2016年1月2日土曜日

『市場の失敗との闘い - ケンブリッジの経済学の伝統に関する論文集』 日本経済評論社 2015年






日本語版に寄せて
とくにケインズ、そしてケンブリッジの経済学者一般への学術的関心の復活は、この30年間にわたる、確実に、マーシャル、ケインズ、スラッファ、ハロッド、ジョーン・ロビンソン、カーン、カルドアの文書、ならびにそれらよりは少ない程度であるが、ロバートソン、ドッブ、カレツキ、ミード、ストーン、グッドウィンの文書に基づいて追究されてきた文献的研究によるところが大きかった。
文書を調べる研究は、刊行された資料のみに依存するものよりも、ケンブリッジの経済学の範囲と方法に関しはるかに良い理解を提供してくれる。文書は、ケンブリッジの伝統 その中核には、本書に所収の論考に登場するケインズ、カーン、ジョーン・ロビンソン、スラッファといった主役たちが位置すると関係している経済学の方法、「スタイル」および内容へのより良いアクセスをわれわれに提供してくれる。その背景には、批判の形式であれ、あるいは精緻化・拡張であれ、マーシャルが存在しており、彼のアプローチは、このグループによって参照基準として採られたものである。マーシャルは、多くの制限条件や真逆の脚注を付しているとはいえ、市場メカニズムを称揚したのだが、これにたいしケインズ、スラッファ、および彼らの追随者によって自らの方法で拓かれた道は、市場への信頼ならびに市場理論への信頼の双方のもつ欠陥を晒すことになった。
日本の研究者は、これらの考えの、時間を通じての進展にたいするより明瞭な洞察をすることに大いなる貢献を果たしてきた。とくに、西沢保、藤井賢治、近藤正司はマーシャルやマーシャルの弟子の文書について、また平井俊顕、小峯敦はケインズの文書について優れた調査を行なってきた。
それゆえ、ケンブリッジの経済学を理解するうえでの文書的研究の重要性を示唆するために選んだ以下の3つの事例にたいし、私は日本の読者が興味を示すことを願ってやまない。
第1の事例は、限界分析に反対するスラッファの議論である。これは、彼の未公刊の覚書や関連する資料を調べることによってのみ、それが彼の思考において一貫していることが判明するのである。彼の未公刊の文書は、経済学における測定可能な実体ならびに観察可能な実体、への飽くなき探究、および限界手法が科学的方法をめぐる彼の基準を満たしていないと彼が確信した理由を明らかにしている。長年にわたり、スラッファは自らの批判力に磨きをかけていき、次第に分析の焦点を自らの理論の構築にシフトさせていったが、それは価格を決定するために限界的な大きさを必要としないものであった。
第2の事例は、リチャード・カーンによる短期をめぐる著作のドラフト それは、彼のフェロー資格論文と同一の題名である で、1932年時点で未完成であり、いまも未刊行のものである。同書でカーンは、市場が不完全であるとき、需要の減少が持続すると予想されない場合、短期では完全稼働以下での均衡が生じるかもしれない、と論じた。重要なのは、ある変数、とくに需要水準の正常値についての期待であり、短期とは「短い」時間間隔、あるいは長期の諸力が効果を発揮する前の一時的な状態にすぎないとはかぎらない、ということになる。それはむしろ、選択された変数の予想値に依存する一組の決定が変化しないかぎり維持される状態である。
  草稿、講義ノート、目次および書簡を調べる重要性についての第3の事例は
『貨幣論』から『一般理論』に至るケインズの行程である。ケインズを前者から後者へと導いた過程を通じ、ケインズは一貫して、『貨幣論』の分析は『一般理論』の分析と整合的であり、新しい議論は「ずっと正確で分かりやすく」(『一般理論』77ページ・・・翻訳ページも)したもの、と繰り返し強調した。だが、実際には、基本方程式で提示された『貨幣論』の分析から、有効需要の原理を組み込んだ『一般理論』の分析への移行には、新しい概念の導入や定義の変更が必要となっており、そのことは究極的には、後者のアプローチを前者のアプローチとはまったく異なるものにしている。だが、ケインズは、表面下では本質的な考えは同じである、と読者に信じさせたがった。彼は、前者のアプローチは後者のアプローチと整合的なものであるとして、次のように提示しようとした - a) 『貨幣論』の利潤を、「利潤についての当期の予想を決定するもの」と再解釈する、b) 『貨幣論』での、貯蓄にたいする投資の超過の変化を、有効需要の増加の「1つの基準」として提示する。
 しかしながら、ケインズは、この融和の試みが完全に成功しているかについて疑いをもっていたにちがいない。というのは、『一般理論』の序にあるように、「私自身の考えは、数年間私が追究してきた一連の考えにおける自然な進展であるものが、しばしば読者にたいし、私の考えの混乱した変化と受け止められるかもしれない (『一般理論』p.xxii)、と述べているからである。文書資料を研究することで、われわれは、この問題についてのより良い理解を得ること、ならびにケインズの考えの変化の紆余曲折を跡付けることが可能になるのである。

