2015年9月6日日曜日

書評:岩本武和著『ケインズと世界経済』岩波書店、1999年、xv+369pp.


書評:岩本武和著『ケインズと世界経済』岩波書店、1999年、xv+369pp.






平井俊顕



 本書は、多彩な側面をもつケインズについて、その国際経済―なかでも国際通貨体制と国際金融―面での活動に焦点を合わせたものである。ケインズは、処女作『インドの通貨と金融』を生むに至ったインド省の役人に始まり、第1次大戦時には大蔵省にあって国際金融の責任者として、また第2次大戦時には大蔵省アドバイザーの立場から戦後の国際通貨体制の立案者として活躍した政策立案家であった。著者が目的としているのは、政策アドバイザーとして活動したケインズのこれらの貢献を、主として『ケインズ全集』に収録されている時論の詳細な検討を通じて浮き彫りにすることである。本書は検討の対象をこの側面に限定することにより、これらの領域におけるケインズの貢献を鮮やかに抽出しており、今後のケインズ研究はもとより、戦間期世界経済の研究にとっての重要な文献としての地位を確立していくことになるであろう。
 以下では、個々の内容を紹介しつつ簡潔に論評していくことにしよう。第1部「初期ケインズ(1906-1919)」は、本書のなかで最も技術的に詳細な箇所であり、著者の注ぎ込んだ努力の跡が明瞭である。第1章ではインドの通貨制度の研究を通じてのケインズの国際通貨制度に関する見解が検討されている。ケインズは、当時神聖視されていた「金本位制」をロンドン金融市場の特殊な地位に依存するものと喝破し、インドの通貨制度の特質を「金為替本位制」と規定するとともに、そこに将来の理想的な通貨制度を見出している。本章ではこの具体的なメカニズムが明快に説明されるとともに、インドの通貨制度のもつ欠陥を通貨供給の非弾力性に認め、その是正のために提案された中央銀行案(「貨幣制度の裁量的管理」)が詳細に検討されている。第2章では、1914年の金融危機に際して生じたシティと「株式銀行」との確執と、それにたいするケインズの姿勢の変化(株式銀行にたいする「糾弾から譲歩へ」)が扱われている。著者はデゥ・チェコに従って、そこにケインズにおける管理通貨論への端緒をみている。第3章では第1次大戦のもたらした基軸通貨の交替がテーマとなっている。この期間についての著者の論点はK.バークの見解に従っており、1917年7月の為替危機を境にケインズの為替相場観は大きく変わっており、それは『貨幣改革論』につながっているとするものである。
 第2部「中期ケインズ(1919-1940)」は、いうまでもなくケインズの周知の3部作が発表され、経済学者として最も重要な進展のみられた期間である。しかし、本書の検討対象が国際金融を中心とした時論におかれているため、それらには『貨幣論』への若干の言及を除けばほとんど紙幅がさかれていない。第4章では主としてドイツの賠償問題をめぐる経緯がそれにたいするケインズの立場とともに丁寧に跡づけられている。その際、「トランスファー論争」に言及し、ケインズが「ドイツ賠償問題を、イギリスの資本輸出を論じるのと同じトランスファー問題の枠組みで論じている」とする指摘が興味深い。第5章では金本位制復帰と「大蔵省見解」が論じられている。本章での著者の『貨幣論』理解には賛成できない点がある。第1に、「疑似均衡」の理論である。これは『貨幣論』の理論的枠組みのなかで論じられているものであり、「利潤デフレ」の行き着いた先の状況(そこではI=S)を指している。第2に、p.164に提示されている方程式体系にあって③④と⑤は同一の舞台におくことができないものである(③④は均衡、⑤は不均衡の領域)。第6章では、自由貿易と保護主義をめぐってのケインズのスタンスの変遷が跡づけられている。これらはイギリスが金本位制離脱、再建金本位制、そして再度の離脱を繰り返すなかで生じているわけで、著者のいうとおり、「コンテクスト」のなかで理解することが重要である。この点で評者は、「コンテクスト」はかなり異なるものの、イギリスが結局のところ、チェムバレンの道を歩み、ケインズもその方向に従ったという事実を思い浮かべた。
  第3部「後期ケインズ(1940-1946)」では、戦後の国際通貨体制をめぐる英米の対立・交渉、および「英米金融協定」が主題となっている。これらはすでに進行していた覇権国家の交替が陽表化されていく過程である。第7章と第8章は前者を扱っており、「ケインズ案」と「ホワイト案」の相違点が手際よくまとめられている。ケインズ案のもつ特質としての「多角的決済機構」が、「すべての為替取引を中央銀行へ集中させた上での、中央銀行間の多角的決済である」ということ、また「資本移動」の規制の必要性についての強固な信念、「国際収支調整におけるシンメトリー」(とくに黒字国の責任の強調)が、とりわけ目を引く。また両国の交渉過程でのケインズの活躍も興味深い。すなわちホワイト案が優勢になっていくことを見越したケインズは、「ユニタスの貨幣化」を提唱し、またIMF協定の調印後も、中央銀行間の公的決済に固執した(これはIMF協定第8条をめぐる論争である)。第9章では「ポンド残高と英米金融協定」が主題となっている。戦争中にスターリング地域に蓄積されたポンド残高(「封鎖在外残高」)は膨大な額に達していた。これらは交換性をもっておらず、このままの状態がいつまでも維持できるはずもなかった。ポンドは国際通貨としての地位を喪失してしまうことになるからである。だが、その解除は、外国通貨(とりわけドル)への交換を引き起こし、ポンド危機をもたらすことになる。当初、「ホワイト原案」には、封鎖在外残高を解決する案が盛り込まれており、ケインズ案が退けられた後、ケインズはそれに望みをかけていた。しかしそれも大蔵省からの反対にあい、この問題は、二国間の交渉に委ねられることになった。他方、イギリスはアメリカから武器貸与法により巨額の援助を受けており、そこでは「相互援助協定」の「第7条」問題があった。最終的には、「英米金融協定」として交渉がまとまったのである。だがそこには1年以内のポンドの交換性回復が条件とされており、その実行はただちにポンド危機を招いたのである。著者の明快な説明で、読者はこの複雑な交渉過程とそこにおけるケインズのスタンスをよく理解することができるであろう。
 上記の長年にわたるケインズの活動を貫通するものとして、著者はそこにナショナリズムをみる。具体的には、「国際資本移動の規制」を行うとともに、そのことにより自律的な金融政策と公共投資により国内均衡優先のスタンスをとろうとしている点が強調されている。時論とコンテクストでみるかぎり、著者の指摘は正しい。では、こうした活動のなかに明確な断絶面はみられないのであろうか。また経済学者ケインズの理論的変遷は、こうした活動にどの程度影響を与えた(あるいは与えなかった)のであろうか―この点を著者に問うてみたい気もする。