資本主義と世界経済
-グローバリゼーションの光と影
1. はじめに
この30年間の世界経済の動向に最も大きな影響と方向性を与えてきたのは「市場にすべてを任せる」という「ネオ・リベラリズム」(サッチャリズムやレーガノミクス)であった。政府による経済への介入は効率性を阻害し発展を妨げる、規制は可能なかぎり撤廃するように構造を改革すべし、という思想である。「ネオ・リベラリズム」の信条に基づいて、金融、労働、資本の分野での自由化が、文字通りグローバルなスケールで進められてきた。
本報告では、このグローバリゼーションが資本主義と世界経済にどのような影響を与えてきたのかを広く検討することにしたい。最初に、資本主義システムについてその本質的特性を指摘したうえで、その問題点を検討する (第2節)。
続いて、グローバリゼーションを3つの類型に分けながらみていくことにする(第3節)。
2. 資本主義システム
2.1 本質的特性
資本主義システムの本質的特性は成長衝動を内包するシステムであり、その爆発力が資本主義化を促進するとともに既存システムを破壊するため、不安定性をも内在するダイナミックな経済・社会である。
その「成長衝動」・「動態性」は、「市場」と「資本」を通じて実現される。市場には「商品化」現象と貨幣経済性という2つの顕著な特性が認められる。
資本は「実物資本」と「金融資本」に大別される。実物資本としては工場や生産設備を、金融資本としては貨幣や債券・証券を思い浮かべればよい。市場を動かしていく重要な牽引車が資本である。
「金融資本」はあらゆる市場に目を配り、最も利益を獲得できそうな市場に資金を投入する。金融資本は自身を細分化し、さまざまな金融商品を創生していくという特性を有する。いわば、金融資本の細胞分裂による自己増殖的運動の展開である
資本主義システムを特徴付ける(「動態性」、「市場と資本」に続く) 第3の本質的要素は企業である。資本主義の根本的特性たる「動態性」を真に担っているのは企業である。企業は不確実な未来に向けて、大量の資金・人材を投入して、商品の開発、市場の開拓に乗り出していかねばならない。
以上の3点は、資本主義システムの長所である。市場という巨大なネットワークを通じて、経済活動が展開されることにより、経済主体(消費者、企業)は自主独立的行動を許され、そして無数の経済主体による無数の財・サービスが無数の市場というメカニズムを通じて、財・サービスが生産・交換され、さらには企業の活動を通じて、経済全体が動態的な発展を遂げていくシステムという長所である。
そこでは効率性は必然的なプロモーターであり、自由は随伴物である。特定の誰かによって促進されるというよりも、市場システムのもつ自律性によって発展がもたらされるからである。
資本主義システムは、合理的な行動を自由に選択できる経済主体の活動によって営まれるものであり、それは経済効率性の観点からみて望ましい状態をもたらす。それは、市場という、なかば「自然で」、「どの特定の人物からの支配・命令にも依存しないシステム」により、財・サービスの生産・交換が実現されるものであるから、社会主義システムや封建システムと比べ、自由という点で優れている。
2.2 問題点
資本主義経済システムがどのような特性をもつものであるのかを、前節では、いわば原理的にみてきた。以下では、資本主義システムの抱える深刻な問題点を3つのテーマに分けて説明していくことにする。
バブル現象 - 囚われる企業・人
バブル現象とは、経済が何らかの要因で過熱し、ついには政府がそれを抑制しようとしてもそれが不可能になり、ついには爆発・炎上してしまう状況を指す。かなり昔から生じており、17世紀のオランダで起きたチューリップ・バブル、18世紀ヨーロッパで生じたジョン・ローとともに知られる株式バブルがある。
経済学の上では、こうしたバブルは例外的な現象として処理されてきた。それらは資本主義の抱える本質的な問題ではなく、正常なプロセスを分析することこそが経済学の主要課題というのが、経済学の王道であった。さらにいえば、景気変動や失業現象も20世紀初頭になるまで、経済学では例外的現象とみなされてきた。古典派の二分法やセイ法則にたいする経済学者の信頼は熱く、資本主義社会における失業問題に真正面から取り組むということは、ケインズの登場を待たねばならなかったほどである。
それどころか、この20年はケインズ以前に遡る傾向がみられた。「新しい古典派」は、「古典派の二分法」や「セイ法則」を擁護し、非自発的失業の存在を否認するスタンスに立って、景気変動を論じるようになっており、しかもそれがマクロ経済学の主流となる事態にまでなっていた。
奇妙なことだが、この同じ20年間は、資本主義システムが非常な不安定性を増幅させてきており、バブル現象が恒常的に発生してきた時期である。代表的なものとしては、1980年代の末から1990年代の初めにかけての日本のバブルとその崩壊、1990年代中葉から2000年代初頭にかけてのアメリカのドットコム・バブルとその崩壊、2000年代の住宅バブル、サブプライム・バブルとその崩壊をあげることができる。これらのいずれもが、貨幣の異常な膨張とそれを利用しての投機的活動に起因している。しかもこれらは現代の諸政府がこうした動きを抑止することができずに破裂している。バブルを「例外的な事象」として片付けるとすれば、それは経済運営を託されている (はずの) 経済学者の無責任・無能力といわれてもいたし方のないところである。
