第3章 貨幣的経済理論の出発点
― ヴィクセルの累積過程の理論 ―
1.ヴィクセルの問題意識
ヴィクセルがどのような問題意識で「累積過程の理論」として知られる貨幣的経済理論の構築に乗り出したのかを知るためには、相対価格(relative prices) の理論と貨幣価格(money prices)の理論についての彼の基本的考えをみることから始めるのが賢明であろう。
A.相対価格の理論と貨幣価格の理論 ― 「古典派の準2分法」
ヴィクセルは相対価格の理論と貨幣価格の理論、ならびに両者の関係を次のようにとらえている。
相対価格(交換価値)の理論
― 価値理論に関しヴィクセルは、「財の価値は人々が自己の欲望を満足させるためにそれを所有することに帰する重要性である」(『利子と物価』p.29) とする限界効用説に基づいた相対価格の理論の立場に立っており、生産費説および労働価値説にたいして批判的である。彼によれば、相対価格の変化は、生産や技術進歩の条件の変化により需要が変化したり生産要素が部門間を移動したりすることによって生じ1 、各財および各個人にとって限界効用が価格(交換比率)に比例する点で新たなる均衡が成立する2。彼は比喩を用いて、相対価格は振り子の安定的均衡の条件を満たす機械システムのようなものであり、均衡から乖離した場合には内部的な動きによって元の均衡点に戻ってくるような性質がある3 、と表現している。
ヴィクセルによれば、たいていの経済問題を論じるさいには、自然利子率と貨幣利子率との均等(これらの概念については後述する)を前提にすることが理にかなっている4 。両利子率の差である企業者利潤は企業者間の自由競争を通じて消滅する傾向があるからである。この場合貨幣価格は一定になり(ヴィクセルは両利子率が等しい状態では貨幣価格は一定になると考えている)、相対価格の決定のみが問題となる。ただし両利子率の差が
無視できないケ スが1つだけある。貨幣価格の変化が問題とされる場合である。
自然利子率と貨幣利子率の均等が実現されて貨幣価格が一定になっている状態は、ヴィクセルの意味における「貨幣的均衡」である。たいていの経済問題はこの状態のもとで処理でき、相対価格の理論がそれを担当する。他方、両利子率に乖離のある状態では貨幣価格の変動が問題となり、貨幣価格の理論がそれを担当する。そして両理論に相違をもたらすものは相対価格の理論とは異なり、貨幣価格の理論においては貨幣の介入が本質的意味をもっているという点にある。
以上の論述からも、また次の一文からも明らかなように、ヴィクセルは相対価格を決定する要因と貨幣価格を決定する要因とを分離する考えをとっている。
「財の交換自身、およびそれが依存する生産および消費の条件は、交換価値すなわち相対価格のみに影響をおよぼす。それらは貨幣価格の絶対水準には何ら直接的な影響をおよぼすことができない」(『利子と物価』p.23)
。
ここで「直接的な影響」と述べられている点には注意が必要である。「それら」は自然利子率の変動を通じて「間接的に」貨幣価格の水準に影響をおよぼすと考えられているからである。その意味では完全に分離されているわけではない。したがってヴィクセルが「古典派の2分法」を採用しているといってよいかどうかには問題が残る。相対価格の理論は独立しているが、貨幣価格の理論は相対価格の理論に「間接的に」依存しているからである。その意味でヴィクセルの理論大慶は「古典派の準2分法」とでもいうべきものである。
なお経済政策との関係について、ヴィクセルが次のような見解をとっているのは興味深
い。彼によれば、相対価格の変動は人間のコントロ ルを超えた自然の原因によるもの
であり、それらに干渉する政策( 関税、国家による補助、輸出奨励等) は経済社会に何らかの効用の損失を引き起こす。そのような試みは理性に反する、というのである5 。
ヴィクセルが相対価格の理論を具体的に展開しているのは、『価値、資本およびレント』ならびに『経済学講義 上巻 一般理論』においてである。『経済学講義』では下巻で貨幣価格の理論が展開されており、両巻でヴィクセルの全体的な理論体系が提示されている。
ヴィクセルの提示した相対価格の理論は、ワルラスが『純粋経済学要論』で展開した一般均衡理論とベーム- バヴェルクが『資本および資本利子』の第2巻「資本の積極理論」で展開した資本理論を統合したものである。ヴィクセルはワルラスの一般均衡理論を全体としての生産、分配および交換の問題を正しく定式化したものとして評価する。しかし資本の経済的機能の取扱いには問題がある、とヴィクセルは考えている6 。ヴィクセルはワルラスの資本理論の欠点を、資本を耐久財に限定し、原材料、中間生産物、および労働者の生活手段等を除外したため前払い資本の概念が欠落しており、そのため利子率が適切に
扱われていない7、と論じる。そしてこの欠陥を克服する鍵を、ベーム- バヴェルクによって開発された資本理論に求めたのである。
「彼の著作〔『資本および資本利子』〕の最大の功績は、チュ ネンやジェボンズによって前進された理論のさらなる継続という点にあるように私には思われる。ジェボンズの先例にならい、彼は生産における資本の真の役割を、より長期の、しかしより収益のある生産過程の採用を可能にする生活手段の前払いにすぎないものと考えている。こうして生産期間の長さがはじめて独立した概念としてこの主題〔利子理論〕に導入されている。この概念がきわめて有益なものであることが判明するであろう」(『価値、資本およびレント』p.22)。
ワルラスの一般均衡理論とベーム- バヴェルクの資本理論を統合せんとするヴィクセルの試みは新古典派経済学にたいする非常に重要な貢献であったし、ヴィクセルの理論体系を全体として評価する場合には、この相対価格の理論はきわめて重要な位置を占めている。本章では、ヴィクセルの貨幣価格の理論にのみ焦点をあてようとしているが、それはそこにこそ理論経済学史上におけるヴィクセルの最大の貢献がみられるとともに、一群の貨幣的経済理論の出発点になったからにほかならない。
貨幣価格(絶対価格)の理論
― これはすべての財の貨幣価格の上昇ないしは下落の問題であり、換言すれば、貨幣の購買力の下落ないしは上昇の問題である。貨幣は貨幣としての機能を果たすかぎりは、媒介手段としてのみ意味がある。貨幣の効用や限界効用を決定するのは財にたいする貨幣の購買力でありその逆ではない、とヴィクセルは論じる8 。
彼は比喩9を用いて、貨幣価格はシリンダ
のようなものである、と表現している。それは中立的均衡の平面に位置しており、シリンダーを動かすある程度の力が作用するかぎり、シリンダ は同一方向に加速度を付けて動いていく。シリンダーが安定したとしてもそれは(上昇していく場合でいえば)上昇して高くなった値で安定するのである。
貨幣価格を決定する理論としてはこれまで生産費説や貨幣数量説が提唱されてきたが、ヴィクセルによると、それらは誤っており(Bで論じる)、正しい理論は(2で論じる)然利子率と貨幣利子率をキー概念とするものである。両利子率の乖離がかなりの期間持続する場合には、たとえ乖離がわずかであったとしても、それが貨幣価格の累積的上昇(ないしは下落)にとって決定的に重要であり、貨幣価格は財市場(これを具現するのが自然利子率)と貨幣市場(これを具現するのが貨幣利子率)の相対的関係で決定されるというのである。これがヴィクセルの貨幣的経済理論(累積過程の理論)である。
ヴィクセルの理論体系にあっては、貨幣価格の理論が相対価格の理論に影響をおよぼすことはないのにたいし、相対価格の理論は貨幣価格の理論に「間接的に」(つまり自然利子率を通じて)影響をおよぼすと考えられている。
ヴィクセルは、(相対価格とは異なり)貨幣価格は財市場の条件だけでは決定できないと考える。もしも(個々の財の価格ではなく)すべての財の価格が上昇したり下落したりする場合、反作用をもたらす条件は財市場のなかには存在しない。各人が財の購入にいままでよりも高い(低い)価格を支払ったとしても、自身の財をより高い(低い)価格で売ることができるからである。したがって高すぎる(低すぎる)一般価格水準からの反作用があるとすれば、それは財市場の外に存在する要因によるにちがいない。ヴィクセルはこのように考え、(生産費説や貨幣数量説とは異なり)その要因を財市場と貨幣市場の関係に求めるのである10。
ヴィクセルは一般価格水準は、特定の財の供給の変化、その財を生産する企業の他のすべての財にたいする需要の変化、ならびに財一般の需給の変化の通時的連鎖に依存し、他方この通時的連鎖は貨幣市場の状況に依存する、と述べている11。この言明は、次のようなことを指している。
いま貨幣市場が緩和された状態にあるとする。生産者は資金を借りやすくなり、財にたいする需要は増大するが、供給は制限をうけている。その結果、需要は供給に先行し、価格は上昇する。貨幣市場が緊縮的な状態にある場合、生産者は貨幣獲得のために財ストックの処分を急ぐ。供給は需要に先行し、価格は下落する12。
このような分析法は総需要と総供給による一般価格水準の決定ということもできるであろう13。
「緩和された信用は生産の(そして交易一般の)拡張傾向を引き起こす。しかしこのことはけっして生産が実際に増大することを意味するものではない。一般にそのような増加は、もし利用可能な生産手段、労働等がすでにほとんど完全に雇用されているならばないであろうし、生産の増加がたとえあったとしても相対的に小さいであろう... 。しかしこのことは、物価の上昇に何らかの障害があるということではない。(緩和された信用がもたらす)原材料、労働、土地等、および直接、間接に消費財の、供給にたいする需要の超過は諸価格を上昇させる決定的な要因である」(『利子と物価』p.90)。
「それ〔実際に生じること〕はむしろ、企業者の労働や土地等、そして最終的には財にたいする直接および間接の需要が財の供給よりも活発で際立っているかいなかに依存する。そしてこのことは...貨幣市場をおおう条件に依存しているにちがいない」(『利子と物価』p.28)。
ヴィクセルによれば、相対価格の変動とは異なり、貨幣価格の変動は純粋に因習に属する問題であり、貨幣価格の尺度(諸価格の一般的な尺度)を選択する能力はわれわれ自身にある14。彼は、諸価格の全般的上昇ないしは下落が社会の各階層におよぼす悪影響を論じた後、諸価格の緩慢でかつ着実な上昇がベストであるという見解を批判し、次のように述べている。
