ヴィクセル・コネクション
平井俊顕
第7章 相互比較
―同床異夢それとも呉越同舟?―
第2部ではこれまで「ヴィクセル・コネクション」の表題のもと、ヴィクセルに端を発する貨幣的経済学の潮流を、4名の経済学者(ヴィクセル、ミュルダール、ハイエク、ケインズ)の代表的著作を取り上げ、個別に主として理論的側面から検討を行なってきた。これにたいし本章では、できるだけ広い視野のなかで、かれらのあいだの理論的異同点を明らかにすることに努めたい。そのことを通じて、理論的一大潮流としての「ヴィクセル・コネクション」の具体的姿が浮き彫りにされるであろう。
1.貨幣的経済学の構築 ― 新古典派経済学批判
ヴィクセルの貨幣数量説批判とそれに代わる累積過程理論の提示は、新古典派経済学の修正という性格を有していた。だがそれは次世代の経済学者による、新古典派経済学の体系そのものを批判し、それに代わる貨幣的経済学を構築せんとする重要な理論的潮流の礎を築くことになった。ここでは、この潮流を代表する経済学者の問題意識をみていくことにしよう。
A.ミュルダールとハイエク
ミュルダールやハイエクの問題意識は、ヴィクセルのそれを超えている。彼らは相対
価格を交換の理論によって、また絶対価格を貨幣数量説によって説明するという理論体系を根底から批判した。彼らは、この理論体系が悪しき2分法に陥っているという批判意識に立ちつつ、貨幣が実物経済におよぼす影響を分析する理論を構築しようとした。このような問題意識において、両者は驚くほど一致しているのである。
とはいえ、貨幣数量説批判の理由ならびに具体的な理論構築となると、両者にはかなり
の相違がみとめられる。ミュルダールは、一般均衡理論と貨幣数量説の統合は論理的に不
可能であるのみならず、両理論が別々の道を歩むことも不可能であると論じている。一般均衡理論は絶対価格を説明できず、貨幣数量説は価格水準内部での価格関係を説明できな
い。そして両理論とも信用の問題を扱うことができない。ミュルダールの重要な問題関心
は、信用の問題を扱うことのできる貨幣的経済理論を構築することであり、これこそが新しい貨幣的経済理論のあるべき方向であると確信していたのである。
他方ハイエクは、貨幣数量説にたいする批判の根本を、全体としての貨幣数量や一般価格水準といった集計概念に向ける。これは彼の方法論的個人主義の立場に由来する。そのうえでハイエクは、貨幣が諸価格と生産に影響を与えるのは、一般価格水準の変化を通じてのみであるという見解や、貨幣理論とは貨幣価値がいかに決定されるかについての理論であるという見解、つまり貨幣と一般価格水準との直接的関係で論じる貨幣理論を批判するのである。ハイエクの重要な問題関心は、相対価格が変化する原因を追究し、その生産への影響を明らかにする理論を構築することであった。ハイエクは、これこそが新しい貨幣的経済理論のあるべき方向であると確信していたのである。
B.『貨幣論』のケインズ
『貨幣論』のケインズには、ミュルダールやハイエクにみられるような新古典派体系批
判という問題意識は明示的ではない。だが『貨幣論』の具体的な理論構造からみて、実質上ケインズも彼らと同様、「相対価格+貨幣価格」からなる新古典派体系そのものを批判し、それにかわる貨幣的経済理論の構築を目指しているといってよいであろう。
ミュルダールやリンダールなどのストックホルム学派の場合には、ヴィクセルやカッセ
ルの影響を通じ「相対価格+貨幣価格」からなる理論体系とはワルラス体系であった。たとえばヴィクセルの『価値・資本および地代』〔1893年〕やカッセルの『社会経済の理論
』〔1923年〕をみればこのことは明らかである1。ミュルダールやリンダールはヴィクセルの累積過程論の内在的批判を通じて、それに対峙したのである。ミーゼスやハイエクなどのオーストリア学派の場合も、「相対価格+貨幣価格」からなる理論体系とはワルラス体系であった。彼らは基本的にはメンガーやベーム- バヴェルクの経済学およびヴィクセルの累積過程の理論に依拠しつつ、一元的な主観価値論の視点からそれに対峙したのである2。
