2013年7月29日月曜日

第5章 オーストリア学派



ヴィクセル・コネクション

平井俊顕

 

 

 

  第5章 オーストリア学派

 

         ハイエクの相対価格と迂回生産の理論               

 

 

  ヴィクセルの理論が、母国スウェーデンの経済学に大きな影響をおよぼしたのは第2章でみたとおりであるが、かれの影響はそこにとどまらなかった。スウェーデンの経済学を席巻した後、オーストリア学派に深い影響を及ぼしたからである。そのなかでもとくに重要な経済学者は、この学派の中心的存在であったミーゼスおよびハイエクである。この時期における前者の代表作として『貨幣および流通手段の理論』(1912 ) 1 、後者の代表作として『諸価格と生産』(1931 ) をあげることができる。

 本章では『諸価格と生産』を取り上げ、そこに展開されている理論を検討することにしたい。同書は、ハイエクが1930-1931 年にロンドン大学で行なった4つの講義をほぼそのままのかたちで収録したものである。なおこの時期のハイエクの理論を理解するために重要な関連文献として『貨幣理論と景気循環』2 (ハイエク〔1929) 、論文集『利潤、利子および投資』(ハイエク〔1939) がある。

  ミーゼスやハイエクのとった方向は、1 つの重要な認識においてミュルダールと共有している。相対価格を決定する理論と絶対価格を決定する理論(実際には貨幣数量説)から構成される新古典派経済学の体系にたいする批判的認識、およびそれにかわる真の貨幣的経済理論の構築の必要性の痛感( その源をヴィクセルの理論に見いだしている) がそれである。後にみるように、ミーゼスやハイエクも、ミュルダールと同様にヴィクセルの理論を貨幣理論の発展にきわめて重要な貢献をなしたものとして高く評価する立場から出発している。

  だがミーゼスやハイエクは、ヴィクセル理論の受容の仕方において、ミュルダールとは異なっている。それはヴィクセル理論のどの点を批判的に摂取するかの認識の違いによるのであり、真の貨幣的経済理論を構築する段になると、袂を分かっているといってもよいほどである。

  ミーゼスやハイエクにあって最も特徴的なのは、ヴィクセルが相対価格の理論の領域に限定した(したがって絶対価格の理論の領域では用いることのなかった) 迂回生産の理論を貨幣理論の中枢に据えた点である。迂回生産の理論をもとにして相対価格の変化、およびそれを通じた生産構造の変化を分析の中枢に据えたのである。これはオーストリア学派本来の立場であるともいえる。迂回生産の理論はもともとベーム- バヴェルクによって提唱されたものであり、一般価格水準という概念の有効性を認めなかったのは、この学派に特徴的な徹底した方法論的個人主義の立場に由来するといえるからである。他方ミュルダールにあっては、迂回生産の理論は継承されてはいるが、理論体系の中枢を占めているわけではない。あくまでもミュルダール理論の中枢は、「利潤マージン」の変化に伴う企業家の投資需要変化と自由資本処分変化の関係である5 

  いずれの立場が、よりヴィクセル的なのか、またその後の経済理論の発展にとってより重要であったのかは、理論史的にみて非常に興味深いテーマであるが、それらについては第5章で検討することにしたい。

 ハイエクの理論について語る場合、誰しも思い起こすのはケインズとのあいだの「有名な」論争であろう。それは『諸価格と生産』のハイエクがケインズの『貨幣論』を酷評したことに始まり、それに応酬したケインズが『諸価格と生産』を酷評したことで終ったかの論争である。そのため両者の理論的隔たりは遠く、まったくあいいれないもののように思われがちである。両者の関係を正確に把握するためには、両者の立論を各々客観的にとらえるという作業が前提になるため、第4章での『貨幣論』の検討が終わるのを待つ必要がある。ただ一言だけ述べておけば、両者とも大きな潮流としての「ヴィクセル・コネクション」に位置し、貨幣数量説ならびに「古典派の二分法」としての新古典派経済学の体系にたいする批判的立場という点で、同じ岸にいる。

 

1.ハイエクの問題意識

 

 ハイエクがどのような問題意識で新しい貨幣的経済理論の構築に取り組んだのかを理解するためには、第1講義「貨幣の諸価格への影響についての諸理論」がきわめて有益である。そこではこれまでに展開されてきた貨幣理論を4つの発展段階にわけたうえで、現在必要とされているのは第4段階の理論(第3段階を基礎にしつつそれを超えたものとして位置づけられている)であると論じられているからである。各段階をみるまえに2つの点に注意する必要がある。

 

① 貨幣理論の発展をその発生段階からとらえてはいるが、初期の段階が後の段階にとって代わられたということを意味するものではない。たとえば、第1段階はハイエクが本書を書いた時点で最も支配的なものであった( 彼の批判は主として第1段階に向けられている)

② 第2段階から第4段階を、ハイエクは同一の特質をもった貨幣理論の連続的な発展としてとらえている8 

 

  A.第1段階―  貨幣数量説                          

 a.貨幣数量説批判

  1 段階は貨幣数量説  である(主として念頭におかれているのはフィッシャ の交換方程式)。ハイエクは貨幣数量説にたいして批判的である。その根底にあるのは、全体としての貨幣数量、一般価格水準、あるいは生産量といった集計概念(ないしは平均概念)にたいする個人主義的方法論からの批判である。それらは個人の意思決定に何の影響も及ぼさない、とハイエクはいう。

 

 「しかも非貨幣的経済理論〔一般経済理論〕の主要命題が依拠するのは、諸個人の決定についての知識という想定である。経済現象についてわれわれが有するどのような理解も負っているのはこの「個人主義的」方法であり、現代の「主観」理論がその整合的な使用を通じて古典学派を超えて進んだのは、おそらくそれらの教えにおける主たる利点である。

 それゆえ、もし貨幣理論が総量〔概念〕ないしは一般的平均〔概念〕のあいだの因果関係を依然として確立しようとするならば、このことは貨幣理論が経済学一般の発展から遅れることを意味する。実際、総量〔概念〕も平均〔概念〕もお互いに働きかけることはなく、われわれが個々の現象、個々の価格等のあいだでできるような、必要な因果関係を確立することはけっしてできないであろう。私はさらに、経済理論の性質そのものからして平均〔概念〕がその論理的思考における鎖をけっして形成することはできない、とまで主張したい」(『諸価格と生産』pp.4-5)

 

  貨幣数量説のサイドから相対価格について語られることがあったとしても、それは「攪乱要因」ないしは「摩擦」によるというものであり、貨幣数量説の理論構成には関与していない。

 

  「相対価格への影響が考察されるのは、こうして貨幣数量の変化と平均価格のあいだの疑わしい因果関係が確立された後になってからにすぎない。だが一般に、その仮定は貨幣数量の変化は一般的な価格水準にのみ影響を与え、相対価格の変化は「攪乱要因」もしくは「摩擦」によるというものであるから、相対価格の変化は価格水準変化の説明を構成する要素にはなっていないのである」(『諸価格と生産』pp.5-6)

 

  続いてハイエクは、貨幣数量説が価格の生産への影響を考察する場合でも、それは一般的な価格水準および一般的な産出量の次元でのみとらえている、と批判している。

 

 「生産に影響を与えると考えられているのは価格水準の変化である。そして考えられている効果は個々の生産分野への効果ではなく、生産量一般への効果である。... われわれは、過去において一般価格と総生産量に高い相関関係がみられたことを示す統計を提示される。この相関関係について説明が試みられたとしても、それは一般に、現在の費用よりも高い価格で売れるという予想はすべての人が生産を拡張するように刺激し、反対のケースでは費用以下で販売せざるをえないという恐れが強い阻止要因になるといったたぐいのものにすぎない。... 相対価格の変化や生産量の変化は〔一般的〕価格水準変化の結果として生じ、貨幣は一般的価格水準への影響を通じてのみ個々の価格に影響するというこの考えは、少なくとも非常に誤った3つの見解の根底にあるように私には思われる」( 『諸価格と生産』pp.6-7)。

 

 ここにいう「非常に誤った3つの見解」10とは次のとおりである。

 

  一般価格水準が変化する場合にのみ、貨幣は諸価格と生産に影響を与えるのであり、一般価格水準が安定状態にあれば、貨幣は諸価格と生産に影響を与えない。

  上昇を続ける価格水準はつねに生産の増大を引き起こす傾向がある(逆は逆)。

  貨幣理論は貨幣の価値がいかに決定されるかについての理論である。

 

 b. 「古典派の二分法」批判

 

  ここでの立論において注目すべきは、貨幣数量説だけではなく新古典派経済学の体系そのものにたいするハイエクの批判的立場が明示されている点である。

  ハイエクは、貨幣数量説が不当なまでに貨幣理論の中枢的地位を占めていることが貨幣理論の進展を妨げていると考える。とりわけ貨幣理論が(絶対価格を説明する)貨幣数量説のために(相対価格を説明する)一般経済理論から遊離している点を問題にするのである11。ハイエクが念頭においているのは、一般的な価格水準は貨幣数量説によって決定され、それとは独立に相対価格が一般経済理論によって決定されるという新古典派経済理論の体系である。

 

 「...貨幣の価値が安定的であると想定されるかぎり、貨幣の影響を無視でき、さらなる制約を課すことなく「実物要因」にのみ注意を払う一般経済理論の推論を適用できる、また現代の経済過程についての完全な説明を得るためにはこの理論に貨幣価値およびその変化の結果についての独立した理論を追加しさえすればよい、と想定することを可能にしているのは、そのような錯覚〔上記の3つの見解〕である」(『諸価格と生産』p.7)

 

  ハイエクはワルラス流の、一方で相対価格を貨幣的要因を捨象した実物要因のみで論じ、他方で一般価格水準を貨幣数量説で論じるという「古典派の2分法」に反対しているのである。

  ハイエクは貨幣数量説のもつ理論的意義を根本的には個人主義的方法論の立場から否定する。そのうえで、一般均衡理論としての相対価格の理論では貨幣の役割が捨象されてしまっている点に批判の矛先を向けるのである。彼が目指しているのは、( 後述するように) 相対価格を陽表的に取り入れた貨幣理論の構築である。

  このような姿勢は、すでに述べたように、ミュルダールにもほぼ同様に認められる12(異なる点と言えば、ミュルダールは価格指数概念そのものを否定してはおらず、個人主義的方法論の立場をとっていないという点であろう)。

 このような姿勢は、ケインズにおいてもみられる。第4章で検討するように、『貨幣論』では新古典派経済理論の2分法にたいする明示的な批判はみられないものの、貨幣数量説にたいする批判13ならびに具体的な理論構築に14、その姿勢を読み取ることができる。興味深いのは、この姿勢は『一般理論』において、より明瞭に認められるという点である。ケインズはそこで、一般価格水準や一般生産量水準が個人の意思決定とは無関係であり経済理論の構築には意味がないこと15、また新古典派の2分法にたいしても明瞭な批判16を加えている。『一般理論』はそのような姿勢から、貨幣価値量と雇用量のみを基本的な単位として選定し、全体としての諸価格の理論と〔貨幣〕価値の理論を統合するかたちで、全体としての産出ならびに雇用の理論を構築したのである( この点は新古典派総合に基づくケインズ理論の立場からは、完全に無視されてきている)

