第1講
資本主義をどうとらえれば
よいのだろうか
平井俊顕 (上智大学)
1. はじめに
企業・家計・政府などの経済活動や市場システムのあり方に影響を与えるのは、経済学者が思うほどに、経済理論というわけではない。企業家や政治家、それに他の社会科学者が、経済理論にさほど関心を示すということはない。だが誰でも、経済問題には関心を示す。人間は社会的動物であり、生きていくには、何らかの方法で衣食住を入手する必要がある。さらには、誰でもが豊かで文化的な生活の享受を望んでいる。
では彼らは、経済問題に直面して、何に導きの糸を求めるだろうか。答えは社会哲学である。それは、「社会の根本的価値基準」・「社会の洞察と評価」・「社会のあるべき道」をめぐる考察の総称である (ここでは「資本主義観」と置き換えて読んでもらって差し支えない)。指導者であれ、庶民であれ、人は社会のなかで、上記に関して何らかのかたちの社会哲学の影響を受けながら、社会的・経済的活動を展開し、様々な制度を創設してきたのである。
本講で扱う社会哲学は、「市場システム」(= 資本主義) 、それもこの30年間に対象が限定されている。つまり、いまの資本主義を対象として、上記3点を批判的に考察することを目的とする。
本講は以下のように進められる。最初に、現在の資本主義システムがもつ3つの問題点に検討を加える。続いて、資本主義システムのあり方を問うことにする。今後の社会哲学のあるべき方向を探るうえで重要であるからである。
2. 資本主義システムの問題点
2.1資本主義システムの長所・短所
資本主義システムは成長衝動を内蔵するシステムであり、その爆発力が資本主義化を促進すると同時に、既存システムを破壊する。それは不安定性を伴う動態的なシステムである。その「成長衝動」・「動態性」は、「市場」と「資本」を通じて実現される。さらに、「動態性」を真に担うのは企業である。企業は不確実な未来に向けて、莫大な資金・人材を投入して、商品・市場の開拓に乗り出していく。
「動態性」、「市場と資本」、「企業」は、資本主義システムのもつ長所である。市場という巨大なネットワークを通じて経済活動が展開されることで、経済主体は自主的行動を許され、無数の財・サービスが生産・交換され、さらには企業の活動を通じ経済の動態的発展が実現される、という長所である。
他方、資本主義システムには深刻な短所も認められる。第1に、動態的ゆえの不確実性・危うさ・脆弱性を有する。第2に、固有の「アバウトさ」 (「あいまいさ」) を有する。第3に、効率性・自由を追求するあまり、不平等・格差の拡大を放任する傾向を有する。
2.2 資本主義システムの3つの問題点
次に、現在の資本主義システムが抱えている3つの問題点を取り上げてみよう (これらは上記の短所に、多かれ少なかれ関係している)。
(1) バブル現象 - 囚われる企業・人
バブル現象とは、経済が何らかの要因で過熱し、ついには政府がそれを抑制しようとしても不可能となり、爆発・炎上してしまう状況を指す。こうしたことは昔から生じており、17世紀のオランダで起きたチューリップ・バブル、18世紀ヨーロッパで生じた (ジョン・ローの名とともに知られる) 株式バブルなどがある。
経済学では、バブルは例外的現象として処理されてきた。それは資本主義の抱える本質的問題ではないとされ、経済学の主要課題は正常なプロセスの分析にあるとされた。さらに景気変動や失業も、20世紀初頭になるまで例外的現象とみなされた。「古典派の二分法」や「セイ法則」にたいする経済学者の信頼は熱く、資本主義システムにおける失業問題への真正面からの取り組みは、ケインズの登場を待たねばならなかった。
それに、この20年、経済学の主流はケインズ以前の状況に戻る傾向が顕著であった。「新しい古典派」は、「古典派の二分法」や「セイ法則」を擁護し、非自発的失業の存在を否認するスタンスに立って景気変動を論じてきた。
