2017年2月14日火曜日

(第12講) (全16講義のうち)  ハイエクは資本主義をどう 見ていたのだろうか


12
 
ハイエクは資本主義をどう
見ていたのだろうか

   -「現場の人」と情報伝播としての「価格システム」-





                           平井俊顕


1. はじめに

ハイエクの市場社会観を検討してみて浮かび上がってくる重要な特徴、それは彼が自らの立論を、絶えず2つの敵 (外なる敵と内なる敵) との戦いを続けながら展開しているという点である。外なる敵はハイエクのいうところの「設計主義的合理主義」思想であり、彼は自らの自由主義思想の視点からそれらに対し徹底した批判を展開し続けた(その対象としては、マルクス、サンシモン、コントといった純粋な「設計主義者」だけではなく、ケインズ、シュムペーター、ミュルダール等も含む)。内なる敵は経済学の世界で支配的であるところのワルラス経済学の市場社会観であり、彼は (メンガーに始まりミーゼスに継承されたものとしての) オーストリア学派の視点からそれにたいし警鐘を鳴らし続けた。そしてこうした双方向への戦いの根底にはハイエク独自の自由主義哲学、ならびに市場社会観が存在する。
 通常、ハイエクを論じるさい、論者の関心は圧倒的に前者の側面におかれてきたといってよい。だがハイエク (さらに広くはオーストリア学派) の社会哲学を理解するには、後者の側面に注目することも、劣らず重要である。この点は、近年のネオ- オーストリア学派の台頭によって証明されている。
 「ハイエクの経済学は正統派たるワルラスの経済学とは性質を異にする」。このことは、彼が独自に、ミーゼスの立論を継承しながら『価格と生産』(Hayek [1931])で提示した貨幣的経済理論を検討してみることによって、明らかにされる。興味深いことに、それは貨幣数量説や古典派の2分法を明確に否定した「ヴィクセルコネクション」の系譜に属している。そしてこの点では、ハイエクとケインズは同じ岸に位置しているのであって、1930年代の前半において両者のあいだにあの激しい-そして感情的対立を伴う-有名な論争が展開されたという事実に幻惑されることがあってはならないのである。貨幣的経済理論をヴィクセルの「累積過程の理論」に依拠しつつ展開したという点に関するかぎり、「自由主義者」ハイエクはその論敵である「集産主義者」ケインズやミュルダールと軌を一にするばかりか、フィッシャーやフリードマンの対岸に位置しているというべきなのである。したがって1980年代における「新自由主義」の領袖の一人として改めて大きな注目を浴びることになったハイエクと「マネタリスト」フリードマンのあいだには、「自由主義」の擁護という思想上の共有点がある反面、経済理論家としては非常な懸隔が存在する。
 本講ではハイエクの市場社会観を対象に、次の2つの側面から検討することにしたい。最初に、ハイエクが市場社会をいかなる本性をもつものと理解していたのかをみる。続いて、ハイエクの市場社会観をその根底にある思想的立場である「自生的秩序論」との関係で、批判的に検討することにする。


2. 市場社会の本性

ハイエクは、メンガーやミーゼスが展開したオーストリア学派的な立場を踏襲しており、市場社会を諸個人の行為の意図せざる進展の結果成立した社会的制度ととらえている1。市場社会は諸個人に自由と正義を提供保証する場として絶対的な重要性が付与されている。それは原理的な重要性をもつものであって、便宜的なものと位置づけられてはならないとされる。ハイエクにあっては、市場社会は人類の到達しえた最良の社会形態であり、それを侵害するような行為はすべて「隷属への道」につながるとして断罪されることになる。
 この考えを包摂するハイエクの社会哲学は「自生的秩序」論の名で知られるものであり、2つの基本要素「個人主義」と「発生論的組織論」を内包している。第3節で市場社会という機構を「自生的秩序」論との関係で論じることにし、本節では、市場社会の機構がハイエクによってどのように理解されているのかに焦点を合わせることにしよう。

2.1 経済主体現場の人の知識

市場社会で生活し行動する最も重要な構成単位 (意思決定主体) は個人である。ハイエクによれば、それは彼の周囲についての限られた知識をもとに行動する存在である。このことは次の2点を含意している。
第1に、いかなる個人も社会全体をみとおす能力はないという認識である。

……われわれが利用しなければならない諸事情についての知識[]、集中された、あるいは統合された形態においてはけっして存在せず、ただ、すべての別々の個人が所有する不完全でしばしば互いに矛盾する知識の、分散された諸断片としてだけ存在する……(Hayek [1945a] p.53)

