2014年6月8日日曜日

ケインズの講義





ケインズの講義


                             平井俊顕


 ケインズが『一般理論』によって引き起こした経済学上の変革は一般に「ケインズ革命」と称される。この現象を理論史的見地から解明する場合、二種類の研究が必要であろう。一つはケインズがいかにして『一般理論』に到達したのかを、一九二〇年代および三〇年代に展開された経済学の状況のなかでとらえるという研究である。もう一つは『一般理論』がそれ以降の経済学の展開にどのような影響を与えてきたのかという研究である。
 前者の遂行にあたっては、ケインズ自らがこの期間に執筆したものの研究に加え、同時代の他の経済学者がいかなる理論的・政策的活動を展開していたのか、そしてそれはケインズの理論的・政策的活動といかなる関係にあったのか、等々の研究が中心となるであろう。以上のうちケインズ自らが執筆したものについてみると、まず自らの手で刊行されたものがあげられる。『貨幣改革論』、『貨幣論』、『一般理論』といった著作ならびに学術雑誌に発表された数多くの論文がそれらである。長年、研究者はこれらに依拠してきた。
 しかしその後、ケインズ研究を取り巻く環境には大きな変化が生じた。一九七一年以来続けられ、一九八九年に完結をみた『ケインズ全集』の刊行がそれである。これにより、これまで未公開であった資料が公開された。これには二つの分野がある。一つは政策立案者、官僚として戦間期の数多くの経済問題の解決に尽力したケインズの業績を収集したものである(「諸活動」という共通の題名が冠された第十五巻-二十七巻)。もう一つはケインズが『貨幣論』から『一般理論』に至る過程で書き残した理論的草稿であり、『ケインズ全集』第十三巻、第十四巻および第二十九巻に収録されている。
さらに、それとは別の角度からの資料 - 上記に負けず劣らず高い資料的価値をもつもの- が新たに開拓された。それが本章で扱うものである。ケインズはケンリッジ大学キングズ・カレッジのフェローであり、長年にわたって政治経済学部で講義を担当していた。残念なことに、 彼は講義ノートを用意しないで講義に臨んだようである。だが、講義に出席し、ケインズが教室で論じたことをノートとして記録した学生達が当然いた。ライムズは、この点に着目しできるかぎり多くのノートの収集に努めたのである。彼はこの作業を二つの段階に分けて行なっている。つは学生達のノートを収集したうえで、それを転写したものの作成である。Keynes' Lectures 1932-35 - Notes of Students (Department of Economics, Carleton University) がそれである。もう一つが本章で扱うものであり、上記資料をもとにケインズの講義を再現しようとしたものである (具体的には第二部に提示されている)。両書は、経済学史上の重要性からいって、アダム・スミスの講義に出席した学生によって記録されたノートである『法学講義』に匹敵する価値をもっている。
 ところで、第二部の内容を理解するのはそれほど容易なことではない。『貨幣論』や『一般理論』にどの程度慣れているのかに応じて、当然、理解度に違いが出るであろう。だがそれだけではない。困難は、講義がケインズによる思考の変遷状況をそのまま反映したものであることに起因する。どの程度『貨幣論』的な思考がなされ、どの程度『一般理論』的な思考がなされているのかを、そのときどきの講義を理解するさいに、みきわめていく必要があるのである。しかも本章で取り上げるものは、ケインズの講義を聴講した学生達のノートに基づく再現である。著者はそのために、複数のノートの内容をできるだけ取り上げていくという方法を採用している。このことにより、講義の実際の姿をできるだけ説得的に再現することが可能になっているのは、たしかである。ただその反面、全体のスムーズな流れをとらえるうえでは、読みづらくなっているきらいはある。
 以上のような事情を勘案して、本章では読者の便宜に供すべく、以下に各年の講義のエッセンスをできるだけ簡潔に解説を交えながら示すことにする。もちろん、これはあくまでも訳者なりの理解であり、参考意見にすぎない。読者が第二部の熟読をつうじて自ら理解を深められることが肝要である。