解釈のための証拠を得るために、そして考えの進展を説明するために、現存する記録やテクストを検討するとき、不幸なことだが、証拠はめったに曖昧でないことはなく、そのうえ、解釈は、入手可能な証拠が何であれ、しばしばそれによって制約を受けるものである。にもかかわらず、資料は刊行されたものへのカギを補足し、そして提供する。それは、関係する経済学者の個性や知的生活についてのわれわれの知識のギャップを埋めてくれる。どの優れた知的伝記も、記録調査に長い時間を費やさずして書くことはできない。だが、関係する著者たちの理論についてのわれわれの理解を増加させるうえでの、それらの価値は何であろうか。これらの活動を一種の古物収集とみる批判者にたいしわれわれはどう応じるべきであろうか。
私の答えは、理論はつねにコンテクストに埋め込まれている、すなわち、理論をかたちづくっている一群の質問、理論が向けられている知的対話者たち、およびそれらの胚芽期における「最先端」のなかに埋め込まれている、というものである。文書や書簡は、問題、仮定あるいは道具の特定のセットが選択される背後にある動機への洞察を提供している。これらが、破棄された解法や破棄された定義が排除されている刊行されたヴァージョンにおいて、陽表的に述べられているとは限らないのである。
いわば、資料文書は、われわれに最終地点を訪問することよりも、そこに向かう道程を旅することを可能にしてくれるのである。

ローマ、2015
著者記す




監訳者あとがき


本書は、ローマ大学 <ラ・サピエンツァ> 教授マリア・クリスティーナ・マルクッツォ教授が長年にわたり研究を続け、執筆してきた経済学のケンブリッジ的伝統をめぐる学術論文15 (うち、2本は共同論文) これらは欧米の主要な経済学史の専門誌や学術書で発表されている からなる論文集である。同教授は、リカードウ研究やケンブリッジの経済学の研究者として国際的に広く知られている経済学史家であり、文字通り世界を飛び回って活動を続けているこの分野の指導的学者である。

ケンブリッジ学派と言えば、ケンブリッジ大学教授アルフレッド・マーシャルを祖とし、彼の経済学 とりわけ『経済学原理』― の教えを受けた弟子筋であるケインズ、ピグーたちを中核に据える一大研究集団、というのが通説的な像であろう。そしてこれらの人々は、イギリスの経済学のみならず、世界の経済学の一大中心 メンガーを祖とするオーストリア学派やワルラスを祖とするローザンヌ学派とともに を形成していた(ただし、マルクッツォ教授は「学派」という呼び方は適切ではないと考え、「グループ」という呼び方を用いている)。
本書で主役として取り上げられるのはマーシャルではなく、何よりもケインズ、ならびに彼より若い経済学者であるカーン、(ジョーン・) ロビンソン、スラッファの4名である。注目すべきは、むしろ若手3名により大きな重点がおかれている それにやや脇役的にカレツキ のが本書の特徴である。これら3名の経済学者がケインズとどのような関係にあり、どのように積極的な理論貢献、あるいは批判的な貢献を遂げたのかが、一次資料を駆使しつつ、さまざまの角度から照射されている。

