ヴィクセル・コネクション
平井俊顕
第6章 『貨幣論』のケインズ1
1.ケインズの問題意識
これまでに検討したヴィクセル、ミュルダール、ハイエクには共通する問題意識がみら
れた。相対価格の理論と貨幣価格の理論との関係に注目し、それにたいする明確な意思表
明から立論をスタ トさせているという点がそれである。ヴィクセルの場合、両理論の分
離という構造は是認されたうえで、貨幣価格の理論が問題とされた(貨幣数量説批判と累
積過程理論の提示)。ミュルダー ルやハイエクの場合も、両理論の関係に注目することはきわめて重要な問題認識上の出発点であった。ただヴィクセルと異なるのは、「相対価格理論+貨幣数量説」からなる新古典派体系を批判し(古典派の2分法の明確な否定)、それにかわる貨幣的経済理論を構築しようとした点である。これにたいし、ケインズの『貨幣論』(1930年) の場合、両理論の関係についての明示的な見解の表明は、多数の学説に言及がなされている大著にもかかわらず、みられない。だがケインズが構築している具体的な理論からみて、実質的には「相対価格理論+貨幣数量説」からなる新古典派体系を批判し、それにかわる貨幣的経済理論を構築しているといえるであろう。その根拠は以下に示すとおりである。
2 でみるように、『貨幣論』の中枢理論は、消費財価格の決定メカニズム(「第1基本方程式」は事実上これに該当する) と投資財価格の決定メカニズム(「弱気関数の理論」あるいは「投資価格理論②」)の「TM供給関数」( 各部門の実現利潤に応じて企業家は次期の産出量を決定させる) を通じた動学過程として表現できる。そこでは、(リンダールやミュルダール2と同様)所得からの消費需要という観点を重視した消費財の価格決定理論、弱気関数(貯蓄預金と株式証券のあいだの資産選択)を通じた投資財の価格決定理論が展開されている。したがって独立した要因によって、両財の絶対価格は決定されていることになる3 (これが第1の根拠である。ハイエクとは異なり、相対価格の変化が経済過程に影響をおよぼすという考えは採用されていない)。さらに、完全雇用は想定されておらず、企業家の利潤動機に基づく産出量変動4(およびそれに伴う雇用量変動)の理論が導入されている(これが第2の根拠である)。
ケインズが自らの理論を理論史的流れのなかでどのように位置づけているのかは、『貨幣論』の以下の3箇所から知ることができる。
① 第13章「バンク・レ トの運用法」の第1節「伝統的理論」。バンク・レ トを
めぐる伝統的理論についてのケインズの理解が示されている。
② 第12章「貯蓄と投資の区別についてのさらなる説明」。貯蓄・投資をめぐるケイ
ンズの理解が示されている。
③ 第14章「基本方程式の代替的形式」。貨幣数量説についてのケインズのスタンス
が示されている。
以下それぞれの検討を通じ、ケインズの問題意識を明らかにしてみよう。
A.バンク・レート: 伝統的理論とケインズの理論
a.伝統的理論
ケインズは1840年代以降に発展してきたバンク・レー トをめぐる理論(もしくは政策)を、4つの潮流に分類している。
① バンク・レートを銀行貨幣量を規制する手段とみなす考え。バンク・レートが (たとえば) 上昇すると、銀行貨幣量は減少する。この考えは貨幣数量説と結び付 くことにより、バンク・レートの上昇( 下落) と物価の下落( 上昇) の関係を論じ ることになる5。
19世紀後半のすべての文献(ギッフェン、マ シャル、ピグ 、ホートレーがあげられ
ている)にみられるとされるこの考えにたいし、ケインズは次のように評価を下している。
この考えには一理はあるものの、バンク・レートの変化と銀行貨幣量の変化との関係は
不変ではないし、銀行貨幣量の変化と物価の変化との関係も比例的なものではない。この考えは多くの制約事項の導入に迫られる結果、当初の理論とは異なったものになってしまう。この考えに沿った議論は不完全であり、本質的な要素を見落としている。
② バンク・レー ト政策を、対外貸付の規制により金準備を防衛する手段とみなす考え
。バンク・レー トを(たとえば)上昇させると、他の国際金融センタ より利子率が
有利になるため国際収支の好転が生じる6 。
この考えは銀行家の議論において最も重視されているとされる(ゴッシェンやバジョットがこの考えの代表的人物としてあげられている)。ケインズはこの考えの重要性を認めている。実際、『貨幣論』で展開されている開放体系ではこの考えを採用している7 。
ケインズは、この考えが第1の潮流とどのような関係にあるのかを体系的に明らかにし
た人はいないと述べている。バンク・レー トの上昇は、第1の潮流によると銀行貨幣量を
減少させるが、第2の潮流によると外資が流入して銀行貨幣量を増大させる。この関係をどのように説明するかという問題である。
③ バンク・レー トが価格水準におよぼす影響として心理的効果を強調する考え8 。
この考え(ピグ が代表者としてあげられている)にケインズは次のような批判を展開
している。バンク・レー トの(たとえば)上昇により価格低下の予想が形成されたとして
も、それに根拠がなければたんなる錯覚としては、長く続くものではない。逆に企業家は
生産費用の上昇を考えて価格の上昇を予想するかもしれないが、これもバンク・レー トの
上昇が実際に価格を上昇させないかぎりは、長く続くものではない。この考えを主張する
人は、バンク・レー トが高くなると実際に物価が下落する傾向がみられ、産業界はこの傾
向を「あらかじめ計算に入れて行動」するため、この傾向がより速く、より激しいかたちで実現するといっているように思われる。だがそう述べたとしても、なぜその結果が生じたのかを明らかにしたことにはならない。
④ バンク・レー トを投資および貯蓄に影響を与えるものとみなす考え9 。
ケインズはこれがバンク・レートの本質にもっとも近いものであり、自らの考えもこの
潮流の延長線上に属していると考えている。ここでのケインズの立論を把握するには、bで論じるケインズ自身の考えを簡単に示しておく必要がある(ケインズ自身の考えを基準にして全体が評価されているからである)。それは次のようなものである。
バンク・レートの(たとえば)上昇は貯蓄に比べて投資を減少させ、物価を下落させ
る。その結果企業家の利潤が減少するため、企業家は次期の生産量を減少させるよう
に行動する。このことは遅かれ速かれ物価の下落と同じ率で稼得率を下落させる10。
これまで経済学者が、貯蓄に比べての投資の相対的な減少が物価の下落をもたらすということにどの程度気付いていたのかを述べるのは非常に難しい、と述べたうえで、ケイン
ズはマーシャル、ホートリー 、およびヴィクセルを検討している。結論を先取りすれば、
ケインズは前2者の「投資」概念に疑問を呈しており、ヴィクセルのみがこの潮流の真の代表者であると評価を下している。
ヴィクセルの考えは、バンク・レートが投資と貯蓄の関係に影響を与えるという考えに
近いものになっており、『貨幣論』の「基本方程式」と非常に近い関係にある、とケインズは考えている11。