  ところでハイエク、ミュルダール、ケインズは、貨幣数量説批判という点では、ヴィクセルと同じ側にいるが、古典派の2分法については異なっている。ヴィクセルの場合には、古典派の2分法を前提にしたうえで、絶対価格の理論としての貨幣数量説に批判を加えているからである17

 

  B.第2段階18 貨幣量と諸価格の因果連鎖理論                

 第2段階では、貨幣量と諸価格のあいだの因果連鎖が追究された。これは貨幣数量説への不満から生じ、貨幣量の変化が人々の支出計画を通じ諸価格の変動を引き起こすメカニズムが重視された。

  取り上げられているのは、カンティヨン、ヒュ  ムおよびケアンズである。カンティヨンは『商業本質論』(1755) で、ロックの貨幣数量説を批判し、「貨幣の増大がいかなる経路を通じいかなる割合で価格を増大させるのか」を、一種の乗数過程的分析により提示した。それによると、貨幣量の増大は最初に所得の増大する人には有利に、あとで所得の増大する人には不利に作用する19。またヒュームは『政治論集』(1752 ) において、カンティヨンとほぼ同様の見解を示したうえで、「金銀の増加量が産業にとって好都合であるのは、貨幣の取得と諸価格の上昇のあいだの期間、つまり中間の期間のみである」と述べている20 21 。こうした試みが精緻化されたかたちで復活するのは、一世紀以上を経たケアンズの『オーストラリアの金発見にかんするエッセイ』においてであった。   

  ハイエクはこの考え(これは第3および第4段階につながる)に与している。ただ1つ加えているコメントは、追加的貨幣が経済に投入される方法により効果が異なるという点を考慮していないという点であるが、これはハイエクが第4段階として提示する見解を先取りしたものである。

 

 「もしわれわれが追加的貨幣がどこから流通に入るのかを知っているかぎりは、それらは貨幣量の増減の継続的な効果にかんする演繹の一般的シェ  マの提供に成功しているが、貨幣量の何らかの変化がもつにちがいない効果についてわれわれが何らかの一般的言明をなす助けにはならない。というのは、... すべては追加的貨幣が流通に注がれる場所に依存しているからであり...その効果は追加的貨幣が最初に商人や製造業者の手にわたるのか、それとも国家に雇用されている給与所得者の手に直接わたるのかに応じてまったく正反対のこともあるからである」(『諸価格と生産』p.11)。

 

  C.第3段階 貨幣数量の利子率への影響(正確にはハイエクがあげている理論の内容からみて、利子率の貨幣数量への影響というべきであろう)、および利子率を通じての消費財および資本財にたいする相対需要への影響にかんする理論

 

 第3段階は、貨幣数量の利子率への影響についての理論(貨幣と諸価格を関係付ける効果についての間接的連鎖の理論。以下、間接的連鎖の理論と呼ぶ)22、および利子率を通じての消費財と資本財にたいする相対需要への影響にかんする理論(以下、強制貯蓄の理論と呼ぶ)である。ハイエクによると、これらは独立に展開されてきたし、近年に至るまでほとんど注目を浴びることはなかった。それらの統合化を果たしたのがヴィクセルである、とハイエクは考えるのである。

 

  間接的連鎖の理論―  ハイエクは、この理論の先駆者として、『グレート・ブリテンの紙幣信用』(1802年)において、資金の借入額は銀行の利子率と利潤率の相対的な関係に依存すると論じたソーントンをあげる。                      

 

 「イングランド銀行で借款を得るという希望が... どの程度期待できるのかを確かめるためには、われわれは現在の状況下でそこからの借入れにより得られそうな利潤の量という課題を調べなければならない。これは2つの点の考慮によって判断されるべきである。第1に借入額にたいして支払われる利子額、第2に借入れた資本の利用により得られる商業的あるいはその他の利益額。通常、商業的手段により獲得できる利益が最高のものである。... それゆえわれわれはこの問題を主として銀行が課す利子率と現行の商業的利潤率との比較に依存するものと考えることができる」(『諸価格と生産』p.13)。

 

  リカードはこの見解を受け入れ、利子率がその自然水準以下になった場合に、イングランド銀行の貨幣発行とそれが諸価格に影響を及ぼすまでのあいだの過程を分析している23

  次にハイエクは、通貨学説の創始者ト  マス・ジョプリンが1823年に提唱した「通貨におよぼす信用の圧力と反圧力の理論」を取り上げている24。ジョプリンは、利子率と貨幣量の果たす機能は、信用制度が存在する場合としない場合とで異なると論じた。信用制度が存在する場合、金属通貨以外に信用貨幣が発行されるから、銀行家は真の利子率がいくらかを知ることはできず、貨幣利子率は固定化されざるをえない。したがって調整は、固定された貨幣利子率のもとで、資本の供給が需要を上回る場合には信用貨幣は収縮する(逆の場合は、信用貨幣は増大する)かたちでなされる。これにたいし信用制度が存在しない場合、銀行家は市場の状態をつねに知っており、資本の需給を均衡させるように利子率を決定することができる。

 ジョプリンの理論は資本の需給均衡という概念を貨幣理論に導入したものであり、信用貨幣が流通する場合には、固定的利子率のもとでの信用貨幣の増減により、他方金属通貨のみが流通する場合には、利子率の変動により、それぞれ資本の需給均衡が達成されることを主張している。

 

  強制貯蓄の理論 貨幣量の増大が直接、ないしは利子率を通じ消費財を犠牲にして物的資本の増大をもたらすという強制貯蓄の理論25について、ハイエクが取り上げているのは、ベンサムとマルサスである。マルサスは、紙幣の増大が利潤を追求する企業家の手にわたると、結局は物価の上昇をもたらすと同時に、年生産物のより多くの部分が企業の手にわたることになる、と論じている。貨幣の増減が(いかなる経済主体におよぶかにより)年生産物に占める実物資本の割合を増減させるというこの議論は、貨幣の非中立性を唱えていることになる。

 

 ハイエクは以上のように第3段階を提示し、それまで分離していた間接的連鎖の理論と強制貯蓄の理論を、ベーム- バヴェルクの利子理論に依拠しつつ結合するのに成功したのがヴィクセルである、と論じている。

 

  ハイエクのヴィクセル理解への疑問 しかしながら、( 第1章で検討した) われわれの理解に照らしてみるとき、ヴィクセルが上記の2つの理論を統合したというハイエクの主張には、疑問が残る。

  ヴィクセルが間接的連鎖の理論を継承しているという点については、問題はない。ソーントンにみられる貨幣利子率と利潤率との関係で貨幣需要をみるという発想は、その最たるものである26。ヴィクセルの理論はジョプリンの理論とも関係をもっていると考えることは妥当であろう。ヴィクセルの場合、貨幣利子率は銀行が政策的に操作でき、信用貸付は無制限になされる(「組織化された信用経済」)、したがって固定された貨幣利子率のもとで資本の需給が均衡すると想定されているが、これはジョプリンの、信用制度が存在する場合に対応している。

  だが「強制貯蓄の理論」は、ヴィクセルの累積過程理論にとって重要性をもつものではない。ヴィクセルにあっては、迂回生産過程は不変、したがって消費財や資本財の生産量は一定と想定されているからである27。『諸価格と生産』で指摘されている、強制貯蓄との関連でのヴィクセルへの言及は2箇所ある28。しかしそれらは、流動資本の投資期間が長期化した場合、迂回生産の構造が変化し、強制貯蓄が生じるというものであり29、累積過程の理論が本来的に想定している不変の迂回生産構造からははずれた例外的なものである。強制貯蓄の理論をヴィクセルに結び付けようとするハイエクのこの「思い入れ」は、貨幣理論の展開に迂回生産の理論を持ち出そう( ヴィクセルは相対価格の理論の領域では迂回生産の理論を用いている) とする点から生じたと考えることによってのみ、理解するできるであろう。

 

  ハイエクのヴィクセル理解    ハイエクがヴィクセル理論をどのようにとらえていたのかを、すでに触れた強制貯蓄以外の点について整理しておこう30

 ハイエクは、ヴィクセルの次の命題は正しいと考える。

 

貨幣利子率が自然利子率と一致するかぎり、利子率は財の諸価格を変動させる影響力をもたない。銀行が貨幣利子率を自然利子率以下に引き下げる場合には、財の諸価格を上昇させる傾向がある( 逆の場合は逆)

 

  ハイエクによれば、これらの命題が正しいのは、貨幣利子率と自然利子率が等しいならば物価水準が不変のままでいることを意味しているからではなく、物価水準の変化をもたらす傾向のある「貨幣的」原因が存在しないことを意味しているからである。両利子率が等しい場合でも、物価水準を変化させる実物的要因は存在する、とハイエクは考えているのである( 次の引用文にそれがあらわれている)

  以上の議論に続いてハイエクは、実物資本の需給を均衡させる利子率(均衡利子率)は同時に価格水準の安定をもたらすというヴィクセルの主張は誤りである、という内在的批判を展開する。( ステイショナリー・ステイトでない) 通常の経済では、実物資本の需給と価格水準の安定の両立は不可能である、というのである。

 

 「...実物資本の需給を均衡させるためには、銀行は貯蓄... として預金されたかもしれない額よりも多くも少なくもない額を超えて貸出してならないのはまったく明白である。このことは当然...彼ら〔銀行〕が有効通貨流通量が変化するのをけっして許容すべきではないことを意味する。... 価格水準が不変であるためには、流通通貨量は生産量の増減に応じて変化しなければならないのも同様に明白である。銀行は〔自発的〕貯蓄の供給によって設定される制限内に実物資本への需要を保つ、価格水準を一定に保つかのいずれかを行なうことはできる。だが同時に両方の機能の遂行はできない。貯蓄供給の

追加がない社会、すなわちステイショナリー・ステイトを除けば、貨幣利子率を均衡水準に保つのは〔通貨流通量が一定のため〕、生産拡張のときに価格水準が下落することを意味する。同様の状況で一般価格水準を一定に保つのは、〔通貨流通量を増大させる必要があるため〕貨幣利子率を均衡利子率より下げねばならないことを意味する」(『諸価格と生産』p.27)

 

 ハイエクの考えでは、資本蓄積がなされ生産量の成長がみられる通常の経済では、銀行は、実物資本の需給を均衡させる利子率を維持するために貨幣量を一定に保つか(この場合、価格水準は低下する)、価格水準を安定させるか(この場合、貨幣量を増大させる必要が生じ、実物資本の需給を均衡させるように利子率を保つことはできない)のいずれかしか遂行できないことになる。

 この引用文にはハイエクの貨幣理論の基本的姿勢がよくあらわれている。他の経済学者とのスタンスを示しながら、この点を整理すると次のようになる。

 