市場社会にいる諸個人は、非常に不確実な状況下で活動している。人間は非合理的な存在であるという認識こそが、ハイエクの人間観の根底に存在するものであり、これがハイエクのいう「個人主義」の出発点である。
 第2に、「知識」の内容規定が問題となる。ハイエクがここで問題にしているのは「科学的な知識」ではなく、「時と場所の特殊情況についての知識」である。それは諸個人がそれぞれの職業をつうじて経験的に獲得していく「現場の人」の知識2である。諸個人はその点で他の人にはない特有の有益な情報を保有しており、そしてその情報に基づいて意思決定を行う存在である。「現場の人の知識」の特徴は、絶えず小刻みに変化を遂げていくという点にある、とハイエクは述べる。そうした変化が存在しないとすれば経済問題は生じてこない。この変化に社会が急速に適応していくことができるための唯一の方法、それはこの事情を最もよく知っている諸個人に問題の解決を委ねるというものである。
  以上にみたハイエクの社会哲学の根底にみられる個人像3は、ベンサムの功利主義4や、ルソーの社会契約論 (さらにはそれを蘇生させたロールズの正義論) が想定する個人像とは、性質を異にしている5

2.2「価格システム」情報の伝播機能
 
市場社会における諸個人を上記のように規定したからといって、ハイエクは、こうした諸個人で構成される市場社会をアナーキスティックなものと考えているわけではない。彼は、「人間の諸事象にみられる大部分の秩序を諸個人の行為の予期せざる結果として説明」(TF, p.9) できるという見解、すなわち「自生的秩序」論をもっており、市場社会もその典型的事例と考えているからである。
  ハイエクによれば、「自生的秩序」の典型的事例とされる市場社会が、限られた知識しかもちえない存在である諸個人を連結させて、1つの「秩序」として信頼するにたる機構となっているのは、それがもつ「価格システム」のおかげである。そこにおける諸個人は2つの要因 – (i) (限定されてはいるが)「現場の人の知識」、 ()「価格システム」が与えてくれる価格についての情報に依拠して経済的決定を行う。

現場の人」は彼に直接かかわる周辺の事実についての限定されてはいるがよく通じている知識を基礎としてだけでは決定することはできないヨリ大きな経済システムの変化の全パターンに彼の意思決定を適合させるために必要であるような彼の周辺の事実を超える情報を彼に伝達するという問題がまだ残っている (Hayek [1945a] p.63)

この問題を解決するのが「価格システム」である。ただし、個人が関心を払うのはつねに自己に関連をもつ「特定の諸財の相対的重要性」だけである。当然、それは限定された情報知識であるが、それと「現場の人の知識」に基づいて各個人は意思決定を行う。
  市場社会はこうした意思決定を行う諸個人によって形成されている。諸個人の独立した意思決定を調整し、1つの市場として機能することを可能にしてくれるもの、それが価格システムである、とハイエクは考えている。

関連のある諸事実の知識が多くの人々のあいだに分散しているシステムにおいては、 …… 根本的には価格がさまざまの人々の別々の行動を調整する役割を果たすことができる。…… 全体がひとつの市場として働くのであるが、それは市場の成員たちの誰かが全分野を見渡すからではなくて、市場の成員たちの局限された個々の視野が、数多くの媒介を通して、関係ある情報がすべての人に伝達されるのに十分なだけ重なりあっているからである (Hayek [1945a] pp.65-67)

注意すべきは、市場社会を構成する諸個人は完全に孤立した存在とはみなされていないという点である。ある情報は、その情報に敏感に反応する人々の行動を喚起し、その結果発生する新たな情報は、さらにその情報に敏感に反応する人々の行動を喚起していく。こうして情報が次々に伝播されていくことにより、経済に時々刻々生起する変化があらゆる成員のあいだに伝わっていく。こうした情報は実際には「価格」という形態をとる。不完全な情報と知識しか保有していない諸個人を、価格を中心とした情報を伝播していくことを通じて社会的に結合させているもの、それがハイエクのいうところの「価格システム」である。
 この「価格システム」には次のような優れた点がある、とハイエクは述べている (i) 非常にわずかな知識でもって作動できる能力、() 資源の調整された利用を可能にする能力、()「変化」に対処するのに適した能力。
                         
もしわれわれが問題に関連するあらゆる情報を所有するならば、もしわれわれが所与の選好体系から出発することができるならば、そして、もし、われわれが利用できる手段についての完全な知識を握ることができるならば、残る問題は純粋に論理の問題である。…… この最適問題の解法を満たす諸条件は、…… どの二つの商品あるいは生産要素の間の限界代替率も、それらの相異なる用途すべてにおいて等しくなければならない、ということである。しかしながら、これは社会が直面する経済の問題では決してないのである (Hayek [1945a] p.53)