 一九三二年の講義

  この年にケインズは自らの理論を「生産の貨幣的理論」と名づけている。それは現実の経済を「貨幣的経済」ととらえ、そこにおける「貨幣的操作」が生産におよぼす影響のメカニズムを解明する理論であると宣言される。それは短期のみならず長期においても適用可能なものである。 長期は短期がそれに向かって進むところの安定的な位置である。ケインズによれば、長期とは貨幣当局の特定の政策に対応して存在するものであり、貨幣当局の政策から独立した長期というものは存在しない。したがって、貨幣当局の政策が次々に変更されていくと、長期も変化していく。それゆえ長期は最適な生産を保証するというものではない。
  この年の講義には、ケインズが過渡期にあることを明白に示す箇所が二つ見いだせる。第一の論拠は、この年の講義の最初の方で展開されている議論である。それは、総所得は総支払いに等しくなるというものであり、ケインズはこれを均衡式として提示している(Eは稼得、Qは意図せざる利潤)。
           総所得 = EQ = 総支払い
(諸個人の)所得は、総所得が総支払いDに等しくなるまで変化し、Qがゼロでないときは、企業家は産出規模の修正を行なう。したがって均衡はQがゼロのときに成立する。
  そしてケインズは「貨幣的経済」における「不十分な支出」がもたらす因果関係の解明を図ることを明確に宣言している。以上にみたものは、『一般理論』の第三章の議論のきわめて初期の(したがって『貨幣論』の発想を色濃く残した)議論といえるであろう。だが、この式についてはそれ以上に検討されることはなかった。
  総支払いDは投資額Iと消費額Fから構成されるということと、上記の式から次式が得られる(ただしS E − Fである。Sは自発的貯蓄)。
             Q = I  S
 この式自体は、ケインズのこれまでの議論でよく用いられているものであり、目新しいものではない(事実、この定式は後に登場する「力学的構造」と密接に関連して述べられている)。 ただし、これに関連して述べられている、自発的貯蓄は投資額Iが与えられたとき、消費財の価格水準を決定するという議論は注目に値する(投資額と自発的貯蓄の差額が意図せざる利潤として実現される。なお「余剰」S(≡SQ)は投資額Iに恒等的に等しい)。この関係は、 後述の() 式として若干の混乱を残しつつ(そこではISと考えられているから)用いられているからである。
  第二の論拠は、ケインズがそれぞれ「天文学的構造」、「力学的構造」と呼んで提示している2つのモデルである。
  「天文学的構造」は供給関数の想定の違いにより、二つのタイプに分かれる。第一のタイプは次に示すものである。

  ρ= A (M)            ()     R = H (P1)            ()
  P2 = B (ρ)          ()       I = I×P2           ()
  I= C (P2)          ()     P1 = G (I, H)         ()

 未知数は利子率ρ、実物資本資産の価格P、消費財の価格P、投資財の生産量 I、消費財の生産量R、投資額Iの六つであり、式の数も六本であるから、モデルは完結している。 そしてこの体系の安定条件として、総所得が変化するとき消費財支出の変化の方向が同じであり額において少ないという点があげられている。()式では所与の貨幣量Мのもとで利子率が決定される(Aは流動性選好の状態)()式では実物資本資産の価格が、準レントの流列にたいする期待の状態Bを利子率で割り引いた現在価値として決定される。投資は資産価格が現行生産費を超える場合に生じる。投資額は、生産費、利子率および予想準レントの流列の関数である。()式と()式はそれぞれ消費財および投資財の供給関数であり、それぞれの価格の関数である。()式は投資額の定義式である。()式は、消費財価格の決定式であり、(自発的) 貯蓄が現行投資額に等しくなるような水準に消費財の価格水準は決定される(Gは時間選好の状態)。
  第二のタイプは、 供給関数は本当は利潤の関数とすべきである、との主張に基づいている。 それに「稼得反応関数」が追加される。だがそれらを組み入れた方程式体系は、形式面のみならず内容面でも不満足である。第一に、()式では、すでにみたように(自発的)貯蓄と投資の均衡が想定されているから、はゼロである。第二に、投資量 I、P、Rがこのタイプでどのように決定されるのかさだかではない。 第三に、 供給関数の役割がさだかではない。
  他方、 「力学的構造」は次のように表現されている。

          Δ Q = Δ I – Δ S = Δ D – Δ E

 支払いが費用より速く増加するとき利潤は増加し、したがって産出高は増大する、つまり産出高が増加していくかいなかは、投資が増加していくかいなかに依存する。この構造では、利潤の関数としての供給関数が主軸におかれており、投資と貯蓄は等しくはならない。ケインズは「天文学的構造」の第二のタイプに固執するのは、この発想と関係していると思われる。
 一九三二年の講義の最大の特徴は、『貨幣論』以来の「TМ供給関数」に中心をおいた発想(第二のタイプおよび力学的構造) と、『一般理論』に向かっている発想 (総所得と総支払いの均衡、および第一のタイプ)が激しくぶつかりあっているという点、それゆえに『貨幣論』の世界から『一般理論』の世界へ転換しつつある状態を鮮烈に物語っているという点にある。


