2018年4月26日木曜日

経済学における統合化考 ― 歴史と現在から見る 平井俊顕 (上智大学)










経済学における統合化考

歴史と現在から見る

                                                              
    平井俊顕 (上智大学)


1. はじめに

本稿は、経済学史を専門にしてきた研究者の視点から、「経済学における統合化」という問題を考えるにさいし有益と思われる情報・素材の提示を目的に執筆されている。
 具体的には、次のように論を進める。最初に、これまで経済学はどのような進展を見せてきたのかについてその概略を示す。それは、240年ほどを対象に、イギリス、および(第2次大戦後は)アメリカで展開された経済学を、2つの分類概念を用いながら、具体的な像として紹介しようとするものである。
そのうえで、この経済学を2つの視点 - (1) 隣接諸学からの影響と隣接諸学の排除、(2) 経済学における価値判断から批判的にとらえることにする。

2.経済学の展開

本節ではスミスから現在に至る経済学の主要な展開を示す。限られた紙幅でこの課題を遂行するためには、自ずから大胆な切り口が必要となる。ここではそのために2つの分類概念を用いる。1つは貨幣的経済学と実物的経済学、もう1つはプルートロジー(富の理論)とキャタラクティックス(交換の理論)である。

2.1  2つの分類概念

 貨幣的経済学と実物的経済学この分類の根本をなすメルクマ-ルは、前者が市場経済を本来的に変動を続ける不安定な傾向を有するものとみるのにたいし、後者がそれを本来的に均衡に収束する安定的な傾向を有するものとみる点にある。そしてこの相違をもたらしているのが市場経済における貨幣 (・信用) の果たす役割についての見解の相違である。
貨幣的経済学は貨幣が実物経済に非常に不安定な影響をおよぼすと考えるのにたいし、実物的経済学はそうではないと考える。貨幣理論をめぐるこの相違は、実物的経済学が2分法と貨幣数量説を標榜するのにたいし(「過渡期」には副次的な注意しか払わない)、貨幣的経済学はそれらを批判する立場に立っているといってもよい(「過渡期」の分析こそが重要と考える)。要するに、実物的経済学は2分法、貨幣数量説、完全雇用(セイ法則)、市場社会の安定性を理論的特徴として有するのにたいし、貨幣的経済学はその反対のスタンスを理論的特徴として有する。
 景気循環ないしは経済変動という現象は、イギリスにおける産業革命の進展に伴う産業資本主義の発展とともに生じたが、当初それは貨幣的論争という形態をとった。1800年代の地金論争 (イングランド銀行による銀行券の兌換停止により生じたインフレ-ションを契機とする) 1840年代の通貨論争 (1830 年代後半の恐慌を契機とする) はその代表である。それらは、当時の多くの経済理論家、実業家、政治家を巻き込んだ。このなかからソ-ントンの『紙券信用論』(1802)に代表される貨幣的経済理論が誕生した。
にもかかわらず、それは経済理論の発展という見地からみると、本体に影響を与えるものにはならなかった。スミスからケインズに至るイギリス経済学の潮流において、19世紀の末葉に至るまでの圧倒的な主流派(古典派および新古典派)であったのは実物的経済学である。(スミスはさておき)、彼らが資本主義の不安定性を象徴する経済変動にまったく関心を払わなかったわけではないが、主流派の理論体系は基本的には実物体系であり、それとは独立にしかも副次的なものとして貨幣数量説が採用されていたにすぎない。そのうえさらに主流派は、いわゆる「一般的供給過剰の不可能性」(「セイ法則」) を承認していたから(その代表はマルサスに対峙したリカードウ)、景気循環の現象を経済理論的に説明する道はいよいよ狭められることになった。貨幣的論争をめぐっては、その後も1850年代の金価値論争(カリフォルニアやオ-ストラリアでの金鉱山の発見を契機とする) 1860年代の国際通貨論争等がみられたが、このような事態は依然として続いたのである。ソ-ントンの貨幣的経済理論が大きな影響力を発揮するのは、ヴィクセルの『利子と物価』(1898)以後のことであった。そしてイギリスで景気循環の問題が再び(しかも貨幣的経済学の視点から)取り上げられるようになるのは、ようやく第一次大戦の頃からである。