ハイエクの描写する市場社会は、ワルラス的な市場社会と比べると、非常にリアリスティックである。市場社会を構成する諸個人は不確実な情報と「現場の人の知識」を有する存在であり、そしてそうした諸個人のあいだを媒介するものとして「価格システム」が考えられているからである。そこには何ら恣意的な理論構成はみられない。そしてハイエクが市場社会のもつ利点として次の点を強調するとき、たしかにわれわれはそのことを認めないわけにはいかない6

…… 現存システムの一定の特徴たとえばとくに、個人が自分の職業を選択することができ、したがって、自分自身の知識と技能を自由に使える広汎さのようなが維持されうる代替的システムを設計することにいままで誰も成功していない …… (Hayek [1945a] p.71)

ケインズの場合、市場社会は、「似而非道徳律」の支配する社会であり、それが正当化されるのは「経済的効率性」の視点からのみであった。そしてケインズの場合、市場社会の後に来るべき社会がどのようなものになるのか、そして「似而非道徳律」を打破した社会が、どの程度職業選択の自由を保証しうるものになっているのかが明らかにされているわけではない。これに対し、ハイエクの場合、「金もうけ」を根底にする醜い道徳律の支配する社会というイメージはない。価格システムは「金もうけ」を最大の特性とするシステムとしてはとらえられていないのである。

2.3 競争の機能予見せざる変化の動因

ハイエクの「競争」概念ではこうした「価格システム」にあって「競争」はどのような機能を演じると考えられているのであろうか。「現場の人の知識」や「価格システム」と同様に、ハイエクの考えている「競争」は非常にリアリスティックな概念であって、「議論を地上に引き戻して現実の生活の諸問題に注意を直接向けようとする」(Hayek [1946] p.77) 観察眼に根ざしている。
  「競争」は広告、値引き、生産される財やサービスの改善を通じて評判と愛顧を求めようとする行為である。こうした競争の過程を通じてのみ、人々は何が、そしてだれが自分たちにとって役に立つのかを知ることができる。こうした知識ないし情報は、当初から所与として与えられているものではない。それは競争の過程の産物として獲得されていくものである。

  競争は本質的に意見の形成の過程である。すなわち、われわれが経済システムを一つの市場として考えるときに前提している、経済システムの [もつ] あの統一性と連関性を、競争は情報を広めることによって創り出すのである。競争は、何が最も良く最も安いかについて、人々がもつ見方を創り出す。そして人々が、少なくとも、いろいろな可能性と機会について現に知っているだけのことを知るのは、競争のおかげである7 (Hayek [1946] p.98)

競争がもたらす知識情報は不完全で部分的なものでしかない。なぜなら、本性的に経済主体は不確実な知識しか保有しえない存在であるという状況を、競争は変えるものではないからである。競争はそうした状況下に確実な知識情報を諸個人に追加注入するのであるが、それは関心をもつ特定の諸個人にたいしてのみ有効なものであって、あらゆる経済主体に有効というものではない。
「競争」には、当然、様々な強度のものがある。「競争」が激しければ激しいほど、伝播する情報知識の量、関与する経済主体の数は大きくなるであろう。「競争」は1つの予見されざる変化を市場経済にたいして与える。この変化を受けて、諸経済主体は自らの意見を調整形成し直し、そして新たな意思決定を行っていく。激しい「競争」は予見されざる激しい変化を市場経済にたいして与えることになる。
 逆にきわめて弱い「競争」の場合、そこでは伝播される情報知識の量、関与する経済主体の数はきわめて小さい。しかし、それはそれで重要な機能を演じているのであって、とくに処々にこうしたきわめて「弱い」競争が存在しているような場合、全体としては、競争のもつ情報伝播能力はきわめて高いということになる。
  競争」と「価格システム」とはどのような関係にあるのであろうか価格システム」は情報伝達のシステムであるとハイエクはとらえていたこの特質が現実化するためには「競争」は取り去ることのできない要素である競争」があってはじめて予見されざる変化が経済システムに生じそれに応じて諸経済主体がそれに適応しようとして新たなる意思決定を行っていくことが可能となるそのさいに予見されざる変化」は通常は価格の変化というかたちで価格システム」を通じて伝播していくのである価格システム」という受け皿は競争」という原動力 (moving force) があってはじめて「情報伝達システム」として機能する
ことができる。
 