 一九三三年の講義

  一九三三年の講義における最大の特徴は、『一般理論』とほぼ同様の理論的骨格が提示されているという点である。 すなわちYCI、ないしはISが満たされるように所得水準および価格水準が決定されるという発想がそれであり、これは貨幣的体系の最も根本的な特徴であるとされる。ここではまた、「基本的な心理法則」にもはじめて言及されており、そして消費性向、期待の状態および投資が所与であれば、YCIを満足させるYとCの一組の値が得られるとされる(そしてこの見地から古典派の利子理論批判が展開される)。それゆえ、もし所得、そして雇用が低下しているならば、期待、消費性向または投資を変えることによって、所得そして雇用を増加させなければならない。
  YCIという関係による所得ないしは雇用量の決定が前面に提示されたのはこの年の講義が最初である。
  ケインズがより具体的に提示しているモデルは次のとおりである(Wは「ニュースの状態」)

    M =A (W, ρ)      ()        C = ф2 (W,  Y)   ()
    Y = C+ I            ()        I = ф2 (W, ρ)   ()

  このとき所得Y は次のようにして決定される。
          Y = ф1 (W, Y) + ф2 (W, ρ)
 あるいはモデルは雇用量を中心としたものとしても提示されている。

        M =A (W, ρ)    ()    N2= f2 (ρ)             ()
        N1= f1  (N)         ()      N = f1 (N) + f(ρ)    ()

 (Nは全雇用者数、Nは消費財部門の雇用者数、は耐久財部門の雇用者数)
そしてケインズは、雇用量を決定する基本的な力は、確信の状態、消費性向、流動性選好および貨幣量であるという、これが雇用の一般法則であり、完全雇用の状態において国民所得がいくらになるかを教える雇用の特殊法則(古典派)と対比されるべきである、と述べている。
  以上からも明らかなように、一九三三年の講義では、一期間における同時決定としてモデルを提示するという立場はより明白になっている。そしてこのことは、次の諸点とも密接に関係がある。

  「古典派の第一公準」の承認。しかも企業家は資本ストックを所与として、収益を最大にするように行動すると想定される。
  乗数理論の採用。ケインズは乗数理論の発展において当初から重要な役割を演じていたのであるが、それをようやく自己の理論体系に取り入れたことと密接に関係している。
③ 「基本的な心理法則」への言及。

 なお、その他、『一般理論』の源流となっていて、かつ新しく論じられている点には次のようなものがある。

    古典派の二つの公準の提示、および第一公準の承認と第二公準の否認。
     「単位の選定」に関する問題、貨幣換算および雇用換算での同質的な単位への換算、長期期待と短期期待への言及。

 他方、前年と基本的に変化していない点としては次のものがあげられる。
()  投資決定の理論。 資本財についてはストックの価格を考え、それがフローの新資本財の価格にもなる、という考え。 投資額は生産費、利子率およびレントの流列の関数である。


()  利子率決定の理論としての流動性選好理論の展開。

 最後に「TМ供給関数」と関連する論点について言及しておこう。 一九三三年の場合、この点はΔ Q = Δ I- Δ S’ (Sは「節約」) という式を用いて、Δ Q Δ O、Δ Nは同一符号を有するといった議論が展開されている。この種の議論が講義の中心母体であるY = C + Iによる所得ないしは雇用量の決定とどのような関係にあるのかは、さだかではない。それはせいぜい安定条件 (しかし実際にはこれは「基本的な心理法則」に任されている) と関連しているのかもしれない。明らかに準レントQ (しかもここでは短期期待の見地からの誘因として定義し直されている) の果たす役割は、一九三二年と比べても大きく後退している。


 一九三四年の講義

 一九三四年の講義は「失業の一般理論」というタイトルが付されている。これは一九三三年の講義と、最も重要な- 所得ないしは雇用量の一期間における同時決定のモデル- で基本的にはおなじであり、その意味で両年の講義は補完関係にある。「有効需要の理論」と題されて提示されているものがそれである。
  雇用量は、 有効需要関数D= F(N) [もしN人が雇用されるならば、彼らの産出高がDで販売できると予想される貨幣額 有効需要  を示す関数]と、雇用関数ないしは供給関数 D’= f (N) [N人を雇用することをちょうど価値あらしめる額(供給価格) との関係を示す関数] が等しくなるところで決定される。有効需要は、人々が現行の消費にたいして支出する用意がある額Dと企業が投資のためにとっておく用意がある額Dの合計である。
 消費関数はD1 = f1(N1)と定義される(はN人の仕事からの実質所得から生じる消費を満足させるための消費財における雇用量)。またN1 = ф(N) という関係がある(ただし0< ΔN1 /ΔN  <1 )。他方、 投資関数はD2 = f2(N2) と表記され、資本の限界効率と利子率が等しくなる点までNは雇用される。