ケインズにあっては、「相対価格+貨幣価格」からなる理論体系とはマーシャル体系で
あった3。英語圏にあってワルラス体系の立場を明確に採用していた経済学者としては、
フィッシャー(『価値と価格の理論の数学的研究』〔1892〕)4 やボーレー(『経済学の
数学的基礎』〔1924〕)5等がいるが、イギリスの経済学にあって支配的地位を占めることはなかったのである。
ケインズの基本的な問題認識は次の2点にあった。
① 利子率、所得と利潤の区別、および貯蓄と投資の区別を行なうことなくしては、価
格形成の過程は把握できない。
② 所得、ビジネス、金融等といったさまざまな種類の取引を識別しないでなされる分
析方法は混乱を招く。
これらは同時に、貨幣数量説にたいする批判意識に基づくものであった。この点はケインズの貨幣数量説批判のうちで重要な次の2点をみれば、明らかであろう(番号は対応している) 。
① 貨幣数量説は貯蓄・投資の乖離による価格水準への攪乱を分析する仕事に向いてい
ない。また貨幣数量よりもバンク・レートの変化の方が、経済分析にとっては重要
である。
② 貨幣数量説では、貯蓄預金、ビジネス預金、所得預金の識別がないため、それらの
割合の変化から生じる攪乱があいまいにされている。
このうち①は、ケインズは自ら提示した「基本方程式」(バンク・レートが投資と貯蓄
への影響を通じて物価に影響を及ぼすことを示す式)が貨幣数量説に比べてすぐれている点として指摘されている。彼は基本方程式が貨幣数量説にとって代わるべきものであり、これによって動態的な価格変動を扱うことができると考えた。②はケインズが自ら提示した「弱気関数の理論」につながっている。
以上からも明らかなように、ケインズにあっては、ミュルダールやハイエクに比べ批判
対象が貨幣数量説(とくにマーシャル、ピグーの「ケンブリッジ数量方程式」)そのもの
におかれており、古典派の2分法にたいする批判意識は薄いといえる。
ところでケインズが『貨幣論』に示されるような理論に変っていく大きな契機となった
ものは、ロバートソンの『銀行政策と価格水準』〔1926〕の出現である。この書物の構想
にもっとも大きな影響を与えたのは、アフタリオンの『過剰生産の周期的恐慌』〔1913〕
ならびにカッセルの『社会経済の理論』〔1923〕であった。ロバートソンは、とくにこの
書物の中枢である第5章「貯蓄の種類」については、後者に多くを負っていると述べてい
る6。この書物での立論について、リンダールは『利子率と価格水準』〔1930〕において
7 、またハイエクは『諸価格と生産』〔1931〕において8、自らの理論との同質性を指摘しているのも興味深い。また『貨幣論』においても、(ヴィクセルの累積過程論とならんで)カッセルの『社会経済の理論』の第4編「景気循環の理論」が重視されている。
このように、ロバートソンの『銀行政策と価格水準』はカッセルの『社会経済の理論』
を通じて、ストックホルム学派のヴィクセル、リンダール、さらにオーストリア学派のハ
イエクと同様の考え方を、イギリスにもたらすことになった。ケインズが『銀行政策と価格水準』に大きな影響を受けたというのは、たんにその書物を読んでのことではなかった。何にもまして、同書の核心部分である第5章「景気循環における短期ラッキング」および第6章「短期および長期ラッキングの関係」では、ケインズとの討論が非常に多くなされながら執筆された箇所であり、どこからどこまでが自分の考えなのかわからないほどで
ある、とロバ トソンが述べているという事実が存する9。『貨幣論』は、多かれ少なか
れこの書物の延長線上にあるのである。
以上にみたように、ヴィクセルの提唱した累積過程の理論は、20世紀前半の経済学を席
巻するような大きな潮流を生み出すことになった。ストックホルム学派ではリンダール、
