Frank Knight, The Sickness of Liberal Society( 1947)
この論考では、自由社会の病理よりも、むしろナイトの自由主義が全面的に展開されてい
る。ナイトの社会哲学を理解するうえで、非常に重要な論文である。
ナイトの自由主義は、ダイナミックに解されている点に大きな特徴がある。自由主義の
核は、「真実」という概念をめぐる多方面の革命であるとされる。「真実」は本性的にダ
イナミックであり、変化し、成長を遂げていく。真実は、事実、論理、証拠についての批
判的評価に信をおくのであって、何か伝統的なドグマや権威に信をおくのとは明確に異な
る、とされる。それは好奇心と探究心に関心を有している。
自由主義は「累積的な成果」としてとらえられている。
自由主義は、世界および人間にたいする信頼である。それは世界において、より良い
生活 (真、善、美、喜びといった価値) を漸進的に達成することが可能な環境であるとみ
る考えであり、これらの価値のために多数の人々が働く知性と意志を有するとみる考えである。それは制限付きの楽観主義である。自由主義は、真実と権利を見いだし追究する人間の能力と勇気にたいする信頼である。
ナイトの警告に、道徳的ロマン主義と科学的ロマン主義のいずれもが、人性を過度に単
純化するものである、というのがある。そしていずれも権威的社会秩序に陥ってしまう、と評されている。いずれも、自分たちだけが有資格者であって、他の人は私に任せればよいというかたちで、ある考えを押しつけることになるからであるという。
大事なのは、民主主義であり、そこでは問題を解決するために、すべての基礎として、
物質的進歩と技術的進歩、道徳的・知的・審美的進歩を促進することにおける思考と行動との協力が重要である。しかもすべては漸次的に、しかもユーモアと遊び (play) を交えながらなされねばならない。
ナイトは「遊び」、もしくは「スポーツ」のもつ意義を重視している。ルールに従って動くとともに、状況に応じてルールは改善されていく。しかもゲームにあっては参加者が真剣であると同時に、楽しみの余地をもつものでなければ、ゲームの意味はない。こうしたゲームの特性は、自由主義の特性をうまく表現するもの、とナイトはとらえている。
ナイトは、経済学としては伝統的な経済学に批判的とはいえない。むしろそれには、た
いして問題を感じているようにはみえない (p.313の注1)。彼の独自性は、経済学の枠を超えて自由主義の問題を考察している点に求められると思われる。
ナイトはアソシエイションを重視する。自由な企業(enterprise)は、個人的自由と自由
な結合を具現するものとみなしている。 組織をめぐる自由な企業システム (free
enterprise system of organization) を賞賛している。
ナイトは功利主義に好意を示す立場にたっていないことは確実である。彼の資本主義に
たいするアプローチは、「気さくな会話」(casual conversation)や「遊び」の重視からみてもわかるように、非常に幅広い視座に立つものである。
ナイトが自由社会の病理としてあげている事由は、いずれも弱いものである。しかも、
それらは自由社会のたいして深刻な弱点と考えられているわけでもない。
・例えば「独占」とか景気変動
不平等の問題にたいする自由主義社会の取り組みへの言及
ナイトは、対立する経済的利害に戦争の原因をとらえようとする考えに批判的である。
平和な交換と協力は関係者すべてを益すると考えるからである。したがって階級対立という考えにも批判的である
(このあたり、シュムペーターの見解を彷彿とさせる)。
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功利主義をめぐるナイトの議論は、 Freedom
as fact and criterion( 1929) に詳しい。 かなり批判的な認識に立っている。
Liberalism: pros and cons (1967) でも、 「 ロマン主義」への言及がある 。