2016年8月20日土曜日

Hayek, The Facts of the Social Sciences, 1942 (Individualism and Economic Order) 平井俊顕







Hayek,  The Facts of the Social Sciences, 1942
Individualism and Economic Order
 

                             平井俊顕

ハイエクは若い頃、エルンスト・マッハならびに論理実証主義を学んだことから、この論文を始めている(おそらく、批判的なスタンスをここでは示しつつである)。
ここでの重要な主張は、自然科学のいう事実と社会科学のいう事実とは、全く異なっているということである。社会科学の事実とは、人々の行為や社会的現象を説明する際に、われわれ自身の精神 (mind) に訴えかけることによってのみ形成されるものである、という考え方である。

 「われわれは皆、われわれの精神とのアナロジーで他の人の行動をこうして理解でき、
そしてきわめて多数の場合においてこの手続きは作用するとの前提に立って、つねに行動している。・・・このことは、これらの行動はわれわれ自身の精神のアナロジーによって解釈されることができるということを意味するものに他ならない」(p.64)

                                                              
われわれの心のアナロジーによって解釈するしかない。
 したがってわれわれの身近なものから遠ざかっていくにつれて、われわれの理解は低いものになっていく。

   「われわれが他人の精神について語るときに意味することは、われわれが観察する事物はわれわれ自身の思考方法にフィットするがゆえに、われわれが観察するものに結びつけることができるということである。しかし、われわれ自身の精神からのアナロジーで解釈する可能性が終わる場合、われわれがもはや「理解できない」場合、精神について語ることには何の意味もない。その時には、ただ、われわれが観察する物理的特性に応じてのみグループ化し、分類できる物理的事実が存在するにすぎない。」(p.56)
 
「社会的事実」というのは物理科学でいわれるものとは異なっており、われわれの精神のなかで見いだされる要素から組み立てられるものである。
 
 「われわれが「社会的事実」と呼ぶものは、この言葉が物理科学で使われる特殊な意味での事実でないのは、個人の行動やその目的がそうでないのと同様である。これらのいわゆる「事実」は、われわれが自身の精神のなかに見出す要素からわれわれが構築する精神的なモデルとまったく同種類のもので、われわれが理論的社会科学において構築する事実である。したがって、われわれが社会科学において行うことは、われわれが国家とか共同体、言語とか市場について語るときにつねにするのと論理的な意味においてまったく同じである。ただ、日常的な会話では隠されていたりあいまいであったりすことを陽表的にしているだけである。」(p.69)

これにたいして個人の行動から社会的集産性 (social collectives) に向かうほど客観的な事実の領域に入るとする信念そしてそれが社会科学を自然科学にならって「科学的」にするという信念をハイエクは錯覚であるとして批判するコントがあげられている... p.69

歴史学派にたいする批判も、こうした認識に立って行われている。
  「歴史的事実」とは何かという問題。それは「理論」にほかならない。

 「われわれが歴史的事実と呼ぶものは、本当は、社会についての理論的科学が構築するより抽象的で一般的なモデルとまったく同じ性質をもつ理論である。」(p.71)
                  
さらに、「歴史的相対主義」への批判 が同様なかたちで展開されている。...p.74

ハイエクは社会科学において、理論のもつ重要性を強調している。だが、それは自然科学におけるそれとは異なる、とされる。

 「「社会科学のすべての理論」は、全体として社会全体についてのものではない。それは、これらの全体の行動や変化についての実証的な観察法則による発見を主張するものではない。それらの課題は、むしろ、・・・これらの全体を組み立て、歴史家が実際に見出す諸要素を意味ある全体に適合させようとするときに用いることのできる構造的関係を提供することである。」(p.72)

「組み立てる」constitute という点が重視されている。

  「これらの全体もしくは社会構造は、けっして自然の単位としてわれわれに与えられていない。それらは観察に与えられた明確な対象物ではない。われわれは現実の全体をけっして扱ってはおらず、つねにわれわれのモデルの助けをかりて行われる選択をのみつねに扱っている。」(p.74)

この論文でハイエクが述べている2つの重要な仕事

 ・第1の仕事 - 個々の行動のタイプをクラス分けすること、そのクラス分けを進展させること (p.67)

  ・第2の仕事 ―「われわれはこうして分類された個々の異なった種類の行動を要素として用い、そこから、われわれの周りの世界で知っている社会的関係のパターンを再生しようとする試みのなかで仮説的なモデルを構築する」 (p.68)


ハイエクの主張は、かなり納得できる。だが、彼の構想のなかで、実証的な研究はどのように位置づけられることになるのであろうか。つまり理論モデルが構築された後、それに基づいて世界を理解しようとするとき、そのモデルの修正は、実証的な方法でなすことが許容されているのであろうか。この点がいまいち、すっきりしない。