2018年4月12日木曜日

シュムペーター「企業家の機能と労働者の利害」(1927年)



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シュムペーター「企業家の機能と労働者の利害」(1927年)


この論文の骨子は、資本主義社会は、新結合を遂行する企業家の働きにより経済を発展させるメカニズム、およびその成果はいずれ大衆に還元されるメカニズムを有するがゆえに、労働者もその恩恵を蒙り生活を向上させることができる、しかも企業家の多くは労働者階級から誕生している、というものである。
つまり、経済的にも、社会的にも、資本主義社会における、企業家と労働者は共に歩んでいると主張されている。こうして彼の考えは、真っ向からマルクス的搾取論に対峙する。


 1. シュムペーターは企業家と労働者の利害は一致している、と主張する。19世紀にイギリスの1人あたり国民所得は4倍になったが、これは利潤を追求する企業家の活動のおかげで実現した、と。

 2. 所得の階層別分配率は不変である。したがって大衆の相対的窮乏について語るのは無意味である。

 3. 資本主義経済は、必要とする企業家機能を、ある成果には極めて高い報奨金を与え、その他にはわずかしか与えないことによって、そうでない場合に比べて、総額においては、はるかに安く提供させるシステムである。

 4. 労働者は資本主義企業の最も顕著な利害関係者であり、どの企業をとってもはるかに最大の株主である。

 5. 次の言明はシュムペーターのスタンスをとらえるうえで、非常に重要である。

  「こうしたものと区別される企業家の機能は、生産諸要因を結集させて企業を営み、その生産物を価値増殖させることである。この過程のなかで企業家は、これらの生産諸要因の所有者と順々に交渉を行うが、そのなかには労働者も資本家も含まれている。そしてその交渉のつど、相手方のグループにたいし、彼は終局的には他のすべてのグループの代弁者となっている。」

 6. シュムペーターは企業家の機能を、新結合の推進におき、その結果、巨額の利潤が形成されるとしても、それはその次に訪れる調整過程 (不況) において消失していく、つまり革新の成果は価格下落というかたちで大衆に還元されていく、と論じる。したがって搾取理論は成り立たない、と。

 7. 「社会化」はすべての階級にとって経済的損失を意味する。

 8. 続いて、社会階級をめぐる社会学的分析が展開されている。シュムペーターによれば、企業家というものはたいていの場合、労働者から身を起こしている。

 9. 資産家と無数の無産労働者という構図は錯誤的である。資本主義社会の上層は、本質的には選りすぐりの労働者にほかならない。→「乗り合い自動車」の喩え。

 10. 以上のことがいえるのは、19世紀の資本主義経済にたいしてである。
そしてシュムペーターの社会学、つまりエリート理論が登場してくる。官僚の任命、政治家の選挙など。そして企業家 (ここでは企業家の成功と企業の成功、個人の利得と社会的貢献、個人的上昇と客観的な業績が同一のものになっている)。

(それにたいし、トラスト化した経済では、それは当てはまらない。)
… 企業家と労働者の隔たりは、ずっと小さい。
 
 11. 純経済的には労働者と企業者はバリケードの同じ側にいる、というのがシュムペーターのスタンスである。にもかかわらず現実に対立がみられるのは、指導する者と指導される者のあいだの対立である。企業家は対資本の関係において労働者の利害の代弁者であるのとまったく同じ意味において、対労働者の関係においては資本の利害の代弁者である、と。
それに企業家は封建君主のもっていた威厳を欠いている。社会的にも政治的にも雰囲気を暗くするような行動をとったり、政治的態度における決定を誤ったりする。企業家はあたかも主人の地位にあるかのように語り、そのことが知識人によって、実態を調べることもなく労働者に伝えられている。

 12. イギリスにおける19世紀全体を通じての社会闘争の穏和さを、(マルクスとは異なり) シュムペーターは高く評価している。他国がこの模範に従わなかったことを遺憾に思っている節がシュムペーターには認められる。