皮肉なことに、同期間、実際の資本主義システムは不安定さの繰り返しと増幅に見舞われてきた。代表的なものに、80年代末から90年代初めにかけての日本のバブルとその破裂、90年代中葉から21世紀初頭にかけてのアメリカのドットコム・バブルとその破裂、2000年代のアメリカの住宅バブル、サブプライム・バブルとその破裂がある。いずれの場合も、バブルはマネー・ストックの異常な膨張とそれを利用しての過熱した投機活動に、またその破裂はこうした動きを抑制することに失敗した当局の政策に、起因している。
「新しい古典派」は、こうした事態への基本的認識を欠いている。資本主義システムのもつ「不安定さの繰り返しと増幅」を全面にすえた分析がいまほど必要とされている時はない。
バブルが経済システムにとり危険なのは、それが経済社会で活動する人間の心性を「過剰なまでに」突き動かすからである。ライバル企業が、不動産や株式・金融資産などの異常な高騰を利用して巨額の利益を得ているとき、「バブルは必ず破裂する」といって座していることは、企業組織のトップにあってはほとんど許されないことである。ライバル他社に比べ財務・給与・配当状況の悪さが際立つことになり、経営幹部、株主からの激しい不満・批判が押し寄せてくるからである1。
社員にあっても、同僚が多額の注文を取り付けているとき、「バブルは必ず破裂する」といって客の質を慎重に選別することは許されない。結果は金額でのみ評価される環境にあるから、給料・ボーナスの大幅カットを受けたり、最悪の場合、解雇されたりするであろう。
こうしたことは人間組織に通底しており、ライバルが儲けているときに静観することはできないという人間の心性に根ざしている。バブルが続けば、多くの人はそのなかで踊り、少なからぬ人は踊り狂うことになる。そのなかで、人は知らず知らずのうちに、モラル・ハザードの餌食になっていく。バブルは人間性を狂わせる2。すべての人が濡れ手に粟的な利殖の獲得に熱中し、そしてその過程で生じる明白な不正行為 (例えばLBO [レバレッジド・バイアウト] やハゲタカ・ファンド的行為) までもが正当化されるような倫理観 (「どのような手段を使おうとも、儲ける者が勝者、路頭に迷うものはビジネス才能に欠ける敗者」といった倫理観) が横行するようになる。
それゆえ、バブルの抑止を企業家・個人・市場に委ねることはできない。それは政府に求めるしかないが、当の政府がバブルの暴走を抑止できないという状況が発生しているのである。とりもなおさず、これは資本主義システム・政府の機能不全である。それゆえ、なぜ政府機能が不全になるのかを探り、資本主義システムを制度的に改革することが必要である。
リーマン・ショックに端を発するアメリカのバブル経済の崩壊は、金融の自由化・金融のグローバリゼーションがもたらした「シャドウ・バンキング・システム」(以降、SBSと略記) の拡大に大きく起因している。野放図な金融の自由化により、その暴走を止めることができないようなシステムの展開を許容していくことになったからである。バブルの暴走を阻止し、資本主義システムを制御可能にするためには、金融システムの改組は必須である。アメリカで2010年に成立したドッド=フランク法3はこうした認識に基づいている。
(2) 腐敗と不正
資本主義システムは、市場を通じての財・サービスの交換を基本にするため、効率的・合理的であり、かつ参加者の自由・対等性・公平性が保証されている。だが、他のシステムより優れているとはいえ、このシステムが腐敗と不正から免れているわけではない4。
1つは帳簿操作である。資本主義システムにあって、すべての経済活動は貨幣で評価され記帳される。それらの集計で具体的な経営状況が判明する。だが、帳簿にはいろいろな落とし穴が潜む。例えば、本来は赤字である業績を黒字にみせる様々な操作手法が工夫されており、こうした状況下にあるにもかかわらず経営者が巨万の利得を手にすることもしばしば生じている。こうした行為を止めることは、かなり難しく、その利益が合法的なのか、非合法的なのかの識別は、ほとんどの場合不可能である。それに何よりも非合法である場合、訴追手続きが必要となるわけで、たとえ国側が勝利したとしても、そうしたケースは残念ながら氷山の一角である。
