2016年1月22日金曜日

まえがき 平井俊顕 (上智大学)






                
             まえがき

平井俊顕
(上智大学)


「ケインズの理論・政策・社会哲学・思想は、<いま><なぜ> 必要なのだろうか。」

本書が問いかけ、答えようとしているのはこの問題である。現在の資本主義経済が抱えている深刻な危機にたいして、ケインズが提起してきた問題が優れて今日性・現在性を有すること、そしてその視点からこの危機に対処していく方向性を見出すことの重要性をみようとするものである。
 「まえがき」ゆえ、とりわけ大きな視点を2つだけ取り上げることにしよう。

第1点:「金融の自由化による世界資本主義の不安定性・脆弱性の露呈」への対処

この30年間の世界経済の動向に最も大きな影響と方向性を与えてきたのは「ネオ・リベラリズム」であり、なかでもそれに支えられて進展した金融のグローバリゼーションである。これは一面で資本の自由な移動により、新興国経済の発展をもたらすことになり、そのことで世界経済の構造を大きく変えるものであった。だが、他面でそれは、金融資本の利己増殖的行為を通じて資本主義システムを不安定・脆弱なものにしていった。その象徴的出来事が20089月に生じた「リーマン・ショック」である。証券化商品の暴走を止める手段はなくなり、シャドウバンキング・システム (SBS)が肥大化するなかで、メルトダウンが発生した。アメリカ、イギリス、EUの各国政府は破綻した巨大金融機関を超法規的手段により救済したが、これは「ネオ・リベラリズム」の破綻劇そのものであった。
 アメリカは、いくたの困難にもかかわらず、20107月、ドッド=フランク法を成立させた。が、それから35ヶ月が経過するも、いまだその具体的実施には困難がつきまとっている。イギリスやEUに至っては、まだ協議段階に留まっている。SBSはリーマン・ショック後も野放し状態であり、世界は第2のリーマン・ショックを防ぐ手段を持ち合わせていない。
  これらの問題にたいして、ケインズの国際清算同盟案 は、きわめて有効な手段である。現在の「ブレトンウッズ2」という名の「ノン・システム」下の国際通貨体制のもつ欠陥を是正し金融の不安定性の除去に立ち向かう方向、ならびに債権国が外貨を蓄積することで世界経済にデフレ圧力をかけのを防ぐ方向が示されているからである。

2点:「超緊縮財政の蔓延」への対処

リーマン・ショック直後から、諸政府はその影響を防ぐべく、これまでとは一
転、大胆な財政刺激政策を採用した。その代表は、新たに大統領になったオバ
マの「アメリカ復興・再投資法」(20092) であり、20094月にロンドン
で開催されたG20サミットでの財政支出政策への大号令である。これらの関係
でメディアの世界でもケインズの名が大きく取りあげられるようになったのは
周知の通りである。
だが、2010年春頃から状況は一変することになった。5月に顕在化したユー
ロにより、ユーロ圏ではユーロ・システムの防衛のため、均衡財政の厳守が前面に打ち出され、20106月にトロントで開催されたG20では、アメリカ以外の諸国による赤字削減、国債削減が支配したのである。
その後、ユーロ圏では南欧圏で次々と経済危機が発生することになった。ユーロ指導部はIMFとともに、ユーロ・システムを防衛するために、これら諸国に巨額のベイルアウトを供与するとともに、その交換条件として過酷なまでの超緊縮政策を強制してきている。ベイルアウト資金はドイツやフランスの大銀行に回り、これらの諸国では、経済を再生するための政策は何も打たれず、国民はリストラ、増税、社会保障の削減のみに喘いでいる。こうした結果、失業率やGDPの下落は第2次大戦後最高レベルに達しており、いまでは極右勢力の台頭というかたちでの社会的・政治的不安が大きな問題になっている。
当のアメリカでも「ティー・パーティ」による均衡財政を中心的なテーマとする運動が大きな盛り上がりをみせていくことになり、11月の中間選挙での共和党の圧勝に至るのである。以降、オバマ大統領は財政支出政策をまったくとれなくなったばかりか、2011年夏には「予算統制法」に同意するはめに陥った。その結果、現在ではシークエスタにより、巨額の支出削減を向こう10年間にわたって実施することが義務付けられている。
 こうした緊縮財政の遂行は、経済を悪化させるばかりであるが、現在の政治家、そしてそれにアドバイスを与える経済学者は、この道をとるのみである。こうしたあり方に異を唱えてきたのがケインズであった。有効需要が減少するなか、需要を拡大するために政府が巨額の財政支出政策をとることは必要であり、しかもそれを世界的に同時に行えば、経済が上昇過程に乗るため、財政問題も改善する、と彼は主張したのである。しかし、現在では、そうした国際的な視点に立った政策への配慮は影を潜めてしまっている。
ところで、アメリカの債務残高の増大は、ケインズ的な財政支出政策の責によるものではない点をここで強調しておく必要がある。アメリカにあってはブッシュ政権時の2度にわたるブッシュ減税、およびアフガニスタン、イラク戦争による軍事支出の激増が根底にある、それにリーマン・ショックのさいの金融機関へのベイルアウトによって債務残高は激増したのである。
ユーロにあっても、南欧諸国の財務状況が大きく問題視されているが、それはユーロ・システムのもつ本当の問題からの逸脱であるように思われる。ユーロ圏の真の問題は、圏内での経済的不均衡 (いわゆる内的不均衡) と成立直後からのヴィクセル的累積過程によるバブルの進行を許した点 しかもメンバー国には打てる経済政策手段を喪失していた に求められよう。ヨーロッパの経済危機は、ケインズ自身が長きにわたって大きな関心を寄せ、様々な立案を提起していた問題である(例えば、第1次大戦後の提案(『平和の経済的帰結』第7章)や第2時対戦時の「中央救済復興基金」案)。現在、ユーロ・システム自体をケインズの国際清算同盟案の方向で改組すべしとする「欧州決済同盟」案も目にすることがある。

 現在、アメリカやユーロ圏が陥っている悪弊からの脱却には、経済思想・経済政策における根本的な転換が必要とされている。そのさいに、ケインズの着想から得られるものはすこぶる大きいのである。

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ケインズ学会は、昨年『危機の中で<ケインズ>から学ぶ』を刊行しているが、本書はそれに続くものである。
 本書は次のような構成になっている。第1部は海外の第一線で活躍中の経済学者に、それぞれの得意とする分野から「ケインズの現代的意義とは何か」について語ってもらった論考で構成されている。第2部は立教大学での講演会「
世界経済の危機的状況をめぐって」、第3部は明治大学で開催された第2回全国大会での特別講演「ケインズ経済学の回顧」 (福岡正夫教授)、第4部は龍谷大学での講演会「ケインズと現代の危機」である。なお、講演会にあっては、1年ほどが経過していることもあり、パネリストの方々には若干のアップデートをお願いしている。  
本書は、多くの方々の協力・賛同により成り立っている。上記講演をご快諾くださった先生方、および明治大学、立教大学、龍谷大学からも多大の協賛を得ることができた。第1部にあっては、翻訳を引き受けて下さった会員諸兄のご尽力、そのほか多くの会員からのボランタリーな協力が大きな支えになった。そして今回も、作品社の福田隆雄氏の企画・編集に多くを負っている。熱くお礼申し上げる次第である。
  本書が、現在の世界、経済理論、思想に生じていることを理解するうえでの一助になれば、担当者としてこれに優る喜びはない。

20141月記す