2017年2月12日日曜日

第9講 (全16講義のうち) 地政学的視座に立って見る




(表示が乱れている個所がありますが、原因不明のため、修正できない
状態にあります。下記のサイトに同じものがあります。こちらは問題ありま
せん。)

   http://fanblogs.jp/olympass/archive/48/0
       




9

地政学的視座に立って見る

 三極体制の出現とグローバリゼーションの変容

      


                      平井俊顕




1. はじめに

本講で扱うのは、この30年間の世界を、とくにグローバリゼーションの変容
という点に注目しながら、地政学的視点から特徴づけることである。

こうした現象は、経済学特有の領域から分析できる問題ではない。地政学
な視点を組み入れることが不可欠である。その分析にあって経済的動機
小さくはないが、それは政治的軍事的動機と深く密接に結びつきながら、
世界のシステムを激変させていくからである。またこれらの問題を、国際平
和とか「自由」、「正義」と言った視点から論じようとしても、現実の世界
を理解するにはあまり役に立たない。現実はそれらの観念、理念を踏みつ
けて進行していくだけだからである。

本講では、最初に世界の地政学的展開を概観する。そのうえで、これらの
開を理解するうえで不可欠となる「深層&真相」をみることにする。これ
必要なのは、ほかならぬアメリカは多くの欺瞞的プロパガンダのもと戦争
動を展開していることが、いまのデジタル時代にあっては即座に暴露され
けているからである。この20年あまりの世界史は、ただちに事実に基づい
「書き直さ」なければならないし、書き直すことができるのである。


2. 展開の概要

2.1 アメリカ一国覇権の時代

冷戦時代、米ソ2大陣営が (代理戦争を含みつつ) 牽制し合いながら、相手に
対する危機意識をもとに自陣の統制を図り、それにより、米ソはそれぞれの
領域での覇権を維持していた。

9112月、ソ連が瓦解した。そして新生ロシアおよび東欧は社会主義シス
ムを放棄したのみならず、急速な資本主義化を実行し、その助言をほかな
ぬアメリカに求めた。

それに伴いアメリカ一国が世界の覇権国となる時代が到来した。イデオロ
ー的にもネオリベラリズムが席巻し、資本主義システムが唯一の経済シ
テムとして採用されるグローバリゼーションが展開する時代になった。

軍事的にも、ソ連はアフガン侵攻 (79-89)   ― 人民民主党とムジャーヒディーンとの闘いにたいし前者を支援    -  により泥沼状態に陥り、ついには89年、撤退を余儀なくされ、膨大な軍事的疲弊(軍事費プラス戦意喪失)を招来した。

他方、アメリカは、イラクフセインのクウェート侵攻に乗じて展開した湾岸戦争 (90–91) で圧倒的勝利を収めた。ソ連の撤退後も アフガニスタンは内乱状況に陥っていたが、やがてタリバンが実効支配するに至った。タリバンに庇護されていたアルカイーダは数々の爆破事件を引き起こしており、国連による身柄引き渡し決議がなされるも、タリバンは拒絶し続けた。そしてアルカイーダによる9.11事件 (01) が勃発した。

ブッシュ政権は、これに対しアフガン攻撃を直ちに遂行し、 わずか2
タリバン政権を壊滅させた。さらに、余勢をかって、「ブッシュドク
ン」により、2003年、イラク戦争を仕掛け、これもわずか1カ月でイラ
を壊滅させることに成功し、フセイン体制は崩壊した。こうして軍事的
アメリカは他を圧倒したのである。

そればかりではない。 EUは経済的にも旧東欧圏に進出しそれら諸国をメ
バーに組み入れていった。さらには、軍事的にも旧東欧圏をNATOのメン
ーに組み入れることに努めた。いわば、ソ連の崩壊による、経済的空白、
事的空白に入り込んでいった。

2.2「アラブの春」の予想外の展開とウクライナ危機

リーマンショックが発生してからの数年は、世界金融危機にどう対処していくのかが、主要国政府の最大関心事であった。だが、水面下では、地政学的変化を引き起こす事態が展開していた。その結果、世界システムは三極化にすでに移行している。

最大の契機は、「アラブの春」(11) であった。この嵐は民主化をもたらすことはなく、むしろ独裁者により相対的に安定していたリビア、エジプトの政権を崩壊させ、その後これらの国は混乱の極みに陥った。さらにその波はシリアに向かい、そして気が付けばイスラム国がイラク、シリアを席巻し、現在は、アメリカ軍による無期限空爆が続いている。