 プルートロジーとキャタラクティクス  経済学におけるもう1つの分類概念に進むことにしよう。経済学における最大の課題は、富(今日的にいえば国民所得) がいかに生産され、それが諸階級のあいだにいかに分配されるのか、またそれは資本蓄積とともにどのように変化していくのかの解明にある、という立場に立つのがプルートロジーである。現在の言葉で言えば、マクロ経済学である。これにたいし、経済学における最大の課題は市場における交換現象の解明にある、という立場に立つのがキャタラクティックス1 である。
  交換現象を説明する理論(財の交換価値を説明する理論)は価値論と呼ばれるが、それには労働価値説、生産費説、および需給均衡論(主観価値説もここに包摂しておく) の3種がある。プルートロジーの立場に立つ理論体系は、主たる分析課題として上述のように生産・分配の問題を措定し、他方、価値論として生産費説ないしは労働価値説の立場をとるのが通常である。これが古典派経済学の基本的な特徴である。
これにたいしてキャタラクティックスに立つ理論体系は、価値論としての需給均衡論を理論分析の枢要に措定し、分配問題もその視点から分析しようとする。これが新古典派経済学の基本的な特徴である。現在の言葉で言えば、ミクロ経済学である。実物的経済学としては同じ岸にいる古典派経済学と新古典派経済学だが、プルートロジーとキャタラクティックスという視点からとらえると、その相違点が明確になる。

2.2 主要経済学派の略史

古典派 いうまでもなく、イギリス経済学に根本的な枠組みを与えたのはアダム・スミスの『諸国民の富』(1776) である。スミスは国民が労働と資本(ストック)により年間に生産する必需品および便宜品として国富をとらえた。そして国民1人当たりの国富はどのような要因により大きくなるのかを考察するところから論を開始する。スミスは、それは労働生産性と生産的労働者数/不生産的労働者数の比率に依存すると述べ、前者はさらに分業に依存すると論じる。そしてこの分業を生じさせるのは人々の交換性向であると主張する。ここからスミスの交換価値を決定する原理の探究が始まるのである。
 スミスにはその後の古典派経済学のほとんどの要素が含まれている。スミスには価値論として上記の3つの要素が混在しているし、また分配論にも種々の説明方法が混在している。そのことがリカ-ドウ理論に反対した人々(例えばマルサス) も、リカ-ドウと同様にスミスの理論からその根拠を引き出せた理由でもある。
 スミスの経済学の中心は、どちらかといえばプルートロギーであろうが、しかし交換現象の説明にも需給均衡論の要素が含まれておりキャタラクティックスの要素もある。この点がリカ-ドウとは明確に異なっている。
 さて19世紀の前半から1870年頃までのイギリス経済学の方向に決定的な影響を与えたのはリカードウである。彼は主著『経済学および課税の原理』(1817)において、価値論と分配論を展開した。リカ-ドウは価値論については、労働価値説ないしは生産費説の立場に立っており、需給均衡理論についてはきわめて特殊な場合に成立するにすぎないものであるという立場をとった。
そのうえで価値論とは独立した問題として分配論を展開した。そこにおいてリカ-ドウは富の3階級への分配(この理論は、差額地代論、マルサス的な人口理論、および賃金基金説に基づいて組み立てられている)ならびに資本蓄積を通じてのその分配の変化を中心的な分析課題とした。つまりリカ-ドウの理論体系はプルートロジーであり、キャタラクティックスを否定する立場に立っている。
 このようなリカードウの立論に対抗して、需給均衡論や主観価値説としてのキャタラクティックス的考えは、マルサス、ロイド、シーニョア、ロングフィールド等によって展開されたが、分配・蓄積問題の解明が経済学にとっての中心課題であるという立場を揺るがすものとはならなかった。
  キャタラクティックスにたいするプルートロジーの優位は、J.S.ミルの『経済学原理』(1848)の出現により、再び堅固なものにされたということができる。ミルはリカードウとほぼ同じ内容の分配理論を主要な経済理論として位置付け、価値論については、生産費説の立場に立ちつつ需給均衡論をきわめて小さな意味しかもたないものとして取り扱った。

