ヴィクセル・コネクション
平井俊顕
第4章 ストックホルム学派
― ミュルダールの内在的批判 ―
第1章で検討を加えたヴィクセルの累積過程の理論は、どこよりも早く母国スウェーデンの経済学に大きな影響をおよぼした。この理論をめぐっては Ekonomisk Tidskrift 誌上で、ヴィクセルとD.デヴィッドソンを中心に長きにわたる活発な論争が引き起こされ、ほとんどすべてのスウェーデンの経済学者はこの理論の影響下におかれた1。このなかから新しい貨幣理論の構築を試みる若き経済学者が輩出することになる。リンダール、ミュルダール、オーリン、ハマーショルド等のいわゆるストックホルム学派と呼ばれる人々がそれである。
本章ではこのなかから、累積過程の理論の内在的批判を通じて新しい貨幣理論の構築を試みたミュルダールの『貨幣的均衡』を取り上げ、そこで展開されている理論を中心に検討を加えていくことにしたい。本書は、ジュネーブとストックホルムで行なわれた一連の講義に端を発しており、その要約は1931年にスウェーデン語で発表されている。
1.ミュルダールの問題意識
A.ミュルダールの問題意識
ミュルダールは第2章「貨幣理論の問題についてのヴィクセルの言明」において、ヴィクセルに端を発した貨幣理論の新展開が生じた理論的背景に言及している。彼が強調するのは、正統派経済理論(とくにワルラス理論が念頭におかれている)には貨幣理論と(中心的)価格理論との内的関連ないしは統合が欠如している2 、という批判的認識の高まりである。(中心的)価格理論では生産、物々交換、分配問題が相対価格に属する問題として、他方貨幣理論(具体的には貨幣数量説)は絶対価格を決定するために必要な付属品として扱われてきた。
正統派経済理論が、(中心的)価格理論と貨幣理論に分化されるかたちで構成されるようになった(古典派の2分法)理論史的背景として、ミュルダールは、価値論の領域において新古典派の限界効用理論が古典派の生産費説を打破した結果、貨幣は独立した価値をもつものではなく財およびサーヴィスにたいする購買力とみなされるようになった点を指摘している3 。
「ワルラスや彼の何人かの弟子― カッセル、パレートやフィッシャー・・・のような理論家でさえ、固有の価格形成理論と貨幣理論のあいだに明確で鋭い分割線を引くことに努力を払った。これらの理論家でさえ、固有の価格理論を相対的な交換価値の研究に依拠させてきており、その結果、貨幣的考察は無視、ないしはむしろ複雑な問題として後回しにされてしまっている」(『貨幣的均衡』p.11)。
ミュルダールは正統派経済理論にみられる価格理論と貨幣理論のこのようなかたちでの統合化は論理的に不可能である、と考えている4 。価格理論においては財の交換関係は需給概念を用いて分析されるが、貨幣に同様の概念を用いることは、財とは異なり流通の場を去らないがゆえに、理論的正確さを欠くからである5 。
(中心的)価格理論と貨幣数量説の真の統合が不可能としても、両者の単純な等位関係はありえないだろうか。このような試みは古典派的背景をもつ経済理論家によってなされてきたが、これも大きな困難をかかえている、とミュルダールは論じている6。このような試みは主として貨幣数量説の発展というかたちをとってきた。抽象的レベルにとどまることのできる価格理論とは異なり、貨幣数量説は現実の経済問題との接触が密にならざるをえないからである。
貨幣数量説批判 ― しかしこのようにして発展してきた貨幣数量説には多くの欠陥があるという。ミュルダールが指摘しているのは、次のような点である7。
① 動態過程では貨幣(支払い手段)の流通速度は一定ではないので、貨幣量と「価格水準」とのあいだに単一の関係は存在しない。
② 貨幣と「価格水準」の量的関係は、前者が後者を決定するという一方的な因果関係としてとらえることはできない。双方とも固有の支払いメカニズムの外部に存する要因に依存しているからである。貨幣数量説はそれらの要因について満足のいく分析を行なうことができない。
③ 貨幣数量説における「価格水準」は、相対価格の理論が確定するために必要な乗数項を与えるように定義することはできない。
④ 貨幣数量説は一般価格水準の動きを強調するが、同質的な価格水準といったものは存在しない。それは価格水準内部での価格関係の変化の重要性を無視している。
⑤ 貨幣数量説に登場する「価格水準」は、「純粋に貨幣的な権利」の「価格」を含むため、非常におかしな概念である。
⑥ 貨幣数量説は価格指数のレリヴァントな加重原理として「全販売高」を利用するが、それは不可能である。
以上のうち、①②はヴィクセルと同じ立場に立つものといえる。これにたいし③④はヴィクセルにはみられない批判点である。ヴィクセルの理論体系は相対価格の自立性を当然視しているからである。④にみられる論点を徹底させているのが第3章で検討するハイエクである8 。
貨幣数量説では多くの改良が試みられたけれど、そのことによって貨幣理論はつねに皮相で曖昧もことした状態から抜け出すことはできなかった。しかしながら、他に代りうる貨幣理論が存在しないという状況のもとで、貨幣数量説が(中心的)価格理論と別行動をとり現実的問題の解明に取り組んだことは貨幣理論にとってよかった、とミュルダールは考えている。
価格理論批判 貨幣数量説のもつ欠陥の指摘に続き、ミュルダールは価格理論のもつ欠陥を次のように指摘している9 。
① 価格理論は貨幣数量説から、相対価格の絶対価格への変換に必要な乗数項を得るのに成功しなかったために、きわめて抽象的で非現実的な状態にとどまってしまっている。
② 価格理論における価格は単一の時点に関連しているにすぎないので、時間要素(たとえば信用契約)を組み込むことが困難である(今日の経済では、信用が支払い手段の大宗を占めているだけに、このことはいっそう問題である)。そのため信用の問題は貨幣数量説に委ねられることになったが、それは価格関係ではなく価格水準のみを対象としているため、その任にたえない。信用は価格水準のみならず価格関係の決定要因である。価格関係はビジネスの利潤可能性、したがって信用にたいする需要価格と供給価格によって決定される。
③ 価格理論はセー法則(「一般的過剰生産の不可能性」)を内包しているため、景気循環を分析することができない。
ミュルダールは信用の問題を取り上げることによって、貨幣理論と(中心的)価格理論の分離がもたらす致命的な欠陥 ― 両理論が真に統合されていないために現実の経済問題の分析が困難になっているという事態 ― を指摘している。セー法則への言及もこうした認識に基づいている。
ミュルダールが求めているのは、貨幣理論と(中心的)価格理論が真に統合された状態にある、貨幣数量説ならびに一般均衡理論を否定したところに存在する経済理論である。このような発想は(実際に構築された理論構造は異なるが)第3章で検討するハイエクの問題意識と軌を一にしている。
ミュルダールの問題意識は明解である。彼は一般均衡理論ならびに貨幣数量説をさまざまな角度から批判する。第1に、両者の統合は論理的に不可能である。第2に、両者がそれぞれの道を歩もうとしても、それも困難である。一般均衡理論は絶対価格を説明できず、信用の問題を扱うことができない。他方、貨幣数量説は価格水準内部での価格関係を説明できず、信用の問題を扱うことができない。第3に、現実の経済現象の解明に有効な経済理論は、両者の統合や分離の方向では困難である。重要なのは信用の問題を扱うことのできる新しい貨幣理論を異なったやり方で構築することである。
ミュルダールのこのような問題意識は、価格理論としての一般均衡理論を否定する立場であるといっても過言ではない。彼が目指すのはミクロ理論としての一般均衡理論にたいするマクロ理論ではなく、一般均衡理論とは根本的に異なる貨幣的経済理論の構築である。その口火をきったのがヴィクセルというわけである。
B.ミュルダールのヴィクセル理解
ミュルダールはヴィクセルの理論をどのように理解しているのであろうか。この点にかんしては、あらかじめ次のことに留意する必要がある。ミュルダールは、ヴィクセルが『利子と物価』で展開した理論を忠実に述べるというよりは、むしろヴィクセル理論の本質とみなすものを中心に述べている。しかもリンダールが展開した考えも取り入れているため、ヴィクセルの著作から直接に把握できる内容とは異なるものもヴィクセルの理論として提示されている。したがって以下に示すものは、リンダールを含むスウェーデンの経済学者のヴィクセル理解に立った彼らの新しい理論展開を含むものとして理解する必要がある10。
ミュルダールが最初に指摘するのは、すべての財の価格(価格水準)が上昇する場合、その現象は1財の価格の上昇を分析する場合と同様に、すべての財にたいする需要が上昇したかあるいはすべての財の供給が減少したかによって説明されねばならない、とヴィクセルが論じた点である。これは総需要と総供給が乖離する可能性から物価の変動をとらえようとする立場である。ミュルダールはこれがセー法則への挑戦であり、ヴィクセル自身それが異端的であることを十分に認識していたという11。
ミュルダールはヴィクセルの言明として次の一文を引用している。
「価値の貨幣的理論の名に値するどのような理論も、・・・諸財にたいする貨幣的ないしは金銭的需要は、ある所与の状況下ではどのようにそしてなぜ諸財の供給を超過しうるのか、あるいは逆に諸財の供給に不足しうるのかを説明できねばならない」(『貨幣的均衡』p.21。『経済学講義』下巻、pp.159-160からの引用) 。
次にミュルダールは「すべての財の合計にたいする需要と供給」という概念の正確な内容を、リンダールによる定式化を採用して述べている12。
すべての消費財にたいする需要は国民所得のうち貯蓄されない部分であり、すべての消費財の供給は「社会の全生産物±在庫の変動-耐久資本への投資」である。リンダールはこれをもとに「消費財価格のための基本方程式」(basic
equation for the prices of consumers' goods) 13を定式化した(これはケインズの『貨幣論』における「第1基本方程式」の基底をなす考えと同じであることは、記憶にとどめておく価値がある14)。
「全国民所得のうち貯蓄されない部分は、販売される消費財の量にそれらの価格水準を乗じたものにつねに等しい」(『貨幣的均衡』p.22) 。
リンダール自身は次のように定式化している。
E (1-s) = PQ
(E は全名目所得、s は貯蓄割合、P は消費財の価格水準、Q は消費財の量)
