2018年4月12日木曜日

ベーコン 『ノヴム・オルガヌム』(1620年)



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ベーコン 『ノヴム・オルガヌム』(1620年)


1. これまでの哲学のあり方は科学の進歩を停滞させてきた、人間はそのために知識の進歩を遂げることができなかった、という意識が本書には非常に強い。本書は、それを解決するには新しい哲学、すなわち「正しい帰納法」、「自然の解明」(p.78, p.84)、「投光的実験」が必要とされる、という宣言の書である。ここで「正しい帰納法」というのは、通常想定されるような「単純な帰納法」(「単純枚挙によって進行する帰納法」)とは明確に識別されている。

2. とりわけギリシア哲学 (アリストテレス、プラトンに代表される) がこきおろされ、批判の対象にされている。
 アリストテレス的な論理学(三段論法)は学問の進歩を阻害している、と論難している。

3.「かくして誤謬の根元および「偽りの哲学」は、種類として3つあることになる、すなわち「詭弁的、経験的および迷信的」である」。
   
詭弁的・・・アリストテレス 
   経験的・・・
   迷信的・・・プラトン、ピタゴラス

4. 人間の精神を占有する「イドラ」 (4種類あるという。「種族のイドラ」、「洞窟のイドラ」、「市場のイドラ」、「劇場のイドラ」[学説のイドラ]) を排除する必要性。

5.「人々は人間精神の「イドラ」と神的精神の「イデア」との間に、いかに隔たりがあるかを知って欲しい。というのも、前者は任意的な抽象以外の何ものでもないが、後者は真の選り抜きの線で素材のうちに刻印され区切られたままの、被造物における創造主の真のしるしであるからである」

6. セクション19, 22, 23, 24, 26, 104および105, 130は最も重要な主題が展開されている箇所である。

7. 「知性が個々的なものから、遠く離れたそしていわば最も一般的な公理…に向かって、跳躍ならびに飛躍し、それらの不動の真理性に基づいて、中間的公理を証明し設定するということは、許さるべきではない。… それゆえに、人間の知性には翼が着けられるべきではなく、むしろすべての跳躍と飛躍とを阻むために、鉛と錘りが付けられねばならない」。

  少数の身近な事例から急速に一般的公理を導き、そしてそれをもとに中間的公理を導出するという手法にたいする批判である。この手法は次にいう前者であり、それにたいしベーコンが主張するのは後者である。
  
(これを聞いて、私は旧歴史学派と新歴史学派の関係を思い出した。前者が「急速」であるのを反省し、非常に歴史的事実の細目研究に邁進した、という点である。)

8. 「真理を探究し発見するには2つの道があり、またありうる。1つは、感覚および個々的なものから最も普遍的な一般命題に飛躍し、それら原理とその不動の真理性から、中間的命題を判定し発見する、この道がいま行われている。他の1つの道は、感覚および個々的なものから一般命題を引き出し、絶えず漸次的に上昇して、最後に最も普遍的なものに到達する、この道は真の道ではあるが未だ試みられてはいない」。

9. ベーコンは、当時のいわゆる「早期産業革命」の時代的影響を強く受けているのではないか、という気がする。人間の進歩が2000年以上にわたってかくも遅々たる歩みであったのは、既述の「イドラ」が妨げをしていたからである。正しい帰納法の推進により、人間社会は格段の進歩を遂げるであろう、とベーコンは主張している。

10.セクション109はクーンのパラダイムを想起させる点がある。