2014年6月10日火曜日

雇用政策 - 経済政策における「ケインズ革命」




雇用政策

  経済政策における「ケインズ革命」―

平井俊顕

  第六章でみたように戦後国際秩序をめぐり、ケインズは様々な案を起草し、その多くはイギリス側の正式案として承認された。そして自らイギリス側の代表としてアメリカとの交渉の陣頭指揮に当たった。ここでは、そこで言及した第三の分野である雇用政策、続いて、社会保障計画について述べておくことにしよう。

 『一般理論』で展開されたケインズの雇用理論の特質をめぐっては、非常に多様な理解が存在してきており、そのことがケインズ派の多様化の原因にもなってきていることは周知のとおりである。政策論を扱う本章でそのような問題に深入りしても成果は期待できない。以下の議論との関係で重要な点を記しておくことにしよう。第一に、『一般理論』で展開されたケインズ理論は、消費と投資からなる総需要(もしくは総支出)により雇用が決定されるという単純・素朴なかたちのものである。そしてこれは、以降ケインズ自らが、またミード達が政策的立論の基礎においたものである。第二に、『一般理論』はそうしたかたちで、主として若手の経済学者のあいだに大きな影響力を及ぼしていった。第三に、このケインズ理論が政策の領域で大きな影響力をおよぼすことになるのは、ケインズが大蔵省のアドバイザーを引き受ける半年ほど前に発表された『戦費調達論』(一九三三年十一月)のあたりからであり、『一般理論』が想定した失業下ではなく、完全雇用に向かう経済においてである。これは、戦間期の悪夢を再来させないためには戦後の雇用政策は政府の不可欠の仕事である、という合意が広く存在したからである。第四に、この単純な理論枠組みに基づいて、非常に豊富な政策ツールが開発されていった。国民所得勘定の整備、総需要管理政策や予算政策といったかたちで、従来みられなかった理論と政策の融合がみられたのである。これらのことはケインズの存在を抜きにしてはなしえなかったことである。第五に、この領域ではケインズの現実主義的な政策立案者・政治算術家としての側面が濃厚である。しかもケインズは一貫して楽観主義的立場(かりに経済が悪くなりそうな場合でも、政策によってその是正が可能であるという確固たる信念をもっている)に立っており、悲観的・消極的論者と激しく対立していくことになる。



 Ⅰ 『戦費調達論』(一九三三年) と一九四一年予算

 『戦費調達論』は、すでにドイツとの戦いが始まっているという状況下にあって、今後いかにして戦費が調達されるべきかを、国民所得会計的な手法と既述のケインズ理論に依拠しつつ、具体的な立案として提示したものである。そこで想定されているのは、やがて来るであろう完全雇用下での経済問題である。その状況下にあって座して何の対策も講じないでいれば、インフレ・スパイラルが生じ、所得分配は企業家階層に有利、賃金階層に不利な方向に向かってしまう。そうならないために、そしてこの機会を社会的公正を高めるために利用すべきである、とケインズは説く。完全雇用下での最も重要な経済問題は、いかにして消費を抑制するかである。その方策として提唱されているのが「繰り延べ払い」(deferred pay)である。これは公衆の所得の一部を、戦後のある時期まで原則としてその支出を禁じるというもので、「強制貯蓄」(compulsory savings)の一種である。それは、利子を得て銀行に預けられ、戦後のある時期まで凍結される。そして「繰り延べ払い」が戦後の不況期に解禁されるならば、今度は総需要の維持に役立つであろう。この間、公衆は賃金の上昇を要求するべきではなく、その代わりに「家族手当て」(family allowances) ならびに「必需品の安価な割当」(cheap ration)が受けられるようにすべきことが提案されている。公衆の消費を削減(凍結)させることで政府は必要な戦費を調達する。そのことでインフレが引き起こされることはなく、かつ個人の自由な選択の余地は残される。そして賃金階層は一種の資産を保有することになり、企業家階層への所得分配の上昇を引き起こすインフレは回避される。さらに「繰り延べ払い」の恩恵を受けない階層にたいしては、必要な社会政策を考慮する-政策的必要性と社会正義(経済的平等)の同時的達成を実現する方策として、ケインズは「繰り延べ払い」プラス「家族手当て」を提唱したのである。
  『戦費調達論』はたんなる時論ではない。そこでの立論は「ケインズ理論」ならびに「国民所得会計」に基づいている。これは統計的予測の重要な出発点であり、ケインズのもと、ストーン= ミード(一九四一年) をはじめとする国民所得会計の飛躍的な発展をみることになった。政策論的な影響はより強烈であったというべきであろう。それは、一九四一年の予算案ならびに『白書』(『戦時金融の源泉の分析および一九三八年ならびに一九四〇年における国民所得および支出の推計』、一九四一年四月)に非常なインパクトを与えたからである。これは、ストーン= ミードを中心として、そしてケインズの強力な支援を得て作成された。そこでは、国民所得会計的な分析フレームワークが予算編成に採用されており、「繰り延べ払い」の構想も取り入れられていた。一九四一年四月一四日付けの母宛手紙でケインズは次のように述べている。

