2017年9月26日火曜日

公的見解のウソ - 歴史を歪曲



公的見解のウソ - 歴史を歪曲

世界を見るとき、そしてそれを正しく理解するということは、科学者として
最も注意しなければならないことである。が、それには克服すべき多くの困難が
ある。そうした困難の1つに、関与した政府自体が、さまざまな理由で虚偽の報告をし、そして後続の政権もそれを維持し続ける、という問題がある。これを鵜呑みにして
いたのでは、世界の動きは何も見えてこない、もしくは非常にゆがんだプリズムで
見ることになる。

 現在は、インターネットの時代である。秘密にされていた情報が、さまざまなかたち
で発掘・発見され、上記の虚偽の報告が即座に虚偽であることが暴露され続けている。
 9.11事件の首謀者をめぐる虚偽は、21世紀のその後を大きく歪める結果をもたらしている。イラク戦争がその典型であるが、これはアメリカのその後の統治の失敗により、中東地域全体に修復不可能な混沌をもたらしたまま今日に至っている。
***

いま、トランプは、サウジ、イスラエルを無条件で支持し、イランをならず者国家として敵視、核開発をめぐる同意書を破棄する方向で進もうとしている。
 ところが、である。客観的事実は、アルカイーダ、タリバン、IS、ボコ・ハラムといった「テロリスト集団」として認知されているものは、イランとは何の関係もない。そもそもスンニ派に属する過激派であり、その支援者はサウジである。イランが支持するのは、ヒズボラのみである(ことが一般に認められている)。
 トランプの先日での国連演説で、泣いて喜んだのはイスラエルのみであった。イランとの核をめぐる合意は、核保有国 (アメリカ、ロシア、中国、イギリス、フランス) もサインしている多国間による合意である。これを廃棄するというトランプの方針は、トランプの孤立主義政策の典型的なあらわれでもあるが、世界をより危険な状況に陥れるものである。

*** メモ

世界史を語るうえで、中東アラブ世界で生じた最も衝撃的な事件は、ナセルによるスエズ運河の国有化 (1956)であった。アメリカとの融資交渉が決裂した後、アスワン・ハイダム建設資金を確保する目的で行われた。当然、これにたいし、イギリスとフランス(そしてイスラエル)が軍を派遣した。ところが、これにたいしては、アメリカ、ソ連ともに、明確な反対の意思を表明し、英仏軍は撤退をよぎなくされた(第2次中東戦争)。これは、イギリスによる世界覇権という構図がすでに第2次大戦時から喪失していたことが、世界の前に現実的な証拠として提示されたことになり、米ソによる世界覇権の時代の到来を告げるものとなった。以後、アフリカ大陸を中心にイギリスからの独立して新国家を設立する運動が広範に広がり、大英帝国の事実上の解体をもたらすことになった。

 同時に、このスエズ危機は、ナセルをアラブ世界のカリスマ的指導者として熱狂的にアラブ人たちに支持される契機となった。ナセルは、インドのネルーなどとともに、いわゆる米ソのいずれにも属さない非同盟主義を表明するに至った。
 
 この動きを危惧していたのはイスラエルである。とりわけカリスマ的指導者ナセルを打倒することで、アラブの連帯を弱体化・崩壊させることに、多くの努力が傾注された。
このブログでインタビューに応じているこの分野での著名な研究者N. フィンケルスタインが、主張しているのはこの点である。
 第3次中東戦争 (1967) は、この目的をもってイスラエルが仕掛けた戦争、というのが彼の主張で、公的見解になっていたイスラエルの防衛戦争という考えを真っ向から否定している。イスラエルは、短期間 (6日間) で、シナイ半島、ゴラン高原、ヨルダン川西岸、ガザ地区を占領することに成功した。アラブ側の空軍機は、不意打ちをくらい、出撃することなくことごとく破壊された。
 この戦争のもった意義は、イスラエルが支配領域を大幅に拡大したこと、およびナセルの権威を喪失させることでアラブ世界の結束を瓦解させることに成功したことである。
 ナセルは、権威を喪失するなか、1970年に病死した。
 その後を継いだのが、サダトである。サダト (彼も軍人) が目指したのは、シナイ半島の奪還であった。サダトはこのことを当初から公式に表明しており、2年間、「もしシナイ半島を返さないのであれば、イスラエルを攻撃する」と言い続けていた。イスラエル側は第3次戦争での自信・過信から、その言を過小評価していたが、じつはサダトは、ソ連から携帯可能な地対空ミサイルを入手しており、それにより、イスラエルの戦闘機を撃墜することに成功した。この戦争は第4次中東戦争 (1973) と呼ばれているが、サダトは、シリアと共同でこの戦闘を始めており、シナイ半島をエジプトが、ゴラン高原をシリアが同時に攻撃するという作戦で臨んでいた。
 闘いは前半はサダト側が優勢に展開していたが、イスラエルは反撃の中心をゴラン高原に集中することで、次第に劣勢をはねかえすようになっていった。
 なお、第1次オイル・ショックが起きたのは、このときに、アラブ側を支援すべく、オペックによる石油の禁輸措置や原油価格の4倍値上げといった措置がとられたことによる
(同時にこれは、米英メジャー石油による中東原油の一方的支配からアラブ産油国が脱出する重要な契機となったものであった。第2次オイル・ショックは1979年に起きているが、これはホメイニのイラン革命に関連したものである)。
 第4次中東戦争は、結果的には両陣営が和平に歩み寄る、というかたちで終了することになった。この背景には米ソの対立が大きな影響力をもっており、一時は核戦争の危機まで生じたほどである。
 サダトは、こうしてイスラエル国家を承認した最初のアラブ人になった (1979)。エジプトはシナイ半島の奪還に成功した。エジプトは急速にアメリカ寄りに傾いていくことになる(これは現在につながっている)。そしてこのことが原因でサダトは1981年、自軍の兵士に暗殺されることになった。
 だが、残る、ヨルダン川西岸、ガザ地区は、いまも占拠されたままの状態が続いている。ゴラン高原もイスラエルが実効支配を続けている。

***
以下の2つのNorman Finkelsteinによる話にはきわめて興味深いものがある。


Six-Day War, 50-Year Occupation: What Really Happened in June 1967?

2017/06/03 に公開

In the first of an extended three-part interview on the 50th anniversary of the June 1967 Arab-Israeli war, author and scholar Norman Finkelstein debunks the enduring myths surrounding that historic confrontation -- myths that have sustained​ the ensuing Israeli ​occupation of Palestinian lands​.

***


50 Years After Launching June 1967 War, Israel Continues World's Longest Military Occupation


2017/06/06 に公開

In the final installment of our three-part special on the 50th anniversary of the June 1967 war, author and scholar Norman Finkelstein discusses why the U.S.-backed "peace process" was never meant to end the Israeli occupation, and how, despite the ongoing brutality, mass Palestinian civil resistance could still bring it to an end.