バブルが経済システムにとって危険なのは、それが経済社会で活動する人間の本性を突き動かすからである。ライバル企業がバブルを利用して巨額の利益を得ているとき、「バブルは必ず破裂する」といって座して待つことは、企業組織のトップには、ほとんど許されていない。株主や社員からの激しい圧力が彼にかかってくるからである。
社員にあっても、その部に属する同僚が多額の注文を取り付けているとき、そして部長が部下の実績リストを公表しているようなときに、「バブルだから必ず破裂する」といって悠然と構えていることはできない。もしそういう態度をとれば、彼は直ちに左遷されるか、大幅な給料カットの待遇を受けることであろう。
こうしたことは人間社会に通底する習性であり、ライバルが儲けているときに座して待つことはできないという特性に根ざしている。人々はバブルに踊り狂うしかなくなり、知らず知らずのうちにモラル・ハザードの餌食になるのである。バブルは人間性を狂わせる。すべての人が金・利殖(それも濡れ手に粟的な利殖)を求め、そしてそれを正当化する倫理観がまかり通ることになる。
人間は、意識的にせよ、潜在的にせよ、「富」・「財産」獲得への衝動を有している。遺産相続をめぐる争いもその一つである。バブルが生じると、それまで冷静であった人まで、そうした本能に呼び起こされ、ますます多くの人々が利ざやを求めて血眼になり、実体経済は軽視され、バブルの大波に翻弄される状況へと突入していく。
バブルは当初、法外な利得をえる機会をみつけた人による投機活動によって開始される。それは実体経済とはかけ離れた経済の動きである。こうしたバブルは上記のような社会心理を生み出す危険性が高く、個人や民間セクターがそれを抑止したり、コントロールすることは、ある段階を超えるとほとんど不可能である。
したがって、バブルを抑止する責任は政府に求めねばならない。政府がバブルの暴走を抑止できない事態が、繰り返し発生してきているということは、とりもなおさず、資本主義システムの機能不全であり、そこにおける政府の機能不全であるから、その原因を探り、その制度を改革する必要のある問題である。
事実、サブプライム危機に端を発する今回のアメリカの経済破綻は、SBSの拡大による金融の自由化・グローバリゼーションに大きく由来するものである。野放図な金融の自由化により、だれもその暴走を止めることができないようなシステムが展開していったことに、大きな問題がある。バブルの暴走を阻止し、資本主義を制御可能な状態にするためには、金融システムの改組が必須のアジェンダである。アメリカで昨年成立した「金融規制改革法」(ドッド=フランク法)はこうした認識に基づくものである1。
腐敗と不正
資本主義は、無数の個人が自己の自由意志・合理的判断により市場に参加し、そして納得のいくところで取引交換を遂行するシステム - 市場システム - を基本にしているから、その取引はきわめて効率的・合理的なものであり、かつ参加する諸個人の自由、諸個人間の対等性・公平性が保証されたシステムである。資本主義システムの優秀性が語られるとき、ほぼこのような言葉で述べられるのが通常である。この言明は、他の経済システム(社会主義システム、封建制度など)と比べてみると、かなりの程度当たっている。恣意性が少なく、自由度、公平度が高い。そして無数の個人の創意工夫が発揮されるシステムになっているからである。
だが、このシステムにも大きな問題点が潜んでいる。他のシステムよりマシとはいえ、腐敗と不正を生みやすい体質を有しているという点である3。
古典派や新古典派の主流は、古典派の二分法を当然視してきた。つまり、実物経済と貨幣からなる経済システムにあって、それを分析するときには、貨幣はベールであるとして、それを抜きにして、まず実物経済は「相対価格の理論」を考え、その後に「絶対価格」の問題として貨幣を取り上げ、そしてそれを結合すればよい、とする考えである。
だが、それは現実の経済をとらえる方法としては、静学的であり非貨幣的である。現実の経済は動態的であり貨幣的である。ここでは「貨幣的」という点に焦点を絞ることにしよう。
資本主義は金融を抜きにしては成立し得ないシステムである。実体経済がある程度の大きさになってくると、生産活動・サービス活動に必要な資金を外部に依存する度合いが高くなってくる。そこに金融の存在価値がある。金融システムが円滑に機能することで、実体経済の円滑な成長も可能になるからである。
だが、同時に、金融は不正を働く余地がきわめて大きい分野である。金融が無制限の自由を享受するようになると、それに比例して (比例以上に) 不正を働く余地は拡大していくことになる。
貨幣は財とは異なり、金融機関によっていくらでもタダで創出することが可能である。巨額の資金を調達する技術、それは株式や債券の発行に始まり、近年では「証券化商品」の出現、ならびに「レヴァレッジ」の手法を用いて、無からマジックのように巨額の資金が創り出され、グローバル・レベルでのマネー・ゲームが展開されるようになった。こうした行為は、規制が課せられない場合、部外者にはベールに包まれた世界であり、いくらでも不正を働く余地がある。
金融による生み出される腐敗・不正行為にはいくつもの種類があるが、以下ではその代表的なものについて述べることにする。
