2017年2月14日火曜日

(第15講) (全16講義のうち) 国際通貨体制をめぐる攻防劇 ― ケインズ案 対 ホワイト案 平井俊顕 (上智大学)



15

 国際通貨体制をめぐる攻防劇          
                
 ― ケインズ案 対 ホワイト案


         





                                                                         平井俊顕  (上智大学) 



拠出資本 銀行主義。これが、最も重要な問題点であり、われ われが妥協することに最も躊躇すべき点である。銀行主義の立場を厳守すべきであり、これができれば他のすべてのことは妥協してもよい。

この犬清算同盟のことの損失をそれほどひどく後悔する必要はありませんもっとも私は依然としてそれはアイデアの混血IC案とホワイト案からいま誕生してきたものよりもより完全に育てられた動物であったと思っているのですがしかしおそらくしばしばあることですがこの混血の犬はより頑丈でより役に立つ動物でありそれが育成された目的にたいし同様に忠実で忠誠であることが判明するでしょう (CWK26, pp.10)

アメリカ人は、これらの機関 [IMFIBRD] を国際的な会社で運営させる方法が分かっていない。そしてほとんどあらゆる面でかれらの考えは悪い。それでいて、彼らは、残りのわれわれを無視して彼ら自身の考えを露骨に押し付けるつもりでいる。
その結果、機関は、巨大な数のアメリカ人スタッフによって運営され、残りのわれわれは脇に追いやられ、アメリカの企業のようになっている。 現在、私は非常に悲観的であるとしか言うことができない
(CWK26, p.217)







                        1. はじめに

本講は1940年代前半に、戦後の国際通貨体制をいかなるものにするかをめぐり、アメリカとイギリスのあいだで行われた交渉を具体的にみていくこと、そしてその過程でケインズの2つの顔国際主義的デザイナーと政治的プラグマティストがいかなる姿をみせていったのかをみていくこと、この2つを目的としている。
 本講は次のように進行する。最初に、英米の国際通貨体制案をめぐる交渉過程を、ケインズ案、ホワイト案との比較検討、交渉過程での統合化などを検討した後、ケインズのスタンスについて考察を加える。そして、これらが現在世界の通貨体制にもつ意義を述べることでむすびとする。そこで展開された議論は、すぐれて現在的意義を有するものである。


 2.ケインズ案とホワイト案 

2.1 ケインズ案: 19419 428

国際清算同盟案 (ケインズ案) は、国際安定化基金案 (ホワイト案) より早く考案されており、194198日のものが最初である。以降、表1に示すように、3度の改訂を経て、1942828日に作成されたものに至っている。ケインズ案としてはこれが最も基本となるものであるので、以下、これを中心にケインズ案を述べることにしたい。そのさい、他の国際通貨システムとの相違点についても言及しておくことにしたい。
1942828日に作成されたICU案は次のようになっている。最初に、メンバー国間での合意によってそれぞれの「平価」が決定され、あとは基礎的不均衡が生じた場合、合意のうえで変更を当該国に許すシステムである。したがって固定為替レートシステムである。
メンバー国はバンコール (一種の国際通貨。ただし、中央銀行間の口座上でのみ存在する) による口座を有し、それにより国際的な決済を行っていくことが提案されている。すべての対外取引は各国中央銀行のバンコール勘定に持ち込まれる。そこに行く過程で業者は代金を固定レートで受け取ったり、支払ったりする。したがって、売り手と買い手が参加する外為市場で為替レートが決まる今日のような変動為替相場は意味をなさない。もちろん個人が外貨を両替することはできるが、それも固定されたレートで行われるだけになる。


(15-1) 国際清算同盟案のヴァージョン-19419月から
1942年夏

194198
戦後の通貨政策 
4198
国際清算同盟案  
41916
ブラント、ケインズに、E.F. シューマッハの「戦後経済計画の若干の側面 国際清算協定」を送付
411118
国際清算同盟案
411215
国際清算同盟案
19421
国際通貨 (もしくは清算) 同盟計画案
42415
ハロッドがケインズに送付した英米経済サービス設立提案。ICU、緩衝ストック計画、資本の国際的流れをコントロールするための投資委員会、および救済再建を含む戦後世界経済秩序を考案すべき、とするもの
42828
国際清算同盟案


