A学会用報告
世界資本主義はいずこへ
- 金融の自由化と不安定性を中心に* -
平井俊顕(上智大学)
1. はじめに
この30年間の世界経済の動向に最も大きな影響と方向性を与えてきたのは「市場にすべてを任せる」という「ネオ・リベラリズム」(サッチャリズムやレーガノミクス)であった。政府による経済への介入は効率性を阻害し発展を妨げる、規制は可能なかぎり撤廃するように構造を改革すべし、という思想である。「ネオ・リベラリズム」の信条に基づいて、金融、労働、資本の分野での自由化が、文字通りグローバルなスケールで進められてきた。そのなかで最も重要なのが金融の自由化である。本報告では、それがどのように進められ、それがどのように世界経済を不安定なものにしてきたのかを、アメリカの金融自由化の具体的な経緯 (第2節)、その批判的評価 (第3節)、そのことのもつ問題性 (第4節)、ならびに金融規制改革の必要性 (第5節)、アメリカの金融規制改革法である「ドッド-フランク法」(第6節)に、焦点を合わせて述べていく。
2. アメリカの金融自由化
― 「グラス-スティーガル法」の換骨奪胎化と「グラム-リーチ-ブライリー法」
概要 - 1933年に施行された「グラス-スティーガル法」 (以下、GS法と略記)は、長きにわたりアメリカの金融システムの根底を規定する法であった。1920年代のアメリカは金融的不正の横行した時代であり、そのことが大不況の到来に大きな責を有することがルーズベルト政権によって認識され1、金融機関の行動に強力な規制をかけるべく施行されたのがGS法である。同法は、(i) 金利の統制 (「レギュレーションQ」)、(ii) 銀行業と証券業の分離、(iii) 州際間業務の規制、の3本柱で構成される。
GS法の適用緩和を求める動きは、1960年代に銀行が市債市場への参入を求めて行ったロビー活動を嚆矢とする。1970年代になると、逆に、証券会社が利子を支払う貨幣勘定、小切手の利用、信用の提供などを始めるかたちで銀行の領域に参入していくことになった。これに際し「証券保管振替機関」 (DTCC) の果たした役割は大きい。1970年代-1980年代、電子化は大手の証券会社のみが可能であり、個人投資家はいわゆる「ストリート・ネーム」 によって取引をしたため、それは銀行の部分準備率のように機能した。証券会社はこれを利用して新たな資金を獲得していくようになったのであるが、翻ってこのことが銀行を焦燥感に駆り立てることになった。
議会でも、1980年代からGS法を緩和しようとする法案はいくどか出されてきた。金利統制の撤廃が一番早く、1986年のことである。続いて1995年、州際間業務の規制が「リーグル-ニール法」によって撤廃された。銀行業と証券業の分離が解除されたのは一番遅く、1999年の「グラム-リーチ-ブライリー法」 (以下、GLB法と略記) によってである。
銀行業と証券業の分離規定の緩和化 - 以下、GS法がどのように緩和され、ついには廃止されるに至ったのかを、銀行業と証券業の分離規定に焦点を合わせてみていくことにしよう。
規定緩和に向けての動きは、FRBによってGS法第20節の拡大解釈(すなわち分離規定を緩和する方向での解釈)によって火がついたといってよい。1986年12月、同節にある、銀行が証券業に「原則的に携わる」のを禁止するという条項を、総収入の5%までは許容される、としたのがそれである。さらに1987年春、FRBは、銀行がいくつかの「証券引き受け」業務を扱える旨の決定をくだしている。
1987年にグリーンスパン (元J.P.モルガンの役員) がFRB議長に就任して以降、GS法の規定緩和に向けての動きは加速化していった。1989年には、上記の証券引き受け業務は、総収入の10%にまで拡張されることになった (最初に認可されたのはJ.P.モルガン)。FRBはさらに1996年12月、銀行持ち株会社が証券会社を子会社として保有することを、25%までという条件で認可した。 1998年2月になると、トラベラーズ保険会社 (社長はS. ワイル)とシティ・コープ (頭取はジョン・リード) の合併話がもち上がったが、これは当時の法律下では不可能であった。だがグリーンスパン、ルービン、クリントンといった政府首脳にたいし猛烈なロビー活動が展開され、同年9月、FBRはついに両社の合併に同意を与えるに至ったのである。
以上がアメリカで展開された「金融の自由化」運動である。FRBはさらにGS法第20節の「原則的に携わる」の「原則的に」を拡大解釈していき、GS法の形骸化をもたらしていった。その最後の鉄槌がGS法自体の廃止を求める猛烈な運動であり、その結果1999年11月、GLB法の成立をみるのである。
GLB法の推進者達 - GLB法を成立させるのに積極的な役割を演じたのは、ワイルやリードといった金融家のほか、ルービン、サマーズ(庇護者はルービン)、グリーンスパン、グラム上院議員 (共和党)といったネオ・リベラリスト達である。同法の策定者はサマーズとグリーンスパンであったが、これは「シティ・グループ認定法」の別名で知られる。
2000年7月に財務長官を辞任したルービンは、シティの経営執行委員会委員長に就任した。その在任中、彼は「債務担保証券」(CDO) をはじめとするリスキーな投資ビジネスにシティ・グループを導いていった (因みに現在の財務長官ガイトナーは、当時サマーズの庇護下にあり、ニューヨーク連銀の総裁であった。2008年9月、彼はリーマン・ブラザーズを倒産に追いやったが、巨額の公的資金を投入することでシティ・グループを救済している)。
グラムであるが、彼は2000年12月の「商品先物現代化法」(以下、CFM法と略記) の成立にも深く関与している。同法は、エネルギーの先物取引および「クレジット・デフォルト・スワップ」(以下、CDSと略記)の合法化をもたらす契機になったものである。
CFM法の制定されるまえ、商品先物取引委員会 (CFTC) にあって、委員長B. ボーンは、OTC(Over-the-Counter. 相対取引)デリヴァティブ (とりわけCDS) がどこからの規制も受けることなく販売されていることに警戒感を抱き、その規制の必要性を訴えていた。だが、この動きはグリーンスパン、ルービン財務長官、サマーズの猛反対のまえに挫折し、その後、逆に規制緩和への動きが加速化することになった。その成果がCFM法なのである。レーガン、G.H.ブッシュ政権時のCFTC委員長であったウェンディ(グラムの妻)は、CMF法を成立させるため強力な運動を展開した。彼女はその功績でエンロンに迎え入れられることになる。