強制貯蓄 ― これは簡単にいえば、金融機関が自ら貨幣を創り出し、それを用いて、公衆よりも先んじて財を購入する行為である。すると、公衆に残された財の寮は当然その分だけ少なくなるから、強制的に貯蓄をさせられたことになる。つまり、貨幣・信用を創出する権利を手にしている金融機関(もしくはそこから資金調達を受ける企業)は、必要とする物資を自らの思いのままに入手することが可能ということである。市場システムを、貨幣・信用創造により、利用(悪用)する手段が存在する、ということである。
株式市場の悪用 ― 株式市場は、資本主義システムを象徴する市場である。企業が必要とする資金を市場を通じて調達する重要な手段である。しかし、株式市場は多くの不正が可能となる場所でもある。インサイダー取引、デマ情報を流しての株価操作、LBO、M&Aなど、不法なものから合法的ではあるが怪しげな境界線上にあるものまで、さまざまな手段が株式市場を通じてとられ、不当な利益や乗っ取りが行われている。
市場の不存在と不透明化による利益の収奪方法 ― 資本主義の利点として、それは市場での取引を基本とするシステムであるから、透明性がある点が上げられることが多い。しかし、金融市場は場合によってはこの利点を有してはいないことがあるのである。
近年、「証券化商品」現象が金融市場において著しい勢いで展開してきた。何でもが証券として商品化され、さらにそれらが組み合わさって新たな証券が生まれ、さらにそのうえに新たな証券が組成されるという事態が生じたのである。ところがこれらの多くには、そもそも市場というものが存在せず、取引はきわめて不透明な形態で行われてきた。そしてそれらの取引の中心をなすヘッジ・ファンドなどは、いずこからも監視を受けることのない存在になっていた。いわゆるSBSの拡大である。こうした金融機関はプライバシー的見地からその独立性を強調するきらいがあるが、しかしこれらが動かす資金は巨額であり、1998年のロシア国債のデフォルトのさいのLTCMに象徴されるように、世界経済を危うくさせるほどの取引を行っていたのである。
市場取引に基礎をおき、かつ透明性があるゆえに公平性と効率性の達成が可能とされてきた資本主義にあって、金融システムの「市場の不存在」と「不透明性」というかたちでの暴走は、資本主義を瓦解させかねない事態といわねばならない。
格差問題
資本主義は経済活動の基盤を市場においている。そしてそのメカニズムを解明しようとして経済学者はワルラスが打ち立てた一般均衡理論に絶大なる信頼を寄せてきた。が、経済学の教える交換理論 (一般均衡理論はその代表である)が解明していないこと、つまりは理論の与件としていることがある。それは財産の分配状況である。
あるいはこう述べてもよい。財産の分配状況を所与としたうえで、市場における交換現象を説明すること、これが交換理論である。財産がどのように諸階級のあいだに分配されているのかについては、問うていないのである。
さらには、経済学には「完全競争はパレート最適をもたらす」という命題がある。いわゆる「厚生経済学の第1命題」である。ここで完全競争という静学性、そしてそこで用いられる効用関数という非現実性には目をつむるとしても、この命題はボーリー=エッジワースのボックス・ダイアグラム上にあって、契約曲線上のどの点に市場での経済主体の活動の結果収斂するのかについて、何も語ってはくれない。たまたまある組み合わせの財の取引があったとしたときに、そこからどの点の契約曲線上の点に達するのかを教えるだけである。契約曲線上のすべての点はパレート最適なのである。
経済学の主流は、「正義」という問題を、「交換的正義」としてとらえてきている。これは市場メカニズムが交換という行為により、「正義」を達成しているとみなす考えである。が、この考えは「正義」の実現の場として交換のおこなわれる「市場」をとらえようとするものであるが、そこにはストックとしての分配状況への価値判断は排除されている。換言すれば「分配的正義」という「正義」が意識的・無意識的に排除されているのである。
経済学者が市場の効率性を賞揚するときに、前提の平等性を強調し、競争の結果として生じる結果の平等性を問わない傾向がみられる。が、ここにも問題がある。第1に、資本主義システムでは「前提の平等性」が存在しているとはいえないからである。
「市場の自由な作用に委ねれば、経済システムは効率的になる」という思想がある。しかし、財産や所得の獲得方法に大きな差がある社会(資本主義社会もそうした状態を免れるものではない)にあって、市場の自由な作用に委ねても、その結果はますますの格差をもたらすことになりがちである。
この30年間の「市場原理主義」という「自由放任主義」の現代版に駆り立てられた世界は、その結果として各国で大きな所得格差(貧富格差)をもたらしてきた。このことは、ジニ係数その他の数値により明らかである。先進国であるアメリカ、イギリスなどでの所得格差の拡大には著しいものがあるし、「新興国」においてはさらに顕著である。
3. グローバリゼーション - 3類型
1980年代中葉以降、米英が中心となって世界は「グローバリゼーション」の進展をみた。グローバリゼーションとは、「地球規模での市場経済化現象」と集約的に表現できる。これは「金融のグローバリゼーション」と「市場システム [もしくは資本主義] のグローバリゼーション」に分けることができる。