 そして、黒字国と赤字国の累積的増加を防止するため、一定額を超過するメンバー国にたいしてはペナルティを課すこと、ならびに当座貸越 (オーバードラフト) を許容し、世界経済の成長に資するような通貨システムにすることが標榜されている。
 さらに特徴的なのは、このシステムは、世界経済が直面する一次産品問題や救済問題などを資金的に円滑にするため、関係する国際機関にもICUにバンコールでの口座を設置することの重要性が唱道されている。

基本的なメカニズム 簡単な例で説明することにしようすべての取引は「国際清算同盟(International Clearing Union. 以下ICU) にあるメンバー国中央銀行のバンコール勘定間で決済される。いま、1バンコール = 1ドル = 2ポンドとしよう。イギリスのスミス製機が機械1台をアメリカのワシントン商社に輸出するとし、代金は1ドルとしよう。
スミス製機は、ワシントン商社から取引手形Wを受け取る。それをイングランド銀行に渡すことで2ポンドを受け取る。イングランド銀行はFRBWを渡し、それに伴い1バンコールを貸方に記帳し、FRBは逆に借方に1バンコールを記帳する。 ICU全体では変化はなく、1バンコールが移転しただけである。FRBは受け取った取引手形Wをワシントン商社に提示し、1ドルを受け取る。これで取引は終了となる。外為市場は必要でなくなり、平価が厳格に守られるシステムである。
ICUは、金本位制のもつ欠陥を意識しており、それを是正するものとして提示されている。金本位制の場合、平価は当局で決定されるが、外為市場は自由に動く。つまり業者、銀行が自由に外為市場に参加する。その結果、為替相場は変動するが、それは金の輸出点の範囲内に収まる仕組みになっている。
しかしながら、金本位制では各国の経済政策の裁量的余地はなくなり、各国の経済は国際的な金の変動の波をもろに受けることになるという欠陥を有していた。さらに第1次大戦後、それは実質的にはドル本位制的様相を帯びるものになっていた。
             
2.2 ホワイト案

ICU案の対抗馬となるホワイト案 (安定化基金案) が登場するのは、1942年夏である。ホワイト案では、最初にメンバー国間の合意により平価が決定されるが、それを守る義務がメンバー国に課せられる。そのためメンバー国政府は自国の外為市場を監視して、平価を逸脱するような事態にたいしては責任をもって市場への介入を行うことが義務付けられることになる (例えば、ポンドの為替レートが平価より高く [低く] なった場合、イギリス政府は外為市場でポンド売りドル買いの [ポンド買いドル売り] 介入をする必要がある)。「基礎的不均衡」が生じた場合、平価の変更は合意の上で行われることになる。
  戦後の国際通貨体制として採用されることになったのは、ICU案ではなくホワイト案に基づくIMF (国際通貨基金) 体制である。いずれも固定相場制であるが、決定的に異なるのは、ICUではバンコールという新しい国際貨幣が創出されているという点である。そして国際取引はすべて、ICUに開設された中央銀行の口座間で行われる仕組みになっている。バンコールはその口座での会計単位である。このため、信用創造が可能であり、国際流動性の不足による経済成長への阻害状況を克服できることになる。
これに対し、ホワイト案は金本位制的特性を残すものとなっており、現実には圧倒的なドルの優位から、事実上、ドル本位制であった。そのため、ドルの動向が世界経済に大きな影響力をおよぼすものとなった。
IMFメンバー国からの拠出金により設立される各国は同意した拠出金 (クォータ) を金や自国通貨で払い込むIMFの基本的な役割はメンバー国の経済状況を監視し基礎的不均衡が生じた国にたいし短期の融資を行うことであるIMF体制には信用創造機能は備わっていなかったから世界の流動性問題は結局のところドルによって決定されることになったすなわちそれはアメリカ経済の状況と金融政策の動向によって左右されることになる戦後のドル不足問題アメリカの貿易収支の赤字によるドル危機さらには流動性不足解消案としてのSDR (Special Drawing Right. 特別引出権) の創設などは、このことを象徴する事象であった。
これが1970年のニクソンショックまでとられることになったシステムであった。