  「公的には、繰り延べ払いの限定的承認が私と最も関係する箇所です。しかし私が最も
重視している、そして私も一役買った点が二つあります。物価の安定化... ならびに戦時予算の論理的構造ならびに方法がそれです。戦時予算は新しい『白書』とともに公共財政におけるまことに革命であります」(JMK.20, p.354)

  戦後の雇用政策にかんする本格的な討議が開始されたのは、経済部(Economic Section)においてである。ジュークス部長の「高水準の雇用を維持するための現実的な政策の提示された」立案執筆の要請を受けて、ミードが作成した「全般的失業の防止」(`The Prevention of General Unemployment'.二月)、ならびにその改訂版「全般的失業防止のための国内手段」(`Internal Measures for the Prevention of General Unemployment'.七月) がそれである。後者は十一月に「戦後国内経済問題委員会に関する省庁間委員会」に提出された。ミードの文書に深い感銘をうけたのが大蔵省の指導的官僚ホプキンズ(一九三二-四二年、Second Secretary (No.2). 一九四二-四五年、事務次官) である。ホプキンズは、この文書を同僚や閣僚に広く推薦し、以降もこの文書の行く末に関心をもち続けた。


       Ⅱ 戦後見通しの楽観論と悲観論-生産性と失業率をめぐって

  戦後のイギリス経済はどのようになると推定されていたのであろうか。この点で楽観論の代表格はケインズであり、悲観論のそれはヘンダーソンであった。
 ケインズの楽観論は、ストーンと共同で行なった戦後の国民所得の推計作業に依拠している。一九四二年五月、ケインズはこれを「戦後の国民所得と国民支出」と題する覚書とともに回覧に付した(JMK.XXVII, pp.280-298)。そこでは、一九四四年の要素費用表示での国民純所得が六五億ポンド±二億ポンド、以降毎年一億ポンドずつ増加すると推定されている。これは完全雇用を想定しており、いわば供給サイドからとらえた場合の最大可能な国民所得というべきものである。この算定方法における最大の特徴は平時における生産性の上昇率を重視している点である。それは、戦時中にイギリス産業の効率性はアメリカからの技術導入等により格段の発展をみせてきており、その成果は戦後の経済にも拡大的に適用可能である、との見通しに基づくものであった。他方、「効率の低い労働者が漸次、産業に参入することによる賃金稼得者の平均生産性の低下」率が考慮される。これらの想定値如何によって±二億ポンドが生じるとされる。他方、需要が放置されたままの状態の場合、完全雇用国民所得をはるかに凌駕する状況が対置されている。ケインズはその数値を七二億五千万ポンドとみている。したがってインフレなき完全雇用を維持するには総需要を抑制するための統制の継続は不可欠である、とされる。
  次に、大蔵省、経済部および中央統計局等による企画「国民所得水準に及ぼす影響力」(一九四三年六月) のなかの第3章「戦後国民所得のありうる範囲」(JMK.XXVII, pp.334-345)をみることにしよう。ケインズは、ここで楽観的な予想と悲観的な予想の乖離は、賃金稼得者の失業率、生産性の上昇、交易条件をどうとらえるかに依存すると述べている。失業率については、悲観説で百五十万人、楽観説で八十万人とされている。生産性の上昇の評価はケインズが最も重視しているファクターである。「産業の戦争経験といった大変革、労働の集中的な訓練、アメリカの最良の経験の成果の広範囲にわたる導入、必要が発明の母であるということ」(p.336)を考慮に入れる必要があるという主張である。以上を考慮するとき、楽観論者のなかでの慎重な見解では、国民純所得は一九四八年に七十二億5千万ポンド、一九五二年に七十七億ポンドと推定される。他方、悲観論者の見解では、一九四八年に六十八億ポンド、一九五二年七十二億ポンドと推定される、ケインズは論じている。だが、この企画が「再建優先委員会」に提出された草案では、一九四八年の推計中央値は六十八億ポンド、そして変動幅もより悲観的なものとなった。そのため、ケインズはこれにたいして不同意書を提出することになった。その趣旨は「戦争経験が効率性に何の効果も及ぼさなかった」という想定のもつ非現実性を突くものであり、七十億-七十四億ポンドでも低めの見積もりであるというものであった。
  次に悲観論の代表格であるヘンダーソン(一九三九-一九四四年。大蔵省経済顧問) を取り上げよう。大蔵省は「戦後国内経済問題にかんする省庁間委員会」に「戦後における購買力と消費財との関係にかんする覚書」(一九四二年四月)を提出したが、これはヘンダーソンの手になるものであった。編者モグリッジはこれを次のように要約している。