「金融のグローバリゼーション」とは、金融業が地球上のどこにおいても、どこからも監視を受けることなく活動できるようになる現象である。金融業は資金をさまざまな手法を用いて巨額の資金を調達し、それをもとにさまざまな国の金融市場に参入していき、その結果、金融市場の地球規模での一体化が実現されていくことになった。
「市場システムのグローバリゼーション」をみてみよう。「市場システム」とは、財・サービスが市場を通じて取引されるシステムのことである。そこにあっては、労働までもが商品として売買されるシステムが確立されていることが重要な意味を有する。このような「市場システム」が地球上のより多くの国で採用され浸透していく現象が「市場システムのグローバリゼーション」である。
それでは「金融のグローバリゼーション」と「市場システムのグローバリゼーション」の関係はどうであろうか。近年みられた顕著な傾向は、「金融のグローバリゼーション」の進行が「市場システムのグローバリゼーション」の進行を促進したという点である。金融業は、世界のあらゆる地域に目を見張り、収益をあげられそうな地域に積極的な投資を行う活動の先頭に立った。「金融のグローバリゼーション」の進展により、巨額の資金が (金融業を通じて) 多国籍企業や地元有力企業に流れ込むことになったのである。この傾向は、IT技術の進展現象とあいまって、これまで長きにわたって停滞していた開発途上国のいくつかが飛躍するうえでの大きな契機になった。
他面、「金融のグローバリゼーション」の進展は金融資本の (適切な成長を超えた) 膨張を招き、しかもそれらは「シャドウ・バンキング・システム」 (SBS) として発展していったため、各国政府によって金融機関の行動を監視することが時を追うにつれて困難となっていき、世界経済は金融機関の投機的行動により不安定度を増していくことになった。
グローバリゼーションがもたらした世界の政治経済システムへの大きな変化として、3点をあげることができる。第1に米英金融資本による主導権奪取(「金融のグローバリゼーション」による)、第2に米ソ冷戦体制の崩壊と資本主義システムへの収斂(「市場システムのグローバリゼーション1」による)、第3に新興国の出現 (「市場システムのグローバリゼーション2」による) である。本章ではこれらを順次、検討していくことにする。
3.1 米英金融資本による主導権奪取
- 「金融のグローバリゼーション」
金融のグローバリゼーションが生じた背景には、1970年代から1980年代にかけて、それまでのアメリカ経済を中心とする世界資本主義システムに大きな陰りがみられたということがあげられる。戦後の資本主義世界を規定してきた通貨体制としてのブレトンウッズ体制は、1960年代にはいくたびかのドル危機を経て弱体化をみせていたが、ついに1971年8月15日のいわゆる「ニクソン・ドクトリン」により、ドルは金とのリンクが解除され、以降、スミソニアン協定を経た後、主要国は変動相場制に移行することになった。
こうした事態の進展の背景には、日独の経済発展が実体経済の領域でアメリカを凌駕していったという点があげられる。この傾向は時を経るにつれて一層顕著なものとなり、日米のあいだでは貿易摩擦問題の継続的展開という様相をみせていくことになった。アメリカは日本に輸出自主規制を半ば強要したりしていた。これらは個別産業間の問題であると同時に、それにもまして貿易収支の問題であった。
1970年代になると、2つのオイル・ショックが発生した。いずれも中東の政治危機と関連しており、原油産出国カルテルであるOPECの世界政治経済におけるプレゼンスをいやがうえにも高めるものであった。こうして生じた原油価格の高騰は、アメリカを筆頭とする先進国経済を不況に陥れることになった。
サッチャー首相 (1979-1990年)、レーガン大統領 (1981-1989年) が登場するのはこの頃である。彼らは、低迷する経済を活性化させるために、市場システムの活用、企業者による自由な経済活動、規制の緩和、反労働組合、反福祉国家を唱道した。これは経済学・経済思想でいうと、ケインズ = ベヴァリッジからハイエク = フリードマンへのシフトに対応する。
こうした世界経済・世界政治の進展のなか、米英が世界の中枢としての地位を取り戻す方法として編み出されることになったもの、それがここでいう「金融のグローバリゼーション」である。
米英は、金融の自由化を進め、金融機関が規制当局の監視を逃れて自由に投資・投機活動を展開していくことを許容した。そのため、投資銀行、商業銀行、さらにはヘッジ・ファンドが「証券化商品」の開発やレヴァリッジの利用を通じ、おどろくべき規模の投資・投機活動を展開していくことが可能になったのである。
だが、1980年代の前半には日独から米英が世界経済上の地位を回復するという点で、金融のグローバリゼーションがまだ大きな効果を発揮できていたわけではない。この点で大きな効果をもたらすことになったのは、1985年に成立した「プラザ合意」である。これにより、日本は円高を目指した市場介入を強要されることになったのである。
1990年代に入ると、米英を中心に展開した「金融のグローバリゼーション」と金融工学を応用した金融商品開発は、その加速度を増していき、一方で米英金融資本の世界市場支配を復活させた。しかも同時期、アメリカの企業者活動は成功裏に成長を遂げて復活した。
これにたいし1990年代初頭まで世界経済の独り勝ち組とされてきた日本は、「プラザ合意」での対処に失敗し、経済のバブル化に適切な処置をとれなくなり、自縄自縛的な「失われた20年」へと突入していくことになった。