ミュルダール、オーリン、オーストリア学派ではミーゼスやハイエク、ケンブリッジ学派
ではロバートソンやケインズ、さらにイタリアではマルコ・ファノが、ヴィクセルの立論
に沿いながら貨幣的経済理論の構築を試みたのである。またハイエクがいうように、ミーゼスの理論、とりわけ「強制貯蓄の理論」は、シュムペ ーターの『経済発展の理論』〔1912〕、およびB.アンダーソンの『貨幣の価値』〔1917〕を通じてアメリカに伝播され、タウシッグ、ナイト、フライデイ、ハンセンが端的にその影響下に入るほどの隆盛をみることになるのである10。
2.理論構造の比較 ―
共有と相違
(図7-1は以上の4名ならびにリンダールとミーゼスの理論構造をシェーマ化したものである。)
ヴィクセル理論に範を求める以上、4名の理論に多くの共通点が見いだせるのは、ある意味で当然のことである。とはいえ、何人かが共有する論点を見つけることはできても、すべての人に共通する論点を探すとなると、意外に難しい。ここでは、いくつかの論点を取り上げ、彼らのあいだでの共有ないしは相違の度合いを調べることにし、その後で4者を大きなスペクトラムのなかに位置付けることにしよう。
A.異同の度合い
① 期間分析の採用 ―
4者とも期間分析ないしは一時的均衡分析の手法を採用してお
り、ある均衡状態から次の均衡状態に至るまでの過渡期の分析を目的としている。こ
の点はミ ゼスも同様であるが、リンダールの場合、各期とも均衡を前提に不均衡の
分析がなされている。
②「組織化された信用経済」の採用 ―
ヴィクセルのこの仮定を明示的に採用してい
るのは、ミュルダール、リンダールおよびミーゼスである。ケインズは、これを採用
してはいないが、貨幣数量ではなくバンク・レート(貨幣利子率)を重視する立場を
とっている。唯一異なる立場をとるのはハイエクである。ハイエクにあっては、貨幣量が一定かいなか、またそれが経済のどの部分(消費財にたいしてかそれとも生産者財にたいしてか)に注入されるかという問題が重要である。ただし、ハイエクの分析
方法とミーゼスの分析方法はほぼ同じである。
③ 自然利子率と貨幣利子率の乖離という分析ツールの採用 ―
ヴィクセルのこの基本
的なツールを採用しているのは、ヴィクセル、ケインズ、ミーゼス、ハイエクである。
しかし、その利用法は異なる。
(a)ヴィクセルの展開した累積過程の理論では、自然利子率と貨幣利子率の相対的
関係をめぐる立論は、中枢的位置を占めている。
(b)ケインズはこの関係を承認してはいるが、ケインズの立論の中心にあるのは利
子率と投資・貯蓄の関係である。
(c)ミーゼスとハイエクの場合にも、この関係は採用されているが、貨幣利子率は
消費財の価格/生産者財の価格として定義されており、独特なものになっている。
これにたいして、ミュルダールとリンダールは、このツールに批判的である。ミュ
ルダールは、両利子率の均衡によっては貨幣的均衡を定義することはできない、と考
えている。その理由は、その場合、利潤マ ージンがゼロになるが、それは動学的件
のもとでの貨幣的均衡の基準にはなりえない、というものである。ただしミュルダー ルは、ヴィクセルの貨幣的均衡の第1条件の批判的検討を通じ、ミュルダール理論の
要である投資関数を導出している。リンダー ルは、各期において自然利子率は貨幣 利子率に等しくなると考えている(両利子率が等しくなることによって投資価値が決 定される)。
④ 投資と貯蓄の乖離を用いた分析の採用 ―
これはミュルダールとケインズが採用
している。両者ともに、その立論の出発点をヴィクセルに求めている。しかしヴィクセルの累積過程の理論の中心は、あくまでも自然利子率と貨幣利子率の乖離による分析であり、投資と貯蓄についてのヴィクセル自身の立論はさだかではない。なおケイ