アメリカは、エジプト(反ムバラク支持によりムバラク体制は崩壊した。その後ムスリム同胞団の大統領が成立するも、すぐに軍事クーデターが発生しいまではムバラク時代よりもシシによる独裁弾圧が顕著になってい)、リビア(反カダフィ支持。英仏米は反カダフィの姿勢を鮮明にしたばかりか、今回はカダフィ側を爆撃し結果的にはカダフィ体制を滅亡させるに至った。

だが、その後、リビアは内戦状況に陥り、今日に至るも出口のトンネルは見えていない)、シリア(米仏による反アサド支持。これが、すでに危機的状況になっていたイラクと結びつくことで、かのイスラム国の進出とアサド体制を死守する姿勢を鮮明にしていたロシアイランによる反アサド陣営攻撃という構図が生じ、シリアは膨大な数の難民を輩出することになる これにはアメリカ軍による記録的なドローンによる爆撃も大きく影響している)での対応を誤り、中東全体の不安定度は増し、いまでは、イラン、ロシア、サウジなどが各国の思惑で深く関与し、さらにスンニ派、シーア派がそれぞれ超過激集団を抱えて戦う構図に陥っている。アメリカはもはや中東での地政学的支配者とは言えなくなってしまっている。つまり、アメリカが何かを言っても、だれもそれに耳を貸さない、という事態の発生である。これは権威の失墜と同義語である。

EUはユーロ危機への対応策として、「ベイルアウト+超緊縮政策」の路線を頑なにとってきた1。 このことで負担を強いられた国の社会的政治的不安は拡大している。

これとともに、北アフリカ、中東での内乱状況の展開は、EU内部に、それぞれのナショナリズムを台頭させ、一大政治勢力になっている。EUは政治的統合どころか、内部崩壊の危機に瀕している (象徴的な事例として20145の欧州議会選挙でユーロ懐疑派議員の大量当選がある)。

地政学的にみてもう1つの重要なできごとは、ヤヌコヴィッチのEUからロシアへの転換が契機となって生じた「ウクライナ危機」である。プーチンは、これを絶好の機会ととらえた。クリミア併合 (インド、ブラジル、 南アは国連でクリミア併合批判を棄権した)、そして東ウクライナでの反乱軍への軍事支援により、欧米側は経済制裁を課し、両陣営間の交渉は途絶えたままである。

プーチンの目的は、この20年の欧米の東進により奪われた影響圏の回復である。この見解は、2006年にミュンヘンで初めて公けにされた。その視点からみると、ウクライナはEU側に地政学的に奪われた、ということになる。

注意すべき点だが、他国への侵略は、アメリカの方がはるかに度を超えている。ロシアが外国に戦争をしかけた事実はない。アメリカやEUは、「主権国家」、「自由」、「民主主義」弾圧という語でロシアを激しく批判するが欧米にそういう批判をする資格ははたしてあるのであろうか。

2.3 拡張を続ける中国

いまの状況を「新たな冷戦」と呼ぶだけでは不十分である。世界で最も影響領域を拡大してきたのは中国だからである。

2014年に北京で開催されたAPECは中国による朝貢外交の観を呈するものであった。アフリカ、南米、中央アジアでの資源獲得をめぐる積極的な戦略、「中国の首飾り」、さらにはいま話題のアジアインフラ投資銀行[AIIB]など、中国は自らが発起人となって世界システムを再編しようとしており、その点でロシアよりはるかに大胆である2


現在の中国は巨額の貿易収支の黒字のなか人民元の上昇に向かうところを、元売り、ドル買いの市場介入を続け、その結果、世界最大の外貨準備高(2兆ドル。2位の日本の2倍)を保有している。この外貨を武器に、アフリカや南米で一次産品などの資源開発権の獲得に動き回っている。ロシアと中国は「上海協力機構」や、天然ガスをめぐる大規模な提携に象徴されるように共同関係にある。中国はアメリカにたいしもの言える存在になっている。

アメリカ、中国、そしてロシアによる世界を舞台にした地政学的争いをみていると、まさしく帝国主義の再燃と表現してもよい状況が現出している。

2.4 地政学変化とグローバリゼーションの変化

グローバリゼーション3は、アメリカ一国覇権の時代と合致しているが、新たな世界システムの出現を準備するものでもあった。それはBRICsの出現であり、G20というかたちで世界経済 (そして政治)への発言力をもたらすことになった。