エネルギー取引が監視対象からはずされたこと(いわゆる「エンロンの抜け穴」)で知られるCFM法の最大の特徴は、「シングル・ストック先物」が許容された点である。このことで、より巨額のレヴァリッジが可能となり、投機行為のさらなる拡大につながったのである(同法は2000-2001年のカリフォルニア州の電力危機に大いなる責があるとされている)。
エンロンであるが、同社は1990年代からデリヴァティブ取引に積極的であった。1999年には「エンロン・オンライン」を設置し、デリヴァティブ取引を急激に拡大させたのであるが、その後大規模な不正会計が発覚し、ついには倒産に追い込まれ、いわゆる「ドットコム・バブル」の崩壊をもたらした。
グラム2はその後、大手投資銀行UBSの幹部として迎えられた。彼は、同社のCDSの拡大を推進するうえで中心的な役割を演じたとされる3。
3. 世界金融システムの不安定性
金融の自由化がもたらした世界経済への影響を、われわれはどのように評価すべきなのであろうか。たしかに資本が高い利潤率を獲得できる地域に移動できる可能性を開いたことで、そうでなければ機会のなかった地域の経済を活性化させ、経済成長をもたらした、というのは金融の自由化の演じたポジティブな側面である。
しかしその側面をめぐる考察は他の機会に譲ることにし、ここでは金融資本による「濡れ手に泡」的な過度の投機的行為が世界経済を非常に不安定なものにしてきたという点、そしてその程度が時を追うにつれてひどくなっていったという点に焦点を合わせる。とりわけ、世界経済を不安定なものにするうえで最大の要因となった「シャドウ・バンキング・システム」の肥大化を取り上げることにし、そのうえで実際に生じた2つの事例をみることにする。
「シャドウ・バンキング・システム」の肥大化 - 1980年代に本格化した金融の自由化は、「シャドウ・バンキング・システム」(以下、SBSと略記) を生み出すことになった。それまでアメリカの金融システムは、銀行業の投機的活動を抑制すべく1933年に制定されたGS法のもと、FRBの監督下におかれていたのであるが、既述のような規制緩和運動の結果、どの機関の監視からも逃れ、自由に (= 好き勝手に) 行動できるヘッジ・ファンド、「投資ビークル」(SIV)、「プライベート・エクィティ」などの金融機関が多数生まれることになった。彼らが資金を調達する方法として編み出していったのが(MBS [住宅ローン担保証券]、CDO、CDSなどに代表される)「証券化商品」であり、レヴァリッジである。
監視を逃れたこれらの金融機関は巨額の資金をもとに (それに、クォンツによる金融工学の手法を利用しつつ)、投機活動に邁進していくことになった。彼らが巨額の利得を獲得し続けたため、FRBの監督下にあった銀行も、「投資ビークル」に象徴されるオフ・バランスの手法などにより、SBSに参入していくことになった。こうして金融の自由化は、グローバル・レベルで巨額の資金を用いて短期的投機行動を展開する、そしてその活動を規制する機構が欠落した金融システムであるSBS ― それはグローバリゼーションの申し子であり鬼子である - を誕生させることになった。こうしたSBSの肥大化は、世界の金融システムを非常に不安定なものにしていくことになった。
金融自由化の行き過ぎは、これまでも世界経済を危機的状況に陥れることがあったが、2008年9月、ついに世界の金融システムは破裂し、今回の世界経済危機をもたらすに至った。はたして、このようなSBSは、社会の、そして資本主義システムの発展にとり望ましいものなのであろうか。これらの金融機関が、科学的・客観的技術との評価を受けてきた金融工学的手法を武器に展開する投機的活動は、いかなる意味で正当化されうるものなのであろうか。
以下では、金融自由化の行き過ぎが引き起こしたグローバルなレベルでの経済的不安定性を2つの事例でみることにしよう。1つは 1997-1978年のアジア金融危機、もう1つは今回のサブプライム・ローン危機である。4
アジア金融危機 ― 1997年、マクロ・ファンドにより引き起こされたアジア金融危機は世界的な広がりをみせた。ドル・ペッグ制を採用していたタイは、世界的にドル高(円安)が生じてきたためバーツ高になり、輸出が不振に陥り始めていた。そこに目をつけたヘッジ・ファンドがバーツを売り浴びせたため、ついにバーツは切り下げられることになった。それまで短期で借り入れたドル資金に依存して経済成長を続けていたタイ経済は、返済負担の急増により深刻な不況に陥った (他方、ヘッジ・ファンドは膨大な投機益を手にした)。この不況の波は、マレーシアやインドネシアへと伝播していった。
それに連鎖して生じたのが、(1998年の) ロシア金融危機である。ロシアは、ソビエト連邦の崩壊後、「ビッグバン」型の資本主義化を強行したものの失敗に帰しており、1997年当時、激しいインフレと財政危機に襲われ、最悪の経済状況にあった。ロシアは必要な資金を国債の発行で調達していたが、これに目をつけたのが、かの有名なヘッジ・ファンド「ロングターム・キャピタル・マネジメント」(LTCM)である。
LTCMは創設者に、オプション価格を決定する「ブラック-ショールズ式」で有名なノーベル経済学賞受賞者2名が含まれていることで有名であった。企業規模は高々150名ほどであったが、初期の成功ぶりに世界中の銀行が「白紙小切手」を切るばかりの勢いを有していた。LTCMは資産50億ドルの「中立型ヘッジ・ファンド」であったが、1998年には1000億ドルをコントロールし、1兆ドル のポジションをとるに至っていた。
だがLTCMの投資行動は、ロシア政府の国債デフォルト宣言で頓挫し、放置すれば世界的な金融危機を到来させる危険性が高まった。そこでFRBはニューヨーク連銀の指導のもと、1998年9月、ウォール街のメガバンクにLTCMへの緊急融資をさせることで、この危機を切り抜けたのである。
サブプライム・ローン危機 - 2008年秋、深刻な経済危機として現出したのがサブプライム・ローン危機である。 2005年以降、高金利のサブプライム住宅ローンが信用力の低い低所得者層を対象に貸し付けられるようになった。大手金融機関はこの住宅ローンを買い上げ、これを担保に数多くの「証券化商品」が「パッケージ」として階層的に組成されていった。それらはムーディーズをはじめとする最高の権威を有する格付け会社から、きわめて安全な証券との認定を受け (サブプライム住宅ローンからの証券化商品の80%にトリプルAが与えれられた)、世界中に販売されていった。金融機関はといえば、審査らしい審査もすることなくサブプライム住宅ローンを貸し出し、それをもとに階層化された証券化商品を組成する、さらにそれに格付け会社が最高の格付けを与える、その結果として証券化商品は高利回りの商品として人気を集める…。こうした負の連鎖が続いたのである。
4. 「金融自由化」考