「ヴィクセルの表現はそのままのかたち〔『利子と物価』における累積過程の理論〕では正当化できないし、さらなる展開がなければ説得的とは思えないが、それらは本書の基本方程式と密接に関連付けて解釈することができる。もしわれわれがヴィクセルの自然利子率を貯蓄と投資価値が等しくなる率... と定義するならば、投資価値が貯蓄を超過するような水準に貨幣利子率が維持されているかぎり、全体としての産出物の、生産費をこえる価格水準の上昇があるだろう、というのは正しいからである。ひるがえってこのことは、企業家が以前よりも高い稼得率を提示するように刺激する。この上昇傾向は、貨幣利子率をこのように定義した自然利子率以下にとどめるのを可能にするように貨幣供給が続くかぎり、無限に続くであろう。一般にこのことは、銀行貨幣量が継続して増大しないかぎり、貨幣利子率を自然利子率の少し下に継続しては維持できないことを意味するが、このことはヴィクセルの議論の形式的正しさに影響しない。... 私がヴィクセルの考えを貫く深さを誇張したかいなかはともかくとして、彼は利子率が投資率への影響を通じて価格水準に影響をおよぼすこと、ならびにこの文脈における投資は投資であって投機ではないことを明らかにした最初の著者であった。この点に関してヴィクセルは非常に明白に、投資率は投機家の心には影響をおよぼすことが考えられない利子率の小さな変化、たとえばパー セントの変化によっても影響を受けるし、この増加した投資は現実の財にたいする
「投機」目的ではなく使用目的の需要の増大を引き起こし、この増大した実際の(actual)需要が物価を上昇させるのである、ということを指摘したのである」(『貨幣論』上、pp.176-178) 。
このように、ケインズはバンク・レートが投資と貯蓄の関係に影響をおよぼすという考
えの源流をヴィクセルに見いだしている。この考えはマーシャル、ピグー、タウシッグ、
フィッシャー等のどの英語圏の経済学者にもみられないものであり、体系的にこの関係を
論じたのは『利子と物価』の著者ヴィクセルである、とケインズは評している12。
以上のケインズの立論には、若干のコメントが必要となる。
第1に、(第1章で検討したように)『利子と物価』のヴィクセルにあっては、利子率は投資と貯蓄の関係で論じられてはいない。そこでのヴィクセルの主たる立論は、自然利子率と貨幣利子率の相対的関係に依拠した総需要と総供給による消費財価格決定の理論で
ある13。ヴィクセルが、バンク・レートと投資・貯蓄の関係ならびにそれと物価との関係
に注目し始めるのは、『利子と物価』よりも後のことであった。ミュルダールはそれをさ
らに強力に推進させ、第2章で検討したように、投資(新投資の生産費)と自由資本処分(固有の貯蓄+「予想減価-予想増価」)の均衡として定義された「貨幣的均衡」を中心に理論を構成したのである14。
第2に、ケインズにあってはバンク・レートが理論の中枢を占めてはいるが、貨幣供給
量の概念も無視されてはいない。そのせいか、ヴィクセル理論が(貨幣数量説批判を通じて)「組織化された信用経済」の想定のもとで展開されている点には言及がない。ケイン
ズがヴィクセル理論を評して、バンク・レート理論を数量方程式に関連させることに成功
していないと述べているのも、このことと関連があろう15。これらは、両者の貨幣数量説批判にある種の乖離があることを示唆している(後述のCを参照)。
第3に、ケインズにあっては(すでに言及したように)、ヴィクセルが意識していたような、相対価格の理論と絶対価格の理論という識別が明示的にはみられない。
第4に、上記の引用文でケインズが言及している「基本方程式」は「第2基本方程式」を指している。より重要な「第1基本方程式」では、(投資価値ではなく)投資費用が登
場するのみであり、バンク・レートの変化は貯蓄に影響を与えるにすぎない。
マー シャルについてケインズは、その立場について明確な確信はもてないと述べた後、
「金銀委員会」(1887年) および「インド通貨委員会」(1898 年) でのマーシャルの所見
を検討している。これはマーシャルの貨幣理論にたいするケインズのスタンスを知るうえ
で重要である。
「概して私は、マーシャルの脳裏にあった最も支配的な考えは、物価を上昇させるのは
追加的な購買力の創造であるが、現代の経済世界における信用組織機構では新しい貨幣は「投機家」(speculators) に最初に渡りがちなので、この因果連鎖においてはバンク・レー
ートが明白な役割を演じるというものであった、という気がしている。これが私の育てられた学説であり、ある時点における稼得額、貯蓄額および消費に利用される財の量の間の関係、あるいはこれらと貯蓄および投資の均衡との関係について、何らかの明確な考えを私にもたらすことのなかった学説であるように思われる」(『貨幣論』上、pp.172-173) 。
バンク・レートが(たとえば)下落すると追加的貨幣にたいする投機家の需要が増大す
る。投機家はこの貨幣で財貨を購入するから物価が上昇する。バンク・レートはあくまで投機家の行動に影響を与えるのであって、投資に影響を与えるとは考えられていない。こ
れがケインズの理解するマーシャルの貨幣理論であった。
ホートリーについては、『好況と不況』(1913年) を取り上げ16、次のように評してい
る。それはバンク・レートを投資に影響を与えるものととらえている点で評価できるが、
そこでいう投資はバンク・レートの変化に敏感に反応する(実際にはそうではない、とケ
インズはいう) 仲介商人による流動財への投資に限定されている。ケインズは、銀行から
の借入に5パーセントの利子を払うか6パーセントの利子を払うかは、財の現在および将
来の値引き率や今後の価格動向の予想と比べれば重要でないにもかかわらず、ホートリは仲介商人がこうむる(バンク・レートの変化による)保有費用増減の観点からしか論じ
ていない、と批判している17。
ケインズはこの潮流に属するものとしてさらに、近年ドイツならびにオ ストリアで発
展してきている「ネオ・ヴィクセル学派」(ミーゼス、ナイサー、ハイエクの名前があげ
られている)に言及している。この学派はバンク・レートと貯蓄・投資の関係およびそれ
と信用循環との関係を扱っており、彼らの理論と自己の理論とは十分に近いものである、とケインズは述べている18。彼らの立論がいかなる点でケインズのそれと同じであり、いかなる点で異なるのかについては、第3章で検討したハイエクの理論との比較が必要になる(後述の3のBを参照)19。
b.ケインズによるバンク・レートの一般理論20
ケインズは「バンク・レートの一般理論」と名付けた自らの理論を、上記④の潮流の延
長線上に位置付けている。それは3つの効果に分けて説明されている。
1次(主要) 効果 ― 市場利子率が自然利子率(投資額と貯蓄を等しくさせ、全体とし
