2016年8月17日水曜日

Knight, Socialism:The Nature of the Problem, 1940. by 平井俊顕






Knight,  Socialism:The Nature of the Problem, 1940.

 by 平井俊顕

この論文を通じて、ナイトはできるだけ客観的に議論できることに論点をしぼり、努めて公平な視点を提示しようとする姿勢がとられている。

「社会主義をめぐる議論についての主要な知的任務は、定義の可能性、およびそのような () 定義がなされた後に、それにたいする賛否について実際に何を言うことができるかを調べることである。」(p.80)

ロマン主義の2つの事例はナイトのスタンスを理解するうえで面白い。(pp.78-79)

(1)人間性は変えられるという信条(ナイトはこれに懐疑的)

(2)悪いのは誰かのせいだとして、その誰かを排除すれば問題は解決できると考える
安易さ

ナイトは社会主義も、生産効率を重視し、個人の選択を重視するかぎり、それは必然的に資本主義と同質のものとなる、という驚くべき主張を展開する。

   「社会主義経済における組織の一般的なパターンが - 効率的に作動し、そして価値のノルムとして個人の選択を伴うならば ― 資本主義の一般的なパターンと本質的に同じものであるに違いないということは、いまや明白である」(p.85)

ナイトが、社会主義者が個人生活および社会生活の問題を本質的に経済的なものであると考えるのは、あまりにも粗雑な単純化だと述べているくだりは、彼の考えを知るうえで非常に興味深い。

「むしろ真実は、究極的で本質的な問題において、経済的要因は、相対的にみて皮相であり重要なものではない、ということであるように思われる」(p.83)

    (人間の行動および闘争のより深い動機は)、むしろ、彼ら自身のための自由および権力への願望に中心がある」(p.83)

両体制の類似性についてさらに2つの問題が検討されている。

(1) 生産単位という内部組織 (企業) をめぐる問題

リスクを負って活動するために組織化するというのは、民間企業における企業者機能の本質である (ナイトはこの点を重視する。企業者機能をめぐっては、さらにp.91が参考になる)

ナイトは、社会主義ではなぜこの事実が異なることになるのかについて、何の理由も提示されていない、と論じる (p.86)

(2) 利潤の特性をめぐる問題

将来にたいする完全な予見が保証されているとでも仮定しないかぎり、利潤は必ず発生するわけで、それは民間企業の条件と異なるものではない。

ナイトの重要な主張は次の点にある。

  「市場と価格という二重のシステムの一般的な形態は、達成されるべき結果が、個人的な選択に基づく資源の利用における効率性であるかぎり、ほとんど不可避的である。組織化された生産の一般的なパターンは、生産的サービスを購入して、生産物を生産するためにそれらを用い、そして生産の全分野を通じての競争により決定された価格でその生産物を販売するという企業のパターンでなければならない」(p.90)

続いて、ナイトは経済生活の条件の変化の問題について述べている。

  「社会主義者の提案とは、要するに、個人が私益で活動することから、全体としての
社会に・・・移行させるというものであり、政府にとっては、そして具体的にはあるタイプの政治家にとっては、生産の管理と、主たる生産手段の所有を意味するものである」(p.90)

ナイトのコメント

・企業者機能は生産資源を所有していることは無関係である。
・資産の所有と労働者としての個人の人的自由とを識別することは、経済分析的にみて誤っている。p.91
・資産所有と労働力を、倫理的な意味で識別することは誤っている。

「源泉の2つのタイプからの所得の主たる相違は、・・・社会的制度と法の結果である」(p.93)

・資産に関連して、それを社会化することでどのような利点が得られるのかという問題設
― ナイトはたいして得られる利点はないと考えている。

それに、所得を均一化することで、画家という資源が無駄なものとなってしまうといった現象も生じてくる、と。

  「選択の削減は、通常の削減が上昇させるよりもずっと価値を減ずることであろう」(p.94)

ナイトがいわんとすることは、結局、所与の条件に変化が生じるかいなかが、根本的に重要な問題である、ということであろう。

  「所与の条件を根本的に変えることのない、組織の形態におけるたんなる変更は、
損失という大きな可能性、および改善についてのまったく限定された可能性しかもたらさない - たとえ、所与の条件の根本的な変化を社会主義の唱道者の推定と合致させるとしても、その推定が客観的な事実と折り合いがつくかぎり」(p.95)

     「強調したいことは、社会主義者は彼らのシステムのもとでの政治的命令に直面することになる組織問題を、ルーチン的な行政的問題として扱うことによって、あまりにも単純化している、という点である。」(p.96)

・変化を引き起こそうとすると不確実性が生じる。イノベーションの問題。(p.98)
・家族制度から政治国家への移行 (p.99)

    「社会主義計画というのは、主として、権力をめぐる全競争的闘争と権力の成果を、ビジネスから政治に移行するという点に存する」(p.99)

(9) に表明されている、社会主義社会での指導者の地位が永遠のものになる(ならざるをえない、もしくは、なってしまう)というナイトの見解に注目する必要がある。

最後のナイトの言葉は含蓄深い。

(社会主義における) 問題は、むしろ正しい種類の個人を創造し作り出すという問題である。能力と気質において必要な資質を備えている個人がいるとして、自由が人間間の倫理的に許される関係の唯一のベースであり、すべての道徳的もしくは人的生活の本質的な条件であるという一般原理は、そのような個人が経済的効率性、個人的および文化的厚生、そして一般に、善き生活を追究するにさいして相互の利点をもっともうまく導くと考えるような関係を考え、達成することを求めている。 (p.100)

諸個人の特性が変えられない場合、自由主義に基づく市場メカニズムは重要である。その点が変えられないかぎり、社会主義も資本主義と異なることはできない。だから社会主義が資本主義と異なりうるのは、所与の条件の変化、すなわち人間を変えられる場合である。だがそれがなされた場合、国家への多大な権力の移行が生じ、ビジネスから政治にすべてが移行することになる。このような結果が、資本主義よりいいものになる、とはけっしていえない ― ナイトはこの論文では、珍しく客観的であることに努めており、こうした結論を明示的に述べているわけではないが、そう考えているはずである。

・そのほか、労働価値説は、経済学の歩むべき道をあやめてしまったとか、ランゲに対峙
するミーゼスの立場を支持する発言(21)などが興味深い。