新古典派 -その後の経済理論の展開という観点からいえば、ジェヴォンズはきわめて重要な意義をもっている。彼は『経済学の理論』(1871)のなかで、「価値」を「交換比率」と定義したうえで、功利主義哲学に依拠した限界 (もしくは最終的) 効用に基づく(「交換団体」間の)交換理論を展開した。功利主義哲学はベンサムによって打ち建てられ、古典派の時代にはいわゆる「哲学的急進主義」として大きな政治社会的影響力をもったのであるが、それが効用理論というかたちで経済学に取り込まれることになったのである。
  この時期のイギリスでは、古典派経済学の演繹的・抽象的・非歴史的性格が、バジョットやレズリーにより激しく批判され、アシュリーやイングラム等の歴史学派の系列がそれに続いている。経済理論の見地からいえば、支配的な理論がなくなったという意味で空白の状態が生じた時期といえるのであり、キャタラクティックスは、こうした事態のなかでも多数の経済学者の注目を集めるということはなかった。
 だが、19世紀末になると、上記のジェヴォンズの着想は、ワルラスの一般均衡理論2、メンガーの理論3とともに高く評価されることになり(いわゆる「限界革命」)、ヨーロッパで支配的な経済学の地位を占めるに至るのである。いわゆる新古典派経済学の勃興と隆盛である。
  マーシャルが経済学者として登場するのはこのような時期であった。そして彼は早くも1880年代にイギリスにおける圧倒的な主流派としての地位を築くのである。いわゆるケンブリッジ学派として知られる新古典派の誕生である。
  マーシャルは、一方でリカードウやミルから影響を受けつつ、他方でそのうえで需給均衡論を中軸にすえたキャタラクティックスの立場に立つ理論を展開した。マーシャルの交換理論は、リカードウやミルにみられる生産費説、ならびに市場価値と自然価値の識別を前面にすえたうえで、それを需給均衡論のなかに包摂することにより、新しい価値理論として提示されたものである。

  マーシャルの『経済学原理』 同書の核心が、需給均衡に基づく交換理論の体系的な展開にあることは、あえていうまでもないであろう。ただし、「実物」交換を対象とするジェヴォンズ、メンガー、ワルラスの理論とは異なり、マーシャルは自らの理論を「売買の理論」として措定している。そこでは、貨幣の存在は分析の当初から組み入れられ、取り引きが不均衡の状態で行われることを前提としたうえで、経済が均衡状態に向って収束していく過程の分析が目指されている。
  マーシャルは交換の理論を、「正常需給の安定均衡の理論」(「均衡の静学理論」)として提示している。それは、貨幣の限界効用ならびに貨幣の一般的購買力を一定と仮定し、分析の対象を1財に限定することで、異時点間の問題を考究する有効な方法その代わり、多数財のあいだの空間的相互関係の分析は捨象されているを提供するものであった。このアプローチは、ワルラスの一般均衡理論取り引きが、全市場での模索過程が完了した後に成立する均衡状態 (で実行される実物交換の状況) をモデル化したものが採用しているものとは対照的である。

 ケンブリッジ学派 - ケンブリッジ学派は、その後第2次大戦に至るまでのイギリス経済学の圧倒的な主流であった。マーシャルは価値論において上述の立論を展開し、それは今日のミクロ経済学の1つの重要な財産になっている。では、彼の弟子たちは経済学の発展にたいして、どのような貢献をなしたのであろうか。ピグーの厚生経済学やロビンソンの不完全競争理論も、マーシャルの業績に端を発するきわめて重要な貢献である。だがそれにもまして重要なのは、最終的には「ケインズ革命」として知られることになる、そして今日に至るまで、理論経済学ならびに経済政策の領域に深甚なる影響を与えてきているケインズの『一般理論』(1936)の出現であろう。これに至る道は、マーシャルなき後のケンブリッジ内部で展開された経済変動論の構築の試みに、多かれ少なかれ端を発している。