ンズは投資と貯蓄を識別した分析の始まりをミーゼスに帰しているが、実際にはミーゼスの分析の中心は自然利子率と貨幣利子率(ただし消費財価格/生産者財価格として定義されている)と迂回生産構造を中心としたものである。
ハイエクにあっては、自発的貯蓄と強制貯蓄の識別が重要であり、投資と貯蓄は常
に等しいと想定されている。リンダールにあっては、投資と貯蓄は各期において均衡
するという理論構造になっている。
⑤ 迂回生産の理論の採用― ヴィクセル、ミュルダール、リンダール、ミーゼス、ハ イエクは迂回生産の理論を容認している。そうでないのはケインズだけである。ただ し、前者の場合でも、それが貨幣的経済理論の立論にとって本質的に重要であると
考えているもの(ミーゼスとハイエク)と、そうは考えていないもの(ヴィクセル、
ミュルダール、リンダール)とに分けることができる。ヴィクセルがこの理論を採用
するのは、相対価格の理論の領域においてであって、累積過程の理論の領域ではない。
またミュルダールにあっては、「第4のルート」として位置付けられているし、リン ダールにあっても、立論の一部で用いられているにすぎない。
⑥ 物価水準という集計概念 ―
これを容認しているものにヴィクセル、ミュルダール、 ケインズ、ミーゼスが、否定しているものにハイエクがいる。容認の場合でも、各人 の立場は異なる。ヴィクセルの場合、自然利子率と貨幣利子率が均衡するさいに物価 水準(消費財の価格水準)は一定になると考えた。ケインズは「第2基本方程式
」において、それを継承する。ミュルダールは、貨幣的均衡において物価水準が安定
になることを否定しているが、物価水準という概念そのものの有効性は認めている。
ミーゼスの場合、貨幣の「内的客観的交換価値」というかたちで物価水準を容認して
いる(ただし、具体的な指数算出には消極的である)。これらにたいしてハイエクは、主観主義的方法論の立場から、一般価格水準や全生産量という概念の有効性自体に否定的である。
⑦ 貨幣価格の変動のみを問題にするかいなか ―
前者にはヴィクセルが、後者(相
対価格の変動を問題にする者)にはミュルダール、リンダール、ケインズ、ミーゼス、
ハイエクがいる。なかでもミーゼスとハイエクの場合は、相対価格の変動を迂回生
産の理論と密接に関連付けた理論を展開している。ミュルダールやリンダールにもそ
うした立論はみられるが、彼らの理論の中枢を占めるものではない。
⑧ 生産量一定(完全雇用)を想定するかいなか ― 前者にはヴィクセルが、後者(
生産量の変動を組み込んでいる者)にはミュルダール、リンダール、ケインズ、ハイ
エク、ミーゼスがいる。ミュルダール、リンダールでは資本財の生産(投資)の増減
が重視され、ケインズでは「TM供給関数」が用いられている。またミーゼス、ハイ エクでは生産構造の長期化(ないしは短期化)が重視されている。
⑨ 消費財価格の決定 ― 消費財の価格決定において、所得からの支出を基本的なも のとして重視するものとして、ヴィクセル、リンダール、ミュルダール、ケインズを あげることができる。
⑩ 賃金基金説 ―
これを採用しているものにヴィクセルが、採用していないものに
ミュルダール、リンダール、ケインズ、ハイエク、ミーゼスがいる。
⑪ バンク・レート操作による物価安定 ―
銀行によるバンク・レート操作により物価 の安定をもたらす点を理論的にも政策的にも重視するものにヴィクセル、ケインズ、 リンダールが、それに批判的なものにミュルダー ルとハイエクがいる。ミュルダー ルは、物価の安定は貨幣的均衡にとって意味がないと考えているし、彼の経済政策観 は非常に微妙なバランスのうえに築かれたものになっている(「貨幣的均衡の無差別 領域」)。ハイエクは、物価水準という概念自体に疑問をもっているし、彼は経済政 策としては、経済過程の自然な価格体系を攪乱しないように、貨幣量を一定に維持す べきであるという考えを有している。
⑫ 強制貯蓄論 ―
この立論を最も明示的に展開しているのはハイエクである。ハイエ クは、この立論がヴィクセル、ミーゼスにみられると述べている。