ての価格水準を一定にさせる利子率)を(たとえば)上回ったとする。市場利子率の上昇は資本財の需要価格、したがって投資財の価格を下落させる(その結果投資額は減少する)。これは資本財の需要価格は予想収益を貨幣利子率で割り引くことによって得られ、その価格が投資財の価格でもある、という考えに基づいている。他方、貯蓄は量的に大きくはないが増加する。ケインズは、投資額の減少効果の方が貯蓄の増大効果よりも大きい、
と考えている。これが市場利子率(バンク・レート)の上昇による直接的かつ主要な効果
である。
2次的効果( 副次的効果) ― 2次的効果としては、次の2つがあげられている。1つ
は投資財価格の下落により資本財生産者は減産を実行するというものであり(この結果投資額は減少する)、もう1つは貯蓄の増大により消費支出が減少し、消費財価格が下落するというものである。したがって投資財価格、消費財価格の双方とも下落する(したがって全体としての価格水準も下落する)。
3次的効果 ―
3次的効果は、両財の生産者が損失をこうむるため、現存の稼得率での
雇用量の提供を減少させる(したがって減産を行なう)ことである。この状態が続くと、失業者数は増大し、ついには稼得率を引き下げる動きが生じることになる。
以上のケインズの立論については、次のコメントを付け加えておく必要がある。
1次効果に関して ―
第1に、ケインズの念頭にあるのは「第2基本方程式」である。
投資費用ではなく投資額(投資財価格×生産量)が問題にされていることから、このことが分かる。第2に、投資財価格の決定は「投資価格理論①」に基づいて論じられているが、『貨幣論』には「投資価格理論②」(弱気関数の理論)もあることを想起する必要がある。
2次的効果に関して ―
第1に、前者は投資財部門の「TM供給関数」に、また後者は「第1基本方程式」に、それぞれ基づいている。第2に、消費財価格の決定は利子率に依存するという考えに基づいて論じられているが、『貨幣論』には所得の関数として論じる考えもあることを想起する必要がある。
ケインズのここでの立論を全体としてみれば、「第2基本方程式」が中枢的位置におかれ、「第1基本方程式」は従属的位置におかれているといえる。これは『貨幣論』の理論的分析にみられる本来の位置付け(そこで重要なのは、消費財の価格水準を決定する「第1基本方程式」、ならびに投資財の価格水準を決定する「投資価格理論①」〔ないしは「投資価格理論②」〕であり、「第2基本方程式」ではない)とは異なっている。
こうしてバンク・レートと投資・貯蓄の相対的な関係ならびにそれと物価水準との関係
を論じる上述の議論は、必ずしも(メカニズム1)と(メカニズム2)の「TM供給関数」を通じた動学過程として展開されている『貨幣論』の基本的な理論構造を正確に表現したものとはいえないのである。後者からみると、前者では2つの基本方程式や「TM供給関数」が( 混同や因果関係の無視という意味で)不用意に用いられている、といわざるをえない21。
B.投資と貯蓄をめぐるケインズの理解22
投資と貯蓄を識別する考えは、ケンブリッジで生まれたわけではない。ケインズは、この考えが英語圏にもたらされた経緯について興味深い説明を行なっている23。それによる
と、この考えが経済学に導入された最初は、ミーゼスの『貨幣および流通手段の理論』(1
912 年) 24であり、その後この考えはシュムペーターによってより陽表的なかたちで採用
された。だがケインズ自身や英語圏のたいていの経済学者にかんするかぎり、この考えは
ロバートソンの『銀行政策と価格水準』(1926 年) 25に負っている、とケインズはいう。
「... 私にかんするかぎり... 私の考えを正しい方向に向かわせた糸口26について私が
恩恵を受けているのは、1926年に刊行されたD.H.ロバートソン氏の『銀行政策と価格水準』である」(『貨幣論』上、p.154 の注1
)。
ケインズは投資と貯蓄について次のように述べている。一方で、社会の貨幣所得(稼得)はその一部が消費に支出され、残りは貯蓄される。したがって貯蓄とは個々人が全所得を消費に支出することを控えるという消極的な行為であり、貨幣額で測られる。
他方で、社会の生産物は消費者に販売される部分と投資される部分からなる。したがって投資は企業家が非利用可能生産物(non-available output)の量を決定する積極的な行為であり、(貨幣額ではなく)財の単位に関係するものである。
ケインズはここにおいて、投資という概念を需要サイドからではなく、供給サイドからとらえている。これは『貨幣論』に投資財価格決定の理論はあるが、投資関数に基づく投資理論がないことと無関係ではないであろう。
続いてケインズは、全産出物が利用可能生産物(available output)と非利用可能生産物にどのように配分されるかは、あたかも後者の決定に依存するかのように論じている。
「... 全産出物のうち利用可能になるであろう比率は、企業家が作ることを決定している投資量によって明白に決定されてしまっている」(『貨幣論』上、p.15)。
しかしながら、これは『貨幣論』の基本的な理論構造と矛盾する。そこでは、消費財の生産量および投資財の生産量は前期の利潤に応じてそれぞれ独立に決定されるという想定( 「TM供給関数」の想定) がなされており、全産出量は両者の合計という意味しかないからである。
さてケインズが強調するのは、投資と貯蓄は一般に等しくはならないという点である。その理由としてケインズは2点をあげている。1つは、意思決定主体の相違である。産出物を消費財と投資財にどのような割合で決定するのかを決める経済主体と、所得を消費と貯蓄にどのような割合で決定するのかを決める経済主体とが異なっているという点である27。
「このとき、...全体としての社会の資本資産への純増加はある程度...諸個人の現金貯蓄の総額と異なるであろう。ここで現金貯蓄の総額というのは、諸個人の現金所得のうち消費に支出されるのを控えられた部分のことである」(『貨幣論』上、pp.157-158) 。
もう1つは、所得および貯蓄に企業家の利潤(ないしは損失)が含まれていないという点である。投資価値には企業家の利潤が含まれている。したがって貯蓄と投資価値のあいだにはそれだけの差が発生するというのである。だが、この説明はたんなる定義上の問題であるから、説得的とはいえない。とはいえ『貨幣論』においては、このことにより、投資と貯蓄の乖離と利潤(ないしは損失)の発生、ならびにそれに続く「TM供給関数」を用いた議論とが関連付けられているのである。
「理解すべき重要な点は次の点である。1個人による貯蓄行為は、社会の残りを占める諸個人による投資の増加をもたらすことになるかもしれないし、消費の増加をもたらすことになるかもしれない。貯蓄という行為の成果は、それ自身では資本財ストックが対応して増加することの保証にはならないのである」( 『貨幣論』上、p.158)。
C.貨幣数量説にたいするケインズのスタンス
ケインズは貨幣数量説に批判的であるという点で、これまで取り上げたヴィクセル、ミ
ュルダール、ハイエクと同じ側に位置する。