1990年代後半になると、日本は自国の金融危機(さらにはBISの自己資本比率順守の要請)により、世界の金融市場から撤退せざるをえないという状況に追い込まれていた。その上、企業者スピリットという点で日本はアメリカにたいし完全に後塵を拝することになった。このことは80年代に日本は既存の企業がイノヴェーショん分野を組織内に取り込むかたちで成功裏に展開できたたのとはきわめて対照的な現象であった。その結果、日本経済は名目GDPを結果として上昇させることができなかった。
「金融のグローバリゼーション」を推進した米英の政府当局ならびに金融業界が、どこまでこのような事態の進展を見通していたのかは不明であるが、結果的に「金融のグローバリゼーション」化運動は、米英の金融資本が世界経済の進む道を決定付けることになった。その過程で日本は、1990年代初頭に到達していた地位を喪失していくことになったのである。
3.2 米ソ冷戦体制の崩壊と資本主義システムへの収斂
― 「市場システムのグローバリゼーション1」
グローバリゼーションという現象を考えるさいには、「金融のグローバリゼーション」とは識別される「市場システムのグローバリゼーション」という概念も必要になってくる。「市場システム」が構築されてこなかった諸国で「市場システム」が構築されていき、しかもそれがグローバル・レベルで普及していくという現象である。本節では、そのうち戦後世界を根底的に規定してきた米ソ冷戦構造が瓦解し、ソ連圏 (中国も含める) が「市場システム」を採用するに至ったという点を扱う (「市場システムのグローバリゼーション」ではもう1つ「新興国」の出現という問題があるが、これについては次節で取り上げる)。
「社会主義」システムの登場と崩壊
ここまで資本主義とはどのようなシステムであるのかを、その特性、ならびにそこに潜む「アバウトさ」に焦点を合わせて検討を加えてきた。だが、「資本主義」を1つのレジームとしてみたとき、絶えずその優劣が比較されてきたライバルとしての「社会主義」がわれわれの眼前にその姿を現すことになる。経済学者もこの優劣について、資本主義を賛美する側と社会主義を賛美する側に分かれ、戦間期には大きな論争を展開した(いわゆる「社会主義経済計算論争」)。
戦後になると、米ソ冷戦体制が定着し、2つの対立する経済システムがその優劣を競うようになった。両陣営のシステムは明らかに異なるものであった。社会主義システムにあっては、市場、企業、そして価格メカニズムは存在しないといってよい。財・サービスに値段は付けられ売買されるけれども、その価格は市場で決定されるわけではない。経済全体の生産活動は国家中央計画局で決定され、下部組織はその命令に従いながら生産活動が展開されるのであり、そこでは企業家による自発的な活動の余地はない(というか、意識的に禁止されている)。
だが、このレジーム間の優劣をめぐる争いは、1990年頃、ソ連ブロックの文字通りの崩壊により、突如として終焉を迎えることになる。
社会主義システムは、瓦解するべくして瓦解したのであろうか。瓦解した後、後付けでそう断定することはたやすい。しかし、瓦解する直前までこれほど完膚なきまでに瓦解すると想像した人はほとんどいなかったといってよい。瓦解を予言したのは、一人極端な自由主義者 (リバタリアン)であるが、それは資本主義の崩壊を主張し続けた極端な左翼イデオローグと態度において異なるところはない (どの社会も体制もいつかは崩壊するものである)。
よくも悪しくも、人間はすぐにこれまでのことを忘れる4。1930年代、アメリカをはじめ、世界の資本主義システムの崩壊が続くなか、一人ソビエトは経済成長を実現させていた。それに、1960年代の「重厚長大」の時代、ソビエトの経済パフォーマンスはけっしてアメリカに劣っていたというわけではない。
資本主義システムへの移行過程
しかし、ソ連システムが崩壊した後、だれもがソビエト型社会主義の弱点に注目し、そして資本主義システムが勝利すべくして勝利したという話を信じ込むようになった。本節はこの是非を問う場として設定されてはいない。むしろここで注目したいのは、崩壊した社会主義陣営が、それまでとは一転、経済システムとして押しなべて資本主義システムを採用しつつ、この20年間を過ごしてきたという点である。この点を、ロシアと中国の採用した対照的な (資本主義への) 移行方法に焦点を合わせてみていくことにする。
ロシアの歩んだ道 ― ソ連ブロックが文字通り瓦解し、ソ連自体もヤナーエフによるクーデターの発生(1991年8月)とその鎮圧の後、12月の「ベロヴェーシ合意」により「独立国家共同体」(CIS)が成立し、ソ連は国家として消滅することになった。CISのなかの最大の国家がロシア連邦であり、そこで権力を掌握したのがエリティンである。
エリティン大統領は、いわゆる「ショック」療法により、ロシアの資本主義化を目指す方針を採用した。在任期間は1991年-1999年におよぶが、その治世は前半と後半で特徴を異にする。
前半は「ショック療法」による急激な資本主義化の時期である。これはガイダルおよびチュバイスによって進められたが、このときポーランドの改革で成功を収めたサックスを顧問に迎えた。サックスはシュライファー5(庇護者はサマーズ)を迎え入れ、彼らの手により、ロシアの資本主義は進められた。それは価格の自由化、「バウチャー方式」による国営企業の民営化、株式市場の創設などで構成されていたが、その成果は惨憺たるものであり、1992年には前年に比べ2510%のインフレ、GDPは14.5%減となった。