「もし将来の価格体系を完全に統御する力がわれわれにあるとして、さまざまな利益グループの圧倒的多数に共通の利点を提供する理想的な状態とは、財の相対価格の不可避的な変動に干渉することなく、貨幣価格の一般平均水準がこの概念に明確な意味を付与することができるかぎり・・・完全に不変で安定的である状態ということになる」(『利子と物価』p.4 )。
以上を要するに、ヴィクセルの理論体系は2つの分野から構成されている。一方に相対価格の理論があり、相対価格が交換・生産・消費の条件により決定される。相対価格は貨幣価格にたいし「直接的には」影響をおよぼさない。他方に貨幣価格の理論があり、貨幣価格は自然利子率と貨幣利子率のあいだの乖離により決定される。貨幣価格は相対価格にたいし影響をおよぼすことはない。相対価格の理論が扱うのは、両利子率が等しい状態にある経済であるからである。
ヴィクセルの理論体系は相対価格を決定する理論と貨幣価格を決定する理論が分離されており、その点においてはヴィクセルの理論体系はワルラス、マ シャル、フィッシャーと同様に古典派の2分法を継承している(正確にいえば、上述したようにヴィクセルの場合、「古典派の準2分法」とでも呼ぶべきものである)。異なるのはヴィクセルのみが貨幣数量説を批判し、それにかわる新しい貨幣価格の理論を展開した点である。ここに端を発し、ヴィクセルの貨幣価格の理論を批判的に継承する一群の貨幣的経済理論が誕生していくことになるのである。
ヴィクセルの脳裏を貫く問題意識は、相対価格の理論は従来の生産費説や労働価値説にかわる画期的な価値理論として登場したのにたいし、貨幣価格の理論には依然として進歩はみられず、貨幣数量説や貨幣の生産費説の段階にとどまっている、というものであった15。『利子と物価』が目指したものは、貨幣価格の理論の現状を批判し、新しい貨幣価格の理論を構築することにあった。
B.貨幣数量説および貨幣の生産費説批判
ヴィクセルの貨幣理論は従来の貨幣価格の理論(貨幣数量説および貨幣の生産費説)を批判的に検討するところから始まっている。ヴィクセルがそれらをどのようにとらえていたのかをみることは、彼の貨幣理論を理解するうえで必要不可欠である。
貨幣数量説―
ヴィクセルによれば、これまで貨幣価格の決定は主として貨幣数量説によって説明されてきた。それは理論としては唯一のものであり、反対の声はあったものの、それにかわる整合的な理論は出現せず現在に至っている、とヴィクセルはいう。
ヴィクセルは、貨幣数量説は「他の条件が等しければ」という条件が厳守されるかぎりにおいて理論的には有効であるが、この「他の条件」というのがきわめて根拠が薄弱であるため、現実において正しいかいなかを決定することはできない、と論じている16。彼が貨幣数量説を批判する論点は次の5点であるが、なかでも②と③を重視している17。
① 貨幣数量説は個人が現金残高を保有すると想定するが、現実には預金の受け入れから生じる残高の銀行による集中的保有が一般的である。
② 貨幣数量説は流通速度を一定と仮定するが、流通速度の変化は現実には激しく、理論的には無限である。
③ 貨幣数量説は交換はコインや紙幣が担っていると仮定しているが、現実には帳簿上の信用貸借、手形、小切手のような信用手段も代替物として用いられているから、貨幣量は無限に弾力的である。とくにこのことは組織化された信用経済(organised credit economy。2のAを参照)においては真である。
④ 貨幣数量説は全金属ストックのうち流通に用いられる部分と貨幣として使用されていない部分とを峻別できると想定しているが、それは非現実的である。
⑤ 貨幣数量説は、いわゆるギブソン・パラドックス(物価の上昇〔下落〕は利子率の上昇〔下落〕と対になっているという観察法則)を説明できない。貨幣数量説によると、貨幣数量の増大は物価の上昇とともに利子率の下落を引き起こすが、経済の調整が完了すれば利子率は元に戻るはずだからである18。
貨幣の生産費説
― 貨幣が独立した不変の内在的価値をもち、諸財の交換価値はそれで測定されるという考えを支持する理論家はもはやいないとはいえ、現在でもこの余韻を残す理論が存在する、とヴィクセルはいう。
彼によれば19、貴金属本位制およびそれに基づく交換手段を基本にした現在の貨幣制度では、商品貨幣の、交換手段としての利用に比べ消費財としての利用は二次的な意義しかもたず、年々の生産量もストックに比べて小さい。この場合、商品貨幣の交換価値はそれが財として取引される市場で決定される価値(それは生産と販売の条件によって決定される)との関係で規定されるということは生じないし、貴金属の生産および消費の条件の変化が物価に直接作用するということも考えられない。このような根拠をあげ、ヴィクセルは貨幣の価値がその商品としての価格(それは生産条件や消費条件によって決定される)によって決定されるという考えに反対している。
ヴィクセルは2つの理論を批判の対象として取り上げる。
1つはシーニョアやジェヴォンズによって主張されたもので、貴金属(金や銀)の交換価値、したがって貨幣の購買力はその生産費によって決定されるというものである。
これについてのヴィクセルの見解は次のようなものである20。貴金属の生産条件が貨幣の購買力に影響をおよぼすという点は、論理的には否定できない。貨幣の生産費説は十分に論理的であり自明の理である。しかしながら交易に最も重要な結果をもたらすのは相対的に短い期間(10年、15年、20年といった)における貨幣価値の変動である。貨幣の生産費説(貨幣を財として扱うこと、およびそれに基づく貨幣価値の理論)は長期にわたる貨幣価値の変動といった純粋に歴史的な問題の分析には役立つとしても、最も重要な相対的に短期の貨幣価値の変動の問題にたいしては何の解決も与えることができない(ヴィクセルが『利子と物価』で問題としているのは、以上の意味での短期ないしは中期の問題である点は強調しておく必要がある。2のAのaを参照されたい)。
「商品貨幣の、貨幣としての使用あるいは商品としての使用が、どの程度商品貨幣の交換価値、したがって物価水準の優勢な決定因となるかは、...純粋に数量的な関係に依存する。〔しかし〕貨幣の価値が、ともかくも短期においてはこれらの要因に依存しないで、...まったく異なった法則に支配されているのは、通貨に使用されている金属が産業的目的にはほとんど用いられず、またとりわけ実際の消費は非常に小さなペースでしか進行していないからである」(『利子と物価』p.34) 。
ヴィクセルが取り上げているもう1 つの貨幣の生産費説はマルクスの、貨幣の価値はその生産に必要とされる労働量によって決定されるというものである。これにたいするヴィクセルの批判は21、限界生産費説に立つものであり、労働価値説一般にたいする批判と同じである。商品の価値がその生産費に等しくなるのは生産の限界点においてのみであるが、この限界点は商品の生産条件の変化によって変動する。したがって金の生産条件が変化して平均費用が変化したとしても、金の交換価値が不変のままであるということとは両立する、と論じている。
ヴィクセルは貨幣数量説にたいしては、主として貨幣の流通速度および貨幣量は無限に弾力的であるという見地から、また貨幣の生産費説にたいしては、主として商品貨幣の交換価値はその商品としての市場における需給で決定されるということはないという見地から、批判を加えている。短期ないしは中期における貨幣の交換価値(貨幣の購買力)を決定する理論はいまだ開発されていない
― これが貨幣価値の理論の現状についてヴィクセルが抱いていたものであった。
C,2つの問題
以上のような問題意識のもとで、ヴィクセルは2つの問題を扱う。
1つは貨幣の購買力とは何であり、それはどのように測定されるべきかという問題である22。この点についてヴィクセルは、諸価格の平均水準(ないしは貨幣の購買力)の適切な定式化にさいしては、実際に取引される各財の数量に適切な配慮を払う必要があること、またこれらの数量が比較される2つの時点で同一、もしくは同一の比率であることが前提となることに注意を払わねばならない、と論じる。しかし各財の数量が比較される時点で同一という条件は、通常満たされることはない。このような状況でヴィクセルが提示するのは、まず第1時点での消費を構成する諸財が第2時点の価格で購入されるならばどれ位の金額になるかを計算し、次に第2時点での消費を構成する諸財が第1時点での価格で購入されるならばどれ位の金額になるかを計算する。両者による価格の変動が同一になるならばその変動は正しく、そうでない場合にはたとえば両者の算術平均でがまんする、というものである。次に貨幣の購買力の計算にどのような財を含めるかについて、ヴィクセルはその目的は生計が安くなったかそれとも高くなったかを知るためであるから、直接消費されるものを対象とすべきである、と論じている。このなかには家賃やサービス等は含まれるが、要素価格や資本財は含まれない。
ヴィクセルが取り上げるもう1つの問題は、貨幣の購買力に影響をおよぼす原因やそれを規制する手段について明確な見解を得ることである。ヴィクセルが『利子と物価』で中心的な研究課題としたものがこの問題にほかならない。
2.ヴィクセルの貨幣価格理論
― 累積過程の理論
ヴィクセルは以上のような問題意識のもとで、貨幣数量説にかわる新しい貨幣価格理論の構築を試みた。これが累積過程の理論であり、学説史上「貨幣と物価」の直接機構に対する「利子と物価」の間接機構の復位23として知られるものである。
本節では、最初に基本的な想定および特徴について述べたうえで、累積過程の理論を検討することにしよう。
A.基本的な想定および特徴
累積過程の理論を展開するにさいして、ヴィクセルは基本的な想定として、生産量一定(ないしは完全雇用。これに関連して迂回生産の理論を説明する必要がある)、および組織化された信用経済を採用している。また中心的な概念として自然利子率、基本理論として「古典派」の共有財産であった賃金基金説(ヴィクセルの場合は「賃金-レント基金説」)、さらに分析方法として期間分析を用いているのも、この理論の大きな特徴である。
a.基本的な想定
生産量一定( 完全雇用) の想定