ヴィクセルは、物価の変動を扱う理論として貨幣数量説が不適切な理由として、5点をあげていた。なかでも流通速度と貨幣量は現実には無限に弾力的であるという事実を無視している点が批判の中心であった(第1章の1のBを参照)。ヴィクセルが累積過程の理論を展開するにあたり「組織化された信用経済」を想定したのは、この批判意識に基づくものであった。
ミュルダールやハイエクの場合には、「一般均衡理論+貨幣数量説」として構成されて
いる新古典派理論体系にたいする批判およびそれにかわる貨幣的経済理論の構築が問題意識の核心であった28。したがって貨幣数量説批判も基本的にはこの枠組みのなかでとらえ
られている。ミュルダールは6点を指摘しているが、なかでも流通速度は可変的であるこ
と、貨幣数量説における「価格水準」は相対価格の理論の確定に必要な乗数項を与えるようには定義できないこと、価格水準内部での価格関係の変化の重要性を無視していること、等が重要である(第2章の1のAを参照)。ハイエクの場合は、全体としての貨幣数量、一般価格水準といった集計概念にたいする個人主義的立場からの批判、相対価格や生産量の変化を一般価格水準の変化の結果としてしかみないことにたいする批判等が重要である(第3章の1のAを参照)。
貨幣数量説にたいするケインズのスタンスは、上記3名とは異なる。ケインズにあっては、流通速度が可変的かいなか、貨幣供給は無限に弾力的かいなか、さらには一般価格水準という概念は適切かいなかといった論点からの批判はなされていない。また新古典派体系との関連からの批判もなされてはいない。
ケインズが貨幣数量説を批判するさいの基本的な問題認識は次の2点にある29。1つは、
バンク・レート(利子率)が投資と貯蓄にあたえる影響、および所得と利潤の区別を明
示的に導入した分析を行なわないかぎり、価格形成の動学的過程をとらえることはできな
いという信念である。もう1つは、さまざまな種類の取引― 所得、ビジネス、金融等―を識別しない分析方法は混乱を招くという信念である。前者は基本方程式が貨幣数量説に比べてすぐれている点として指摘されている。以下の引用文にいう「最も重要な諸要素」はバンク・レート、投資と貯蓄の識別、および所得と
利潤の識別を意味していると考えてよい。
「... われわれが議論の後段階に進み今日の現実の貨幣問題 たとえば信用循環の問
題 を分析しようとすると、いずれの場合にも代替案〔諸々の貨幣数量説〕の棄却の止
むなきにいたる... 。というのは、それらは最も重要な諸要素を処理するのにまったく効果がないことに気付くからである」( 『貨幣論』上、p.199)30。
後者は他の3名にはみられないケインズのすぐれた点である。人々が貨幣を保有する動機に基づいて貨幣需要を分類しており(所得預金、ビジネス預金、貯蓄預金)31、そのうち貯蓄預金と株式証券のあいだの関係(つまり弱気関数)で、投資財価格の決定を論じている。
ケインズは第14章「基本方程式の代替的形式」で3種類の貨幣数量説を取り上げ、批判的検討を加えている32。「実質残高数量方程式」( 『貨幣改革論』でケインズが用いたも
ので「ケンブリッジ数量方程式」から派生) 、「ケンブリッジ数量方程式」(
マーシャル
やピグーの用いたもの) 、および「フィッシャーの数量方程式」がそれらである。
ケインズはこれらを、貨幣の購買力や全体としての生産物の価格水準を決定する理論として「基本方程式」と代替的な形式にあるものと位置付けたうえで、後者の有益性を強調する。ケインズの貨幣数量説にたいする批判点は多岐にわたっているが、共通するものとして次のような点を抽出できるであろう。
① 本当に重要な貨幣の購買力や全体としての産出物の価格水準が扱われてはおらず、
さまざまなごたまぜの価格水準が扱われているにすぎない。
② 所得預金、ビジネス預金、貯蓄預金が識別されず、全体としての預金が扱われてい
るにすぎないから、それらの割合の変化から生じる攪乱を明らかにすることができず、議論に混乱を引き起こしている。
③ 貯蓄・投資の乖離による価格水準への攪乱、したがって動態的な経済状況を分析す
ることができない。
ケインズは他の3名とは異なり、バンク・レートと貨幣数量の関係について興味深い分
析を展開している。第13章「バンク・レートの作用様式」の第5節「貨幣数量にたいする
バンク・レートの関係」がそれであり、なぜ貨幣数量の変化ではなくバンク・レートの変
化を重視するのかについて、2つの理由をあげている33。
第1に、貨幣流通の全必要量はバンク・レートの水準およびその投資率への影響あるい
は価格水準と安定的な関係にはない。バンク・レートの変化は生産量、利潤率、種々の預
金の流通速度、金融的流通の必要量といったさまざまな要因に影響をあたえるが、その程度は各要因により異なるため、これらの要因と関係する銀行貨幣量がいくらになるのかを正確に述べることはできないからである。したがって移行期の因果関係や各段階を追究しようとするにさいして、全貨幣数量の変化を重視すると誤った道に陥ることになる。
第2は、因果関係をめぐるものであり、より根本的な理由として提示されている。貨幣
数量が変化するから、バンク・レートが変化し、その結果価格水準に影響をあたえるので
はない。バンク・レートが自然利子率に比べて市場利子率を変化させるから、貨幣数量も
変化し、その結果価格水準に影響を与えるのである。
以上から、ケインズの分析は基本的には貨幣数量の変化にではなくバンク・レートの変
化に重点をおいたものであることがわかる。だが貨幣需要動機に基づくケインズの分析は、他方でケインズの本来的な主張と抵触する危険性をはらんでいる。それは、公衆の抱く弱気の程度と銀行組織の供給する貯蓄預金とに依存する弱気関数の理論と関係している。たとえば株式市場が弱気に展開し貯蓄預金需要が増大した場合、銀行組織が不足する部分を供給しない場合には産業的流通に使用される貨幣量から不足分が補われ、したがって生産物の価格水準が下落する可能性が生じる。その場合、「第1基本方程式」による消費財価格水準の決定と抵触することになるからである。ケインズの次の発言は、その点を意識したものであると考えられる。
「それゆえわれわれは、購買力および産出量が安定するためには、全預金が貯蓄預金額のいかなる変化とも歩調を合わせて増減することが許されるべきであり、貸出し条件は金融市場における強気・弱気の感情が新投資率におよぼす効果を相殺するように、現実的に可能なかぎり調整される必要がある、という一般的な結論に至る」(『貨幣論』上、p.228)。
以上から次のようなケインズの問題意識が明らかになった。第1に、ケインズはバンク・レートが投資・貯蓄への影響を通じて物価に影響をあたえるという考えを採用している。
それはヴィクセルの潮流に属するものである。第2に、ケインズは投資と貯蓄の識別を
重視する。その考えはミーゼスに負うものであるが、ケインズの場合直接的にはロバート
ソンに負っている。第3に、ケインズは貨幣数量説にたいする主要な批判点として、所得、ビジネス、金融といったさまざまな取引を識別していないこと、ならびに貯蓄・投資の乖離がもたらす価格水準への攪乱(したがって動態的な経済状況)