このハイパー・インフレの進行と社会保障システムの崩壊により多くの大衆の生活が破綻をきたしたのみならず、バウチャー方式は「オルガルヒ」(新興財閥)の誕生をもたらすことになった。
後半は、政治的・経済的混乱期である。1993年10月の「モスクワ騒乱事件」に始まり、1996年の大統領選挙の際、苦戦したエリティンは選挙キャンペーンにおいて「オルガルヒ」に大きく依存したため、当選したもののその影響力が非常に強いものになったうえ、エリティン自身の病状悪化がそれに輪をかけた。オルガルヒは、1995年に実施された株式担保型民営化により、多くの国有企業を手に入れ、巨大化していた。
こうしたなかで、1998年にはロシア国債はデフォルトに陥り、財政的破綻に至った。役人・軍人への給料支払いも遅延し、企業間取引にあってルーブルの使用が停止する事態がもたらされたのである (リクィディティ・トラップとまったく逆の現象である)。
エリティンは1999年12月31日、無名のプーチンを後継者に指名して大統領職を辞任した。
プーチンが大統領になって以降、ロシア経済は、原油価格の高騰化に支えられながら、経済は奇跡的な回復と成長をみせていくことになる。プーチン時代は2003年までは、かなり経済・政治的に改革が進行したが、それ以降は一変、国家による統制の強化、「オルガルヒ」の解体と官僚の支配力が露骨に進行することになる。リーマン・ショックはロシア経済をも襲うことになるが、そのなかで「プーチン・リスト」にみられるように、企業にたいする国家権力の影響は一層強大なものになっている。
このようにロシアの資本主義化は、その急速な市場経済化が、同時に少数の人間への富の不当な手段 (「市場経済化」の悪用) による集中化(オルガルヒの誕生)をもたらす一方で、多くの大衆を貧困のどん底に突き落とした。それでも2000年以降は高度家財成長により、豊かなミドル・クラスを誕生させることができたのであるが、他方、富は、今度はオルガルヒから官僚へと(国家の権威を利用した)不当な手段によりシフトしている。
中国の歩んだ道 ― 中国は毛沢東による「大躍進」が掛け声とは裏腹に、悲惨な経済状況を引き起こした。技術的裏づけのない鉄の生産に多数の労働力が動員され、農業生産はおろそかになり、大凶作とあいまって何千万もの餓死者を生み出すに至った。
その後、1965-1977年のあいだ、いわゆる「文化大革命」という名の反文化大革命、知識という知識が否定され(知識人や学生の下放)、文化という文化が否定される時代が中国を覆った。これは毛沢東による権力奪回の運動という側面をもっていた。長い文化大革命はやがて推進者のあいだでの内部対立を引き起こすようになり、経済は手に負えないほどひどい状況に陥っていた。こうした状況に人々は自然発生的に抵抗を始め、ついには四人組の逮捕・有罪判決により終焉した。
そこから始まったのが、鄧小平を指導者に仰ぐ1978年からの「改革開放」路線である。この路線は、現在に至る中国経済の驚異的な経済発展につながるものである。これは事実上、中国経済の資本主義化である(中国では、これを「社会主義市場経済」と呼んでいる)。
資本主義化への中国のとった方針は漸進的改革路線であり、ロシアとは対照的である。
あれだけの激しい政治権力闘争を繰り広げた国でありながら、中国には一貫して中国共産党しか存在しない。劉少奇は修正主義者として最後は惨めな死を迎えたが、鄧小平は不死鳥のように蘇った。そして採用する政策はまるで性質を異にするにもかかわらず、共産党一党支配という政治体制は、依然として健在である。
中国経済が最初に発展を始めたのは、農村での民有地制度の導入による生産性の上昇とそれが生み出す消費需要の激増によるいわゆる郷鎮企業の成長である。それに、沿海部での特別区に外国企業を迎え入れる政策が続いたが、これを契機に沿岸部での経済の驚異的な成長が展開されたのである。
鄧小平のいう「先富論」に基づき、中国では市場経済化が急激な勢いで発展することになったが、これは民間企業によって推進されていった。「枛大放小」(小さい国有企業の民営化、大きい国有企業のみ政府が制御するという考え)がこの頃の指導原理であった。その結果、国有企業の占めるシェアは時を追うにつれて低下していったのである。
1992年の鄧小平の「南巡講話」も重要な意味をもつものであった。そして 1997年の第15回共産党大会では、国有企業を4分野に限定することが決定され、経済成長を民間企業に委ねる旨の方針が明確にされた。
その後、中央政府は内陸部の地方政府が積極的に外資の導入を行うことを許可し、そのことで内陸部の経済発展に火がつくことになった。
2002年にはWTO加盟が実現したが、そのために必要な条件である、外資の内国民待遇および関税の自由化を達成させていった。労働移動の自由化も大幅に認められるようになり、「社会主義公有制」はいまやほとんど形骸化するに至っている。
3.3 新興国の出現
― 「市場システムのグローバリゼーション2」
「市場システムのグローバリゼーション2」は、それまで発展途上国と呼ばれていたいくつかの諸国にあって、大きな経済発展をもたらすことに貢献した。米英の企業が希望していたことかいなかは別として、企業活動のグローバル的展開は、資本移動と財・サービスの貿易取引を通じ、著しい経済的発展をもたらしていった。