上記に示したごとく、「金融の自由化」は「金融資本の自由化衝動」を起爆剤とするものであった。それは、アメリカの銀行界がGS法の規制下におかれている状況を打破し、その規制にかからずに発展していく証券業界との競争に対抗するための、さらには世界の金融市場を自己の支配下におくための、活動であった。このような衝動に政府の有力者 (ルービン、グリーンスパン、サマーズ等) は同調し、(既述のように) FRBや財務省は、GS法第20節の拡大解釈を通じ、その骨抜きを促進していき、ついにはGLB法とCMF法を成立させることに尽力したのである。
覇権国家的意義 ―金融の自由化は、超大国アメリカが世界支配を維持・継続していくうえで、彼らに残されている数少ない方法であると考える政府当局者の認識とも符号するものであった。1980年代の惨めな経済的パフォーマンスに苦しんでいたアメリカにあって、金融をテコにした世界への影響力の復権・拡大は、政府当局者(レーガンをみよ)にとってまたとない方法・機会であると考えられた。IMFや世界銀行を通じた「ワシントン・コンセンサス」 (「構造調整プログラム」)の推進や、1990年代に生じたソ連ブロックの瓦解に伴い、同地域の多くの政権がアメリカの経済学者 (最も有名なのはハーヴァード大学教授A. シュライファー [庇護者はL.サマーズ]) を招聘して、資本主義の「ビッグバン」的導入の遂行[この試みは、最悪の経済パフォーマンスをもたらすことになった] も、それと軌を一にする動きであった。
これらの運動を強烈に後押ししたのが、「ネオ・リベラリズム」、ならびにファイナンス理論や「新しい古典派」からの「知的権威」であった。「ネオ・リベラリズム」はその表向きの顔とは裏腹に、非常に権力志向的なイデオロギーを漂わせている。「自由」の唱道者として、自らが考える自由が実現できていない国にたいしては、ときには「構造調整プログラム」により、ときには軍事力により介入するというのが「ネオ・リベラリズム」の特徴である。その意味で、「ネオ・リベラリズム」は「ネオ・リベラリズム+パワーイズム」なのである。
さらに政治力学的には、これらの運動は金融資本と金融政策当局との露骨な「ギブ・アンド・テイク」 ― 巨額の見返りを前提にする、金融資本と金融政策当局との「超」親密な関係 ― を機軸に展開されてきた「クレプトクラシー」(Cleptocracy)といえよう。
経済的意義 ― こうした「金融の自由化」は経済的にみると、どのような意義を有するものなのであろうか。金融の自由化は金融機関が資金の調達を自ら創造していくことのできる空間の拡張である。「証券の商品化」が多層化され、レバレッジも拡大していく。こうして獲得された資金をもとに、金融機関は投機的な利潤追究をかぎりなく展開していく。しかもそれは経営幹部同士での利得の分捕り合戦の様相を呈しており、「企業の社会的責任」(CSR)といった認識を完全に喪失するまでに至っている。
ヘッジ・ファンドによる、世界のなかの弱った地域に目をつけ、そこに投機的攻撃を仕掛け、巨万の利得を得ようとする行為、当該国に多大の損失を与えることを意に介さない行為 (それは当該国の経済システムに問題があるとする姿勢)- こうしたことが近年、露骨なまでにみられた。
こうした「金融のための金融」、実体経済を無視した投機行為は本来あるべき金融の役割 - 実体経済を成長させるうえで必要な資金を融通するという受身的役割 - からはかけはなれた、金融資本による利殖追究の自己目的化であり、市場経済の円滑化とは真逆の行為である。この結果、ケインズのいう「実体経済が投機的渦に巻き込まれる」事態が生じたのである。
SBSの拡大は、金融の自由化を推進させてきた(アメリカを筆頭とする)政府当局者による活動の産物でもあった。これは、金融業界と政府当局の「超」親密な関係が結ばれることにより、政府当局者が本来依拠すべき国民経済の安定的成長の促進というスタンスからの逸脱である。政府は金融界とは一線を画すべきであり、国民経済全般の福祉を第一義的に考えて政策運営に臨むべきである。然るに、「金融の自由化」に邁進する運動過程にあって、アメリカをはじめとする諸政府は金融界と一体化して(グルになって)きたのである。その代償が、ヘッジ・ファンドの暴走、「証券の商品化」の多層化であり、今回のメルトダウンであった。
日本およびBRICSへの影響 ― 90年代の米英を中心に展開した金融グローバリゼーションと金融工学を応用した金融商品開発は、一方で米英金融資本の世界市場支配を復活させた。しかも同時期、アメリカの企業者活動は成功裏に成長を遂げて復活した。
同じ時期、日本は自国の金融危機(さらにはBISの自己資本比率順守の要請)により、世界の金融市場から撤退せざるをえないという状況に追い込まれていた。その上、企業者スピリットという点で日本はアメリカにたいし完全に後塵を拝することになった。このことは80年代に日本は既存の企業がイノヴェーショん分野を組織内に取り込むかたちで成功裏に展開できたたのとはきわめて対照的な現象であった。
同じ時期、日本は自国の金融危機(さらにはBISの自己資本比率順守の要請)により、世界の金融市場から撤退せざるをえないという状況に追い込まれていた。その上、企業者スピリットという点で日本はアメリカにたいし完全に後塵を拝することになった。このことは80年代に日本は既存の企業がイノヴェーショん分野を組織内に取り込むかたちで成功裏に展開できたたのとはきわめて対照的な現象であった。
その結果、日本経済は名目GDPを結果として上昇させることができなかった。他方、金融のグローバリゼーションは結果的に新興国BRICSの高度経済成長にも貢献することになり(資本の移動、一次産品自身がインデックス投機の対象となり、高価格化をもたらしたこと)、この20年のあいだに、日本経済の世界におけるポジションはあらゆる指標でみても劇的な下落をみることになったのである。
5. 金融規制改革の必要性
5.1 なぜ必要なのか
なぜ金融に規制が必要なのだろうか。この点について簡単に述べることにしたい。
現在の資本主義システムにあって、金融は必須であり、これなくして経済の円滑な運営、発展は考えられない。これは事実である。私たちは物々交換の時代に生きてはいない。経済取引は高度に分業が進展するなかで行われており、取引の一方には貨幣・信用が用いられている。
問題は、金融の自由化と資本主義の「健全な」発展との関係である。金融は、一般的な財やサービスと異なり、現在、中央銀行のみならず、金融機関にあっていくらでもただ同然で創出することが可能である。早い話、中央銀行が紙幣を輪転機で刷って、それを市中で財を大量に買い占めるために用いれば、中央銀行はその財を市場から奪い取ることが可能である。例えばりんごが市場に1000個存在するとして、中央銀行がこの方法で700個を買って自分たちで山分けしたとしよう。その後、公衆が受け取った給料でりんごを買おうとするとき、中央銀行が買い占めていなかった場合に比べて300個しか購入できない。しかも数が減っているからりんごの価格は上昇しており、公衆は少なくなったりんごを入手するさいに、実質所得を減少させられてしまう。これはいわゆる一種の「強制貯蓄」である。
