大の出費を要することになり、しかも資本家がこれを悪用して生産物コストの切り下げに利用したため、「救貧法」にはさまざまな問題が出てきていた(いわゆる「スピーナムランド法」)。
E.フランス啓蒙思想批判(8章-第15章)
  ・コンドルセー 1  (第9章) 人間は有機的に完全なものであって、人間の生命は無限に拡張するという説
 ・ゴドウィン (第10章 第15章) 彼が実現できると思っている平等社会の美しさ (それは人口の原理によって完全に瓦解する)
            将来、両性間の情欲はなくなると推測 (根拠がない)           人間は純粋に合理的なものと考えている(人間は複雑な動物) 




III. マルサスの経済学とケインズ

マルサスは1820年に『経済学原理』を刊行した。これはリカードウの『経済学および課税の原理』にたいする反駁の書であり、それに対峙する自らの説を展開したものとして知られる。本節は次の順に論じる。最初に『経済学原理』の核心部分について述べる。そこには有名な「一般的供給過剰の可能性論」が存在する。第2に、マルサスとケインズの理論的関係に言及する。最後に、『一般理論』で、過去の理論がどのように評価されているのかをみることにする。

1. マルサスの「一般理論」
『経済学原理』(1820)で展開されているマルサスの理論は、次のように要約できるであろう。

(1) 供給サイド: 資本家は前期に実現した利潤 (=収入) をもとにどれだけを貯蓄するのかを決める。今期、こうして決まった貯蓄 (=投資) は労働者を生産的に雇用するための基金として用いられる (失業が存在する場合には失業者群から採用され、完全雇用の場合には不生産的労働者から採用される)。こうして雇用された追加的な労働者は産出量の増大をもたらす。
(2) 需要サイド: 資本家は利潤のうち、貯蓄額を除いたものを支出する。労働者は賃金の全額失業が存在する場合には増大し、完全雇用の場合には同額のままであるを支出する。地主は受け取ったすべての地代を支出する。
(3) 価格と利潤は、生産された財とそれにたいする需要との関係で決定される。財にたいする (貨幣的) 需要は生産された財に向けられる。これがマルサスの需給原理である。こうして決定された価格をマルサスは「有効需要」と呼ぶ。資本家はこうして決定された利潤をもとに、どれだけを貯蓄するのかを決定する。
(4) プロセスは上記 (1) に戻り、繰り返されていく。

このように解されたマルサスの理論 (以降、「マルサスの一般理論」と呼ぶ) は驚くほど『貨幣論』の理論に似ている。第1に、供給サイドは、前期に実現された利潤が (貯蓄を通じてであるが) 産出量を決定するという意味でTM供給関数に該当する。第2に、価格は『貨幣論』とまったく同じ方法で決定されている。生産された財は売りつくされると想定されており、価格と利潤は (貨幣的) 需要との関係で決定される。第3に、双方とも1期のタイム・ラグをもった動学モデルになっている。
とはいえ、『経済学原理』では、上記に記した概要のように陽表的に展開されているわけではない。マルサスは1つの特別なケース彼が「一般的供給過剰」と呼ぶケースに注意を集中する傾向があった。彼によると、収入からの過剰な貯蓄これは資本の過剰な蓄積を意味する (完全雇用の場合には) 労働を不生産的労働から生産的労働へシフトさせることで、生産量を増大させる。収入からの過剰な貯蓄は、同時に、不生産的労働にたいする需要を減少させる。この結果、価格と利潤は下落し (これは需給原理に基づいて説明される)、「一般的供給過剰」が生じる。利潤の下落は生産者の生産動機を喪失させる。
  確かに、マルサスの議論は、一般的供給過剰の可能性を論証している。だが、それは1つの可能性にすぎない。たとえ需要が減少して産出量が増大しているとしても、企業家は若干の利潤を獲得するかもしれない。状況が極端になれば、経済は一般的供給過剰に苦しむかもしれないが、これが一般的ケースであるとみなす必要はないであろう。
 マルサスの理論についての重要な問題点は、それが次期について言及されていない点である。(上記 (1)(3) として解される) 彼の理論によれば、極端なケースですら、経済は、次期には、とくに生産量の顕著な減少を通じて、一般的供給過剰の状態から脱する可能性もあるであろう。