ミュルダールはこの式のなかに、貨幣的理論と価格形成の理論をより緊密に組み合わせる道がみえると考えている。この方程式を動学的状況下で用いるためには、所得を貯蓄と消費需要に、生産を実物資本への投資と消費財生産に分割する必要がある。これら4つの量の組み合わせのなかに、貨幣理論の問題についてのヴィクセルの新しい言明があらわれている、とミュルダールは考えている。動学的状況下では、消費財にたいする需要と供給の均衡、および投資( 資本需要) と貯蓄( 資本供給) の均衡は保証されてはいない。消費財の需要者と供給者、および投資需要者と貯蓄供給者は、それぞれ異なる経済主体だからである15。
ミュルダール自身明言しているが、以上の立論はヴィクセルの著作には「部分的に、しかもインプリシットにしか」見い出すことができない。しかし、第2章の2のBのcで論じたように、筆者は(貯蓄・投資の観点を別にすれば)おおむねこのような命題の導出をよく理解できる。ただヴィクセルの場合、所得は「賃金-レント基金説」に基づく前払い所得であり、しかもそのすべてが支出されると想定されている。これにたいしミュルダールの場合、(後にみるように) 所得は「事前」概念である。
続いてミュルダールは、貯蓄と消費、投資と消費財生産のあいだの変化をもたらす原理をいかなる点に求めるのかという問題に進む16。彼によれば、これにたいするヴィクセルの解答は、異時点間における諸財一般の交換関係を具現する利子率を説明の中心原理として用いるというものであった。
利子率には2つの種類がある。1つは信用市場の貨幣利子率であり、単位期間における資本処分(capital disposal) 1単位の費用に等しい。もう1つは自然利子率であり、(中心的) 価格理論で決定される迂回生産過程の物的限界生産力である。ヴィクセルは、貨幣利子率が自然利子率と乖離した場合にどのようなことが生じるかを問題とした。ミュルダールによれば、ヴィクセルはこの問題を追究するなかで、貯蓄と消費、投資と消費財生産の現象に潜む原因を見いだしたのであった。
「・・・ヴィクセルは貨幣理論の主要な強調点を、旧来の貨幣数量説における支払いメカニズムという皮相なレベルから固有の価格形成という、より深いレベルに移行させた」(『貨幣的均衡』p.24)。
その結果考案されたものが「累積過程の理論」である。これについてのミュルダールの説明は、やはりリンダールを中心としたスウェーデンの経済学者の理解に基づいている17 。
当初等しい状態にあった貨幣利子率と自然利子率のあいだに、貨幣利子率が下落することにより、乖離が生じたとしよう(この想定はヴィクセルのものであり、ミュルダールやリンダールの立場ではない点に注意が必要である18) 。その効果はまず最初、現存資本ストックの資本価値の上昇としてあらわれる。資本価値は「将来の粗収益(future gross
receipts) -粗運営費用(gross
operating expenses)」の割引現在価値と定義されており、貨幣利子率の下落は割引率の下落を意味するからである。また貨幣利子率の下落により、企業家は将来の価格上昇を予想し始めるから(ミュルダールはこのことは結論にとっての必要条件とは考えていない)、資本価値の上昇には加速度がつくことになる。
資本価値の上昇は、より長い迂回生産過程( より資本主義的な生産方法) により大きな利潤の可能性があることを示唆しているから、企業家はこの機会をとらえて生産活動を消費財から資本財に移行させていく。もし生産要素がすべて雇用されている場合には、この過程で消費財部門から資本財部門に生産要素が引き抜かれ、資本財生産の増大と消費財生産の減少が生じることになる。そうでない場合には、雇用されていない生産要素が資本財の生産に吸収され、資本財生産の増大が生じるが、消費財生産の減少は当初生じないであろう。
生産要素のこのような移動は、その価格の上昇を招く。その結果国民所得は上昇し消費財需要も増大する。さらに生産要素が消費財部門から引き抜かれる場合には、消費財の生産量は減少する。この2つの現象により消費財の価格は上昇する(上述の基本方程式を参照)。この消費財価格の上昇は企業家の価格期待を楽観的にするため、資本価値を再び上昇させる。
貨幣利子率の下落により生じた資本価値の当初の上昇が生産要素価格の上昇によりある程度相殺されたとしても、所得上昇による消費財需要の増大がもたらす資本価値の上昇がこの過程を継続させる。企業家はより長い迂回生産過程を選択し、かくして生産方法、所得、消費財支出、さらには資本価値に同様な効果をもたらす。こうして累積過程が生じることになる。
ミュルダールは、この理論に登場してくる実物資本、生産要素および消費財価格のあいだには因果関係があるのみならず、それらの運動には一定の継起の順番がある(そのなかで先頭をきるのは資本財)、という点を強調している。
ヴィクセルとの違い 以上のヴィクセル理解には、リンダールやミュルダールの問題意識に基づく独自の解釈が色濃く入り込んでいる。第1章で検討した本来の累積過程理論とのあいだにはかなりの相違がみられるのである。
第1に、ヴィクセルの場合、迂回生産構造は一定(したがって生産期間も一定)であり、したがって生産量も一定であると想定されていたが、ミュルダールの場合、迂回生産構造の変化が重視されている。ヴィクセルは迂回生産の問題をあくまでも(中心的) 価格理論の問題として貨幣理論と切り離して考えていた(古典派の2分法)のにたいし、ミュルダールはヴィクセルの貨幣理論のなかに迂回生産の問題をも組み入れるかたちで理論を組み立てているのである。換言すれば、ミュルダールは古典派の2分法体系を否定している
のである。ヴィクセルの場合には、相対価格、生産量ともに不変であったが、ミュルダールの場合には、双方とも変化するのである。
第2に、ヴィクセルの場合、累積過程の主導因は企業家が超過利潤の獲得により生産拡張意欲をかきたてられ銀行により多くの資金を需要する点に求められていたが、ミュルダールの場合、資本財価値の上昇による利潤拡大チャンスの到来により迂回生産構造が変化する点に求められている。資本財価値の上昇という発想はヴィクセルにまったくみられないというわけではないが、彼の累積過程理論にとってたいした役割を演じてはいない。
第3に、ヴィクセルの場合、消費財の価格水準という意味での絶対価格の変動に分析の対象が限定されていたが、ミュルダールの場合、消費財の価格水準と資本財の価値の変化、さらには両財の生産量の変化が分析の対象とされている。
以上のほか、次節のBのaで論じる予定の次の2点もあわせて記しておこう。
ヴィクセルの場合、投資は「賃金-レント基金説」の立場からとらえられていたが、ミュルダールの場合、迂回生産構造と固定資本の双方の立場からとらえられている。また消費財価格の決定についても微妙な相違がみられる。
したがってミュルダールのヴィクセル理解は、じつはミュルダールの累積過程理論そのものにほかならない。
2.ミュルダールの内在的批判 ― 貨幣的均衡
A.基本的なスタンス
ヴィクセルの累積過程は動学的であり、経済が貨幣的均衡からはずれた場合には、一方向に乖離を続けていく。経済が均衡にあるかいなか、またそうでない場合には均衡のどちら側にあるのかがわかるためには、貨幣的均衡の正確な定義が、必要になる。ミュルダールはこの貨幣的均衡という概念を重視する。
「貨幣的均衡という概念は・・・全ヴィクセル的貨幣理論にとって中心的な重要性を有しており、この独特の定式化の内容を明らかにすることが本研究の〔主たる〕課題となるであろう。・・・貨幣的均衡という概念はヴィクセル的テーマに沿うすべての貨幣的分析にとって必須の部品である」(『貨幣的均衡』pp. 30-31 )。
ミュルダールは自らの分析方法を内在的批判の方法(method of
immanent criticism)と名付ける19。それはヴィクセルの貨幣的理論の基本的骨格を高く評価する立場に立ちつつ、他方でそこにみられる多くの欠陥を批判しながら(とりわけヴィクセルの貨幣的均衡概念の批判的検討を通じ) 、独自の理論を織り混ぜて再構築しようというものである。
ミュルダールが採用する貨幣的均衡とは、Bのaで述べるように、「粗投資が貯蓄と実物資本の全予想価値変化の和(自由資本処分)に等しい状態」、わかりやすくいえば「投資と貯蓄が等しくなる状態」である。ここからの乖離としてミュルダールの累積過程の理論は展開されている。
ミュルダールの理論を検討する準備として、彼の基本的スタンスを明らかにしておくことにしよう。
a.理論的スタンス
ミュルダールが展開する累積過程の基本構図を示すことから始めよう。
投資の増減の重視20 ― 貨幣的均衡にあった経済において貨幣利子率が下落する場合、資本財の資本価値が上昇し、利潤マージンが増大する。企業家は「投資収益」(investment
gains)の獲得をめざして、より資本主義的な生産方法を採用する。つまり資本財の生産(投資)が増大するように生産構造をシフトさせる。この過程において粗投資と自由資本処分との乖離はますます大きくなる(貨幣利子率が上昇する場合は逆の現象が生じる)。
ミュルダールの累積過程論では、迂回生産の理論が採用されている。企業家は「投資収益」(利潤マージン) の獲得をめざしてより長い迂回生産過程(したがって投資の増大)を選択する。この意味で投資の増減は本質的な役割を演じている。Bのaで論じるように、ミュルダールはこれを投資関数として定式化している。この論点はヴィクセルがあいまいにしていた点であり、リンダールが厳しく批判した点である。
以下の3点はミュルダールの貨幣的均衡がもつ特質を示唆するものである。
諸価格のある特定の関係の確定 ミュルダールは、貨幣的均衡は諸価格のある特定の(specific)関係(実物資本と生産手段の価格、最終生産物の価格、操作費用の価格、信用の価格等の関係)を確定させるが、それ以外の(non-specific)関係を確定させるものではない、と考えている21。つまり貨幣的均衡が維持されているなかで、相対価格、価格水準、生産量、その他の何でも変わることができるというのである。
これはヴィクセルの定義とはまったく異なる。ヴィクセルにあっては、相対価格の不変は貨幣価格の理論においては当初から仮定されており、そのもとで貨幣的均衡は価格水準が一定になる状態として定義されている。
動学的状況下での規定 ミュルダールは、ヴィクセルおよび彼のすべての門人(ケインズやハイエクも含められている)が分析の出発点として「定常状態」(stationary
state)を採用している点22を批判し、真の貨幣分析は動学的状況のもとで貨幣的均衡を規定しなければならない、と論じている23。貨幣的均衡を、ケインズは生産費と生産物の価格の均等として、またハイエクは支払い手段額(貨幣量)の一定として定義している24。だがヴィクセルの分析は本質的に動学的であり、いかなる時点においても貨幣的均衡に達しているのかいなか、そうでない場合には上昇過程にあるのかいなかを検証できるものでなければならない。貨幣的均衡はすべての変化がたえず相殺されている経済の状況であり、その意味で不安定である。定常状態の想定から分析を開始するならば、問題を解決せずに回避することになる、とミュルダールは論じている。