その後、変動相場制が採用されて現在に至っているのは周知のとおりである。このシステムでは、国際取引は、すべて外国為替市場に任されているため、平価そのものが存在しない。したがって関係国間での平価の決定という合意は不要である。
その代わり、市場で決定される価格が「適正」でなくなる可能性は高い。しかも変動が激しくなる可能性が高い。それは投機行為が激しく入り込むからである。適正な為替相場という概念(例えば、購買力平価説によるもの)が必要になってくる。


   


1941年、62日、ケインズはルーズベルト大統領と2時間半にわたって対談している。そのさいに、抱いた感想が残されている。

    「いまから7年前に抱いた私の記憶と比べて、彼がずっと年老いており、非常に疲れていると思うだろうという旨の多くの報告を聞いておりました。彼はまた、最近ひどい下痢に長く苦しめられてまいっていると言われておりました。生命と活力が顔面から消え失せ、男らしさをすべて喪失し、疲れた老婦人にようにみえるとも、しばしば言われています。
でも今朝の彼はまったくそうではありませんでした。おそらく彼の演説とその成功が彼を意気軒高にしていたのでしょう。彼は静かで陽気、そして自らの個性、彼の意思や目的、精神の明晰さを完全にもち合わせていました。以前、彼のなかに見たあの最高の落ち着きが、彼にはまだありました。そして私は、彼の表現や姿勢にただならぬ魅力を、再び感じました。とりわけ、彼がいくぶんからかう、あるいはなかば真面目な表情をみせて、上向きに質問をするような表情で輝くときがそうでした。彼を眼前にして、彼が今日の傑出したアメリカ人であり、他の誰の頭上にそびえたつ人物であることを疑う者などいない、と思います。」(CWK25, p.108)


3. 両案の比較検討 
1942年夏(両案の検討開始) 434月(両案の公表)

ケインズ案とホワイト案が互いの手に渡り、そして関係者間での相互検討が開始されたのは1942年夏のことであった。その後、相互検討が進行し、19434月には、それぞれの案が公表されることになった (2を参照)。ここでは、公表されたケインズ案の内容、および公表されたホワイト案にたいするケインズの評価に焦点を合わせてみていくことにしたい。

   
 (15-2) 両案の比較検討: 1942 434

1942

ホワイト案をケインズはフィリップスから受け取る (以降、ホワイト案はケインズが19432月頃に受け取るまでに8度改訂されている)

フィリップスの、バーリ、パスヴォルスキーおよびホワイトとの討議
42923
ケインズの、ウィナントおよびリーファとの討議
421023

1941年、62日、ケインズはルーズベルト大統領と2時間半にわたって対談している。そのさいに、抱いた感想が残されている。

    「いまから7年前に抱いた私の記憶と比べて、彼がずっと年老いており、非常に疲れていると思うだろうという旨の多くの報告を聞いておりました。彼はまた、最近ひどい下痢に長く苦しめられてまいっていると言われておりました。生命と活力が顔面から消え失せ、男らしさをすべて喪失し、疲れた老婦人にようにみえるとも、しばしば言われています。
でも今朝の彼はまったくそうではありませんでした。おそらく彼の演説とその成功が彼を意気軒高にしていたのでしょう。彼は静かで陽気、そして自らの個性、彼の意思や目的、精神の明晰さを完全にもち合わせていました。以前、彼のなかに見たあの最高の落ち着きが、彼にはまだありました。そして私は、彼の表現や姿勢にただならぬ魅力を、再び感じました。とりわけ、彼がいくぶんからかう、あるいはなかば真面目な表情をみせて、上向きに質問をするような表情で輝くときがそうでした。彼を眼前にして、彼が今日の傑出したアメリカ人であり、他の誰の頭上にそびえたつ人物であることを疑う者などいない、と思います。」(CWK25, p.108)