  マーシャルは価値論のほかに、通貨にたいする一般的信用が正常な状態で成立する現金残高アプローチによる貨幣数量説、ならびに正常でない状態で成立する信用循環理論を展開していた。マーシャルの弟子のうち、この流れにそった景気変動論を展開した人物として、ピグーやラヴィントンをあげることができる。
 他方、マーシャルの弟子のなかにも、スウェーデンの経済学者ヴィクセルのいわゆる「累積過程の理論」の流れを継承する景気変動論を展開する人が出てきた。これは既述のH.ソ-ントンの流れを汲む貨幣的経済学であるが、ロバートソンや『貨幣論』(1930)のケインズがその代表格である。彼らはヴィクセル的立論にたっているという点で、リンダールやミュルダール(ストックホルム学派)、ミーゼスやハイエク(オーストリア学派)と軌を一にしている。そして2分法批判、セイ法則批判、貨幣数量説批判、市場経済の不安定性を重視する貨幣的経済学は20世紀の前半の輝かしい経済学の潮流となるのである。ケインズの『一般理論』(1936) はその最大の成果である。
 「ケインズ革命」は、『貨幣論』からの離脱の成果としてとらえることができよう。『一般理論』において初めて雇用量決定の具体的な理論が提示されたのである。そのうえで、ケインズは2分法批判、セイ法則批判、貨幣数量説批判、市場経済の不安定性を重視する貨幣的経済学を再提示したのである。

 「新古典派総合」 戦後の経済学を考えるうえで重要な項目は2つある。1つはケインズの『一般理論』であり、もう1つはワルラスの一般均衡理論である。
  1936年から1950年代の末頃にかけての時期、ケインズの理論を高く評価する (若手の) 経済学者と、それを新古典派経済学の特殊理論にすぎない、もしくは誤ったものと考える (すでに名声を博している) 経済学者のあいだで多くの論争が生じた。第1のグループは、ヒックスによって考案されたIS-LMモデルは『一般理論』の本質をとらえたものであるとする見解を共有していた。このモデルはクライン、モディリアーニ、トービン等によりさまざまな精緻化が試みられていった。これが「所得-支出アプローチ」であり、通常、たんに「ケインジアン」と呼ばれる場合はこれらの経済学者を指している。
 第2のグループの始まりを代表するのはピグーであろう。このグループは、失業は貨幣賃金の硬直性に起因するものと考えており、もし貨幣賃金が伸縮的になれば完全雇用は達成されるであろうと論じた。この論争のなかから有名な「ピグー効果」(= 実質残高効果)という概念が生まれている。
 だが、1950年代末から1960年代中葉までの時期にあっては、両グループ間の論争は収束をみせ、「新古典派総合」として知られる統合化が経済学の世界を席巻することになった.そこでは、失業が存在する状況下では「IS-LM理論」の形式でのケインズ理論が成立し、(ケインズ的政策を通じて) 完全雇用が達成されると、経済はワルラス理論によって描写される状況になる、という見解が支配的であった。かくしてこの時期、経済学者の大半はケインジアンであると同時にワルラシアンでもあった。
 さらに、この時期になると、数理経済学(例えば、位相解析による一般均衡論における
解の存在証明)の進展、および計量経済学的手法を用いた実証分析の進展(例えば、クラ
イン=ゴールドバーガー・モデル)が顕著であり、ケインズ革命はこれらと並行して進展・
普及したのである。