貨幣的均衡と一般均衡の違い25 ― ミュルダールは貨幣的均衡と一般均衡(general
equilibrium) の主たる相違点を2つあげている。第1に、貨幣的均衡はそこからの乖離が累積的乖離を引き起こすのにたいし、一般均衡はふたたび元の均衡に戻ってくる。第2に、貨幣的均衡は全体系のうち諸価格のある特定の関係を確定させるにすぎないのにたいし、一般均衡は全体系を確定させる。
道具的意義としての貨幣的均衡26 ― ミュルダールは貨幣的均衡という概念が純粋に道具的(instrumental)意義をもつものである点を強調する。それは現実の経済的進展がヴィクセル的な累積傾向に従わないための必要条件を述べているという意味で、道具的であり、理論分析において現実の経済状況を判定する補助的な道具概念として役に立つ。
ミュルダールは理論的分析の場における貨幣的均衡と貨幣政策の場におけるそれを識別しており、上述のものは前者である。これにたいし、後者は確固とした計画をたてるさいの実行基準になるものである。
最後に、ミュルダールの経済学方法論に言及しておこう。
経済学方法論27 ― ミュルダールが『貨幣的均衡』で主として試みているのは理論的分析である。だが、彼は理論分析の意義を抽象的段階にとどまるものと考えているわけではない。彼によれば、抽象的理論分析は観察データという素材にたいし向けられた論理的に関連しあった設問の体系である。抽象的理論の理想状態は、完全な論理体系になることである。
だが理論自体は、現実についての重要な知識を含むことはできない。そこでミュルダールは、「常識」という要素の役割を次のような条件下で重視する。
「抽象的理論の領域における批判的経済学派の主たる仕事は、かくして抽象的理論に含まれるすべての常識を倦むことなく白日のもとにさらすことである。そのときこの常識は、あるケースでは仮説になるかもしれない。常識的要素を完全に排除することはできない。そのときには当初の設問はすべて現実との関係を喪失し、まったく恣意的なものになるからである。だがそれ〔常識的要素〕は公けの場に出され、含まれるすべての形而上学、受けのよい皮相性、ならびに誤てる結論から純化することが可能である。さらに、こうして常識によって支配される傾向のある科学的直観自身がより成果を生むものになる。さらには、さまざまの調査領域において、実証研究がどこでどのように常識に代わりうるかが明らかになる」(『貨幣的均衡』pp.213-214) 。
ミュルダールは、常識が純化されたうえで仮説として抽象的理論に組み込まれることにより、抽象的理論は論理的完全性と現実を反映させた(社会についての帰納的な知識)ものになる、と考えている。実証研究は、こうして定式化された理論の助けを借りて、できるかぎり観察可能で測定可能な量を用いてなされなければならない。これがミュルダールの方法論的立場である。
b.分析手法
ミュルダールは累積過程の理論を、特徴ある2つの分析手法を用いて展開している。
瞬時的分析(instantaneous analysis)28 ― ミュルダールは瞬時的分析(ある時点において存在する傾向の分析)と呼ぶ手法を採用している。彼は、この方法が、貨幣均衡概念ならびにそれとの関係でのある特定の状況決定にとり重要である、と考える。
累積過程の理論は本質的に動学的であり、その叙述には期間分析(period
analysis) が必要である。瞬時的分析はそのために必要な準備段階と考えられている。
「期間は2つの時点のあいだとして定義されるので、時点における瞬時的分析は、関連する動学的問題の完全な解決にとって準備的なものであるのみならず、これらの問題のさらなる分析の基礎としても必要である。実際、諸期間のあいだの進展についての分析のためには、〔関連する〕タ ムが瞬時的分析によって定義される必要がある」(『貨幣的均衡』p.43) 。
「定義される必要がある」タームには、資本価値、需要価格、供給価格のような概念のみならず、所得、収入、収益、費用、貯蓄、投資のようなフロー概念も含まれている。それらもまた計算される時点を参照しなければならないからである29。
「事前」と「事後」30 ― ミュルダールは「事前」と「事後」の区別の重要性を強調する。動学的な過程を分析する場合、期間という概念が採用されるわけであるが、期間の最初に(「事前」に)計算される経済量と期間の最後に(「事後」に)計算される経済量との違いを識別することがきわめて重要である。事前概念は予想や計画に基づいて計算され、経済主体の意思決定と密接に関連する。事前値は動学過程を推進する原動力となるものである。ミュルダー ルが『貨幣的均衡』で最も重視したことの1つは、貨幣的体系のなかに予想(anticipations)を取り込むことであった31。これにたいし事後概念は、その期間に実現した値である。彼によれば、貨幣理論は双方を用いつつ、両者の相互関係を調べなければならない。彼がケインズやハイエクを批判する主たる理由は、彼らの理論体系に不確実性(uncertainty) や期待(anticipations) の要素が欠落しているというものであった32。
以上に言及の各論点がもつ意味は、ミュルダールの理論を検討することによってより明らかになるであろう。
B.中心的な理論構造
a.基本構造
一般均衡理論と貨幣数量説からなる理論体系に疑問をなげたミュルダールは、真の貨幣的経済理論の出発点をヴィクセルの累積過程の理論に見いだした。そのうえで彼は、ヴィクセルの貨幣的均衡概念の内在的批判を通じて、独自の理論構築に努めたのである。そのため『貨幣的均衡』はミュルダールの積極的な貨幣理論が陽表的に展開される体裁になっていない。ここではミュルダールの理論体系を同書に散在する立論を整理することによって再構成することに努めてみたい。
ミュルダールはヴィクセルの提示した貨幣的均衡の3条件にたいして、それぞれ第4章「貨幣的均衡の第1条件:実物資本の収益」、第5章「貨幣的均衡の第2条件:「貯蓄」と「投資」」、第6章「貨幣的均衡の第3条件:「価格水準」」を割いて逐一批判的検討を加えている。
第1条件:貨幣利子率が実物資本の技術的限界生産力(自然利子率)に等しくなる。
第2条件:投資と貯蓄が等しくなる。
第3条件:価格水準が安定的であって変化しない。
ヴィクセルは、これら3つの条件は同値であると考えた。しかし彼はそれを想定しただけで証明したわけではない。ミュルダールはこれらを内在的に批判・検討することにより、次のような結論に達している32。
① 貨幣的均衡として重要なのは第2条件である。
② 第1条件は成立せず、貨幣利子率と自然利子率の関係は第2条件の成立によってみ条件付けられる。だが第1条件に含まれる立論は投資関数を内包するものであり、累積過程の理論を展開するうえできわめて重要である。
③ 第3条件は成立しない。
以下ではミュルダールの基本的な理論構造の検討を中心に行ない、必要に応じて上記の結論の論証過程に触れることにしよう。
貨幣的均衡の定義 ― ミュルダールは貨幣的均衡を、ヴィクセルの第2条件が成立する状態、つまり投資と貯蓄が等しくなる状態として定義する。ミュルダールはこれを次のように定式化している33。登場するタームは、すべて予想タームであり事前概念である。
R2= W =
S + D (1)
( R2は新投資の生産費、W は自由資本処分〔free capital disposal 〕、 Sは固有の貯蓄〔savings proper〕、D は予想減価-予想増価である) 。
つまり、粗投資は貯蓄と実物資本の全予想価値変化(現存資本の価値の予想減価-予想増価)の和に等しくなる、というのが貨幣的均衡の条件である。
「・・・第2の均衡条件は次のように定式化できる:もし貨幣利子率が一方に粗実物投資、他方に貯蓄+実物資本の全予想価値変化、すなわち現存実物資本の予想減価-予想増価の均等をもたらすならば、その貨幣利子率は正常(normal) である」(『貨幣的均衡』p.96) 。
粗投資の生産費R2は、初期時点に予想された割引現在価値である。企業がある量の投資を計画したさいに、必要な様々の費用を予想し、それらを初期時点にまで割り引くことによってR2は計算される。これが投資のための資金需要となる。
他方、人々が自由に処分できる資金も予想タ ムである。まず固有の貯蓄(以下、貯蓄と呼ぶ)であるが、これは「所得」のうち消費需要に用いられない部分と定義されている34。
Y - C = S (2)
(Y は所得、C は消費、S は貯蓄)
所得は「純収益」(net return) と呼ばれているものと同義であり、次のように定義される事前概念である35。
Y = B- (M + D )
(3)
B はある単位期間における粗収益についてのすべての予想合計額の割引現在価値である。M は同期間における粗費用についてのすべての予想合計額の割引現在価値である。D は予想価値変化であり、実物資本の現在の価値と当該単位期間の終りに予想される価値との差額であり、これも割引現在価値として計算される。B 、M 、 Dはいずれも予想タームであり事前概念であるから、ある単位期間の純収益であるY もそうである。これがミュルダールのいう所得という概念である。事前概念である所得から消費を引いたものとして定義されている貯蓄もまた事前概念である。
新投資(これは粗投資である)の生産費R2は企業家によって予想され、必要資金として需要されることになる。これにたいし公衆が供給できる資金( 自由資本処分) は貯蓄に予想減価-予想増価を加えた額である。
新投資と自由資本処分は異なった経済主体によって決定される事前の概念であり、等しくなるとはかぎらない(事後的には新投資額と自由資本処分はつねに等しくなる、とミュルダールは考えている。これはその差額を銀行が供与するからである)。むしろ一般には等しくならないというべきである。資金需要は予想に基づき実際に需要されるが、自由資本処分がその額を供給できる保証はどこにもないのである。貨幣的均衡は両者が等しくなる状態のことであり、それは特別の状態である。
以上の定式化を、ヴィクセルの立論のなかに見いだすのは困難である。あくまでもこれは、ミュルダール独自の定式化であることに、あらためて注意を払う必要がある。
投資関数 ― さて経済が貨幣的均衡からスタートしたとしよう。これから先の議論において最も重要なのは投資関数である。経済変動の原動力をなすものとして位置づけられているからである。
個別企業の投資関数は利潤マー ジンの関数として定式化されている36。
r2′= f (c1 ′- r1 ′)= f(q) (4)
(r2′は新投資の生産費、c1′、r1′は現存実物資本のそれぞれ価値、再生産費、q は利潤マージン)。