ケインズとホワイトの、両案をめぐる議論
ケインズの、自治領との話し合い
42119
改訂版
421211
ホワイト案にユニタスが導入される
194331 (416)
ケインズによる両案の比較
4347
ホワイト案の公表
ICU案の公表  (「白書」として公表)
43427
ホワイト案について(ケインズ)

3.1 国際清算同盟案 (194347)

194347日に、国際清算同盟案が白書として公表された。ケインズはこれに序文を寄せている。その趣旨は、戦後の救済と復興に直面する各国がその対策として考慮しなければならない4つの国際分野があることを示し、そのうえで優先的になすべき第1番分野での提案が「国際清算同盟」である、というものであった。
 4つの分野とは、(1) 通貨および為替メカニズム、(2) 通商政策の枠組、(3) 一次産品1(4) 投資援助、である。これらの国際経済システムを設立するさいに重視しなければならない条件として、以下の事項が示されている。

(1)
国内政策への干渉を最小限にすること
(2) 当該プランのテクニックはメンバー国のタイプとは無関係に適応できるようなものであること
(3) 機関の管理運営は真に国際的なものであること
(4) 脱退する権利は与えられるべきであること
(5) 当該プランは、参加国の全般的ならびに個別的利益のために運営されること

清算同盟については、次のような言及がなされている。

(1) 清算同盟は、長期にわたる貸与は行わない。
(2) 清算同盟は、黒字国が巨大な流動性残高を保持することで、世界全体の経済成長を損なうことを防止する責務がある。赤字国だけではなく黒字国も不均衡の責務を負うことを認識することで、清算同盟は新たな道を切り開くことになる。

3.2 両案の比較検討  (1943416)

ケインズは公表されたC.U. (国際清算同盟案) S.F.(安定化基金案 [ホワイト案])について、次のような内容の覚書 (1943416日付け) を書いている。 

 (1) 投票権についてはそれほどこだわりはない。ただ、すべての議決に5 分の4の多数決が必要とするというSFのルールには問題がある。例えば、特定の議題については4分の3くらいにし、その他は単純多数決でいけばいい。
 (2) 金の扱いをめぐってはメディアが騒いでいるほど、両案に相違はない。ただし、SFにはユニタスの金価値を変更する条項がないし、それに現在の規定では、 ユニタスは何の目的にも役立たないものなので、それを活性化させる必要がある(ホワイト案にユニタスが導入されたのは19421211であったが、これにはほとんど意味意義は付されていなかった)。
 (3) SFには多数国間決済の条項がないので、そうできるように改めるべきである。だが、そうするのはかなり困難である。
(4)  SFの機構にみられる根本的な困難は、特定の債権国の通貨を
債務国が獲得する権利が、そのような通貨を供給できる基金の能力をはるかに超えている点である。
(5)「異常な戦争残高」問題 (いわゆる、「スターリング残高問題」2)
戦争の進展により、例えば、イギリスはインドに巨額の負債を
背負うようになっており、これが例えばドル (希少通貨) に代え
られることがあれば、イギリスは大きな困難に直面する。その
ことに関連しての話。
(6) 希少通貨の割り当て。この条項がなければ、全体の計画のロジックは破綻するし、それに代わる実用的なものを作り上げることはきわめて困難になる。
(7) 拠出資本 銀行主義。これが、最も重要な問題点であり、われわれが妥協することに最も躊躇すべき点である。銀行主義の立場を厳守すべきであり、これができれば他のすべてのことは妥協してもよい。


4. 両案の統合化過程
         19436月-444

両案の公表に続くのは、当然のことであるが、それを協議していか
なる統合案に収束させるかという課題である。この交渉過程は、大
きく2つに分けることができる。第1は、「ユニタスの貨幣化」をめ
ぐる攻防である。これは、ホワイト案を検討の主たる対象としたう
えで、ユニタスにバンコール的な「風味」を取り入れる、というケ
インズ側による説得過程である。つまりは、ケインズ案は当初から
両国の公式の交渉テーブルからはずされ、副次的位置におかれたの
である。そして、そのことをイギリス側は暗黙裏に了承したのであ
第2は、交渉の最終局面であり、ほぼ全面的にホワイト案で決着する局面である。それぞれをみていくことにする (この間の経緯は(15-3) を参照されたい)。