もう1つは金融に関係する。資本主義システムは金融抜きには成立し得ない。実体経済がある程度の大きさになると、生産・サービス活動に必要な資金は外部に依存せざるを得なくなり、そこに金融の存在価値・本来的役割が存する。
だが、金融は不正を働く余地のきわめて大きい分野である。金融がより大きな自由を享受するにつれ、不正を働く余地は拡大していく。金融に関連する腐敗・不正行為の代表的なものとして、次の3点をあげておこう。
(i) 強制貯蓄 (信用を創出する権利を手にしている金融機関が、必要とする財・サービスを思いのままに取得できる方法)
(ii) 株式市場の悪用 (インサイダー取引、デマ情報を流しての株価操作、LBO、M & Aなど)
(iii) 市場の不存在と不透明化による利益の収奪 (近年、粗製乱造された「証券化商品」)
「市場の不存在と不透明化」は重要な論点なので少し詳しく見ることにしよう。
不在化現象 - 証券化商品のもつ大きな問題は、「市場メカニズムに任せる」という掛け声とは裏腹に「市場メカニズム」を無視している点である。
多層化された証券化商品の多くには適正な価格付けを行う市場がそもそも存在しない。 例えば、 証券化商品の代表格である「債務担保証券 」 (CDO. Collateralized Debt Obligation) の場合、 その時価評価は、 プライシング・モデルによる理論値、 もしくは投資銀行の提示する参考価格によっている。 市場経済の最先端を行く商品、 金融工学の結晶と賛美されてきた商品に、 市場は (したがって市場メカニズムも) 存在しないのである。
経済が好調であるときは問題にされなかったのであるが、メルトダウンが生じると市場の不在化は一挙に顕在化する (市場が存在しないから、価格の収束先はなく、紙くずになる)。「アメリカ財務会計基準審議会 (FASB)
第157号」は「公正価値の評価」を規定している。そこでは評価レベルが3段階に分けられている。そのうち、レベル2は「市場で取引される類似商品価格に基づく評価」、レベル3は「取引価格が存在せず、モデルに基づく評価」となっている。
不透明化現象 ― 金融市場は規制緩和、および金融工学の応用により、劇的な変化を遂げてきた。従来、企業の資金調達は株式、社債、銀行借り入れでなされ (しかもこれらは監督官庁の監視下におかれていた) てきたが、証券化商品の進展により資金調達は飛躍的な拡張をみせることになった。この結果、金融市場は多様化・複雑化をきわめ、金融当局による監督は事実上不可能となった。そしてこの傾向は、グローバリゼーション、規制緩和、市場の国家にたいする勝利を象徴するものとして賞賛されてきた。
だが、このことが世界経済危機の大きな原因となった。多層化された証券化商品の売買に巨額の資金が流れ込み、しかもそれはいかなる監視を受けることもない組織によって運用されていった。その代表格がヘッジ・ファンドであり、「投資ビークル」(SIV. Structured Investment Vehicle) 5である。それらはあらゆる「透明性」を喪失している。その会計内容、その投資行動は秘密裏のままであり、規制を受けていない。そしてこの「不透明」な性質をもつ組織がレバレッジ (てこ) を上げて巨額の資金を動かすことになり、少数のファンドやSIVの投機行動が、世界の金融に唐突で激しい変動を引き起こしてきたのである6。
こうした動きは誰もチェックすることができなくなり、各国政府は対症療法的に動くのが精一杯であった。そればかりではない。FRBの監督下にある預金銀行にあっても、証券化商品の開発・販売を促進するにあたり、ファンドや「投資ビークル」を利用することで、オフバランス化を図ることで監督を逃れ、不透明性の助長に加担してきた。市場社会では、一方で「情報の開示」、「説明責任」の重要性がさかんに取りざたされてきたのであるが、それとは真逆の傾向が進行したのである。
(3) 格差問題