だがヴィクセルの理論構造にとって、それは本質的なものではない。ヴィクセルに
あっては、これは次のような議論において用いられている。
銀行が貸出し期間を(たとえば2倍に)長期化したとき、「投資期間」も同様に
長期化し、そのために実物貯蓄の増加が必要となり、消費者は強制的貯蓄を強いられる。しかしこの投資期間が完了したあかつきには、消費者はその報奨として増大した消費財を受け取ることになる。
ミーゼスの場合には、自然利子率に比べ貨幣利子率が低く維持されているうちに、
この強制貯蓄の発生により消費財価格が騰貴し、生産者財価格が下落するために、貨幣利子率の上昇が生じると論じられている。強制貯蓄は銀行による貨幣利子率の引き下げを逆転させる、経済に内在的な要因と考えられているのである。ハイエクはこの
立論をほぼそのまま継承している(ミーゼスはヴィクセル、ケインズとは異なり、貨
幣利子率が自然利子率を上回るケ スは無視してよいと考えている)。ケインズは『
貨幣論』で強制貯蓄に言及したさい、『貨幣論』の主要な立論に関連するものは何もないと述べて、その必要性を認めてはいない。
⑬ 各人特有の理論的要素 ―
ミュルダールにあっては事前・事後の概念、利潤マージンの関数としての投資関数、ハイエクにあっては自発的貯蓄と強制貯蓄の識別、ケインズにあっては「TM供給関数」と弱気関数の理論ということになるであろう。
⑭ セイ法則 ―
相対価格の理論がセイ法則(いわゆる「一般的過剰生産の不可能 性」)を内包しており、景気循環の問題を分析できないことを明言しているのはミュ ルダールである。ヴィクセルの場合には、完全雇用が想定されており、セイ法則は承 認されているように思われる。
⑮ 国際通貨体制としての金本位制 ―
これに批判的な立場をとるものにヴィクセル
、ケインズが、これを擁護するものにミーゼス、ハイエクがいる。ヴィクセルは一種
の管理通貨制度を唱え、世界の物価安定のため各国がその利子率を共同でコントロールすることを重視する。ケインズは超国家的管理の問題として、金の国際価値の長期的傾向を管理する問題と、短期的変動を回避する問題とを識別し、前者については一種の計表本位制12を、後者については超国際銀行の創設(後のケインズ案)を主張し
ている。ミーゼスは、金核本位制(ミ ゼスはこれまでの金本位制をこのようにとら
えて本来の金本位制と区別している)から真の金本位制(金を現実的に使用すること)に復帰すべきであると主張している。
B.スペクトラム
最も遠いハイエク ―
4者の理論構造を比較・検討してみるとき、最初に気が付くの
はハイエクが最も離れた位置にいるという点である。ハイエクのみが、貨幣の投入のされ方が消費財と多数の生産者財との相対的な価格関係に変化を与え、それが生産構造の長期化(ないしは短期化)をもたらすという立論を展開しているからである。他の3名においては、迂回生産構造の変化は、少なくとも重要な位置を占めてはいない。ヴィクセルは迂回生産の理論を採用しているが、それは相対価格の理論の領域においてであって、累積過
程の理論においてではない。ミュルダールは迂回生産の理論を採用してはいるが、それは
5つのルートのうち「第4のルート」としてのみである。ケインズは迂回生産の理論を採
用していない。
ハイエクにあっては、自発的貯蓄と強制貯蓄の2つのケースが比較され、前者が理想の
状態、後者は貨幣数量によって攪乱されたまずい状態と考えられている。このような規範
の作り方は他の3名にはみられない。いってみれば3名にはハイエクの自発的貯蓄のケースに相当するものはなく、強制貯蓄のケースに相当する状態のなかで、一種の貨幣的均衡
が定義されている。
次に遠いミュルダール ―
ヴィクセル、ミュルダール、ケインズの関係はどうであろうか。3名の理論的関係は錯綜しており、お互いの距離の違いを判然と測るのは困難であ