では、「競争」は存在するが、「価格システム」は硬直的な状態にある場合はどうであろうか。このような場合でも、市場経済はそれなりにうまく機能しうる、とハイエクは考えているようである。「競争」が存在するため、「価格」を含めた情報は発信される。ただ「価格システム」が硬直的であるため、「価格」を通じて行われる情報伝播の能力は落ちるが、ゼロになるというわけではない。
 「競争」概念についてのハイエクの考え方を理解するうえでは、さらに次の2点に留意する必要がある – (i) 「競争」が機能するのは、「均衡」の状態においてではなく、ある「均衡」と他の「均衡」のあいだの期間においてであること、(ii) 「競争の過程が連続して働くのは、変化の速度に比べて適応が緩慢な市場においてだけ」(MC, p.94) であり、かつそのような市場が常態であること。

ワルラス的「競争」観批判ハイエクの市場社会観が、ワルラス的な市場社会観と著しく異なる点は、「競争」というタームにも画然とあらわれている。両者の相違は次の言葉に明瞭である。

…… 一般の見解はいまもなお経済学者たちが現在使用している競争の概念を意味深いものとみなしそして実業人の競争の概念を誤用として扱っているように思われるいわゆる「完全競争」の理論が現実の生活における競争の有効性を判定するための適切なモデルを与えておりかつ現実の競争が「完全競争」から離れる程度に応じて現実の競争は望ましくないものであり有害でさえあるというふうに一般に思われているように見えるこのような態度を正当づける根拠はほとんどなにもないと私には思える完全競争の理論が論じていることはともかくも「競争」と呼ばれて然るべき権利をほとんどもっていないことそして完全競争理論の結論は政策への指針としては役に立たない (Hayek [1946] pp.77-78)

今日でもそうであるが、正統派のミクロ経済学では、「完全競争」にたいする深い思い入れが根底にある。そしてこの「参照基準」からの乖離により、いかに資源配分が「歪められている」のかを判定しようとする。ハイエクは経済学のこうした傾向にたいし、批判的な警告を発しているのである。市場社会の働きにおいて重要な意味をもつ真の「競争」は、これらの完全競争を参照基準とする経済学ではほとんど何も論じられていない、と彼は考えている。そしてここでも「実業人の競争の概念」のなかにこそ「競争」の本来の意味があるというリアリスティックな立場が貫かれている。
ハイエクはワルラスの「一般均衡理論」を承認していないといっ
てよい。ハイエクの価格理論は、市場社会を構成する諸個人の特性(「時と場所の特殊情況についての知識」をもつ人) 、価格システムの特性(情報伝達システム)、競争概念 (変化の原動力) 、均衡分析にたいする批判的評価といった経済学の基本的論点において、ワルラス経済学とは対照的であるからである。むしろハイエクの価格理論の依拠する市場社会観には、戦間期に重要な景気変動論を展開した「ヴィクセルコネクション」 (貨幣的経済論) と共有する面がある。

2.4 リアリズムとイデアリズムの葛藤:フェイズ
 
これまでの検討から明らかなように、ハイエクの描く市場社会は非常にリアリスティックであって、「かくあるべし」という理想像を描こうとしたものではない。「現場の人の知識」とか「実業人のイメージする競争」といったものが、ハイエクの市場社会把握の重要なキーコンセプトになっている。市場社会は流動的であり、不確実性に満ちあふれ、そして絶えざる変化をこうむる社会として描かれている。
  しかし、われわれはここで立ち止まって考えてみる必要がある。ハイエクの描きだした既述の市場社会像には、次の2つの問題が潜んでいるからである。

  (i) ハイエクの視点からみて市場社会の「本質的な」(冷徹にいえば「都合のよい」)要因だけで構成されている。

したがって、それは定義上、肯定的な価値評価を当初から含有している。実際、ハイエクはそうした点を彼のいう「設計主義的合理主義」批判を展開するさいに陽表的にもちだしてくるのである。

  (ii)「現実の」市場社会に存在する重要な要素が捨象されるかたちで概念構成がなされている。

「現実の」市場社会には、株式会社組織の巨大化、国家の果たす役割の増大、半自治的組織の増大、トラストやカルテルの増大、労働組合組織の巨大化といった現象が明白に認められ、しかもそれらが市場社会の決定的な意思決定主体になってきているといった事実は、ハイエクの市場社会像からは意識的に排除されてしまっている。これらの組織は、後述するハイエクの「自生的秩序」論からは、いわば「不純物」として断罪されるのであるが、かといってそのように扱うことの根拠が明らかにされているわけではない。