を分析できないこと、
をあげている。そして第4に、ケインズはマーシャル、ピグーの立論にかなり批判的な立
場をとっている。バンク・レートの理論について、ケインズはマーシャル、ピグーの理論
を「第1の潮流」に属するものとして批判している。貯蓄・投資の識別については、マーシャル、ピグーは登場してこない。貨幣数量説については、取り上げた3つの型のうち、
ケインズが最も厳しく批判しているのは、マーシャル、ピグーの「ケンブリッジ数量方程
式」である。これらの点を考えるならば、『貨幣論』のケインズはマーシャル、ピグーの
系譜から意識的に袂をわかっているといってもよいであろう。
2.『貨幣論』の理論構造34
A.理論構造の定式化
『貨幣論』の理論構造は(メカニズム1)と(メカニズム2)の「TM供給関数」を通じた動学過程として定式化することができる。
『貨幣論』では、ヴィクセル、ミュルダー ル、ハイエクと同様に、一時的均衡分析(ないしは経過分析)が採用されている。まずある期間における消費財および投資財の価格水準の決定が論じられる。
(メカニズム1) ―
これは「任意の期」における消費財の価格水準の決定を対象とし
ている。生産費および供給量は当期の初めにすでに決定されている。消費財への支出額が、獲得された所得(稼得)から決定されると、それは自動的に消費財の売上げ額として実現される。そのとき価格および利潤は同時に決定される。
消費支出は所得の関数として扱われ、それが所与の消費財生産量を購入することによって消費財の価格水準が決定されるという考えは、「第1基本方程式」と事実上同じもので
ある。この考えはリンダールやミュルダールの理論においても重視されている(いわゆる
リンダールの基本方程式〔basic equation〕)35。
なお『貨幣論』には、前節のb でみたように、貯蓄(したがって消費支出)を利子率の関数としてとらえる考えも採用されている。しかし『貨幣論』全体としては、消費支出を所得の関数としてとらえる考えの方が支配的であり、消費支出におよぼす利子率の影響は比較的小さいと考えられている。
(メカニズム2) ―
これは「任意の期」における投資財の価格水準の決定を対象とし
ている。生産費および供給量は当期の初めにすでに決定されている。投資財の価格は株式証券市場で(「投資価格理論①」)、ないしは資本財があげると予想される所得を利子率で割り引くことによって(「投資価格理論②」)決定される。利潤はそのとき同時に決定される。
「投資価格理論①」を敷衍すれば、次のようになる。
投資財の量は資本財ストックに比べるとわずかであるから、その価格は資本財ストックの価格である。さらに資本財ストックは株式証券によって代表されるから、その価格は株式証券市場で決定される。ひるがえって株式証券の価格は、貯蓄預金を保有しようとする公衆の意欲と、銀行組織が進んで供与しようとする貯蓄預金の額が等しくなるような水準で決定される。さらに正確にいえば、公衆は貯蓄預金と株式証券のあいだで資産選択を行なうと想定されており、株式証券(したがって貯蓄預金)にたいする需要は、利子率と株価についての将来予測に基づいてなされる(いわゆる「弱気関数の理論」)。これが「投資価格理論①」である。
こうして(メカニズム1)により消費財の価格水準と利潤が、(メカニズム2)により投資財の価格水準と利潤が、それぞれ決定される。両部門で実現した利潤に刺激されて、企業家は来期の生産を拡張(ないしは縮小)するように行動する。これが「TM供給関数」である。来期にはこうして決定される生産量を所与として、再び(メカニズム1)と(メカニズム2)が作動する。『貨幣論』ではこのようなかたちで、経済の変動が動学的36にモデル化されている。
ケインズは以上の因果関係を次のようにも表現している。
「...因果連鎖の最初の輪は銀行組織の行動である。第2は(貨幣の購買力にかんするかぎり)投資費用であり、(全体としての産出物の価格水準にかんするかぎり)投資価値である。第3の輪は利潤・損失の発生であり、第4は企業家によって提供される生産要素にたいする報酬である。銀行信用の価格および数量を変えることによって、銀行組織は投資価値を支配する。生産者の利潤ないしは損失は貯蓄額にたいしての相対的な投資価値に依存する。生産要素に提供される報酬率は企業家が利潤をあげるか損失をこうむるかに応じて上昇したり下落したりする傾向をもつ。そして社会の生産物の価格水準は生産要素の効率的平均稼得率と企業家の平均利潤率の合計である。かくして、全体をまとめると、全体としての価格水準は、銀行組織が投資価値を貯蓄量にたいして過不足させようとするに応じて、効率的稼得率の上下を変動する。そして貨幣の購買力は、銀行組織が投資費用を貯蓄量にたいして過不足させようとするに応じて、効率的稼得率の上下を変動する」(『貨幣論』上、p.164)。
この引用文にコメントを付しておこう。第2の輪での投資費用への言及にはあまり意味はない。ある期における投資費用は所与だからである。実際には、所得からの消費支出により消費財価格の決定することが重要である。「銀行組織は投資価値を支配する」というのは「投資価格理論①」のことである。「利潤ないしは損失は貯蓄額にたいしての相対的な投資価値に依存する」というのは「第2基本方程式」に関係しているが、Cのbで述べる議論からも明らかなように、この式は『貨幣論』の理論構造にとって何ら重要ではない。
生産要素の報酬率の増減についての言及は、ケインズのいう「所得インフレーション(デフレーション) 」である。
ところで、『貨幣論』にみられる経済政策は、銀行組織によるバンク・レート政策にき
わめて大きな力点をおくものになっている。銀行組織はバンク・レートを操作することに
より、一方で投資価格(したがって投資額)、他方で貯蓄額に影響を与えることができ、そのことを通じて価格水準の安定化、したがって産出量の安定化をはかることができる、というものである(銀行組織が投資額に影響を与えるのは投資財価格水準への影響を通じてであるが、それは「投資価格理論①」による。だがケインズは、銀行組織がバンク・レートを(たとえば)下げた場合、「投資価格理論②」を通じて投資財価格水準にどのよう
な影響を与えるのかについては、明瞭な説明を行なってはいない)。
「...銀行組織が自己の意図で活動する自由な仲介者であるかぎり、銀行組織はバラ
ンス要因として介入することにより、最終結果をコントロールすることができる」(『貨
幣論』上、pp.164-165) 。
バンク・レート政策にたいするケインズの大きな信頼は、ヴィクセルに通じており( 本
稿第1章の3を参照)、政策的懐疑論の立場をとるミュルダールとは一線を画している(
本書第2章の3を参照)。
B.信用循環理論
以上に示した『貨幣論』の理論構造をもとにして、ケインズが展開した信用循環理論を素描しておこう。
上昇過程 ― 新発明、ビジネス・コンフィデンスの回復その他の要因により、投資にた
