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ミーゼス 社会主義国における経済計算, 1920年 1. ミーゼスは、社会主義経済を生産手段の国有化 (私的所有の廃止) された経済と規定する。そして、そのような経済では、生産手段の市場が存在しないため、経済計算は不可能である、と主張する。 2. ミーゼスは資本主義経済が貨幣的経済であることを、きわめて重視している。そして社会主義経済においては貨幣は本質的な役割を果たすことはできない、と考えている。 3.社会主義経済では、責任やイニシアチブを有する人々の存在する余地はない。 4. 「高次財のための自由に決定された貨幣価格という概念が放棄されるやいなや、合理的な生産は完全に不可能になる。生産手段の私的所有や、貨幣の使用から遠ざかるごとに合理的な経済状況からわれわれは遠ざかる。」 「生産手段の私的所有、および貨幣による交換システムに基づく社会は、こ うして計算と勘定が可能になる」 … こうしたことは社会主 義経済では得られない。 「(社会主義経済は) もはやいかなる信用も流通させない。というのは、社会 主義社会では、信用は必然的に不可能になるからである。」 「経済計算なくして経済はありえない。それゆえ、経済計算の追求が不可能 な社会主義国では、経済などまったくありえないのである。」 「合理的であったことを決定する手段はないであろう。だから、生産が経済的考慮によって指令されることはけっしてありえないのは明白である。... 合理的な行為は、その適正な領域である場所から離れるであろう。実際、合理的な行為のようなもの、あるいは、いやまったく、合理性とか思考自身における論理のようなものはありうるのだろうか。」 「民間企業の成功が依存している自由なイニシアティブと個人の責任の排除は、社会主義組織にとっての最も深刻な脅威となる」 5. 市場社会と社会主義の比較において、前者では参加者はすべて消費者として、および生産者として参加するのにたいし (経済計算にはこの両側面が不可欠であるとされる)、後者では生産者としての参加が欠落しており、したがって生産手段の価値評価を欠く。 「同一企業の個々の支部のそれぞれの計算は、専ら、計算の基礎としてとられる市場価格はあらゆる種類の市場および雇用される労働のために形成されるという事実に依存している。自由な市場がない場合、価格メカニズムは存在しない。価格メカニズムが存在しなければ、経済計算は存在しないのである。」 6. 「財の客観的な交換価値が経済計算の単位として入ってくる交換経済」は、3つの利点を有するとされる。 (1) それは、計算を、交易に参加するすべてのものの価値評価に基づくことを可能にする。 (2) それは、財の適切な用途へのコントロールを提供する。 (3) 交換価値による計算は、価値を単位にもどすことを可能にする。 7.このほか、労働価値説批判、そして社会主義者は純粋の社会主義になったときのもつ問題 (これがミーゼスの批判のポイントである) を看過、もしくはみようとしていないという批判がなされ、バウアーやレーニンの考えが批判的に検討されている。 「これらのすべの著述物からの唯一の可能な結論は、それらが、社会主義社会における経済計算という大きな問題に気づいてすらいない、ということである。」 |