― ヴィクセルは生産量一定(ないしは完全雇用)を当然のこととして想定する。彼は生産の拡張への傾向(tendency)と実際の拡張とを峻別することの重要性を説いている。『利子と物価』で問題にしているのは前者であり、後者ではない。
「生産の実際の拡張はまったく不可能である。というのは、利用可能な本源的生産要素がより長期の、それゆえより生産的な過程で雇用されるためには、実物生産要素である労働や土地の供給の増加、あるいは固定的ならびに流動的な実物資本の拡張を必要とするからである。そのような変化が生じるには時間が必要である。われわれはここでそのような変化を考慮する必要はない...」(『利子と物価』p.143)。
「全般的な生産の拡張が通常の条件のもとでは不可能であることは、最近さまざまな国々で収集されたさまざまな時期における失業者数によって証明されていると私は思う。失業労働者数の平均は相対的に小さく、約1パ セントである」(『利子と物価』p.143)。
『利子と物価』で問題としている時間が、10~20年という相対的に短いものである点については、前節でも言及した。このような期間に生産量の拡張が生じることはない、とヴィクセルは考えるのである。生産量は不変とされ、分析の対象は生産の拡張への傾向を通じた物価の変動におかれることになる24。いわば「固定産出量下での伸縮的絶対価格の理論」である。
生産量の変動を伴う相対価格の変動は、(自然利子率と貨幣利子率が等しくなっている)相対価格の理論で扱われるテ マである。そこでは長期が対象とされ、当然のことながら完全雇用も前提とされている。
生産量一定という想定については、ジェヴォンズに端を発し、ベーム-
バヴェルクによって発展させられ、ヴィクセルが継承しているところの迂回生産理論との関係での説明補足が必要である。
「資本家的生産の特徴は、利用できる労働や土地は当期の消費のために雇用されるのではなく、多かれ少なかれ遠い将来の消費のために雇用される。当期の消費は主として過去に雇用された労働や土地によって生産され熟成した生産物から構成されている。ある時点では、さまざまな熟成段階にある予備的な中間生産物が存在する」(『利子と物価』pp.123-124) 。
生産は段階的に構成されている。最初の段階では、労働と土地(本源的生産要素) が登場し道具や機械が生産される。次の段階では、道具や機械を利用しつつ労働と土地を用いて半製品が生産される。そして最終の段階では消費財が生産される。
以上の生産過程には2種類の資本が存在する。1つは中間生産段階にある財であり、それらは投資された資本(invested capital)である。もう1つは最終段階にある財、つまり消費財である。それは投資された資本が生産過程の最後の段階で消費財となることで再び自由になるため自由資本(free capital)ということができる25。
この生産過程の長さ、つまり生産期間は平均投資期間という概念で測られる。これは資本として投資されている各資本の生産過程への滞在期間を考慮して計算された価値額(資本のなかにはたとえば、3年目のものもあれば、2年目のものもある) を、その時点における全資本の価値額で除すことで得られる26。
ヴィクセルは自由資本の増減が、自然利子率の変化を通じて(それは「賃金- レント基金説」との関連で論じられている27)どのように生産構造を変化させるかに言及している。いま資本家が倹約により自由資本を増大させたとする。このとき、賃金とレントが上昇し(賃金- レント基金説)、それに対応して自由資本の自然利子率が下落する。自然利子率の下落は長い生産期間をもつ生産過程を相対的に有利に、短い生産期間をもつ生産過程を相対的に不利にする。したがって前者での生産が増大し後者での生産が縮小するため平均投資期間は長期化し、年あたりの賃金- レント基金が減少する。この結果、賃金およびレントは( 自由資本が増大するまえの水準までには下落しないものの) 下落し、自然利子率はそのぶん上昇する。
この立論は、後述のハイエクの理論に受け継がれている点は、記憶にとどめておこう28。
以上に示した迂回生産の理論が機能するのは、ヴィクセルにあっては相対価格の理論の場においてである。累積過程の理論においては迂回生産過程の変化、したがって生産量の増減は考慮の外におかれている。そこでは、迂回生産の過程が変化するのに必要な時間より短い時間が考えられているのである。
組織化された信用経済の想定
― ヴィクセルは累積過程を分析するにさいして、「組織化された信用経済」を想定している。これは貨幣がコインとしても紙幣としても流通せず、すべての支払いは信用機関が供給する郵便振替制度および簿記上の振替でなされる経済として定義されている29。
組織化された信用経済は、「純粋現金経済」( 信用や貨幣の貸出しのない経済) や、「単純信用経済」( 個人間での商品信用や貨幣の貸出しのなされる経済) とは異なり、為替手形および貸出しの金融機関への集中化が実現している経済である。ヴィクセルは、今日の経済は組織化された信用経済として理念化できる、と考えている30。そこでは貨幣の流通速度は任意の値に増減できるため、貨幣はその存在理由すらもつことができない。このような経済にあっては、貨幣数量説が主張するような価格水準と貨幣量とのあいだの数量的関係云々は現実的意義を喪失してしまう、とヴィクセルは論じている31。
ヴィクセルは銀行組織の能力について次のように論じている。銀行組織は貨幣利子率をかなりの期間、自然利子率よりも低く維持する力がある。それは貴金属が産業用に吸収されることによってのみ制約されるが、現在はそのような状況ではない32。他方、銀行組織は貨幣利子率をかなりの期間、自然利子率よりも高い水準に維持する力はない。というのは、金の購買力の上昇(物価の下落)により金生産が増大、他方金消費は減少するため、過剰となった金の銀行組織への還流により、銀行組織は貨幣利子率を引き下げざるをえなくなるからである33。
組織化された信用経済にあっては、銀行組織はある貨幣利子率でいくらでも企業家の資金需要に応じることができる34。ひるがえって資金需要の発生はより高い利潤が期待できるかいなかに依存する。企業家は自己の財にたいする需要の増大を期待したり、技術的発見とかより低い賃金とかからより高い利潤を期待することもあれば、より安い信用からそれを期待することもある。割引率が長期利子率の低下をもたらすほど十分長いあいだ低く維持されているならば、企業家に高利潤を保証することになる。この場合には交易や生産の増大傾向が生じ、財にたいする需給関係が変化してすべての財の価格の上昇が生じる35。
なおヴィクセルは、ある期間短期利子率がその水準を持続する場合、長期利子率にそれに対応した影響をおよぼすことができると考えている36。いわゆる利子率の期間構造である。
「長期利子率(ボンド利子率)は短期利子率(バンク・レート)にやや密接に対応しなければならない、あるいはいずれにせよ両者のあいだにはある特定の関係が維持されなければならないことに気付くことは重要である。長期利子率が短期利子率よりもずっと高いという状態にとどまることはできない。でなければ企業家は銀行信用... を利用してもうけることができるであろう。同様にして長期利子率が短期利子率よりもずっと低いという状態にとどまることはできない。でなければたいていの資本家は彼らの貨幣を銀行に預けることを好むであろう... 」( 『利子と物価』p.75) 。
「上昇運動が緩和された信用によってもたらされるかぎり...、短期貸付の条件の緩和が長期利子率、いわゆるボンド利子率に影響するに十分長く継続することが、〔原材料の価格が急速に上昇するための〕必要条件である」(『利子と物価』p.92)。
b.基本的な特徴
自然利子率
― 自然利子率は貨幣利子率と並ぶ『利子と物価』のキー・コンセプトである。ヴィクセルは、それを物価を上昇も下落もさせない中立的な貨幣利子率と定義する。またそれは、貨幣が利用されずすべての貸借が実物資本財でなされるとした場合、その需給によって決定される利子率であるとも述べている37。
ここで留意すべきは後者の定義である。そこでは自然利子率は実物経済の場で、したがって相対価格の理論の場で決定されると考えられている。組織化された信用経済という場での貨幣価格の理論展開にさいし、相対価格の理論により決定される自然利子率が重要な役割を演じるのである。
自然利子率については次のような既述がみられる38。
企業家は資本家から借りた消費財により賃金および地代を支払い、獲得した労働および土地を用いて生産活動を営む。生産期間の終りに、企業家は資本家から借りていた消費財に利子を付けて返済する。そのさいの利子率(自然利子率)は資本にたいする需給で決定される。その額は賃金および地代の合計額を超過する全生産物の部分を最大値とするものであり(実際には最大値に一致する傾向がある)、生産の効率性、利用できる固定資本および流動資本の量、労働および土地の供給その他に依存しており、それらの変化とともにたえず変動する39。
賃金-レント基金説40 ―
毎年生産される消費財は、資本家が消費する分を除き、労働や土地にたいする需要として賃金や地代支払いのための基金となる(賃金とレントは賃金とレントの基金により決定される)。この基金により雇用された労働および土地(およびレント稼得財)を用いて生産が行なわれた結果発生する余剰が自然利子である。資本家は基金を貸し出す報酬として企業家から(自然)利子を受け取る。生産活動の結果生み出される利潤は企業家間の競争により企業家にはわずかしか残らず、資本家にほとんど渡る(自然利子率と貨幣利子率は等しくなると考えられている)。その意味でヴィクセルの自然利子とは利潤にほかならない。獲得された利潤のうちどれだけを基金にまわしどれだけを消費するかは、資本家の意思次第である。
以上は実物経済の場合である。組織化された信用経済では、自然利子を獲得するのは企業家であり、銀行から借り入れた資金の利子を支払った残りが企業家の利潤となる。他方、資本家は銀行から貨幣利子を受取ることになる(詳細はBで述べる)。
ここで2つの点に注意が必要である。1つは地代である。このなかには耐久資本財の稼ぐレントが含められている。ヴィクセルは耐久資本財を資本財とはみず、その所有者にレントを与える「レント稼得財」(rent-earnings goods) とみている。したがって上記の地代には本来の地代のほかにレント稼得財のレントも含まれる。