  したがって、ハイエクの市場社会像は「リアリスティックな」視点からとらえられているにもかかわらず、同時にそれは「理想化」されたものであって、「現実の」市場社会に現出しているその他の本質的に重要な現象を「リアリスティック」にとらえることには失敗している。「イデアルティプス化」された「市場社会像」を理想的な市場社会と同一視し、そこからの逸脱は自由からの逸脱であるとか、隷従への道であるとか主張するさいに、現実の市場社会を狭く解釈しすぎているという危険性をつねにはらんでいる。重要なことは、現存する市場社会を、巨大企業組織や巨大労働組合が重要な機能を果たしているという事実を視野に入れ、それらを前提にしたうえで、市場社会がいかに機能しているのか、そしていかに機能すべきなのかを検討することであろう。こうして「リアリズム」の強調からスタートしたハイエクの市場社会像は、いつの間にか「イデアリズム」の色彩を帯びてしまっているの (このことを「リアリズムとイデアリズムの葛藤:フェイズ」と呼ぶことにしよう)
 「現実の」市場社会に存在する上記の重要な諸現象をそのまま「リアリスティック」にとらえることで、市場社会のあり方を考察するという立場は、「ニューリベラリズム」(ホブソンやケインズもこのなかに含まれる) や制度学派の流れに沿った人々によってとられた。ハイエクがこうした流れに猛然と抵抗したことは、以上の彼の立論からすれば当然のことであったといえよう。





3. 自生的秩序としての市場社会
リアリズムとイデアリズムの葛藤:フェイズ

ハイエクは、自らが描いた市場社会像を肯定的に評価する。それは可能なかぎり「純」なかたちで実現維持されねばならないものであると考えられている。流動的であり、不確実性に満ちあふれ、絶えざる変化に取り巻かれた社会である市場社会は、なぜ弁護に値するのであろうか。これまでの議論の範囲内でハイエクがあげている理由は次のようなものであった。

(i) 経済的理由「情報伝達」機構としての経済性、分割された知識を基礎とする資源の調整された利用が可能。「変化」に対処するのに適した能力。
() 社会哲学的理由分業に基づく職業選択の自由の保証された社会。

  ここで興味深い問題は、ハイエクは、市場社会は自らを安定化させる内在的な力があると考えていたのかどうかという点である。この点に関して、ハイエクの市場社会論は本質的にリアリスティックなものであって、市場社会に自らを安定化させる内在的な力があるということを論証しようとした形跡は認められない。市場社会は時々刻々、予見せざる変化の発生とそれにたいする調整を通じて動いていく変転きわまりない、躍動感にあふれたシステムである。市場社会は、そうした変化とそれにたいする調整を経済的な「情報伝達」機構を通じて効率的に遂行していく。
だが、それは何か究極的な均衡状況に向かう過程として把握されたり、論証されたりしているわけではない。ハイエクの描く市場社会には基本的に目的論的発想は存在しないのである。むしろ、上記のような理由からだけでも、市場社会は擁護さるべき十分な価値を有しているのであり、それが安定的傾向を有するかいなかは証明できるものでもないし、証明する必要もないハイエクはこのように考えていたようにも思われる。
 ハイエクが市場社会にある種の安定化能力があると主張する根拠は、じつは別のところにある。すなわち、市場社会は「自生的秩序」(の代表的な事例) であるというのがそれである。
  「自生的秩序」論8はハイエクの根本的な社会哲学観である。そしてこれこそがスミス(「自然的自由の体系」) 、古典派新古典派 (功利主義) の社会哲学観と異なる固有のものである。「自生的秩序」としての「価格システム」をハイエクは次のように説明している。

…… このメカニズム [] 人間の設計の産物ではない ……、かつ、このメカニズムによって導かれる人々が、なぜ自分たちがしていることをするように仕向けられるのかを通常は知らない ………… すなわち、問題はまさに、資源の利用の範囲が誰か一人の人の管理能力の範囲を超えていかにして拡大するかであること、そしてそれゆえにいかにして拡大するかであること、そしてそれゆえにいかにして意識的管理の必要を省くか、そしていかにして、個々人に彼らの為すべきことを誰かが命令する必要なしに望ましいことをさせるような誘因を与えるか、である …… (Hayek [1945a] p.69)

「自生的秩序」は人間が意識的に創造したものではないとされる。諸個人の自発的な行為の結果ではあるが、彼らの行動の意図せざる結果として生み出されたものである。この発想は、人間の創造物ではあるが、どの人間にもその創造についての責任と貢献は帰せられない、というものである。しかも「自生的秩序」は、いったん発見された以上は、必ず守っていくべき価値をもつものとして高い評価が付与されている (社会的に意図せざる結果として創出された制度であっても、それが「ハイエク的基準」からみて「優れた」制度でない場合には「自生的秩序」とは呼ばれていない点に注意が必要である)