る。ある論点ではヴィクセルとミュルダールの距離が、また他の論点ではヴィクセルとケ
インズの距離が近いからである。だがあえていえば、3名のなかではミュルダールが最も
離れた位置にいるであろう。ミュルダールは、ヴィクセルの貨幣的均衡の3条件のうち、
第2条件(投資と貯蓄の均衡)のみを承認し、第1条件(貨幣利子率と自然利子率の均衡
)および第3条件(価格水準が一定であること)を否定している。しかもミュルダールが
重視する貨幣的均衡条件である第2条件については、ヴィクセル自身は明確に論じているわけではない。他方、ケインズは3条件とも採用している。しかも銀行による貨幣利子率政策に大きな信頼をおいており、この点でもケインズはヴィクセルを踏襲している。
ミュルダールとケインズの違い ― 両者は、消費財価格の決定については共通する考
え方を採用している。違いは投資の扱い方にある。ミュルダールは投資を利潤マージンの
関数ととらえるのにたいし、ケインズは投資をもっぱら投資価格の観点からとらえ(「弱気関数の理論」ないしは「投資価格理論②」)、その数量については「TM供給関数」でとらえている。しかも所得や利潤の定義は、ミュルダールが事前概念としてとらえているため、両者でまったく異なっている。
これらの相違点は、両者が(ヴィクセルとは異なる) 独自の理論を展開している箇所でもある。ヴィクセルにあっては、投資は明示的に扱われてはおらず、また完全雇用が想定されているため、生産の拡張はあくまでも「傾向」に限られていたのである。
3.見失われた潮流
ヴィクセルの展開した貨幣的経済理論(累積過程の理論)は、物価の変動を説明する原理としての貨幣数量説や貨幣の生産費説を批判し、それに代わるものとして構築された。それは自然利子率と貨幣利子率のあいだの乖離が、利潤の変動を通じて物価の変動をいかにしてもたらすのかを明らかにしようとするものであった。だがヴィクセルは一方で、交換価値の理論と貨幣価格の理論とのあいだの2分法を守った。そのため、彼は貨幣価格の理論として累積過程の理論を展開するにさいし完全雇用を想定したし、生産の増減傾向(tendency)と実際の増減を峻別し、理論を前者に限定したのである。
しかしながら累積過程の理論を受け継いだ次世代の経済学者は、2分法を守ろうとはし
なかった。ミュルダールにしても、ミーゼス、ハイエクにしても、2分法は意識的に批判
の対象とされている。彼らにあっては、貨幣理論は絶対価格の決定を論じるだけのものであってはならないという姿勢が貫かれており、貨幣数量説と相対価格の理論から構成されるものとしての経済理論体系(新古典派体系)を批判し、それに替わる貨幣的経済理論の構築が目指されたのである。
このような試みは戦間期の理論経済学における最も重要な業績であったことは、もっと注目されてしかるべきである。なぜならケインズの理論的営みも、この大きな潮流のなか
に位置付けることが可能であり、『貨幣論』から『一般理論』への発展も― したがって
「ケインズ革命」の発生も― この脈絡の理解を抜きにしては語ることができないからで
ある。
皮肉なことに、戦後の経済学はこのような潮流からは大きく断絶するかたちで発展していくことになった。戦後、ケインズ理論がアメリカ流に仕立て直されたうえでマクロ経済学の唯一絶対的な地位を占めることになったことが、このような断絶を促進するうえで大きく影響したように思われる。以下、これまで検討を加えてきた「ヴィクセル・コネクション」の視点から、戦後の経済学の潮流を概括的にとらえてみることにしよう。
第1に、ヴィクセルの後継者のほとんどは、古典派の2分法にたいしてきわめて批判的であった。この点は『一般理論』のケインズにも明瞭にみられることは、特に強調しておく必要がある。