資本主義システムは経済活動の基盤を市場におく。経済学では、そのメカニズムをモデル化した一般均衡理論に、絶大なる信頼を寄せてきた。だがこのモデルは、財産の分配状況を所与としたうえでの立論であり、分配状況を問うわけではない。これと関連するが、経済学では「正義」を「交換的正義」としてとらえる。市場メカニズムが交換という行為により、「正義」を実現するという考えである。この考えでは、ストックとしての分配状況への価値判断 (「分配的正義」) は排除されている。「市場の自由な作用に委ねれば、経済システムは効率的になる」(「パレート最適」) という思想がある。これも、財産の分配状況は所与として論じられている。
財産の分布(ならびに所得の獲得方法)に大きな差がある社会にあって、市場の自由な作用のみに委ねる場合、実際には、一層の格差を生み出しがちである。この30年間、「市場原理主義」 (「自由放任主義」の現代版) に駆り立てられた世界は、その結果、大きな所得・富の格差をもたらしてきた7。 世界の富において、 「 1%の超富裕層は残りの99%に等しい」 (1%
vs. 99%) といった標語は日常化している8。先進国アメリカ、イギリスなどでの所得・富の格差拡大は著しいし (特に、金融セクターへの所得・富の偏在とミドル・クラスの低落傾向が大きな問題である)、「新興国家」(BRICS) においては一層顕著である。図1-1および図1-2はアメリカの事例である。
(図1-1) (税引き後) 所得の成長 (アメリカ) 1979-2011年
(図1-2) 家族の富保有額 (アメリカ) [2013年兆ドル表示]
1989-2013年
3. 資本主義システムのあり方を問う9
「適正な資本主義」、「不適正な資本主義」という表現は、「非科学的」との批判を受けるであろう。「適正さ」という基準は曖昧さを逃れられないからである。だが、それでもなお、この概念は現実の資本主義システムを捉えるうえで不可欠である。
ここでは「適正な資本主義」を標榜するうえで重要と思われる4つのポイントを取り上げてみよう。
3.1「金融部門」と「実体経済部門」の「適正な」あり方
資本主義システムは本性的に動態的である。成長衝動を秘める企業は、必要な資金を外部から調達する必要がある。金融部門はそのために要請されてくる。
金融部門は、本来的には、実体経済部門の円滑な展開・成長のために必要とされている。だが、金融部門はそれと無関係に、専ら自己利益獲得のために活動しがちであるが、とりわけ近年の金融のグローバリゼーションの進展とともにその傾向が著しい。
貨幣・信用を売買する市場は、自己増殖を拡大させていく可能性を秘めている。信用創造自体、中央銀行や金融機関が「恣意的に」生み出すことができ、しかもそれが公益のためになされる保証はどこにもない。資金調達の手段である債券や株式も、それがストックとして蓄積されてくると、投機的対象に組み込まれる。近年異常な拡張をみせた「証券化商品」になると、資金調達の手段からはほど遠い様相を呈している (「GDPを「強奪する」手段」とすらいえる)。
実体経済部門とかけ離れ、金融部門がGDPの益々多くの割合を掌中にするという近年の傾向10は、「適正な資本主義」ではない。金融市場の規模とGDPとには自ずと「適正な比率」があるはずであり、それを逸脱する状況を防止すべく、政府による監視は不可欠となる。
「不適正な資本主義」が横行するなか、忘れ去られた感が否めないのは、労働倫理観の崩壊である。資本主義システムには、「勤勉な労働」(額に汗して働くことで収入を得る)と「濡れ手にあわ的労働」の2種類が存在する。前者は、ウェーバーのプロテスタンティズム的精神に属する。後者は絶えず他者をだます、他者にババを渡す行為への誘惑を宿している。いや宿しているだけではなく、そうした行為を正当化すらする倫理観である。金融工学の美名のもと、誰も責任をとることのない証券化商品を氾濫させても、自らがババを引かないように立ち回ればよい、だまされた方が無知なのだ、といった倫理観である。
3.2ビジネス・エシックス
資本主義システムの動態性を引っ張るのは企業である。企業は利潤が見込めそうな領域を開拓・創造していくことで、自らを成長させるとともに、資本主義システムの発展を牽引していく。
