Knight, “Marginal
Utility Economics”
(The
Encyclopaedia of the Social Sciences, ed . by Seligman, 1937)
限界効用学派についてのよくみられる紹介が最初に行われている。全体を通じて、ナイトはオーストリア学派に最も注目を払っているといえる。アメリカでは、Patten, Fetter、Fisherがあげられている。
スミスの価値論、リカードの価値論が説明されたあと、ミルによる賃金基金説の放棄への言及が続く。
「その崩壊は完全であったので、新たなスタートは不可避的であった」
ジェヴォンズ、メンガーの(限界)効用理論の登場について、ナイトは、次のように評している。
「新たな視点の成果は、結局のところ、価格の説明の領域においてよりも、分配の領域において大きかった」
価格理論に関しては、革命は思ったほど大きなものではなかった (p.144)
「価格理論における限界効用の本質的な功績は、全体としての問題にたいし、競争的関係にある現実の人間が、売買する経済システムにおいて各人がその状況を最良に利用して行動することに注意を集中しながら、新たな現実的なアプローチを推し進めるという点にあった」(p.145)
限界効用理論によってもたらされた最大の改善は、分配理論の領域でもたらされたことを、ナイトは強調している。
「限界効用の視点によってもたらされた最大の改良は、費用についての見解が変わったことの副産物として、分配理論の領域で生じた」(p.146)
「一つの一般的な価値評価問題 ― それは、価格という事実と私益という動機のもとでの経済組織を説明するものとして徐々に認められてきていた ― の不可欠な部分としての費用と分配支払いについての考察を推し進めるというのは、効用アプローチの真に革命的な功績であった」(p.146)
価格の決定についての定式化において、効用理論家は、古典派と同様に、真理には近づいていない、とナイトは評している。(しかし、効用理論の延長線上で、費用と効用を用いての[正しい]価格決定理論が出現することになった、とナイトはいいたいようである。)
ここでナイトはマーシャル的な短期、長期の理論をもちだしてくる。
「効用原理の作動は、全調整過程の基礎である。これは、間違いなく効用アプローチの
産物である代替的な費用理論である」(p.146)
「資本の形態の変化、労働の再訓練、およびそのほか関連するものを含む再調整のための非常に長い時間を考えるとき、費用一定の法則は真実からそれほど離れていない。そのような状況では、効用は生産される量を決定するが、最終的な均衡価格に影響を与えることはできない。他方、生産要素は、いかなる程度においても即座に移転させることはできない。非常に短期の場合、状況は供給が固定されている状況に近づく。この場合においては、価格は供給量の相対的な効用によって決定され、費用はまったくなんの影響も及ぼさない。」 (p.147)
分配理論の分野で、 効用理論家は正しいアプローチを与えたが、 一般原理の定式化において混乱に陥った、 とナイトは論じている (cf. p.148)。ナイトがいう正しいアプローチとは帰属理論である。
「これは、帰属の問題を措定する。結合結果を共同する原因に分割するという問題である」(p.148)
これについて、ナイトはメンガーの提示した理論がベストであると評している。そして 困難からの出口はマーシャルとJ.B. クラークによって示された、と。
利子の問題について、リカード学派はこれに何の説明もしなかった。そのうえで、ナイトはジェヴォンズ、ベーム‐バベルク、フェッター、フィッシャーに言及している。
「ベーム-バヴェルクが、利子論を展開するという問題を限界効用原理と調和的なかたちで解釈したとき、それは、シーニヨァの耐忍理論とともに生産性理論をも排撃することを意味し、…そして現在財と将来財についての主観的評価の違いのタームで利子現象を説明することを意味した。
利子について、ナイトが正しいと考えるものは、ヴィーザーのものである。
「利子とは、資本財の純価値生産とその貨幣コストの比であるとするヴィーザーのシンプルな理論が、きわめて十分なものであるように思われる。」(p.150)
限界効用理論がはたした科学的貢献について、ナイトは次のように述べている。
(1) 需要に注目したこと・・・もっともナイトは、物理的なコスト関係の方が、価格により大きな影響を与えると考えている。
(2) 需要の分析を、数量と価格の表面的な関係を超えて「説明」しようとしたこと。
(この点をめぐって、大きな賛否両論の激しい論争が生じている、と。p.150)
「効用理論は、競争的経済システム自身が1つの局面であり、現代科学と技術はもう1つの局面であるところの、歴史的および論理的にみて、合理主義的・個人主義的知的運動の頂点とみなすべきである。」p.150
賛美者にとっては、太陽系にたいするニュートン力学に匹敵する人間行為・社会への原理の発見という18世紀の人々の願望の達成と思われる。
さらに、自由放任は市場競争により最適な状態をもたらすという証明に、この原理は用いられた。
他方、効用理論にたいする2種類のタイプの批判者の群の存在にナイトは言及している。
(1) 有機的社会目的、歴史的要因、文化パターンで論じるべきとする人々
ある程度の自由と自生性(これはハイエクを指しているのだろうか)を主張する人々
詳細なリアリズム…おそらく歴史学派を指している。
これらの流れにたいするナイトのコメント
「かれらは、効用分析の論理もしくは目的を理解していない」(p.151)
「実際、全体の理論は、ジェヴォンズや悪ラスのより洗練された数学的ヴァージョンよりも、メンガーのゆったりした、常識的な定式化の方がずっと説得的である。」p.152
(2)効用理論は主観的で非科学的であり、物理的な数量だけを用いる統計的手法で経済現象を説明するべきだとする人々による批判
これにたいし、ナイトは一定の譲歩をしている(ようにみえる)が、他方、次のようにもコメントしている。
「純粋な統計学の提唱者は、もし経済学が手段と目的という人間的問題と何らかの関係があるものとすれば、経済学は財・サービスにたいして、それ自身ではなく、価値や犠牲を表すものとして関心をもつべきである、ということに気がついていないように思われる。」(p.152)
ナイトは基本的に、効用理論学派の経済理論を承認しているといえる。
価格決定理論については、ナイトの考えはマーシャルの短期・長期識別による価値論を承認している。また効用理論学派が分配問題において正しい見解を示した点を、最大限に評価している。
それにたいし、効用理論に批判的な学派について、それは無理解によるものである、と論じている。
ナイトは、メンガーを非常に評価しているし、また利子論についてはヴィーザーを高く評価する。そして全体として、ナイトはオーストリア学派に大きな評価を示している。他方、ワルラスへの言及はほとんどといってよいほどない。マーシャルについても、それほどの言及はない。イギリス人ではジェヴォンズが一番取り上げられているといえる。
このことと、 Freedom as Fact and
Criterion( 1929) での、 功利主義にたいするかなりシビアな批判とはどう折り合いがつくものなのだろうか。