2015年9月6日日曜日

ライオネル・ロビンズ (田中秀夫監訳)『一経済学者の自伝』 ミネルヴァ書房、ix+337頁




ライオネル・ロビンズ (田中秀夫監訳)『一経済学者の自伝』
ミネルヴァ書房、ix+337






. はじめに

本書は、1971年に刊行されたL. Robbins, Autobiography of an Economist, Macmillanの邦訳である。これがいま邦訳された事情については、「監訳者あとがき」に詳しい。
著者のロビンズ (1898-1984) 20世紀を代表する経済学者の一人である。が、彼の実像は驚くほど知られていない。経済学者でさえ、「諸目的と代替的用途をもつ希少な諸手段とのあいだの関係としての人間行動を研究する科学」として経済学を定義した人として知る程度である。あるいは(今日でいうネオ・リベラリスト的な意味での)「自由主義者」として (誤って) 受け止められている可能性がある。こうした捉え方が皮相なことは、本書を読めば一掃されよう。
最初に本書の価値を述べておこう。第1に、当時の経済学、経済が、第一線で活躍した人によって描かれている。第2に、ロビンズ自身の言葉を通じ、その人物に直接近づくことができる。
以下、評者がとくに興味を覚えた3点(人物評、「経済部」、社会哲学)を中心にみていくことにする。


II. 人物評
 
ロビンズは、エリート・コースとは無縁の家庭の出である。ロンドン近郊の非国教徒の家に生まれ、地元中学校で教育を受けた後、ユニバーシティ・カレッジ・ロンドンに入学するも、第一次大戦の勃発により軍人への道を選ぶことになる。そしてフランス戦線で負傷し、休戦後はギルド社会主義者として活動する。やがてそれに疑問を抱き、金融界への就職を考えるも、不仲になっていた父親との偶然の遭遇が彼の運命を決めることになった。LSEへの入学を決めることになったからである。 
LSEでの学生生活は大変充実したものであった。卒業後の就職口がみつからないなか、ロビンズは『失業 - 産業の問題』(1909) の第2版を出そうとしているベヴァリッジの助手を務めることになる。その後、オックスフォードの臨時チューターとして働いていたが、やがてLSEに呼び戻される。今回は、経済学をめぐる研究・教育のシステム構築という大役を任されての召喚である。
以降、彼は経済学史上に燦然たる光を放つ人物たちと長年にわたる交流を続けていくことになる。ロビンズはその様子を臨場感溢れる人物描写として展開している。そこでは、彼らの性格、行動、業績が客観的・冷静に、それでいて情愛を込めて語られている。
多数の人物が登場しているが、紙幅の都合上、とくに興味深かった3名を取り上げる。
ベヴァリッジ いわゆる『ベヴァリッジ報告』で知られる社会保障システムの提案者として有名である。本書でベヴァリッジは、能力はあるが、独断的にことを運ぶ人物、彼の行動にはなにか疑いの目を向けられがちな人物として描かれている。彼が編集した『関税』(1931)に関し驚くべきエピソードがある。当初、ベヴァリッジは反自由貿易の立場で臨もうとしたが、ロビンズの説得で自由貿易論の立場に急変した。さらに、議論が進むにつれ、ベヴァリッジに関連理論の心得がほとんどないことが判明し、同書への参画をロビンズは「一生の不覚」と評している。『ベヴァリッジ報告』(1942)および『自由社会における完全雇用』(1944) vs『雇用政策白書』(1944)の時間的先行関係をめぐるエピソードも興味ふかい。
ケインズ 最初の出会いは経済諮問委員会の委員としてである。そこで2つの論点(不況期における公共支出増大の望ましさと輸入自由化政策)をめぐり両者は激突する。ロビンズはそのときのケインズの心の動きをうまく描いている。ケインズとの不仲はその後修復される。とりわけ、(後述の)「経済部」の部長としてケインズ側について戦後の重要な政策立案を展開・指導していった。何よりも、国際通貨体制ならびに戦後の借款をめぐる対米交渉でのケインズの超人的活動を描写したくだりは感動的ですらある。
ロバートソン ロビンズは経済学者としての彼をきわめて高く評価している。そしてロバートソンとケインズのあいだのデリケートな関係、ならびにそれがもたらしたロバートソンへの悲劇的な影響などを、みごとに描いている。


III.経済部

LSE
の経済学部ではキャナンの後を誰に託するべきかが重大な問題となっていた。
そして慎重な人選の結果、アリン・ヤングに白羽の矢が立てられた。だが、彼は不慮の死をとげ、その後召喚されたのがロビンズである。
 彼がLSEをこよなく愛した大学人であることは、本書全体に横溢している。彼は、オーストリア学派と親交を保つとともに、いわゆる「ロビンズ・サークル」を主宰することで、幾多の優秀な研究者を育てることに成功している。
 ロビンズは、第二次大戦時に戦時内閣官房に開設された「経済部」の第2代部長として活動することで、彼の人生に新たな次元を切り拓くことになる。彼はこの立場からイギリスの抱える重要な戦時経済の問題に関与していった。
経済部は、事実上、ミードが立案者であり、ロビンズはそれを支援する立場にあった。雇用政策、社会保障政策、通商政策などは、経済部案(それはケインズ側に立っている)としてイギリス内部で勝利を収めていくのである。さらに、国際通貨体制や国際通商問題、さらには対米借款交渉などにロビンズは深く関与している。


IV.社会哲学

本書はロビンズの社会哲学を総合的にとらえるうえで非常によい見取り図を提供している。
 ロビンズの考えは、249-250ページに集約的に表されている。

(i)「私的財産と市場経済に基づき、適切な法体系のもとで機能する分権的システムによる方が、中央集権システムによるよりも、自由で進歩的な社会を築くための根本的原理を維持しやすいという信念」(下線は評者)
(ii)「しかし、そのような組織体が明白に不適切と分かるような異常な事態を経験し、私自身がそれに代わる統制形態を用いて管理に役立ててきた。」
(iii)「分権的システムにおいて、相対的な需給面では自律的に効率よく調整する傾向があろうとも、財政や金融に関する補完的手段がなければ、総所得・総支出面ではうまく調整機能[]働かない」

 私見では、これはケインズ的な「ニュー・リベラリズム」に近接している。この点でハイエクの自由論 (自生的秩序論)とは異なる。彼は、素朴な自由主義者ではなく、むしろプラグマティックなアプローチをとっている。戦時経済下での統制経済のあり方についての考え方なども、この側面が顕著である。
 

V. おわりに

 
 本書にあってもう1つ貴重なもの、それはロビンズが自著について、その概要を当時の自らの問題関心を踏まえながら語っている点である。「この著作にはいまも私が大事に思う考えが展開されている」とか、「この著作は執筆したことを後悔している」とかいったことまで記されていて、経済学者・思想家ロビンズに関心を抱く者の格好の入り口になっている。
  繰り返す余白はないが、以上の説明で本書の価値は明らかであろう。訳者一同に謝意を表しつつ、一読を薦める。

                                (平井俊顕:上智大学)