この点を考察するさいに軽視されがちな問題がある。今日の資本主義システムでは、大多数の人間は企業組織に組み込まれている。それゆえ、これら企業はいかなるビジネス・エシックスをもって活動しているのかという問題が重要なのである。
この点に関連して、「証券化商品」の多層的展開、レヴァリッジの手法、ヘッジ・ファンドの活動などを通じ、SBSがGDPの多くのシェアを奪うまでになった資本主義システムのあり方が問われるべきである。これらの活動が巨大化することで、ビジネス・エシックス自体がそれに翻弄されているという事態が、大きな影を落としているからである。
3.3 自由と規制
資本主義システムの利点として、「市場」で自由な意思を有する経済主体が取引を行えるという点があげられる。確かにそれは、他の経済システムにつきまとう恣意性を免れることができる利点である。とはいえ、だからといって無制限な自由化が資本主義システムを最善にする保証はどこにもない。
個人の自由が「可能なかぎり」重視されるべきである、というのは当然である。プライバシーへのいかなる人、いかなる機関、いかなる社会、そしていかなる国家の介入・干渉も拒否されるべきというのも、しかりである。だが、そこにはつねに、「可能なかぎり」という条件がつく。個人や企業の自由があまりにも大きくなり、例えば、1998年のLTCMにみられたことだが、100人程度のヘッジ・ファンドの失敗が世界の金融システムを瓦解させる寸前にまで至ったのだが、そこまでの自由な行動をとることが許されるべきではないであろう。自由には社会の安定を損なわないという制限があってしかるべきである。「相対取引」(OTC) が極端になると、その不透明さが「市場の不透明さ」、あるいは「市場の不存在状況」を増すことになり、経済システムが混乱に陥る危険性は高まる。
わたし達は自由化のもつ意味、意義を立ち止まって考えるべきときにきている。近年、マスメディアやネオ・リベラリストの唱道のまえに、わたし達は「自由」という言葉、「規制緩和」という言葉の魔力に呪縛されてきた感がある。だが、わたし達は自由とともに、「平等・善・徳」がそれといかなる関係にあるべきかを考える必要がある。無制限の自由では平等・善・徳という問題に対処することはできない。無制限の自由化が「不適正な資本主義」をもたらすような場合、「適正な資本主義」という原点に立ち戻る必要がある。
3.4 政府の役割
これまで今日の資本主義システムがいかなる問題を抱えており、それにたいし、どのような価値観をもって対処していくべきかをみてきた。なかでもビジネス・エシックスは、国民の倫理観、価値観と深く関わっており、その是正は教育を通じてなされていく必要のある問題である。
それ以外の点については、(資本主義システムがもつ不可避的な問題はさておくとして) 政府の登場を待たねばならない。すなわち、資本主義システムは市場での取引に基盤をおくべきであり、かつ資本の自由な移動が保証されている必要があるが、それは無制限の自由の容認ではありえないからである。
政府は無制限の自由が引き起こす資本主義システムの暴走を制御できるような、様々の制度を設計していく責務がある。とりわけ、金融部門の暴走が実体経済部門を無視し、GDPのうち取り分の拡大を自己目的化することのないような制度設計が望まれる。「適正な資本主義」の実現のためには、貧富の格差拡大防止のための施策が打ち出されることも、政府には要請されている。
4. むすび
今日の資本主義システムは、この30年間の金融の自由化 (ならびにそれを後押ししたネオ・リベラリズム)
によって生み出された金融システムが、リーマン・ショックにより深甚なる打撃を受けることを通じ、実態部門を大いなる苦境に陥らせた。この点はとりわけ先進国地域に顕著である。
この事態は、資本主義システムが無条件の自由化によっては非常に危ういシステムに堕していく危険性があることを示唆している。それは財産格差・所得格差を著しく拡大させてきた。それは金融システムをTBTFで救済し続けることを通じ、モラル・ハザードを引き起こしてきた。それは、金融工学による証券化商品の粗製乱造により、GDPの「分捕り」を自己目的化する行為を増長させ、そのことが資本主義システムの「ビジネス・エシックス」