    (15-3) 両案の統合化過程:19436 444

1943629
C.U. S.F.の統合 (ケインズによる)
(というものの、S.F.がベース)
43719
ホワイト案 (710日ヴァージョン)へのケインズのコメント
43921
ユニタスを貨幣化する提案 (ホワイトはこれに反対)
43 10
両サイドの関係、険悪化
431012
英米の原則声明草案
1944422
IMFの設立についての専門家による共同声明

4.1 「ユニタスの貨幣化」をめぐる攻防:
 19436月-10

19436月、米英間での非公式の会議ワシントンで開催された。ケインズは、この折り、「両案の統合」と題するメモ (629) を用意している。「両案の統合と書かれているが、実際にはホワイト案をもとにしたものであり、いわばケインズ案を棚上げにして、事実上ホワイト案に則ったうえで、基金はユニタスのみを採用すべきであることを提唱するものになっている。
ケインズは、その後ホワイト案 (710) を読んで719日付けイーディ宛の書簡で、自らの見解を次のような厳しい姿勢で表明している。

   私の判断では、重要な変更がなされないかぎり、完全な決裂に直面する覚悟がなければならない。

ケインズは、次の重要な3項目について満足のいく譲歩が得られないかぎり、当面、交渉を中断するように、わが代表団は指令を受けるべき、という点が受け入れらない場合には、交渉の決裂も覚悟する必要があると言明している。
 3項目とは次のものである。

 (1) メンバー国の為替レートの変更をより弾力的にすること
 (2) 基金はユニタスを貨幣化し、多数国間での清算を行うようにす  
ること。「基金はユニタスのみを扱うべし」とも記されている。
 (3) 金でのメンバー国の拠出は25%ではなく、当初の12.5%でなされること

1943921日付けの書簡において、ケインズはホワイトにたいし、「ユニタスの貨幣化 (unitisation)(pp.342-344) を初めて提案した。その主たる特徴は、SFICUのように改組する試みである。メンバー国はSFに勘定口座を開設し、それを通じて多数国間での清算も実施できるようにするというものである (pp.342-343)

924日、米英での合同会議がアメリカ財務省で開催された。イギ
リス側にはケインズのほか、ロバートソン、ロビンズ、ミードとい
った錚々たる経済学者が参加した3。一方、アメリカ側は官僚が主体
であった(同会議にホワイトは参加していない
この日は、ケインズがホワイト案についてコメントしながら、改善すべき点を述べるというのが主題であった。これにたいし、アメリカ側は財務省のベルンスタインが応じるというかたちをとった。
主要な提案は2つあった。1つは基金へのアクセスを確実にするという課題であり、もう1つはユニタスの貨幣化をめぐるものである。
前者については、拠出金の120%までの貸出しを可能にすべしというものであった。ホワイト案は金本位制に近いので、国内政策の規模を小さなものにしてしまう危険性があることへの配慮であった。なお、拠出金をめぐり、金での拠出金は全体の12.5%までにすべきであること、また金および証券で提供される拠出金は「担保」とみなすべきであること (手渡したわけではなく、担保として提供しただけ、という位置づけ。金保有の少ない国の視点である)、が提案されている
 以上S.F.の用語で書くことは可能であったが、以下の提案はたやすくはない論点であった。

(
1) 無条件の多国間決済 (ケインズが一番重視した点)
(2) メンバー国による為替安定の義務 (ホワイト案ではケインズ案と異なり、外為市場の管理が重要な問題として残るからである)
(3) 基金はあくまでも受身にとどまるべきである (これはケインズ案でもそうであった。ユニタス口座がそれを象徴している)

ケインズは述べた。イギリスは戦前のシステムとは異なってみえ、実際にも異なっているシステムを望んでいる。基金の勘定がユニタスで記帳されるべしという条項は、主題への同意芽生えをんでいると。