  ハイエクは貨幣量という概念に分析上かなりの重点をおいている。これはヴィクセルの「組織化された信用経済」にみられるような利子率概念を重視する考え方とは対照的である。

  ハイエクは( 自発的) 貯蓄と投資(実物資本にたいする需要)の差を銀行による信用貸付の増減とみている。これは『貨幣論』のケインズと激しく対立した論点である31

  ハイエクは生産量の変動する経済を念頭においている。だがこのことを迂回生産構造を不変として累積過程理論を展開しているヴィクセルに要求するのは無理である。

  ハイエクの引用文での議論は、ヴィクセルの貨幣的均衡について、第1 条件と第2条件を併せたものと、第3 条件との両立不可能性を述べたものとみなすことができる。(1 条件と第3 条件を否定し、第2 条件のみを承認する) ミュルダー ル内在的批判と比較してみると興味深い。

  最後に注意すべきは、この引用文では一般価格水準という概念を用いて議論をしているが、それは他の経済学者の議論にのったうえでのハイエクの立論にすぎないという点である。すでにみたように、ハイエクは個人主義的方法論の立場から一般価格水準という概念そのものを否定しているからである。

 

  D.第4段階 相対価格と迂回生産の理論                   

 

 ハイエクは今後の貨幣理論が目指すべき方向として第4段階を掲げる。それは、第1段階(貨幣数量説の段階)を否定し、第2 および第3 段階の延長線上に位置付けられている。しかもそれは相対価格の理論と貨幣数量説としての絶対価格の理論から構成される新古典派経済理論そのものを否定する立場にあるものである。

 ハイエクが具体的に提唱しているのは、貨幣量の変化が相対価格の変化を通じ、生産構造に影響を及ぼす過程として構成される貨幣理論である。その中枢に据えられているのが迂回生産構造の理論である。

 

 「...貨幣量のほとんどいかなる変化も、それが価格水準に影響するかいなかとは関係なく、つねに相対価格に影響するにちがいないというのは明白に思われる。そして、生産の量および方向を決定するのは疑いもなく相対価格であるから、ほとんどいかなる貨幣量の変化も必然的に生産に影響を与えるにちがいない」(『諸価格と生産』p.28)

 

 「そのような貨幣理論、それはもはや一般貨幣価値の理論ではなく、あらゆる種類の異なった交換比率への貨幣の影響にかんする理論であり、私にはそれが貨幣理論の発展においてありうる第4段階であるように思われる」(『諸価格と生産』p.29)

 

 ハイエクはこの段階を、部分的にはヴィクセルが築いた基礎のうえに、部分的にはヴィクセル理論批判のうえに築かれようとするものであり32、またミーゼスの『貨幣および流通手段の理論』(1912 ) において展開された立論に従うものと位置付けている。

 

  「ミーゼス教授は、均衡利子率とは異なる貨幣利子率が、一方では消費財の諸価格に、他方では生産者財の諸価格に及ぼす異なった影響についての分析によって、ヴィクセルの理論を改良した... 。こうして、彼はヴィクセルの理論を論理的に満足のいく信用循環の説明に変形することに成功した」( 『諸価格と生産』pp.25-26)

 

  ハイエク理論の具体的な検討については、節を改めて行なうことにしよう。

 

 

2.相対価格と迂回生産の理論 自発的貯蓄と強制貯蓄

 

 A.ハイエク理論の基本的枠組み

 ハイエクが第4段階として提示した貨幣理論の基本箇所は迂回生産の理論であり、次のように要約できるであろう(『諸価格と生産』という命名は、これを端的に表現したものにほかならない)。

 

消費財と生産者財について、後者への需要が相対的に増大(減少)するならば、消費財と多数の生産者財の相対価格がより高次の生産段階での生産を促進するように変化していき、生産構造の長期化(短期化)、したがって消費財生産量の増大(減少)33が生じていく。

 

 これを敷衍すれば、次のようになる。

 

① 人々は貨幣所得を消費財か生産者財のいずれかに支出する。

② 両財への相対的需要の大小により相対価格が変化する。ただし生産者財は多数の財から構成されているため、相対価格の変化は消費財および多数の生産者財におよぶことになり、隣接する生産段階(stage of production) の価格差〔 price margin 〕に変化が生じる。

  生産者財(それは非特殊財〔 non-specific goods 〕と特殊財〔specific goods〕からなる34) は高次の(低次の)生産段階で使用されるように移行していく。

 生産構造(structure of production) の長期化(短期化)がもたらされる。

  消費財生産量の増大(減少)が生じる。

 

  ハイエクはこの分析を2つの経済状態に適用し、それぞれの状態の検討ならびに両者の比較を試みている。

  1つは「自発的貯蓄(voluntary saving)のケース」であり、経済の正常な(ないしは自然な)運行状態を対象としている。ここで「正常」というのは、貨幣量および流通速度が一定であり、貨幣が実物経済の運行に影響をおよぼさない状態にあるという意味である。換言すれば、ハイエクの意味での貨幣の中立性が維持されている状態である。

  もう1つは「強制貯蓄(forced saving) のケース」であり、経済の正常でない運行状態を対象としている。ここで「正常でない」というのは、貨幣が「正常な」経済を攪乱する状態にあるという意味である。換言すれば、ハイエクの意味で貨幣が非中立的である状態である。

  2つの経済状態のうち自発的貯蓄のケースは経済の正常で自然な状態であり、貨幣当局はこれを維持するのを旨とすべきである。これにたいして強制貯蓄のケースは正常な経済を攪乱させ、不均衡状態の長期化( 不況の長期化、経済危機の深刻化等) をもたらすので避けるべきである。これがハイエクの基本的発想である。以下ではこれを具体的にみていくことにしよう。

 

  . 自発的貯蓄のケース35                           

  このケースは既述のように、貨幣量およびその流通速度が実物経済の運行を阻害しないケースである。獲得した所得を消費財の購入に向けるか、それとも貯蓄に向けるかは人々の自発的決定に依存しており、これに貨幣が人為的影響をおよぼすことはないという状況、貨幣は存在するが消費需要および生産者財需要( 投資) に影響を与えることはない、という状況が想定されている。これらの需要は実物タームではなく、貨幣タームで測られている。

  このケースでは、経済が均衡状態にあるか過渡期にあるかを問わず、(自発的)貯蓄と投資額、自然利子率と貨幣利子率、はそれぞれつねに等しいと想定されている。これは貨幣量ならびにその流通速度が一定とされていることと密接な関係がある36。この場合、投資財や消費財の購入に新たに向けられる貨幣はないため、貨幣利子率も変化しない、と考えられているからである37。したがって自発的貯蓄のケースでは、経済が均衡状態にあるないにかかわらず、ヴィクセルの意味での貨幣的均衡 (自然利子率と貨幣利子率、〔自発的〕貯蓄と投資額の均衡) 、はつねに成立していることになる。

 

  ハイエクは、このようなケースにおいても経済は変動すると考えている。それは、人々が所得を消費と貯蓄に向ける割合(「自発的」貯蓄はすべて投資財の購入に向けられると想定されている)が変化する場合に生じる。ここでは貯蓄を増大させる場合(貯蓄性向の増大)を検討しよう38

 

 当初、均衡状態にあった経済において貯蓄性向が増大した場合、過渡期にどのような事態が生じ、新しい均衡状態に到達するのか― ハイエクがたてた問題設定はこれである。結論を先取りすれば、過渡期において、相対価格が変動し、それを通じて生産構造の長期化がもたらされ、ついには経済は新しい均衡状態に到達する。そこでは、元の均衡状態でよりも、消費財の産出量は増大し、消費財価格および生産要素価格は下落している。この点を詳しく追うことにしよう。

 

  第1ステップ 隣接生産段階の価格差の変化39                 貯蓄性向が増大すると(この増大は過渡期を通じて継続すると想定)、消費需要が減少し投資需要が増大し、生産者財の諸価格の相対的上昇と消費財価格の相対的下落が生じる。

 だが、生産者財の諸価格は一様に上昇するわけではなく、また例外なしに上昇するわけでもない。消費財に隣接する生産段階にある生産者財の場合、価格は下落するが、1つ高次の生産段階にある生産者財の場合、価格は上昇している。その結果、生産者財のうち最低次に位置する2つの生産段階の価格差は以前よりも縮小する40

 このため次期には、生産者財のうち最低次の生産段階で活動していた企業家は、その資金の一部をより高次の生産段階に向けるであろう。すると高次の生産段階で価格の上昇が生じるため、両生産段階のあいだの価格差は以前よりも狭まる。こうして生産者財の購入に向けられる資金(これは仮定により一定である)はより高次の生産段階に配分されることになり、すべての隣接する生産段階の価格差は、以前よりも狭まっていく。

 

 以上は、利鞘の狭まった生産段階で活動している企業家が、その資金を( より魅力的になった) より高次の生産段階にシフトさせることによって(したがってそこでの投資需要が増大することによって)、すべての隣接生産段階の価格差が狭まっていく様子をみたものである。

  第2ステップ 生産者財の移動と迂回生産構造の長期化41            

 次に問題とされるのは、生産者財の移動である。第1ステップにおいて、さまざまな企業家によって購入された生産者財は、利益の多い生産段階で資本として使用されるように、高次の生産段階に引き寄せられていく。同様の現象は本源的生産手段にも生じる。

 隣接する生産段階の価格差が全般的に縮小することによって(つまりより高次の生産段階における生産者財価格が上昇することによって)、新しい、より高次の生産段階での企業活動が可能となってくる。

  こうして迂回生産構造の長期化(より資本主義的な生産方法)がもたらされる。

 

  第3ステップ 新しい均衡状態への到達                    

  われわれは議論を均衡状態にある経済からスタートさせた。人々が貯蓄性向を増大させたとき、それらが投資されることにより、過渡期において多数の生産者財の相対価格が変化し、その結果生産構造が長期化していくことが明らかにされた。

 この過渡期の後、経済は新しい均衡状態に到達する、とハイエクは述べている。元の均衡状態と比べると、そこでは次のような特徴がみられる42

 

所得は以前より減少し(消費財需要の減少)、生産要素1単位当たりの価格も減少している。消費財の価格は産出量がより資本主義的な生産方法で増大したため、所得の減少とあいまって、さらなる下落をみている。中間生産物( 生産者財) については、高次の生産段階により多くの貨幣が、低次の生産段階により少ない貨幣が投入されているが、全体としては以前より多くの貨幣が投入されている。これに対応して、生産者財の配分にも同様の変化が生じている。

 

 ハイエクによれば43、このようにして実現された成果は貯蓄と投資の目的を達成しており、貯蓄が貨幣によってではなく実物でなされるならば生じるであろう効果と同じである。新しい均衡でハイエクが重視しているのは、生産要素にたいする全支出が消費財の売上額でまかなえている点である。しかも諸個人は増大した実質所得のより多くの割合を受け取るため、消費支出の比率を増大させる誘因はない。したがって、消費財と投資財への需要比率を元の均衡状態のものに戻す内在的原因は存在しない、というのである。

 