いする魅力が増大したとする。その結果、「投資価格理論②」により投資財の価格が上昇する。このため投資財部門の利潤が増大し、投資財生産量も次期において増大する(「TM供給関数」)。その結果、雇用量が増大するため消費支出額が増大し、それゆえ消費財の価格も上昇し((メカニズム1)) 、消費財の生産量も次期において増大する(「TM供給関数」)。こうして高利潤のもとでの企業間の増産行動は賃金率を引き上げていくことになる(「所得インフレー ション」)。以上の過程において、雇用量×生産過程の長さの半分×賃金率として測定される経営資本も増大を続けるため(したがって投資額が増大するため)、景気は加速度的に上昇を続ける。
転換点 ― 好況からの転換点は、金融的感情のためらい(弱気の増大)、投資にたい
する魅力の消失、消費財価格の崩壊(消費財の増大に比べての消費支出の停滞による)、および銀行組織による(最初は産業的流通の必要額の増大、次には金融的流通の必要額の増大のために)利子率の引き上げ、等が重なって生じる。
下降過程 ― 続いて経済は下降過程をたどる。消費財価格下落による高コスト生産者の
淘汰、弱気の金融的感情、利子率引き上げによる投資への悪影響等がその原因として考えられている。この期間の価格下落は大きく、やがて生産の縮小、賃金の切り下げ等が生じ、そのため経営資本も減少を続け(したがって投資額は減少するため)、景気は加速度的に下降を続ける。
回復の契機 ―
景気の谷に落ち込んだ経済が再び上昇に転じる要因としては、次の2つ
が考えられている。1つは消費財価格の反転である。これは生産量の減少に比べ消費支出の減少が小さくなることから生じる。もう1つは流動資本の増大である。いずれにせよこうして上昇気配が生じているところへ、投資にたいする魅力が回復してくることによって、景気は上昇過程に転じる。
C.問題点 ―
『貨幣論』の2重性
以上の検討から明らかになることであるが、『貨幣論』の理論構成には、次の2つのあいまいさが潜んでいる。
① 消費(ないしは貯蓄)を決定する理論として、ときには(a)所得を、ときには (b)利子率を採用している。
② 投資を決定する理論として、ときには(a)弱気関数の理論を、ときには(b)予想
収益を利子率で割り引くという考え方を採用している37。
ケインズはこの2種類のあいまいさゆえに、『貨幣論』固有の理論と利子率を主要変数とした投資・貯蓄の理論を、なかば無意識的に(両者のあいだの整合性を十分に検討することなく) 併存させてしまったように思われる。つまり前者としては ①(a)および ②(a)を用い、後者としては ①(b)および②(b)を用いている。後者は主として、バンク・レートによる経済政策論の展開に用いられている。
このあいまいさがどのようにあらわれているかを、2つの基本方程式でみることにしよう。
a.「第1基本方程式」
① ここでは消費財価格が決定される。この場合、消費を所得の関数としてとらえる考
え方が支配的である。
② 他方、消費(したがって貯蓄)を利子率の関数としてとらえる考え方も登場する。
この場合、投資と貯蓄の関係が議論の前面に登場するが、「第1基本方程式」においては投資費用I ′は一定のため、利子率の増加関数である貯蓄のみが変化する。
③ ①と②が整合的であるための1つの解決法は、消費を所得と利子率の関数と考える
ことである。この場合でも、利子率よりも所得の方が消費(したがって貯蓄)にとり重要であると考えられる。時間を通じて産出量が変化するため、所得はたえず変化していくのにたいし、政策変数である利子率の変化は離散的であるからである。
b.「第2基本方程式」
① この式は一見すると全体としての価格の決定が論じられているようにみえるが、実
際はそうではない。消費財価格は「第1基本方程式」で決まり、投資財価格は「投資価格理論①」ないしは「投資価格理論②」で決まるからである。「第2基本方程式」は両者の単純平均として定式化されているにすぎない。
あるいは次のようにいうこともできる。「第2基本方程式」P = E/O + (I - S)/
O は
P = E/O + (P ′C - S)/O とも書ける。期初において、O (全体としての産出量)、E (稼得)、C(投資量) は所与である。したがって全体としての価格水準P は、投資財価格 P′と貯蓄 Sが確定しないかぎり決定されない(I は投資価値) 。
② 他方、ケインズは利子率による投資・貯蓄の議論を展開している。この立論が最も
妥当するのは「第2基本方程式」である。利子率の変化により投資が変化するというのは「投資価格理論②」に基づいている(「投資価格理論①」は用いられていない)。しかも投資額I (= P′×C ) の変化はP ′にたいしてのみである(C は所与)。またここでは、貯蓄(したがって消費)は利子率の関数としてとらえられている(貯蓄が所得の関数であるという考えは用いられていない)。
3.『貨幣論』の位置づけ
『貨幣論』の検討を通じて何よりもまず感じることは、マーシャル、ピグーに代表され
るケンブリッジ型新古典派経済学の伝統から意識的に袂をわかっているという点であろう。ケインズ自身の理論的営みからいえば、それは『貨幣改革論』(1923 年) の世界38からの訣別であった。この転換をもたらした大きな契機は、ケインズ自身もその立論形成に深
く関与したロバートソンの『銀行政策と価格水準』の出現であった39。それはアフタリオ
ンやカッセル等の大陸の経済学の影響を受けた景気変動論である。
何よりも『貨幣論』は、理論史的にみてヴィクセルの系譜に属しており、その点でミュ
ルダールやハイエクと同じ側にいる。いずれも貨幣数量説にたいして激しい批判を展開し
ており、フィッシャー、マーシャル、ピグーとは明確に異なる岸に立っている。
A.『貨幣論』の2重性
『貨幣論』にみられる顕著な特徴は、一方でヴィクセル理論の系譜に属しているが、他方でケインズ固有の理論展開がみられること、ならびに両者が融合というよりも併存しているという点である。
ヴィクセル理論の系譜 系譜的にみて、『貨幣論』で展開されている理論がヴィクセ
ル理論に近いのは、次のような事実がみとめられるからである。
① 自然利子率と貨幣利子率との相対的関係による物価水準変動の説明
② 価格水準を安定化させるうえでのバンク・レート政策重視
③ 貨幣的均衡の3条件の同値を承認
ただし、ケインズが自らの立場をヴィクセルの流れに位置付けている最大の根拠は、バ
ンク・レートを貯蓄・投資との関係でとらえるという発想にあった。『貨幣論』において
この発想は、バンク・レート政策により経済の安定( 物価と産出量の安定) が達成される
メカニズムを示すものとして用いられている。この発想は、『利子と物価』より後のヴィクセルにみられるものであり、とりわけ貯蓄・投資の関係で景気変動をとらえるという立
論はリンダール40やミュルダールによって展開された。
固有の理論構造 ―『貨幣論』が上記とは異なる固有の理論構造を有している点は、特