  「それは長期的な需要水準について非常に悲観的であったという事実にもかかわらず、
適切な政策手段を考察するよりも、戦後直後期を論じること、および一九一九-一九二四年のイギリスの状況との比較により多くのスペースをさいていた」(JMK.27, p.271)

  これにたいしてのケインズのコメントは次のようなものであった。それは暫定的な失業問題、生活水準維持の困難さを深刻にとらえすぎており、インフレの危険性に配慮を払っていない。とりわけ生活水準維持の困難さとの関連で、この覚書が近年イギリス経済が達成してきた完全雇用および生産技術の改良の成果を過小評価している。
 ケインズの強調点は、早期の準備と十分明快な計画の作成である。具体的には次のよう
なことが考えられている- () 輸出拡張のための市場の開拓、()資本需要が適正なスピードで実現していくような資本計画の作成、() 消費支出の一定期間の統制(p.276) 。そして悲観的な状況になりそうな場合でも、政策手段でこれを防止すべきことが強調されている。
  戦後経済の予測をめぐって、ケインズとヘンダーソンのあいだでは激しい議論が飛び交った。既述のケインズ= ストーンの推定にたいして、ヘンダーソンをはじめとして、ロバートソン、ホプキンズは、失業ならびに生産性についての想定が楽観的であるとのコメントを述べた。これにたいし、ケインズは次のように回答している。八十万人の失業者という想定は楽観的などころか、悲観的な数値とさえいえるものである。それは公衆が耐えうる最高の数値であり、十万人という「事実上、雇用不能な失業者数」にまで減少させることも不可能ではない。生産性についてもヘンダーソンは悲観的であるが、戦時の革新を利用することに努めるかぎり、想定されたような生産性の仮定には問題はない、とケインズは述べている。そして、ヘンダーソンの想定に立つならば、一九四四年の国民所得は57億ポンドになるが、これは、最低水準の投資と共存できる消費がこれまでに経験したことのない低い水準にならざるをえなくなることを意味する、と批判を展開している。


   Ⅲ ミード(経済部)vs. ヘンダーソン(大蔵省)

  経済部ではミードを中心として、既述の完全雇用を維持するための政策体系の探究が熱
心に進められていた。経済を安定化させる政策体系の確立- これこそ、いま早急に関心が向けるべき政策課題であるとの信念をもってミードは活動していた。一九四三年一月、ケインズにたいし、社会保障案である『ベヴァリッジ報告』(一九四二年)に続けて戦後の失業問題にかんする『ケインズ報告』の一刻も早い刊行の必要性を訴えながら、ミードは次のように書いている。

  「これに関連した可能性の探求には、いまやエコノミストに周知の話題、すなわち安定
化のために新規の国民所得統計を利用するとか、全般的不況を防止するために政府支出、民間投資および民間消費を制御したり、あるいはそれらに影響を与えることができる様々な方法などがおそらく含まれるでしょう。これにかんする公的な調査および報告は、……公衆に新しい精神を植え付け、そしてこの分野における良識ある政策が戦後のいかなる政府によっても実際に採用されねばならない、ということを明確に保証することでしょう」( JMK.27, p.314)

  戦後の雇用政策をめぐるミード案は、「総需要の景気対策的管理に主たる焦点がおかれていたが、総失業のなかの摩擦的および構造的要素も認識していた。そして労働の可動性を改善したり、適切な産業配置を奨励したり、経営者ならびに組合双方による制限的慣行を減らしたりする方策に簡単に言及した」(ケアンクロス= ワッツ(1989, p.71)ものであった。このなかには、当初から産業活動の状況に応じて国民保険の拠出金率を変更させることで総需要を管理するという構想が含まれていた。
  この構想は、同時に進行中であったベヴァリッジの社会保障案の策定過程のなかで大きな注目を浴びることになった。ミードの意図は、景気が加熱化(悪化) してくると総需要(一般購買力)を抑制(刺激)するように拠出金率を増加(減少)させる(失業基金はその結果、黒字化(赤字化)する)というかたちで、拠出金率を経済の安定化手段-一種のビルトイン・スタビライザー- として用いようというものである。 

「社会保障拠出金の変更といった企画のもつ大きな長所は、それが私のいう「即時的自動安定化装置」(instantaneous automatic stabiliser)として機能するという点です。つまり、もし計画が失敗し、もし失業が増大する場合に、乗数が過大になるという好ましくない働きを防止して需要を刺激するという自動的な即時調整が作動します」(JMK.27, p.318)

いくつかのヴァージョンが提示されているが、一九四二年六月一七日付けのケインズ宛の手紙 (JMK.27, pp.208-209)に記されている二つの案は次のようなものである。