われわれがここで出会う問題はけっして経済だけに固有なのではなくほとんどすべての真に社会的な現象言語およびわれわれの大部分の文化的遺産に関して生じるのであってまさしくすべての社会科学の中心的理論問題を構成する…… われわれは自分では意味がわからない公式記号規則を絶えず利用しそれらの使用を通してわれわれ各自が所有しているのではない知識を利用するわれわれはそれぞれの領域でうまくいくことが明かされた慣習や制度を頼りにしてこうした常習的行為制度を発展させてきたのでありそしてそういう常習的行為や制度が次にはわれわれが作り上げた文明の基礎になったのである (Hayek [1945a] pp.69-70)

  ここに示されているように、「自生的秩序」論は、すべての社会科学の中心的理論問題を構成するとされている。市場、貨幣、言語、都市といったものが、この点の例証としてよく取り上げられる。それらの発展には、特定の個人の力や設計は何の意味ももたないものとされる。ただ関係するのは「うまくいくことが証された慣習や制度」である。
 諸個人の意図せざる結果として生み出され、そしてそれが「うまくいくことに」気づいた場合に、人々はそれを常習化していく。こうして成立した「慣習や制度」がもとになって、さらに諸個人の意図せざる結果が生み出されていく。こうしてハイエクの市場社会が安定的であるのは、そのシステムがもつメカニズムに内在する要因によるよりは、むしろ「うまくいく」ものとして「慣習や制度」によって保証されてきたことによるとされている。
 しかし、ここでもわれわれは立ち止まって考えてみる必要がある。「自生的秩序」論そのものの妥当性という問題である。
 第1に、自生的秩序という概念は、ハイエクの視点からみて、価値があるもの、善なるもの、という価値評価を内包している。人間社会に存在する組織のなかには、ある視点からみて、価値のないもの、悪なるもの、も存在するのが現実である。犯罪組織、暴力団、科学技術の悪用といったことに、われわれは事欠かない。そしてそうした組織も、ある意味では諸個人の「意図せざる」成果として出現してきたのだといえる。しかしハイエクの自生的秩序には、これらのものはすべて排除されており、「有益である」ことを偶然に発見した人間がそれらを「慣習」を機軸にすえて発展させてきたもののみを「自生的秩序」として取り上げるのである。だが「自生的秩序」と「非自生的秩序」をどのような規準により識別することができるのかについて、ハイエクは何ら具体的な基準を提示してはいないように思われる9
  2に、自生的秩序であげられている事例、例えば、都市について考えてみたとき、世界の多くの都市が、一人の為政者の企画によって建設され、それが何百年にもわたって存続してきているという事実に遭遇する。「東京」を例にすれば、徳川家康という一人物の手になる設計が決定的な意味をもっていることは、だれも否定できないであろう。
 第3に、人々の意思とは独立に生成発展してきた発生論的組織としての「自生的秩序」はできるかぎり「純」なかたちで実現維持されねばならない、という価値観が陽表的に導入されている8。すでに、ハイエクの市場社会像自体、リアリスティックななかにもイデアリスムが浸透しているということを指摘したが、ここでは、イデアリズムは陽表的になっており、その分独断的になっている。そして現実の市場社会が「自生的秩序」としての市場社会からますます乖離していくという動きが19世紀の末から第2次大戦にかけて進行していった様子をハイエクが「隷属への道」として断罪するとき、そして「自生的秩序」の実現に妨害を加えるような行為は文明の自殺行為であるとハイエクが声高に唱えるとき、彼は明白な観念論的保守主義に陥ってしまうのである。ここに至って、「リアリズムとイデアリズムの葛藤」は「フェーズ」に到達しているといえよう。

自生的秩序論の系譜 ハイエクは「自生的秩序」論 (=「真の個人主義」)
根源をマンデヴィル10、ヒューム、ファーガソン、スミス等に求めている。
自生的秩序」についての以下の考えは、メンガーのいう「有機的社会観」
から継承されたものである例えばメンガー (Menger [1937] p. 254 ならびに
メンガー (Menger [1986]) 3編 第2章「けっして合意または実定的立法の産
物ではなく、歴史的発展の無反省的な結果であるあの社会現象の理論的理解
について」の4「社会発展の無反省的な結果であるあの社会現象の起源の精
密的原子論的)理解について」で展開されている (とくに貨幣、集落、国
家、分業、市場を論じたpp.157-167を参照) 。なお、貨幣の起源について、ミ
ーゼスは明確にこの考えを継承している。 ハイエクの「自生的秩序」論で
は、抽象性、ならびに、消極的概念としての徳性が重視される11