現存実物資本の価値、再生産費、および新投資の生産費は最初の時点での割引現在価値であり、事前概念である。利潤マージンは現存実物資本の価値からその再生産費を引いたものとして定義されており、キャピタル・ゲインという特質をもつ。
経済全体としての投資関数は次のように定式化されている。
R2 = F (Q) (5)
Q = Σw (c1 ′-r1′) (6)37
全体としての利潤マージンQ は、個々の利潤マージン c1 ′-r1′を個別企業の投資関数の投資反応係数(coefficients
of investment-reaction) 38で加重( w がそれを示す) して得られる。また以下の議論では、資本価値は敏感に変動するのにたいし、再生産費は多くの非伸縮的価格を含むため非伸縮的である39、という経済認識が重要になってくる。
投資関数をめぐる議論は、貨幣的均衡の第1条件(貨幣利子率が自然利子率に等しくなる)を批判的に検討した第4章で展開されている。ミュルダールは次のような議論40を通じて、上記の投資関数を措定したのである。
① 貨幣や信用を含む体系では、自然利子率は計画された投資の収益率(純収益を生産費で除したものとして定義)として再定義されねばならない。
② 自然利子率と貨幣利子率の差は、計画された投資の資本価値と生産費の差として 表現でき、さらにそれは現存資本の価値とその再生産費の差( 利潤マージン) に置き換えることができる。
そのうえでミュルダールは、利潤マージンがゼロになることは動学的条件下の貨幣的均衡の基準にはなりえず、ヴィクセルの第1条件は成立しないと論じた。貨幣的均衡にあっても、投資を十分に刺激する利潤マージンが存在するのである。このようにミュルダールにあっては、第1条件は否定されているが、その議論のなかに潜在的に含まれているとされる投資理論が、動学過程の分析にとっての重要な要素として陽表的に取り出されるのである。
ミュルダールのいう投資概念には若干のあいまいさがみられる点に注意が必要である。一方で、それは迂回生産構造のなかで理解されるもので、投資資金は最終生産段階に至る前のさまざまの生産段階で利用される生産手段、中間生産物等の購入に向けられるものとしてとらえられる( ミュルダールは迂回生産の理論を採用している) 。他方、それは固定資本にたいする需要としてもとらえられている。
ヴィクセルの場合、「賃金- レント基金説」の立場がとられ、投資概念は前者に限定されており、固定資本についてもそれを「レント稼得財」としてとらえることにより、前者の立論を貫徹しようとしている。ミュルダー ルの場合、投資関数については後者の立場がとられ、その後の議論は前者の立場がとられているのである(ミュルダールは「賃金- レント基金説」を採用していない) 。
消費財 ― 次に取り上げるのは消費財をめぐる分析である。そこには2種類の議論がみられる。
1つは既出のリンダールの基本方程式であり、所得のうち貯蓄されない部分は、販売される消費財の量にそれらの価格水準を乗じたものにつねに等しい41。
Y -S = P1 ・O (7)
(O は消費財の生産量、 P1 は消費財の価格水準) 。
決定される変数は消費財の価格水準である。消費財の生産量は迂回生産の理論によって決定されると考えてよいであろう。
ヴィクセルの場合、前期の超過利潤に応じて今期の企業家の必要資金額が決まり、それが「賃金-レント基金説」により所得として生産要素保有者に前払いされる。それが所与の生産量とのあいだで消費財の価格水準を決定するというのである。これにたいしミュルダールの場合、所得は期首における事前概念であり、消費支出もそうである。これと期末に迂回生産の理論により決定される生産量から消費財の価格水準は決定される。したがって両者のあいだには、微妙な相違がみられるのである。
もう1つの議論は、消費財価格の水準の上昇(下落) は予想を通じて資本価値を上昇(下降)させるという考えである42。ミュルダールは累積過程を論じるさいに、この考えをきわめて重視している。
ΔC1 = Φ( ΔP1 )
(8)
(ΔC1は現存実物資本の価値変化、ΦはΔP1の増加関数である)。
ミュルダールの理論体系 ― 以上でミュルダールの理論体系に登場してくる基本的な概念ならびに方程式は出そろったといってよいであろう。まとめて示すと、次のようになる。
|
R2= W =
( S + D ) (1)
|
|
Y = B- (M + D ) (3) Q
= Σw (c1 ′-r1′) (6) R2 = F (Q) (5)
Y - C = S (2)
Y -S = P1 ・O (7)
| ||
ΔC1 = Φ( ΔP1 ) (8)
|
(1)は貨幣的均衡を示している。
第2のブロックにある式は、各単位期間において成立する。(3)では所得Y が粗収益B,粗費用 M, 予想価値変化D という予想値から計算される主観的な概念である。現存実物資本の価値c1′、その再生産費r1′は期初に予想され、その結果として全体としての利潤マージンQ が決まる((6)) 。
このQ をもとに企業家は投資額R2を決定する((5)) 。この投資額は必ず実現されると考えてよい。ヴィクセルの場合と同様に、銀行はいかなる量の信用をも自由に供与できるという想定(freie Valuta) 43 がとられているからである。この投資額は需要額である。これにたいし、当該期間に何らかのメカニズムにより投資財の生産量が決定され、その結果投資財の価格が決定される、といった考えは採用されていない。ミュルダールにあっては、現存実物資本の価値が重視されており、しかも決定した投資額は迂回生産構造のうち中間生産物の段階に向けられると想定されている(この点がすでに言及のあいまいな箇所である)。
貯蓄が何らかのメカニズム(ミュルダールは所得と貯蓄のあいだに特定の関数関係を設定してはいない)によって決定されたならば、消費財への需要C は(2)から決まる。(7)はこの消費需要と迂回生産メカニズムによって決定された消費財の産出量から価格が決定されることを示す。
以上で、ある単位期間でのすべての変数が決定される。(8)は、消費財価格の上昇が次期の現存実物資本の価値C1におよぼす影響を表現している。
b.累積過程の進行
ミュルダールは以上の基本体系(1ヵ所に提示されているわけではない)に基づき、主たる変化が何によって生じたのかに応じて、累積過程をいくつかのケースに分けて論じている。いずれも、当初貨幣的均衡にあった経済が、主たる変化の発生によって投資と自由資本処分のあいだの乖離が累積的に拡大していく状況を説明しようとしている。
ケース1:予想の(上方への)変化44 ― 当初、経済が貨幣的均衡( R2= S + D )の状態にあったとする。そこに実物資本の将来収益についての予想の上方への変化が生じたとしよう。この変化により、均衡条件の両辺にどのような変化が生じるであろうか。
この予想の上方への変化は、実物資本の価値を上昇させる。他方、実物資本の再生産費は非伸縮的な価格を多く含んでいるために、あまり変動がないと考えられる。その結果、利潤マー ジンが上昇するため、投資関数を通じて投資需要の増大が生じる。
自由資本処分の動きはどうであろうか。所得は資本価値(-D) が上昇するために増大する。いま消費財需要が不変であるとすれば、貯蓄は所得と同額増大することになる。このとき実物資本の「減価-増価」D は同額だけ減少しているから、自由資本処分は不変に保たれることになる。
以上の結果、投資需要が自由資本処分を超過し、ここに貨幣的均衡は崩れ、上方への不均衡が出現する。この投資需要額のうち自由資本処分によってまかなえない部分は、銀行の信用創造によって供給される。これがミュルダール的上昇過程の始まりである。
もし所得の増大の一部が消費財需要に回された場合には、貯蓄の増え方はその分少なくなり、自由資本処分は当初から減少することになる。したがって投資需要は増大、自由資本処分は減少となり、不均衡の状態はより明瞭に開始される。またこのときには消費財の価格上昇が生じやすい。
さてこの結果、生産財にたいする需要( 投資需要) が増大し、それらの価格も上昇する。そのため所得のさらなる上昇、消費財需要の増大が生じ、消費財価格が上昇する。すると企業家の予想が楽観的になるため資本価値が上昇し、投資需要のさらなる増大が生じる。こうして投資需要と自由資本処分との乖離はますます増大していくことになる。
以上の立論では、次の3点に注意する必要がある。
① 非伸縮的な価格(たとえば信用契約、独占等)が価格体系において果たす役割が重視されている45。とりわけ、それは下降過程において重大な意味をもつとされる。たとえば貨幣賃金の下方硬直性により、不況期にはより多くの失業、より大量の減産、より多くの貨幣所得の減少が発生することになる。
② 消費財価格の変化は累積過程に加速度をつけるものとして重視されている46。
③ 所得に占める消費財支出の関係について、発達した資本主義経済には不況期に消費支出は所得の減少ほどには減少しない(つまり消費性向が高い)傾向が、制度的・政治的にみられると論じられている47。
ケース2:貨幣利子率の(下方への)変化48 ― 当初、経済が貨幣的均衡の状態にあったとする。そこに貨幣利子率の下落が生じたとしよう。
このとき、生産費にくらべての資本価値の上昇( 利潤マージンの上昇) 、したがって投資需要の増大が生じる。
他方、貨幣利子率の下落は減価の増大と増価の減少をもたらすので、所得は減少する。このとき消費財需要が不変であると想定すれば、貯蓄は減少することになる。この減少額は「減価-増価」の増大額と等しく、したがって自由資本処分は不変である。
以上の結果、経済は貨幣的均衡から上方へ乖離することになる。
貨幣利子率の下落により、予想は遅かれ早かれ楽観的な方向に変化する。このとき、消費財需要が不変のままであるとすると、自由資本処分は変化しないが、他方、資本価値のさらなる上昇( したがって利潤マージンのさらなる上昇) を通じて、投資需要のさらなる増大がもたらされることになる。
予想の上昇により所得は上昇するが、このさいに消費財需要も増大するならば自由資本処分は減少する(ケース1 を参照) 。他方、予想の上昇により投資需要はさらに増大する。以上の結果、累積的上昇過程が進行することになる。
ケース3:貯蓄の(下方への)変化49 ― 当初、経済が貨幣的均衡の状態にあったとする。そこに貯蓄の減少が生じたとしよう。
貯蓄が減少すると自由資本処分が減少する。
他方、貯蓄の減少は消費需要の増大をもたらし、消費財の価格を上昇させる。このことは企業家の予想を楽観的にさせることによって、資本価値を増大させ(したがって利潤マージンの増大)、投資需要の増大をもたらす。