第一案  実現可能な最低の失業率を五パーセントとする。失業基金は(たとえば)八パーセントの失業率で均衡する(つまり、この失業率水準で支払われることになる失業給付金と釣り合う)ように、国、事業主、および被用者の拠出金の「標準率」を設定する(ただし国庫の拠出金は「標準率」のままにしておく)。失業率が八パーセントから五パーセントへと低下するにつれて事業主、および被用者の拠出金率は漸増するようにし、逆に失業率が八パーセントから十二パーセントへと上昇していくにつれて漸減するようにする(ついにはゼロにまでする) 。このとき、失業基金は好況年と不況年をならすと均衡に保たれることになる。
  第二案 - 同じく実現可能な最低の失業率を5パーセントとする。失業基金はこの水準で均衡するように拠出金を設定する(これを「標準率」と呼ぶ)。拠出金は「標準率」を上回ることはない。失業率が五パーセントから上昇していくにつれて事業主、および被用者の拠出金率は漸減するようにし、失業率が十二パーセントに達すると拠出金率はゼロにする。失業基金の赤字分(拠出金マイナス給付金)は国からの特別拠出金で補填する。したがってこの案だと、もし失業率が十二パーセントになると、国民は失業基金に一銭も入れることがなく、逆に失業手当ては最大の支払い額になり、そしてそれは国から支出されることになる。

  当初ケインズはミードのこの構想についてその数量的効果を疑問視していたが、すぐに賛意を表明するに至った。そして以下でも述べるように、その後はミード構想のもつ大きな潜在力について繰り返し言及していくことになる。ベヴァリッジもミードの構想に夢中になったのであるが、ホプキンズの「それは本当はベヴァリッジ計画に属するものではなく、購買力の放出により失業を治療するという一般的な問題にかんする覚書で考察されるべき提案の一つとなるものである」との意見が通り、ベヴァリッジ案からは分離されることになった。

  さて、戦後の雇用政策をめぐって、一九四三年五月一八日、ミードを中心とした経済部は「完全雇用の維持」と題する文書を「復興優先順位にかんする省庁間委員会」に提出した。ここに至る草案にコメントを求められたケインズは、3月二九日付のロビンズ宛の手紙で内容的な批判はほとんどない、と答えている。そして付論Eの景気相殺的な社会保険料の変更を非常に褒めるとともに、付論Fにある「所得税貸付計画」(income tax credit scheme.景気の変動を相殺する目的で、好況時に徴収された税を不況時に払い戻す計画)には賛意を示していない。ただ、総需要をコントロールする手段として、消費と投資のいずれに重点をおくかについては、ミードとケインズのあいだに相違はみられる。ミードの考えでは、国内投資の迅速な制御は困難であるから、租税政策により個人支出を刺激(制御)することが必要である。そしてそのためには経常予算の赤字または黒字を単年度単位で計画できる自由が必要であると考えられている。この考えにたいしてケインズは批判的であった。その理由は第一に、消費の短期的変動の実行可能性が疑問であるからであり(それにそのためには景気相殺的な社会保険料の変更の方が適している)、第二に、不況時に消費支出の奨励を行うよりも資本支出の奨励を行う方が政治的にも予算的にも都合がよい、というものであった。さらにケインズは、予算について資本予算(capital budget.雇用の変動に合わせて変動させる))と経常予算(current budget.常に均衡に保つ) への分割を主張していた。
  ミード文書は大蔵省内では激しい反発を引き起こした。ホプキンズはそれを「アカデミックで、誤導的で危険な悪文書」と評したし、他の官僚達も社会保障計画に反対し、失業問題は構造的問題であると主張した。さらにヘンダーソンは悲観的な色調の「雇用維持の問題についての覚書」を執筆した。ヘンダーソンは最終需要を消費に多く向けるという変化は過渡期における失業を引き起こすことなくしては不可能であると論じた。さらに公共投資は有益ではあるが効果は小さいと判断している。ヘンダーソンは減税とその結果生じる赤字財政、ならびに社会保障基金の不均衡化に反対した。ヘンダーソンが唱道したのは国家による緩衝在庫を通じての消費需要の増大であった。
  ケインズは直ちにミード文書とヘンダーソン覚書を比較・論評した「完全雇用の長期的問題」と題するメモを認めている。ここでのケインズのコメントは意外なものである。両者にみられる理論は同じである、と述べているからである。そしてその理論とは、次にみるように非常に簡単なかたちでの「ケインズ理論」であるといってよい。