2. マルサスとケインズの関係2
ケインズのマルサス評価は、次の一文にうまく表現されている。

マルサス[]深遠な経済的直感と、移り変わる経験の形像にたいして偏見のない心を保ちつつ、しかも絶えず、その解釈に形式的思考の原理を適用するという、類いまれな資質の持ち主であった(「トーマス・ロバート・マルサス」『人物評論』 p. 108)。

他方、『一般理論』で「古典派」をリカードウおよびその追随者と定義していることから分かるように、ケインズはリカードウにたいして非常に批判的であった。

もしかりにリカードウではなくマルサスが、19世紀の経済学がそこから発した根幹をなしてさえいたならば、今日、世界はなんとはるかに賢明な、富裕な場所になっていたことであろうか!(『一般理論』pp. 100-101)。3

さて本論に入ろう。マルサスは『一般理論』の先行者であったのかいなか、あるいはそうであったとして、どの程度そうであったのだろうか。この問題は、長い歴史をもつ論争である。ここでは、ケインズ自身が1932年の末にマルサスをどのようにみていたのかを検討しつつ、これらの問題に答えていくことにしよう。私の結論を先取りすると、次のようになる。

(1)『経済学原理』に展開されているマルサスの理論は、『貨幣論』の第1基本方程式とTM供給関数で構成されるものとしてのケインズの理論の先行者である。

(2) マルサスの理論は『一般理論』で展開されているケインズの理論の先行者とはいえないいくつかの点でマルサスは『一般理論』に影響を及ぼしてはいるが。

  ケインズの有名な評伝の1つである「トーマス・ロバート・マルサス」(1933年刊行の『人物評論』第12章として収録) は、その起源を1922年にまでさかのぼることができる。しかし、失業や有効需要の理論との関連で論じられるのは193211月頃のことである。この頃、ケインズはマルサスに関する当初の論文に、以下の箇所を追加している。

(a) 『食糧の現在の高価格の原因についての調査』(Malthus, 1800)と題されたパンフレットについての評価このなかにケインズは「有効需要」(『人物評論』pp. 87-91) の概念をみいだしている。ケインズが失業の原因として需要の不足に注意を払うよう刺激を受けたのは、このパンフレットを通じてであったかもしれない。

(b) 「マルサスの一般理論」が提示されているリカードウ宛のマルサスの手紙4をめぐる議論 (『人物評伝』pp.94-100)

(a)      に関して
ケインズは「有効需要」の概念に注目している。

マルサスの健全な常識的考えによると、価格と利潤は、彼が「有効需要」けっして明瞭なものではないがと描写したものによって主として決定される。

 続いてケインズは、マルサスが食糧品の価格が、「収穫の不作によって説明することができるよりもはるかに」高騰するのはなぜかを論じ、「交易の一般原理」に基づいて、「教区手当が生計費に比例して上昇する結果、労働者階級の所得が増大することに原因をみいだしている」という1文を引用している。この「交易の原理」供給量 (産出量) が一定で、需要 (価格) が人々の支払い能力によって支えられるとき、限界原理に基づいて価格水準は決定されるがマルサスの考える需給法則であるといってよいであろう。ケインズはマルサスの分析のなかに「体系的な経済的思考の始まり」を認めている。
マルサスのパンフレットにたいするケインズの評価 (193211)を、ケインズの経済理論の発展との関連でみるときには、次の論点が重要になってくる。

(a) 2草稿 (19332月の後) で、ケインズは古典派の第1公準のかたちで限界原理を採用している。
(b) 1草稿 (2草稿とほぼ同じ時期) で、ケインズは(1-4)式で構成されるモデルを展開している (拙著『ケインズの理論』第10章第1節を参照)。とくに(3) (消費関数) および(4)全体としての経済での需給原理を表しているといってよいに注意を払う必要がある。
(c) ケインズはマルサスと同じ意味で「有効需要」という用語を用いてはいない。193312月に執筆された第3草稿においてですら、われわれが「準TM供給関数mk2」と呼んだ概念を指すものとして「有効需要」は用いられている。 

これらの点を勘案すると、ケインズの思考へのマルサスの直接的な影響は彼がマルサスに与し、リカードウに対峙していることは確かであるけれども実際にはむしろ限られたものである、との印象が残る。

(b)     に関して  マルサスとリカードウ
ケインズはいくつかの文章 ― (i) マルサスが短期を重視しているのにたいし、リカードウは長期を重視しているということを互いに認め合っている文章、(ii) リカードウとは異なり、マルサスはセイ法則の有効性を疑っていることが明らかにされている文章を引用した後、「過剰な貯蓄がその利潤への影響を通じて産出量におよぼす影響について、マルサスが完全に理解」していた点に、次の1文を引用しながら言及している。