以上の結果、経済は貨幣的均衡から上方へ乖離することになる。
その後は、楽観的な予想が投資需要の増大をもたらす一方、貯蓄の減少は自由資本処分の減少をもたらすために、上方への累積過程が進行することになる。
ミュルダー ルはこの立論に基づいて、貯蓄の減少は不況を緩和させ、他方貯蓄の増大は不況を激化させる、と判断を下している50。これは一種の「貯蓄のパラドックス」である。
ミュルダールの累積過程理論 ― 以上がミュルダール流の累積過程分析である。そこでの基本的な論法をまとめてみると、次のようになる。
貨幣的均衡にあった経済に何らかの主たる変化が生じたとき、最初の衝撃は、一方で実物資本の価値にくわえられる。これにたいし生産費はそれほど変化しない。したがって利潤マージンに変化が生じ、企業家は投資需要を変化させる。この投資需要は freie Valuta の仮定により、必ず資金調達ができると考えられている(以上を「第1ルート」と呼ぶことにする)。
主たる変化が生じたとき、最初の衝撃は、他方で資本価値の変化を通じて所得に影響を与える。それが貯蓄ないしは消費需要を変化させる(ケース1と2。ケース3では、直接貯蓄を変化させる)。その結果として自由資本処分の大きさが決まってくる(以上を「第2ルート」と呼ぶことにする)。
「第1ルート」と「第2ルート」の結果、貨幣的均衡が崩れ、経済は上方か下方のいずれかの過程を歩み始める。自由資本処分は、ハイエク的にいえば自発的貯蓄51、ロバートソン的にいえば自発的ラッキング52であり、公衆の自発的な意思により決定され、経済に供給される貨幣資金である。したがって投資需要と自由資本処分との差額は、銀行組織によって供給されることになる(これは必ず実現されると想定されている)。貨幣的均衡の崩壊を資金調達の側面からみると、一種の「強制貯蓄」の問題になる(以上を「第3ルート」と呼ぶことにする)。
次に生じる事態は、投資財需要と消費財需要の変化が生産構造に変化をもたらすという点である。両需要の変化は迂回生産の過程を変化させ、両財の生産量に変化を生じさせるのである。ミュルダールはこの点に少ししか言及していないが53、2のAで述べたところからも明らかであろう(以上を「第4ルート」と呼ぶことにする)。
次に、消費財価格水準の変化ならびに予想の変化が生じる。前者は「リンダールの基本方程式」と関係し、後者は8式に関係する。後者は経済変動を累積的にする重要な要因と考えられている(以上を「第5ルート」と呼ぶことにする)。
ミュルダールの累積過程の理論は、以上に示した5つのルートで構成されている。このうち第1は投資需要、第2は自由資本処分に関係する。第3はその結果、経済が貨幣的均衡からいずれかの方向に乖離することを示す。銀行は必要な投資資金を供与する。これが「第1段階」である。
第4は迂回生産構造に関係するもので、資本財や消費財の生産量に変化が生じる。第5は消費財価格の決定および累積過程を促進する要因に関係する。これが「第2段階」である。 したがってミュルダールの累積過程の理論は、2つの段階から構成されているといってもよいわけである。以上を図示したものが図4―1である。
「基本構造」で述べた方程式体系では、第4ルートである迂回生産構造の扱いが欠落している。ミュルダー ルの立論を完全なものとするためには、この点を明示化する必要があるが、ミュルダー ル自身はそれにたいして、何の措置も講じていないようである。
ところでヴィクセルの貨幣的均衡の第1条件、および第2条件についてのミュルダールの見解に関しては、折りにふれて言及したが、第3条件(一般価格水準が一定の値に維持されていること)についてはふれる機会がなかったので、ここで簡単に述べておくことにしたい。
ミュルダー ルは第3条件は成立しないと論じる。その根拠は、貨幣的均衡とは投資と自由資本処分が均等している状態のことであり、この状態はある特定の価格関係(実物資本、生産手段、最終生産物、操作費用、信用の各価格等の関係)54を確定するにすぎず、絶対価格の水準を確定するものではない、というものである。つまり貨幣的均衡が維持されている状態で、絶対価格の水準はどのように変化することも可能である、と考えられている。価格水準の進展は貨幣的均衡とは無関係なのである。
ミュルダールはこの議論に関連して、貨幣的均衡を維持するために必要な価格指数に言及している(彼は次章で検討するハイエクとは異なり、価格指数そのものの意義を否定しているわけではない)。それは、諸価格の反応の粘着性(stickiness)との関連で(第1原理) 、さらに利潤可能性の計算、したがって実物投資におけるそれらの相対的重要性との関連で(第2原理) 、個々の価格を加重することによって算出されるものである55。
しかしながらミュルダー ルは、この価格指数も投資と自由資本処分の均等により定義される貨幣的均衡にとって補助的役割を演じるにすぎない、と論じている。状況の均衡的特徴は、一般的価格の動きを研究するだけでは、十分には特徴づけることができないのである56。
3.ミュルダールの経済政策観
ミュルダール理論の中心的な構造は以上に示したとおりである。では彼はそれに基づいて、どのような経済政策を提唱したのであろうか。この点をみることにしよう。
「貨幣的均衡の無差別領域」(indifference field
of monetary equilibrium)57 ― ミュルダ ルの経済政策観を理解するためには、「貨幣的均衡の無差別領域」という概念に注目することが重要である。これは、現実には多種類の利子率が存在するという事実に着目するもので、1つの貨幣的均衡をもたらす利子率の組み合わせは複数存在する、という考えである。
1つの例で示すことにしよう。いま貨幣的均衡にあった経済にたいし、中央銀行が割引率を変更したとする。このことによっていくつかの利子率に変化が生じるであろう。しかし中央銀行は同時に、割引率以外の手段で他の利子率の水準に影響を及ぼすことによって、そうでなければ経済が貨幣的均衡から脱落するのを防ぎ、元の貨幣的均衡を維持することができる。この場合、同じ貨幣的均衡をもたらす2種類の利子率セットが存在することになる。
割引率政策の無効性58 ― ミュルダールは、貨幣的均衡をもたらすうえでの割引率政策の有効性にたいして懐疑的である。彼は、信用政策というものは通常思われているほどには効果がないことを示そうとして、次のような議論を展開している。
たとえば当初、貨幣的均衡にあった経済において、信用条件を厳しくするような割引率政策がとられたとしよう。このとき資本価値の減少、利潤マー ジンの減少、投資需要の減少・・・といったすでに言及したメカニズムによって、下方への累積過程が進展することになる。
しかしながらミュルダールは、このような累積的下降過程の進展が拒まれ、経済が貨幣的均衡に向かって回復していく可能性があることを示唆する。その根拠として彼は、今日の資本主義社会においては、さまざまの制度的・政治的要因により消費慣習が相対的に固定化されていること、および消費財需要の安定性をあげている59。消費財への支出の安定は消費財価格の安定を意味し、ひるがえってそれは資本価値の安定をもたらすため、利潤マージンの安定、したがって実物投資の安定をもたらすと考えられているからである。
これは一種のビルト・イン・スタビライザーである。
このようにミュルダー ルは現実の経済には、累積過程にある程度の制約が組み込まれていると考えている。他方彼は、貨幣賃金のような非伸縮的価格の存在は、累積過程の進行を加速化させる要因として作用すると考えている。
貨幣的均衡の中味 ― ミュルダールの貨幣的均衡は経済の理想の状態を意味するものではない。あくまでもそれは、投資と自由資本処分が均等するという意味であり、それ以上でも以下でもない。それは理論分析のツールとして考案されたものである。
ミュルダールの考えている貨幣的均衡の中味を理解するためには、次の例が有益である。
いま緊縮的な信用政策がとられたとする。しかし上記のような理由で経済が累積的下降過程をたどることなく新しい貨幣的均衡に到達した場合の状況を、ミュルダールは次のように描写している。
「新しい均衡は次のように特徴付けられるであろう。消費財の価格水準はほぼ変らない。資本価値は高い利子率・・・に対応して十分に低いであろう。いくぶん低い賃金、とくに資本財産業においてそうである。おそらくかなりの失業、とくに資本財産業においてそうである。全般的に、しかしとくに資本財産業における生産量の制限(生産のより短期の〔迂回生産〕構造を意味する)。・・・全般に制限され、維持するためのより小さな迂回生産装置を有する実物投資に自由資本処分が対応するに十分な貯蓄の減少」(『貨幣的均衡』p.169 )。
つまり、投資と自由資本処分の均等(貨幣的均衡)が維持されている場合でも(双方の値は変化を続けることができる)、景気循環(価格、生産量、雇用量等の特徴的な動きによって特徴付けられる)は生じる60。貨幣的均衡が保証するのは、そこからの乖離がもたらす累積的・加速度的な一方方向への進展が阻止されるという点だけである。
2つの経済政策観批判 ― ミュルダー ルは、一種のポリシー・ミックスなら
びに「貨幣的均衡の無差別領域」の見地から、次のような経済政策観に批判をなげかけている61。
① 資本市場が十分に安定している、あるいは安定的な価格関係が成立しているという状況から、貨幣的均衡を維持する最適な信用政策がとられていると判定すること:これは誤りである。貨幣的均衡はより厳しい(より緩和された)信用政策と、より多い(より少ない)生産量・雇用量、およびより厳格な(より緩和された)社会政策の組み合わせ(ポリシー・ミックス)によっても達成が可能である。
② 信用政策、とくに割引率政策はある所与の状況を有効にコントロールし安定化させることができると判断すること:これは誤りである。安定化は非常に複雑な原因からなる体系の結果にほかならないからである(「貨幣的均衡の無差別領域」)。
図5― 1 ミュルダールの累積過程理論
主たる変化*
(第1ルート) (第3 (第4 ル ー (第5ー
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利潤マ
ー
ジンの変化
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投資
需要の
変化
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ルー ト) ト) ル ー ト)
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実物資
本の価
値変化
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貨幣的