「一.満足すべき雇用水準の維持が、総支出(消費プラス投資)を最適の数値、すなわち、雇用が望ましい水準にあるときに社会のすべての階層が稼ぎ出す所得を生み出すような数値にすることに依存しているという点は、今日合意がえられていると思われる。
.何らかの所与の所得水準およびその分配において、社会的慣習および機会-課税の形式と大きさ、およびその他の恣意的な政策や宣伝に影響される(かもしれない)が- は、人々がこれらの所得のある割合を消費し、残りを貯蓄するように仕向ける。
三.したがって、完全雇用を維持するという問題は、投資の規模が、雇用、そしてそれゆえに所得が望ましい水準にあるときに、上述の種々の影響のもとであらわれると予想される貯蓄に等しくなるのを確実にするという問題である。……」 (p.321)

そのうえで、ケインズは戦後イギリス経済のたどる経緯として次のようなシナリオを描いている- 第一局面(五年) では、投資誘因が大であり、(割当制などにより)消費の抑制が必要となる。第二局面(五-十年) では、緊急性は乏しいが有益な投資を促進させるために、消費のある程度の抑制が必要となる。同時に、この時期、安定した長期計画により投資の大きな変動を防止することが重要となる。第三局面では投資は飽和状態になっており、貯蓄を大幅に下回るであろうから、消費を奨励することが必要となる。完全雇用を長期にわたってインフレーションを引き起こすことなく維持するには、これらの局面に応じて採用されるべき政策が異なるのである。ケインズは、ミード文書は主として第二局面に、ヘンダーソン覚書は第三局面にかかわるものだと判断している。
 これにたいして五月三十一日付のケインズ宛手紙において、ミードは、第一局面を超えて第二局面についての立案を構想していくことの重要性を強調しながら、次のように述べている。

  「公衆は他のいかなる主要な戦後問題よりも戦後の雇用見通しにより大きな関心をもっている、といわれています。... すでにベヴァリッジはこの問題に対処するために事務局を設置しています。... 完全雇用政策についてのこれらの問題にあって、私はつねに先生を先導的知性・原動力と考えてまいりましたこと、また私がこの点で若い世代の典型的経済学者であると自負しています... (JMK.27, p.329)

Ⅳ ミード(経済部) vs.イーディ(大蔵省)- 「運営委員会」と『雇用政策白書』

  一九四三年五月三十一日に開催された「復興優先順位にかんする閣僚委員会」の会合に、上記ミード文書は提出された。そこでの議論は分裂的であった。蔵相ウッドは「ミード文書は失業問題を一つの解決策を見いだせる一つの問題として扱いすぎており、ミード文書の想定や結論を受け入れたいとは思わない」と述べ、議論を延期させようとした。これにたいし、内務省のモリソン、商務長官のドールトンはミード案に賛意を表明し、早急にそれを考察するべきことを主張した。かくして戦後問題、とくに過渡期、産業配置、労働移動、および公共事業にかんする将来の方針策定のために「戦後雇用にかんする運営委員会」(七月発足。以後、「運営委員会」と呼ぶ)を設置し、そこで討議を継続することが決定された。委員長はホプキンズ[大蔵省事務次官、一九四二-四五] でロビンズも参加することになった。「運営委員会」での議論が、『雇用政策白書』(一九四四年五月)へと結実することになるのである。
  省内での上記のような議論の結果、ミード案(経済部) に対抗して大蔵省が作成したのが「雇用の維持-大蔵大臣用の覚書草案」(一九四三年七月) である。この主たる執筆責任者はイーディ(Joint Second Secretary, 一九四二-五二年。No.2) であった。上記ヘンダーソン覚書とはうって変わり、ケインズはイーディ案にたいして非常に批判的な姿勢で臨んでいる。イーディは理論的なことが何も分かっていない、とケインズは考えており、そのことを当人宛の手紙でもかなり露骨に書いている。一九四三年六月十日、および六月三十日にケインズがイーディに出した手紙をあわせてみることにしよう。ケインズの基本的なスタンスは次の言葉に集約されている。

... 私は彼ら〔経済部〕のアプローチが基本的にはずっと健全であると考えていますし、また含まれている全般的な問題について私は心から彼らを支持しております。私はあなたの文書の根底を流れている理論にたいし、基本的に賛成いたしかねております。... 正しいにせよ間違っているにせよ、この文書は若手の経済学者のほとんどすべての集団のなかにきわめて深い猜疑心を引き起こすでしょうし、大蔵省は改心の見込みがないものとみなされてしまうことでしょう」(JMK.27, p.358)

  この書簡(六月三十日) によると、ケインズは大蔵省側を(価格) 統制を維持し、構造的失業という不可避的な状況を甘受する「戦後のデフレーションと縮小主義」の立場をとる勢力としてとらえている。それにたいしてケインズは、「価格統制」は必要不可欠ではあるが、より重要なのは「需要の統制」を弾力的かつ鋭敏に実施することである、と主張する。そうしなければ、遅いかれ早かれ「価格統制」は廃止に追い込まれ、政府は経済を統制する道具を何ももたない状態となり、やがてくるインフレーションの餌食になるであろう、と論じている。過度の「価格統制」が失業を生むのではなく、縮小主義的な政策が失業を生むのである。拡張主義的な政策を実施するとともに「需要の統制」を平行させることにより、インフレなき完全雇用を達成させる、というのがケインズの目指すものであった。

