2016年8月10日水曜日

ナイト 『危険、不確実性、および利潤』(1920) 第1章 経済理論における利潤と不確実性の位置 by 平井俊顕






ナイト 『危険、不確実性、および利潤』(1920)

第1章 経済理論における利潤と不確実性の位置

                                             by 平井俊顕

ナイトは純粋経済学(数理経済学と理論経済学)の意義を認める立場を表明している。それは本質的と思われる少数の仮定から一般原理を導くもので、当然、複雑な現実からは遠いところにある抽象的なものである。全体としてのすべてを論じること (これはブラッドリーのヘーゲル観念論やゲシタルト心理学が念頭にあったのかもしれない) は「思考」ではない。「思考」とは「分析」と同義である (p.17)、とナイトは主張する。

その例として、ナイトは物理学や機械工学を出してきている。純粋な物理現象というものは現実の世界には存在しない。現実のなかから本質的と思われる要素を取り出し、そこから原理を組み立て導出する。それは現実への近似にすぎないが、それにより基本的な現象を説明したり予測したりすることができる。複雑な現象を全部抱え込んでいては純粋な理論は創り出せない。その意味で純粋理論は精密科学である。科学の発展とはそのようなものである ( p.9)

経済学の場合純粋理論における問題点は1つに理論家そのものが自らの打ち出す理論の前提仮定を明らかにしないあるいは意識しないことがままあるという点1つに応用経済学者 (practical economists) 仮定について注意することなく性急に原理を現実の経済問題に拙速に適用しようとする誤りをおかしているという点である(pp.10-11)

「これらの単純化された仮定と生活の複雑な事実との対比は、機械工学においてなされてきているのと同じように、明白で分かりやすものにすることが、必須である」
 (p.11).

演繹法と帰納法についてはドイツの経済学方法論争を下敷きにしている。ナイト「中間の道」(p.6) をとっている。また静態と動態をめぐる話が展開されている。

物理学、工学の領域については、ほとんどの人はその内容を理解することができない。だが、経済 () では、だれでもいっぱしの考えをもっており、専門家のいう見解に耳を傾けようとはしない傾向がみられる (p.13)

  「もしわが社会科学が人間生活の質の改良をもたらすべきであるならば、それはまず第1に、その大部分を大衆に向けて「売」らなければならない。」 (p.13).