均衡の
崩壊
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迂回生産構造の変化
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消費財価格および予想
の
変化
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(第2ルート)
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貯蓄・消
費の変化
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自由資本
処分の変
化
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差額の
銀行に
よる
信用供
与
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所得の 変化
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第1段階
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第2 段階
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*予想の変化、貨幣利子率の変化、貯蓄の変化。ただし貯蓄の変化は第1 ラウンドでは、
所得の変化を飛び越えて進む。
つまりミュルダールは、貨幣的均衡の達成には複数の政策手段の利用が可能であり、1つの信用政策のみで一義的に経済をコントロールできるという政策観に反対している。この点で彼は、ヴィクセルや『貨幣論』のケインズの経済政策観を批判していることになる。
貨幣政策の規範としての貨幣的均衡62 ― ミュルダールが主として論じているのは、理論的分析ツールとしての貨幣的均衡であった。しかし彼は、副次的に貨幣政策の規範としての貨幣的均衡についても検討を行なっている。
ミュルダールは、貨幣政策の規範としての貨幣的均衡を設定する主要な目的は、景気循環を完全に除去、ないしは少なくとも緩和することである、と述べている。貨幣的均衡から乖離すると、経済は一方方向に累積的に進んでいくからである。貨幣政策は貨幣的均衡を継続的に維持することを規範とすべきである。
ミュルダールの立論では、たとえ貨幣的均衡が維持されたとしても、景気循環が完全に除去されるとはかぎらない。にもかかわらず貨幣的均衡からの乖離がもっと深刻な景気循環をもたらすがゆえに、それを防止することには重要な意義がある、とミュルダールはいう。
しかし貨幣政策の目的をこのように設定したとしても、実際には「貨幣的均衡の無差別領域」という問題があり、どのような信用条件の組み合わせを実施するのかについては様々なケースが考えられる。この点についてミュルダールは一応、利子率の「標準的な組み合わせ」のケースを想定したうえで議論を進める63。
当初貨幣的均衡にあった経済が、生産費の上昇により貨幣的均衡からの乖離が生じたとしよう。貨幣政策は信用条件をコントロールするという手段をもつにすぎないから、この手段を用いて、生産費の上昇にあわせてたえず資本価値に影響を与えていく必要がある。貨幣当局は生産費に直接的影響を及ぼすことはできないのである。
このようにして景気変動を除去できたとしても、生産費のたえざる変化につれて資本価値が変化していき、ついには貨幣的均衡が継続するなかで、全般的な価格の上昇運動が生じることになる。ここに金融政策を通じて、景気変動と価格の安定化を同時に達成することが不可能になる事態が生じる64。
そこで景気変動の除去を主とし、他方でできるかぎりの価格の安定化を目指すとすれば、粘着的な価格からなる指数を安定化させるのがよい(それは賃金の安定化をもたらすであろう)、とミュルダールは述べる。これは予想を安定化させるうえでも有効である。
かくしてミュルダールの結論は次のようになる:さまざまな価格の粘着性、利益可能性や実物投資にとってのそれらの意義にかんして加重された価格指数をできるだけ安定化させることと両立しうる貨幣的均衡を達成させる65。
貨幣政策の目標批判 ― ミュルダールは、貨幣政策の目標としてしばしば提唱される次のような見解にたいして批判的である66。
①貨幣政策は価格水準を安定化させることを規範とすべきである:これにたいしてミュルダールは、次のように批判している。これらを主張するすべての真剣な試みは、第1に「貨幣的均衡の無差別領域」の問題を無視している。第2に、価格関係への効果が一様ではないこと、また信用条件の変化以外の主要な変化があることを無視している。第3に、さまざまの価格にたいして異なった粘着性をもたらす制度的要因が存在することを無視している。
②貨幣政策は雇用を最大にすることを規範とすべきである:これにたいしてミュルダールは、次のように批判している。そのような目的をもつ政策は、全般的で累積的な価格運動をもたらすか、そうでなければ非常に広範におよぶ市場の規制を必要とするであろう。
以上にみられるように、ミュルダールの経済政策観は微妙なバランスのうえに築かれている。根底に「貨幣的均衡の無差別領域」という概念があり、1つの利子率政策という考えにまず疑問が呈せられる。かりにこの問題を「標準的な組み合わせ」を想定して回避したとしても、本来的には貨幣政策は他の経済政策との関連で論じられる必要のあることが強調される。さらにこの点を貨幣政策の他の政策からの独立性ということで回避したとしても、貨幣政策が有効に働くかいなかに疑問が呈せられる。この点を回避できたとしても、景気変動と価格の安定化を同時に達成するのは難しい、というポリシー・ミックスの議論が登場してくる。上述したミュルダールの結論も、以上のような重層的フレイムワークのなかでとらえてのみ意味がある。このような周到な考察は、ヴィクセル、ハイエク、および『貨幣論』のケインズにはみられないものである。
4.ミュルダール理論の位置づけ
ミュルダールは、相対価格を説明する価格理論と絶対価格を説明する貨幣理論からなる正統的経済理論は内的関連性に欠けているという批判から出発した。そのうえで、貨幣理論が中心的な価格理論と真に統合される必要性を訴えたのである。それは貨幣数量説ではない貨幣理論、一般均衡理論ではない価格理論を構築する必要性であった。この認識は、第5章で検討を加えるハイエクの認識と軌を一にするものである。
ミュルダールはこの課題を、ヴィクセルの累積過程理論(とくに貨幣的均衡の3条件)を内在的に批判・検討することを通じて具体化することに努めた。そこでは事前概念による分析が方法的な出発点にすえられ、貨幣的均衡は投資需要と自由資本処分の均衡が成立する状態として規定されている。この貨幣的均衡からの乖離をもたらす最も重要な要因として、資本価値の変化、および利潤マージンに依存して決定される投資関数が強調される。消費財の価格水準は所得のうち貯蓄されない部分と販売される消費財の量によって決定されるが、この価格水準の変化も累積過程の進展にとりきわめて重要なものと考えられている。それが資本価値の変化をもたらすと考えられているからである。
ミュルダール理論は、ヴィクセル理論にたいする内在的批判から始まっているとはいえ、本質的には独創的である。ヴィクセルの理論には投資と自由資本処分を陽表的にすえた分析は、ほとんどみあたらないからである。しかも彼は、ヴィクセルとは異なり、相対価格、迂回生産構造の問題を貨幣的経済理論のなかに陽表的に取り込んでいる。
とはいえ、ヴィクセル理論は表面的な相違以上に、ミュルダール理論のなかを流れているのも事実である。このことは、第1章でのヴィクセル理論検討の結論として得た次の点が、ミュルダール理論にも継承されている(ただし、自然利子率は除く)のに気付くならば、明らかとなるであろう。
自然利子率と貨幣利子率の乖離は、企業家に超過利潤をもたらすがゆえに、生産拡張意欲にかられる企業家をしてより多くの資金を調達するように行動せしめる。この結果、生産要素の獲得する所得、したがって消費需要(総需要)が増大するため、価格の上昇が生じる。ヴィクセルの累積過程の理論の根底をなすものは、総需要と総供給による消費財価格の決定という点にある。
ミュルダールの経済政策観は、ヴィクセル、ハイエク、ならびに『貨幣論』のケインズとくらべ、著しく微妙な経済認識のうえに立っている。「貨幣的均衡の無差別領域」という発想はその最たるものであり、単線的な割引率政策にたいし、彼は非常に批判的である。
ヴィクセル、ハイエク、ケインズとの比較 ― これらの経済学者のあいだの比較検討をするには、ハイエク、ケインズの理論の検討がなされる必要がある。そのために本稿ではそれぞれ第3章、第4章をさくことにしているし、また本格的な比較検討は、第5章において行なう予定である。ここでは、それらを若干先取りしながら、ミュルダールとの比較を簡単に行なっておくことにしよう。
ミュルダールの理論は、正統的経済理論にたいする批判的認識において、ハイエクと軌を一にしている。しかし実際に展開された理論となると、両者にはかなりの相違がある。ハイエクの理論は貨幣数量が一定であるかいなかが1つの重要なメルクマールになっており、そのもとで支出が消費財に向かうのかそれとも生産財に向かうのかにより相対価格および迂回生産の構造が変化する、という点が分析の中心を形成している67。そこではミュルダール理論とは異なり、予想という要因は何の役割も果たしていない。またヴィクセル理論、ミュルダール理論、およびケインズ理論とは異なり、貨幣量の不変・可変が議論の展開において重要な役割を演じている。ミュルダール理論は迂回生産構造理論を継承している点ではハイエク理論と同じであるが、具体的な分析においては陰に隠れている観がある(少なくとも立論の一部にすぎない)。
ミュルダールはケインズにたいして批判的であった。その基本的な理由は、『貨幣論』のケインズ68が貨幣的均衡の3条件をはじめとしてヴィクセルの理論構造を無批判的に受け入れている点、ならびに貨幣利子率一辺倒の経済政策観を抱いていた点であろう。ミュルダールの目には『貨幣論』のケインズは、ヴィクセル理論の亜流として写っていたように思われる。この点は、弱気関数の理論を除けばかなりあたっているように思われる。事実ミュルダールが『貨幣的均衡』で展開したさまざまの立論(投資関数、予想を重視した理論構成、投資と貯蓄、所得の定義、消費性向の安定性などにみられる資本主義経済の安定化要因の検討、政策的検討にたいする慎重さ等)は、『一般理論』においては数多く取り上げられていくことになるのである69。
5.補論:リンダールの理論