43103日付のイーディ宛書簡で、ケインズはこの頃のワシントンでの状況を報告している。彼はワシントンで大変歓迎され、前回パールハーバーの頃に訪米したときとは状況は非常に異なっていた、と記している。とりわけリップマン、アチソンがいるので、とても心地よい、と述べることからこの書簡は始まっている4
続いて、本題である交渉についての報告となる。最初に、イギリス側の見解をアメリカ側が受け入れるであろうと思われる点が列挙されている。以下の5がそれらである。

(1) 為替レートの弾力化
(2) ユニタスの金価値変更についての方式
(3) 拠出金額を120兆ドルに増額
(4) 金での拠出額についての方式
(5) 希少通貨問題

しかし、合意が困難な問題があり、それは次のとおり、とケインズは記している。

(1) 金拠出は「担保」 (pledge) とみなすべきというイギリス側の 
主張
(2) 基金は、メンバー国による基金の利用に関し、もっと裁量権を与えられるべとするアメリカ側の主張 (イギリス側は「受身」であることを主張していた)
(3) ユニタスの貨幣化へのアメリカ側の反対

一番の争点「ユニタスの貨幣化」であった。

43104日に開かれた会議での雰囲気は険悪といってもいいものであった。そうしたなかで、引出権の制限、希少貨幣項目の意味、為替レートの変動を当初平価の10-20%内制限すること等が論議された。

ケインズは、ホワイトを次のように評している。
彼は威圧的で、美学的見地からいうと精神と作法において抑圧的で、激しい耳障りな声であなたをつねにコケおどししようとする悪い同僚である。
彼は、文明化された交流のルールの使い方あるいは順守といったことにはいささかの配慮ももっていない。が、同時に、私は彼のことをきわめて尊敬しており、好きですらある。多くの点で、彼は当地における最良の人間である。・・・さらに、彼の高飛車な意思と、彼が建設的な考えをもっているという事実の組み合わせは、当地での他のだれもができないことを彼がなすということを意味する。彼は、いかなる粗野な意味でのお世辞にたいしてもなびくことはない。彼に近づく方法は、彼の目的を尊敬し、彼の知的関心を喚起することである。(p.356)


4.2 交渉の最終局面: 1943106 44422

106日の会議では、重要な進展がみられた。基金の詳細を決め、安定化基金のタームでドラフトを書くドラフト委員会準備に同意がみられたからである。会議の後、ケインズはホワイト宛に書簡を出している。
それはイギリス政府側の見解を紹介するものであり、以下の3点があげられている。

(1) 為替レートの変更に関しては、相談で変更できる (投票ではなく) シスムが望ましい。
(2) ユニタスの貨幣化を堅持する。
この点に関しては次のように述べられている。

基金が設立される形式についてのわれわれの立場保留します。ロンドンは、ユニタスの貨幣化を目指すわれわれの指令を取り下げるつもりはいまのところないことを強調しています ...

(3) 金での拠出をリザーブとみなすべし。

108日および9日にはドラフトづくりが行われた。これは最終的
にはうまくいくことになるのが、その直前までは、かなりの喧騒
発生している。それは、主としてベルンスタインが土壇場になっ
て、話をすべて元に戻すような提案をしたことに起因している。

この後、作業はうまく進展し、最終的には重要な「英米による原則の声明原案」が出来上がることになった。ケインズ側はこれに非常に満足していることが、母への手紙などからもうかがえる

こうして、国際清算同盟案としてのケインズ案は、安定化基金案をユニタスの貨幣化を通じて改組しようとする試みも潰え、完全に敗退してしまうことになったのである。

1944422日、ケインズは公表された「共同声明」にたいし、「IMF提案についてのイギリス専門家による説明」を執筆しているが、そこでバンコールやユニタスはなくともいいとまで言っている