金融のもつ1つの重要な問題はこれである。つまり、金融がだれからのチェックも受けない場合、その担当者は自己利益のために好き勝手なことをし、GDPからの受け取り分を異常なまでに多くする、つまりは所得分配を歪める。だから、金融はそのあり方を間違えると、いびつな資本主義を生み出す。金融についていわれる自由化は、金融資本にとっての好き勝手な自由化をもたらす危険性が絶えず存在する。
いまの事例は寓話的であるが、本質を突いている。今回のメルトダウンは、まさに金融工学の名のもとに、証券の上に証券を作り、その上に証券を重ね、そしてさらにその上に証券を創造する、といういわゆる「証券の商品化」現象(私は「親亀・小亀・孫亀・ひ孫亀現象」と呼んでいる)の爆発によって生じている。この行為は、見方を変えると、GDPの分配率を意図的に自らに有利なものにする「レント・シーキング」的行為という側面をもっている。メイン・ストリートの発展に寄与するという金融本来の役割をないがしろにしているからである。
現在の資本主義システムにあって、金融は必須であり、これなくして経済の円滑な運営、発展は考えられない。これは事実である。私たちは物々交換の時代に生きてはいない。経済取引は高度に分業が進展するなかで行われており、取引の一方には貨幣・信用が用いられている。
問題は、金融の自由化と資本主義の「健全な」発展との関係である。金融は、一般的な財やサービスと異なり、現在、中央銀行のみならず、金融機関にあっていくらでもただ同然で創出することが可能である。早い話、中央銀行が紙幣を輪転機で刷って、それを市中で財を大量に買い占めるために用いれば、中央銀行はその財を市場から奪い取ることが可能である。例えばりんごが市場に1000個存在するとして、中央銀行がこの方法で700個を買って自分たちで山分けしたとしよう。その後、公衆が受け取った給料でりんごを買おうとするとき、中央銀行が買い占めていなかった場合に比べて300個しか購入できない。しかも数が減っているからりんごの価格は上昇しており、公衆は少なくなったりんごを入手するさいに、実質所得を減少させられてしまう。これはいわゆる一種の「強制貯蓄」である。
金融のもつ1つの重要な問題はこれである。つまり、金融がだれからのチェックも受けない場合、その担当者は自己利益のために好き勝手なことをし、GDPからの受け取り分を異常なまでに多くする、つまりは所得分配を歪める。だから、金融はそのあり方を間違えると、いびつな資本主義を生み出す。金融についていわれる自由化は、金融資本にとっての好き勝手な自由化をもたらす危険性が絶えず存在する。
いまの事例は寓話的であるが、本質を突いている。今回のメルトダウンは、まさに金融工学の名のもとに、証券の上に証券を作り、その上に証券を重ね、そしてさらにその上に証券を創造する、といういわゆる「証券の商品化」現象(私は「親亀・小亀・孫亀・ひ孫亀現象」と呼んでいる)の爆発によって生じている。この行為は、見方を変えると、GDPの分配率を意図的に自らに有利なものにする「レント・シーキング」的行為という側面をもっている。メイン・ストリートの発展に寄与するという金融本来の役割をないがしろにしているからである。
この間、膨れ上がった証券化商品は、どの政府機関の監督下にもおかれずに、投資銀行やヘッジ・ファンドによるGDPぶんどり的行動に利用され、そのあげくのはてに経済システムの崩壊をもたらすに至ったのである。
規制や監督は自由化となんら矛盾する行為ではない。金融機関が自由化の名のもとに2000年代に行ってきたことは自由の名をかたった「市場無視」、「市場の透明性の無視」という側面が強くみられる行為であった。金融市場に明確なルールの枠組みをつくることは、きわめて重要であり、それを放置することを金融の自由化と同一視するのは誤りである。自分勝手な行為、とりわけ「誤った」投機行動(例えば「裸のCDS [Credit Default Swap]」)が金融システムをきわめて不安定なものにしてきているが、これは金融自由化の美名のもとに暴走した無批判な行動の結果である。本来、自由化とはゲームのルールのもとでの公正な競争であるべきである。ルールをなくし、市場と透明性を無視した環境下での競争は、誰かが獅子の分け前を不当にせしめる行為につながる危険性が高い。
規制や監督は自由化となんら矛盾する行為ではない。金融機関が自由化の名のもとに2000年代に行ってきたことは自由の名をかたった「市場無視」、「市場の透明性の無視」という側面が強くみられる行為であった。金融市場に明確なルールの枠組みをつくることは、きわめて重要であり、それを放置することを金融の自由化と同一視するのは誤りである。自分勝手な行為、とりわけ「誤った」投機行動(例えば「裸のCDS [Credit Default Swap]」)が金融システムをきわめて不安定なものにしてきているが、これは金融自由化の美名のもとに暴走した無批判な行動の結果である。本来、自由化とはゲームのルールのもとでの公正な競争であるべきである。ルールをなくし、市場と透明性を無視した環境下での競争は、誰かが獅子の分け前を不当にせしめる行為につながる危険性が高い。
リンカーン条項にたいし、ウォール・ストリートは激しい抵抗をみせ、ロビー活動を展開している。それは政府による不当な市場への干渉である、と彼らはいう。しかし、リンカーン条項が主張しているのは、「市場のルールを順守せよ」ということである。それを保証するための枠組みとして、デリバティブ取引を株式市場のように、公正に、そして透明性をもったものにすべく監視するというものなのである。リンカーン条項は「デリバティブ取引の問題は、どこからの監視も受けず、したがって秘密裏に巨額の資金をレバレッジ手法をも用いながら、しかもOTC取引で遂行するという秘密性、不透明性が今回のメルトダウンの大きな原因である」という反省の上に成立している。私たちはあらためて「市場とは何か、市場とはいかにあるべきか」がここで問われている。
5.2 (再考を迫られる)「自由」概念と「市場」概念
1980年代以降、世界経済をいくどとなく襲ってきた金融危機、そして今回のサブ・プライムに端を発したメルトダウンは、ネオ・リベラリズムのもつ危うさと問題性を強烈に露呈させている。