  以上が自発的貯蓄のケースである。この議論において貨幣は存在しており、議論は貨幣タームで展開されている点(消費需要、投資需要、貯蓄、所得等)、および相対価格は、各財の絶対価格が確定した後のものとして考えられており、ワルラス経済学等でいう意味とは異なっている点、に注意が必要である。

 また貨幣量および流通速度が一定であり、それらが実物経済に影響をおよぼすことはないという想定は、貨幣所得の消費需要と投資需要への配分のありかたが実物経済に大きな影響をおよぼすという立論と矛盾するものではないという点にも、注意が必要であろう。なお、以上の立論においては、迂回生産構造の長期化により消費財生産量の増大が、新しい均衡で実現している点に注意が必要である。後述するように強制貯蓄のケースでは、迂回生産構造の長期化が生じても、消費財生産量の増大は実現しないと想定されている。

 

  C.強制貯蓄のケース44                            

  当初、均衡状態(state of equilibrium)にあった経済に、貨幣が新規に投入された場合に、「自然な」諸価格(自発的貯蓄のケースにおける諸価格)がどのように攪乱され、生産構造はどのような影響を受けるであろうか ハイエクが次にたてた問題はこれであった。そのさい新規貨幣(信用) の供給先に応じて、2つのケースが考えられている。  

 

 (a) 生産者財を購入するために生産者に供与される場合

 (b) 消費財を購入するために消費者に供与される場合

 

 (a)の場合、投資がその分増え、投資(生産者財需要)は〔自発的〕貯蓄と信用供与の和に等しい。(b)の場合、消費支出がその分増え、投資は自発的貯蓄に等しい。また信用供与により貨幣量は増大し、貨幣利子率は自然利子率より低くなる。

  (b) (a) が進行するなかでも生じるので、(a) の検討から始めることにしよう。経済が均衡状態にあるところから出発して新しい均衡状態に到達するまでのあいだに生じる事態を明らかにするのが分析の目的である45

 

  第1ステップ46―生産過程の長期化                      増大した貨幣が経済に注入されると、貨幣利子率は自然利子率より低くなる47(自発的貯蓄のケー スでは、経済が均衡状態にあるかいなかを問わず両者は一致していた)。信用を供与された企業家は、既存の企業家(old concerns)より高い価格を付けることによってのみ、生産者財の購入が可能となるであろう48。貨幣利子率の下落、本源的生産手段の価格の上昇および非特殊な生産者財の価格の上昇により、既存企業は、本源的生産手段や非特殊な生産者財への支出を減らし、中間生産物への支出を増やすことが利益に適うものとなるであろう。こうして新しい企業家は、必要な本源的生産手段や非特殊な生産者財を入手することができ、新しい生産段階を開始することが可能となり、生産過程の長期化が生じる。

 

  第2ステップ49 強制貯蓄と消費財価格の累積的上昇              

 本源的生産手段や非特殊な生産者財が高次の生産段階で使用されるようになっても、しばらくは消費財の生産量の減少は生じないであろう。しかし高次の生産段階での使用のため生産者財を引き抜かれた生産段階の生産量が減少するため、それらが消費財に成熟するときには消費財の生産量は減少してしまう。

 これがハイエクのいう強制貯蓄である。生産者に供与された信用は、本源的生産手段や非特殊な生産者財の価格の上昇、および生産構造の長期化をもたらす。そしてやがて公衆が享受できる消費財の量が減少するというのである。

  さて消費財の生産量の減少と第1ステップのあいだも不変である消費支出から消費財の価格は上昇する。だが消費者は実質所得の減少を、可能ならばより多く支出することによって克服したいと考えるはずである。生産者財部門で働く労働者の賃金所得は、増大した貨幣が生産者部門の企業家に渡っているがゆえに上昇しており、より多くの消費支出が可能である。そこで労働者は消費支出を増加させるが、消費財の産出量はすぐには増大しないから50、消費財の価格はこのことによりますます上昇することになる。

 この立論は、ハイエク理論を理解するうえできわめて重要な箇所である。迂回生産構造の長期化は消費財の生産量を最終的には増大させるはずであるが、このケースでは実際の増大は生じていない。また労働者の所得増大による消費支出の増大が、ハイエクの理論展開において非常に重要な役割を演じている。迂回生産構造の長期化により消費財生産量は一時的には減少し、それと消費支出のますますの増大により、消費財価格の上昇は継続することになる。これがハイエク的な意味における累積過程である。

 

  第3ステップ51 景気の転換( 消費財需要と生産者財需要比率の逆転)       

 公衆が実質所得の減少を取り戻そうとして増大した貨幣所得から消費支出を増大させる結果、ついには消費財需要と生産者財需要の比率に逆転現象が生じ、(公衆のこの行動が想定されないかぎり、逆転現象は生じないことは、注意する価値がある) 消費財価格は生産者財価格に比べて相対的に上昇することになる。この逆転現象は、銀行が追加的資金を生産者に供与し続けることにより一時的には防止できるが、それは経済にますますのインフレーションをもたらすことになり、銀行の事情からもまたインフレーションのもつ悪影響のゆえにも、永遠に続けることはできない。

 

  ... 銀行が〔生産者への〕ローンの追加を中止する即時的効果は、消費財に支出される貨幣量の絶対的増加が、もはや生産者財にたいする比例的な増加で相殺されない、ということである... 。消費財需要は、貨幣所得の増加を引き起こす投資にたいする追加的支出にいつも必然的に遅れるがゆえに、しばらくのあいだ増大を続ける」(『諸価格と生産』pp.90-91)

 

 追加的な貨幣が投資に向けられ、そこから貨幣所得の増大が生じる。消費支出は増大した貨幣所得からなされるから、つねに追加的な投資に遅れる、というのである。

 

  第4ステップ52 迂回生産の短期化と不況( (b)のケースの開始)        消費財需要が生産者財需要に比べて相対的に上昇するという事態は、「自発的貯蓄のケース」でいえば、貯蓄性向が減少する場合と同じである。したがってそこで述べたのと同様のメカニズム(ただしここでは貯蓄性向の増大ではなく減少を考えている)が作動する。あるいはこの事態は貨幣の増加が消費財の購入に用いられるケース((b))と同じであり、貨幣の増加が生産者財の購入に用いられるケースと逆の過程を辿る。その結果、経済の生産構造はより短期の迂回生産に戻っていくことになる。

 

  しかしながらこの場合には、貨幣の増加が生産者財の購入に用いられるケ  スaの場合とは、次のような2つの相違点のあることが強調されている。それらは、増加した資金が消費者に渡ったときに、深刻な不況が発生することを指摘している。

 

  消費財価格の上昇により、最低次の生産段階との価格差が、隣接する高次の生産段階との価格差よりも大きくなるため、生産者財はより大きな利潤を獲得できる消費財部門に引き寄せられていく。またすべての隣接する生産段階の価格差も全般的に増大するため、非特殊な生産者財が低次の生産段階に引き寄せられていく。この過程で、消費財の価格は本来消費者に信用が供与されなかったならば生じなかった需給乖離により不当に上昇しており、そのため非特殊な生産者財の価格にも著しい上昇がみられることになる。その結果、不必要なまでに短期の迂回生産構造が出現することになるであろう。

 

53本源的生産手段ならびに非特殊な生産者財が低次の生産段階に引き寄せられることにより、特殊な生産者財は相対的に過剰になり、それらの価格は低下する。特殊な生産者財の生産は不利になり、生産はストップしてしまうことになるであろう。かくして高次の生産段階で使用されていた非特殊な生産財や本源的生産手段は失業状態に陥る。それらが再び雇用されるには、かなりの時間がかかることになる。なぜなら第1に、新規の短期生産プロセスは新たに始められねばならないし54、第2に、企業家が当初不安を抱くため、相対的に資本を少なく本源的生産手段を多く使用する生産方法への投資をためらうからである55。こうして消費財にたいする需要が貨幣量の増大によりもたらされる場合には、深刻で長期にわたる経済危機が発生する。

 

 ハイエクのいう不況では、消費財ならびに非特殊な生産者財の価格はいぜんとして上昇を続けている。価格の低下が生じるのは、特殊な生産者財のみである。また失業が生じるのは、迂回生産構造が短期化する過程での調整がスム  ズにいかないことから生じるとされている。

 

  以上が強制貯蓄のケースである。ハイエクのこの理論から、われわれは次のような特徴を見いだすことができる。

 

 第1に、追加貨幣が生産者に供与された場合、当初は迂回生産構造の長期化が生じる。生産者財の価格のみならず、消費財の価格も上昇を続ける。消費財の価格が上昇を続けるのは、一方で消費財生産の増大には時間がかかること、他方で実質消費の減少を取り戻そうとする消費者の行動が賃金所得の増大のために名目的には可能であること、のためである。つまり、迂回生産構造の長期化による消費財の生産量増大よりも、消費財支出の増大

の方がスピードが速く、そのため消費財価格の急激な上昇が先に生じてしまう、とハイエク理論は想定している。ハイエクの描く好況はこのような特徴をもっている。

 第2に、好況が不況に転化するのは、第1点で述べたプロセスにより、消費財需要が生産者財需要に比べて相対的に上昇するという点にある。このため迂回生産構造の短期化が生じ、その調整に応じきれない生産要素に失業をもたらす。不況においても、消費財価格および非特殊な生産者財の価格の上昇は続くが、他方で特殊な生産者財の価格ならびに生産は下落する。

 第3に、ハイエクのいう不況は一種の摩擦的失業とでもいうべき性質のものである。特殊な生産者財の生産が不利になり、そこで雇用されていた非特殊な生産財や本源的生産手段が失業状態に陥ったとしても、(迂回生産構造の短期化には時間がかかるため)、再び雇用されるには時間のかかることが強調されている56

 第4に、貨幣が経済に追加される場合、それが生産者に渡されようと消費者に渡されようと、遅かれ早かれ不況は発生すると考えられている。前者の場合、好況がもたらされるが、それは生産構造の不必要な長期化をもたらすため、消費財需要と生産者財需要の逆転が生じたときに生じる生産構造の短期化への転換により、より深刻で長期におよぶ不況をもたらすことになる、とハイエクは論じている。後者の場合、不況はすぐにもたらされることになる。

  第5に、強制貯蓄のケースでは、迂回生産構造による消費財生産量の増減は考慮されていないことに特に注意が必要である。迂回生産の長期化が生じたさいにも、ハイエクは消費財生産量の増大は生じず(ないしは生じるだけの時間は考えられていない)、逆に減少が生じる、と想定している。迂回生産の短期化を論じる場合にも、消費財生産の減少については考察されていない。このことは、ハイエクが強制貯蓄のケースを論じるさいに、迂回生産構造の変化は生じるが、その消費財生産への増減効果が発揮されるまえに、経済の転換が生じてしまう、と考えていることになる。貨幣の恣意的な注入が生産構造を攪乱させる、というハイエクの主張の根底には、このような発想が潜んでいるといってよいであろう。

  (図5―1はハイエクの理論を図式化したものである。)

             