もう1つは資本の定義である。ヴィクセルのいう資本とは相対的に低い耐久性の道具、機械、土地の改良等、原材料や半製品、完成された消費財を指しており、耐久資本財を含まない。完成された消費財は労働および土地(レント稼得財としての耐久資本財を含む)を購入する基金を構成すると同時に、自由資本である。
期間分析
― ヴィクセルは分析手法としては期間分析を採用している。この方法により、ある時点での均衡と次の時点での均衡のあいだの経済状態 ― 自然利子率と貨幣利子率が乖離したときどのような事態が生じるのか
― を分析する。『利子と物価』でヴィクセルが試みているのは中期ないしは短期の分析である。
B.累積過程の理論
累積過程の理論が最も厳密な形式で展開されているのは、第9章「理論の体系的な説明」のB「貨幣の使用」においてである。ここではそれを中心に、他の箇所での説明をも適宜追加していくかたちで論じていくことにする。
a.仮定 ― ヴィクセルは次のような仮定をおく。
① 生産はいずれの部門も年初に始まり、年末に完了する。
② 消費財は年末に完成し、交換される。
③ 賃金および地代(レント稼得財のレントを含む)は年初に前払いされる。
④ 労働者、地主および企業家は1年間の消費をまかなうに十分なストックを保有している。
⑤ 企業家は銀行から資金を借りて生産活動を行ない、年末には返済する。資本家は財のディーラーである。
b.ステイショナリー・ステイト(定常状態)41
― 以上のような想定のもとで、ヴィクセルはステイショナリー・ステイトから分析を開始する。それは耐久資本財(レント稼得財)はメインテナンスに必要な修理以外はなされず、年々更新される流動実物資本(賃金-レント基金)は一定に維持され、生産期間はすべての部門で同一であるような経済状態として定義されている。
年初に企業家は銀行から資金を借り入れる。この額をK、その利子率をiとしよう。企業家はこの借入れ資金で労働者、地主、レント稼得財および自らの労働を雇用する。人々は前払いされた所得で前年の末に生産が終了した消費財(実際には資本家ディーラーが前年に受け取る利子額を前年の消費財価格で除した量が差し引かれる) を資本家ディーラーから購入する。ここで消費財の価格が決定する。Kは資本家ディーラーの銀行預金となる。
企業家はこれらの生産要素を利用して、年初に生産活動を開始し、年末まで継続する。
ステイショナリー・ステイトにおいては、企業家の利潤はゼロであり、自らの労働にたいする報酬以外は何も獲得しない。
企業家は生産した消費財をK(1+i/100)で資本家ディーラーに販売する。その売上代金で銀行から借りていた資本K(1+i/100)を返済する。資本家ディーラーは預金残高K(1+i/100)を引き出して消費財を購入するが、そのうち彼らが自己消費する分(利子額を消費財価格で除した分)を除いた量、つまりKを消費財価格で除した量は次年度の基金として利用される。
こうして1つのサイクルが完了し、次のサイクルが以前とまったく同じ条件でスタートすることになる。これがヴィクセルの描くステイショナリー・ステイトである。図3-1は以上を図示したものである。
c.累積過程42
― ヴィクセルは物価の変動を自然利子率43と貨幣利子率44との相対関係により説明する。自然利子率と貨幣利子率のあいだに乖離が生じ、貨幣利子率が自然利子率よりもかなりの期間低くおかれたとしよう(自然利子率がi+1、貨幣利子率がiとする。両利子率の乖離が逆の場合も同様に説明できる)。このような事態は貨幣利子率が技術進歩によって生じる自然利子率の上昇に対応が遅れることから生じると考えられている。
この場合、第1年目の末には(定義上)生産物はK〔1+(i+1)/100〕の価値額を有することになる。このうち企業家はK(1+i/100)の額の消費財を資本家に販売し、その販売代金で銀行に返済を行なう。この結果、企業家の手元にはK/100の超過利潤が消費財のかたちで生じることになる(消費財価格で除した量)。生産量は不変と想定されているので、年末における資本家ディーラー保有の消費財K(1+i/100)は企業家の手元に保有される分だけ減少している。
第2年目には次のような事態が生じる。まず消費財のかたちで超過利潤をえた企業家のあいだでは、生産を拡張しようとする傾向が生じる(実際の拡張は生じない)。このため労働や他の生産要素、原材料、半製品への需要が増大する。需要の増大は耐久投資財にかんしては、より顕著になる。資本財の価値は、たとえば貨幣利子率が4 パーセントから3パーセントに低下すれば、33.5パーセントも上昇するからである。そのため企業家は銀行から以前よりも多くの資金を借りる必要が生じてくる。この額を1.01K としよう。これらの結果、貨幣賃金やレントが上昇する。
図3- 1 ステイショナリー・ステイトのケース
貨幣賃金やレントの上昇により労働者や地主が同額だけ消費財にたいする需要を増大させるならば(1.01K)、消費財の供給量は減少しているから、財の価格は上昇する。
さてこの年の消費財の生産量は前年と同じであるが、価値額は1 パーセント上昇し、1.01K(1 +〔i +1 〕/100) になる。企業家はそのうちの1 パーセントにあたる1.01K(1 /100) を超過利潤として消費財のかたちで獲得し、残りを資本家ディーラーに1.01K(1 +i/100) で販売する。資本家は第2年目の初めに1.01K を預金しているから、年末の預金残高は1.01K(1 +i/100)になっている。企業家は年初に銀行から1.01K の資本を借りているから、年末には1.01K(1 +i/100)を返済する。
図3-2 累積過程のケース*
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銀行
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銀行
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銀行
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↑
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K(1+i/100) 1.01K
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1.01K(1 +
i/100)
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消費財
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→超過利潤
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企業家
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K/100 の
消費財 1.01K↓
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企業家
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生産活動
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企業家
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超過利潤
→ 1.01K・(1 +〔i+
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消費財
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1〕/ 100)の消費財
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K(1 +i/100)
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雇用
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生産要素
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1.01K(1+
i/100)
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資本家ディーラー
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**
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消費財
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資本家デ
ィーラー
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1.01K 消費財
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消費財 資本家ディーラー
K(1 +i/100)
〔第1 年目の末〕 〔第2 年目の初〕 〔第2 年目の末〕
( 備考) * 自然利子率 i+1 、 貨幣利子率 i と想定。
** ここが消費財の価格決定市場。
第3年目以降も同様の方法で分析を続けることができる。図3-2は以上を図示したものである。
以上の叙述から明らかなように、ヴィクセルの理論にとって最も重要なのは、企業家がどれくらいの資金を銀行から借りようとするかである。それは主として、企業家が獲得した前期の超過利潤に刺激を受けて生じる生産拡張意欲に依存する。企業家は必要資金を必ず銀行から調達できると想定されている(組織化された信用経済)。この資金はすべて前払い資本として用いられ、各生産要素の所得として実現される(賃金- レント基金説) 。消費財価格はこの所得(前払い資本)と前期に生産された生産量のうち企業家の超過利潤分および資本家の利潤相当分を除いたものとの関係で決定される。