筆されるべきである。(メカニズム1)と(メカニズム2)の「TM供給関数」を通じた動学過程として表わすことのできるものがそれである。とくにそのなかに登場する弱気関数の理論は、ケインズ独自のものである。
2重性 ― 『貨幣論』で展開されている理論を全体としてみて気がつくことは、3つの
「2重性」である。消費財価格を決定する理論の「2重性」、投資財価格を決定する理論の「2重性」が根底にあり、その上にヴィクセル系譜の理論(利子率と投資・貯蓄の理論)と「固有の理論」の併存という「2重性」が横たわっている。
B.諸論点の3者との比較
『貨幣論』でみられるさまざまな論点を、ヴィクセル、ミュルダー ル、ハイエクと比較・整理しておくことにしよう。
① 新古典派体系 ― 『貨幣論』では、「相対価格の理論と貨幣価格の理論」からなる
体系としての新古典派理論という意識は明瞭にはみられない。ヴィクセルの場合、このうちの貨幣価格の理論である貨幣数量説批判のうえに、累積過程の理論を展開
した。ミュルダールとハイエクの場合、「相対価格の理論と貨幣数量説」からなる
体系としての新古典派理論にたいし、まったく同様の批判を展開した。両者が異なるのは、ヴィクセル理論をもとにしつつも具体的に新しい貨幣的経済理論を構築していくときである。
② 利子率と貨幣量 『貨幣論』では、利子率が理論のうえで重視されており、貨幣
量の変化は受動的に扱われている。基本的にこれはヴィクセルに沿うものであるが、ヴィクセルの場合、貨幣量や流通速度は無限弾力的なものと考えられており、「組織化された信用経済」という想定のもとで分析がなされた。この点はミュルダールも同様の立場である。これにたいしハイエクの場合、貨幣数量の方がはるかに重要な位置を理論構成上占めている。
③ 産出量 ― 『貨幣論』では、産出量の変動は「TM供給関数」というかたちで明示
にとらえられていた。ミュルダールやハイエクの場合、産出量の変動は迂回生産の
理論でとらえられている。ヴィクセルの場合には、産出量の変動はあくまでも「傾向」の問題としてしかとらえられておらず、迂回生産の理論はあくまでも相対価格の理論の領域でのみ用いられていた。
④ 集計概念 ― 『貨幣論』では、物価水準とか全体としての産出量といった集計概念
の採用に疑問をもつという態度はみられない。この点はヴィクセル、ミュルダー ルと同じ立場にあり、ハイエクとは反対側にいる。
⑤ 経済政策観 ― 『貨幣論』では、バンク・レート政策に多大の信頼がおかれている。
この点はヴィクセルと同じであるが、懐疑論的な政策観をもつミュルダール(「貨 幣的均衡の「無差別領域」) とも、貨幣量を一定に保ち裁量的貨幣政策を排する
立場(経済を自発的貯蓄のケースに任せるという考え)をとるハイエクとも立場を
異にする。
⑥ 資本主義観 ― 『貨幣論』では、資本主義経済の円滑な進行について、裁量的な政
策手段の必要性を主張する立場にたっており、その点でヴィクセル、ミュルダー ルと共通する。これにたいしハイエクは、裁量的な政策手段の有害性を強調する立 場に立っている。
⑦ ミュルダールとの異同点 『貨幣論』の「第1基本方程式」の発想は、ミュル ダールが採用している「リンダー ルの基本方程式」と本質的に同じである。また資 本価値にかんしても似た議論が用いられている。投資と貯蓄を分析の中枢においてい
るのも同様である。ケインズとミュルダー ルが異なるのは、生産理論(「TM供給 関数」と迂回生産の理論)、投資(需要)関数が無いか有るか、投資・貯蓄分析を徹 底して用いないか用いるか、事前・事後分析がないか有るか、ヴィクセルの貨幣的均 衡の3条件を受容するかいなか、といった点である(いずれも前者がケインズ、後者 がミュルダー ルを指す)。
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『貨幣論』はヴィクセルに端を発する当時の貨幣的経済理論のさまざまな試みのなかの
1つであった。その意味で、ミュルダール、リンダール、ミーゼス、ハイエク、ロバート
ソン、ホートリーのみならず、カッセル、シュムペーター、ヒルファディング等の業績で
構成される戦間期の理論経済学の動向を理解するさいに、『貨幣論』研究は欠かすことのできない要素なのである。『貨幣論』の重要性はそれにとどまらない。20世紀の経済学に最大の影響をおよぼした「ケインズ革命」を( ドクマティックにではなく) 客観的に理解するさいには、欠かすことのできない出発点だからである。『一般理論』は『貨幣論』からの脱却の過程でありその到達点であった。「ケインズ革命」がどのようにして生じたのかを理論史的に解明しようとすれば、出発点である『貨幣論』をどう理解するのかは、『一般理論』をどう理解するのか、およびそのあいだの過程をどう理解するのかとともに、非常に重要な意味をもっている41。
注
1)
『貨幣論』の理論構造については、『ケインズ研究』第3章およびHirai 〔1984〕を参照。さらに『貨幣論』の戦間期イギリス経済分析については、平井〔1984〕を参照。
2) ただし、所得は事前概念として定義されており、『貨幣論』のケインズとは異なる。
3)
ただし、『貨幣論』では物価水準の概念は有効なものとして用いられており( ケインズが採用したのは「購買力基準」であった) 、その点でハイエクとは立場を異にしている。『貨幣論』上、pp.50-55を参照。
4)
ケインズにあっては、迂回生産の理論は採用されていない。この点でハイエクおよ
びミュルダールとは異なる。またヴィクセルは相対価格の理論の領域では迂回生産の理論
を用いているが、貨幣価格の理論の領域では用いていない。
5)
『貨幣論』上、pp.168-169を参照。
6) 『貨幣論』上、pp.169-170を参照。
7)
『ケインズ研究』pp.22-23を参照。
8) 『貨幣論』上、pp.178-179を参照。ピグーについては、ピグー〔1927〕を参照。こ
れはピグー 〔1920〕の第6 編「国民分配分の変化」の拡張版に相当する。ピグーは、産業変動の直接的原因を利潤にたいする期待(expectations of yield) の変動に求め(pp.33-34)、さらにこの期待が変化する原因を3 つのタイプ( 実物的原因、心理的原因、自律的な
貨幣的原因) にわけたうえで(p.35)、心理的原因( 悲観と楽観のエラーの相互的発生) を
重視し、それが景気変動の規則性をもたらす最も重要な原因であると主張している(p.230) 。ピグーの景気変動論については、稿を改めて論じる予定である。 9) 『貨幣論』上、pp.170-178を参照。
10)
『貨幣論』上、p.171 を参照。このように物価の下落の段階(
「利潤デフレーショ
ン」) と生産費用の下落の段階( 「費用デフレーション」) の2つを識別した者はこれま
でいなかった、とケインズは述べている。
11)
ただし、ケインズによると、ヴィクセルは彼のバンク・レート理論を数量方程式