図5-1 ハイエク理論の流れ

・自発的貯蓄のケース(貨幣量一定、流通速度一定、投資はつねに(自発的)貯蓄に等しく、自然利子率と貨幣利子率もつねに等しい)
 
 古い均衡状態→貯蓄性向の上昇→隣接生産段階の価格差が狭まる→生産者財の移動と迂回生産構造の長期化→新しい均衡状態(消費財の生産量は増大、消費財の価格は下落)
・強制貯蓄のケース(貨幣量増大、投資は(自発的)貯蓄と信用供与の和に等しい。貨幣利子率は自然利子率よりも低くなる)
 均衡状態→生産者に貨幣が供与→貨幣利子率<自然利子率→本源的生産手段価格および非特殊な生産者財の価格の上昇→迂回生産構造の長期化→強制貯蓄の発生(消費財生産量の減少)→所得の増大→消費需要の増大(消費財価格の累積的上昇)→消費財需要と生産者財需要比率の逆転(景気の転換。)→〔以降は貨幣量の増大が消費財に向かうケースと同じ〕→(不当なまでの)迂回生産構造の短期化→不況の長期化(消費財価格ならびに非特殊な生産者財価格の上昇、特殊な生産者財価格の下落、摩擦的失業の発生)

 

D.ハイエクの判定

 以上のような理論を展開したハイエクは、資本主義的生産機構が円滑に進行するのは自発的貯蓄によってのみであり、貨幣の追加的供給(強制貯蓄のケース)は経済をいたずらに混乱させるだけである(インフレーションの進行や失業の発生)、と論じている。  

 

 「資本主義的生産機構は、われわれが現存の生産組織のもとでわれわれの全富〔所得〕のうち現行消費に向けられる部分どおりの消費に満足する場合にのみ円滑に機能するであろう、という根本的な真理...。消費が増加するたびに、もしそのことが生産を阻害すべきでないならば、あらかじめ新しい〔自発的〕貯蓄が必要である」(『諸価格と生産』p.95)。

 

 「健全な状況の確保に必要なのは、自発的貯蓄と自発的支出によって決定される消費財需要と生産者財需要の比率に、可能なかぎり速やかに生産構造を適合させることである。諸個人の自発的意思で決定される比率が、人為的な需要の創造で歪められるならば、それは利用可能な資源の一部が誤った方向に再び

導かれ、究極の調整がまたもや延期されることを意味するに違いない。たとえこの方法で未利用資源の吸収が速められたとしても、そのことは新たなる混乱と危機の種がすでにまかれたことを意味するにすぎない。それゆえすべての利用可能な資源を永久に「動員」する唯一の方法は、危機であろうとその後であろうと、人為的刺激を用いることなく、資本目的に利用できる手段に生産構造を適合させる緩慢な過程により、恒久的な治療が行なわれるよう、時の流れに委ねることである」(『諸価格と生産』pp.98-99)


 

 自発的貯蓄と自発的消費の比率に生産構造をできるだけ適合させること、人為的な貨幣量の増大によってこの比率を歪めることは、経済を危機に陥れることになり、生産構造がこの比率に適合するのを時の流れに任せること― これがハイエクの主張である。   

  ハイエクは信用を消費者に供与する方法は事態を悪化させるだけであると論じる。それは、特殊な生産者財の価格の下落と失業の発生を招き、不況をもたらす。他方、信用を生産者に供与する方法は、危機にたいして有益な効果をもたらす理論的可能性はあるが、現実には難しいと論じる57。有益な効果がもたらされるには、貨幣量を消費財の相対価格の当初の過度の上昇を相殺するようにコントロールでき、これらの価格が相対的に下落し自発的貯蓄の状態に近づくにつれ追加的信用を回収できる必要がある。だがその場合でさえ、追加的な信用供与なしには維持できない迂回生産過程を一見利益あるものにみえさせるならば、悪影響の方が強くなる。しかし、信用を上記の範囲内に抑える立場に銀行はない、とハイエクは論じている。

 

  以上からも明らかなように、ハイエクは銀行が貨幣量をコントロールする能力はある、という基本的立場に立っている。だからこそ後述するように、ハイエクは貨幣量を一定に保つ政策の重要性を強調するのである。この点で、貨幣供給は無限の弾力性をもつという立場から理論展開を行なったヴィクセル、ミュルダール、リンダールとは対照的である。

 

 

3.ハイエクの経済政策観

 

 以上の理論に基づいて、ハイエクが打ち出した経済政策はきわめて明瞭である。貨幣は諸価格に中立的であるべきであり、そのためには貨幣量ないしは貨幣支払い額(貨幣の流通速度が変化する場合を考慮した表現)を不変に保つべきであり弾力的運営をすべきではない、というのがそれである。これは経済を自発的貯蓄のケースに任せるというのと同義である。ハイエクにとって、貨幣当局が貨幣量を不変に保つことによって維持すべきはこのケースにほかならなかった。                          

  ハイエクは、「貨幣量は生産量の増減に応じて変化させるべきであり、またそうするのが自然である」という考え方は58、根拠が薄弱であると批判する。( たとえば) 貨幣量を一定にしておいた状態で生産量が増大する場合、限界生産力の上昇に比例して諸価格が下落するのは、無害であるどころか生産の方向を誤らせないための唯一の方法である、とハイエクは述べている。

  ハイエクの理想は、経済過程の自然な価格体系( とくに自発的貯蓄のケ  スにおける均衡状態) を維持することにあった。貨幣政策がそれを攪乱するようなことがあってはならないのであり、そのための方法としてハイエクが考えているのが貨幣量を不変に保つというものであった。この原則にたいする例外は、「貨幣取引係数」(co-efficient of money transactions.  財の全フローと貨幣によって取引される部分の比率)の変化によって貨幣需要に変化が生じた場合であり、この場合には均衡状態を維持するために貨幣量の変化が必要である59

 

 「... おそらくわれわれの考察から導出される、貨幣政策の唯一の公準は、生産および交易の増大という単純な事実は信用拡張を正当化しないし、また 緊急時を除き 銀行家は過度に慎重になることによって生産の阻害を恐れるにはおよばない、という消極的なものになる。... 貨幣政策を用いて産業の変動を完全に除去できると考えるのは、おそらく錯覚であろう。われわれが期待できるのはせいぜい、公衆にかんする情報の増大により、中央銀行が循環の上昇期には慎重な政策を採用し、それにより後続する不況を緩和し、かつ善意からではあるが危険な「小さなインフレーション」による不況克服案に対抗することが容易になるかもしれない、ということぐらいである」(『諸価格と生産』p.125)

 

  理論的には、貨幣数量説に疑問を抱きヴィクセルの系譜を歩んだハイエクであるが、貨幣政策の結論だけを取り出すとき、銀行利子率政策を重視したヴィクセルや『貨幣論』のケインズとは異なり(金本位制を支持している点も60、ヴィクセルやケインズと異なる)、貨幣数量説の主張と一見すると似てみえる。だがそれぞれの背景をなす理論構造はまったく異なっている。

  ハイエクが貨幣量の不変を主張するのは、生産構造が自発的な消費財需要と生産者財需要の比率に適応し、諸財の相対価格が安定的になるという本来のリズムを、貨幣がそこなってはならない、という根拠に基づいている。彼は、物価水準ならびに全生産量といった集計概念に主観主義的方法論の観点から懐疑的であるし、何よりも相対価格を決定する理論と貨幣数量説から構成される理論体系としての新古典派理論を批判する立場に立っているのである。他方、貨幣数量説が貨幣量の不変を主張するのは、(フィッシャー流の交換方程式に依拠しながら) それが物価水準を安定させると考えるからである。

 

4.ハイエク理論の位置づけ

 

 ハイエクが目指したものは、貨幣理論の第4段階であった。それは貨幣が消費財および生産者財の相対価格の変化を通じて生産構造にどのような影響をおよぼすかについての理論であり、貨幣量、相対価格および生産構造の関連を一元的にとらえようとするものである。

 経済活動にとって重要なのは一般価格水準ではなく、( ハイエク的意味での) 相対価格である。消費財および生産者財の双方の価格が上昇し、一般価格水準が上昇しても相対価格が不変であれば、生産構造に影響はなく問題は生じない。しかもハイエクがこう述べるのは、(ワルラス的意味での) 相対価格を一定としたうえで絶対価格の問題を扱おうとする貨幣理論のあり方にたいする根本的批判に立ってのものである。

  ハイエクが自然な経済状態として位置づけた自発的貯蓄のケース( 貨幣量は不変に保たれている) では、諸個人の自発的な消費・貯蓄行動による消費財需要ならびに投資財需要の変化により( ハイエク的意味での) 相対価格が変化し、それを通じ生産構造が変化する。自発的貯蓄による変動は自然な変動であり、それを除去することはできない。だがそのような変化はかなり速やかに調整され、経済は新しい均衡状態に到達する。

  これにたいし貨幣が人為的に増加されると、それが生産者財にたいしてなされようと、消費財にたいしてなされようと、経済の変動は激しく、インフレーションの累積的進行や深刻な不況が発生し、新しい均衡状態への到達は困難になる( 強制貯蓄のケース) 。  

  ハイエクが理想とする状態は、貨幣量が相対価格や生産構造に影響をおよぼさない状態であり、ハイエクのいう意味で貨幣の「中立性」が成立している状態である。これが通常いうところの中立性と異なるのは、貨幣そのものはつねに中立であるというのではなく、あくまでも貨幣量が一定に保たれるという状況のもとでのみ中立であるという点である。

 

  ヴィクセル・コネクションの視点からハイエクの理論を位置づけてみることにしよう。  すでにみたように、ハイエクはヴィクセルを間接的連鎖の理論と強制貯蓄の理論の統合に、ベーム- バヴェルクの利子理論に依拠しつつ成功した経済学者として高い評価を与えている。この評価に疑問が残るという点については、すでに言及したとおりである61

  ハイエクの理論がヴィクセルの理論と似ている点は、強制貯蓄のケースにおいて、経済がいったん均衡状態から乖離すると(貨幣利子率は自然利子率より低くなり)、消費財価格が累積的に上昇していき、均衡状態に戻ることは困難になるというフレームワークを有している点であろう。

 他方、ハイエクが展開した理論が、ヴィクセル理論と相違する点としては、次の2点が指摘できる。

 第1に、貨幣量と利子率をめぐる両者の考え方の相違である。ハイエクの理論にあって、貨幣量はきわめて重要な概念であるのにたいし、貨幣利子率や自然利子率という概念はほとんど形骸化しているといってよい。両利子率が登場するのは、強制貯蓄のケースにおいて、貨幣量の増大は貨幣利子率が自然利子率より低くなることによってのみ可能となる、という場面だけである。これはヴィクセルの立論とは、本質的な点において対立する。ヴィクセルは「組織化された信用経済」を想定した分析を行なっており( 貨幣量という概念は理論的に意味をもたない) 、利子率に重要な理論的・政策的意味を付しているからである。貨幣量を一定に保つというハイエク的政策は、ヴィクセル理論に登場する余地はない。

