Hayek, Law, Commands, and
Order
(in The Constitution of Liberty, 1960)
ここでいうLawは「抽象的な法」(abstract
law)である。抽象的なルール。
そしてそれは自生的秩序の一例である。
「・・・法は、もちろん、言語とか貨幣、いや社会生活が依存するほとんどの
実際や慣習と同様、だれか特定の人によって発明されたものではまったくな
い。」(p.148)
次の一文は中心的重要性を有している。
本書の中心的な関心である「法のもとでの自由」という概念は、われわれへの適用とは関係なく制定された一般的で抽象的なルールという意味において、われわれが法にしたがうとき、われわれは他の人の意思に服しておらず、それゆで自由である、という主張に依存している。
ハイエクにとって「自由」とは「抽象的な法」にわれわれが従う、遵守するという意味である。そしてそれは他者の意思に服さないわけであり、したがって「自由」なのだ、と。
「この一般性は、われわれがその「抽象性」と呼んだところの法の属性の、おそらく最も重要な様相である」(p.153)
個人は「現場の人の知識」に基づき、自発的に行動することができる。こうした自由は、「抽象的な法」という枠組みのなかで発揮される自由行動である。それは分かるが、では「抽象的な法」自体は、いかにして創られるのか、そこに人間が関与しているように思われないところに、自生的秩序論の神秘主義が潜んでいるように思われる。
「命令」(Command)は、それを発する人の目的にのみ資する、誰かが誰かにたいし行う命令である。
「秩序」(Order)は、自生的秩序の意味で用いられている。
「この秩序性は、もし諸個人が彼らだけが知っている特殊な環境に、そしてだれか特定の人が全体についてけっして知られていない彼らの行動を調整することをわれわれが望んでいるのであれば、統合化された指令の結果であるはずがない」(p.160)
「状況についての知識が非常に多数の人々のあいだに分散されている、そういう状況への調整を行う秩序であれば、それが中央の指令によって達成されることはありえない」(p.160)
「・・・われわれは社会における秩序の形成の状況をつくることはできるが、その要素が適切な条件のもとで秩序付けられる方法をアレンジすることはできない。」
(p.161)