ここで所得は消費財にたいする総需要を示し、生産量は総供給を示すと考えることもできるであろう。このようにとらえるとき、ヴィクセルの理論は総需要と総供給による消費財価格決定の理論ということができる。このさい迂回生産理論に依拠しているため、消費財価格は全体としての財の価格をさしている。総需要と総供給のうち、重要なのは総需要である。総供給は生産期間が一定のため不変であるのにたいし、総需要はあくまでも企業家の生産拡張意欲に依存しているからである。
ヴィクセルは所得が(消費者)物価を決定するという立論に関連して、次に示すツ ク
の第13命題の前半を取り上げ、貨幣価値および物価の理論が展開されるべき出発点を提供するものである、と述べている。
「レント、利潤、サラリ 、賃金といった項目 (当期の支出に向けられることになる)で国家のさまざまな階層の収入を構成する貨幣額〔所得〕のみが全貨幣価格〔物価〕を規定する原理である」(『利子と物価』p.44)。
これはリンダール、ミュルダール、それに『貨幣論』におけるケインズにも基本的に重要な原理として継承されている45。
企業家が超過利潤を獲得するのは、前払い資本にたいして(自然利子率 貨幣利子率)を乗じた額だけの利潤が消費財のかたちで手に入るからである。自然利子率は相対価格の理論の場で決定されるものであり、貨幣価格の理論からみれば外生的なものである。他方、資本家ディーラーは年初に得た消費財の売上額を預金することにより貨幣利子率を乗じた額を利子として獲得する。
このようにみるならば、累積過程理論の根底をなすものは、総需要と総供給による消費財価格の決定46という点にある。自然利子率と貨幣利子率の乖離は、企業家に超過利潤をもたらすがゆえに、生産拡張意欲にかられる企業家をしてより多くの資金を調達するように行動させる。この結果、生産要素の獲得する所得、したがって消費需要(総需要)が増大するため、価格の上昇が生じるのである。
ヴィクセルはこのように経済過程を叙述していく。そして企業家がこの過程が継続すると予想しつつビジネス活動を行なうようになると、上昇した物価、賃金、レントは「連続性と慣性の法則」47により加速度的に上昇していく。この過程は貨幣利子率が自然利子率に追いつくことによってようやく収束し、新たな均衡点に到達する。そこでは物価は以前の均衡点より高い値で安定する。
自然利子率と貨幣利子率の関係についてのヴィクセルの基本的考えは次のとおりである。彼は経済変動における第1の動因を技術進歩によって生じる自然利子率の変動におく。これにより物価の変動が始まり、それに続いて貨幣利子率の変動が始まるというのである。自然利子率の動きに貨幣利子率の動きが遅れるというのは、ヴィクセル理論にとって基本的に重要な想定である。
「貸出利子率〔貨幣利子率〕はけっして直接的に自然率の動きを追い続けず、通常は非常にゆっくりとかなりの躊躇をもって追う」(『利子と物価』p.119 )。
銀行は産業の技術革新から生じる利潤率(自然利子率)の動向情報に遅れるのにたいし、産業は両利子率の動向情報を有しているという想定がなされている。貨幣数量はそれらに受動的に適応していくものであり、2次的な意義しかもっていない。
ところで、両利子率がかなりの期間にわたり乖離するという事態が生じるのは、貨幣の介入により、資本や生産要素報酬が現物ではなく間接的に行なわれるからであるという48。ヴィクセルによれば、この変化は形式的なものではなく本質的なものである。実物資本財にたいする需要の増大は買い手の需要の増大であり、財の価格を上昇させる(したがって自然利子率を上昇させる) のであって、貨幣利子率を上昇させることはない。他方、銀行組織は貨幣需要がいかなる量であれ、一定の貨幣利子率で貸し出すことができる。こう
して両利子率はかなりの期間乖離し、物価の騰落を防止するほど十分なスピ ドで新たな均衡に至ることは難しい。両利子率が均衡するのは、それまでの物価の動きの結果としてである。物価は「自然利子率と貨幣利子率のあいだの力〔利潤〕を伝導することに役立つバネ」(『利子と物価』pp.135-136)なのである。
ヴィクセルは以上のほかにも、若干の興味深いヴァリエーションを展開している49。なかでも資本家が(自己消費を抑え)貯蓄を行ない実物資本を蓄積する結果、自然利子率が下落し、(生産期間の長期化により)生産効率が上昇し生産が増大するケースにかなりの関心を払っている。この場合にも、ヴィクセルはこれが基本ケース(実物資本の量および生産量が不変)のヴァリエーションであり、物価変動の直接的原因は両利子率の乖離にあることを強調するのである。
累積過程の理論の基本箇所を数式で表現しておくことにしよう。
D t = D t ( πt-1) (1)
M t = D t (2)
πt-1 = D t-1 ・(n- r) (3)
C t-1 = D t-1 ・r (4)
St =Y t-1-( πt-1 +C t-1) /P t-1 (5)
D t = P t ・S t (6)
Y =Y t-1 =
f t-1(T)= 一定 (7)
(D は必要資金額、πは超過利潤、M は供給資金額、 Y
は消費財の生産量、 f ( )は生産関数、T 生産期間、πは企業家が得る超過利潤、n は自然利子率、r は貨幣利子率、C は資本家が得る利子額、 Sは消費財の供給量、P は消費財の価格、t は時間。企業家は超過利潤のすべてを消費財で保有し自己消費すると想定する。また資本家ディーラーは利子額相当分を消費財で保有し自己消費すると想定する。消費財価格は、期初に資本家ディーラーからの供給と生産要素所得からの需要で決定され、かつこの価格は期末まで有効であると想定する。)
n 、r は政策変数、D t-1 、P t-1 は先決変数である。この方程式体系は6つの内生変数(D t、πt-1 、M t 、S t 、C t-1 、P t ) と6 本の方程式で構成されており、解は存在する。
(1)は企業家が前期の超過利潤πt-1 に応じて今期の必要資金額D t を決定することを示す。その額は銀行から融資される((2)) 。前期の超過利潤πt-1 は前期の必要資金額( 前払い資本) に自然利子率と貨幣利子率の差を乗じたものであり((3)) 、前期の利子額は前期の必要資金額に貨幣利子率を乗じたものに等しい((4)) 。(5)は今期供給される消費財の量S t は前期の全生産量Y t-1 から企業家が自己消費する分πt-1/P t-1 と資本家ディーラーが自己消費する分C t-1 /P t-1を引いたものに等しいことを表している。(6)は総需要D t と総供給S t から消費財の価格 P tが決定されることを表している。なお生産量は一定と想定されている(( 7)) 、(5)と(6)から次式が得られる。
D t = P t 〔Y t-1 -(πt-1
+C t-1)/ P t-1〕 (8)
左辺は生産要素所得者の消費財需要、右辺の〔 〕内は生産要素所得者への消費財の供給量であり、両者から価格が決定される。これは累積過程の理論における基本方程式とでもいうべきものである。この式は3、4および7を考慮に入れると、次のようになる。
P t = D t /(Y -D t-1 ・n / P t-1) (9)
したがって過去において、物価の上昇( 下落) 速度より企業家の資金需要D の上昇(下落) 速度の方が大きいという場合( ヴィクセルが念頭においているのは、このケースであったと考えてよいであろう) ないしは等しい場合には、企業家の必要資金額が時間とともに増大していくかぎり、価格P t は必ず上昇(下落)を続けていくことがわかる(ただしこれは十分条件であって必要条件ではない)。
なおヴィクセルは「賃金-レント基金説」を表す次のような式を提示しているが50、賃金水準l ならびにレントr の決定が明瞭に論じられていず、ここでは省略した。
D t =Al t +Brt (10)
(A は労働者数、B は利用可能な土地の量)
(1)~(7)の体系をフロー・チャートで示したものが図3-3である。
図3-3 累積過程の理論の基本構図
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πt-1
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D t =Mt
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→
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/ -P t-1
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+
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Y t-1
( 一定)
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↑ +
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×
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(n- r)
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D t-1
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↑
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| |||||||||||||||||||
r
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×
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↓
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St
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÷