2003年のブッシュによるイラク戦争あたりが、アメリカ1国が世界を支配するという地政学的図式の頂点であったが、同時にこれがその崩壊の始まりでもあった。フセイン体制の崩壊のあとの安定した体制作りに失敗し、イラクを深刻な亀裂のある政治社会にしてしまうことになった。このことが「アラブの春」(2011)の勃発により、エジプト、リビアにあってはそれぞれ、より独裁的な体制の現出、カダフィ体制の崩壊による内乱状況の現出をもたらし、さらに決定的であったのは、シリア内戦の深刻化とイスラム国の台頭を許すことになったからである。こうして、アメリカは、中東北アフリカでの支配的な影響力を著しく減退させることになった(さらに、アフガンではタリバン勢力を減退させるどころか、再度、タリバンが支配する可能性が高くなっており、アメリカ軍は、当初の撤退ができない状況に追い込まれている)。

もう1つの決定的な地政学的変化は「ウクライナ危機」(2014)によって顕在化した。アメリカとロシアのあいだの緊張関係は激化する一方で、アメリカEUはロシアに経済制裁を加えているが、ロシアはシリアのアサド政権を支援することで、中東への影響力の確保に努めることで対抗している。さらにはアメリカの世界での影響力の停滞するなか、中国は世界への意識的拡張を経済的援助を通じてその影響力を確保するという政策を、中央アジア、南アジア、さらにはアフリカ、南米におよぶ広大な地域で取り続けてきている。

こうして気がついてみると、アメリカ一国によるグローバル的世界支配体
の時代はわずか20 (91年のソ連崩壊から2011年のアラブの春) 終焉し、
までは「三極支配(プラス北アフリカ東の内乱状況)」の時代に突入
ている ― EUは地政学的軍事的にはたいした影響力は持ち合わせていな
のが現実である4。すなわち、アメリカ、ロシア、中国 の3大国が自ら
界の盟主的意識をもちつつ世界を舞台に陰に陽に活動している時代に、
り、世界は、戦後一番の不安定な地政学的状況を迎えている。



この新たな世界システムのもとで、グローバリゼーションはどう変容してい
くであろうか5



1に、現在、中国が進めている(AIIB)に象徴されるように世界金融システム
の再編である。そうしたなか金融グローバリゼーションは放置され、SBS
コントロールは一層困難になる可能性がある。

2に、ネオリベラリズムに対抗するナショナリズム、宗教イデオロギーの増大である。EUですらナショナリズムの台頭は目覚ましい。加えて中東、北アフリカでは、過激な宗教イデオロギーが跋扈し、だれもそれを止めることはできなくなっている。


3. 「深層 & 真相」を覗く

3.1 ソ連のアフガン侵攻がもたらしたもの
  ソ連の崩壊とイスラム原理主義勢力の台頭

アフガンでソ連シンパの人民民主党による政権が王政を打倒して成立したあと、ムジャーヒディーンがその反対勢力として浮上し両者の争いになった。ムジャーヒディーンの中心勢力がタリバンである。タリバンはパキスタンで生まれたもので、パキスタンはタリバンをアフガンへの影響力の確保のための重要なツールと考えていた(同時に、それは宿敵とみなすインドを見据えてのものであった)。

このアフガン戦争には、ムジャーヒディーン側の一員としてオサラデンも参加していた。彼はアルカイーダを創設し、サウジからの支援を受けていた。以降タリバンはアルカイーダを支援することになる。こうして、反ソ連戦線としてタリバン、アルカイーダ、パキスタン、サウジが共同戦線を張ることになった。同時に、これはアメリカが反ソ戦線を背後で支援するというかたちになったから共同戦線にはアメリカが含まれていた。時代は、まだ米ソ冷戦構造の枠組み下にあったのである。

サウジは同時に、原油価格の下落を画策することで、ソ連の財政軍事支出基盤を脆弱化させる行動をとっていたことで知られる.原油価格は70年代の2度のオイルショック (73年のオペック、79年のホメイニ革命 [イラン]) に代表される事態のなかで大幅な上昇を遂げ いずれも、政治的軍事的宗教的色彩の強いものであり、たんなる経済的な寡占問題ではない -、世界経済を深刻な不況に陥れていた。が、80年代になると新たな石油掘削の成功 (北海油田など) や 石油節約型の技術革新の導入により原油は過剰状態に陥り、原油価格は反転、急激な下落をみせていくことになった。アメリカの要請を受け、サウジは198511月に増産に踏み切り、その結果、原油価格のさらなる大幅下落 (ドバイ原油は86年1月の26ドル/バレルが、8月には7.7ドル)が生じ、原油に依存するソ連経済をいっそう弱体化させることにつながったのである。