(経営倫理と労働倫理の双方を含む) を歪めてしまった。
本講で述べたことは、今日の資本主義システムが陥っている問題点の指摘に目を向けようとするものであって、それ以上のものではない。だが、問題の適正な解決法は、この延長線上に存在する。
1) シティ・コープのCEOであったチャールズ・プリンスが、FCICのヒアリングで、「音楽が演奏されているかぎり、立って踊らなければなりません」という有名な表現を用いているのが、その状況をうまく表現している。競争相手が無謀な貸し出しを続けているかぎり、後に続くしかない、と。
2) 象徴的な事例として、大手投資銀行ウェルズ・ファーゴがある。150万件の預金口座と56.5万枚のクレジット・カードを顧客の名を使い、顧客の合意なしにこの銀行は作成した。この件で5300人の従業員が解雇されているが、トップは解雇されなかったし、辞めた場合でも巨額の退職金を受け取っている。その典型が元CEOであり、不正行為を従業員になすりつける発言を行っていた。経営者のモラル破壊が常習化しており、しかもそれを取り締まる司法が機能していないという問題である。これは金融資本主義のモラル的崩壊現象と言うべきものである。
3) 平井 [2012]第7章「金融規制改革]で詳しく論じている。
4) 不正の余地が大きいというのも - 90年代後半のENRON事件や、現在の東芝事件を指摘するまでもなく - このシステムのもつやっかいな問題である。
6) 2008年8月現在、30社のSIVが4千億ドルの資産を保有するという。
7) 長期 (例えば1980年頃から) および近年 (例えば2008-10) の動向を調べたOECD [2014] やSaez and Zucman [2014]が格差の拡大を顕著に示している
8) Oxfamの報告 (2017年1月) によると、8名の大富豪の富は地球上の下半分36億人の富に等しい。
9) 経済学の巨人たちが資本主義をどのようにとらえていたのかについては、第2話で扱うことにする。
10) 例えば、 アメリカにおいて、 GDPに占める金融部門のシェアは、 1980年以前の30年間では年あたり7ベーシス・ポイントの増大であったが、 以降の30年間では、 13ベーシス・ポイントになっている。 賃金でみると、 金融部門の被用者は1980年では他産業の同等の被用者と同じであったが、 2006年には70%も多くなっている。 またアメリカの全金融資産は1980年ではGDPの5倍であったが、 2007年には10倍に達している。 これらについては、 Greenwood and Scharfstein [2013] を参照。
Emmanuel, S. and Zucman, G. [2014], Exploding Wealth Inequality
in the United States, Oct. 28.
Greenwood, R. and Scharfstein, D. [2013] “Growth
of Finance”, Journal of Economic Perspectives,
27-2.
Hirai, T. [2015] “Capitalism and
Globalization” in T. Hirai, ed ., Capitalism
and the World Economy, Routledge, Ch.1).
平井俊顕 [2011] 「資本主義を考える」 (平井俊顕 (編) 『どうなる私たちの資本主義 - 現代市場社会の「解体新書」』上智大学出版、第1章)
平井俊顕 [2012]『ケインズは資本主義を救えるか』昭和堂
平井俊顕 [2016] 「資本主義経済30年考 - グローバリゼーションの功罪」
(諸富徹 (編)『資本主義経済システムの展望』岩波書店、第1章)
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