[マルサス] は、不生産的消費の大幅な減少を必然的に意味する非常に急速な蓄積の試みは、生産への通常の動機を非常に損なうことにより、富の進展を早期に抑制することになるということを、はっきりと主張します。

私は、「消費と蓄積は等しく需要を促進する」というあなた [リカードウ]の見解にどうしても同意できません。私は、生産物の価格が生産費に比べて下落する、換言すれば有効需要が減少する、以外に、利潤下落の原因を知りません。

上記引用文は合わさって、マルサスの一般理論それは『貨幣論』と同じ理論構造 (第1基本方程式[ メカニズム1] TM供給関数) を有しているの特別なケースを示している。したがって、マルサスの理論がケインズにとって目新しいものではなかったことは明らかである。むしろ全体としてみると、ケインズによる上記の引用文は、彼が依然としてTM供給関数に固執していたことを示唆するものである。さらに、上記の第2引用文での有効需要の定義は、第3草稿でのそれに非常に似ている点に注目する必要がある。

 ケインズが失業の原因として需要の不足に注意を払うよう刺激を受けたのは、マルサスのパンフレットならびに手紙の検討を通じてであったかもしれない (この影響は第1草稿の (3)式と (4)式に反映されているように思われる)。また、マルサスのリカードウ宛手紙からの次の引用文は、経済理論がいかに構築されるべきかについてのケインズの考えの変化を示唆しているのかもしれない

倹約は生産者には不利となることがあるけれども、国家にはそうではありえないとか、地主や資本家のあいだでの不生産的消費の増加は、生産動機が喪失している状態にたいして適切な治療法にしばしばならないかもしれないとかいったことが、どうして真実と申せましょうか。

しかし、われわれの相違のより特別で根本的な原因ということになりますと、それは次のことだと思います。あなた[リカードウ]は、人間の欲望とか趣向はつねに供給に向かおうとしているとお考えのように思われます。それにたいし私は、特に古い材料から、新規の欲望や趣向を喚起させることほど難しいものはない、と明確に確信いたしております 私は、現実に生産や人口を抑制するのは、生産力の欠乏からではなく刺激の欠如からである、と確信いたしております。

  マルサスの理論についてのケインズの解釈に関するかぎり、『一般理論』は、上記で検討を加えた1933年の論文に完全に依拠している ( 『一般理論』pp.362-364を参照)。というのは、『一般理論』では、何ら新しい議論が追加されることなく、上記の引用文のいくつかが用いられているだけだからである。これは、ケインズのマルサス理論にたいする理解が、1933年の初期から『一般理論』の刊行に至るまでおそらく同じままであったことを意味している。

 本講義で「マルサスの一般理論」と呼んできたものは、いくつかの重要な点でケインズの『一般理論』とは異なっている。例えば、マルサスの理論における貯蓄は自動的に投資に向けられ、生産力を増大させるものとしてとらえられている。さらにそれは動学的に扱われており、所得からの遺漏とは考えられていない。また、ケインズが正しく指摘しているように、マルサスは「利子率によって演じられる役割」を完全に無視している。
他方、経済思想史という広い視座に立つとき、両者は、ともにセイ法則を攻撃し、有効需要の不足という概念に中心をおく理論を構築することで失業現象を説明しようとしているという点で、共有する基盤をもつ。

3. 『一般理論』が批判する経済学・擁護する経済学5

『一般理論』では、それ以前の経済学は、どのように評価されているのだろうか。一言でいえば、批判的に扱われているものと、擁護的に扱われているものへの明確な二分化が認められる。

A.        批判されているもの
批判の矛先が向けられているのは、「古典派」および「新古典派」である。ただし、この名称はケインズ特有のものであって、一般的ではない。
「古典派」は、リカードウとその追随者(そこにはJ..ミル、マーシャル、エッジワース、ピグーが含められている。『一般理論』p. 3を参照)を指すものとして使われており、通常いう古典派および新古典派を含んでいる。
『一般理論』での主要な攻撃対象は、「古典派」である。『一般理論』の目的は、古典派とは異なる雇用理論を提示することにあった。批判点は次の一文に集約的に示されている。