と関連付けることに成功していない( 『貨幣論』上、p.167 を参照) 。なおケインズは、正統派経済学者がほとんど無視していた貯蓄・投資の価格水準ならびに信用循環におよぼす影響をホブソンが分析した点を高く評価している。そのうえで、しかしそれを利子率の演じる役割と関連付けることには成功していない、と評している((『貨幣論』上、p.161 を参照) 。
12)
『貨幣論』上、pp.166-167を参照。
13)
第1章の2のBのcを参照。
14)
第2章の2のBのaを参照。
15)
『貨幣論』上、p.167 を参照。
16)
『貨幣論』上、pp.173-176を参照。
17)
ケインズが公表しているホートリー理論への評価は、利子率に敏感に反応する仲商
人による流動財への投資という局面に限定されている。この点は『一般理論』でも妥当す
る(pp.75-76参照) 。だが『好況と不況』におけるホートリー理論は、①
流通通貨の変
動は購買力( これは信用貨幣の量に依存する)
の変動に遅れる(p.75) 。② 利潤率は利子率と乖離すると、累積的に乖離幅を増大させる(p.77) 〔利子率は物価の変動に遅れる)
という法則を重視したものであり、( 短期) 利子率の変化が仲介商人に影響を与えるという点は、これらの法則のなかでの重要な行動原理として位置付けられている。ホートリの理論は財の需給の変動は景気の変動にはまったく影響を与えないとする点(p.87)で、
きわめて貨幣的である。
ホートリーの理論は、②にみられるように( そしてホートリーは自然率、市場率、利潤
率という3種類の利子率を使いわけている〔p.66〕) 、言及はないもののきわめてヴィク
セル的である( ホートリーが言及するのはフィッシャーである) 。他方、ホートリーは、
その立論の展開において、ケンブリッジ型の貨幣数量説を用いている。
以上から明らかなように、ホートリーの理論は、その本質的な点においてきわめてヴィ
クセル的なのである。なおホートリーの理論については、稿を改めて論じる予定である。
18)
『貨幣論』上、p.178 を参照。ここではミーゼス〔1928〕、ナイサー〔1928〕ハイ
エク〔1928〕が上げられている。同ベージの注2にあるように、これらは時間的な理由に
より『貨幣論』の執筆に影響を与えたというわけではない。ケインズはこのうちナイサーの見解に最も賛意を表している。
19)
『貨幣論』出版後、ケインズは日本語版への序文(1932 年4 月) において、「強制貯蓄論」と自己の理論との相違を論じている。「... 私は銀行組織の政策が貯蓄と投資価値の差に影響をあたえると論じてはいるが、この差と信用量... とのあいだに、何らかの直接的、必然的、あるいは不変の関係があるとは論じていない」( 『貨幣論』上、pp.xxiv)。その後ケインズは『一般理論』pp.79-81において、ハイエク理論の核をなす「強制貯蓄」を批判しているが、そこにおいて、『貨幣論』の時点ではそれを『貨幣論』の意味での投資と貯蓄の差と関連をもっていると考えていたが、それは誤解であったと述べている。
20)
『貨幣論』上、pp.179-187を参照。
21)
本文では『貨幣論』上、pp.183-184での議論を対象として述べたが、それらを要約したpp.186-187でも同様の批評が成り立つ。
22)
『貨幣論』上、pp.154-158を参照。
23)
『貨幣論』上、p.154 の注1 を参照。ケインズは「強制貯蓄」という概念が近年ドイツの貨幣にかんする著作で一般的になってきたと述べているが、この「強制貯蓄」を『貨幣論』の意味での貯蓄と投資価値額との差として理解している。しかしその後、『一般理論』p.79にみられるように、そのような解釈を否定している。注19をも参照。同様の関連した記述として、『諸価格と生産』p.25の注1 を参照。
24)
ケインズは『貨幣および流通手段の理論』の書評を行なっている。ケインズ〔1914〕を参照。同書については、本書でも第5 章の1 のB で検討を加えている。
25)
アフタリオンやカッセルから大きな影響を受けたこの書物の主題を端的に表現すれば、次のようになるであろう。銀行組織は貨幣数量の増大を通じて、生産された消費財のうち企業家が必要とする量を企業家が受け取れるように行動する。そのことによって公衆
は強制貯蓄( ロバートソン特有の述語でいえば、自動ラッキング、自動スティンティング、
誘発ラッキング等である) を余儀なくされるが、これは消費財価格の上昇を通じて実現される。この主題を貫く中心的な概念がラッキングと名付けられたものであり、財生産の
増大に必要な流動資本調達のために必要とされる。なおロバートソンの理論にあっては、
かなり変った型の貨幣数量説が分析ツールとして用いられているが、これは消費財価格水
準の決定に関係している。なお『銀行政策と価格水準』については、稿を改めて論じる予定である。
26)
これは『貨幣改革論』の世界から『貨幣論』の世界への転換の糸口を与えてくれたという意味であろう。『貨幣改革論』については、『ケインズ研究』pp.18-20を参照。
27)
この考えは、ミュルダールにも明瞭にみられる。本書第4章の注15を参照。
28)
リンダールやミーゼスも同様の問題意識をもっていた。彼らについては、本書第5 章の1 のB で検討を加える。
29)
『貨幣論』上、p.205 を参照。
30)
さらに『貨幣論』上、p.120 を参照。
31)
『貨幣論』上、pp.30-32を参照。
32)
『貨幣論』上、pp.198-214を参照。
33)
『貨幣論』上、pp.196-197を参照。
34)
詳しくは『ケインズ研究』第3章を参照。
35)
本書第2 章の2 のB
のa を参照。
36)
ケインズは『貨幣論』の課題が動学的なものであることを、繰り返し述べている。たとえば「そのような理論〔貨幣理論〕の真の課題は、価格水準が決定される因果的過程および1つの均衡位置からもう1つの均衡位置への推移の方法を明らかにするような方法で、さまざまの関係する要素を分析しながら問題を動学的に扱うことである」(『貨幣論』上、p.120)、「... 貨幣の購買力の長期ないしは均衡ノルムは、生産要素の効率貨幣稼得率によって与えられ、他方、実際の購買力は、現行投資費用や貯蓄に先行しているか遅れているかに応じて、この均衡水準の下でないしは上で変動する。この論文の主たる目的は、価格水準の変動が不動の均衡水準のまわりでの振動によろうと、それとも1 つの均衡から他の均衡への移行によろうと、それが実際に通過していく方法についての鍵がここにあることを示すことである」( 『貨幣論』上、p.137)。
37) この点についての詳細は『ケインズ研究』pp.49-51を参照。
38) この点については『ケインズ研究』第2
章「1920年代の活動」を参照。
39) カッセルについては、本稿第5
章の1 のA を参照。
40)
リンダールについては、本稿第5 章の1 のB
を参照。
41) 『ケインズ研究』はこの課題にたいする私の一応の解答である。なお関連する重要な資料的価値をもつものとしてライムス編〔1989〕がある。