「もし大蔵大臣がそうしたいのであれば、新しい世界についての大胆な希望について若干の穏健な皮肉を表明するとしても、もしこれらの希望が実現されるべきであるならば、緊急の注意と行動が必要であるような非常に具体的な事態が存在しているという現実的な点を強調しながら、これらの積極的な提案に注意を集中するという方がずっとよいのではないでしょうか」(JMK.27, p.359)

  イーディ文書にたいする六月十日付けの書簡でのケインズの主要な批判点は次の二点である。
  第一点は、資本予算という概念(「均衡を維持するための方法」)と赤字予算という概念(「不均衡が生じた場合にそれを矯正しようとする手段」)はまったく異なったものであるのに、それらが混同されて議論がなされているというものである。ここで注意すべきは、ケインズは資本予算を重視しており、赤字予算は「計画された投資額が〔貯蓄額と〕均衡をもたらすことに失敗した場合」の最後の手段であると考えられている点である。
  第二点は、失業理解をめぐるものであり、より根本的な批判である。イーディ文書では一九三一-一九三三年をのぞけば有効需要に不足はなかったという主張がなされているのにたいし、ケインズは戦前の十年間、ほとんど毎年のように有効需要は不足しており、実際の失業はそれと構造的失業の和であった、と述べている。このことのもつ意味は重要である。イーディ文書では、戦間期のあの高い失業率もほとんどが有効需要の不足によるものではなく、構造的失業と理解されており、したがって『一般理論』の中心概念である「非自発的失業」は事実上否定されているからである。とはいえ、ケインズは、イーディ文書が(戦後に生じる事態としての)構造的失業の問題を強調している点には同意している。ケインズが批判するのは、この問題にたいして悲観的な予想の採用もしくは姿勢がもたらす危険性である。そして、自由企業体制にたいしてもっと楽観的な姿勢をとることの方が重要である、と主張している。

  「私は、自由企業のようなものが機能するようにすることができるという見解を放棄したわけではありません。われわれはこれを試みてしかるべきであると思います。そしてその試みは、根底をなす状況がそれを不可能にするようなものではないという仮定に当然基づいています」(JMK.27, p.354)

そして、ケインズは、構造的失業にたいして敗北主義的にではなく積極的に対処していくべきことをアドバイスしている。ここでもまた、ケインズはイーディ文書にみられる否定的な含意を批判し、もっと建設的なものにすることを主張している。イーディ文書にあっては、構造的失業を強調しつつもそれにたいする対策においてきわめて消極的であったからである。
 一九四三年七月九日にも、ケインズはイーディ宛に書簡を出している。そこでのケインズの認識は経済部と同じ次のような見解に基づくものである。

 「() 消費か投資のいずれかに影響を与えることによって、長期的な問題としての国民所得の安定した水準の維持。() 景気循環および短期的変動の回避」(JMK.27, p.360)

 イーディ文書にはこの認識が欠落しているようである。ケインズによると、いま緊急に必要とされているのは「国家の損失を補填すること」であり、「適切な住宅や完全な生産能力のために必要となるすべての新規投資で国家を装備すること」である。そのためには消費を抑制することが必要であるとされる。()にかんしては、ケインズは、経済部とは異なり、投資を増大させることによって対処する方が、消費を増大させることによって対処するよりも効果があると考えている。

  しかしながら、ケインズのこうした説得工作は大蔵省にたいしてはほとんど効き目はなかったようである。一九四三年十月、大蔵省が「運営委員会」に提出した「雇用の維持―大蔵省による前置き的覚書」の基調は従来と変わりがなかったからである。編者モグリッジは、同文書を次のように評している。

「〔それは〕悲観的な文書であった。それは、構造的失業と調整の問題を、経済部によって提起された総合的問題と同じくらい基本的なものとして強調し、経済部の提案のなかの財政的バイアス、とくに投資にかんするそれに反対し、「変動を防ぐための主要な手段として財政政策に注意を向けることは、大蔵省の見解によれば誤りであり、危険である」という点を強調していた。そして税の変更と不均衡予算のもつ困難性を指摘していた」(JMK.27, p.362)