ところが戦後の主流派経済学は、このような批判的立場を放棄してしまった。ケインズ理論はマクロ経済学として位置付けられ、他方でワルラス理論がミクロ経済学として位置付けられる。そしてこの両者は両立しうるものであるという思想が支配的となったのである。このような思想は「ヴィクセル・コネクション」の流れからは、とうてい理解できないものである。
第2に、経済理論、経済政策、経済思想のあいだの混同が、戦後生じたように思われる。その最たるものは、ケインズ理論、ケインズ政策、ケインズの経済思想の混同である。ケインズの展開した理論は背後に退けられ、かわりにケインズ主義は財政政策主義であり、自由放任主義に対峙する干渉主義であるという点が強調されることになった。
このような混同は、経済理論の発展と理解にとり悲劇的であった。たとえば自由放任主義と干渉主義との関係は、19世紀後半に始まる集産主義(collectivism)にみられるように、より広い歴史的な展開をもつものとして把握することが重要である。ヴィクセル理論を
継承した経済学者のなかでも、ミュルダールやリンダールは干渉主義者であるが、ミーゼ
スやハイエクは自由主義者である( ハイエクのいう「法の下での自由」を参照されたい)。しかもミーゼスやハイエクは思想的にはフリードマンと軌を一にするが、理論的にはマネタリスムの激しい批判者であり、大きな理論的立場からみるならば、ケインズに近いとすらいえるのである。ミーゼスやハイエクの経済政策観はなるほど、できるだけ恣意的な政策を抑えるという立場をとっているが、理論構造的にはヴィクセルの累積過程理論から深く影響を受けており、その点では『貨幣論』のケインズと異なるわけではない。政策観や経済思想が似ているからといって、経済理論も似ているだろうと憶測したり、逆に経済理論が似ているからといって、政策観や経済思想が似ていると憶測するのは、非常に危険なことである。
第3に、1970年代にケインズ理論批判として、貨幣数量説がマネタリズムという名前で復興したという現象をあげる必要がある。これまでケインジアンとマネタリストのあいだには多くの論争が闘わされてきたが、その多くは貨幣の流通速度の安定性とか、自然失業率の係数が1になるかいなかといった実証的問題に専ら関心をおいてきた。この点においても、戦間期の多くの経済学者が行なってきた貨幣数量説批判とそれにかわる貨幣経済学の構築という試みは無視されてしまっているのである。
第4に、戦後、ケインズ理論があまりにも脚光を浴びるなかで、あたかもそれまでの理論がすべて古典派の遺物であり、注目に値しないものであるかのような風潮が蔓延してしまった点を指摘する必要がある。皮肉なことに、ヴィクセル・コネクションが批判した新古典派経済学は戦後そのままの姿で復活し、『一般理論』に到達する過程で華々しく展開されたヴィクセル・コネクションは一顧だにされなくなってしまったのである。
そのためケインズ理論は、まさに「革命」として、それまでの理論の営みとは関係のない固有の新しい理論としての側面ばかりが強調されることになった。このことは戦間期に活動し、最終的には『一般理論』につながっていく潮流に属していた多くの経済学者が、関心を経済学以外の領域に求めるようになったことによって増幅されたように思われる。
たとえばミュルダー ルは福祉や貧困・平等といった問題に、ハイエクやミ ゼスは社会哲
学の領域にそれぞれ関心を移していったことを想起されたい。
第5に、正統派経済学(新古典派総合)のあり方に批判的な潮流も、以上のような戦間期の潮流を踏まえるかたちでは展開してこなかったように思われる。たとえばスラッファ経済学は限界理論そのものにたいする批判を前面に押し出しており、限界革命以前の古典派の価値論からの再出発を目指している。またポスト・ケインズ派の立論も、ケインズ自身の理論に戻るところから出発しているが、ケインズ理論がヴィクセル・コネクションとどのような継承関係に立つものであるのかを無視している点では、正統派経済学と変わら
ない。