資本主義経済は「自己責任のシステム」である、と声高に唱道されてきた。自らの責任で未来に立ち向かう、成功も失敗も自らの責任であり、政府に頼るべきではないし、政府は市場に干渉すべきではない。ネオ・リベラリズムはこう主張し続けてきた。
だが、現状はどうであろう。資本の短期移動が極端なまでに自由化され、 金融工学の勝利として「証券化商品」の多層化が極端にまで進んだあげく、その先頭を走っていた多数の世界的金融機関が破綻してしまった。彼らは、金融工学のテクニックを駆使し、それに基づいて経営していることを誇りにしていた。多層化された証券化商品はその高度の技術に基づいて組成されてきた(はずであった)。しかるに、そのシステムが破綻に瀕するやいなや、政府からの莫大な公的資金を真っ先に要請・受け入れたのである (そして原理的大失態にもかかわらず、経営陣が解雇されるということはめったに生じていない。生じても巨額の退職金をせしめている)。
こうした事態が生じたことの一端は、「純粋な市場経済」を極端なまでに唱道したことに負っている。後先を忘れた自由化は、極端に短期的な投機行動を野放しにし、巨大資本ならびに大衆は一攫千金を求めるあまり、企業倫理・社会倫理を無視する行動を蔓延させることになった。 その行き着いた先が、「自己責任」原理の放棄と国家への救済要請である (巨額の公的資金を受けた企業の幹部が巨額のボーナスを自らに支払う、というスキャンダルがアメリカ社会を倫理的にも揺さぶっている。経営幹部はそれを「契約の履行」で正当化しており、ここに経営倫理の崩壊をみる)。
他方、サブ・プライム・ローンを組んで破産した大衆は住宅を差し押さえられ、ローンの支払いは残されたままの状態におかれている。彼らには、「自己責任」原理が押し付けられているのである。ネオ・リベラリズムは繁栄の大義名分のもとに貧富格差を拡大させてきたし、今回のメルトダウンにあっても、大衆は後回し状態におかれている。「市場に任せればいい、企業は自己責任原理で経営されている」とするネオ・リベラリズムは、現実を前に崩壊している。
ネオ・リベラリズムがもたらした過失のなかでも重要なもの、それは、市場の「不在化現象」と「不透明化現象」5を推進させた点である。これは、市場を絶対視しながら、じつは市場を無視した行動をとっているという問題であり、いわば「市場」を隠れ蓑にした利己的行為である。市場を食い物にする偽善的・欺瞞的行為ともいえるであろう。
6.ドッド=フランク法
6.1 概要
ドッド=フランク法は、ルーズベルト大統領が1920年代のアメリカにあって金融的投機がもたらした世界金融不安、そして大恐慌の発生を根絶すべく成立させた1933年のGS法(グラス=スティーガル法)の現代的再来である。
GS法はその後、1970年代末頃まで、アメリカの金融システムを規定するものであったが、金融自由化を希望する声が高まるなか、そして新自由主義(ネオ・リベラリズム、ワシントン・コンセンサス、市場原理主義)の後押しを受け、また金融工学(効率的市場仮説など)からの後押しも受け、次第に骨抜きにされていった。その最終的象徴が、1999年のGLB(グラム・リーチ・ブライリー法)である。
こうしたなか、SBSが肥大化し、ついには証券化商品の異常な多層化のもと、ついにはリーマン・ショックからのメルトダウンに突入していく。
ドッド=フランク法案はSBSの根絶とそれを政府の監督下におくことで、健全な市場経済を復活させる法的枠組みを再構築しようとするものである。精神においてグラス=スティーガル法のそれを継承するも、この30年間の金融市場は複雑な発展を遂げてきており、当然ながらそれへの対処は1920年代とは異なる。GS法の現代版であって、GS法の復活ではない。
ドッド=フランク法の要点を示そう。
(1) 消費者金融保護局(Consumer Financial Protection Agency)の創設
GS法はその後、1970年代末頃まで、アメリカの金融システムを規定するものであったが、金融自由化を希望する声が高まるなか、そして新自由主義(ネオ・リベラリズム、ワシントン・コンセンサス、市場原理主義)の後押しを受け、また金融工学(効率的市場仮説など)からの後押しも受け、次第に骨抜きにされていった。その最終的象徴が、1999年のGLB(グラム・リーチ・ブライリー法)である。
こうしたなか、SBSが肥大化し、ついには証券化商品の異常な多層化のもと、ついにはリーマン・ショックからのメルトダウンに突入していく。
ドッド=フランク法案はSBSの根絶とそれを政府の監督下におくことで、健全な市場経済を復活させる法的枠組みを再構築しようとするものである。精神においてグラス=スティーガル法のそれを継承するも、この30年間の金融市場は複雑な発展を遂げてきており、当然ながらそれへの対処は1920年代とは異なる。GS法の現代版であって、GS法の復活ではない。
ドッド=フランク法の要点を示そう。
(1) 消費者金融保護局(Consumer Financial Protection Agency)の創設
これをFRBのなかにおく。しかし、それは独立したものであり、それを明示するために、トップは大統領による任命である(これは上院案に従いつつ、下院案、大統領の見解を反映した妥協的なものになっている)。
この趣旨は、サブ・プライム・ブームのとき、金融機関がついには無審査で住宅ローンを組む(Ninja Loan [no income, job or assets]など)までに至り、その結果多くの人が無謀なローンを組み、購入後、デフォルト状態に陥った。こうした事態の再発を防止すべく、消費者が金融機関に騙されたり、不公正な契約をさせられたりすることを防止するために設置されるのが、この消費者金融保護局である。
この趣旨は、サブ・プライム・ブームのとき、金融機関がついには無審査で住宅ローンを組む(Ninja Loan [no income, job or assets]など)までに至り、その結果多くの人が無謀なローンを組み、購入後、デフォルト状態に陥った。こうした事態の再発を防止すべく、消費者が金融機関に騙されたり、不公正な契約をさせられたりすることを防止するために設置されるのが、この消費者金融保護局である。
(2) ヴォルカー・ルール
これは銀行が「自己勘定取引」を行うことを禁ずる条項である。預金を預かる銀行が、同時に投機的行為に走ることで、預金者の預金を危険にさらすことを禁ずるものである。
これは銀行が「自己勘定取引」を行うことを禁ずる条項である。預金を預かる銀行が、同時に投機的行為に走ることで、預金者の預金を危険にさらすことを禁ずるものである。
(3)リンカーン条項(この言葉は実際には使われていない)