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C t-1
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↓
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Pt
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| |||||||||||||||||||||
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| |||||||||||||||||||||||
d.累積過程の理論による現実の動きの説明
― 累積過程の理論はあくまでも物価の変動を説明する一般的な原理として提示されたものではあるが、ヴィクセルのそもそもの関心は現実の物価変動を解明したいという動機に端を発していた。『利子と物価』の第11章「前記の理論からみた現実の価格の動き」は、それを象徴している。
ヴィクセルは、ギブソン・パラドックス(物価と利子率との同時的上昇あるいは下落という現実にみられる現象)は、貨幣数量説によっては説明できないとし、独立した要因によってもたらされる自然利子率の変動によってこそ説明ができる、と強調する51。
ヴィクセルは19世紀、とりわけその後半の物価の動きに検討を加えている52。その説明はあくまでも自然利子率と貨幣利子率の相対的な位置関係に基づいたものである。
たとえば物価の累積的上昇が生じた1851~1873年について、ヴィクセルは次のように説明している。自然利子率は、第1にアメリカの南北戦争や普仏戦争に代表される多くの戦争のため流動資本の消耗が生じたこと、第2に産業の全般的・連続的な発展、とくに西欧における鉄道システム完成の結果巨額の流動資本が固定化したこと、により異常に高かった。他方、貨幣利子率は金生産の増大やアメリカ、オーストリア、フランスにおける紙幣の大幅増大のため自然利子率ほどには上昇しなかった。以上の結果、この時期の物価は上昇を続けた。
1871年以降世紀末に至る時期の物価の累積的下落について、ヴィクセルは次のように説明している。西欧やアメリカでは平和が続き資本の消耗は生じなかったため、ほとんどすべての社会階層の貯蓄から流動資本が増大した。しかし有望な投資機会はみつからず、流動資本の増大は実質賃金や他の生産要素の報酬を引き上げることに役立った( 賃金-レント基金説)。こうして自然利子率は低下した。他方、貨幣利子率も低下はしたが、銀行が現金準備を増大させて貸出を渋ったため自然利子率ほどは低下しなかった。以上の結果、この時期の物価は累積的に低下した。
このように論じた後、ヴィクセルは銀行や信用組織が物価の変動に無意識的に大きな影響をあたえてきた事実に触れ、今後は彼らが意識的に物価の安定に努めることを望んでいる53。
以上の現状分析は『貨幣論』のケインズにほぼ同様のかたちで受け継がれている54。
3.ヴィクセルの経済政策観
上述の理論に基づいてヴィクセルはどのような経済政策を打ち出しているのであろうか。第12章「貨幣価値安定のための現実的諸提案」からこの点を探ってみよう。
ヴィクセルは安定した貨幣価値を確立する(物価を安定した水準に維持する)ことは理論的のみならず現実的にも可能である、と考えている。バンク・レートの主要な目的は物価をコントロールすることにある。銀行はそのためにバンク・レートを操作することにより、自然利子率の変動に貨幣利子率をあわせるべきである、とヴィクセルは考える。バンク・レートはこれまでのように、金の生産・消費や通貨の流通需要の恣意に振り回されてはならない56。
とはいうものの、自然利子率の水準を知ることは銀行にとって現実的には難しい。そこでヴィクセルが具体的な指針として提唱しているのは、物価の現在の水準によって両利子率の乖離の程度をみるという方法である。
「物価が不変のままでいるかぎりは、銀行の利子率は変えずにいるべきである。もし物価が上昇するならば、利子率は引き上げられるべきである。もし物価が下落するならば、利子率は引き下げられるべきである。そして利子率は、その後は物価のさらなる動きがいずれかの方向へのさらなる変化を要求するまでは、その新しい水準に維持されるべきである」(『利子と物価』p.189)。
ヴィクセルは、物価が不安定になる主要な原因は銀行がこのルールに従う能力がないか、もしくは失敗しているかにある、と述べている。
元々ヴィクセルが累積過程の理論を展開するきっかけとなったものは、当時の複本位制をめぐる論争であったから、『利子と物価』のなかで国際通貨体制について言及しているのも当然である。そこでも、自然利子率と貨幣利子率の相対関係で世界の物価問題をとらえるという姿勢は貫徹している。
ヴィクセルは国際紙幣本位制の立場をとっており、金本位制にたいしては批判的である。彼がもっとも心配しているのは56、金の生産が増えすぎることによって銀行が貨幣利子率を引き下げざるをえなくなり、そのため物価の上昇が発生することであった。このことを避ける方法として、ヴィクセルは金の自由な鋳造の延期をあげている。そうすることによって理想的な価値本位導入への第1歩が印されることになる、と考えるのである。この計画には中央当局も国際通貨も必要とはされない。
「各国は自身の紙幣(および若干のコイン)をもつ。どの中央銀行もこれらを平価で兌換できねばならないが、これらはその国の内部でのみ流通を許される。したがって国際収支の均衡を維持し、世界の物価を安定させるためには、他の国々に比べてあるいは他の国々と協力して、自国の利子率をコントロールすることが各国の金融機関の単純明快な責務ということになる」(『利子と物価』pp.193-194)。
これは1種の管理通貨制度である。ヴィクセルは、世界の物価を安定させるために、さまざまの国の銀行が利子率を共同でコントロールすることに同意が得られることの重要性を強調している。
以上の経済政策観も『貨幣論』のケインズにほぼ同様なかたちで継承されている57。
4.ヴィクセル理論の評価と影響
物価を決定する要因は何か。ヴィクセルは産業の技術進歩による自然利子率の変動を第1の要因としてとらえ、これに適応が遅れる貨幣利子率との関係で物価の変動を説明しようとした。
両利子率の乖離により企業家に超過利潤が発生するため企業家は生産の増大意欲を駆り立てられ、銀行から資金を調達する(組織化された信用経済)。この資金は生産要素の雇用に用いられ(賃金- レント基金説)、生産要素はそれを消費財の購入に向ける。他方、消費財の生産量は一定である(迂回生産構造不変の想定)。基本的には、生産要素からの消費財需要と前期の生産量から企業家ならびに資本家の自家消費を控除した量から、消費財価格が決定される(ヴィクセルの「総需要- 総供給分析」、あるいは「基本方程式」) 。
したがって消費財価格上昇の第1の要因が自然利子率と貨幣利子率の乖離にあるとすれば、第2の要因は企業家の生産増大意欲にかられた資金需要にあるといえよう。このような状態が持続すると、第3の要因として「連続性と慣性の法則」が働くことになる。
ヴィクセルは、以上を期間分析の手法を用いつつ、不均衡の経済状態を分析したのである(中期ないしは短期の理論) 。これが累積過程の理論である。
経済学者としてのヴィクセルを全体的に評価しようとする場合、絶対価格を説明する唯一の理論であった貨幣数量説を批判し、それにかわる累積過程の理論を提唱した理論家としてのみならず、ワルラスの一般均衡理論とベーム- バヴェルクの資本理論の統合を図った相対価格の理論家としても評価しなければならない。後者の領域においてヴィクセルは「新古典派」の代表的な経済学者である。その理論は限界効用学派に属し、ワルラスの一般均衡理論、ジェヴォンズやベ ム- バヴェルクの資本理論に依拠するものであった。本章で問題としたのは前者に限定されているが、この理論こそが新しい貨幣的経済理論の出発点になったのである。
累積過程の理論と貨幣数量説のあいだの相違をまとめると、次のようになるであろう。
① 貨幣数量説は、均衡状態における物価の変動を説明する理論(狭義の貨幣数量説)と(フィッシャーの「過渡期の理論」のように) 均衡間の経済状態を説明する理論で構成されている。しかし1つの現象を説明するのに、2つのかつ整合的でない理論を用いることには無理があり、貨幣数量説の実体は狭義の貨幣数量説にならざるをえない。この点は、相対価格理論にたいしての絶対価格理論として位置づけられることによって、いっそう強くなる。
② 累積過程の理論は均衡間の経済状態を説明することに中心がおかれており、均衡そのものはそのためのノルムにすぎない。したがって1つの現象を説明するために、2つのかつ整合的でない理論を用いるということは生じていない。
③ (狭義の)貨幣数量説がもっぱら貨幣数量の増減という現象に焦点をおくのにたいし、ヴィクセル理論は技術進歩という現象を重視し、かつそれと貨幣利子率、企業家の生産増大意欲にかられた資金需要、さらには「連続性と慣性の法則」との関連でとらえる。しかしヴィクセルも物価の変動にのみ注意を払い、産出量については禁欲的なまでに固定的であると想定した(迂回生産構造不変の想定)。
累積過程の理論がその後の貨幣的経済学の発展におよぼした影響ははかりしれない。以下の諸章で取り上げていくストックホルム学派、オーストリア学派、それにケインズ達は、ヴィクセルの理論を1つの重要な出発点として独自の貨幣的経済理論を展開させていった。彼らに共通する姿勢は、ヴィクセルが自己の貨幣価格理論を貨幣数量説にかわるものとして限定したのにたいし、「貨幣数量説+一般均衡理論」からなる理論体系としての経済理論(新古典派体系)そのものを批判している点である。その意味で累積過程の理論は、彼らにより機能する領域を拡張されたということができる。
このような進展が生じたのは、ヴィクセルの問題設定にそもそも無理があったからである。ヴィクセルは貨幣価格の理論として累積過程の理論を提示したとき、そのことによって相対価格の理論を「宙ぶらりん」の状態においてしまったからである。累積過程の理論は不均衡状態を分析するのにたいし、相対価格の理論は均衡点を分析する。ヴィクセルの理論体系にあっては、不均衡状態における相対価格の問題は問題設定の段階で考察の対象からはずされていたにすぎず、貨幣利子率と自然利子率の乖離が相対価格に影響を与えな