こうして80年代後半になると、原油価格の急落による経済的政的な弱体化と、アフガン戦線の泥沼化により、ソ連は危機的状況を迎えることになったのである。

これらの事態の進展は、これまでのソ連の政治システムでは考えられなかったようなタイプの政治家ゴルバチョフにレジーム変化をもたらす機会を与えることになった。ゴルバチョフは外にたいしては「新思考外交」、内にたいしては、「ペレストロイカ」と「グラスノスチ」を唱え、さらに「ヨーロッパ共通の家」構想 (89年の欧州議会にて) をかかげた。また80年代から、東欧で広がりを見せ始めていた民主化運動代表はポーランドのワレサによる「連帯」の活動 にたいしてもきわめて寛容な姿勢 (内政不干渉の方針) をとった。そしてついにはコール首相の説得に応じて、東西ドイツの統合とその主権 (事実上のNATO加盟)を容認するまでに至ったのである。

東欧へのソ連支配の手綱は、アフガン戦線における軍事的疲弊とソ連自体の財政的疲弊 (跳ね上がる軍事費と激減する石油収入)、および指導者ゴルバチョフの寛容な政策により、切れるに至った。ソ連国内においても独立分離運動が拡大し、91年夏に軍事クーデターが発生した。エリティンの果敢な行動により、クーデターは失敗するも、その時点でゴルバチョフの政治的権力は喪失してしまったのである。

そして「ベロヴェーシ合意」(91128)により、ソヴィエト連邦の廃止がエリティンによって宣せられたのである。ここに戦後の冷戦体制は崩壊し、世界秩序はアメリカ一国が覇権を握るようなかたちに変貌を遂げるに至ったのである。
  

3.2 イスラム原理主義運動とサウジアメリカ屈折した関係の発生

中東では、908月フセインがクウェート侵攻を断行しそれに呼応し911
月、ブッシュ () による湾岸戦争が勃発している。ラクはすぐに敗北する
も、ブッシュはイラクへの深入りは避け、停戦に合意するに至っている (
のとき、フセインは大量破壊兵器の施設はすべて破壊しており、以イラ
にはそうした施設は存在していない)

この湾岸戦争のとき、サウジはアメリカに軍事基地を提供した。このこと
サウジをイスラムの聖地とみるビンラデンを激昂させ、アルカイーダとサ
ウジ=アメリカとの関係に亀裂が走ることになった (ただし後述するように、
ビンラデンとサウジの関係は複雑である。ビンラデンはサウジ国民にと
っての英雄であり、王家は彼を処罰することはできない状況にあった。それ
にビンラデンはサウジ王家からではなくとも、国民から巨額の資金をチャ
リティを通じて獲得することができる状況にあった)

アフガンではソ連の撤退、そしてソ連自体の崩壊後、当地を支配するに至っ
たのは、パキスタンの影響下にあったタリバンであり、97年には政権を樹立
するに至っている。

サウジを追われたビンラデンは各地を転々としたあと、再度、タリバンに
たどり着いている。タリバンは、その後、アルカイーダとともに反米的スタ
ンスを強めていく。アルカイーダは、WTCビルの爆破 (1993年。多数の被害
は出たものの瓦解は生じなかった)、 タンザニアとケニアでの米大使館爆破 
(1998) 、米艦コール号爆破 (2000) などを実行し、アメリカとの対立が激
化していくことになった。国連は安保理決議によりビンラデンの身柄引き
渡しを要求するも、タリバンはそれを拒絶し続けた。

3.3  9.11 事件とアフガン侵攻

そして2001年に9.11事件が発生した。 この事件へのブッシュ政権の対応は、
アルカイーダの指導者ビンラデンのテロ計画により実行されたもの、と即
座に、かつ断定的に表明するところから始まっている。テロリストのせん滅
によりアメリカを守る、というものであった。

だが、ブッシュ () 政権の行動を理解するには、それが、PNAC (後述) の方
針に忠実に沿ったものであったことを念頭におく必要がある。ブッシュ政権
は、その後の軍事的展開   ( 2002年にアフガン戦争、2003年にイラク戦争)
PNACの方針に従って独断的に実行していったのである。