 以上から、 体系は次のように整理される。
          F(N) =  f1 (N1) + f2(N2)      ()
          N1 = ф (N)                 ()
  ケインズはここで、f2 (N2)が与えられれば、NおよびNが決定されると論じている(ただし、この場合、N N1 + N2 が満たされる保証はないという問題は残る)。だがこれは完全雇用である保証は何もないのである。
 以上の理論は、『一般理論』の第章「有効需要の原理」とほとんど同じ内容になっている、
  一九三三年の講義と比べてみて、決定的に異なっているのは、「TМ供給関数」の領域の話の後退はもはや完全なものになってしまっているという点である(しかもQは実現利潤として扱われるようになっている)

 以上のほか、一九三四年の講義での目新しい点は、次のとおりである。
  『一般理論』の第章から第六章にかけての議論(源流は一九三三年の講義)は、一九三四年の講義の場合には、『一般理論』のそれに非常に近くなっている。なかでも使用者費用という概念は初めて登場しており、さまざまな概念の関係をとらえる際に中枢的な役割を占めている。この概念は内容的にみて『一般理論』のそれと同じである、
  準レントは実現利潤に関連してとらえられている。
  消費性向に関連して「主観的要因」が初めて登場。
  資本の限界効率が初めて登場。 投資理論は、 フローとしての投資を中心に組み立てられている。
  投機的動機を利子率に明確に依存させている(前年の講義では所得動機、ビジネス動機および予備的動機は利子率に、 投機的動機は「弱気の状態」にそれぞれ依存するとされていた)


 一九三五年の講義

 一九三五年の講義に至っても、ケインズは完全に『一般理論』に従った講義をしていたとはいえない。 したがってこの講義の後に、さらに書き直しがなされた可能性は、以下に述べることからも明らかなように高い。
  この年の講義では雇用量決定の理論は、資本設備および生産技術が所与である短期における総供給関数と総需要関数を中心的な概念として、次のように定式化されている。

              Z = ψ (N)      ()
               D = f (N)     ()
              ψ (N)= f (N)   ()

()式は、所与の雇用量を売上高 - 売上高の期待が企業家をしてその人数を雇用するように仕向けるであろう に関係させる総供給関数である(ZN人の産出高の生産費)。他方、()式は、 企業家がもしN人を雇用するならば、その産出高にたいして彼らが獲得すると考える総需要Dの関係を示す総需要関数である。つの関数が等しくなる点で雇用量は決定される。
  は消費需要および投資需要からなる。雇用が増加するとき総実質所得は増加し、 そして総消費も増加するが、同じほど大きな額で増加するわけではない。この関係は D1 = X (N) と表わされる。さらに I = D2= F (N)。したがってψ (N)–X (N) = I。かくしてNはΨ、およびに依存する。
  ところで、投資理論をめぐっては、次のような特徴がみられる。
  資本の限界効率をめぐる検討については、一九三四年の方が『一般理論』の叙述に忠実である。
   流動性選好理論について、第六回目の講義では予備的動機を利子率の関数としているのにたいし、 第七回目では所得の関数へと変更している。この変更は注目に値する。

 以上のほか、注目に値する点としては次のものがある。
()  消費性向の「客観的要因」が初めて登場。しかもその内容は『一般理論』のものと順番のみならず内容的にも微妙な相違がみられる(大きな相違点は、「賃金単位の変化」が加えられたこと、および「利子率の変化」が「時間割引率の変化」へと変更されたことである)
()  乗数の計算にさいしてあげられている制約条項は、『一般理論』と内容的にみて必ずしも同じではない。
()  『一般理論』の第十九章の主題である「貨幣賃金の変化と有効需要との関係」は、『一般理論』のものと列挙の順序および項目の数が異なる。
() 古典派の二つの公準が正しい場合に、失業を治癒する方法として、「労働市場の組織の改善」が追加(これで『一般理論』と一致)
()  使用者費用をめぐる諸定義はこの講義で『一般理論』と同じになった。
()  貨幣数量説が成立するには、かくも多くの条件を付けたとしても、解決不可能な重要な問題があるとして諸項目が列挙されているが、これは『一般理論』のものと事実上同一である。