         4.  [補論] オーストリア学派の諸特性

ここで、オーストリア学派の諸特性についてみておくことにしたい。まず経
済理論面について。(i) オーストリア学派は「古典派の二分法」を採用してい
なかったといってよい。ヴィーザーの場合、明確に貨幣数量説を批判してい
(Mises [1980] pp. 101-102 を参照)。ミーゼスやハイエクは「古典派の二分
法」を意識的に批判し、新しい貨幣的経済理論を構築しようとした (ミーゼ
スが継承発展させようとしたのはメンガーの貨幣理論である)(ii) オース
トリア学派は 需給法則そのものを否定しているか、もしくは重視していな
い。メンガーは主観価値説 (限界効用理論) の立場から交換現象生産現象を
説明したが (帰属理論) 、そこには均衡理論の発想はなかった。交換が均衡に
よって達成されるという着想をメンガーは採用していないのである (イエ
[1986] p. 179を参照) 。この点はヴィーザーにも認められる (Wieser[1904] p. 514 を参照) 。オーストリア学派は主観価値説を徹底させようとした
のであって、均衡理論に立脚しようとしたのではない。
    次に思想面について。オーストリア学派の人々はどの程度の自由主義者で
あったのであろうか。メンガー、ベーム-バヴェルク、ヴィーザーのスタンス
はミーゼスやハイエクのスタンスとは異なっているように思われる。前者は
ある程度、ホブソン的な意味での「ニュベラリズム」的な思想をもっ
ていたのではないだろうか。とくにベーム-バヴェルクやヴィーザーは元々歴
史学派から出発しており、ヴィーザーにあっては実際にも「制度学派」的な
発想を展開している点に注意が必要である12。後者はメンガーの思想のある
側面を徹底させるなかで、他の要素を棄却したともいえる。
 オーストリア学派のもつ視点は、制度学派による正統派批判とさえも、い
くつかの重要なスタンスにおいて共通点が存在する。 (i) 経済を「進化的
程」(evolving process)であると考える立場13から、均衡への収束を重視する 
正統派にたいし激しい批判を展開している点、(ii) 貨幣数量説を批判してい
る点、がそれらである。


5. むすび

一言で要約すれば、ハイエクの市場社会論は「リアリズム」(「現場の人の知識」、「価格システム」、「競争」という3つの枠組みによる把握)と「イデアリズム」 (3つの枠組み以外の要素の排除、および「自生的秩序」論による弁護) の狭間で宙づりになっている12