この30 「新古典派総合」は1970年代に崩壊した。その後の30年は、経済理論および社会哲学が二極化した時期といえる。便宜上、この時期を2つの局面に分けてみていこう。広い意味での新古典派の内部分解ならびに反新古典派の台頭である。
 「所得-支出アプローチ」ケインズ派への批判はマネタリズムによって火蓋が切られた。ケインズ派とマネタリズムのあいだでは、フィリップスカーブや自然失業率仮説をめぐり激しい論争が繰り広げられた。さらにケインズ経済学は、マネタリズムと密接に関連をもつ、しかし理論的にはそれを継承しているわけではない新しい古典派によって、一層徹底した攻撃を受けた。
「新しい古典派」には2つの流れがある。1つはルーカスに代表される「(貨幣的) 均衡ビジネスサイクル理論」であり、もう1つはキッドランド=プレスコットに代表される「リアルビジネスサイクル理論」(RBC)である。両者の識別は、ネーミングが示唆するように、変動の起因を貨幣ストックのランダムな変動に求めるのか、それとも実物経済へのランダムな変動に求めるのか、にあるが、以下の点を共有している。
 新しい古典派は、個人が合理的期待を形成する能力を有するという仮説から出発する。個人が、マクロ経済についての十分な情報を収集分析する能力を有するという点も当然視されている。合理的期待自体は期待についてのテクニカルな仮定である。だが実際には、これが経済政策の場で用いられたため、政策問題の分野でも大きな影響力をもつことになった。
 新しい古典派は市場経済における価格メカニズムの均衡化機能に絶対的な信頼を寄せる。そして社会哲学においては「ネオリベラリズム」を標榜する。「新しい古典派」は裁量的政策、ならびにケインズ経済学とともに発展してきたエコノメトリックス手法に基づく予測を厳しく批判する (いわゆる「ルーカスクリティーク」)。完全雇用、セイ法則、パレート最適、(期待) 効用理論、経済主体の「超」合理性、レッセ-フェールをハードコアとして有する理論が一世を風靡するという現象は、18世紀第3四半期に新古典派が誕生して以来初めてのことであった。
「新しい古典派」では、動学的一般均衡理論 (DSGE) が重要なモデル手法として用いられている。これは、経済主体が異時点間の意思決定を行う存在とされ、そのうえで、各時点での変数が確定する(解が解ける)ように方程式体系を構築することがモデル・ビルディングの原理として重視されることに起因する。このさい、合理的期待形成仮説の導入がモデルの確定化に大きくものをいう構造になっている。
  これらの動きに抗して登場したのが「ニューケインジアン」である。彼らは、市場経済における価格メカニズムの不完全性に注目し、さまざまな形態の価格硬直性の原因を追求する (例えば「メニュー・コスト」仮説、「効率性賃金」仮説など)。ケインズ経済学の最も本質的な特性をこれらの価格硬直性にみることで、彼らは自らを「ニューケインジアン」と呼称する。社会哲学的には、彼らは裁量的政策を支持しており、その精神において「所得-支出アプローチ」ケインズ派を継承している。だが、よく知られているように、彼らはその理論分析の多くを「新しい古典派」から借りている (合理的期待形成、代表的主体、DSGEなど)
ニューケインジアンは、近年になってマクロモデルを開発したが、これはかなり普及しており、「新しい新古典派総合」(NNS)を具現する標準的なモデルとされる。「ニューIS-LMモデル」(もしくは「IS-AS-MPモデル」) と呼ばれるのがそれである。だが、その内容はIS-LMモデルとは似ても似つかないものである。

「新古典派総合」の瓦解を招来したもう1つの原因は、その外部に位置する研究者の活動である。「不均衡経済学アプローチ」(クラワーやレイヨンフーヴド)、ポストケインズ派 (デヴィッドソンやミンスキー)  いずれもケインズの理論に同調的であり、異なる根拠によるとはいえ、「原」ケインズに現在的価値を認める経済学者は、「所得-支出アプローチ」、ならびにワルラス的一般均衡理論のいずれをも批判しつつ、自らの理論を (彼らが本質的とみなす) ケインズの理論に基づいて展開しようとしている。彼らはいずれも、完全雇用、セイ法則、パレート最適、効用理論、経済主体の「超」合理性にたいし懐疑的もしくは否定的である。


3. 評価:隣接諸学からの影響と排除、価値判断

前節において、経済学がこの250年のあいだに、どのような展開を遂げてきたのかを、2つの分類概念を基軸に見てきた。本節では、こうした展開をみせた経済学を、2つの視点 隣接諸学からの影響と隣接諸学の排除、および価値判断からとらえることにする。

3.1 隣接諸学からの影響と隣接諸学の排除

 経済学の歴史において、隣接諸学はどのように関係してきたのであろうか。

 経済学への数学・統計学の導入 きわめて古くは、リカードウ理論を数学的にモデル化する試みがあり、また1870年代にワルラスは一般均衡理論を数学的なモデルとして定式化している。
だが、経済学に数学・統計学が重要科目として導入されたのは、戦後のことである。とくにアメリカにおいて、数理経済学の発展(アロー=デブルーなどによる一般均衡理論の位相数学による精緻化、計量経済学の進展、ストーンなどによる国民所得統計などのデータ・統計解析、レオンティエフによる産業連関分析などの実証研究が飛躍的に進展していき、これらが経済学のなかで占める地位がきわめて強くなっていった。