  第2に、ハイエクの理論で中心的な重要性をもつ迂回生産の理論は、ヴィクセルの累積過程の理論では採用されてはおらず、またハイエクが重視する強制貯蓄という考えもヴィクセルにあっては重視されてはいない。

 

  ミュルダールや『貨幣論』のケインズには、ヴィクセルの累積過程の理論を、貯蓄と投資の乖離という視点からとらえる姿勢がみられる。この姿勢がどれほどヴィクセルの本来の理論と関係しているのかに問題のあることはすでに言及したとおりである(この点にはいまは触れないことにする)。ミュルダールやケインズの視点からみると、ハイエクの理論には投資と貯蓄の識別は弱い。自発的貯蓄のケースではつねに貯蓄された額が投資に回され、強制貯蓄のケースでは自発的貯蓄プラス信用供与が投資に回される。つまりハイエクの理論においては、供給される資金に等しく投資がなされるのであり、この点はとくに

ミュルダールの理論(投資が先行し、自由資本処分との差額が信用供与される)とは際立った対照をみせている。

 ハイエクの理論にあっては、自発的貯蓄と信用供与は明確に識別しなければならない概念である。だがこれはケインズにあっては認めることのできないものであった。ケインズは『貨幣論』にたいするハイエクの書評への回答において、両者の根本的な相違点として、(自発的)貯蓄と投資の差を不活動預金の増大とみるかいなかを指摘している62

 

  自発的貯蓄のケースと強制貯蓄のケースの識別は、ハイエク理論の脆弱さを象徴するものである。その根源は、ハイエクの貨幣量と利子率をめぐる考え方に帰する。彼は一方に、貨幣が経済活動を阻害しない「自発的貯蓄のケー  ス」を設定する。そこでは貨幣量は一定に保たれており、ハイエクの考えでは、貨幣利子率と自然利子率は恒等的に等しく、貯蓄と投資も恒等的に等しい。ハイエクは他方に、追加された貨幣が経済活動を人為的に阻害する「強制貯蓄のケース」を設定する。ここでは貨幣量は増大しており、ハイエクの考えでは、貨幣利子率は自然利子率より低くなり、自発的貯蓄と投資のあいだは乖離し、その幅は追加された貨幣量に等しい。

  現行の貨幣量が「自発的貯蓄のケース」に対応したものかいなかをどのようにして判定するのか、また銀行が貸し出す貨幣量が、「自発的貯蓄のケース」から逸脱したものかいなか(追加的な信用供与がなされたかいなか) をどのようにして判定するのかは、理論的にも政策的にも困難な問題といわなければならないであろう。

 

 他方、ハイエクの立場からながめると次のようになる。ヴィクセルが、①  絶対価格の理論として貨幣理論を構築したこと、② 貨幣量を弾力的にとらえていること、③ 貨幣当局の利子率政策により景気の変動を調整できると考えていること、等にたいして、ハイエクは批判的であった。このうち① についてはミュルダールのヴィクセル批判と同じ立場にあり、②についてはミュルダールはヴィクセルを継承しており、さらに③についてはケインズはヴィクセルを継承している点には、あらためて注意する必要がある。

 またハイエクが『貨幣論』のケインズを激しく批判した事情も、その正当性の程度はともかく、理解することはできる。ハイエクが新しい貨幣理論として問題にした論点 相対価格と生産構造、強制貯蓄論、貨幣のハイエク的意味での中立性等 は、『貨幣論』のケインズにはまったくみられないからである。『貨幣論』は、消費財、資本財の価格決定理論はもっているが、両財の相対価格と生産構造の関連を問うという発想はとられていない。ケインズはオーストリア学派やストックホルム学派が有する迂回生産構造理論を採用してはおらず、それに代わるものが各部門において前期の利潤と今期の産出量のあいだを示す関数(「TM供給関数」)であった。ハイエクの目には、ケインズの理論はヴィクセル理論のハイエク的意味での本質的貢献を発展させるどころか、強制貯蓄を無視し、ヴィクセル理論のもつ欠点を墨守したものに映ったことであろう。

 

5.補論:ミーゼスの理論

 

  本稿の第3章で検討を加えたハイエクの『諸価格と生産』〔1931〕は、ミーゼスが『貨幣および流通手段の理論』〔1912〕の第3部「流通手段とその貨幣に対する関係」第5章「貨幣、流通手段および利子」で素描した理論を精緻化したものであった。ヴィクセル・コネクションの広がりを明らかにするうえでも、またオーストリア学派の広がりを明らかにするうえでも、ミーゼスの存在はきわめて重要である。そこでミーゼスがどのような問題意識のもとで、どのような理論を展開したのかを同書63からやや詳細に探ってみることにしよう(なおその精緻化された分析は『ヒューマン・アクション』〔1949。ただし、このドイツ語版に相当するものは、1940年に刊行されている〕の第17章「間接交換」から第20章「利子、信用拡張および景気循環」において展開されている)

 

 () 問題意識

  ミーゼスによれば、貨幣数量説から引き出せる重要な示唆は、貨幣価値の変動と貨幣供給・需要比率の変動のあいだにある関係が存するという考え方のみである。しかし彼は、貨幣数量説には貨幣価値変動メカニズムの説明が欠落していると考え、貨幣価値の変動と貨幣供給・需要比率の変動のあいだに存する関係を、メンガー= ベーム- バヴェルク流の価値の根本法則から把握することを自己の課題としたのである64

 

 (a)貨幣数量説批判

  貨幣数量説のなかでミーゼスが主たる批判の対象にしているのは、フィッシャーの機械数量説である。批判点は多岐にわたるが、根底を流れるのは、経済財の交換価値の変動のみならず貨幣価値の変動も主観的価値評価の観点から説明されねばならない65のに、貨幣数量説はそうしていない、という点である。

 

  ① 主観主義的立場からの批判― 貨幣数量説は、貨幣の増減が個人の価値評価にどのような影響を及ぼすのかを吟味するところから出発していない。それは個別経済から説明するのではなく、国民経済の貨幣需要という誤ったところから出発している。個別経済の主観的価値評価の変動こそが交換比率の変動にとり決定的であるにもかかわらず、機械的数量説の公式はそれと何の関連もないため、その主張がいかなる経路から生じるのかを説明できない66

 

    貨幣数量説の静学性 貨幣数量説は静学にのみ適合する観察方法を動学に適用するという誤りをおかしている。

 

  ミーゼスが目指すのは動学状態を分析できる貨幣的経済理論の構築である。次の論述は彼のスタンスをよく表わしている。

 

  「われわれが一方において他方の2倍の貨幣が存在するという以外では相互に区別されない2つの経済組織を静的状態において比較すれば、一方の組織における貨幣単位の交換力は、他方の組織における貨幣単位の交換力の半分に等しくならねばならぬことが明らかになる。だがそのことから、貨幣量が2倍になれば貨幣単位の購買力が半分に低下せねばならぬと結論してはならない。いかなる貨幣量の変動も静止的経済組織に動的な原動力をもたらすからである。それによって喚起された運動の効果が完了するに至って出現する新しい均衡状態および静止状態は、追加的貨幣量の浸透以前に存続した状態と同一ではありえないであろう。したがってその状態にたいしては、貨幣単位の与えられた交換価値での貨幣需要の高さも異なるであろう。いま2倍となった貨幣量の1単位は交換力が半分となっても、それが静止的組織において貨幣量の増加以前に意味したものと同じものを意味しないであろう。貨幣量の変動に貨幣単位の価値に対する逆比例効果を帰するあらゆる人々は、静学にのみ適合せる観察方法を動学に適用するのである」(『貨幣および流通手段の理論』pp.131-132。下線は引用者)

 

  (b)価格理論批判

  ミーゼスの貨幣数量説批判は、同時に古典派の2分法にたいする批判を伴っている。貨幣数量説の提唱者は、貨幣数量説が貨幣価値形成に特有のものであり、他の経済財の価値形成の法則とは異なると主張するが、この点は証明されていない、とミーゼスはいう。この批判は古典派の2分法にたいするミーゼスの批判意識に基づいている。ただしミーゼスが目指すのは、貨幣理論を他の経済財の価値形成の法則と同じく主観価値説の立場から論じることである。その意味でミーゼスの念頭にあるのは、オーストリア学派の路線を貨幣価値論にも拡張しようとするものであった。

 

  「近代の価格論はあらゆるその命題を直接交換の場合について発展させた。間接交換を観察範囲に入れる場合にも、価格論は一般に使用される交換手段たる貨幣によって媒介される交換の特色を十分には顧慮しない。それだからといってもちろん価格論を非難するにはあたらない。価格論が直接交換にたいしてたてる価格形成の法則は間接交換にも妥当し、取引行為の本質は〔貨幣の〕使用によって変わらない。だが貨幣価値論は、重要な確証をなすためにはこの間接交換から始めねばならない」(『貨幣および流通手段の理論』pp.148-149)。

 「貨幣の客観的交換価値の決定原因の探究は貨幣の価値が同時にその交換手段機能によって決定されることなく、もっぱら他の使用機能によって決定される一点に常に帰着するという事実が明確になれば、主観的価値論およびそれに固有な限界効用理論の上に立てられた間然するところなき貨幣価値論展開の道が開かれる。これまで主観価値学派はこれに成功しなかった」(『貨幣および流通手段の理論』p.99)。

 

  ミーゼスはこのように考え、貨幣の客観的交換価値を発生論的にとらえることで、主観価値論の立場を貫徹しようとしたのである。

 

 「今日市場に存する貨幣の客観的交換価値は、市場主体の主観的価値評価の影響を受けつつ昨日の客観的交換価値から形成され、同様にこれはまた主観的価値評価の営みによって一昨日の客観的交換価値から発生したものである。このようにしてわれわれがますますさかのぼっていけば、ついに貨幣の客観的交換価値のうちに、一般的交換手段としての貨幣の機能から生ずる価値評価を起源とする構成分子をもはや認め得ず、貨幣価値は他の用途によって有用である対象の価値にほかならない一点に必然的に到達する。... 貨幣価値のかの本源的な出発点が主観的価値評価の結果にほかならないのと同じく、今日の貨幣価値もそれにほかならぬ」(『貨幣および流通手段の理論』p.106 )。

 

  (c)ヴィクセル理解67

  いわゆる通貨学派の発展継続として自らの理論を位置付けたミーゼスは、ヴィクセルの累積過程の理論をあるところまで継承している。ミーゼスは、ヴィクセルの次のような立論 自然利子率と貨幣利子率の識別、銀行の貨幣供給の弾力性、両利子率の遅かれ早かれの一致、この一致が達成される経路を明らかにする必要性 に賛意を表明している。

 