20011月に成立したブッシュ政権では、D. チェイニー (副大統領) D.ラム
ズフェルド (国防長官) を中心とする、いわゆる「ネオコン」が重要ポストを
牛耳るかたちで組閣された6。 彼らの共和党内における活動は古く、フォー
ド政権あたりから参画していたのだが、90年代後半には、 シンクタンク
PNAC (Project for the NewAmerican Century. エネルギー軍事業からの基
金により1997年設立、2006年閉鎖) を拠点に活動していた。その見解は『ア
メリカ防衛の再構築:新世紀の戦略、軍事、資源』(20009)   で次の4つ
の原則として明らかにされている: (1) 国内での社会計画の削減で軍事予算の
激増、(2) 企業権益に抵抗するレジームの転覆、(3) 民主過程の歴史 をもたな
い地域に軍事力を用いての民主主義の実現、 (4) 国際秩序を維持・ 拡大させ
る国連の役割にとって代わる、というものであった。



ネオコンが、これらを実行するうえで絶好の口実となったのが9.11事件であ
った (いわゆる「第2のパールハーバー」)。これを契機として彼らはきわ
めて軍事的活動を実行に移していくことになった。

9.11事件には、大きな疑惑が潜んでいる。第1は、 ブッシュ政権がとった行動である。一言でいえば、事前にいくどもアメリカに向けてのテロ活動が飛行機を武器に実行される危険性がCIAなどから 伝えられていたにもかかわらず、ブッシュ政権は、それを無視し、あのWTC    (世界貿易センター) ビルやペンタゴンへの衝突を許した、という点である。防衛体制はまったくなされないままに放置されたのである。当時、ラムドフェルドが最高責任者であったのだが、彼は事件発生後も、通常業務に携わっていた。   またブレマーは、WTCビルの事務所で予定されていた会議を直前に キャンセルして、難を免れたが、そのため部下数百名が犠牲になっている。にもかかわらず、ブレマーは、MSNBCに出演して9.11事件について意見を述べるという行動をとっている等々。

2は、サウジアラビアである。 サウジはスンニ派のなかでも最も過激な活動を唱道するワッハーブ派である7。 既述のように、ソ連のアフガン戦争のさいに、サウジはアルカイーダを支援していた。もともとワッハーブ派は、西欧文明キリスト教を抹殺するほどの過激な発言・  教育を繰り広げており、そのために巨額の資金援助も行っていた。だから、イスラム国を含め、イスラム過激派がサウジから誕生する素地はつねに存在したし、現在もそうである。

問題は、このサウジとアメリカ政権とのプラクティカルな関係である。サウジが保有する油田と、そこからあがる巨額の収益が、アメリカ政府にその他の問題に目を閉じて「親密な言辞的関係」をとらせることになった。実際サウジは巨額のアメリカ国債を保有し、石油価格の操作でアメリカに協力し、また膨大な軍事費がアメリカの軍事産業を潤わせてきている  (典型はブッシュシニアのサウジ王室との結びつき)

ブッシュジュニア政権の行動もこうした脈略でとらえる必要がある。9.11事件の実行犯19名のうち15名はサウジ人である。そしてそのうちの数名は、事件前後にサウジの皇室でカリフォルニアに居を構えていた(サウジ王家の)高官とさかんに話し合いを行っていたという事実も、現在判明している8

ブッシュ政権はサウジの関与を全面否定しており、あくまでもビンラデンのアルカイーダによる犯行である、と主張してきた9

このサウジ問題は、一言でいえば、ワッハーブ派の上記の活動からわかるように、多くのサウジ人が、アルカイーダの活動に賛同していたという点である。そしてサウジには多くのチャリティ基金の名のもとに巨額の資金がこれらを通じてアルカイーダなどに渡っていた。そうした活動のなかにサウジ王室の人間が関与していたとしても何ら不思議ではない。サウジ王室自体の活動と断定できないまでも、上記のような雰囲気があり、サウジが9.11事件に関与していないとは言えないのである。チャリティーの資金がどのように使われているのかをサウジ政府がコントロールできないのが現状である。それに、国民のすべてはパレスティナ問題を重視しており、イスラエルを支持するアメリカには憤っている。パレスティナへの資金提供は理由を問わず承認されている (フセイン体制にはつねに敵対的であったサウジ人であるが、同時にアメリカ軍によるイラク戦争にはきわめて批判的である)