しかし、これらの三つの想定(古典派の第二公準、非自発的失業の不存在、セイ法則)は、その中のどの一つも論理的に他の二つを含んでいるため、それらすべてがともに立ち、ともに倒れるという意味において、同一のことに帰着する(『一般理論』p. 22)。

 他方、「新古典派」は、投資と貯蓄を等しいとみなさない人々を指すものとして用いられており、今日「ヴィクセル・コネクション」と呼ばれている経済学者(ミュルダールやミーゼスなど)のことである(『一般理論』pp. 177, 183を参照)。
ヴィクセル・コネクションにたいし向けられている批判は古典派にたいするものよりも、いっそう強烈であり、彼らは完全に誤った道を歩んでいるかのように扱われている。この文脈で、2つの関連する考えが批判の対象にされている。1つは信用創造が対応する貯蓄なしに投資を可能にするという考えである、もう1つは強制貯蓄論である。
それらはヴィクセル・コネクションにたいする『貨幣論』での扱い――そこでは、バンク・レート理論の正しい方向を志向するものとして高い評価が与えられていた――とは対照的である。

B.         擁護されているもの
他方、擁護されているのは重商主義者やマルサス等である。『一般理論』の理論的枠組みを構成するいくつかの重要な要素は、彼らの考え方に淵源、もしくは類似性がみいだされる、との主張が展開されている。投資に関係する貨幣と利子率については、主として流動性選好理論のコンテクストで重商主義 (マーカンティリズム) が称揚されている(「利子率が流動性選好と貨幣量に依存すること[]知っていた」(p.344)、「利子率と資本の限界効率とを区別」(p.344)していた)。

 重商主義者は、彼らの分析を問題解決の点にまで押し進めることはできなかったが、問題の存在を知っていた。しかし、古典派は、彼らの前提のなかに問題の存在を否定する諸条件を導入したために、問題を無視し、経済理論の結論と常識の結論とのあいだに分裂を来たす結果となった(『一般理論』p. 350)。

また消費に関しては、経済システムの脆弱性を過少消費に求める諸理論 (マンデヴィル、マルサス、ホブソンの理論) が取り上げられている。


1) コンドルセーについては、伊藤邦武『人間的な合理性の哲学パスカルから現代まで』(1997) 第2章 「コンドルセの夢」 を参照。
2) 詳しくは、拙著『ケインズの理論』(東大出版会、2003) 9章第4節を参照。
3) ケインズとは視点は異なるが、ジェヴォンズの場合も、経済学はリカードウ、ミルの路線ではなく、マルサス、シーニョアの路線で進むべきであった、と考えていた (ケインズの「ジェヴォンズ論」を参照)。ジェヴォンズの場合、おそらく価値論の相違が表出しているのだろうと思う。交換を主観価値説にもとづいて展開するような経済学をマルサス、シーニョアのなかにみているからであり、それにたいしリカードウ、ミルは交換理論を軽視したことが、こうしたジェヴォンズのスタンスにつながっていると思われる。
4) これらの手紙はスラッファによって発見され、ケインズに渡された。
5) 詳しくは、拙著『ケインズの理論』第15章第1節を参照。





参考文献

Burke, E.『フランス革命の省察』1790.
  平井俊顕『ケインズの理論』東京大学出版会, 2003年。
伊藤邦武 [1997], 『人間的な合理性の哲学パスカルから現代まで』勁草書房.
Keynes, J. M.「エドムンド・バークの政治理論」1904.
Keynes, J.M., “Thomas Robert Malthus” in Keynes (1931).
Keynes, J. M., The End of Laissez-Faire, Hogarth Press, 1926.
Keynes, J.M., Essays in Persuasion, 1931 (JMK.9, Macmillan, 1972. 宮崎義一訳『説得論集』東洋経済新報社、1981).
Keynes, J.M., The General Theory of Employment, Interest and Money, 1936 (JMK.7, Macmillan, 1973. 塩野谷祐一訳『雇用・利子および貨幣の一般理論』東洋経済新報社、1983).
Malthus, R., An Essay on the Principle of Population, Macmillan, 1926 (初版は1798) (高野岩三郎・大内兵衛訳『人口の原理』岩波書店、1935).
Malthus, T., An Investigation of the Cause of the Present High Price of Provisions, J. Johnson, 1800.
Malthus, R., Principles of Political Economy, 1820.
  Skidelsky, R., John Maynard Keynes ― Hopes Betrayed 1883―1920, Macmillan,1983.