 「彼〔ヴィクセル〕は自然的資本利子すなわち実物資本が貨幣の媒介なしに現物で貸し付けられる場合に需要供給によって確定される利子率と、貨幣利子すなわち貨幣もしくは貨幣代用物をもってする貸付にたいし要求され与えられる利子率とを区別する。貨幣利子と自然的資本利子は直ちに一致するとはかぎらない、けだし銀行にとっては流通手段6 発行額を随意に拡張し、かくて貨幣利子に圧迫を加え、原価によって与えられた最低限度まで低落させることが可能だからである。それにもかかわらず貨幣利子が遅かれ早かれ自然的資本利子の高さに合致せねばならぬことは確かであり、まさにいかなる経路によってこの終局的一致が達せられるかを示すことが必要なのである。ここまではヴィクセルに賛成せざるをえない」(『貨幣および流通手段の理論』p.374 )。

 

  ミーゼスがヴィクセルの立論に批判を加えているのは、商品価格の一般的騰貴により銀行が貨幣利子率を引き上げざるをえなくなる理由についてのヴィクセルの説明が「組織化された信用経済」という想定と矛盾するという点である69

 

   () ミーゼスの理論                             

  貨幣数量説を批判し、ヴィクセルの累積過程の理論を基本的に受け入れたミーゼスは、個別経済の主観的価値評価の変動こそが交換比率の変動の決定的要素であるという立場に立ちつつ、経済財相互の交換比率および経済財と貨幣との交換比率を同時に扱う動学的経済分析の必要を説いている。

 

  「1商品の貨幣価格の騰貴は、通常、残余の財にたいする交換比率をも 貨幣価格の騰貴が貨幣にたいする交換比率を変動させたのと必ずしも同じ程度ではないにしても―推移させるのである」(『貨幣および流通手段の理論』p.150 )。

  ... 動態によって引き起こされる変化が問題であることが注意されねばならない。静的状態... は、個々の商品相互間に存する交換比率の推移が必然のものとなったことによって攪乱される。市場の技術は、ある前提のもとでは、それからさらに貨幣と残余の経済財のあいだに存する交換比率の推移も生じうるという結果をきたさせる... 」(『貨幣および流通手段の理論』p.152 )。

 

  ミーゼスは、ヴィクセルと同様、自然利子率と貨幣利子率が乖離したときいかなる結果が生じるのか、この乖離は持続するのか、それとも均衡に戻る自動的力が作用するのかを、第3部での主たる検討課題にしている。

 

 「現在われわれの任務とするところは、流通手段銀行が一致的行動をとるとき、考えられる自然的資本利子〔自然利子率〕と貸付利率〔貨幣利子率〕の乖離から、いかなる一般的な国民経済的付随現象が生じうるか、また生じざるをえないかということを吟味すること... である」(『貨幣および流通手段の理論』p.379 )。

 

  ミーゼスはこの問題を、銀行が自然利子率以下に貨幣利子率を引き下げるケースに限定し70、「組織化された信用経済」の想定のもとで、経済がどのような動学的経路を辿るのかを追究する71 。そこで展開されている理論は、資本利子率(自然利子率)と貨幣利子率は双方とも内生的に変動する。両利子率の乖離により、流通手段の量が変化すると、それは一方で迂回生産構造を、したがって資本利子率を変化させ、他方で貨幣利子率を変化させるが、それはついには貨幣利子率の反転をもたらすことになり、両利子率の均等が生じる、しかしそのときには深刻な経済危機が発生する、というものである。この内容を敷衍しておくことにしよう。

 資本利子率の自然的高さは、剰余収益が支払い利子に等しくなる限界的な生産期間によって決定される。このとき、可処分生計基金は、賃金支払いに必要かつ十分なものである。これが市場の自由な力によって形成される状態(一種の貨幣的均衡)であり、ハイエク的にいえば、「自発的貯蓄のケース」である。                   

 いまこの状態から貨幣利子率が引き下げられたとする。このとき流通手段の量は増大する。この増大は資本利子率に、次のようなメカニズムで間接的に影響をおよぼす。増大した流通手段は貨幣の「内的客観的交換価値」の減価を引き起こしながら社会的な所得および財産分配を推移させ、その結果資本利子率に影響をおよぼす。たとえば増大した流通手段が企業家に貸付けられたならば(自然利子率より貨幣利子率が低い状態では、企業家は資金を借り入れる誘因が存在する)、それは生産財の購入に向けられるため、迂回生産過程の長期化、したがって資本利子率の低下をもたらす。また流通手段の増大は、貯蓄の増大と生計費の減少をもたらす。

 流通手段量の増大に伴って、一方で貨幣利子率の低下、他方で資本利子率の低下が生じるわけであるが、前者の方が後者よりも大きく低下する。銀行は貨幣利子率をその営業費の水準にまで直接的に下げるかたちで流通手段を供与することが可能であるのにたいし、資本利子率は間接的にしか下げることができず、しかもそれは逓減的であるからである。

 ところで貨幣の「内的客観的交換価値」の減価は、貨幣利子率を上昇させる傾向を生み出す。このため銀行は流通手段の発行量を増大させることによって、貨幣利子率の低下をはかろうとする。しかし銀行は貨幣利子率の低下を長く維持することはできない。銀行の流通手段増大政策によって、迂回生産が不当に長期化されたツケが回ってくるからである。すなわち、

 

 「中間的生産物の増加が生ぜず、生産期間を長期化する可能性が与えられていないにもかかわらず、長期化された生産期間に相応する利子歩合が貸付市場に実施される。かくて究極においては許容し難くまた実現不可能であるにもかかわらず、さしあたり生産期間の長期化が有利なように見受けられる。... 生産に活動中の資本財が消費財に変わらないうちに、消費のために成熟した生活資料が消耗し尽くされる時点が必然的に到来する」(『貨幣および流通手段の理論』p.381)

 

  この状態では、消費財の供給量は減少し、その価格は急騰する。これにたいし生産財は迂回生産のあまりの長期化が収益のあがらぬものとなり、しかもその移動は困難なために、その価格は下落する。こうして両財の価格比率は逆転し、貨幣利子率も逆転する。この傾向は貨幣の内的客観的交換価値の減価により、強化される。

 

 「これが銀行の干渉によって攪乱された貸付市場の均衡が再び回復される1つの経路である。銀行により選定された、自然的資本利子率以下で貸付を与えんとする政策とともに始まる生産活動の増加は、まず第一に生産財の価格を騰貴せしめる、それに反し消費財の価格は同様に上昇するにはするが、ほど良い程度でのみ、すなわち賃金の上昇によって騰貴せしめられる範囲内でのみ上昇するにすぎない。かくて銀行の流通信用政策から発し、貸付利子率を低落させる傾向は当分強化される。しかしまもなく逆転が始まり、消費財の価格は上昇し、生産財のそれは下落する、すなわち貸付利子率はまた上昇し、再び自然的資本利子率に接近する」72(『貨幣および流通手段の理論』p.382 )。

 

  ミーゼスの立論は、以上のように展開され、貸付利子率は自然的資本利子率に再び等しくなる。だがこの状態は貨幣的均衡と呼べるようなものではない。なぜなら貨幣の客観的交換価値の一般的減価が残存するうえに、遠い迂回生産に用いられた資本財が利用されることなく放置されるからである。

 

 「資本市場の情況によって与えられ、ただ銀行の干渉により攪乱されたにすぎぬ高次財の価格と第一次財の価格との関係はほぼ回復されるが、そのさい消え難い痕跡として、貨幣側から発する貨幣の客観的交換価値の一般的減価が残存する。生産財と消費財との古い価格関係の元通りの回復は可能でない、なぜなら一方において銀行の干渉の結果として財産分配の推移がすでに生じたからであり、他方において貸付市場の自動的健全化は、あまりに遠い生産迂回に投資された資本の一部を失われたものと思わせる恐慌的現象の下でのみ行なわれうるからである。いまや収益の上がらぬものと立証された用途から他の使用方法へあらゆる生産財を移すことは不可能である。一部分は救い出すことができず、したがって全く利用されないか、あるいは少なくとも経済的にあまり利用されずに放置されざるをえなくなり、いずれの場合にも価値の損失が存在する」(『貨幣および流通手段の理論』pp. 383-384 )。

 

  ミーゼスの考える恐慌とは、銀行が貨幣利子率を低く抑えようとし、流通手段の発行を増やすことによってますます大きなインフレーション、およびより遠い迂回生産で用いられていた生産財の放置が生じる状態である。

 

 「たしかに銀行は崩壊を延引することはできる、しかしやがては... 流通手段流通のそれ以上の拡張がもはや不可能な瞬間が必ずや到来するにちがいない。その時には破局が生ぜざるをえない、しかも貸付利子率が自然的資本利子率の水準以下にあった期間が長ければ長いほど、また資本市場の情況によって是認されない生産迂回が多く選定されればされるほど、ますますその結果は重大であり、強気的騰貴の奇形的隆起にたいする反動は強烈なのである」(『貨幣および流通手段の理論』p. 385)。

 

  以上に概説したミーゼスの理論が、ハイエクにどのように継承されているかは、本稿第3章の2での検討を一瞥するだけで十分である。

 

 () 経済政策観

  ミーゼスは以上のような理論展開のうえに立ち、次のように主張している。     

 

  「政府による貨幣制度のインフレーション主義的乱用と銀行による流通手段流通の拡張にたいし制限を設けることが、次の時代の任務」であろう」(『貨幣および流通手段の理論』p.430)

 

  ミーゼスによれば、経済恐慌の発生は、銀行による流通手段の無制限的拡張に原因がある。それは貨幣の内的客観的交換価値を減価させ( インフレーションを発生させ) 、みせかけの好況( 迂回生産の長期化) をもたらすにすぎず、遅かれ早かれ、消費財価格の急騰と生産財の未利用という事態を引き起こす。したがってそれを回避するためには、流通手段の拡張に制限を加えることが必要なのである。

  ミーゼスは銀行による流通手段の無制限的拡張は、経済の自然な動きにたいする人為的な干渉であるととらえている。だからそれに制限を加えることを要求するのである73

 

 「貨幣価値政策においては、できるだけあらゆる干渉が避けられねばならぬ... 、したがって流通手段制度の領域においても貨幣制度の領域におけるのと類似した原則が発現するように助力し、ここでもできるだけ紙幣と爾余の経済財のあいだに存する交換比率の人間による干渉を除去しようとつとめることは、きわめて論理的であろう。流通手段の発行によって高次財と低次財とのあいだに存する交換関係をも一時的に推移させる可能性ならびに自然的利子率と貨幣利率の背馳に伴う有害な結果も、等しく同じ方向に作用するにちがいないであろう。人間による干渉が流通手段のそれ以上の発行の抑圧による以外には流通手段制度から排除されえないことは明らかである。ピ  ル条例の根本思想が再び採用され、当座感情の形態で発行される流通手段を新規発行の法律上の禁止に包含させることによって、かつてイギリスで行なわれたよりも一層完全にそれが実現されねばならぬであろう」( 『貨幣および流通手段の理論』p.428)

 

 

                 注

 

 1) この書については、第5 章の1 を参照。

 2) 『諸価格と生産』に先行するもので、補完的な関係にある。そこでは景気変動を開始させる貨幣的原因に分析の重点がおかれ( とくに第4 章「景気変動の根本的原因」) 、『諸価格と生産』では生産構造の変化に分析の重点がおかれた。