他方、発展途上国のなかには、こうした動きを受け止めて、自国経済の発展、自国企業の発展を意識的に推進していく人々が輩出することになった。その結果、B[R]ICSに象徴されるような新興国が出現し、いまでは世界経済の動向に大きな影響力を及ぼすまでになっている。そして重要なことは、世界経済が、これまでの「成長を続ける先進国と停滞する発展途上国」から、リーマン・ショックの後、「停滞に苦しむ先進国と躍進を続ける新興国」という構図に変わっている点である。とりわけアジア圏は軒並み経済の成長が著しい地域である。それに加えてブラジルを筆頭に南米諸国の成長が注目を浴びている。これは、一方では中国やインドの経済成長が鉱物資源や農産物にたいする需要の急増をもたらしたこと、他方では安定した金融システムを有していたこと、によるところが大きい。
その結果、アメリカが1990年代の初頭に期待したようなアメリカ一国による世界支配という構想は崩れ去っており、世界は新たな世界秩序を模索する段階に入っているといえよう。
この20年をとったとしても、先進国圏のこの間の経済成長が緩慢なものであったのにたいし、BRICSと呼ばれる新興国(ブラジル、ロシア、インド、中国)は高い経済成長を継続的に達成してきており、気がついてみると、これらの国はたんに先進国圏に追いつこうとしているというにとどまらず、様々な局面で世界経済におけるプレゼンスを大いに高めるに至っているからである。なかでも中国のプレゼンスは高く、G2 (アメリカと中国) という言葉があるほどである。しかもこれら振興国はリーマン・ショックの衝撃波を短期間に切り抜けて、それ以前の高い経済成長を実現してきており、世界経済の今後の発展はこれらの国を中心に展開されていくことが確実視されている。世界の経済地図、地政学的情勢は劇的に塗り替わってしまっている。
最初にこれまで言及していないブラジルとインドに触れた後、BRICSの世界経済におけるプレゼンスに言及することにしたい。
ブラジル ― ブラジルは1980年代から1990年代前半、累積債務とハイパー・インフレに苦しんだ。しかし、1990年のコロール政権による市場経済化 (メルコスール) の促進と対外への経済開放、さらに国営企業の民営化政策によって大きく舵取りが変わることになった。フランコ政権(1992-1995年)では1994年にドル・ペッグ制度のもとでレアルが創設 (1994年)され、それによりハイパー・インフレは劇的な収束をみた。さらにカルドーゾ政権(1995-2002年) のもとでは財政責任法および財政罰則法の実施によって財政の健全化も進んだ。その後のルーラ政権 (2003-2011年)も同様の路線を踏襲し、21世紀に入ってからの資源価格の高騰(とりわけ中国からの需要の激増)もあり、資源大国としてブラジル経済はその存在感を増している。
インド ― 社会主義的な経済システムのもとにあったインドであったが、そ
の経済的停滞を打破すべく、1991年に成立したラオ政権はブラジルと同時期に
経済の自由化政策を採用する道をとった。貿易・為替、資本の自由化、規制緩
和、国営企業の民営化、金融制度改革などの実施である。この路線は、その後
も継続され、2005年以降はシン(彼はラオ政権の財相として経済自由化政策を遂
行した人物である) 政権によって担われている。インドは近年、IT関連の成長
が著しく、ソフトウェア開発や欧米企業にたいする情報のアウトソーシングで
飛躍的な成長をみせていることは、よく知られている事実である。依然として
識字率が低いものの、膨大な人口を擁するインドでは、高度の知識情報を有す
る若者も輩出しており、IT技術、英語を武器に大きな発展を遂げている。
BRICSの世界経済におけるプレゼンス - 1980年代の終わりまでブラジル、
インド、ロシアはその経済システムの抱える欠陥により、非常な経済的停滞・
混乱状況に陥っていた。それが、1990年代の初頭にブラジル、インドは市場の
自由化政策を採用することで驚くべき経済成長を達成させることに成功した
(中国の場合は一足早く1970年代の終わりからそうした道が始まっていた)。ロ
シアの場合は、1990年代の「ショック療法」は破壊と混乱をもたらす一方であ
ったが、2000年代になっての石油・天然ガスの高騰に助けられるかたちで経済
を成長させ、そしてプーチン大統領による国家の支配力の増大というかたちで
市場経済システムを立て直してきた。
BRICSの成長は、80年代後半から生じた重要な世界的事象と無縁ではない。第1に、社会主義圏の崩壊である。それはポーランドを先頭に東欧圏で生じ
た政治的・経済的自由化要求運動であり、ついにはベルリンの壁の崩壊、ソ連
の消滅という事態に立ち至った(中国の場合は、経済の市場化は1978年に始ま
っており、このときの衝撃は天安門事件という政治的自由化要求というかたち
で生じた。がこれは抑え込まれ、鄧小平の「南巡講和」で再度経済成長の路線
を突っ走ることになった)。
第2に、「金融のグローバリゼーション」である。これは日本 (やドイツ) の経済的プレゼンスの上昇のまえに、貿易摩擦や為替介入 (プラザ合意など) で是正を試みようとしたアメリカが思うに任せず、あらたにとった戦略であった。90年代に米英が経済的に立ち直りをみせ、金融グローバリゼーションが進展するなか、BRICSが自由化路線を堅持していくことになったとしても不思議ではない。そしてそれにたいし、金融のグローバリゼーションは結果的に、資本の移動や、一次産品自身がインデックス投機の対象となり高価格化をもたらしたことで、新興国BRICSの高度経済成長にも貢献することになったのである。