ここで、次の2点に留意しておくことが肝要である。
第1に、本書では、ケインズの同僚であるピグー、ロバートソン、ホートリーという重要な経済学者は取り上げられていない。ケインズが主役であった当時のケンブリッジにあって、これらの経済学者は、ケインズとさほど変わらない名声を得ていた。ケインズが1936年に刊行した『一般理論』が世界の経済学や政策論に「ケインズ革命」という衝撃を与えたことで、戦後、これら同僚の名声は著しく失墜することになったが、それは歴史を後付けでみた結果である。彼らは当時、自立した経済学者として独自の理論を展開しており、かつケインズとは様々なかたちで論争を展開した間柄であった。つまり戦間期のケンブリッジ学派(もしくはグループ)のシニアの経済学者 ホートリーはケンブリッジ出身だが、大蔵省の官庁エコノミストとして活動した人物であり、環境は他の2人とは異なる は彼らである。
第2に、ではなぜ、彼らより若いカーン、ロビンソン、スラッファが主役として取り上げられているのであろうか。まず何よりも、彼らを主役として取り上げて論じることには、十分の学術的価値があるという点をあげる必要がある。彼らはケンブリッジで生じた3つの経済理論上の革命の直接的関係者もしくは指導者であった。不完全競争理論、有効需要理論(ケインズ革命)、そして資本の限界理論批判(いわゆる「ケンブリッジ・ケンブリッジ論争」へと戦後つながっていく)がそれらである。
カーンとロビンソンは「不完全競争理論」の樹立者そのものである(ある事情で、カーンが今日に至るも完全に影に隠れたままであるのは、不幸なことである)。有効需要の理論においては、弟子カーンは非常に重要な役割を演じている。さらにロビンソンも、有効需要の理論の樹立にさいし「ケンブリッジ・サーカス」などを通じて非常に重要な役割を果たしている。
これにたいし、もう1人の主役スラッファは、非常に特異な位置を占めている。スラッファはマーシャル理論の批判論文を書き、それが「不完全競争理論」への道を拓くことになった。なぜならカーン、ロビンソンは他ならぬスラッファから最初の大きな衝撃を受けたからである。だが、スラッファ自身は「不完全競争理論」の展開には興味をもたなかった。なぜなら彼の根本的な価値論は、新古典派のそれと異なっていたからである。有効需要の理論については、スラッファはほとんど完全黙秘的にケインズに接していた。後年、彼の『一般理論』についての研究メモが出てきたが、そこでは徹底した批判が展開されている。スラッファはこれらの点でカーンやロビンソンとまったく異なった立場にいたのである。最後の「ケンブリッジ・ケンブリッジ論争」はスラッファが1960年に刊行された『商品による商品の生産』が引き金となっている。ただこれは戦後、かなり経過してからの話であり、本書はこれを対象にしているわけではない。

以上のことからも、これら3名の若き経済学者を取り上げることに、十分すぎるほどの価値があることが分かるであろう。
 
にもかかわらず、これら3名の経済学者を本格的に対象にした学説史的研究
は、これまでほとんど存在してこなかったのである。その理由について少し述
べておきたい。
第1に、カーンは、これまで乗数理論の創始者としてのみ知られてきた。彼が、
ケインズの『一般理論』の方向を決めるうえで演じた役割や、ロビンソンが「不完全競争理論」を打ち立てるうえでほとんど共同研究者としての関係にあったことなどは、彼の内気とも言える特異の性格や、寡作であることもあり、ほとんど知られてきていない。
第2に、ロビンソンである。いうまでもなく彼女は「不完全競争理論」の主導者として不動の地位を経済学史上に放っている。だが、彼女は自らの知性の示す方向にきわめて激しい情熱で向かうタイプの研究者であった。そのため、自らが創設した「不完全競争理論」を自己否定し、やがてマルクス理論に、そしてカレツキ的なケインズ理論に惹かれていくことになった。さらに「ケンブリッジ・ケンブリッジ論争」などで、新古典派理論を激しく批判していくことになった。こうした行動のため、ロビンソンを客観的に評価する環境が整わないままになってきたのである。
第3に、スラッファである。彼の基本的立場はマーシャル、ケインズとも大きく異なっており(したがって彼をケンブリッジ「学派の一員」と呼ぶことはできないであろう)、新古典派全盛の経済学界にあって、その後、スラッファの『商品による商品の生産』に依拠する理論 スラッファ理論 はかなりの同調者を輩出したとはいえ、主流派になったことはない(なお、本書での言及はないが、ヴィトゲンシュタイン自らが語っているように、スラッファは、ヴィトゲンシュタインが前期から後期に移る大きなきっかけを与えている)。
こうしたことは、彼ら3名が戦間期のケンブリッジにあって、大きく関わりをもち続け、そして時とともにその関係が複雑に変化していったという事実にたいする関心を、経済学者に向けさせるうえで、大きな阻害要因となってきた。  
本書の特筆すべき点は、まさにこうした点を一次資料を駆使しながら、そして非常に「公平、客観的な読み込み」(つまり、先入観で資料を歪めて取り扱うことなく)を遂行することで、彼らの複雑な関係を明快に分析しているという点にある。