 3) なかでも第1 論文「利潤、利子および投資」(1939 ) は、ハイエクのその後の理論展開を示すものとして重要である。それは『諸価格と生産』と同じ問題を、2 点の修正( 利子率よりも利潤率の重視、貨幣賃金と実質賃金の動きの区別の明確化) および異なった想定( 失業の存在、貨幣賃金の硬直性、労働の制限された可動性) のもとで分析したものである。

 4) ミーゼスの立論については、第5 章の1 を参照。                

 5) 2 2 B b 、とくに図2   1 を参照。ミュルダールの理論は5 つの「ルート」から構成されており、迂回生産構造は第4 ルートとして位置付けられる。       

 6) ハイエク〔1931〕、ハイエク〔1932〕がそれである。

 7) 『諸価格と生産』p.8 を参照。

 8) 『諸価格と生産』pp.10-11を参照。

 9) 貨幣数量説は2 つのタイプに分けることができる。1 つは「狭義の」ないしは「本来的な」貨幣数量説である。これは均衡状態を比較して、貨幣数量と一般価格水準とのあいだに比例的な因果関係を主張するものである。もう1 つは均衡間の状態を述べる理論である。序の注(14)および注(15)を参照。これを含めると、貨幣数量説は「広義の」ものになる。しかし貨幣数量説の中心は前者にあるというべきである。たとえば、フィッシャー〔1911〕においては、第4章「過渡期における〔交換〕方程式および購買力の攪乱」で後者の理論( いわゆるフィッシャーの「過渡期の理論」であり、景気変動論である) が展開さ

れているが、それ以外の章では前者の理論(MV M ’ V ’ = PTとして提示された「交換方程式」。M は流通貨幣量、M ’ は銀行預金量、 V V ’はそれぞれ流通貨幣量と銀行預金量の流通速度、 Pは物価水準、T は取引量) が論じられている。事実、フィッシャーは彼の立論の全体的結論として「主たる結論は、貨幣(M) の変化は通常、価格の比例的変化をもたらすという数量説の真理をさまたげるものは何も見いだせないということである」(p.183) と述べている。

 10)『諸価格と生産』 p.7を参照。

 11)『諸価格と生産』pp.3-4を参照。

 12) 第2 章の1 A を参照。

 13) 第4 章の1 C を参照。

 14) 第4 章の2 を参照。

 15) 『一般理論』pp.37-40を参照。さらに拙著〔1981〕第5 章の2 を参照。

 16)  『一般理論』pp.292-293を参照。

 17)  1 章の1 A を参照。

 18)  『諸価格と生産』pp.8-11 を参照。

 19)  カンティヨンについては、ブロ  グ〔1985pp.29-30を参照。         

 20)  ロックとヒュ  ムの貨幣理論についてケインズは『一般理論』で、次のような興味深い見解を示している。ケインズによると、ロックは2 つの数量説の生みの親である。1 つは、利子率は貨幣量と全取引額(general vent of all the commodities) との比に依存するという説であり( ケインズはこれを重商主義的ととらえている) 、他の1 つは、物価は貨幣量と市場における財の全量との比に依存するという説である( 通常いうところの貨幣数量説。ケインズはこれを古典派的ととらえている) 。これにたいし、ヒュームは、均衡に向かう過渡期よりも貨幣数量説でいう均衡に重点をおいているから、1 歩半古典派の世界に属している。こう述べたうえでケインズは、ハイエクがヒュームから引用したのと同じ箇所を掲載している。『一般理論』pp.342-343を参照。

 21) 話は複雑になるが、貨幣数量説論者にもこうした試みはみられる。たとえばフィッシャーには「過渡期の理論」がある( 5 を参照) 。問題なのは、すでに言及したように、貨幣数量説の場合には、均衡状態を説明する理論と過渡期を説明する理論とのあいだに整合性がみられないという点である。中心は前者にあるというべきである。

 22)  『諸価格と生産』 p.22 を参照。

 23) 『諸価格と生産』pp.14 -15 を参照。

 24)  『諸価格と生産』pp.15 -16 を参照。

 25)  『諸価格と生産』pp.18 -21 を参照。

 26) ヴィクセルは『利子と物価』において、自己の理論の理論史的系譜には言及していない。過去の理論については、第7 章「財価格を規制するものとしての利子率」のA 「古典派とツーク」においていわゆる「通過論争」を概観している箇所があるのみである。そこでのヴィクセルの結論は「物価上昇の真の原因は、紙幣発行のようなものの拡張にではなく、... 銀行によるよりゆるい信用の供与に求めることができる」(p.87)というものであり、貨幣量ではなく利子率を重視する立場を表明している。

 27)  1 2 A a を参照。

 28)  『利子と物価』p.24の注1 を参照。そこでは『利子と物価』のp.102(英訳ではp.111)p.143(英訳ではp.155)が示される。このうちp.102 p.143 と同一の内容である。

 29)  『利子と物価』pp.155-156を参照。

 30) 『諸価格と生産』pp.23-24を参照。

 31) 『ケインズ研究』p.55の注14を参照。

 32)  『諸価格と生産』 p.26 を参照。以上の立論からも予想されるように、筆者はヴィクセル・コネクションのなかでハイエクは、ヴィクセルから最も遠い所に位置していると考えている。

 33)  ただしC で示すように、ハイエクの景気変動論では消費財生産量の増大よりも消費財支出の増大が速いと想定されている。

 34)  『諸価格と生産』pp.71-72を参照。

 35)  『諸価格と生産』pp.50-5455-57 75-79 を参照。

 36) 『諸価格と生産』p. 51 を参照。

 37) この考え方は、ハイエクと『貨幣論』のケインズのあいだの最大の論争点であった。

 38)  『諸価格と生産』pp. 75-78 で展開されている。

 39) 『諸価格と生産』pp.75-76を参照。

 40)  実際にはハイエクは、消費財と最低次の生産段階にある生産者財との価格差を考えている(『諸価格と生産』p.75) が、これでは消費支出が減少することになり、論理的におかしくなる。そこでこのように最低次にある2 つの生産段階の生産者財で論じることにする。

 41)  『諸価格と生産』pp.76-77を参照。

 42)  『諸価格と生産』p.53を参照。

 43)  『諸価格と生産』pp.53-54を参照。

 44) 『諸価格と生産』pp.54-5557-62 85-100を参照。

 45) 『諸価格と生産』p.85を参照。

 46) 『諸価格と生産』pp.85-87を参照。

 47) 『諸価格と生産』pp.85-86を参照。この点については、後述の4 を参照。

 48)  この叙述は、シュムペーターの『経済発展の理論』を想起させる。「... 循環過程から既存の... 生産手段を奪取し、これを新結合に振り向けるという問題がそれである。これは貨幣信用によっておこなわれるのであって、新結合を遂行しようとするものはこれを媒介にして、生産手段市場において循環場裡の生産者よりもいっそう高い価格を提供し、自分の必要とする数量の生産手段を彼らの手から奪いとるのである」(上のp.192)

 49)  『諸価格と生産』pp.87-89を参照。

 50)  『諸価格と生産』p.88を参照。この想定は、ハイエク理論を理解するうえで注意を払う必要のあるものである。

 51) 『諸価格と生産』pp.89-90を参照。

 52)  『諸価格と生産』pp.91-92を参照。

 53)  『諸価格と生産』p.92を参照。

 54)  『諸価格と生産』p.93を参照。

 55) 『諸価格と生産』p.93を参照。

 56) 『諸価格と生産』p.36も参照。

 57) 『諸価格と生産』pp.97-98を参照。

 58) 『諸価格と生産』pp.107-108を参照。ハイエクは、そこでカッセルとピグーの見解を例示している。

 59) 『諸価格と生産』p.121 を参照。

 60) 『諸価格と生産』p.127 を参照。ミーゼスも金本位制を支持している。ミーゼス〔1912( 翻訳)pp.414-415 を参照。ハイエクの通貨制度論理解には、ハイエク〔1937〕が有益である。そこでは「貨幣ナショナリズム」( ケインズがその代表者とされている) が批判され、「真に国際的な本位制」( 全世界が同一の通貨をもち、その地域内での移動はすべての個人の行動の結果によって決定されるのに任せる制度。p.4 を参照) の確立が唱道されている。

 61)  1 C の「ハイエクのヴィクセル理解への疑問」を参照。

 62)  ケインズ〔1931〕、『一般理論』p.79、および第4 章の注16を参照。

 63)同書にたいしては、ケインズの書評(Economic Journal, September 1914.『ケインズ全集』第11巻、pp.400-403所収) がある。この書評は他の著作と抱き合わせになっており、ミーゼスの著作には1/3 のスペースがさかれている。ケインズの感想は、「人はこの本を読み終って、こんなに聡明で、こんなに率直で、こんなに広範な読書量をもつ著者が、結局のところ、読者をして彼の主題の基本的な箇所を明確にかつ建設的に理解させるうえでほとんど手助けをしていないという失望感をもつ」(『ケインズ全集』第11巻、p.401)というものである。ケインズは、「建設的というより批判的、論証は巧みであるが独創的ではない」とも評している。このなかで第3 部は最良の箇所であると評しているが、それでも「可能なかぎりでの最高度に「啓発的」(enlightened) なものである」という評価なのである。この数年前になされたフィッシャーの『貨幣の購買力』の書評(Economic Journal, September 1911.『ケインズ全集』第11巻、pp.375-381所収) においてフィッシャーにきわめて好意的であったのとは対照的である。これらは、当時のケインズが貨幣数量説論者であったことと無関係ではないと考えられる。本稿第4 1 B を参照。

 64)  『貨幣および流通手段の理論』pp.116-117を参照。

 65)  『貨幣および流通手段の理論』pp.91-92を参照。

 66)  『貨幣および流通手段の理論』pp.120-122を参照。

 67)  そのほかミーゼスのヴィクセル理論理解として『貨幣および流通手段の理論』pp.103-104は重要である。そこでは累積過程についての正しい理解、ヴィクセル的2 分法にたいする主観価値説の観点からの批判等が展開されている。

 68)  貨幣の保管により準備されない貨幣代用物のこと。『貨幣および流通手段の理論』p.119 p.295 を参照。

 69)  『貨幣および流通手段の理論』pp.375-376を参照。

 70)  逆の場合については、ミーゼスは分析の必要がないと考えている。『貨幣および流通手段の理論』pp.379-380を参照。

 71)  その立論は『貨幣および流通手段の理論』pp.380-385に展開されている。『ヒューマン・アクション』では、自然利子率に相当するものは「本源的」(originary) 利子率、貨幣利子率に相当するものは「粗」(gross) 市場利子率である。後者には「企業者要素」(entrepreneurial component) が含まれている。同書第20章を参照。

 72)  この引用文はハイエクが『諸価格と生産』の第3 講義で巻頭の辞として用いている。

 73)  ミーゼスは同様の視点から金本位制への復帰を唱道している。『貨幣および流通手段の理論』pp.414-416を参照。