  このことが意味するのは、イーディを中心とした大蔵省の考え方は、経済部(ミード)やケインズのそれと大きく乖離するものであったということである。イーディ達は、第一に、雇用量が総需要と総供給によって決定されるという考え方を採用していない。第二に、「非自発的失業」の発生を考慮に入れていない。イーディ達にとって重要な失業問題は構造的失業であり、しかもそれにたいして打つ手はあまり多くはない、と考えられている。第三に、変動を防止する策として、投資を安定化させるために財政政策を遂行することの必要性を否定、さらにそのために税の変更や不均衡予算の発生することを否定するというものであった(「総需要管理」政策の否定)。一九四三年の十月にあっても、大蔵省とケインズの考えとのあいだには、理論的・政策的に明白なる乖離が認められたのである。
 「運営委員会」での討議においては、商務省(代表はゲイツキル) は経済部案を強力に援護した。彼らは総需要管理を承認し、大蔵省の財政赤字反対論を批判した。ロビンズは投資需要の「安定化」についての経済部の立論にたいする大蔵省の誤解に反論し、また法人貯蓄を奨励することと企業の投資支出を奨励することとの相違をイーディに説明したりした。投資需要の長期的コントロールのために、経済部は、公共部門プロジェクトを築き上げ、需要の状況に応じて地方公共プロジェクトに助成金を供与し、さらには民間投資にたいしての金融・財政インセンチブの供与などを提案した。
  一九四四年一月、運営委員会は中間報告書を作成した。これは雇用政策にたいする総需要の管理に主たる重点をおいたものであり、限定条件付きで構造的問題および輸出産業の特別な状況を認めるものであった。投資については、住宅や産業の再装備にたいする補助金が提案され、公共投資については五ヶ年計画ならびに助成金を与えることが承認された。他方、消費については、周知の社会保障拠出金の変更政策が承認された。また予算については、均衡予算は重要な政策目的ではあるが、景気の状態に無関係にそれに固執するというわけではない、という姿勢を提示している。以上のことは、イーディ案にたいしてミード案が支配的なかたちで、この報告書がまとめられたことを意味している。
  中間報告書にたいするケインズの反応は、これまでの検討から容易に想像がつくであろう。二月に書かれた覚書の冒頭でケインズは「私はがいして、この報告書でとられている方針ならびにその勧告にたいして賛成である。事実それは、十年ほど前のことを思い起こすならば、公式見解における革命ともいえるほどの抜群の政府文書である」と称賛している。そしてこの末尾において「理論的な経済分析はいまや応用するのに適した地点に到達している。その応用は、自然科学者とは異なり、経済学者が民間企業の実験室では収集できない詳細な事実の収集を待つばかりとなっている」と記している。まさにこれは「政策におけるケインズ革命」を象徴するできごとであった。
  そのうえで、ケインズが述べているコメントを分野別に分けてより具体的にみてみると、次のようになる。

  不満ないしは批判点
() 投資― () 公共投資の変動可能額を過小評価していることへの不満。長期にわたる不況の場合には、より大規模な方策が実行可能にされるべき点が強調されるべきである。
()民間投資のスピードに直接影響を与えるという可能性を排除している
ことへの不満。
() 消費― () ミードによる「社会保険拠出金の変更」政策は、この報告書で賛美されているにもかかわらず、非常に後ろに配置されていることへの不満。これは冒頭におかれるべきである。
()割賦購入について、最も有望な規制方法への言及(最低支払い額および期間。ならびにそれらを景気の状況にあわせて変更すること) がなされていないことへの不満。
() 理論展開― () 「乗数」概念に依拠した理論展開がみられないことへの失望。    このことにより、予算へのプラス効果が無視されてしまっている。
()「国民所得を安定化させる手段が事実上国家予算を安定化させる手
段である、との認識がまったくみられないことへの失望。
() 「資本予算」という概念を無視・抹殺してしまっていることへの
不満。
同意点― ()  公共投資にかんする個別法案という議会手続きがもたらす遅延。この改善のための特別の勧告の必要性の強調。
() 統計データの組織的な作成・収集とその公開のより積極的な促進
(「統計を通じての喜び」の時代の待望)

 全体としてみると、ケインズの不満は、中間報告書の基本的な方針、勧告には賛成であるが、まだかなり消極的な姿勢がみられるという点にあった。
  「復興優先順位にかんする閣僚委員会」はこの中間報告書を熱烈に支援し、それを「総需要を高水準で維持することを前面に押し出した」『白書』として公表すべきことに同意した。同委員会の大多数は予算の単年均衡にこだわる必要のないこと、またいく人かの委員は失業にたいしての迅速な行動の必要性を強調した。
  こうして、一九四四年五月二十六日、『雇用政策白書』が公刊されるに至った。それまでの期間についてモグリッジは次のように述べている。

「草案作成の主要な時期であった三-月にケインズは病気にかかっており、また(ブレトン・ウッズでの国際金融会議にイギリスが同意するのに先立つ)戦後国際経済協定にその時、関心があったため、ケインズの関与は相対的に限られたものであり、彼のコメントは『(雇用政策)白書』の論調にほとんど影響を与えることはなかった。彼が最も努力を傾けたと思われる節、すなわち提案の金融的側面、生計費の安定化、および結論にかんする節は、散逸したかたちで生き残ったにすぎない」(JMK.27, p.372)

