ナイト「社会科学と政治的トレンド」(1934年) 1934年。それは2つの「ニュー・ディール」が脚光を浴びている時代である。1つはヒットラーのナチズム、もう1つはルーズベルトのニュー・ディールの時代である。ナイトは双方を本質的に同じものとみている。 今は、自分たちが育てられてきた文化価値が批判・否定されている時代である、とナイトはいう。知性 (intelligence) は疎んじられ、真実を追究する精神は否定され、考えるよりも行動だ、つべこべいうよりも実験だ、といった論調が支配的である、と。 ナイトは当初、この大不況はこれまでの不況と同じ性質のものだと思っていたが、いまではそれは誤りで、大きな経済的・政治的革命である、と確信するに至っている。そして、その到来をひどく批判的な思いで、ナイトはみている。 自由な市場システムと民主主義を当然視する時代は過ぎ去ってしまっている。過去にこれが成立したのは、ナイトによると、フロンティアの存在などの偶発的事象によるところが大きかった、という。 「現在という視点からみると、顕著に偶発的で本質的に一時的な条件のみが、一時的に、このような「自由な」社会システム - 経済生活における個人のイニシアティブと代表的組織を通じての政府 - が機能するようにみえる、もしくは自由と秩序を調和させるという問題を解決する能力をもっているようにみえることを可能にしたことが分かる。」 自由社会にあっても、その制度の精神的な基礎は無意識的なものであり、感情的なものである。社会行動の多くは慣習であり、意識的なものの多くは、批判的思考ではなく感情と忠誠に基づいている、とナイトはいう。 ナイトは、ブルジョア社会の本当の崩壊はモラルである、という。 「リベラリズムの知的誤りは二重であった。それは、社会問題は、根底においては知的なものでなく道徳的なものであることを理解できなかった。そしてそれは、含有されている真に知的な要素を完全に誤解していた。」 ナイトの積極的な主張は、「真実を追究することを尊ぶことを意識して、今日の状況に立ち向かおう」というものである。そのためにはわれわれの精神構造をも意識的に変革することが必要である、と。 「共同的で批判的な真理追究という雰囲気」 「真の宗教的会話は、真実を愛し、真実への信頼を愛することに真に捧げようとするいかなるグループのメンバーのたいてい、もしくはすべてにとって必要であろう。」 ナイトはプラグマティズムには批判的であった。 「哲学においては、それは功利主義の時代であった。それは、アメリカでは19世紀の終わりごろ、プラグマティズム ― 哲学の否定、カルトへと変容を遂げた俗物根性 ― へと進展した。」 |