ブランチ・リンカーンによるもの。OTC (Over the Counter) デリヴァティブ(相対取引によるデリヴァティブ)を廃止し、公開の市場を創設することで取引を透明・公正なものにすることを目的とする条項 (この条項はオバマ大統領は反対していたが、ドッド=フランク法のなかに組み込まれた)。
ブランチ・リンカーンによるもの。OTC (Over the Counter) デリヴァティブ(相対取引によるデリヴァティブ)を廃止し、公開の市場を創設することで取引を透明・公正なものにすることを目的とする条項 (この条項はオバマ大統領は反対していたが、ドッド=フランク法のなかに組み込まれた)。
(4) システミック・リスクを防止するための委員会
財務長官をトップにすえた9人からなる委員会
財務長官をトップにすえた9人からなる委員会
(5) ニューヨーク連銀のトップは大統領による任命制に変更する。
これはウォール・ストリートの影響力を遮断するというねらいがある。
これはウォール・ストリートの影響力を遮断するというねらいがある。
(6) 巨大金融機関が破綻しそうな場合、そのスムーズな清算・解体を金融機関からの資金で遂行する。TBTF (Too Big Too Fail) 思想を禁止する。巨大銀行は、自分が巨大であるがゆえに、万一経営に失敗しても、国はかならず助けてくれる(もし助けなければ、アメリカ経済全体が危機にさらされるから)と考えがちである。そのことで、とんでもない危険な投機行為に走ることになる。典型的なモラル・ハザードである。こうした考えに挑み、破綻しそうな金融機関の清算処理に必要な資金を国民の税金ではなく、金融機関の自己負担で処理させようとするもの (当初、銀行税 [大手銀行およびヘッジ・ファンドを対象に5年間に200億ドルの徴収] が考えられていたが、スコット・ブラウン議員の賛成票を得るために、ドッドは最終局面にあって、この条項を棄却した。それに代わり、TARPからの110億ドルおよびFDICルールが掲げられている)。5
6.2 成立後から2011年8月頃まで
こうしてオバマ大統領は、いくたの困難への遭遇にもかかわらず、みごとにそれを乗り越え、歴史的にみてもきわめて大きな金融規制改革法案の成立に成功した。が、その具体的実行過程は非常な困難に遭遇して、今日に至っている。
ドッド=フランク法のその後の状況を記しておこう。
2010年7月に成立したドッド=フランク法で新設された組織の重要ポストがなかなか決まらないという状況は9月には生じていた。予想されたとおり、金融界のロビー活動も激しさを増していった。
やがて11月の中間選挙が到来した。そして共和党がティー・パーティの波に
も助けられて下院で多数党となり、上院でも民主党に肉薄する躍進振りをみせた。そこで、事態は急変することになる。
2011年1月、ティー・パーティに属する共和党議員がドッド=フランク法
の廃案動議を下院に提出した。その趣旨は「同法は、銀行にたいする行政の過大な権限の付与であり、大きな政府の出現である。それは失業をもたらす。それにファニー・メイなどのGSEには何の処置もとっていない。そしてそれは違憲である」と、全面否定に立っており、そして要求しているのは、元の状況を保持するというものであった。この動議は下院は通過したが、上院を通過することはない。それに両院が通過してもそれが2/3以上の多数決 (supermajority) でないかぎり、大統領の拒否権を凌駕することはできない。とはいえ、これは共和党の力・意思を表明した場面であった。
共和党もドッド=フランク法の廃案は無理だと認識しているので、現実策としては、それを骨抜きにする作戦に出ている。具体的には、金融規制に大きな役割をはたす機関への予算の大幅カットにより、実質的に動けなくしようとする行動である。
共和党もドッド=フランク法の廃案は無理だと認識しているので、現実策としては、それを骨抜きにする作戦に出ている。具体的には、金融規制に大きな役割をはたす機関への予算の大幅カットにより、実質的に動けなくしようとする行動である。
とりわけ重要な争点となったのが、CFPB (消費者金融保護局)の組織のあり
方であった。まずはその局長問題である。大統領側が推す最有力候補はE.ワレ
ンであるが、これには共和党は強硬に反対を表明するに至った。その後、大統
領はワレンを諦め、2011年7月18日、R.コードレイを指名している。
共和党側は3つの提案を準備してきた。第1は1人の長ではなく(党指導部が
指名する)5人の委員会による合議制にすること、第2は予算をFRB内部から
ではなく (CFPBはFRBのなかに、しかしそれとは独立した機関として設立さ
れることになっている)議会の承認事項にすること、である。あくまでも強力
な活動が予想されるワレンを阻止し、かつ予算を削減することで活動を抑制さ
せようという作戦である。第3はその活動は、銀行監督機関の委員会での
多数決に服するものとする、というものである。
共和党が下院に持ち込んだのは「消費者金融保護の安全と健全性改善法」
(H.R.1315. S.ダフィ議員)であり、7月23日、下院を通過した(241:173)。これ
は名とは真逆で、上記の線に沿って、ドッド=フランク法の1023項を変更する
ことで同法の骨抜き、とりわけCFPBの無力化を目的とするものであった。そ
してウォール・ストリート側がさらなる抜け穴を完成させるための時間稼ぎも
目的にしていた。これが上院を通過することはないであろうし、大統領も拒否
権を発動すると述べている。
もう1つ共和党が大きなターゲットにしたのが、CFTC (Commodity Futures
Trading Commission)、SEC (Securities and Exchange Commission)であった。税
カットの必要性にかこつけての行動である。これらの組織の重要ポストも完全
に決まることはなかった。例えば、CFTCのコミッショナーとして、8月2日、
大統領はM. ウェチェン (Wetjen) を指名したが、上院での承認が必要である。
共和党は彼らの主張が受け入れなければ、大統領の推薦する長を容認しないことを明言している。大統領は相当の妥協を余儀なくされることになるかもしれない(唯一の抜け道は、いわゆるRecess Appointmentで議会閉会中に任命してしまうという方法)。そうなると、結局、金融界は政府にベイルアウトされて急速に立ち直ったうえで、今度は共和党の力を借りて自らの投機的行動を監視する機関の設立を阻止できることになる。SBSは健在で、そして再び巨大な金融危機が世界を襲うという事態が生じることになるであろう。