つまるところ、BRICは「市場のグローバリゼーション2」の遂行と「金融のグローバリゼーション」の双方から恩恵を受けて成長を続けることになったといえよう。
次の2つの表は、BRICSと先進国圏との成長率の差、そしてその結果としての2010年度の購買平価で表示した(物価の差異を除去している)GDPベスト10である。BRICSはすべてこのなかに入っており、とりわけ中国の数値は驚くべきものがある。もちろん一人当たりに換算すれば先進国とは相当な開きになるが、国力という点でみると、すでに先進国と数値的に遜色のない状況に到達していることがよくわかる。
最近では、今後数年のあいだにBRICSがどうなるかを予測することがはやっているが、これは何の当てになるものでもない知的遊びである。だがこれまでの趨勢から考えてみても、中国がダントツに世界一の座に上り詰めることはほぼ自明である。
表1 GDP年平均成長率 (%)
中国 10.46 (1991-2010)
インド 7.54 (2001-2010)
ロシア 6.58 (2001-2010)
ブラジル 3.61 (2001-2010)
******
アメリカ 2.55 (1991-2010)
ドイツ 1.47 (1991-2010)
日本 0.97 (1991-2010)
表2 購買力表示のGDP ランキング (2010年)(単位:10億ドル)
1. アメリカ 14658
2. 中国 10086
3. 日本 4310
4. インド 4060
5. ドイツ 2940
6. ロシア 2223
7. イギリス 2173
8. ブラジル 2172
9. フランス 2145
10.イタリア 1774
4. むすび
1980年代中葉から始まったグローバリゼーションは、世界経済に次のようなインパクトをもたらした。
第1に、それは世界経済における実物的・金融的地位の持続的な停滞に苦しんでいた米英が、プレゼンスを高めていた日独からその地位を奪い返すことに、かなりの程度成功することになった。米英金融資本を中軸にした「金融のグローバリゼーション」がそれである。これは、資本主義システムをとる先進国のあいだでの経済的指導権のシフトとして特徴づけることができる。だが、この「金融のグローバリゼーション」は、世界の資本主義システムを「カジノ化」することで、非常に不安定なものにすることになった。
第2に、グローバリゼーションは、米ソ冷戦体制の崩壊と資本主義システムへの収斂化をもたらした。米ソ冷戦体制の崩壊は、もちろん、ソ連を中心とする社会主義システムの崩壊の意である。ソ連圏が崩壊したのは、石油価格の下落、アフガン戦争の泥沼化などによる財政的・軍事的弱体化が根底的な原因であり、それに計画経済のもつ弱点とシステム疲労が重なったからである。グローバリゼーションの波がロシアを襲うようになるのは、ロシアがすでに、いわば自然壊滅的状況に陥った後のことである。
中国の場合、それまでの「大躍進」、「文化大革命」がもたらした経済的・社会的悲惨を、それに反対してきた「走資派」が権力を奪取したことで、「市場システムのグローバリゼーション」を自発的・積極的に取り入れてきたといえる。
第3に、グローバリゼーションは、いわばその波をうまく活かす新興国を出現させた。高い経済成長を達成してきている新興国は、リーマン・ショック後の経済的停滞から脱出できない先進国を尻目に、世界経済におけるプレゼンスを益々高めるに至っている。逆にこの20年のあいだに、日本経済の世界におけるポジションはあらゆる指標でみても劇的な下落をみることになったのである。
最後に世界経済に占めるBRICSのプレゼンスについて一瞥した。先進地域が経済的な停滞を続けているうちに、これら新興国は持続的な経済成長を遂げることになった。社会主義圏の動揺と崩壊、金融のグローバリゼーション、そして市場のグローバリゼーションの機会を利用しながら、これら諸国は、気がついてみるとGDPベスト・テンに入るまでになっている。今後の世界を語っていくには、これらの国の動向をもはや無視しては何もいえない - そういう時代が到来している。
ケインズ学会編・平井俊顕監修『危機の中で<ケインズ>から学ぶ』作品社、2011年。
平井俊顕『ケインズは資本主義を救えるか ― 危機に瀕する世界経済』昭和堂、2012年。
Bateman, B., Hirai, T., Marcuzzo, M.C. eds., The Return to Keynes, Harvard University Press, 2010.
Hirai, T., Marcuzzo, M.C., Mehrling, P. eds., Keynesian Reflections – Effective Demand, Money, Finance, and Policies in the Crisis, Oxford University Press, 2013.
Hirai,T. Capitalism and the World Economy - The Light and Shadow of
Globalization, Routledge, forthcoming.