いということは、証明されているわけではない。ミュルダールやハイエクの批判意識は、ヴィクセルの問題設定が含むこのような無理に源を求めることができるであろう。
他方、ヴィクセルの後継者が作り上げた経済理論は、互いに異なった特徴をもつものである点にも注意が必要である。彼らはヴィクセルの理論のもつ多様性のなかから、彼らが重要とみなす要素を中心に独自の理論を作り上げているからである。
たとえばミュルダールの場合、ヴィクセルの貨幣的均衡概念の内在的批判を通じ、貨幣的均衡を(ヴィクセルがほとんど論じなかった)投資・貯蓄の均衡として定義し、そこからの乖離を利潤マージンの関数としての投資関数に重点をおきつつ論じている。ハイエクの場合、累積過程の理論にとっては所与とされていた相対価格の変化と迂回生産構造の変化による説明が中心となっている。ヴィクセルとは異なり、物価水準概念の徹底的な否定、および貨幣数量概念重視の立場がとられている。『貨幣論』のケインズの場合、両者に前2者に比べるとヴィクセルの理論に忠実である。自然利子率と貨幣利子率の乖離による
物価の変動というヴィクセルの中心テーマ、それに基づく現実の物価変動の説明、長短利子率の関係などは、いずれもヴィクセルの考えと軌を一にする。ケインズが独創性を発揮しているのは、「TM供給関数」58を用いた議論であり、投資財価格決定にかんしての弱気関数の理論であった。他方、ケインズは迂回生産理論や賃金基金説を継承してはいない。
経済政策の立場をみても、3者3様である。ケインズはヴィクセルにもっとも近く、貨幣当局の利子率政策により物価を安定させることが重要であり、かつ可能であるという立場に立っている。これにたいしてミュルダールの場合は根底に「貨幣的均衡の無差別領域」59という概念があり、貨幣的政策の有効性についてはかなり懐疑的な立場に立っている。ハイエクの場合には、経済過程の自然な価格体系を維持することが理想であり、貨幣量を不変に保つことがそれに寄与すると考えている。これは「組織化された信用経済」を前提とし、貨幣量概念が重要な意味をもたないヴィクセルの理論とはあいいれない。
以上の概観からもわかるように、ヴィクセルの後継者には重要な共通点(貨幣数量説批判および「貨幣数量説+一般均衡理論」という体系にたいする批判)がみられると同時に、他方で具体的理論および経済政策論にはかなりの乖離がみられる。以下の諸章では、この3名の経済理論を中心に取り上げ、検討を加えていくことにしよう。
5.補論:カッセルの景気変動論
カッセルは第3編「景気循環の理論」において景気変動を論じている。これはカッセルの最も重要な理論的貢献であり、景気変動論の発展において非常に重要な位置を占めている。
カッセルの景気循環論を要約して示すならば、貨幣利子率の変化が資本財価格に影響を与え、その結果、資本財の生産量が変化し、乗数過程を通じて消費財部門に影響をおよぼしていくという構造になっている。つまり以下に示す3つのルートから構成されているといえる。
① 第1ルート ― 貨幣利子率の動きの緩慢さ
銀行による信用創造のない状況では、経済は貯蓄と投資で代表される資本市場で調整される。貯蓄は資本処分(capital-disposal)の供給として、また投資は資本処分にたいする需要として登場し、両者から貨幣利子率が決定される。しかし銀行による信用創造の存在する現在の貨幣経済においては、資本市場に資本処分の供給者として銀行が登場するため、銀行が必要な資金を供給し続けるかぎり、貨幣利子率は変動にくくなる60 。そのため景気循環のなかで貨幣利子率の動きは遅く、景気変動を拡大させる要因になっている。貯蓄は所得と消費との関係で、他方投資は固定資本との関係で、それぞれとらえることができ、消費財にたいする需給、投資財にたいする需給が生産量および価格の両面におよぼす効果を分析しなければならない。
② 第2ルート ― 固定資本生産量の変化
貨幣利子率の低下(上昇)は固定資本の価格を上昇させる。したがって企業家は資本財の生産を増大させるように行動する。
③ 第3ルート ― 乗数過程の理論
投資財生産の大きな変動は投資財産業での雇用量、したがって所得の変動を引き起こし、さらには消費財産業への波及をもたらす( これは乗数過程の理論である) 。
以下、カッセルの叙述に従いながら、少し詳しくみていくことにしよう。
カッセルは第1編「経済学の全般的サーヴェイ」および第2編「生産要素の価格付け」を、演繹的方法により分析がなされ、現実のなかには正確な対応物のない想像上の像を扱うものであると規定しているのにたいし、第3編を帰納的方法により分析がなされねばならないものであると規定している61。実際、景気変動論での立論は、統計データに基礎をおきつつ、そこから理論的命題を引き出していくという方法が採用されている。
カッセルは、景気循環を2 つに分けて検討している。1 つは景気循環が生じたときに、経済のさまざまな局面( 生産、労働、生産手段、所得、諸価格、貯蓄等) におよぼす影響の検討であり、もう1 つは景気循環そのものが生じる要因の検討である。
a.景気循環がさまざまな局面におよぼす影響の検討
カッセルは、まず景気循環が生産におよぼす影響を固定資本および消費財の生産に分けて論じ(第14章) 、続いて労働および耐久性のある生産手段におよぼす影響( 第15章と第16章) 、および諸価格や所得の決定および資本形成におよぼす影響( 第17章) を論じる。
そこでは、固定資本の生産の大幅な変動が景気変動の本質的な要素として重視されている。その変動がそこで雇用される労働者数の大幅な変動、したがって労働者所得の変動をもたらし、ひるがえってそれが消費財への需要を変動させる、と考えるのである(第3ルート)。この発想は乗数理論的であり、(『貨幣論』のではなく)『一般理論』のケインズに継承されている。ヴィクセルとは異なり、カッセルは生産や雇用の変動を陽表的に扱っているのである。
「... 固定資本の生産は景気循環のさまざまな局面のあいだ確かな変動にさらされやすい... 。不況のあいだはその生産は正常な生産よりも減少し、好況のあいだは正常な生産よりも増大する。景気循環の全理論にとって根本的に重要なこの事実は、概してわれわれが生産との関係で与えたデータによって直接的に、また労働および商品価格の動きにかんするわれわれの研究によって間接的に確証されている。主要な点は、景気循環のこの効果は固定資本の生産に特有であり、消費生産の領域では感じられない、ないしは少なくとも同程度には感じられないということである」(『社会経済の理論』p.622)。
「好況の主要な特徴である固定資本生産の増大は労働者数の増加、および通常は労働時間の増加をもたらす...。新たな労働者は、失業者のなかから、あるいはこれまで雇用されていなかった若者から、あるいは農業人口から募集される。いずれの場合にも、新たな労働雇用および労働時間の増加は新たな所得の創造を意味する。この所得は追加的な購買力を表わすが、それはおそらく大部分は消費に吸収されるので、労働者階級に通常の必需品を供給する産業に新たな需要を作り出す。...より大きな需要のため、これらのすべての産業〔資本生産産業および大量生産産業〕の活動が増すにつれて、新しい労働者が必要とされ、より長時間の労働がなされねばならない。大量生産産業ならびに資本生産産業における労働需要のこの着実な上昇は徐々に賃金を引き上げ、それゆえに労働者階級の購買力を上昇させる」(『社会経済の理論』p.617)。
景気循環が影響をおよぼす局面として最後に考察されているのが資本市場である( 第18章) 。ここでの分析は、基本的に貯蓄(ないしは消費)と投資のあいだの関係、あるいは生産の消費財・投資財への分配と所得の消費・貯蓄への分配のあいだの不調整を中心に据えたものになっている62。
「所得は消費される部分と貯蓄される部分に分けられる。前者は消費財の購入に用いられ、後者つまり貯蓄は新しく生産された実物資本の購入に用いられる。資本市場で貯蓄は資本処分の供給として、他方生産される実物資本は資本処分にたいする需要として登場する」(『社会経済の理論』p.622)。
カッセルはまず、消費性向が不変という単純化された想定のもとで分析を行なう(景気の変動に応じて消費性向が変動するケースは、この分析をやや複雑にするにすぎないから割愛する) 。このとき、消費と貯蓄は所得と同じ率で増加する。景気の上昇期には、全所得よりも固定資本の生産がより速く、消費財の生産がより遅く増大する。このため、貯蓄よりも固定資本生産の伸びが大きくなり資本財の価格は下落し、他方消費支出よりも消費財生産の伸びが小さくなり消費財の価格は上昇する。
このように述べた後、カッセルは資本市場では、固定資本財および資金需給の両側面からみて、貨幣利子率が上昇すると論じている。
「もしわれわれが資本市場を生産された固定資本が販売される市場とみなすならば、物的資本財の価格は想定されている条件下では明らかに下落する。... おそらく消費財価格の上昇運動はおそらく資本のサ ビス価格の同様の動きを伴うであろう。その場合、固定資本の価格のそれを使用する価格にたいする比率は下落するであろう。これは利子率の上昇と同じである。
またわれわれが資本市場を資本処分にたいする需給が出会う市場とみなすならば、想定されている条件下では需要が優勢となる傾向があり、資本処分の価格が上昇、換言すれば利子率は上昇するであろう。有価証券はこの高くなった利子率で資本化されるようになるので、その資本価値〔したがって資本財の価格〕は下落する」(『社会経済の理論』p.623)。
だがこれ(特に引用文の後半)は、銀行による信用創造のない状況での分析である。銀行による信用創造の存在する現在の貨幣経済においては、銀行家の行動を考慮に入れねばならない。銀行家の資金供与は貯蓄の増大と同じ効果を有し、資本財生産の増大を引き起こすからである。
