2016年8月10日水曜日

三浦梅園 『価原』(1773年) by 平井俊顕






三浦梅園 『価原』(1773)

                         by 平井俊顕

この本の主題は明瞭であり、ほぼ次のようである。現在 (江戸中期) は、金銀を崇拝する風潮が甚だしく、奢侈に流れる傾向が強い。だが、国の本来の富は生活に必要な物資 (「六府」) である。金銀で、人々が食べたり、着たりすることはできない。金銀にとりつかれて本来の務めを四民が忘れていることが重大な問題である、と。
興味深いのは、物価変動の問題を論じている箇所である。金銀が多くなることで物価が高騰すること、少なくなることで物価が下落すること、が明瞭に語られている (いまでいう貨幣数量説の考えである)

「このゆえに金銀多ければ物価たかし。金銀少なければ物価低し。物価低きは、金銀の貴きなり。物価貴きは、金銀の低きなり」(p.44)

金銀という貨幣は、それ自体は流通の便をはかる役割をもつものである。問題は人々が拝金主義に陥り、本分を忘れてしまう事態にあるのである。

「一通りに考えれば、金銭少なければ、世の中貧しく、金銀多ければ、世の中ゆたかなるものかと思えども、さにあらず。ここにてとくと天下の至宝は、六府にすぎざることを察すべし」(p.41)

  この考えは、金銀の保有を重視する重商主義思想を批判して、年々の労働の生産物 (スミスは国富と呼び、梅園は六府 (= 食料品) と呼ぶ)を重視するスミス的考えに通じる。
現在は、商人が力をもっており、士農工は困窮している。経済の実権は商人に移っている。梅園はそのことを嘆じている。物資は都市に流れ、地方には物資が不足している。
現在は、多くの人々は都市に流れ、逆の流れはない時代になっている。そして都市に流れた物資は遊民によって食い尽くされている、と。世の中は太平の世となり、人口も増えている。
梅園は、現在と過去の中国、日本との比較、それも数値的な比較を意識しながら試みている。梅園は、天文・地理・医術が、漢学に比しての西洋が優位に立っている原因を、それが実測を重視しているからだと考えている。