9.11 事件とアフガン侵攻 by T. Hirai
そして2001年に9.11事件が発生した。この事件へのブッシュ政権の
対応は、アルカイーダの指導者ビン・ラデンのテロ計画により実行
されたもの、と即座に、かつ断定的に表明するところから始まって
いる。テロリストのせん滅によりアメリカを守る、というものであ
った。
だが、ブッシュ (子) 政権の行動を理解するには、それが、PNAC (後述) の方針に忠実に沿ったものであったことを念頭におく必要がある。ブッシュ政権はその後の軍事的展開 (2002年にアフガン戦争、2003年にイラク戦争) をPNACの方針に従って独断的に実行していったのである。
2001年1月に成立したブッシュ政権では、D. チェイニー (副大統領) やD. ラムズフェルド (国防長官) を中心とする、 いわゆる「ネオコン」が重要ポストを牛耳るかたちで組閣された。 彼らの共和党内における活動は古く、 フォード政権あたりから参画していたのだが、 90年代後半には、 シンク・タンクPNAC (Project for the
NewAmerican Century. エネルギー・軍事産業からの基金により1997年設立、2006年閉鎖) を拠点に活動していた。その見解は『アメリカ防衛の再構築:新世紀の戦略、軍事、資源』(2000年9月) で次の4つの原則として明らかにされている: (1) 国内での社会計画の削減で軍事予算の激増、(2) 企業権益に抵抗するレジームの転覆、(3) 民主過程の歴史をもたない地域に軍事力を用いての民主主義の実現、 (4) 国際秩序を維持・拡大させる国連の役割にとって代わる、というものであった。
ネオコンが、これらを実行するうえで絶好の口実となったのが
9.11事件であった (いわゆる「第2のパール・ハーバー」)。これを契機として彼らはきわめて軍事的活動を実行に移していくことになった。
9.11事件には、大きな疑惑が潜んでいる。第1は、ブッシュ政権がとった行動である。一言でいえば、事前にいくどもアメリカに向けてのテロ活動が飛行機を武器に実行される危険性がCIAなどから伝えられていたにもかかわらず、ブッシュ政権は、それを無視し、あのWTC (世界貿易センター) ビルやペンタゴンへの衝突を許した、という点である。防衛体制はまったくなされないままに放置されたのである。当時、ラムドフェルドが最高責任者であったのだが、彼は事件発生後も通常業務に携わっていた。またブレマーは、WTCビルの事務所で
予定されていた会議を直前にキャンセルして難を免れたが、そのため部下数百名が犠牲になっている。にもかかわらず、ブレマーは、MSNBCに出演して9.11事件について意見を述べるという行動をとっている等々。
第2は、サウジアラビアである。サウジはスンニ派のなかでも最も過激な活動を唱道するワッハーブ派である5。既述のように、ソ連のアフガン戦争のさいに、サウジはアルカイーダを支援していた。もともとワッハーブ派は、西欧文明・キリスト教を抹殺するほどの過激な発言・教育を繰り広げており、そのために巨額の資金援助も行っていた。だから、イスラム国を含め、イスラム過激派がサウジから誕生する素地はつねに存在したし、現在もそうである。
問題は、このサウジとアメリカ政権とのプラクティカルな関係である。サウジが保有する油田と、そこからあがる巨額の収益が、アメリカ政府にその他の問題に目を閉じて「親密な言辞的関係」をとらせることになった。実際、サウジは巨額のアメリカ国債を保有し、石油価格の操作でアメリカに協力し、また膨大な軍事費がアメリカの軍事産業を潤わせてきている (典型はブッシュ・シニアのサウジ王室との結びつき)。
ブッシュ・ジュニア政権の行動も、こうした脈略でとらえる必要がある。9.11事件の実行犯19名のうち15名はサウジ人である。そしてそのうちの数名は、事件前後にサウジの皇室でカリフォルニアに居を構えていた(サウジ王家の)高官とさかんに話し合いを行っていたという事実も、現在判明している6。
ブッシュ政権はサウジの関与を全面否定しており、あくまでもビン・ラデンのアルカイーダによる犯行である、と主張してきた7。
このサウジ問題は、一言でいえば、ワッハーブ派の上記の活動からわかるように、多くのサウジ人がアルカイーダの活動に賛同していたという点である。そしてサウジには多くのチャリティ基金の名のもとに巨額の資金がこれらを通じてアルカイーダなどに渡っていた。そうした活動のなかにサウジ王室の人間が関与していたとしても何ら不思議ではない。サウジ王室自体の活動と断定できないまでも、上記のような雰囲気があり、サウジが9.11事件に関与していないとは言えないのである。チャリティーの資金がどのように使われているのかをサウジ政府がコントロールできないのが現状である。それに、国民のすべてはパレスティナ問題を重視しており、イスラエルを支持するアメリカには憤っている。パレスティナへの資金提供は理由を問わず承認されている (フセイン体制にはつねに敵対的であったサウジ人であるが、同時にアメリカ軍によるイラク戦争にはきわめて批判的である)。
そのうえで、既述の実行犯の多くがサウジ人であるということ (うち5名はサウジ国内で集められている)、さらには、事件直後、サウジ関係者の多くが特別機でサウジに帰国しているという事実がある (当時、全米の飛行場は閉鎖状況におかれていたなかでの出来事である)。
第3は、9.11後の処理過程において、ブッシュ政権の関係者の企業がWTCビルの再建にあたってその大半を受注したという点である。
ブッシュ政権は、2011年10月、アフガン侵攻を強行した。これに
は国連による、タリバン政府にたいする、ビン・ラデンとアルカイーダの引き渡し要求を、タリバンが拒否したことにより、遂行されたことになっている。
だが、じつは、アフガン攻撃が実施されるまえ、タリバンはビン・ラデンをアメリカ側に引き渡す提案を打ち出していたことが知られている。当時、反タリバン勢力がタリバン政府を倒す可能性も高い状況が生じていたという事情があったのである。
さらに、こういう話もある。ビン・ラデンは、当時、ある部族にかくまわれていた。この部族自体はタリバンを嫌っていたのだが、これは部族のしきたりによるホスピタリティに基づくものであった。アメリカはこの部族にビン・ラデンを差し出せば巨額の資金を提供することを申し出たのだが、かれらはそれを拒否していた (アブドル・ハック(Abdul Haq. 反タリバン指導者の1人) 、R.クラーク (Richard A. Clarke.ブッシュ政権時の反テロリズム・グループ議長) の証言による)。
ともあれ、 アメリカはただちにアフガン攻撃を開始し、タリバン政府はすぐに崩壊する。パキスタン政府の立場は微妙であった。一方でタリバンはアフガン支配の重要な柱であるが、他方でアメリカにたいし反逆することは許されない立場にあった。結局、パキスタンはアメリカのアフガン攻撃に基地を提供したりすることで、意に反しつつも同盟的立ち場を取りつづけることになったのである。