本稿の第2章で述べたように、ミュルダールの『貨幣的均衡』は、同じストックホルム学派に属するリンダールの理論から多くの影響を受けている。実際、ヴィクセル・コネクションの広がりを明らかにするうえでも、またストックホルム学派の広がりを明らかにするうえでも、リンダールの存在はきわめて重要である。そこで1930年にスウェーデン語で発表されたリンダールの「利子率と価格水準」(『貨幣および資本理論の研究』〔1939〕所収)に基づき、リンダールの問題意識ならびに具体的に展開された理論構造をやや詳細に検討してみることにしよう。
(ⅰ) 問題意識
a.貨幣数量説批判
リンダールは貨幣数量説にたいして批判的立場をとっている。その根拠はヴィクセル的であり、現代経済の本質的特徴である「組織化された信用経済」を分析するのに役立たないという点である。
「これら2つの要因〔貨幣価値の変化と支払い手段の量〕の関係はいくつかの点で重要であり、それゆえに貨幣数量説は貨幣理論の意義ある部分としてつねに残るであろう。しかしそれは満足でかつ一般的に有効な貨幣価値変化の説明には至らない。このことは、貨幣問題についてのわれわれの扱いが基づくところの単純化された想定...、とりわけ社会には現金保有が存在しないという意味の想定のもとでは、貨幣数量説は完全に失敗することに気付くとき、もっとも明白になる。一般性を主張する貨幣価値にかんする理論であれば、この種の社会における価格水準の変化を説明できる状況になければならない。それゆえこの問題は何か他の出発点から攻めなければならない」(『貨幣および資本理論の研究』〔1939〕p.141)。
リンダールが「他の出発点」として求めたものは、「消費財価格の基本方程式」である70 。
E (1-s) = PQ
(E は全名目所得、s は所得のうち貯蓄される割合、P は消費財の価格水準、Q は消費財の量で、いずれもある単位期間において定義される。)
この式から、P はE (1-s) / Q によって決定される。
リンダールは続いて、所得、貯蓄および消費財の量が主要原因によってどのように影響を受けるかの検討を行なっている71 。所得については、貨幣当局の利子率政策、資本資産の量、生産に影響をおよぼす条件および諸個人の期待と価値評価に影響をおよぼす条件、貯蓄については、貨幣当局の利子率政策、国民所得の規模と分配、現在と将来の比較考量にかんする諸個人の心理的態度、また消費財の量については、貨幣当局の利子率政策、生産性条件の変化、諸個人の心理的見地、がそれぞれ主要原因として指摘されている。
後述するように、リンダールの理論は投資と貯蓄を中心に展開されているが、そこではこの基本方程式が背後で重要な役割を演じている。貯蓄は所得から消費を引いたものであり、消費財価格の決定は貯蓄の決定と密接に関連しているからである。
b.価格理論批判
リンダールは価格理論の現状について、それは均衡状態における相対価格を決定するにすぎず、動学過程における価格問題を扱うことができていない、と論じる。彼にとって本質的に重要なことは、動学過程における価格問題(それは主として利子率の問題である)を扱える理論の構築であった。この認識はミュルダールにも明瞭にみられる。
「...もしその理論〔価格の一般理論〕が動学的条件に拡張されるならば、それは各期間における相対価格のみならず、動学過程に含まれるさまざまな期間のあいだの価格関係を含むものでなければならない。もしこれらの「通時的」価格関係の平均が考案されるならば、さまざまな期間における価格水準の相対的位置のための表現が見いだされる。かくして貨幣価値の変化についての理論に到達することが可能になるであろう」(『貨幣および資本理論の研究』〔1939〕pp.141-142) 。
こうしてリンダールは、「組織化された信用経済」の想定のもと、ヴィクセル的路線に沿った貨幣経済理論を展開するのである。
c.ヴィクセル理解
リンダールは、ミュルダール同様、ヴィクセル理論に内在的批判を加えながら、自己の理論を構築している。内在的批判の中心的論点は、ヴィクセル理論で重要な役割を演じている概念である「自然利子率」を棄却するという点である。そして彼はミュルダールとは異なり、そもそも貨幣的均衡という概念そのものを採用しないがゆえに、ヴィクセルの貨幣的均衡の3条件の同値性を否定する立場に立っている。リンダー ルのヴィクセル理解を理解するためには、ヴィクセルの貨幣的均衡の3条件に関連させながら論じるのが便利である。
第1条件に登場する自然利子率と貨幣利子率との関係からみることにしよう。
自然利子率は貨幣利子率から独立してはいない。それは貨幣利子率に依存しており、毎期間、貨幣利子率に調整して等しくなる。したがって貨幣利子率と自然利子率を識別する意義はない72 。
自然利子率が貨幣利子率に調整していく過程を、リンダー ルは次のように述べている。
「ある期間における実物利子要因〔自然利子率〕は将来生産物の予想価値...とその期間に投資された価値との関係として表わすことができる。しかしながら投資されたサーヴィスの価格は企業家の需要に影響され、ひるがえってこれ〔投資家の需要〕は借り入れ利子率自身によって影響される。この率が低いとき、実物資本の生産に投資されるべきサーヴィスへの需要が上昇し、それゆえ投資された価値は現行借り入れ率での利子に耐えると考えられる点にまで上昇する。反対に、高い借り入れ利子率はその期間に投資されるすべてのサーヴィスの価格に圧力をかけ、実際の収益性もまた、この状況下では、借り入れ利子率に一致するであろう。したがってここで定義された資本にたいする実物利子率は各期間ごとに実際の借入利子率に調整する傾向のあることがわかる。したがって各期間における実物利子率と借り入れ利子率の一致は、後者を「標準的」と特徴づける基礎を提供するものではないのである」(『貨幣および資本理論の研究』〔1939〕pp.248-249) 。
つまり、各期間に自然利子率が貨幣利子率に等しくなる点で投資価値は決定される、とリンダールは考えている。ミュルダールの場合、両者の差を利潤マージンとしてとらえ、そこから投資関数を導出したが、リンダールの場合は、両者が等しくなることを通じて投資価値が決定される。なお引用文にみられる自然利子率の定義は、ヴィクセルのそれとは異なっており、『一般理論』における資本の限界効率の定義に通じるものがある。
第2条件に登場する投資と貯蓄、および第3条件に登場する価格水準についてのリンダールの見解は、次のとおりである。
各期において投資と貯蓄の均衡は成立する。しかしながら現実世界という摩擦的状況のもとでは、各期において利子率の変動は価格体系の均衡にただちには(ないしは徐々にしか)影響を与えない。その意味で利子率は価格水準にたいして中立的である。
投資と貯蓄が各期において等しくなるという発想は、リンダール理論の中枢部である(ミュルダールの場合、それは貨幣的均衡の状態でのみ成立する)。これについては(ⅱ)で述べることにする。
価格水準は利子率の水準とは関係しない。利子率が変化しても価格水準は変化しにくいが、各期において投資と貯蓄の均衡は達成されているという意味で、利子率は価格水準にたいして中立的なのである。
「均衡〔貯蓄の需給均衡〕は、所得分配、したがって貯蓄の供給を変更させるような価格水準のいかなる移行の必要性もなしに、そして利子率水準それ自身から生じるそのような移行へのいかなる傾向すらなくとも、達成されるであろう」(『貨幣および資本理論の研究』〔1939〕p.251)。
こうしてリンダールは、ヴィクセルの貨幣的均衡の意義を否定する立場に立っている。
彼にあっては、各期に自然利子率は貨幣利子率に等しくなり(そのことによって投資価値が決定される)、投資と貯蓄の均衡も達成される。このとき価格水準がどのような値をとるかは問題とはならない。貨幣利子率は価格水準にたいして中立的であるからである。
リンダールの考えでは、自然利子率は貨幣利子率に依存しており、投資と貯蓄の均衡は後述するように、貨幣利子率の働きに大きく依存しながら達成される。以上の帰結として、貨幣利子率の絶対的高さは(ヴィクセルの場合、自然利子率との相対的高さを重視した)、決定的に重要なのである。
「借り入れ利子率〔貨幣利子率〕の絶対的高さは、...資本家と要素所有者のあいだでの生産物の分配を決定するものとして非常に重要である」(『貨幣および資本理論の研究』〔1939〕p.167)。
(ⅱ) 累積過程理論
リンダールは、第2章「利子率水準を下落または上昇させることによって引き起こされる累積過程」で、定常均衡にあった経済において、(持続すると予想される)貨幣利子率の下落が生じたときにどのようなことが生じるのかを分析の主たる対象にしている。
彼は、3つのケース(「完全雇用でかつ固定的投資期間」「完全雇用でかつ非固定的投資期間」「失業の存在」)に分けて分析を進めているが、いずれも各期に投資と貯蓄は等しくなるという命題を軸にすえて展開しているといってよい。貨幣利子率の下落は、一方で投資を増大させ、他方で貯蓄を同額増大させるというのである。ここでは「完全雇用でかつ非固定的投資期間」(ここで「非固定化的投資期間」というのは、迂回生産構造の理論に基づく概念である)のケースを中心にみることにしよう4(貨幣利子率が上昇する場合は、同じ立論なので省略する) 。
投資の増大― 貨幣利子率の下落は、すべての資本財の価値、とりわけ相対的に長期の投資の価値を相対的に短期の投資の価値よりも増大させる。したがって利潤性の高くなったより長期の投資財を生産するように生産構造は変化する。
「より低い利子率のために、いまや投資期間の長期化が利益のあるものとなり、その方向への生産機構の変化は、...ずっと重要である。生産要素は消費財の直接生産から相対価格の上昇した資本財の生産に移されるであろう。そして資本財産業で新しく建設される設備は古い設備より耐久性があり、生産過程自身より長い期間を占めることになるであろう」(『貨幣および資本理論の研究』〔1939〕p.170)。
貨幣利子率の下落が資本財の価値上昇、ならびに迂回生産の長期化をもたらすという発想は、ミュルダールと共通している。異なるのは投資価値決定の理論である。
貯蓄の増大 ― 貨幣利子率の下落は直接、貯蓄に影響を与えることはない。それはまず、消費財の価格水準を上昇させ、次いで所得分配を変化させることによって貯蓄を増大させる74 。
貨幣利子率の下落は(すでにみたように)、投資期間の長期化をもたらし、消費財生産を減少させる。他方、消費財にたいする需要は減少しないであろうから、結果として消費財の価格水準は上昇する。これが所得分配を変化させることによって投資と同額の貯蓄の増大をもたらす。