彼は、この頃、国民にどうやってうまく文書を提示するのかに腐心していた。マスメディアにたいしては非常にうまく行えたとか、来週、議員グループに同じ目的で会う予定であるとか、が残されている。
ケインズのスタンスは明確である。イギリスはアメリカに抵抗して独自路線をとる力はない。そういうことを試みても、アメリカの力のまえにそれは挫折し、結局は大英帝国の解体に追い込まれるばかりである。大事なのはアメリカと争いをしないで、協力関係をとりつけることである。そのことによって大英帝国は、そしてイギリスの銀行業はこれまでと同様、なんとか世界の中心に (アメリカと並んで) 立ち続けることが可能となる。これ以外にイギリスが生き残る道はない、と5


 (15-4) 交渉の最終局面:  1943106 44422

金での拠出問題
4312月の案でのアメリカ側の見解を受諾
拠出金の不胎化問題
12月にアメリカ側の見解を承認 (基金は金を取引に使える。イギリスは担保として位置づけていた)
金での引き出しの支払い
アメリカ側の見解を承認 (基金から他のメンバー国の貨幣を金で購入する場合の話)
資本目的の引き出し
アメリカ案が441月に承認された
ユニタスの貨幣化
4月のヴァージョンで、イギリス側、諦める


5. ケインズのスタンス

ケインズにはプランナーとしての国際主義と大英帝国権益の擁護者、ならびに状況に応じて考えを変えていくという側面があった。
 当初、ケインズは戦後の国際体制を構築するうえで重要と思われる一次産品問題、救済復興問題、および国際通貨体制問題にたいし、非常に国際主義的な精神に満ちたプランを設計し提示した。それはシステムプランナーとしての (大英帝国権益の確保は含まれていたが) 彼の国際主義的卓越性が顕著である。
 だが、現実の政治経済情勢が急変するなかで、ケインズはプラグマティストの側面、とりわけ大英帝国の権益を擁護することを最優先するような方向に動いていくことになった。

アメリカの助けなしには大英帝国は崩壊する、との懸念はケインズにあっては強かった。また、ケインズは植民地の解放という考えはみじんもなかった。そうした事例として、極東地域が「解放された」あかつきのイギリスのとるべき態度として、ルーズベルトに頼ることなく、大英帝国内の協力で対処すべしと述べられている書簡の存在をあげることができる。
これらの交渉を通じてのケインズのスタンスをどう理解すればいいのかは、それ自体非常に興味深い、とともに、非常に答えるのが難しい問題である。
 というのは、彼はシステム立案者として、非常に国際主義的な案をまず立ち上げている。もし彼が純粋な学者であり、そして大学、あるいはメディアサイドから自らの考えを主張していたのであれば、こうしたいわゆる理想的なかたちでの立案の視点から、国際政治経済の分野で展開されていったプロセスを大いに批判して論じることができたであろう。
 だが、ケインズはこれらの問題において、まさに国際体制構築現場の最前線に立ち、かつ大英帝国の利害を代表しており、そして交渉においてはアメリカ側との妥協を図りつつ、全体をまとめていかねばならない立場にあった。そこで、政治的スタンス (しかもそこには彼の政治思想が大きく反映されることになる) が彼の行動を大きく規定し、本来の学者的、デザイナー的側面は大きく犠牲にされていくことになった。
 こうして国際主義者ケインズと現実的政治交渉の代表者ケインズという2つの側面があることを、これらの問題を考察するさいには、考えていく必要がある。つまり後者においては、具体的にケインズはどのようなかたちでの妥協を行っているのか (彼は、妥協しているというような文言はほとんど用いていないから、なおさら研究者には冷徹な目が必要となってくる) を検討していくことが要請されている。


6.むすび
- 現在的意義をふまえつつ

以上の検討結果は次のとおりである。

(1) 英米の国際通貨体制をめぐる交渉は、ICU案とSF案の対決というところからスタートしたが、かなり早い段階で、交渉のイニシアチブはアメリカ側にとられた。1943年には、ホワイト案を主たる対象に交渉が進んでいる。イギリス側は、ユニタスを貨幣化することで、ICUの特性の一部を取り込もうとする努力を続けるも、最終的にはそれも諦めるかたちで終着をみることになった。