もとより、金融規制法案が成立したのはアメリカだけである。アメリカが法案を成立させても、他の国、とりわけイギリスやEUが同様の対処をしないのであれば、抜け穴だらけになってしまう。金融はよくも悪しくもグローバルな展開が最も活発になされてきた世界である。アメリカが規制を強化しても、他が同調しなければ、そうした投機活動は場所を移して続けられることになる。残念ながらその恐れはかなり強い。でもアメリカが最初にやらなければどこがやる、ということはいえる。そのアメリカでの金融規制改革法案が実施において大きな後退をみせる様相を呈しているのである。
もとより、金融規制法案が成立したのはアメリカだけである。アメリカが法案を成立させても、他の国、とりわけイギリスやEUが同様の対処をしないのであれば、抜け穴だらけになってしまう。金融はよくも悪しくもグローバルな展開が最も活発になされてきた世界である。アメリカが規制を強化しても、他が同調しなければ、そうした投機活動は場所を移して続けられることになる。残念ながらその恐れはかなり強い。でもアメリカが最初にやらなければどこがやる、ということはいえる。そのアメリカでの金融規制改革法案が実施において大きな後退をみせる様相を呈しているのである。
ドッド=フランク法はほとんど目的とする効力を発揮することなく現在に至っている。ウォール・ストリートは巨額の資金を政界に投入し6、ロビー活動を通じて同法の効力をそぐこと、抜け穴を大きくしていくことに全力を注力してきた。そしてそのことに相当程度成功してきているのである7。
6.3 現状 ― 2013年7月
ドッド=フランク法の現状は次のようになっている (7月11日に開かれた上院での委員会におけるFRB理事タルッロによる証言に基づく)。
全体的には相当進行しており、ほとんどのドッド=フランク法の主要条項のルール策定プロセスは終了しようとしている。すでに最終決定がなされ、実行に移されているものもあれば、企業や市場がルールに慣れるのに移行期間を設けているものもある。またいくつかのものは数ヶ月ほどで完了するであろう。
・バーゼルIIIによる資本ルールの遂行
7月、FRB、OCC、FDICはこの実施についての最終案に同意した。ただし、大金融機関には2014年1月までの猶予期間、中小金融機関には2015年1月までの猶予期間が与えられている。
・大銀行へのストレス・テストおよび資本計画の要求
今秋、フルセットのストレス・テスト要求を資産500億ドル以上の (10数行の) 銀行機関に拡張することが予定されている。
今秋、フルセットのストレス・テスト要求を資産500億ドル以上の (10数行の) 銀行機関に拡張することが予定されている。
・大銀行への堅実性向上の要求
解体計画およびストレス・テストについての規則はすでに決定されている。
・大銀行の破綻処理の実行可能性の改善
「秩序ある解体機構」 (OLA) が設置され、そのもとでFDIC は、株主およ
・大銀行の破綻処理の実行可能性の改善
「秩序ある解体機構」 (OLA) が設置され、そのもとでFDIC は、株主およ
び債権者に損失を負担させ、経営陣を入れ替え、他方、健全な部分の運営は
残すかたちで金融機関を分解することができる。
・銀行機関の構造改革
キーとなるのは、ヴォルカー・ルール[自己売買の禁止]とデリヴァティブ排除条項 [リンカーン条項の領域]である。
ヴォルカー・ルール ― FRBおよびSECは共同で2011年秋ヴォルカー・ルールを実施する規則を提案した。CFTCも数ヵ月後に同様の提案をした。が、実現に至っていない。ヴォルカー・ルールが本年末までに完成することが期待されている。
キーとなるのは、ヴォルカー・ルール[自己売買の禁止]とデリヴァティブ排除条項 [リンカーン条項の領域]である。
ヴォルカー・ルール ― FRBおよびSECは共同で2011年秋ヴォルカー・ルールを実施する規則を提案した。CFTCも数ヵ月後に同様の提案をした。が、実現に至っていない。ヴォルカー・ルールが本年末までに完成することが期待されている。
デリヴァティブ排除条項 ― 2013年7月16日に実行に移されるが、預金保証機関は2年間の延長を要求することができる。
・シャドウ・バンキング・システム対策
極度にレヴァレッジを用いる金融機関への巨額の短期資金調達を防止する対策。とくにノン・バンクの2つの機関がその対象として今週指定された。
・単独での相対取引 (OTC) への貸付額規制問題 ― 検討中
ドッド=フランク法(金融規制改革)の目玉の1つである「消費者金融保護局」であるが、その局長にオバマはリチャード・コードレイを指名したのが既述のように2011年7月のことであったが、共和党はそれにたいしても反対の論陣を張り続けた。オバマはこの事態に直面して、2012年1月の「リセス・アポイントメント」により、コードレイを就任させることになった。ここに、CFPBはようやくトップを得たことで「動き始めた」ことになる(それまでは動けなかった。ドッド=フランク法が制定されてから1年半が経過しようとしていた)。
だが、上院ではその後も共和党が中心となってコードレイの局長就任を認めないまま2013年の7月を迎えたのである (その間、さらに1年半が経過している)。
7月になり、民主党の上院リーダー、ハリー・リードがいわゆる「原爆オプション」なるものを出すとの脅しをかけた。これにより、共和党も妥協もしくは休戦に同意し、7月16日、コードレイをCFPBの局長として承認することになった次第である。金融規制改革の実施はおくれにおくれて今日に至っている。そのことを象徴するできごとである。
6.4 イギリスの場合
ヴィッカーズ報告は、イギリスで検討が進められてきた金融規制改革につい
ての重要な報告 (4月に中間報告が出ている)で、2011年9月にIndependent
Commission on Bankingによって発表された。
ヴィッカーズ報告の一番の特徴は、商業銀行と投資銀行のあいだにリング・フェンスを張って2つの業務を分離独立させるというもの。この点でアメリカのグラス=スティーガル法 (1933年) の方針を継承している。
注目すべきは、これがたんなる報告書に終わっておらず、政府がこの勧告のほとんどを承認するかたちで、法案の制定に向けての活動が展開している点である。骨格は、商業銀行と投資銀行のあいだに「リング・フェンス」を張ることで、前者の預金を後者が投機的目的に使用することを防止しようとするものである。アメリカでのグラス=スティーガル法と精神において似ているが、両銀行の分離ではなく「フェンス」を張るという点が異なる。もう1点は、イギリス銀行の「損失吸収力」を高めるという特色を有している。
政府は、2015年5月までに「リング・フェンス」に関連する政策および法案の提出を明言している。そしてその後、ただちに銀行にたいしてはそれに応じた変革の実施を行うことを要請している。さらに「損失吸収力」については2019年までに完成することを明言している。