累積過程 ― 以上は貨幣利子率の下落により最初に発生する状況である。これに続いて累積過程が発生する。最初に生じた消費財価格の上昇は、資本財価格の上昇をもたらす。資本価値は消費財についての予想価格によって部分的には決定されるからである。この新たな資本価値の上昇は、投資期間の長期化(したがって投資の増大)をもたらすとともに、そこに雇用される生産要素の所得を増大させる(所得の増大は、資本の貸手〔資本家〕を犠牲にして追加利潤を得る借手の企業家において最大である)。所得の増大は、消費需要を増大させ、以前より減少した消費財の供給とあいまって、消費財価格のさらなる上昇をもたらす。これは同様の過程でさらなる所得の増大をもたらし、ひるがえってそれは消費財の価格をさらに上昇させる。こうして累積過程が生じる。
リンダールの描く累積過程は、消費財価格の上昇が資本価値の上昇をもたらし、それによる所得の増大と消費需要増大の連鎖が、消費財価格の累積的上昇をもたらすというメカニズムになっている75 。この過程において貯蓄は、貯蓄性向の高い企業家に所得が多く分配されることにより、投資の増大と同じ速度で増大を続ける。
以上、貨幣利子率の下落が投資および貯蓄におよぼす増大効果を述べた。リンダールはこれらが等しくなると主張している。貯蓄は増大した投資に等しくなるように、価格水準が変化することによって調整されるというのである。貯蓄と投資を均衡させるものは、消費財の価格水準である。
「...それ〔所得分配の変化〕は、低くなった利子率によって引き起こされる価格の上昇によって直接にもたらされる...。価格水準の上昇は、契約所得をもつすべての人々...の実質所得を減少させ、所得の他の受取り手を有利にする。与えられたどの場合においても、価格水準のシフトは、社会の全貯蓄が、利子率によって主として決定される実物投資の価値に等しくなるように、所得分配の変化を引き起こすに十分な大きさになるであろう。...利子率が資本財と消費財の価格関係を決定することによって、資本財の生産をある確定的な範囲まで利益あるものにする...。必要とされる貯蓄は、そのとき大部分自発的に生じるであろう。その原因となる要素は、むしろ価格水準のシフトによる所得分配の変化であろう」(『貨幣および資本理論の研究』〔1939〕pp.174-175) 。
以上の議論から次のことが明らかになった。定常状態にあった経済において貨幣利子率が下落した場合、一方で、資本財の価値が上昇し、より長期の迂回生産構造が採用され、投資が増大する。他方で、それは供給の減少と需要の増大を通じて消費財価格の上昇をもたらす。それはひるがえって資本財価値の上昇をもたらす。このことによって迂回生産構造の長期化を伴いつつ、消費財価格の累積的上昇が生じる。この過程で企業家に有利なように所得分配が生じることになり、貯蓄の増大が生じる。貯蓄は投資に等しくなるように、消費財の価格水準が上昇し、所得分配が変化することによって調整される76 。なおこの過程で、「強制貯蓄」の現象が生じるが、リンダールはこれについて、社会全体としてはそうであるが、「組織化された信用経済」の想定のもとでは、個人の見地からは自発的なものである77 ことが保証されていると考えている。
新しい定常均衡への到達の可能性 ― 累積過程が進行( それは迂回生産構造の長期化と物価水準の上昇を伴う) していった場合、経済は最後には新しい定常均衡に到達できるのであろうか78 。この問いにたいするリンダー ルの解答は、諸個人が各期に現存の価格が将来においても維持されると予想するか、それとも価格の上昇が続くと予想するかによって異なる。前者については、資本財の供給が増大して新しい利子率に等しくなるときに、物価の上昇はとまるのにたいし、後者については、物価の累積的上昇は経済危機を迎えることによってのみ終了する。
リンダールのこの立論における特徴は、自然利子率の概念をもっていないため、低い貨
幣利子率でもって新たな定常均衡が成立するという点である。貨幣利子率の絶対的水準が重視されているのである。
(ⅲ) 経済政策観
最後に、リンダールがどのような経済政策を提唱していたのかを一瞥しておくことにしよう。彼は物価をコントロールする貨幣政策の目的として、2 つの場合( ①価格水準を一定にする、②生産性と逆に価格水準を変化させる) を比較検討し79、貨幣政策の目的は②にすべきであると結論を下している。
また中央銀行が利用可能な経済政策としては、次のようなものが指摘されている80: ① 貨幣政策の目的の決然としたかつ明確な発表、② 価格水準コントロールへの短期利子率の優先的活用、③ 公開市場操作による長期利子率への影響、④ 諸利子率の差別化、⑤ 公共支出政策。最後の項目について、リンダールは次のように述べている。
「他の貨幣的手段が不十分にしか有効でなく、かつ価格水準をどちらかにシフトさせる必要がある場合、公共支出政策を適用することができる。もし不況が低利子率によって除去されないか、あるいは価格水準が最小限の摩擦で引き上げられねばならないならば、政府が直接的に購買力を増大させるのが適切である。政府が支出を増大させるのには困難はいから、価格水準を上昇させるこの手段はつねに利用可能である」( 『貨幣および資本理論の研究』p.234)。
注
1) 『貨幣的均衡』p. 7を参照。
2) 『貨幣的均衡』p.10を参照。
3) 『貨幣的均衡』pp.10-11 を参照。
4) 『貨幣的均衡』p.12を参照。
5) 『貨幣的均衡』pp.12-13を参照。
6) 『貨幣的均衡』p.13を参照。
7) 『貨幣的均衡』pp.14-15 を参照。
8) 第3章の1を参照。
9) 『貨幣的均衡』pp.16-17を参照。
10) 『貨幣的均衡』p.20を参照。
11) 『貨幣的均衡』p.21、『経済学講義』下巻、p.159 および第1章の注13を参照。
12) 『貨幣的均衡』p.22を参照。
13) 『利子率と価格水準』(1930 年) 〔リンダール〔1939〕の第2 部として所収〕p.142
を参照。第1章の注45をも参照。
14) 第4 章2 のAを参照。
15) 『貨幣的均衡』p.23を参照。この点は『貨幣論』のケインズにも明瞭にみられる。第4 章1 のB を参照。
16) 『貨幣的均衡』pp.23-24を参照。
17) 『貨幣的均衡』pp.24-28を参照。
18) 後述するように、ミュルダールの定義する貨幣的均衡では貨幣利子率と自然利子率の均衡は必要とされていない。2 のB のb のケース2 をも参照。リンダールは各期に両利子率は等しくなると論じている。リンダール〔1939〕p.249 を参照。
19) 『貨幣的均衡』pp.30-32を参照。
20) 『貨幣的均衡』pp.34-35を参照。
21) 『貨幣的均衡』p.36を参照。
22) ヴィクセルの定常状態については、第1 章2 のB のb を参照。
23) 『貨幣的均衡』pp.38-39を参照。
24) いわゆる「自発的貯蓄」のケースである。第3 章2 のA を参照。
25) 『貨幣的均衡』p.37を参照。
26) 『貨幣的均衡』pp.40-41を参照。
27) 『貨幣的均衡』pp.208-214およびpp.47-48を参照。
28) 『貨幣的均衡』pp.43-44を参照。
29) 『貨幣的均衡』p.45を参照。
30) 『貨幣的均衡』pp.45-47、およびpp.32-34を参照。
31) 『貨幣的均衡』pp.32-33を参照。
32) たとえば『貨幣的均衡』p.203 を参照。
33) 『貨幣的均衡』p.97を参照。
34) 『貨幣的均衡』p.90を参照。なお記号Y は原文では使用されていない。
35) 『貨幣的均衡』p.58を参照。
36) 『貨幣的均衡』p.83を参照。
37) 『貨幣的均衡』p.79を参照。なお原文ではc1、 r1 となっているが、他と合わせるためc1′、 r1 ′と記した。
38) 『貨幣的均衡』p.83を参照。
39) 『貨幣的均衡』p.108 を参照。
40) 『貨幣的均衡』pp.83-84を参照。
41) 『貨幣的均衡』p.22を参照。
42) 『貨幣的均衡』p.109-、p.167 を参照。
43) 『貨幣的均衡』p.109 を参照。
44) 『貨幣的均衡』p.101 を参照。
45) 『貨幣的均衡』pp.133-136を参照。
46) 『貨幣的均衡』p.167 を参照。
47) 『貨幣的均衡』p.164 を参照。
48) 『貨幣的均衡』pp.104-106を参照。
49) 『貨幣的均衡』pp.106-107を参照。
50) 『貨幣的均衡』p.108 を参照。
51) 第3 章の2 のA を参照。
52) ロバートソン〔1926〕p.147 を参照。
53) 『貨幣的均衡』p.103 を参照。
54) 『貨幣的均衡』pp.132-133を参照。
55) 『貨幣的均衡』p.136 を参照。
56) 『貨幣的均衡』p.142 を参照。
57) 『貨幣的均衡』pp.159-161を参照。
58) 『貨幣的均衡』pp.161-164を参照。
59) 『貨幣的均衡』p.167 を参照。
60) 『貨幣的均衡』p.180 を参照。
61) 『貨幣的均衡』pp.175-176を参照。
62) 『貨幣的均衡』pp.177-199を参照。
63) 『貨幣的均衡』p.183 を参照。
64) 『貨幣的均衡』p.191 を参照。
65) 『貨幣的均衡』p.199 を参照。
66) 『貨幣的均衡』pp.195-196を参照。
67) 第3 章の2 を参照。
68) 第4 章の2 を参照。
69) 『一般理論』第11章、第12章、第6 章、pp.251-254、第19章を参照。
70) 『貨幣および資本理論の研究』pp.142-143を参照。
71) 『貨幣および資本理論の研究』pp.153-157を参照。
72) 『貨幣および資本理論の研究』p.249 を参照。
73) 『貨幣および資本理論の研究』pp.169-176で展開されている。
74) 以下『貨幣および資本理論の研究』pp.170-171に負っている。
75) 同様の発想はミュルダールも採用している。本稿第2 章の2 のB のb を参照。
76) この発想は、1932年の末に執筆されたケインズの草稿「貨幣経済のパラメーター」の消費財価格の決定式に通じるものがあるように思われる。『ケインズ研究』p.74の4式を参照。
77) 『貨幣および資本理論の研究』p.173 を参照。
78) 『貨幣および資本理論の研究』pp.180-182を参照。
79) 『貨幣および資本理論の研究』pp.230-231を参照。
80) 『貨幣および資本理論の研究』pp.232-234を参照。なお「利子率と価格水準」は1930年に発表されたものであるが、リンダールは『貨幣および資本理論の研究』〔1939〕に収録するさいに、さまざまの興味深いコメントを追加している。とくに、一時的均衡ではなく不均衡で叙述している箇所(pp.175-176)や「追加ノート」(pp.260-268)が貴重である。