そのうえで、既述の実行犯の多くがサウジ人であるということ (うち5名はサウジ国内で集められている)、さらには、事件直後、サウジ関係者の多くが特別機でサウジに帰国しているという事実がある (当時、全米の飛行場は閉鎖状況におかれていたなかでの出来事である)

3は、9.11後の処理過程において、ブッシュ政権の関係者の企業がWTCビルの再建にあたってその大半を受注したという点である。

ブッシュ政権は、201110月、アフガン侵攻を強行した。これには国連による、タリバン政府にたいする、ビンラデンとアルカイーダの引き渡し要求を、タリバンが拒否したことにより、遂行されたことになっている。

だが、じつは、アフガン攻撃が実施されるまえ、タリバンはビンラデンをアメリカ側に引き渡す提案を打ち出していたことが知られている。当時、反タリバン勢力がタリバン政府を倒す可能性も高い状況が生じていたという事情があったのである。

さらに、こういう話もある。ビンラデンは、当時、ある部族にかくまわれていた。この部族自体はタリバンを嫌っていたのだが、これは部族のしきたりによるホスピタリティに基づくものであった。アメリカは、この部族にビンラデンを差し出せば巨額の資金を提供することを申し出たのだが、かれらはそれを拒否していた (アブドルハック(Abdul Haq. 反タリバン指導者の1人) R.クラーク (Richard A. Clarke.ブッシュ政権時の反テロリズムグループ議長) の証言による)

ともあれ、 アメリカはただちにアフガン攻撃を開始し、タリバン政府はすぐに崩壊する。パキスタン政府の立場は微妙であった。一方でタリバンはアフガン支配の重要な柱であるが、他方でアメリカにたいし反逆することは許されない立場にあった。結局、パキスタンはアメリカのアフガン攻撃に基地を提供したりすることで、意に反しつつも同盟的立ち場を取りつづけることになったのである。

3.4 イラク戦争

続いて、2003年、ブッシュは、「大量破壊兵器保有」を根拠にイラク戦争を
仕掛けた - ブレアもそれに加担した。フセイン政権はすぐに打倒され、
フセインは逮捕、そして2006年に処刑された。



イラクが大量破壊兵器を保有していなことは、当時の調査機関の報告でも
らかにされていたことであるが、ブッシュ政権はそうしたことにたいし、イ
ギリスのある学術論文からのコピペ用で応じるという信じられないことを行
ったことが今日、『チルコット調査報告』により明らかになっている。

イラクが大量破壊兵器を保有していなかったことは、アメリカのイラク征
後の調査によっても明らかになっている。つまり、理由は何でもいいから、
イラクを自らの征服下におくことが政権の大きな目的であった。ブッシュ政
権がイラク戦争を起こすために行った数々のでっち上げを列挙ると次のよ
うになる。 (1)「フセインとアルカイーダは親密な関係にあ、  イラ
クはWMD [Weapons of Mass Destruction] を実施しているどの根拠のな
い主張(2) フセイン側の側近をCIAとらえ、そして最も残酷で知られてい
たエジプト監獄での拷問により、嘘の証言をさせるに至った、(3)    プラハ
9.11実行の主犯がフセイン側近と会談をしていたとのうその証言を 用意
た、(4) アルミニウムの購入は核爆弾製造のため、とす嘘、(5)  ジェール
からのイエローパウダーの大量購入(核爆弾の材料だいううそ)。

さらに、つねにそうなのだが、こうしたアメリカの他国侵略の大きな動機
石油資源の確保、しかも政権担当者も含めての私的利権の確保にある。イラ
ク戦争もその例にもれず、副大統領チェイニーによるイラク石油資源の収奪
を1つの有力な動機としてなされたものであることは疑いのないところであ
る。
  
フセインはスンニ派を重用し、シーア派には弾圧を加える政策をとってい
から、アメリカの勝利は、必然的に、シーア派を重用し、彼らによる支配
制をとることになった。スンニ派は弾圧される側になり、イラクの軍隊は
体され、公職から追放される身となったのである。

このことがその後のイラクの政治情勢の不安化の重要な契機となた。シ
ア派とスンニ派とのあいだの激しい争いが生じることになり、イラクの治
は極度に悪化していくことになった。結果的には、そのこととイスラム国
成立とは大きな関係がある。イスラム国はスンニ派であり、イラクのスン
派の支持を受けながら活動をするなか、「アラブの春」がシリアを襲った
とで生じた混乱のなか、イラクの元軍人(スンニ派)も参加するなか、急
な勢力をシリア、イラク一帯にもつことになったのである。当初、イスラ
国はアルカイーダに忠誠を誓っていたが、 すぐに独立した行動をとるに至
り、現在に及んでいる。