「景気回復の一等最初において、彼ら〔銀行家〕は一般に初期の利子率で支払い手段の供与を続けるか、あるいはいずれにせよ、資本処分の増大する稀少性が必要とするような速さで利子率を引き上げるのを躊躇する。その結果、資本財は低すぎる利子率で資本化される。すなわちそれらの価格は押し上げられる。それゆえ資本財の生産はとくに利益があるように思われ、企業家達は銀行が非常に安く提供する購買力を自由に利用する。このことは、社会の購買力の資本財の方向への転換をもたらす。これに対応して生産に変化が生じ、したがって消費者の需要は十分に満たされることができない。こうして銀行のこの行為は、社会の購買力の資本財と消費財への配分にかんして、社会の貯蓄増大と同様の効果をもつ。
銀行が実業家の自由にさせる新しく創造された購買力は、当然諸価格の上昇を引き起こすにちがいない。そしてこのことは、一般価格水準の上昇をもたらすまで拡大するにちがいない。そのとき景気は支払い手段供給の対応した増加を必要とするが、銀行がこの需要を満たす。景気回復の期間中、銀行貨幣量および一般価格水準は双方とも上昇する」(『社会経済の理論』pp.625-626) 。
この立論はカッセルの景気循環理論のエッセンスである。銀行による信用創造がなされる現在の貨幣経済においては、貨幣利子率はそうでない経済のように投資と貯蓄のみによっては決定されず、銀行による購買力の供与のために貨幣利子率は変動しにくくなる(「第1ルート」)。低すぎる利子率のため資本財価格が上昇するため、企業家は増大した購買力を資本財の生産に振り向ける。こうして資本財の生産が増大する(「第2ルート」)。
これに既述の、乗数過程(「第3ルート」)が続くことになる。
b. 景気循環そのものが生じる要因の検討
カッセルは第19章「景気循環の決定要因」において、景気循環の決定要因として、貨幣利子率、固定資本の原材料の価格および賃金の3 点をあげている。なかでも貨幣利子率が最重要視されているのは、以上の立論からも明らかであろう。
「促進力としてあるいは抑止力として活動しながら、景気循環の動きを決定する要因...。これらの要因のなかで資本利子は中心的位置を占める。... かくして利子率は景気循環の行路に非常に決定的な効果、つねに行路とは反対の方向への効果をもっている。不況のあいだ、利子率は低く、それが企業に回復的効果をもつ。好況のあいだ、利子率は高く、それが抑止力として働く。他方、利子率はそれ自身景気循環に影響される。不況は利子率を引き下げるが、それはひるがえって不況の終結を導く。これに対応するのが好況のあいだの利子率の上昇であるが、それは長く続くことはできず、好況自身やがて終結にいたる。かくして利子率と景気循環のあいだには、相反的な作用がある」( 『社会経済の理論』pp.639-641) 。
c. カッセルの景気循環論の位置づけ
カッセルの景気循環理論は、本稿で取り上げている経済学者のなかでは、ミュルダールの理論に最も近い(実際は、カッセルの理論の方が先行している63)。貨幣利子率の低下が資本ストック価値の上昇をもたらし資本財の生産を有利にするという立論、投資と貯蓄、消費と貯蓄への着目等が共通しているからである。ただしカッセルにあっては、ミュルダールのように迂回生産の理論は採用されていないが、一方ミュルダールとは異なり乗数過程の理論が展開されている。
カッセルの立論は、資本財生産への銀行の信用供与が強制貯蓄を引き起こすという点ではハイエク的である(「強制貯蓄のケース」)。また資本財の価格が利子率で資本化され、それに応じて資本財の生産量が変化するという点で、ケインズ的であるといえる(「投資価格理論②」と「TM供給関数」)。だが『貨幣論』のケインズは、銀行による資金供与が(自発的)貯蓄と同じ効果を経済にもたらすという考え(これはハイエクやロバートソンにもみられる64)には反対したことであろう。またカッセルの理論は、信用供与の点でヴィクセルの「組織化された信用経済」的である65。
カッセルの景気循環論は何よりも『銀行政策と価格水準』のロバートソン66や『貨幣論』および『一般理論』のケインズに大きな影響を与えている。ケインズとの関係でいえば、第1ルートおよび第2ルートは『貨幣論』に継承され、第3ルートは『一般理論』に継承されている。
注
1) 『利子と物価』p. 1を参照。
2) 『利子と物価』p.20を参照。
3) 『利子と物価』pp.100-101 を参照。
4) 『利子と物価』p.135 を参照。
5) 『利子と物価』p.4 を参照。
6) 『経済学講義』上巻、p.101 を参照。ヴィクセルの実物体系をめぐっては、近年いわゆる「欠けた方程式」をどのように定式化するのがよいのかをめぐって活発な議論がなされた。サンダリン〔1980〕、根岸〔1982〕を参照。
7) 『価値、資本およびレント』p.167 を参照。
8) 『利子と物価』p.29を参照。
9) 『利子と物価』p.101 を参照。
10) 『利子と物価』p.24を参照。
11) 『利子と物価』pp.26-27を参照。
12) 『利子と物価』p.27を参照。
13) この点については、オー リンが『利子と物価』の序文(ⅹⅲ) で引用している『経済学講義』下巻の序文においてヴィクセルが述べた「財およびサ ービスにたいする需給という簡単でかつ容易に理解できる公式を用いて、一般的な財の価格水準を論じることに『利子と物価』においてよりも努力した」という1文が参考になる(この序文は英語版には採用されていない)。『経済学講義』下巻p.159。第2章の1のBを参照。このような発想法がすでに『利子と物価』においてもみられるのである。同様の指摘はリンダール[1939]p.245にもみられる。
14) 『利子と物価』p.4 を参照。
15) 『利子と物価』p.18を参照。
16) 『利子と物価』p.42を参照。
17) ①から④までについては、『利子と物価』pp.41-42を参照。
18) 『利子と物価』pp.165-167を参照。ギブソン・パラドックスをめぐっては、ヴィクセルが言及しているギッフェン、それを批判したフィッシャーのほか、『貨幣論』のケインズ、さらにはフリードマンによるヴィクセル= ケインズ的な説明にたいする批判、といった長い論争の歴史がある。
19) 『利子と物価』pp.30-31を参照。
20) 『利子と物価』pp.31-33を参照。
21) 『利子と物価』pp.35-37を参照。
22) 『利子と物価』pp.7-17 を参照。
23) この点についてはブローグ〔1985〕p.637 を参照。
24) 完全雇用の想定については、ほかにも例えば『利子と物価』p.131 を参照。
25) 『利子と物価』pp.125-126を参照。
26) 『利子と物価』pp.129-130を参照。
27) 『利子と物価』pp.132-133を参照。
28) 第3 章の2 を参照。
29) 『利子と物価』p.70を参照。
30) 『利子と物価』pp.62-63を参照。
31) 『利子と物価』pp.75-76を参照。
32) 『利子と物価』p.113 を参照。
33) 『利子と物価』pp.115-116を参照。
34) 『利子と物価』p.110 を参照。
35) 『利子と物価』p.89を参照。
36) 『貨幣論』のケインズはこの立場を継承している。『貨幣論』上巻p.180 、下巻p.316 を参照。
37) 『利子と物価』p.102 を参照。
38) 『利子と物価』pp.103-104を参照。
39) 自然利子率については、このほか前述の迂回生産の理論についての説明をも参照。
40) 『利子と物価』pp.125-127を参照。
41) 『利子と物価』pp.136-141を参照。
42) 『利子と物価』pp.141-147を参照。
43) 「統制されない利子率」(uncontrolled rate of interest) とか「自然資本率」(natural
capital rate)と呼ばれることもある。
44) 「契約利子率」(contractual rate of interest)と呼ばれることもある。
45) リンダール〔1939〕p.142 、ミュルダール〔1939〕p.22、『貨幣論』上巻p.122 を参照。ただし第5章の2のBのaの「消費財」でのヴィクセルとミュルダールの相違点に注意が必要である。
46) 実際、ヴィクセルは後に『経済学講義』下巻においてこの立場を明確に表明している。pp.159-160を参照。さらに注13を参照。
47) 『利子と物価』p.145 、pp.96-97を参照。
48) 『利子と物価』p.135 を参照。
49) 『利子と物価』pp.150-156を参照。
50) 『利子と物価』p.131 を参照。
51) 『利子と物価』p.167 を参照。
52) 『利子と物価』pp.173-176を参照。
53) 『利子と物価』pp.176-177を参照。
54) 『貨幣論』下巻pp.162-169、pp.338-347を参照。
55) 『利子と物価』p.194 を参照。
56) 『利子と物価』p.193 を参照。
57) 『貨幣論』下巻p.346 を参照。
58) 第4章の2のA を参照。
59) 第2章の2を参照。
60) この考えはジョプリンの考えに通じている。本稿第3章1のCを参照。
61) 『社会経済の理論』p.533 を参照。
62) この発想は『貨幣論』にも継承されている。本稿第4 章1 のB を参照。
63) 第4 編「景気循環の理論」は第1 次大戦前に書かれている。『社会経済の理論』p.ⅴを参照。
64) 『ケインズ研究』p.55の注14を参照。
65) ヴィクセルは『社会経済の理論』にたいする書評〔1919。『経済学講義』上巻pp.219-257所収〕において、カッセルを徹底的に批判している。第1 編「経済学の全般的サーベイ」については、現代価値論( 価値の主観理論) の全面的否定が、第2 編「生産要素の価格付け」については、ベーム- バヴェルクの利子理論にたいする無理解が、第3 編「貨幣」については、貨幣数量説の立論ならびに利子と物価の関係についてのカッセルのあいまいで否定的な扱いが批判の対象となっている。しかしヴィクセルは、第4 編「景気循環の理論」については、きわめて高い評価を与えている。「概してそれら〔カッセルの結論〕は圧倒的に健全で正当であると思われる」( 『経済学講義』上巻、p.255)。
66) さしあたり本書第4 章の注25を参照。
(メモ)
ヴィクセルのその後と、ほかの経済学者の関係について,
Interest and PricesでのOhlinのIntroductionの検討が
絶対に必要である。