第6に、ケインズ理論を不均衡理論としてとらえ、ケインズ理論をワルラスの一般均衡理論を超えたものとしてとらえる潮流がある。これもまた正統派経済学の枠内でのワルラス経済学批判という色彩を強く有している。
本節で述べたことは、あくまでも感想の域を出るものではない。これらを確めていくためには、戦後の経済学の潮流を具体的に調査・研究することが何よりも必要である。これが次になさねばならない課題である。
注
1)
ただし、カッセルは価値の主観理論を不要と考えている。注17を参照。
2) したがって、ミーゼスやハイエクはメンガー理論を貫徹させようとしているという
意味では、新古典派体系の立場に立っているという表現も可能であろう。ただし、彼らの貨幣理論の最も重要な部分は、「ヴィクセル・コネクション」の脈絡でとらえる方がよ
り適切である。ミーゼスと同世代でベーム- バヴェルクの指導を受けたシュムペーターの立場は、ミーゼスやハイエクの立場とは異なる。シュムペーターは『理論経済学の本質と
主要内容』〔1908〕において、ワルラスとヴィーザーを自分に最も近い考えをもつ者、と
位置づけている(p.11)。しかしそれは、静態経済を記述する理論であり、発展経済を記述
する理論としては、それとはまったく異なる立論が必要であるとシュムペーターは考えた。その成果が『経済発展の理論』〔1912〕である。そこでは企業者の機能が重視される。循環経済の状況を打ち破るのは企業者である。企業者は銀行からの信用供与により購買力を入手し、それをもとに循環経済で雇用されていた生産手段をいわば奪取し、それをもとに新結合を遂行する。これは企業者利潤を生み、生産の発展が生じていく。この過程でインフレーションが起きたとしても、それは一時的なものであり、やがて生産の増大により、むしろデフレーション的状態すら生じる、とシュムペーターは論じている。
3) ケインズのマーシャル評価を理解するうえで「アルフレッド・マーシャル」( ピグ
ー編〔1925〕所収) は重要である。そこでケインズは『経済学原理』の功績として7 点をあげている( ①価値論争の終結、②経済均衡の一般理論、③時間要素、④消費者余剰、⑤独占の分析、⑥弾力性概念、⑦歴史的叙述) 。また貨幣理論へのマーシャルの貢献として
7 点をあげている( ①価値の一般理論の一部としての貨幣数量説の説明、②実質利子率と貨幣利子率の区別、および貨幣価値が変動しているときのこれの信用循環とのレリヴァンス、③追加的貨幣供給が物価に影響をおよぼす因果連関と割引率のはたす役割、④購買力平価説、⑤指数作成のチェイン法、⑥金銀複本位制に基づく紙幣流通の提案、⑦長期契約
の場合に選択的に使用するための公式の計表本位制の提案) 。この時点でケインズはマーシャルの二分法を取り上げてはいない( 関係するのは『経済学原理』評価の②および貨幣理論評価の①である。これと貨幣理論評価の3との関係が問題である) 。
4) ただしフィッシャーは、ジェヴォンズならびにアウスピッツ= リーベンに依拠して
いた。
5) これは英語では最初の数理経済学の書物である。オブライエン= プレスリー編〔19
81〕第5 章を参照。さらにリンダール「価格理論における資本の位置」〔1929〕(リンール〔1939〕所収)pp.276-278 を参照。
6) 『銀行政策と価格水準』p.5 を参照。
7) 『貨幣と資本理論の研究』p.199 の脚注を参照。
8) 『諸価格と生産』p.25
の脚注を参照。
9) 『銀行政策と価格水準』p.5 を参照。
10) 『諸価格と生産』p.25
の脚注を参照。
11) 詳しくは第1 章2 のB のc
を参照。
12) 計表本位制については、ロウ、スクロープ、ジェヴォンズ等長い歴史がある。マーシャルもそのなかに属する( 注50を参照) 。フィッシャー『貨幣の購買力』pp.332-337を参照) や(『貨幣論』の) ケインズもしかりである。他方、計表本位制への批判者としては、ミーゼス(『貨幣および流通手段の理論』pp.429-430を参照) がいる。