カーン、ロビンソン、スラッファが戦間期にどのような知的議論を展開したの
かについては、本書が詳細に語っているところであり、読者自らにその点を堪
能していただくことにし、紙幅の関係もあり、ここでは監訳者が興味を引いた
点を箇条書きで示すことにとどめる。

(1)  ケインズが『貨幣論』から『一般理論』に向かうさいに、カーンのはたした役割についての分析が優れている。短期における総供給関数の導入と、『一般理論』第3章におけるマーシャル的需給理論の導入が資料的に綿密に検証されている。
この点に関して、カーン自身が「不完全競争理論」を手がけていたにもかかわらず、むしろ完全競争的なヴァージョンでケインズに臨み、ケインズもそれを採用・防衛する方針で後年も臨んだ (ケインズは、不完全競争理論がケンブリッジの足元で展開していたにもかかわらず、無関心であった)

(2)カーン、ロビンソンはケインズ革命の推進に大いに貢献した。「ケンブリッジ・サーカス」での活動は以前より知られているが、それだけではないのである (ミードやハロッドも重要であるが、彼らはオックスフォードに属していた)

 (3) 既述のように、スラッファのマーシャル理論批判は、カーンやロビンソンによる「不完全競争理論」を触発することになったのだが、スラッファ自身は「不完全競争理論」に関係することはなかった。カーンやロビンソンの不完全競争理論はあくまでもマーシャル理論の延長線上にあったからである(カーンが、いわゆる「屈折需要曲線」の創設者の1人であることも、いまに至るも、ほとんど知られていない事実である)。

(4)ロビンソンは、その後、歴史的時間を重視するようになる。そしてカレツキやマルクスの影響を受けるようになり、不完全競争理論にたいし批判的、否定的になっていく(自らの功績自体も否定するまでに至る)。
他方、カーンはカレツキやマルクスの方向には向かわなかった。むしろ
カーンは一次産品案や、国際通貨案など、ケインズが関心をもち、国際舞台で提案していった領域に、自らも関与していくことになった。

 (5) スラッファは、新古典派の限界主義、需給均衡理論を否定する立場に立ち、マーシャルには徹底して批判的であり、価値論を古典派に求めた。だが、戦前、こうした論点をケンブリッジにあって明示的に表明するのは1960年代になってからのことであった。
         
本書を『市場の失敗との闘い』と名付けた理由について、マルクッツォ教授は、
それをケインズ的ライトモチーフおよびスラッファ的市場観の双方に求めている。両者の意図は異なるが、いずれも「自由市場」というイデオロギーに反対した論陣を張っていたという点に求めている。
以上に説明したように、本書は経済学史上、重要なケンブリッジでの革命的できごとを、今日の正統派の立論が主流派となっている知的環境下では忘却されがちな一次資料を駆使してみごとに明らかにしている。本書がポストケインジアン叢書の一巻として刊行されることで、経済学史的な知見が新たに加えられることになったことを喜びとしたい。多くの研究者のみならず読者諸賢が手にされ読まれることを願っている。
本書の刊行をお引き受けいただき、編集を円滑に進めていただいた日本経済評論社編集部の鴇田 祐一氏に謝意を表するとともに、8名の共訳者の優れた訳業にたいし謝意を表する次第である。改めて言うまでもない、本書全体についての責任は最終的には監訳者が負うべきものである。


平井俊顕
2015