 ケインズは一九四四年六月十五日に、下院での討議にさいしての大蔵大臣の演説用として覚書を作成している。それは最も招きやすいと思われる「批判」とそれにたいする「答弁」という形式をとっており、ケインズの『雇用政策白書』にたいするスタンスの一端をうかがうことができる。

一 批判的評価 - それは提案している方策の数量的効果を過小評価している。
弁護的評価 - 雇用を安定化させる政策、投資を増加させ、所得を維持する政策は予算の収入側を助けるものであること、また考慮されている支出は大蔵省予算の負担とならないものであること。したがって、『雇用政策白書』で均衡予算が強調されていることは正しい。前倒しの雇用政策は予算の均衡と両立する(ケインズは不況時における赤字予算の必然性といったことには言及していない)
二 弁護的評価― 「資本予算」という概念は採用されていないが、『雇用政策白書』はその実体について論じている。これは、ベヴァリッジ案が承認されるとき、卓越した役割をもつことになるであろう。
三 弁護的評価 ― 民間企業の役割が強調されていないという面はたしかにある。しかし、それは民間企業の関係者から援助を要請すべき問題である。「この段階で政府が規定しようとしているのは、政策の一般的方針と一般的目的、政府がその上での活動を提案しているところの基本的な仮定、および政府が正しいものとして受け入れるように提案している(問題についての)〔具体的なではなく〕一般的な分析がすべて」である。

  月から『雇用政策白書』の完成に至る過程で、ケインズがそれを基本的に支持したのにたいし、激しく批判したのはヘンダーソンであった。モグリッジは三月二十七日に出されたヘンダーソンの覚書「雇用政策」について次のようにまとめている。

「ヘンダーソンは、イギリスの失業は通常、イギリスの輸出品にたいする需要の低下から生じており国際収支の悪化をもたらすという事実のために、およびこれらの状況において、とくに戦争が残す巨額のスターリング残高のもとで、非正統的なタイプの予算政策は実施が困難になるであろうという事実のために、『白書』は対外的困難をもたらすであろうと主張した。こうして『白書』が対外部門を無視したことが、関与する人々に国内雇用政策の成功の可能性を過大評価させることになった、と彼は述べた」(JMK.27, p.372)

三月に二十八日付けのイーディおよびホプキンズに宛ての書簡において、ケインズはヘンダーソンとの見解の相違を4点にわたって述べている。そのうちの二つは、イギリスの対外金融ポジションが悪化するであろうという見通しに関係しており、状況認識としてはヘンダーソンと共有するものである。相違点は、() 輸出の維持はわが国の死活問題であるから、何としてでも輸出は維持しなければならない。そしてそこで失業が生じるような事態は避けなければならない。()輸入制限は必要になるし、そのことにより所得の支出が国内品に向けられるから、それは国内雇用の増進に寄与する、と考えている点である。
  残りの二点は、より直接的な批判である。第一に、ヘンダーソンは大規模な失業の進展を放置する姿勢をみせているが、失業問題は放置されるべきではない。第二2に、ヘンダーソンは対外不均衡の救済策として意図的に国内の失業を利用しようとしているが、それは統治体制の崩壊をもたらすであろう。

***

  本章では、一九四〇年代におけるイギリスの雇用政策にたいしてケインズがいかなる影響を及ぼしたのかについて論じた。以上から明らかにされたことは、ケインズの理論・政策両面においての影響力の圧倒的な大きさである。それは、ケインズの影響を受けて育った若手の研究者―ミードやストーン、それに戦間期の市場経済のみじめなパフォーマンスにたいする懐疑から国家による積極的な政策を模索していた学者 - ロビンズやベヴァリッジ- の精力的な活動を通じて、そしてそれを熱心に指示するケインズ自らの活動を通じて、波及していった。総需要分析、国民所得会計を用いての予測分析等が、一九四一年から政府の予算政策に取り入れられるようになったのは、その最初の成果であった。こうしたケインズ的政策思考の浸透にたいして最も頑強に抵抗したのは大蔵省の官僚であった。本章で扱った対象期間において、大蔵省の指導的官僚がケインズ的政策思考にその考えを改めたという証拠はまったくといってよいほどみられない。だが、一九四四年の『雇用政策白書』は明白なるケインズ的政策思考の勝利である。このことは大蔵省の反対にもかかわらず、経済部はもちろんのこと、商務省をはじめとする他の省庁の閣僚達が熱烈にミード案を支援するという状況があればこそ、実現できたことである。興味深いことに、そしてパラドキシカルなことに、失業の分析を主題として展開された『一般理論』は、インフレ期における総需要分析のかたちをとりながら、一九四〇年代に雇用政策の基本的な原理として浸透していったのである。これは経済政策における「ケインズ革命」と呼ぶにしくはないといえよう。