  経済学への哲学の影響 (1) 「論理実証主義」の場合 論理実証主義は1920年代に「ウィーン学団」を中心に展開されたものであり、数学的な演繹的思考体系と「検証可能」な命題のみを科学の対象とし、それ以外のものを「形而上学」として排斥しようとする科学哲学上の立場である。この主張は、経済学にも影響を及ぼし、そうした領域を、科学としての経済学からは排除すべきである、とする気運を増大させていくことになった。「論理実証主義」は、哲学的な命題を形而上学的なものとして排除するという思想を強烈にもっていたため、経済学から哲学を排除していくうえで大きな役割を演じることになったのは皮肉という他はない。

経済学への哲学の影響 (2) 「功利主義哲学」の場合経済学の歴史にあって哲学が大きな貢献を演じた事例としては、既述のジェヴォンズの貢献があげられる。
 だが、この導入があった後、功利主義と効用理論のあいだの関係が深く追究されたかというと、じつはそうではなかった。
哲学者は、功利主義の是非をめぐり、これまでに激しい論争を展開してきた(例えば、ハルシャーニ、ゴティエ、ロールズ、セン)。だが、効用理論を採用する経済学者が、その根拠を問うということはなく、功利主義をめぐる議論と効用理論をめぐる議論は、あたかも交差することなく独立の道を歩んできた感が強い。
またこれらの経済学者が他の経済学者による批判に応じるということもなく、正統派の経済理論にあって、「もとの基礎の健全性を徹底的に探究することなく」効用理論が重要な礎石として用いられてきているという事実が存する。
効用理論は、例えば今日の「新しい古典派」にあっても、「代表的家計」の行動原理として中枢的な役割が与えられている。経済主体の行動を「効用理論」で説明できると考える経済学者は、今日においてもきわめて多い。
だが、それを否定する有力な経済学者も後を絶たない。それは、ヴェブレンや、過少消費説論者のホブソンといった異端派の経済学者にとどまらない。ミュルダールは、自由放任思想およびそれに依拠する経済学 (功利主義思想 [効用概念]など) を、「空虚」であり「誤っている」、と一貫して批判した。カッセルは、一般均衡理論を展開するにさいして、主観価値説を拒み、(限界)効用概念を用いない立場をとった。ケインズは、功利主義は「現代文明の内部を蝕んできたうじ虫」と断じている。現代に目を移せば、ヴェブレンと同一の認識を示すホジソンがいる。

3.2 経済学における価値判断

 だが、いかに経済学を自然科学と同様の「科学」にすることを目指しても、そこには大きな限界がある。対象たる経済現象は、人間によって営まれるものであり、そこでは人間が経済主体なのである。
 実際、経済学のなかで、論理実証主義が排除した問題は、重要なジャンルとして現在においてもその輝きを失うことはない。いくつかの事例をあげてみることにしよう。