(なお、ユーロ圏は、ヴォルカー・ルールをとるべきか、リング・フェンス方式をとるべきか、あるいは双方を取り入れるべきかを考慮中である。さらに「バンキング・ユニオン構想」やトービン税 (金融取引税) によるインフラ投資などの考えが浮上している。)
注目すべきは、これがたんなる報告書に終わっておらず、政府がこの勧告のほとんどを承認するかたちで、法案の制定に向けての活動が展開している点である。骨格は、商業銀行と投資銀行のあいだに「リング・フェンス」を張ることで、前者の預金を後者が投機的目的に使用することを防止しようとするものである。アメリカでのグラス=スティーガル法と精神において似ているが、両銀行の分離ではなく「フェンス」を張るという点が異なる。もう1点は、イギリス銀行の「損失吸収力」を高めるという特色を有している。
政府は、2015年5月までに「リング・フェンス」に関連する政策および法案の提出を明言している。そしてその後、ただちに銀行にたいしてはそれに応じた変革の実施を行うことを要請している。さらに「損失吸収力」については2019年までに完成することを明言している。
(なお、ユーロ圏は、ヴォルカー・ルールをとるべきか、リング・フェンス方式をとるべきか、あるいは双方を取り入れるべきかを考慮中である。さらに「バンキング・ユニオン構想」やトービン税 (金融取引税) によるインフラ投資などの考えが浮上している。)
7. むすび
以上、この30年間に生じた金融の自由化と、それが資本主義システムにもたらす不安定性の増大という問題を、世界資本主義の中心たるアメリカを対象にみてきた。わたし達は金融を抜きにして資本主義システムの存続を考えることはできない。しかし、だからといって金融を自由放任の状態のままにおくならば、より深刻な経済破綻が今後も生じる恐れがある。このじゃじゃ馬をコントロールしながら、「正しい資本主義」を維持・発展させていくことができなければ、資本主義の将来はきわめて危ういものとなるであろう。
アメリカではようやくSBSの解消、本来的な市場の役割を重視した枠組み作りが1つの法律として完成する日が近づいている。またEUでも、ユーロ危機が発生するにおよんで、金融システムを安定させることをめざしてのシステム作りが、遅ればせながら始まっている。その意味で、いまは30年ぶりに訪れた資本主義システムの大転換期である。
しかし、繰り返すが、これは大きな一歩であるが、一歩でしかない。SBSはリーマン・ショック後も野放し状態で今日に至っているうえ、メイン・ストリートの回復はアメリカでは緩慢であり、EUに至ってはめどが立っていない。先進地域の抱える経済的課題の解決はまだこれからなのである。
本報告が明らかにしようとした重要な論点、それは「規制」が「自由」に反するかのような誤解への警告である。ネオ・リベラリズムが展開してきた「市場」や「自由」には自己矛盾的要素、もしくは「市場の不在化現象」や「市場の不透明化現象」を含んでいる。それらを解消し、本来の市場、本来の自由のあり方を問うこと、これがいまほど求められているときはない。
今後の世界経済について言及しておこう。先進国経済は停滞が続く。とくにユーロ圏はユーロ・システムを防衛することが自己目的化しており、超緊縮政策のもと、社会不安が大きな高まりをみせている。
だが、それ以上に懸念される金融問題がある。最近、再び騒がれ始めているが、中国の不良債券問題が浮上してきている。シャドウ・バンキング(これまでのSBSとは意味が異なる)の肥大化である。これを政府がコントロールできなくなっている。これが破裂すると、リーマン・ショックを上回る衝撃波が世界経済を襲うことになる。金融システムは、いまだ非常に不気味なうなりをあげようとしているのである。
* 本報告は拙著 (2012) 第7章および第11章に依拠しているが、その後の進展によりアップデートされている。
1) この事実の解明に大きく貢献したのが「ペコラ委員会」(Pecora Commission) である。
2) グラムは1996年には共和党の大統領候補を目指したことがある。今回はマケイン陣営の主要な支援者であり、マケインが大統領に当選した暁には財務長官の椅子が用意されていたとされる。
3) UBSは今回の金融危機にさいし大きな痛手を受け、2008年10月、スイス政府から、60億スイス・フランの公的資金の注入ならびに720億スイス・フランにおよぶ不良資産の買取を受けた。
4) 世界的な影響を及ぼすことはなかったものの、アメリカ国内において生じた金融不安定性現象として重要なものにS&L危機(1990年前後)、ドット・コム・バブル (2001年頃。エンロンに象徴される)がある。
5) 簡単にいえば、「不在化」とは、市場そのものが存在しない現象で、証券化商品が複層化していくなかで生じた。また「不透明化」とは、どこへも届出義務のない、そして営業活動を秘密裏に行えるヘッジ・ファンドが巨額のマネーを動かすようになった金融市場がそれを具現している。
6) 1990年以来、ウォール・ストリート、不動産部門が議員に直接献金してきた総額は15億ドルである。ここにはロビー活動は含まれていない。本年だけでも下院共和党指導者E.カンターには38万ドル、共和党議長J.ベーナーには36万ドルが献金されている。
7) もう1つ、根本的な問題がある。ウォール・ストリートの構造改革はドッド=フランク法の目指すところではないという点である。その結果、構造的にはウォール・ストリートは政府のベイルアウトを受け立ち直り、経営陣は何の刑事責任も問われるなく居座り、かつ経営統合を通じて巨大金融機関は一層巨大化している。そしてTBTFに基づくモラル・ハザードも健在である。
ケインズ学会編・平井俊顕監修『危機の中で<ケインズ>から学ぶ』作品社、2011年。
平井俊顕『ケインズは資本主義を救えるか ― 危機に瀕する世界経済』昭和堂、2012年。
Bateman, B., Hirai, T., Marcuzzo, M.C. eds., The Return to Keynes, The Belknap Press of Harvard University Press, 2010.
Hirai, T., Marcuzzo, M.C., Mehrling, P. eds., Keynesian Reflections – Effective Demand, Money, Finance, and Policies in the Crisis, Oxford University Press, 2013.
Hirai,T. Capitalism and the World Economy - The Light and Shadow of
Globalization, Routledge, forthcoming.