こうしたなかでサウジの動きは、不穏を煽るものであった。シリアはサウジにとって敵であったから、アサド体制を打倒する勢力に武器を提供することは、自らの支配力の拡大になると考えていた。サウジはスンニ派の過激組織にたいし、巨額の資金提供を行うことをいまもやめていない。いまそのことに関連した立法化 (9.11事件の犠牲者家族がサウジを提訴する 権利を認める法)がアメリカで進められている(両院は通過しているが、オバマは拒否権を発動すると言われている)。これを阻止するためにサウジは、もしこれが通れば、保有する巨額のアメリカ資産を売却するという脅し (一種の経済的威嚇) ― もう1つの経済的威嚇は、アメリカが多用している「経済的制裁」である をかけている。

3.5 オサマビンラデンの射殺事件10

アメリカ軍は、9.11事件の後、首謀者と断定したビンラデンの行方を、巨
額の懸賞金をかけて追うも、一向に見つけることができないでいた。



20115月、突然、オバマ大統領の声明が発せられた。 「アメリカの少数
精鋭部隊はオサマビンラデンの隠れ家を見つけ、そして銃撃戦の末、
を射殺した。遺体はわれわれの手にある」と。そして後日、ビンラデン
遺体は洋上に棄てられた、とも発表した。だが、この発言はまったくのウソ
であることが現在、判明している。じつは、ビンラデンは、2006年、パキ
スタンの諜報機関により、ヒンズー山地に隠れているところを見つけられ捕
獲され、捕虜となっていた。彼はイスラマバード近くの高級避暑地で、軍の
重要機関が並ぶなかの建物に極秘裏に隔離されることになった。



サウジはパキスタンにたいし、その指導者にたいし巨額の資金を提供しな
ら、ビンラデンの存在をアメリカにたいし極秘裏にする戦略を取り続け
のである。だが、2010年、あるパキスタンの情報将校がアメリカ側にその情
報を、巨の賞金と交換に提供した。アメリカ側がビンラデンのありかを
知ったのそのときである。そしてアメリカは、パキスタン政府とも相談を
行っていが、結果的には、パキスタン政府は何も知らずにいることにし、
アメリカがビンラデンを殺害し、遺体をアフガン高地上空から投げ捨て
たのである。オバマが再選選挙を迎えていた頃のことであるが、これは偶然
ともいえないという説がある。

この場所には、ビンラデンの家族もいた。彼らはサウジによってサウジに連れ戻されている。事実を隠ぺいする工作のためであろう。



1) この背景にあるドイツの主要政党の政策理念についてはDullien and Guérot [2012]を参照。
2) アメリカを念頭においた軍事的拡張も顕著である。例えば、BBC [2016]を参照。
3) Rodrik [2007] グローバリゼーションを政治経済学的タームでとらえているなお地政学的手段として経済制裁禁輸措置パイプラインの閉じ石油価格をめぐる権謀術数といった経済的手法がよくいら
4) EUは政軍事に統合さておらず、アメリカ陣の一翼とみるのが妥当である。だが、クリミア併合以降、アメリNATOへの軍事的増強をロシア国境近くにまで行うに至っており、ロシアとのあいだの緊張はこれまでにない高まりをみせている。
5) いまでは、ロシア、中国も資本主義を採用している。しかも、クレプトクラシーはロシアや中国の専売特許ではない。アメリカも然りである。さらに、世界的に極右政党 (なかでもEU) やイスラム過激派が跳梁するなか、民主主義の凋落が懸念されている。資本主義と民主主義とはどういう関係にあるのか、という古くて新しい問いが、いまわれわれに突きつけられている。
6) W. クラーク [2007] (コソボ戦争時のNATO連合軍最高司令官) は、この状況をアメリカ政治におけるクーと呼んでいる。ネオコンはイラクを筆頭にイランに至るまでの7つの国を陥れる計画をもっていたことを、クラークは公言している。
7) サウジアラビアは、サウジ家とワッハービ派との連携 (政治経済は前者が、宗教社会は後者が担う) により創設された国家である。政治は王家による独裁体制であるが、国王は王家のなかでの合意によって選ばれるシステムになっている。
8) これらのことはアメリカの9.11事件を調査した委員会の調書のなかにあるいわゆる「28ページの文書(Congress of the United States [2003])に明瞭に示されているこの個所はブッシによって公開が差し止められたのだがこれが公開される可能性が現在出てきてそしてこの委員会有力メンバ9.11事件にサウジアラビアが深く関していたことを明言しているのある
9) ジ政府も全面否定している。ビンデンは湾岸戦争時にサウジ政府がアメリカ軍に基地を提供したことで反サウジ政府の立場に変わっていたから、一理ある立論である。しかし、それですべてが説明できるわけではない。王家のなかにもビンラデンを支持する高官がいたし、それにサウジ政府がビンラデンを敵視する態度をとることは、国民の多くがビンラデンを英雄視していることからも、大きな危険をはらんでいたからである。事実、9.11事件が起きたとき、サウジ国内でも多数の国民は歓声の声をあげたことが知られている。また、サウジ政府は、チャリティーがアルカイーダに資金を提供することを、実行犯を海外で集めることを条件に承諾していた、という情報も出ている。
10) 以下はHersh [2015] に依拠している。