社会哲学 - 経済学者は、自らが生きる経済システムをいかに評価するのかという問題から逃げることはできない。公理的な地点から出発する理論経済学者にあっても、究極的にはその公理には、経済主体がいかなる行動をするものかについての考えが含まれており、そしてそこには価値判断の余地が強く入り込んでいる。
それに、体系としての経済システムの現状をいかに評価し、そこにおける短所についていかなる改正を求めるか、という問題はどの経済学者にも課せられている。そして、どのような経済システムを理想、ベストとみなすのかは、かなりの程度、価値判断の問題である。
 「資本主義システムは本性的に安定的であり、均衡に収束する傾向をもつ」とみて、自由放任哲学を奉じる経済学者がいる半面、「資本主義システムは本性的に不安定的であり、放任しておくと失業状態をもたらす傾向がある」と判断し、ニュー・リベラリズムを唱道する経済学者がいる。このことについては、すでに「実物的経済学」と「貨幣的経済学」という対立軸で説明したが、現在においても「新しい古典派」と「ニュー・ケインズ派」に明瞭に認められる。
 経済学には、かつて「社会主義経済計算論争」という大きな論争があった。これは、社会主義システムがうまく機能するかいなかをめぐって展開されたものであり、失敗すると主張した陣営 (ミーゼスやハイエク) と、成功すると主張した陣営 (ランゲやシュムペーター) に分かれて論戦が展開された。その根底に、各陣営の論者の価値判断が大きく横たわっていたといってよい。そしてこの経済システムにたいする基本的なスタンスのいずれが正しいのかを、「理論的に」証明する方法は、残念ながら経済学には存在しない。
 ここでミュルダールの主張に目を向けておくことにする。彼によれば、社会科学の客観性というものは、研究主体の価値評価ないしは価値前提を陽表的に示したうえでの客観性でなければならない。社会問題についてのあらゆる研究は、「価値評価」によって決定されている。「見解」を得るには、「視点」を設定しなければならない。「視点」は「価値評価」を含んでいる。「価値評価」を陽表的にしないならば、「偏り」の生じる余地が大きくなる。「偏り」は歪められた・誤った世俗的信条を放逐するという社会科学の力を損なう。社会科学の役割はこうした信条を放逐する力にある、と。

 学派の多様性 - 本稿で紹介したのは、経済学史上におけるきわめて支配的な学派である。それでも、古典派と新古典派には経済現象をとらえる視点に大きな相違があるし、新古典派内部を取り上げてみても、たとえばジェヴォンズとマーシャルには大きな相違がみられる。ケインズの経済学に根差す経済学者にあっても、「所得支出アプローチ」ケインズ派とポスト・ケインズ派のあいだの対立は鋭いままである。論争が絶えることのないのは、一つにはこうした学派の多様性に根差すところが大きい。
 学派には栄枯盛衰はあるが、他方、つねに複数の支配的な潮流が存在している。このことを説明する理論として、クーンのパラダイム論やラカトスの科学的研究計画法 (MSRP) がよく知られている。経済学のこれまでの展開をとらえるための有力な方法であり、絶対主義史観や相対主義史観を乗り越えた見方を提供している。
  
4. むすびに代えて

経済学は近年にあっても、依然として論理実証主義的思考の影響を陰に陽に受けており、数学化、実証化を重視する傾向を著しく強めてきている。そして、経済学史や経済思想、経済史といった分野を経済学部の科目から排斥もしくは軽視しようとする傾向が、世界中でみられる。
 この結果、経済学部での専門教育は著しく偏ったものとなっており、その結果、知的背景の狭い経済学者が輩出し、翻って彼らが教師となってさらに一層狭くなった視座に立って学生を教育する、という悪循環が展開している。現在の狭隘化から経済学を取り戻し、より多彩な視点を学べる環境づくりがいまほど要請されているときはない。


* 本稿は扱う対象範囲が広いため、参考文献を挙げないことにしたが、次の文献などを参照されたい (なお掲げている文献の年号は初版時のもの)。英文表記も同様の理由で行っていないが、インターネットで日本語表記から容易に検索が可能である。

平井俊顕 (2003)『ケインズの理論 複合的視座からの研究』東京大学出版会
Bateman, B. W., Hirai, T. and Marcuzzo, M.C. eds. (2010), The Return to Keynes, Harvard University Press (平井俊顕 (監訳) 『リターン・トゥ・ケインズ』東京大学出版会、2014).
 

1) この分類概念による経済理論史の整理は、ヒックスの論考「経済学における革命」(ラトシス編、1976所収)によってなされたものである。
2) ワルラスは『純粋経済学要論』(1874) で彼の一般均衡理論を提示した。それは最も単純な交換の理論から始まる。そこではすでに存在する多数の商品の諸個人間での交換が問題とされ、すでにワルラス体系を特徴づける最も基本的な要因 (ニュメレール、ワルラス法則、タトヌマン等) が登場している。
3) それは限界効用に基づく交換の理論、帰属理論、迂回生産の理論などで構成されている。その基本に個人主義的方法論が存在し、演繹的方法の優位性が唱道されている。