(2) この交渉において、ケインズはイギリス側を代表して獅子奮迅の活躍をみせた。だが、自らの理想として提唱したケインズ案には、交渉家としても早期に諦めをみせ、ユニタスの貨幣化を試みるもそれも諦め、むしろケインズは、アメリカからの資金援助の方を重視するというプラグマチスト的側面を強くみせるようになった。大英帝国の権益を守るためには、アメリカに対抗するのではなく、それに協力することで、資金援助を受け、それによって戦後世界における大英帝国の地位を維持する。これがケインズの目指したところであった。

戦後、世界の貨幣システムはIMF体制として、1970年まで継続することになった。ドル本位制とも揶揄されるこのシステムは固定相場制のもとで運営されたが、1970年頃になると、ドル危機がしばしば発生し、ついにはニクソンドクトリンを経て、1973年頃には世界の貨幣システムは変動相場制へと大きく舵を切ることになった。
 その後、ヨーロッパではユーロシステムが誕生し、先進地域のかなり広域な地域がユーロという単一通貨圏に入ることになった。だが同時にBRICsに代表されるように、新興国の経済成長は著しく、そのことも含めて、これまでのドル本位制に代わる新たな通貨システムを求める声も強まりをみせている。
1990年代から進んだ金融自由化のグローバリゼーションは、為替市場を投機者のターゲットにすることになった (e.g.ソロスの動き)。そして証券の商品化が進行し、ヘッジファンドが活動し、さらにインデックス投機が横行するといった事態が急激に進行した。こうしたことに外為相場が利用されることにたいして、何の防御策も打ち立てられることなく現在に至っている。市場を神聖視するなかれ。神聖視されることをおおいに歓迎しているのは、投機業者である。
ケインズの提案が、現在のグローバリゼーション (つまりSBSの支配、投機活動の放任状況) のなかで、どれほど有効でありうるのか、という問題は、すぐれて現代的な意味を有するものである。
 40年代にどのような交渉経過を経てIMF体制に至ったのかは歴史的な問題であるだがそこでケインズが提案した元来の案であるICU案は時空を超えて今日の世界の通貨体制のあり方を考えていくうえですぐれて現在的意義を有している (ヨーロッパの貨幣システムの展開にあってケインズ案に範をとったEPU (European Payment System) が創設運営されかなり成功したという事実があることをここで指摘しておこうこれはメンバー国間での清算システムでありバンコールに相当するようなものがあった)



1 戦後世界の構築において、ケインズの脳裏にあってこれらの領域は、当初、密接な関連をもって構想が進められていたことは、注目に値する事実である(これらの点で、ハロッドやミードのはたした役割を忘れることがあってはならない)
2)これは、インドなどが大量のイギリス国債を保有しており、これらが戦後開放されるとイギリスは極端な金融危機に陥るという問題である。実際、1949年にこの問題が顕在化して、ポンドスターリングは大幅な下落をみた。インドが大量の国債を売る、そして得たポンドをドルにかえる、するとポンドが暴落する、そこで外為市場に介入してポンド買い、ドル売りを実行する。が、ドルは底をつくというような話である。
3)ちなみにいうと、戦後のケンブリッジでは、ロバートソンも、そしてオックスフォード出身のミードも、J.ロビンソン女史のまえに片隅に押しやられるような雰囲気があった。スラッファもケンブリッジにいた。戦後のケンブリッジを考えるとき、こうした状況を理解することは非常に重要である。ケンブリッジ学派なる統一された学派が存在したとはとてもいえないのである (ロビンズは外部のLSEのボスであり続けた)
4)これは十分理解できる。
5) ホートリー [1946] は、こうして決定されたブレトンウッズ体制にたいし、次のようなスタンスから批判的にみている。「私の主題は、為替レートを規制するうえでの国際協力のためのいかなる計画もそれが成功裏に作動するのに本質的である、とわたしが信じる点、すなわち、為替レートにリンクされる貨幣単位は、それ自身、その富の価値(wealth-value) もしくは購買力で安定されるべきである、という点の致命的な欠如である」(p.v)


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