Australia ABC [2003] How Saudi Arabia Financed Global Terror: Funding Jihad? (2003) - Did the Saudi Royal Family really finance 9/11?
Congress of the United States [2003] “Joint Inquiry into Intelligence Community Activities before and after the Terrosit Attacks of September 11, 2001 [Declass part4 28pages]”, Jan.29,2003.
(Chilcot Report) The Report of the Iraq Inquiry [2016].
Documentary Daily [2014/01/05] “Triple Cross Bin Laden's Spy In America”
https://www.youtube.com/watch?v=ktLEYPUWOOw  [アルカイーダがどのように形成され9.11の実行に至ったのかを詳細に跡付けた優れたドキュメンタリー]
BBC [2016] USA vs CHINA - BBC Documentary 2016
[2016/08/30]  “Beyond the 28 Pages – What A Real 9/11 Investigation Would Reveal”
https://www.youtube.com/watch?v=ZE6VUpSgx9Q [9.11前後でのブッシュ政権の異常な動きを詳細に追究した最良のドキュメンタリー]
[2016/04/29] “The 28 Pages: The House of Cards Begins to Fall”
[9.11へのサウジとブッシュ政権の関与を描いている]
[2014/10/13] The Middle East (full documentary) BEST Documentaries
[中東100年をうまくとらえており、現在の中東情勢を知る絶好のドキュメンタリー]
Clark, W. [2007] Wars Were Planned - Seven Countries In Five Years.
Dullien, S. and Guérot, U. [2012] “The Long Shadow of Ordoliberalism: Germany’s Approach to the Euro Crisis”, European Council on Foreign Relations”
Khanna, P. [2008] The Second World, Random House (玉置悟訳) [2009]『「三つの帝国」の時代 アメリカEU中国のどこが世界を制覇するか』講談社.
MSNBC “Hubris” (Full Film) [02-18-2013] Iraq War Documentary.
[イラク戦争に至るブッシュ政権の嘘で固めた戦争行為を知るうえで最良のドキュメンタリー]
PNAC, Rebuilding America’s Defenses: Strategy, Forces and Resources for a New Century, Sep.2000.
Rodrik, D. [2007], “The Inescapable Trilemma of the World Economy” June 27.
http://rodrik.typepad.com/dani_rodriks_weblog/2007/06/the-inescapable.html
Seymour Hersh [2015], “The Killing of Osama bin Laden”, London Review of Books, Vol. 37 No. 10 , 21 May 2015.
Seymour Hersh  [オサマビンラデン殺害の真実についての議論]
World Military Channel [2016] Why America Fears of CHINA | World War 3 (Full Documentary)

関志雄 [2009]『チャイナアズナンバーワン』東洋経済新報社.
木村汎 [2008] 『プーチンのエネルギー戦略』北星堂.
木村汎 [2009]『現代ロシア国家論』中央公論新社.
シュテルマー [2009], M. (池田嘉郎訳)『プーチンと甦るロシア』、白水社.
副島隆彦 [1999]『世界覇権国アメリカを動かす政治家と知識人たち』講談社.
園田茂人編 [2008]『中国社会はどこへ行くか』岩波書店。
中田安彦 [2009]『アメリカを支配するパワーエリート解体新書』PHP研究所.
廣瀬陽子 [2008]『強権と不安の超大国ロシア』光文社.
ライン, R., タルボット, S., 渡邊幸治 [2006]『プーチンのロシア』 (長縄忠訳、日本経済新聞出版社).


              



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