  1) この見解は発生論的である。この視点は (正しいと評価される) 制度が諸個人の行為とは独立に生成発展してきたことを強調するものであり、(悪いと評価される) 制度の生成発展については適用されていない(詳しくは第3節を参照) 。したがって社会制度の歴史的変遷を把握するうえではこの視点は適切さを欠くことになる。この点は、シュムペーターやケインズが何らかのかたちの発展史観を有していたのとは対照的である。
 2)「現場の人の知識」は、M.ポランニー [Polanyi [1966] の「暗黙知」に相当する概念である。
 3) Hayek [1960] では、自由を「理性」 (合理主義)でとらえる立場と「伝統」(反合理主義)でとらえる立場があるとしたうえで、後者が正しいという主張が示されている。すなわち、フランス「理性」派を徹底的に糾弾し(それは全体主義への道)、スコットランド啓蒙を全面的に支持する、という立場である。この意味で彼は「反合理主義」者である。
  4) この点で、論敵ミュルダールが古典派新古典派経済学の根底を規定している功利主義哲学 (および自然法哲学) を「空虚」(vague) であり「虚偽」
(false) である、と論じる姿勢 (Myrdal [1953] p.21を参照) と、ある種の共有点がみられるのは興味深い。
  5) Hayek [1942]が「マインドの哲学」を有していることも注目に値する
での重要な主張は、自然科学のいう事実と社会科学のいう事実とは、全く異な っているという点である。社会科学の事実とは、人々の行為や社会現象を説明するさいに、われわれ自身の精神 (mind) に訴えかけることによってのみ形成されるものである、という考え方が強調されている。「われわれは皆、・・・、われわれの精神のアナロジーで他の人々の行動を解釈することができ、ほとんどの事例においてこのプロシージャは機能する、という前提のうえで、つねに行動している」(p.64) 。この点で、ホートリーの「アスペクトの理論」と通底するものが認められる。
6) Hayek [1947] は、リベラリズムの概念を、意外なかたちで論じている点で注目に値する。政府活動や理性的な設計にたいしてのハイエクの否定的な姿勢がみられないからである。この論文のタイトルの意味するところだが、野放図な自由 (これが “  “ 書きの自由の意味するところだ) による「企業」はむしろ重要な競争的秩序の機能を損ねているというものである。そして政府が何もしないこととしてリベラリズムを解釈することは、社会主義者の行ってきたことと同様に、競争的秩序を損なうものであった、と述べるのである。そしてリベラリズムとして、競争的秩序を有効に機能させるように政府は政策をとるべしという考えを主張している。
7) Hayek [1968] では、「競争を、それに訴えることなしではだれにも知られることのない、あるいは少なくとも利用されることのないような事実についての発見的手続き」とか「競争行動を決定するのは、われわれが事前にはそれらの事実を知らないという事由による」(p.179) と述べられている。
8) ハイエクは自らが提唱する「自生的秩序」論にたいして、その対極に位置するものと規定した「設計主義的合理主義」(=「偽の個人主義」) に敵意を燃やし続けた。この用語は、社会は1人の人の手によって設計されることによってのみ理想的合理的な状態を実現できるとする考え方として定義されており、デカルト、ルソー、ベンサム等が代表とされる。ハイエク(1952)では、「設計主義的合理主義」にたいする批判対象として、とくにフランスで発生した社会主義を取り上げている。そこでは、当時支配的であった「理工科学校」に具現される思想を検討したうえで、サン-シモン、アンファンタン、コントを槍玉にあげている。ハイエクはこの考えを、(誤てる) 「科学主義」という言葉を用いて厳しく批判するのである。自然科学の研究において発展してきた研究方法を社会科学の領域に無批判的に適用することは、前者の対象が客観主義的集団主義的「歴史主義」的方法で分析できたとしても(ハイエクはその点は認めている)、その方法を人間行為を研究対象とする社会科学(ミーゼス流にいえば「プラクシオロジー」)に適用しようとするのは誤てる方法であり、「理性の乱用」であると断罪される。社会科学は主観主義的方法論的個人主義的構成的方法で分析されなければならない、とハイエクは主張するのである (彼は、資料をいくら収集してもそれは証拠にはならないと考えている。行為する人間という個人の立場に立った認識によってのみ、真実の把握は可能となると考えるのである)。なお、ロビンズは、19世紀イギリスの功利主義を「偽りの自由主義」と呼ぶことに反対している。Robbins [1961] pp.98-99を参照。
9)ハイエクがこうした疑念にたいし応答している数少ない箇所に次のものがある。「読者はおそらく、もし自由の政策が、意識的なコントロールをそれほどまでに禁止することを要求・・・するならば、いまや、社会的事象の秩序において理性によって演じられるものにどのような役割が残るのか、と思われることであろう。第1の回答は、もしここで理性の使用にたいし適切な制限を求めることが必要になった場合、これらの制限を見つけることは、それ自身、理性の最も重要で困難な遂行である、ということである(Hayek [1960] p.69)つまり、理性がその役割に制限を設けることはできないであろう、という回答である。
これらの考察はもちろん、社会で成長してきたすべての道徳的信条のセットが有益であるということを証明するものではない。・・・ただ、究極的な結果だけが、集団を導く理想が有益であるか破壊的であるかを証明することができるのである(Hayek [1960] p.67)究極的な結果として、歴史には連綿と破壊的な「非自生的秩序」が存在しているわけで、それを「自生的秩序」と識別する基準はやはり必要になってくるであろう
10) なおケインズは『一般理論』においてマンデヴィルを引用しているが (pp.
359-362)、それは貯蓄を旨とする社会の陥る貧困と、悪徳と奢侈に耽る社会
の物質的繁栄 (まさに18世紀の「商業社会」!)とを対比して描写した箇所で
ある。そしてこれが風刺詩「ブンブンうなる蜂の巣」の主題であった。因み
にミュルダールはこの詩を「調和説」を破壊したものとして高く評価してい
(Myrdal [1953] p. 45を参照)
11) 間宮 [1989] はこれを「不在の体系」と表現している。
12) ヴィーザーについては八木 [1988] 4章「ヴィーザーとオーストリア自由主義」を参照。
13) Hayek [1960] 自らの見解を「進化論」と表現している。ただし、それはダーウィンの生物学的な進化論とは異なり、慣習や伝統の蓄積過程としてとらえるものである。「・・・社会的進化においては、決定的な要因は、選択 (淘汰) ではなく、成功した制度や慣習の模倣による選択である」(p.59)


(本講で用いる引用文は田中田中編訳 [1986] による [本書の様式に合わせ若干修正])

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